山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ソヨゴの実 

2017-10-29 20:56:44 | ホト発句

                                                                         

                        ソヨゴの実輝きて秋一つ深まりぬ

 コメント:

  ソヨゴという木が好きで、土地付きの家に住める時が来たら、必ず植えようと考えていた。それが叶って早や13年となる。当初、どこへ植えるかが問題だったが、考えた結果、門の脇に植えて我が家のシンボルツリーにすることにした。ところが、4本ほどの寄せ植えとして植えたこの木たちは、その後数年経っても少しも生長せず、いつまでたっても植えた時と変わらぬ高さだった。土に問題があるのかと対策に悩んでいたのだが、7年ほど経つと今度はいきなり伸び始め、その後の数年で倍以上の高さに伸びてしまった。あまり伸びてしまうと歩道に迷惑をかけることになるので、それからは延びるのを抑えるための剪定に追われることとなった。

 毎年この季節になると、それまで気付かなかった存在の実が、急に赤みを増し、秋が深まるにつれて真っ赤に輝き出す。その姿を見るのが大きな楽しみの一つである。背景に真っ青な空があれば、その輝きは一層増すはずなのだが、今年は晴れる間もなく、週末に連続して台風が来襲するという異常さで、その楽しみが半減している。

台風が去れば、今度こそは青空が続いてくれるのだろうと期待している。

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妖怪コゴトババアと妖怪チョンボジジイ

2017-10-22 05:02:31 | 宵宵妄話

妖怪をどんな単位の呼び方で言えばいいのか判らないのだが、取り敢えずここでは人間並みの数え方としておきたい。我が家には最近二人の妖怪が住みついている。いや、二人どころではない。目を凝らし、耳を澄ますと、その他大勢の妖怪たちの動き回るのが判るのだが、とりわけて目立っているのはコゴトババアとチョンボジジイという二人である。この二人の妖怪は、いつも我々の暮らしの傍にいて、争いを始めるので、最初はそれを見ているのが面白かったのだが、その争いが止むことなく続いているのを見ていると、もはやうんざり感しか覚えなくなって来ている。

この二人の妖怪の争いの始まりは、それがどのようなものであれ常にチョンボジジイが撒く種にあるようだ。播くのではなくチョンボジジイの種はいつも撒かれるのである。つまり、芽を出して育てようとするのではなく、そこいら辺に気まぐれ的にばら撒くといった感じなのだ。ばら撒くというのはつまりは再犯性が高いということであり、それがこの妖怪の際立った特徴なのである。で、たちまち妖怪コゴトババアの出番となるわけである。この連動の働きは見事なのである。

 そのばら撒かれる種を幾つか挙げてみよう。先ず朝起きると誰でもそうだと思うのだけど、隣りの部屋に行くにはドアを開けなければならない。妖怪チョンボジジイは、それらのドアの幾つかを閉め忘れるのである。幾つかなどというと随分大きな家の様に錯覚されると思うが、実際はリビングから小さな廊下に出るための開き戸とトイレの開き戸の二つしかない。この二つの戸はチョンボジジイが通った後には全部締め切らないで、少しばかり残したままにしているのだ。そうすると、風が入ってきたり階下に住む孫たちの騒ぎ声が飛び込んできたり、或いはこちらのTVの音声が階下に流れ降りて迷惑を及ぼしたりするものだから、たちまち妖怪コゴトバアの出番となる。

チョンボジジイが何故このようなチョンボを繰り返すのかといえば、そもそもは開けても直ぐに戻るという前提で閉め残しているのだけど、途中で何かを思いついた時は、自分の部屋に入ってその処置をしている内に戻るのを忘れてしまうことが圧倒的に多いのだ。開けたら直ぐに閉めるというのを習慣づけていればいいのだと思うけど、この妖怪は直ぐに戻るのだから何も一々開け閉めしなくてもいいのではないかという合理主義的発想が頭にこびりついているので、それを捨て去ることが出来ないのである。

