山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

アメリカ経済の混乱から学ぶべきもの

2008-10-31 04:26:40 | 宵宵妄話

今日は旅の話とは無関係なテーマである。しかし間接的にはくるま旅がし難くなったという点で無関係とはいえない。

サブプライム問題を引き金として、現在世界中が経済混乱に陥っている。どなたかのコメントでは、100年に一度の大危機だとか。そのようなコメントを出している人も、混乱の発生に一役買っていたのではないか、などといったらFBIから狙われるのかも知れない。

アメリカの経済を動かしているのが誰なのか、どこなのか、そのような難しいことはさっぱり解からないけど、超頭の良い人がどこかにいて実体経済でないものを商品化したりして、それを世界中に売り捌いているに違いない。

以前から心ある人にはよく指摘されていたことだが、アメリカ経済は借金経済をベースにしている、という。今回のサブプライムローンというのは、信用度の低い人たち向けの住宅や自動車のローンがその実態だが、これは正に借金で欲しいものを手に入れるというやり方で、現金を持っていて買うわけではない。自分の買うその家を担保にして買うというわけだが、その担保価値を決める格付け会社というのがあって、それがたまたま住宅バブルによる値上がりを見込んで安易に信用保証の手形を与えていたのだという。ところがバブルがはじけて、一挙に回収不能の状況が生まれしまったということである。

アメリカが世界をリードする上で最重要と考えているのは、ものづくりなどではなく、金融ではないかと思っている。頭を使ってお金を操作すれば、どのような世界でも支配が可能となる。そのために様々な手法というか、金融商品を開発し、それを世界中に売り込んで収益を上げてきたのだと思う。しかし、金融商品が進化するに連れて、実体経済を置き去りにしてきた、という現実があったのではないか。お金の方が先走りして、現実の姿を忘れ果てた目論見の世界が、恰(あたか)も本物のように錯覚されて動いていたのが、ここに来て一挙にその正体を暴露したと言われても仕方がないのではないかと思う。

金融商品の進化というのは、その核に経済取引における「信用」を扱っている。信用というのは,経済取引における財貨(モノ・実態)と対価(金)の交換にズレがあることを意味する。つまり、ものを買うにあたって、実際にお金を払うタイミングが遅れるということであり、遅れても大丈夫という安心というか信頼関係がそこに成り立つことを信用というのである。単に人を信用するというようなことではない。そのように昔学んだことがある。

経済活動における商取引の始まりは、物々交換だった。それが貨幣の創造によりお金との交換になったのだが、現代ではお金は貨幣ではなく信用をベースとした金融の世界へと発展している。この対価交換のズレが実体経済を置き去りにして先に進み、実体経済がそれに付いてゆけなくなったとき、経済破綻が発生するのではないか。

サブプライム問題はその典型的な現象であり、今まで破綻を見ないでやって来たアメリカ経済がぶつかった初めての経験なのではないか。

サブプライムローンを含めた金融商品を証券化したものを、世界各国(の銀行)が大丈夫という前提で、巨額の購入をしていたことが、今世界を混乱させ、各国の末端にまで金融(信用)収縮という異常現象を惹き起こしている。

この厳しい状況をどう乗り越えてゆくのか、その正解などあるはずもなく、これからしばらくの間、右往左往しながらカオスの状況が静まってゆくのだと思っている。

さて、この経済混乱から学ぶべきことは何なのだろうか。国や銀行は、今はそれどころではない、当面の対策に躍起になっている状況なので、この騒ぎが静まってから学んだことを整理してゆくのであろうが、我々大衆はこの問題をどう受け止めればよいのか。

自分が思うのは、基本的に借金に対して厳しい警戒心を働かせた生活のあり方を基盤に置くということではないかということである。平気で借金でものを買うという暮らしの感覚は、大変危険である。収入と支出のバランスの中に、可能な限り借金を持ち込まないようにすることが大切なのだと思う。もう一つ別の言い方をすれば、借金というのは、単にお金を借りるという意味だけではなく、濡れ手で泡のような稼ぎ方、すなわち投機で設けようというような行動も含まれているとうことだ。まともな汗を流さないで稼ごうという行為には数倍のリスクが潜んでいるということをよくよく承知しておくべきである。この当たり前のことを、今回の経済破綻問題から、改めて強く感じている。

特に年金暮らしの高齢者は、借金に対しては、或いはうまい儲け話に関しては要注意である。最近ではこれに振り込め詐欺などという犯罪行為が加わって、何とも早や住みにくい、油断も隙もない世の中になっている。堅実な中に堅実すぎるほどの生活観を持って、決して分をわきまえない行動は取らないことが、高齢者になりかけている自分の生計・家計の信念とすべきことを、今改めて強く感じている。

今日は少し偉そうな話になってしまった。もっと言いたいことは山ほどあるけど、これぐらいにしておこう。明日から3日ほど、ちょっぴり楽しいことで他出しますので、ブログは休みます。
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40万キロへの挑戦

