今年も間もなく終わろうとしています。先ほどNHKの紅白歌合戦が始まりました。このひねくれジジイにはこのような大げさな番組は面白くもおかしくも無く、ただ煩いばかりなので、見ることは敬遠しています。でも楽しみにしている人も大勢おられると思いますので、とやかく言うことは何もありません。
今年もいろいろな出来事がありました。世界レベル、日本国内レベル、個人レベルと、取り上げれば切りのないことですが、感じたことを少し述べるとすれば、次のようなことを挙げたいと思います。
世界レベルの出来事としては、テロ、難民、異常気象などが挙げられますが、その根源のすべてに絡んでいるのは、エネルギーを化石や原子力などに頼っているという現代の世界経営のあり様があるように思います。エネルギー確保のための石油資源が枯渇し、原子力への依存が無くなった時、初めて現在の世界各地での紛争や異常気象等が改善され始めるのではないかと思うのです。
しかし、これは現状ではそう簡単に無くなる筈もなく、恐らく地球がもはや生存可能な世界ではないと気づくまで、様々な紛争が続くような気がします。人間は理想郷を描くことは出来ても、それを実現することは決して出来ない動物のようです。来年も又悪質非道な事件が世界各地で起こるに違いありません。どうすれば良いのかなどの対策などあるわけもなく、一市民としては只ひたすらに巻き込まれないような幸運を願うだけです。
国内の出来事を振り返る時に一番危うく思うのは、人倫を欠いたネット社会の事件の氾濫と政治的価値観の暴走、それと自然災害の脅威ということになりますか。ネット社会が生身の人間を狂わせ、政治への喪失感が政権を暴走させ、加えて大自然のもたらす異常な現象が脅威となったこの一年でした。様々な分野で異常さを感じさせる出来事の多い一年だった様な気がします。
年々、心和むことの少ない日々が増えつつあるような気がします。文明というものが、様々な知恵のもたらした結果が、今の世の中なのだというのであれば、果たして文明というのは人間を本当により安全で安心な世界に導いてくれるのか疑問です。確かにいろいろな面で利便性は圧倒的に高まりましたが、その結果人間が得たものは何だったのか、失ったものは何なのか、この頃はそのような疑問が膨らんで来ています。
さて、私ごとですが、今年はそれなりに良い年だったと思っています。旅くらしを最優先させている私どもなのですが、それでも同じ屋根の下に住む倅夫婦に孫が生まれるとなると、ホイホイと旅に出かけるわけにはゆかず、今年はその誕生を待って例年の夏の北海道行を断念したのでした。9月に孫娘が誕生し、しばらく旅のことは忘れたのですが、偶々同じ時期に隣りの常総市が大水害に見舞われるという事件が出来し、真に騒乱の日々となりました。常総市の水害は予想も出来ないレベルの酷さでした。正直、これには人災の部分も絡んでいるのではないかと思われてなりません。このような時代にあんなに簡単に堤防が決壊するなんて、何だか変な感じが拭えません。ま、この話は措くとしましょう。
さて、今年の旅ですが、春の終わりごろに佐渡へ3週間余り、秋の終わり頃に美濃と紀伊を3週間余り旅しただけでした。夏の季節に足止めを食らったのが大きいのですが、可愛い孫娘の誕生は、それを補って余るほどのものでしたから、文句を言う筋合いではありません。
この頃の旅にはテーマというものを設けることにしています。佐渡の旅は、能楽とは何かを中心として、佐渡一国を味わおうという試みでした。周囲250キロあまりの小さな島国ですが、佐渡は山あり川あり平地あり湖ありの立派な一国です。佐渡といえば、島流しと金山、それに最近では朱鷺くらいしか知らない人が多いのですが、それは無知というものです。5度ほど能の上演をじっくり鑑賞し、大佐渡、小佐渡を巡っての3週間は、実りの多い時間でした。何の知識も無かった能についても、芸術表現としてのその考え方、方法について学ぶことが出来たと思っています。又、新たな課題も見つかりました。それは佐渡には伝説が多く残っており、次に行く時はそれらを少し拾ってみたいと考えています。伝説は佐渡の成り立ちを知る上で、かなり重要なものを秘めている感じがするのです。何時行けるか判りませんが、次回が楽しみです。
秋の旅は、紀伊の熊野詣の跡を辿るのがメインテーマでした。その途中で、美濃エリアの重伝建や城址を巡ることにしたのですが、念願の佐藤一斎先生の地元を訪ねることが出来て、何だか安堵しました。偉人といえども、生まれや暮らしは我々と何も変わらないのだと思ったからです。そう言えば、松陰先生の松下村塾だって、今こそ神社となっていますが、元々はまさに松の木の下にある小さな小屋の学習塾だったのですから。
熊野詣の跡といえば、やはり熊野三山の大社とそれに至る道、いわゆる熊野古道ということになるでしょう。古の人々の思いに少しでも近づくためには、三大社への参詣だけではなく、古道を歩いて見ることが不可欠だと思います。わずかな距離でしたが、その体験も出来て良かったと思います。又参詣の道の随所に設けられた王子社についても五体王子と呼ばれる場所のすべてを訪ねることが出来て、往時の参詣の人々の残した歌などがあり、どのような参詣の様子だったのかを僅かながらも偲ぶことが出来て良かったと思います。この、平安時代から始まる参詣という名の一大イベントは、その本質が「旅がしたかったから」なのだと結論付けて、自己満足しながら戻った旅でした。
今年はたった2回の、1ヶ月半にも満たない旅でしたが、それなりに満足できる旅だったように思っています。
さて、来年のことになりますが、まだ何も決めていません。行きたい場所は無数にあり、やはり優先順位を付ける必要があるようです。まず、夏の北海道は特別のことがない限りは実現させたいと考えています。春の東北エリアも、そろそろ「へのへのの旅」の本番をしてみたいと思っています。「へのへのの旅」というのは、青森県と岩手県にまたがる「一戸から九戸、そして遠野(=十戸)」に至る九つの行政エリアを訪ねる旅のことです。四戸は無いので、九つとなるわけです。何年か前にざっと下見はしているのですが、未だ本番を行っていません。また、この時期に四国や九州エリアを回って見たいという願望も膨らんで来ています。九州は今のところ「石の文化」を訪ねたいと考えています。
秋の旅は、関西から中国地方にかけて自在に回って見たいと思っています。テーマは未定ですが、重伝建や重文景などの、まだ行っていない場所もありますので、行く先に事欠くことはありません。春を迎えるまでの間に、相棒とも相談しながらじっくりと思いを巡らし決めてゆきたいと思います。
何だか好き勝手なことばかりを述べて参り、失礼しました。
間もなく今年が終わります。この一年間、私の長ったらしい、うんざりするような駄文を、我慢しながらお読み下さった方々に、心からお礼を申し上げます。このスタイルは今後も崩さないことに決めておりますので、引き続き我慢をして頂いて、お読みくださいますようお願い申し上げます