次に食中の食べこぼしというのがある。つまり、食事の間に食べているものを下に落とすというドジである。これは食べ方に問題があるのであろう。ゆっくりと良く噛んで食べれば、食べこぼしなどのドジは児戯となるに違いないのだが、この妖怪チョンボと言えば、生来の早食いなのだ。食事のテーブルに並べられた物は片っ端から全速力で食べようという姿勢が、子供の頃の飢えの時代に定着してしまっているようなのだ。一緒に食事をしても、コゴトババアが箸を取る頃にはテーブルのおかずの半分近くは無くなっているという早業なのである。この早業に対しては、コゴトババアはもうすっかり諦めているので文句は言わないのだが、食事が終わってチョンボジジイが退席した後に椅子の下に食べこぼしを発見した時は、たちまち伝家の宝刀のコゴトが飛び出して、小さい声でチョンボジジイの非を詰(なじ)るのである。 「ほんとに、何度言っても同じことを繰り返すのだから。もう、やんなっちゃう。」ということなのだ。

 次に多いのは衛生観念の違いからくる問題である。例えば、着替えのことがある。妖怪コゴトババアは無類の洗濯好きで、一度着た物は直ちに洗濯せずにはいられないという思いで固まっている。しかしチョンボジジイと言えば、折角身体に馴染んだ下着なのだから、2~3日くらい着続けてもいいのではないかという考えがあり、時にはそれを実行している。それに気づくとコゴトババアは、小言よりも大きな声を出して着替えることを強要する。おかげさまで、チョンボジジイはこの頃は下着をほぼ毎日取り替えることになった。それなので、この点に関する小言は少なくなった様である。

しかし、衛生に関しては、もう一つのトラブルが時々起っている。それはチョンボジジイが台所に放置されている食器や鍋類の存在を嫌うことから始まっている。キレイ好きの筈のコゴトババアなのだが、何故なのかこの台所の使用済用具を直ぐに洗おうとせず、ため込むのである。必ず「あとでやるから、そのままにしておいて」というのだが、その「あとで」が実行されるまでには相当の時間がかかるのだ。それを我慢できないチョンボジジイは、直ぐ様自分で洗うことを決行する。台所が片付いてさっぱりしたので、安堵していると、しばらくすると、何とコゴトババアがもう一度それらを洗い直しているではないか。当然チョンボジジイは黙ってはいられない。するとコゴトババアがいうには、汚れが落ちていない、とか洗剤を使い過ぎてそれが残っているとかいうのだ。洗剤を使い過ぎると言われてからは、基本的に洗剤は使わないことにしたのだが、今度は汚れが落ちていないというのだ。要するにやり方が下手というのであろうが、だったら溜め置きしないでサッサと洗えばいいのではないかと思うのだが、どういうわけかそれは実行しないのである。

そもそもチョンボジジイの衛生に対する考え方の根底には、バイキンとの共生というのがある。バイキンと敵対するのではなく、仮にバイキンを食べたり飲んだりしても、身体の中で一緒に仲良くやって行こうや、という発想なのだ。だから食器類の扱いについても、バイキンと敵対して、ここぞとばかりに消毒を兼ねてきれいにするなんてナンセンスだと思っている。そのようなことをしたって、あっという間にバイキンが取り付くのが彼らの世界なのだ。

だからと言ってバイキンの全てを受け入れるなどという考えは毛頭ないけど、ほどほどに仲良くしていればそうそう病に取りつかれることはあるまいと信じている。この発想の違いは決定的であり、コゴトババアの世界にはそのようなことは全くあり得ないのだ。そこでこのような軋轢が随所で起こることになり、結果としてコゴトが続発することとなる。