2008-10-30 06:52:26 | くるま旅くらしの話

 愛車SUN号は、6年前に、キャンピングカーのショウに出かけて行って、他のどの車よりも気に入り一目惚れして、衝動買い的に手に入れたものだが、その後、結構欠点も多いのに気づいたのだった。どのような造作物でも完全無欠というのは存在しないということであろう。仮に完全無欠であったとしても、それを使用している時間の経過にしたがって、劣化や狂いなどが生じてくるのは仕方が無いことである。これは人類すなわち、男類と女類の関係によく似ている。(これは失礼)

購入した時はピカピカだった車体も、今では全体が色あせたのは仕方が無いとしても、あちこち傷がついていて、特に後部なんぞは何度も土手などの障害物にぶっつけて、絆創膏ならぬガムテープなどで応急処理をしたのを、そのままにしている状況である。先日の四国八十八ヶ所巡りでは、天井を木の枝にたっぷり撫でられて、細い線が何本か走る結果となった。車が悪いのではなく、運転者の心がけと技量が不足している以外の何ものでもない。反省しきりである。

SUN号は今年の5月にオッドメーターの表示が10万キロを超えた。今回の四国の旅の途中で「111,111km」に到達した。

   

   オッドメーターが「111111」に到達したのは、岐阜県平湯峠に向う途中だった。思わず記念写真を撮った。

今までいろいろな車に乗ってきたが、中古車を買って乗った時でも最高でも7万キロくらいで、10万キロの大台まで乗った車はない。旅車なので、一度の外出時の走行距離が長くなるということが大台に届く理由なのだと思う。北海道に一度出かけると、7千キロくらいは走ることになり、関西方面でも3千キロは下らない。現在は年間2万キロくらいのペースで走ってもらっている。

普通の車であれば、もうとっくに買い替えを考える時期を通り越しているのだが、キャンカーというのは移動できる棲家という機能も持ち合わせているので、乗用車というような扱いからは簡単に頭を切り替えることは出来ない。それだけ愛着心が深まり、見切るという気が起きないのである。自分の場合は、電気や工作に全く能力が無いので、余分な付帯設備は、ソーラーくらいしかないけど、それでも車内の小物などは家内が精を出して(?)あれこれ工夫したりして、いつの間にか我が家独自の雰囲気となっており、思い出も一杯詰まっている。これらをもっと良い車のためにと、ホイと捨て去ることなど出来るものではない。

茨城県のご当地ナンバーの中に、つくばに新しいナンバーが誕生したのを機に、それまでの東京多摩ナンバーをつくばナンバーに切り替えることにした。多摩ナンバーではディーゼル車は7年を経過すると車検が受けられなくのだが、茨城県のナンバーならOKということがあり、嫌っていた土浦ナンバーではないので、良いチャンスだと切り替えたのだった。

そのときにナンバーの番号をどうするか少し迷った。普通だと気に入った番号としては、1番とか、7番とか余り手に入らぬものを選ぶのだと思うのだが、いろいろ考えた結果、80歳までは車での旅に出かけたいと80-55の線で思いが固まりつつあった。しかし知人の中に88歳で矍鑠(かくしゃく)として旅を楽しんでおられる方があり、思い切ってその方を目指して「88-55」というナンバーを選んだのだった。88歳まで車での旅にGO―、GO-というわけである。

この時に決心したのは、SUN号を乗り切ろうということだった。この車と一緒にこれから88歳まで旅をするとすれば、あと20年という時間が残っている。毎年2万キロというのは、加齢のこともあり、少し難しいと思うので、1万5千キロとして計算すると、20年ではオッドメーターは40万キロとなる。つまりSUN号を40万キロ乗り切るということである。決して乗り潰すということではない。

さて、そうなると考えておかなければならないことがある。その第一は十二分なメンテナンスであり、その第二はより慎重な運転である。車は機械構造物であるから、何と言ってもメンテナンスに力を入れなければならない。ところがその知識が殆どないので、先ずは車屋さん頼みである。きちんと定期点検を受け、傷んだ部品を早めに取替えるなど、車の基本部分に対しては、しっかりとした手当てが必要だと思う。

昨日は、ブレーキパッドの取替えを行なって貰った。今のところそれ以外には特に問題箇所はなさそうなので、オイル交換やタイヤ交換などに留意してタイミングを損なわないようにしてゆきたいと考えている。

   

我が家の車庫に鎮座するSUN号。今までよく働いてくれている。これからもよろしく。

車の基本部分の他に、内装や装備のメンテナンスもある。今回の旅でカーテンの紐が切れてしまい、うまく動かなくなってしまった。自分で修理しようとしたのだけど、ややこしい構造のカーテンで、壊れた時の修理が使用者でも可能なような作り方をしておらず、工具も無くてお手上げの状態だった。それで全部を取り外して新たに標準的なカーテンと取り替えることにした。この程度の作業なら、どうにか自分にも出来る範囲である。この他、ダイネットの椅子のバネが弾力を失い、頼りなくなってきている。これも遠からず修理か取替えが必要となる。