思うに、この二人の妖怪はいつからここに住みこむようになったのであろうか。妖怪の発生はもしかしたら、一緒に暮らし始めてからなのかもしれない。それに気がつかなかったのは、お互いに迂闊だったということなのだろうけど、今頃になって気づくというのは、お互いの我がままが表出したということなのかもしれない。もしかしたら、この我ままこそが妖怪の本性なのかもしれない。これを誑(たぶら)かして来たものは何なのだろうと思う。そして又それを表出させているものは何なのだろうとも思う。

生きている、生きられる残りの時間が少なくなってくると、生き物というのはその本性をむき出しにし、ありのままに生きようとするのかもしれない。この二人の妖怪を見ていると、こりゃあ、もはや落とし場所がないのではないかと、ふと思うのである。だとすれば、チョンボはチョンボでいいし、小言は好きなだけ言い続ければいいんじゃないかと、だんだん悟りに近づいている感じがするのである。

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文庫本の貸し出しを止めて欲しいという話のこと

2017-10-16 06:16:12 | 宵宵妄話

 先日TVを見ていたら、どこぞの出版者の偉いお方が、図書館での文庫本の貸出を止めて欲しいという話をされたという報道があった。これを聞いていて、複雑な心境となった。市の図書館にそれほど頻繁に通っている訳ではないけど、それなりに図書館を利用させて頂いている者の一人としては、それは困ると思ったのだ。そしてもっと困るなと思ったのは、図書館に文庫本が無くなってしまうことよりも、文庫本そのものが、もしかしたら無くなってしまうのではないかという、そのような恐怖に襲われたのである。

 自分は文庫本で育ち、生きて来たと言ってもいいほど文庫本のお世話になって来た者なのである。今でも眠り薬代わりに読むのは文庫本が多くて、枕元近くにはいつも2~3冊は置いてある。シリーズで続けて読む本もあるけど、大体は複数の本を並べて読むような読み方が多い。ハードカバーの本だと並べて気軽に読むことができないのだが、文庫本は自由自在の感じがする。もし文庫本が無くなってしまったら、生きる楽しみが半減してしまう、いや、それ以上の落胆に陥るに違いない。

 図書館に文庫本を置かないでくれという出版社サイドの願いは、勿論文庫本の貸出によって本の売り上げが減少し、やがてはその影響で経営が厳しくなり出版が難しくなりかねないということなのであろう。今の世の出版業界の業績がどのようなものなのかは知る由もないけど、多分にネット系の情報拡大などにより本離れが拡大傾向にあると思われるので、苦戦を余儀なくされているに違いない。そのような状況の中で、文庫本の役割は中長期的に安定した売り上げ確保に貢献する分野だと思われるので、図書館での貸し出しをされてしまうと、その影響は大きいということなのであろう。

 この話をどう受け止めるかは自分にとっては難しい判断である。今まで市の図書館に行って文庫本を借りたことは一度もない。借りようとしたことは何回かあったのだが、どなたか先客が必ずあって、目的の本が見当たらず借りることが出来なかったのである。で、もう図書館で文庫本を借りようとは思わなくなっている。元々文庫本を借りて読むという発想は無く、当然買って読むという考えでやってきたのだが、図書館に通うようになって、文庫本も貸し出しているのを知って試したのだが、借りるのが難しいのを知って止めることにした。

 図書館に文庫本があるべきかどうか、いろいろ考えたけど、結論として、自分は出版社サイドに味方したいと思った。つまり図書館に文庫本は要らないのではないかということ。多くの場合、文庫本はハードカバー本の再版であり、図書館はそのハードカバー本を用意すべきであり、用意するのは新書レベルまでとすべきではないかと思うのである。予算的には厳しくなるのかもしれないけど、出版社の経営の維持のことを考えると、文庫本は置かなくてもいいように思うのだ。それに図書館の風格というのか、そこに行けばハードカバーの本が並んでいて、それが読めるというのも大事なことのように思えるのである。より安い費用でより多くの人に読んで貰うという、図書館の目的の一つを考えれば、これは誤った考えかもしれない。だけどその結果が出版社を窮地に陥れ、文庫本の発行すらも不可能とするようなことになれば、社会全体としてはマイナスとなるのではないか。図書館はこの出版社サイドからの声をどう受け止めておられるのか知りたいところなのだが、声は聞こえてこない。ま、声を出さない方が賢明なのかもしれない。

 しばらく文庫本を買っていない。気に入った本を何度も繰り返し読んでいるので、このところ買うのを忘れていたようだ。そろそろ本屋に出向いて何か読むべきものを探す楽しみを味わなければと思っている。この楽しみが消え去るようなことがないように、出版社には頑張って頂きたいと思う。

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天気と天気予報

2017-10-15 03:55:53 | 宵宵妄話

 天気予報ではなく、天気と天気予報の話である。窓の外を見ていたら、雲が増えて怪しげになりだしたので、「天気が悪いな」というと、「あら、天気は良いのよ。予報でそう言っていたから」と家内がいう。「いや、今、外の空は雲が悪意に満ちて悪いんだよ」と言っても、家内はそんなセリフは無視するかのように、椅子に座ったまま「予報で言っていたわよ」と、認めようとしない発言をし続ける。

 毎度のことなのだが、我が相棒との食い違いの会話は、こんな調子で止まることがない。「俺は外の空の様子を見て言ってるんだ!」とついに声を荒げることとなってしまう。それでも家内は外の空を見ようとはしない。「だって、天気予報で言っていたもの、‥‥‥」という感じの顔で椅子に座ったままである。

 この不一致は何なのかな?と思う。自分は予報などよりも本物の空の様子を見た天気の方が重要だし、確実に信じられると思っているのだが、空を見ない家内はTVの予報を絶対的に信じているらしい。信じて疑いなしというほどに天気予報の精度は確実なものということなのか。

 確かにこの頃の天気予報は昔とは比べられないほどに精度が高まっている。予報のために必要なあらゆる情報が精度を増し、それを活用する技術も進展しているのだから、その読みが確実さを増しているのは確かだと思う。しかし、そうは言ってもあくまでも予報なのだ。何もかもその通りになると思い込むのは要注意ではないか。 さりとて、天気予報に敢えて楯突くというというわけではないのだが。

自分的には予報なのだから、決して100%は信じないということであり、その信じないということが大切なのだと思っている。99%の未来予測が可能だとしても1%の不確実性は捨て去れないのだ。何故ならその1%の中には絶対に予測不可能な現実が入っているからである。青天の霹靂(へきれき)ということばがあるけど、あれは予測ではなく現実の怖さを言っているのだと思う。

 天気予報というのは、ある意味で人生の未来予測に似ている気がする。科学の粋を駆使する天気予報とは違うけれど、人の多くは自分の未来をある程度正確に予測しながら生きているのではないか。晴れもあり、曇りもあれば時には雨も降る。それの繰り返しが続くものだと思っている。だけど、突然の病の宣告や事故災害への巻き込まれなどはなかなか予測できるものではない。そこには現実があるだけなのである。

 何が言いたいのか。予報と現実は違うということ。予測と実際とは違うということ。現実や実際こそが本物であること。このような当たり前のことを、時々確認することが大事なのではないか。天気予報を信じることも間違いではないけど、時々は空を見上げて雲の行方を確かめることを忘れてはならないのではないか。現代人は空を見ることを忘れているのではないか。

 家内との認識のギャップは、もしかしたら現代に取り残された老人と現代人になり済ましている老人とのギャップなのかもしれない。家内を老人と名ざして言うほど思ったことは無いのだけど、部屋の中にいて外の空も見ずに予報をばかり主張する姿勢は、如何なものかと、やっぱり腹が立つのである。