このようにあれこれと費用の掛かることが多発してくるのは、人間社会の高齢者の暮らしに酷似しているようだ。モノというのは、それが生き物であれ何であれ、古くなると放置しておけば、まっしぐらに使い物にならない世界へ落ち込んでゆくようだ。多少費用がかかっても長持ちさせ、長生きしようと思えば、普段のその時に応じたメンテナンスが不可欠なのだなと、改めて思った。

年金生活には、重なる出費は厳しいけど、くるま旅を続けることで張りのある人生を送ることが出来るのであれば、病院へ通って薬に頼る刺激よりも、ずっと充実した生き方をものにすることが出来るのではないかと考えている。

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安眠の天敵

2008-10-29 06:47:45 | くるま旅くらしの話

少しオーバーなタイトルだが、くるま旅の楽しさを損なわせるものの一つに夜間の安眠妨害がある。人間は眠るという時間が不可欠の動物であり、生きながらえてゆくためには、睡眠は不可欠の要件のようだ。人間のみならず、他の動物たちも眠りが無いと生命体としての身体を保持してゆけないようである。

私の場合は、眠る時間帯は必ずしも夜とは決めておらず、眠くなったら寝る主義を取っているのだけど、旅に出ると昼間は良いとしても、夜間は電源の確保能力の観点から、眠くないといって一晩中起きているわけにはゆかない。それで、旅に出ると今までのやり方を諦めて、眠くなくても早めに床に入ることになる。

ところが、現代の日本列島は、トータル的には24時間眠らずに稼動しているようで、宇宙から見ると終夜光り輝いているのが判るというほどだから、その影響を受けないわけにはゆかない。24時間蠢(うごめ)いているというのは、光だけでなくそれと一緒に何がしかの音も発生させているということでもある。光の影響なら、厚いカーテンでシャットできるけど、音に関しては旅車のレベルではこれを遮(さえぎ)るのは困難だ。完璧な遮音装置のような車では、安眠は確保されても、別の問題が発生し旅どころではなくなってしまうに違いない。

というわけで、今回の四国八十八ヶ所巡りの旅の中でも、騒音という旅の天敵に何度も安眠を邪魔されたのであった。今回の旅の宿は、殆どが道の駅だったが、半分以上が何がしかの騒音に悩まされたのだった。

旅での騒音天敵には2種類がある。その一つは機械音であり、その代表的なものとしてトラックのエンジン音や発電機の音などがある。もう一つは、人声である。人の声はトラックのエンジン音に比べて大きさもボリュームも小さい筈なのだが、高低の差が大きく、発しているのがことばであるため、トラックの比ではない悪影響を受ける。今回の旅では、この人声の方により悩まされたと共に、今の世では、夜行性の人間が増殖していることを改めて実感したのだった。

国道55号線に沿って走ると、高知市から20kmほどの所に夜須町というのがある。現在は香南市となっている。この町にある道の駅は、直ぐ裏が海で、海水浴場をはじめ幾つかのレジャー施設が複合された総合レジャーランドといった中につくられていたのだが、そのようなことは知らずにいい所だなと一夜ご厄介になったのだった。

ところが、一眠りして目覚めた真夜中の1時頃になると、辺り構わぬ人声が飛び込んできて、もう朝になったのかと錯覚するほどだった。車の出入りが多く、バタン、バタンとドアの開閉音が遠慮なく響き渡り、声高の会話が飛び込んでくる。何だろうと外を見たら、なんと家族連れで夜の散歩に来ているのだった。夜のピクニックは、我が母校の年に一度の行事だったが、それほど楽しいものではなかった。しかし、この家族連れの皆さんは、おじいさんから孫たちまで、楽しそうに大声ではしゃいで海辺の散歩道に出かけて行った。普通であれば、小さな子供を夜中に連れ出すというのは考えられないことだが、今の世では、家族みんなが一緒になって同じ時間を楽しめるのは、このような時間帯しかないのか、と思った。

時間を有効に使い、家族の絆を強めるという姿勢は、一概に否定・非難は出来ないなと思いつつ、その夜は、その後の自分の時間を眠りの中に置くのは困難になり、あれこれと今日の社会事情や般若心経のことなどに思いをめぐらせながら、頭の重い朝を迎えたのだった。

くるま旅などというものが認知されていない今では、道の駅の駐車場の片隅に車を停めてその中に人が眠っているなどということが理解されるはずも無く、むしろそのような車の中で安眠を妨害されたなどと、ガタガタ言う奴の方がおかしいということになってしまうのかも知れない。

若者が夜中に集会所として道の駅を使っているという事実も、地方にゆけば行くほどそれが多いのを知ったのも今回の旅だった。若者たちが、お金を掛けずに集まって談合が出来るような場所が、殆ど無いという現実があるのかもしれない。無人風に見える道の駅は、絶好の夜の集会所となり得るのだと思った。