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桂という香木

2017-10-09 22:11:32 | 宵宵妄話

 自分は今、守谷市北部のつくばみらい市との境界近くに住んでいるのだが、その境界に沿って「せせらぎの小路」と名付けられた500mほどの散歩道がある。ここは太陽熱利用のモーターポンプで汲み上げた井戸水を、浅く細長い水路に流しているもので、太陽が顔を出さないと水は流れないので、本当にせせらぎを奏でているかはちょっぴり疑問なのだが、その小路の両側には様々な樹木が植えられていて、春の終わり頃からは緑のトンネルが小路を包んでいて、何とも心が洗われるような場所となっている。

 この道を歩くのが好きで、週に4~5回は必ず歩くようにしている。季節の移り変わりに気づくのもこの道を歩いている時が多い。春には木々の新芽と花、そして季節が進むにつれて新緑がやがて濃緑へと進み、その木陰の涼しさににありがたさを覚え出した頃となると、ニイニイ蝉の鳴き声にアブラ蝉が混ざり、間もなくミンミン蝉も加わって賑やかな猛暑の季節となる。朝夕に涼しさを感ずるようになる頃には、蝉の鳴き声は法師蝉に変わり、間もなく秋だなと気づくのだが、その頃の小路の樹木たちはまだ濃い緑の衣装をまとっている。

 彼岸が過ぎ急に秋の風情が強まり出した頃、早朝のせせらぎの小路を歩いていると、どこからか金木犀の強い香りが漂ってくる。この香りはあまりにも強過ぎるので、時には疎ましさを覚えることもあるのだが、その香りが届くのはホンの4~5日の短い時間なので、やっぱり秋の確認のためには不可欠なもののように思う。

 ところで、しみじみとああ、秋だなあと実感するのは、雨上がりの早朝にこの道を歩いている時、ほのかに漂ってくる甘い香りに気づいた時である。木犀のような強烈な香りではなく、もっともっと穏やかなふわっとした香りなのだ。丁度あの綿菓子の様な優しい甘い香りなのである。その香りがどこからやってくるのか、一体何の香りなのか、その正体を知るまでに時間がかかっているのだけど、その香りは、実は桂の樹の落ち葉から発せられているのである。

 この小路には10本ほどの桂の木が植えられている。それが今頃になると僅かに紅葉が始まって、その落ち葉が道脇に重なり溜まると、そこから優しい秋の香りを発するのである。桂は落葉高木で、街路樹などとして全国的に植えられているようだけど、山野に自生するものは寒冷なエリアに多いようだ。北海道の旅では美瑛町の山奥に「森の神様」と呼ばれている桂の大木があり、それを見に行ったことがある。根元近くから枝分かれしている巨木だった。樹齢900年ほどというから、それほどの古木とは言えないのかもしれないけど、その森の中では神秘的といえるほどの貫禄のある一木だった。

 そのような桂の樹の落葉が甘い優しい香りを発するのを知ったのは、北海道道東の屈斜路湖にある和琴半島を一周した時のガイドさんから教えて頂いた時である。落ちている葉っぱを拾い上げて、匂いを嗅いでみてください。どんな感じがしますか?と訊かれて、にわかには答えられなかったのだが、そのあとでそれが桂の木の落葉であることを教えて頂いたのである。上を見上げると確かにそこには紅葉をし始めた桂の大木があった。そのガイドさんは、綿菓子の様な匂いと話されたのだが、まさにその通りだった。

 旅から戻ると、しばらくはその香りのことは忘れていたのだが、何年かの後、秋になってせせらぎの小路を歩いている時、どこからともなくあの懐かしい香りが漂ってくるのに気づいて、ああ、これは桂のあれだな、と思ったのだった。まさかこの地のこの場所に桂が植えられているとは思いもしなかったので、その時近くにある木が若い桂であることを知り、妙に嬉しくなった。

 

せせらぎの小路に植えられている桂の木。植えられてから十数年ほどの若木だと思うけど、樹高はかなり高く伸びている。樹木にも個体差があるようだけど、この一本は早くも紅葉を開始したようである。

木の根元近くには落葉が小さく重なっていた。これが甘い綿菓子の香りを発する源だと気づく人は案外少ないのかもしれない。

 それからあとは、秋が来る度にその香りを味わうのが楽しみとなっている。今年も勿論毎朝それを味わっているのだが、葉っぱだけでもこれほどの香りを放っているのだから、木の本体の方も香木に違いないのではないかと思って、調べてみたら、中国では香木の総称を桂と呼ぶのだそうで、中国で桂という場合は木犀の樹を指しているとか。なので、桂の木の本体がどのような香りをしているのかは未だ不明である。板などを扱っている方なら常識となっているのだと思うけど、今度北海道へ行ったら、木材を扱う工房などを訪ねてその香りを味わいたいと思っている。松や杉や檜などにも独特の香りがあり、それらは皆香木といっていいのではないかと思っている。それにしても、落葉があれだけの香りを発するのだから、本体の香りというのはどのようなものなのか、それを知るのが楽しみである。

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墓の話

2017-10-06 05:07:03 | 宵宵妄話

 そろそろ自分の墓をつくらなければならんなと考えている。自分は長男なのだけど家を出ているので、墓がないのである。今の世の中は誰でもが墓を持っているとは限らない。地方によっては沖縄県の門中墓のような血縁共同体墓地の様なものもあるのかもしれないけど、わが国の現状では、家を継がない者は新たに墓をつくらなければならないことになっているようだ。大都市では、お墓のアパートのようなものもあるようだけど、全国的に見ればやはり墓地を購入するなどして死後の住いを確定しておくのが普通なのだと思う。

 死んだ後のことは生き残っている者に任せて、生きている時間だけにお金を使えばいいという考えもあるけど、それは少し無責任というものであろう。墓がないのであれば、生きている間に自分で手当てしておくというのが、まあ、親としての子孫に対する責任なのかなと自分は思っている。墓など持たずに遺骨を原野の風に流すとか、海に撒くとかのやり方もあるけど、位牌だけあれば骨や灰などなくても良いというのは、何だかさびしい気がする。

 それで、ただ今思案中である。家屋敷が何百坪もあって、土地に余裕があるなら、屋敷の片隅に墓地を用意するのが理想なのだと思うけど、とてもそのような余裕は無く到底無理な話だ。それに今の時代は、子孫が一箇所に代々定着して住むという考え方が大きく崩れており、屋敷の隅に墓など造ってしまったら、後々土地を処分する時に厄介になるなどということが起こりかねない。絆が大事などと言ってはいるけど、家族や親族のシンボルとなる墓でさえも分断の道を辿っているのだから、今の世の個人主義というのは、相当のいい加減さをもっているもののようだ。

 ま、墓を造るほどの家屋敷もなく、その点何の心配もないのだが、やはり墓無しというわけには行かないと思うので、どこかに買い求めるとすれば、なるべく近い方がいいようには思っている。尤も最近は車での暮らしが基本となっているし、又全国どこへ行くにしても交通至便の時代だから、どこか気にいった場所を探して、そこに墓を求めるというのも良いかなと思ったりしている。でもわざわざ九州や北海道の地となると、子孫にはそっぽを向かれてしまいそうだ。

 と、まあ、あれこれ思いは膨らみ揺れるのだが、自分たちで勝手に決めるのではなく、子どもたちとも相談しながら決めるというのがまともなやり方ということになるのだと思う。まだ、そのような話は子どもたちにはしてはいないのだが、墓については一つ考えていることがある。それは、墓に入る条件というのか、いわば墓の活用・運用法とでもいうべきことについてである。