このように考えてくると、人声をくるま旅の安眠の天敵などということはうっかりいえないなと思った。

しかし、トラックの騒音に関しては、許すべきではない。騒音だけではなく排気ガスを伴っているのであり、この問題は早急に国として何とかすべき課題である。ブログの中でも何度も書いているので、もう理屈は言わないけど、トラック業界の我がまま、運転手の労働環境などという不正論などは無視して、わが国の環境問題対策として、早急に法規制を明確にしてもらいたいものである。 

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俳句の楽しみ雑感

2008-10-28 06:00:20 | くるま旅くらしの話

時々俳句を作ったりしている。俳句はたった17文字のリズムで、感じた思いを表現する最短の文学形式だと思う。そこには凝縮された思いの輝きや感動がある。その深さや大きさは兎も角として、この表現方式というのは、日本人としては捨てがたい。

ま、そのような偉そうな言い方は別として、旅をしながら時々俳句に思いを寄せる時がある。自分の場合は、無理して俳句を作ろうという考えはない。思いついたときに、俳句で表現してみたいと思うだけなので、ことばを深く練って表現しているわけではなく、作品としての出来栄えといえば、個人の勝手な趣味、それも自己満足のレベルに過ぎないと思っている。

秋になると空の青さが一段と深まって、その青さをどう表現すれば本物に近いのかと、若い頃から妙に気になっている。ある時から柿の実一個でその空の青さを計ることが出来るのではないかと思うようになった。それで、

「輝ける柿の実ひとつ青い空  馬骨」

という句を作ってみた。これが究極の表現とはとても思えないが、自分なりには今のところこの程度の表現しか出来ない。

    

青空をバックに映える柿の赤さは、秋の深まりを何よりもはっきりと教えてくれるような気がする。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という子規の句は有名だが、これは青空とは関係が無い。どうしてこの句が有名なのか、長いこと解からなかった。しかし旅をするようになって、このところ毎年奈良の各地を訪ねるようになって、ようやくこの句の持つ深い意味が見えるようになってきたように思う。今回の旅でも八十八ヶ所巡りが済んだ後、一日奈良の山の辺の道を歩き、又一日法隆寺ならぬ薬師寺と唐招提寺に参詣したのだったが、彼の地に行くと、子規のこの句の意味が良くわかるのである。

奈良は、古来柿や蜜柑栽培の発祥の地であり、その栽培は今日でも変わりなく継続されているようで、秋になると郊外の果樹園にはたわわに実る柿や蜜柑を見ることが出来るし、街中の庭にも柿の木が当たり前のように生活風景の中に溶け込んでいる。

古都の趣は、柿を食しながら法隆寺の鐘の音を聴く中に、存分に表現されているように思えるのである。柿と法隆寺はみごとにマッチしているのである。瞬間的にそれを捉えて詠んだ子規の感覚はさすがだと思わずにはいられない。関東に居ては、とうていこの句の味わいはモノには出来ないように思う。

話は変るけど、今回の旅で、香川県の第75番札所善通寺で、NHKのBS放送の「街道てくてく旅」の撮影現場とぶつかった。プロ卓球選手の四元奈生美さんが四国八十八ヶ所巡礼の遍路路を歩くという番組である。この日は、本当は第72番曼荼羅寺から参詣を始める予定だったのが、道を間違えて、先に善通寺へ来てしまったのだった。善通寺は、言わずと知れた弘法大師生誕の地のお寺である。駐車場を探すのに手間取って、ようやく見つけて駐車したところ、そこにNHKのエコカーというのが停まっていて、相棒がたちまち近寄って、話しかけ今日がここの撮影現場だという情報を仕入れて来たのだった。

この番組にそれほど関心があったわけではないが、四元さんという方が、毎日の放映の中で、とても素直な句を毎日作って発表しているのを、感心しながら見ていたので、この番組を覚えていたのだった。相棒の方は、自分とは別の野次馬根性を大いに発揮して、その後彼女の側まで近づいて写真などを撮りまくっていた。好奇心を大いに満足させたようだった。

   

NHK「街道てくてく旅」撮影中の四元さん。このような場所では、写真撮影はサービスタイムとなっているようだった。

八十八ヶ所巡りの遍路の旅には、俳句での感興の表現はフィットしていると思う。自分は般若心経のことで頭の中が一杯で、句作は何もしなかったけど、四元さんの句は視聴者の心を和ませたに違いない。その日の一句がどのようなものだったのかは、残念ながら旅の中では知ることが出来なかった。

今日は旅から戻って、久しぶりにいつもの散歩道の歩きを2時間ほど楽しんだ。守谷のこの地にも、庭先の柿の木がたくさんの実をつけて青空に輝いていた。旅のことを思い出しながら、思いつくままに俳句に絡むことなどを記してみた。

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ゴミ処理について

2008-10-27 03:07:13 | くるま旅くらしの話

ゴミ処理は、くるま旅、とりわけて長期間のくるま旅をする者にとっては、悩ましい問題である。ゴミ処理を受け入れてくれる施設や場所が次第に無くなってきているからである。今回の四国八十八ヶ所巡りの旅においても、この問題には悩まされ続けた。40Lのゴミ箱を携帯して、当座のゴミはそこに押し込めるようにし、ゴミ箱のある場所で分別に従って処理をさせて貰って、どうにかその場を凌いでは来たのだが、何故かスッキリしない。

家庭でのゴミを持ち込まないようにという注意書きのあるゴミ箱が多い。くるま旅の中で出るゴミは、家庭なのかそれともそのゴミ箱に入れて良いものなのか迷う。捨てられているゴミの中身を見て判断し、その可否を決めさせて貰っている。それが正しいことなのかどうかは良く判らない。

道の駅では、ゴミ箱が次第に無くなって来ており、それは道の駅を運営してゆく上の常識となってきているようである。新しい道の駅の場合は、先ず100%ゴミ箱は用意していない。それが決まりとなっている感じがする。

何故道の駅にゴミ箱が無いのか? 何故高速道のSAにはゴミ箱があるのか? 時々この問題を考えることがある。思うに、道の駅の場合は、ゴミ処理の費用と手間の問題が大きいのだと思う。その問題を大きくしているのが、道の駅の利用者の出すゴミの量の多さとマナーの悪さということになるのかも知れない。この解決法として採られているのが、ゴミ箱を無くすという方法なのであろう。如何にも合理的で、正論的な方法のように思える。ゴミ箱を無くせばゴミ処理は必要ではなくなる。従ってコストも掛からずスッキリした道の駅の運営が可能となるというわけである。

しかし、ちょっと待って貰いたい。道の駅そのものを利用することで発生するゴミはどうすれば良いのか。道の駅で買った野菜の屑は? 不要な包装箱は? 皆、持って帰れということなのであろうか?何だかムシが良すぎる話のように思えてならない。

ところで、高速道のSAなどには何故ゴミ箱があるのだろうか?車を利用した不特定多数の人が集まる場所としては、道の駅に似ているように思う。むしろ道の駅以上にゴミの発生する場所であり、マナーも決して良いとは思えない。コストだって相当なものだと思う。だとすれば何故ゴミ箱を撤収しないのだろうか? 

この答は、高速道路を経営している会社に訊いて見なければ解からないが、思うには、今のマナーの状態から言うと、ゴミ箱を無くすと高速道の運営に支障を来すようなゴミ捨て問題が発生する恐れがあるから、なのではないか。車の中から、弁当箱や空き瓶、空き缶などが飛んできたら、大事故となる危険性がある。本当はゴミ箱を無くしたいのだけど、それをやったら、経営に支障を来すような事態が発生する可能性があるので、やむなく我慢しているということなのではないか。どうもそのように思えてならない。利用者のために心底ゴミ処理を受け入れているとは思えない。

この二つの対応の根っ子にある発想は、基本的には同じように思えてならない。世の中が不信を前提に、自己の保身優先に動いている感がしてならない。それは人間不信という発想だ。人間不信を前提とする経営や運営は、やがては巡り巡って人間不信を増幅するに違いないのだが、競争や利益優先という発想が支配し出すと、世の中は心貧しい世界に向うに違いない。

たかがゴミ処理の話と言う勿れ。持論を言わせてもらえば、ゴミというのは生産と同じ意味を持つのである。生産が無ければゴミは無いのだ。生産者はゴミを生産しているのであり、消費者がゴミを生み出しているのではない。消費者は生産者が生み出したものを使い終えて、ゴミを捨てる役割を果たしているだけなのである。何やら詭弁の様に聞こえるかもしれないけど、生産の負の部分がゴミなのであり、生産とゴミは表裏一体のものなのである。このことは重要だと思う。

世の中は、常に生産優先、生産大事という発想がまかり通って来た。しかしここに来てこの発想は見直され出している。環境問題がそれである。あらゆる環境問題は、生産に対する負の部分の集合体であるといえよう。人間の生産に基づく営みの作り出したゴミが、地球をおかしくしているというのが環境問題の本質であるからである。

環境問題というのは、国家プロジェクト的な課題であり、さらには地球規模での対策を必要とする、世界全体の国々が一体となって取り組むべき問題でもある。現在世界の実力国は、一応の合意の下に、この問題解決に向って足を踏み出したように見えるけど、その実態は自国の利益を優先させざるをえないが故に、殆ど進捗してはいないように思う。この問題は、恐らく未解決のままに人類は地球を食いつぶして、やがて滅び去ってゆくというストーリーが、かなりの確率で見えてくる気がしてならない。

少し話がオーバーになり過ぎたが、戻ってわが国のゴミ処理のあり方を見てみると、ゴミ問題は地方自治の問題として、国としての対応は、殆どないがしろにされている感がしてならない。地方自治体の置かれた状況によって、その対応のあり方は区々(まちまち)である。分別も回収したゴミ処理のあり方も特にルールは無く、各地方自治体に任されている。旅をしていると、このことを目の当たりに実感する。ゴミ箱が無くなるのは当たり前ということが言えよう。予算に余裕のない自治体は、ゴミ処理に掛かるコストをできる限り削減したいと考え、その結果公共箇所におけるゴミ箱の撤去と相成るわけである。

開設してから時間の経った道の駅に、何年か前まで設置していたゴミを入れる分別の籠が、駅舎の裏の方に積んで残されてい居るのを見たりすると、この国が夫々のご都合主義で動いているのを目の当たりにするようで、何ともガッカリしてしまう。

改めて声を大にして言いたい。ゴミ処理というのは国の運営、すなわち国民生活のインフラの一つなのである。そこに定住している人のためだけのゴミ処理を考えるだけで、国が運営出来てゆくものなのかどうか。頻繁に人が移動し、錯綜しあいながら動いてゆく社会が当たり前となっている現実に対して、当該の行政を担当する大臣や役所の方には、このインフラに関するしっかりしたシステムを再構築して貰いたい。環境問題の根っ子を押さえずして、そこから派生して発生する問題現象ばかりに振り回されるような大臣や役所は、消え失せてもらいたい。

少し過激すぎる発言のようにも思っているけど、今のところ旅をする度にこのゴミ処理問題が、単に個人的な都合・不都合の問題などではなく、国全体の、大きな課題として手がつけていられないことを強く感ずるのである。

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くるま旅の限界

2008-10-26 01:45:30 | くるま旅くらしの話

四国八十八ヶ所巡りの旅を終えて、2日が経った。昨日は終日の雨降りで、何をする気も無く半分以上を寝て過した。旅から戻ったその日に、雨の中をずぶ濡れになりながら畑を耕し、そら豆を播く準備をした所為か、少し体が痛くて、終日の雨は休養には好都合だった。ついでにブログの方も休むことにした。

さて、今日はそら豆やほうれん草、からし菜などを播き終え、正気に戻って、今回の旅のあれこれなどを思い起こしている。その中で、くるま旅の限界ということについて思ったことを書いてみたい。

くるま旅というのは、無限の自由な可能性に溢れた旅だと思っていたのだが、実際に八十八ヶ所を回ってみると、目的を持った旅の場合は、必ずしも自由ではなく、多くの制限というか、限界のあるものだということに気がついたのだった。

というのも、お寺の多くは、山奥や、人家の密集したエリアの奥まったような場所にあり、もともと車などは寄せ付けない環境に位置している。八十八ヶ所のお寺の殆どには駐車場が用意はされているけど、そこに辿り着くまでにキャンカーのような図体の大きい車は容易なことではない。

これから行くその道の情報について、離合が困難や不可能といった状況が判っておれば、あえて無謀な突入はしないのだけど、案内書や案内図には、何の注意書きも書かれていないお寺が結構あって、大丈夫だろうと実際に行ってみると、ラッキーにどうにか辿り着けたものの、天井を木の枝に当てたり、もし離合の車が来たら絶体絶命というような箇所があったりして、肝を冷やすような運転を強いられる所が多かったのだった。

くるま旅の大前提は、安全と安心ということであるから、このようなハラハラ、ドキドキの連続は、考えものである。八十八ヶ所のお寺巡りは、キャンカーの限界を暗示しているように思えた。つまりは、キャンカーを使っての旅の目的としては、適切ではないということであろう。お寺巡りそのものは、キャンカーなどという旅の手段とは無関係に、それなりに有意義なものではあるけど、手段と目的がフィットしていない旅は、心のどこかに余計な疲れを溜め込ませるようで、反省大であった。 この次に発起して又八十八ヶ所巡りに出かけるときがあれば、キャンカーではなく、別の手段を考えなければならないと思ったのだった。

今回の旅で一番肝を冷やしたのは、高知県の土佐市にある、第35番札所の清滝寺だった。高速道路の下を潜ってお寺への入口までは良かったのだったが、そこから先は離合できる場所が2、3箇所しかない細く狭い、急な坂道が2km以上も続いていて、この間は息を呑むような緊張の連続だった。

   

第35番札所:清滝寺の境内。階段の上、左が本堂。右が大師堂。ここまでキャンカーで辿り着くのは、奇跡的なことだったと、今でも思う。

最初はみかん畑の中の狭い砂利道で、離合は全く不可能どころか、バックも出来ないような道だった。そこを過ぎると、今度は森の中の急な坂道で、ここも殆どが離合困難な状況だった。それにしても何という幸いなことか、往路は1台の対向車にも出会わず、狭い境内の中にある駐車場に辿り着くことができたのだった。参詣を終えての復路はこれまた緊張の連続で、砂利道で凹んだ箇所では車の底を打ったりして、肝を冷やした。そして、ついに対向車に出会ってしまったのである。幸いなことにぎりぎりでの離合が可能な箇所だったので、少し時間がかかったけど、3台の対向車となんとか離合の危難を脱したのだった。

入口の4mほどの幅の道に戻った時は、それがなんと幅の広い安心な道に思えたことか。もうこのような細く狭い道には二度と入り込みたくないと、心底から思ったのだった。

しかし、その後も細く狭い道は、容赦なく待ち受けていて、清滝寺以外にも、何度か同じ体験の繰り返しとなったのである。以前、高松に転勤で住んでいた時、四国八十八ヶ所を車で回ると運転が上手になる、などと冗談半分に他人に言っていたことがあるが、今回の経験からは、運転が上手になるどころか、事故の危険性の方が遥かに大きいと思った。

というわけで、これから先はキャンカーでの八十八ヶ所巡りは二度としない、してはいけないというくるま旅の限界を感じたという話でした。 

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四国八十八箇所巡りの旅:第22日(最終日)

2008-10-24 02:26:59 | くるま旅くらしの話

行程

道の駅:川場田園プラザ→(R120・R17・R50)→道の駅:みかも→(R50・R294)→道の駅:下妻→自宅

旅の最終日となる。夜半から雨が降り出したようで、朝方は止んではいたけど、周囲の山は霧の中だった。これでは日光・中禅寺湖の方を回っても何も見えないだろうと判断し、山道を行くのは止めにして、平地を選んで家に帰ることにした。

沼田から渋川に出て、前橋からR50に入り、桐生、足利、佐野、小山と通って、筑西からR294に入って1時間ほど走ると我が家に到着。これで今回の旅は終了となる。

全走行距離3,695kmの旅だった。当初の予定では、もう少し短いのではないかと思っていたけど、終わってみれば、1日平均170km近い走行となり、かなりの走りとなってしまった。

お寺巡りは、四国4県を夫々4日かけて回ろうと思っていたのが、結果的には各3日となり、かなりの速さとなった。これは回ってみれば解かることなのだが、八十八箇所のお寺めぐりというのは、何だか後ろから押されるようなものがあり、とても遊山気分では出来ない心境となってしまうのである。八十八番の大窪寺を終え、高野山に参詣して初めてホッとする気分になれるのである。

今回の参詣のスタイルといえば、各寺の本堂と大師堂のいずれかで納め札を納めた後、般若心経を唱え、その後に写真を撮るというのが中心だった。納経帳へのサインと刻印は止め、各自の山門、本堂、大師堂、鐘楼のほか、そのお寺の特徴的なものなどを写真に収めることにした。88箇所もあると、毎日の写真の整理が大変で、その日のうちにきちんとしておかないと、どれがどこなのかがさっぱり判らなくなってしまう。お寺というのは、皆同じような建物やレイアウトが多くて、一目見てここがどのお寺の何なのかを判別できるようになるには、相当の経験と目の修練が必要に思う。とりあえずお寺ごとに写真を整理はしたけど、さてこれからそれらをどのようにまとめてゆくかが課題であり、楽しみである。

今回の旅では、般若心経の世界をさ迷うのがメインテーマであったが、これは自分にとっては永遠とも言える課題で、生きている間はおろか死んだ後もさ迷い続けるテーマのように思っている。旅の間には、般若心経を100回以上も誦し、それ以外の時間も心経の文字は頭の中を乱れ飛んでいたけど、まとまるような気配は微塵も無かった。それらの思いについては、追って断片を紹介したいと思っている。

旅が終わると、後片付けやら、溜まっていた農作業(?)などに追いやられて、その後にドカンと倦怠感がやってくるのが常である。しばらくはブログも途絶えがちになるのではないかと思う。ご容赦あれ。 

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四国八十八ヶ所巡りの旅: 第21日

2008-10-23 07:06:20 | くるま旅くらしの話
行程
道の駅:みまき→(軽井沢散策)→伊香保温泉:塚越屋七兵衛へ立ち寄り湯→道の駅:川場田園プラザ(群馬県川場村)(泊)


もう帰宅可能なエリア迄来ているけど、今日は久しぶりに軽井沢を訪ねた後、伊香保の湯に入り、どこか近くの道の駅にでも泊まり、明日帰宅することにした。
10時少し前に軽井沢に入る。駐車場に車を入れようと思ったら、観光バスや普通車が入っているのに、空きがあってもこの車はダメだという。それで親切(?)に隣の駐車場を紹介してくれたので、其処へ行くと、この車は普通車料金の倍の千円貰わないと、という。それなら止めようとすると、渋々所定料金でいいから、隅の方に置けと言う。いつもだと、別の駐車場を探すのだが、面倒くさいので言われた場所に車を置いたのだった。駐車場なんて、大した努力も無しに、ただ其処に土地を持っていたから、砂利を敷いて、薄ぼんやりの線を引いただけなのに、決めたルールを無視して、客を選別して扱うとは、誠に最低の商売根性だなと思った。最初から印象は良くない。
観光客相手の商店街を往復したが、さしたる興味もなく、このような都会の残滓のような雰囲気のどこに魅力を感じて観光に来るのだろうと思った。
昔の軽井沢には、ピュアな都会の感覚があり、それが森の中に棲む別荘の人たちとマッチして、独特の香りある文化を作っていたように思っていたが、今はそれは名ばかりで香りは臭いとなってしまったようだ。
公衆トイレは汚く、町経営の駐車場は、私営のそれよりも高い料金を取っている。このエリア一帯が先人達の築いた財産を食い物にして、観光客などから銭を毟り取ろうとしている感じもした。もう一度来たいと心底から思う観光客がいたとしたら、それには町が表彰状を用意する必要があると思う。とにかく今日の軽井沢には失望した。
すっきりしない気分で軽井沢を後にしたが、今日も温泉博士を頼って温泉に入って気分転換しようと、碓氷峠を下って伊香保の町へ。その名も塚越屋七兵衛という老舗の温泉旅館に立ち寄り湯をする。いやあ、いい湯だった。伊香保の源泉を持っている宿は10箇所しかない、その一つがこの宿で、一緒に入った人の話では、その中でも此処が一番ということだった。温泉分析表を見ると総合湯と書かれており、つまり一般的な温泉の成分を皆含んでいるらしい。体は良く温まり、旅の疲れも取り去られた感じがした。今度は泊まってこの湯を堪能したいと思った。
伊香保を出て、今夜は沼田市に隣接する川場村の道の駅に泊まることにした。初めての道の駅は、川場田園プラザという名の通り、田園の中に造られた村の基地のような存在だった。ここは車の往来も少なく、静かな夜を過ごすことができた。
明日は日光中禅寺湖辺りの紅葉を見ながら我が家に戻る予定である。
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四国八十八ヶ所巡りの旅: 第20日

2008-10-22 07:38:03 | くるま旅くらしの話
行程
道の駅:アルプ飛騨古川→高山市市内散策→(R158)→道の駅:風穴の里→道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里→(R254・R18他)→国民年金健康保養センターこもろ→道の駅:みまき(東御市御牧)(泊)


今日は飛騨高山市を久しぶりに訪ね、その後は小諸市近くの温泉に入って旅の疲れを癒やし、近くの道の駅に泊まる予定。旅の終わりはもう直ぐ其処に来ている感じである。
高山の朝市は有名だが、今日もたくさんの観光客で賑わっていた。アメリカや中国などから来た人が目立っていた。我々には朝市はさしたる魅力は感じない。一通り人の流れに乗って、雑踏の感覚を味わっただけである。興味関心は古い町並みの方にあるけど、こちらは主として相棒の世界であって、自分は店の中に入ることは殆どなく、ただ歩きを楽しむだけである。
高山の後は、平湯峠、安房峠などの山越えの道となった。トンネルを抜ける度に、全山紅葉が鮮やかさを増して目に飛び込んでくる。二千メートル近い高山帯は、只今紅葉の真っ盛りだった。思いもしなかった景観に何度も息を呑む。本物の秋と、直ぐ傍に迫っている冬を見た感じがした。
安曇野は堀金の道の駅に寄り、リンゴなどを買う。ここにはもう少し経ったら渋柿を買いに来るつもりでいる。
その後は「温泉博士」(温泉情報誌)のガイドに従って、小諸市郊外の年金保養センターこもろという温泉へ。露天風呂から、煙りを吐く浅間山を望見できる良い温泉だった。
入浴の後は近くの道の駅:みまきへ。今日の泊まりはここ。終夜エンジンを掛けっ放しのトラックがいて、何故早く法規制出来ないのかと腹が立つ。環境問題は、営業車の横暴に対して甘過ぎる。国は、一晩中吐き出す排気ガスがどれほどのものかを、運転者と経営者に確かと知らしめて貰いたい。軽く百人分の致死量はあるのではないか?と思っている。(安眠を妨害されて機嫌が悪い)
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四国八十八ヶ所巡りの旅: 第19日

2008-10-21 07:00:26 | くるま旅くらしの話
行程
道の駅:竜王かがみの里→(R8・R21・R41)→道の駅:ロックガーデンひちそう→道の駅:美濃白川→道の駅:飛騨金山ぬくもりの里温泉→道の駅:飛騨街道なぎさ→道の駅:アルプ飛騨古川(泊)


今日は飛騨・信州に向かっての移動日である。少し早めの7時40分に出発する。R8を走って、米原で別れてR21へ。大垣で給油の後美濃加茂からR41へ入り、七宗の道の駅でようやく休憩。この間3時間40分、125kmの走り続けだった。ここまで適当な休む場所が無かった。
次の道の駅、白川で昼食の後、温泉に入ることにして12時半ごろ、今は下呂市になった金山温泉の「湯ったり館」というのに到着。1時間ほど温泉を楽しんだが、長距離運転途中の日中の入浴は、その後の疲れを誘い出したようで、16時半に古川(飛騨市)の道の駅に着いた後は、何もする気が無くなり、一杯やってたちまちの爆睡となる。明日は久しぶりに高山を訪ね、その後信州の安曇野に向かう予定である。
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