 妙な話となるけど、自分は現在の世の中の墓を巡る運用の在り方に大きな疑問を抱いている。今は半ば長子制度をベースに墓が運用されているのだが、そのような中で、もし長子に娘だけしかなく、皆が嫁いでしまって跡を継がないとなると、そこでいわゆる本家の墓は断絶することになる。一方で長子以外の者の墓は新しく造らなければならず、そのニーズは次第に増えて行くということになる。しかし、それら長子以外の人たちの家でも、後々同様のことが起こるわけであり、このまま行くと、全国至る所に家が絶えてしまった墓が増えて残ることになってしまう。永代供養というのがあるけど、それはまだ生きている人の思い込みの幻想であり、誰もいなくなった後では、供養に来る人がない墓を、お寺さんが後生大切に守ってくれるかどうかの保証などないと考える方がまともではないかと思う。

 今、お寺さんと檀家の関係の糸が細くなり出していて、あれこれと話題になったりしているけど、この話は現在のお墓の運用制度と絡んで、今後益々その糸は細くなって行くのではないかと思えてならない。これは単に我が家だけの問題ではなく、これからの日本の家族制度と墓の運用の在り方に絡む全国的な問題なのではないか。そう思える。微妙な問題なので、政治家は手をつけないであろうし、お寺さんも家族制度に絡む墓のあり方については口を出すわけには行かないだろうから、このままで行くと、供養に来る人のいない墓は増える一方で、新しい墓をつくるニーズも止まらないという、何だかバカバカしい人間の死後の扱いに係る墓の問題が膨らむに違いない。

 そこで今考えているのは、自分が用意した墓には自分の家の者でなくても、入ることを望む者があれば誰でもOKというルールを作って置くということ。例えば、自分には二人の男の子がいるけど、二男が希望すれば自分で墓を造ることなく、自分の造った墓に入れば良いし、或いは例えばそれが長男の親しき知人であっても構わない。安易な気持で墓を求める人などいないのだから、もし事情があって本当に入ることを望むのであれば、承知しても良いのではないかと思っている。但し、その決定は最初に墓を造った家長(=自分)が行い、亡くなった後は、生前に家長が指名した者が決定権を持つ、という風にすれば代々の墓が活用されて行くのではないか。墓が狭くなって対処できなくなった場合は、その時点でもう一つの墓を用意すればいいだけの話である。それはその時に生きている子孫の誰かが担うべき役割ということになる。それを果たして貰えるかどうかは分からないけど、出来なければ我が一族はそこで終わりということになる。それはもはや仕方のないことである。

 かなり安易な大雑把な墓の運用の考え方だけど、基本を述べただけであり、実際にはより細かく決めておく必要があると思う。また、この場合の墓石は、「○○家の墓」などというのは造らず、家を超えたシンボル語を刻むことにし、脇に小さく「○○家所縁の者茲に眠る」とでも刻んでおけば良いと思う。

 現在の自分の最も身近な課題がこの墓を用意することなのだが、明日のことは判らないとしても、今直ぐに死ぬようなこともあるまいから、傘寿(80歳)を迎える頃までには何とかしようと、わりと楽観的に考えている。あまり急ぐと、空っぽの墓からのお迎えが早まる感じがするし、さりとてほったらかしのままでは、無責任となってしまう。何はともあれ、自分は無責任は嫌いなのだ。

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関西の枝豆が最高

2017-10-01 05:32:07 | 宵宵妄話

 今頃の季節になると、何故か、ああ、関西圏へ行って枝豆で一杯やりたいなあ、と思う。関西の黒豆の枝豆が最高だと思っている。関東に住む人は、最高の枝豆と言えば東北のダダ茶豆だと思っている人が多いと思う。自分もそう思っていた。ところがこれはトンだ間違いだった。今は黒豆の方に軍拝を挙げたい。

 たかが枝豆の話である。今の時代は、枝豆が大豆の未熟な実を食していることも知らない連中がうようよしている世の中だから、どうでもいい様な話なのだけれど、人一倍大豆好きの自分にとっては、枝豆の最高峰を味わうというのは極めて大事なことなのだ。

 関西の枝豆の味を知ったのは、それほど古い昔ではなく、くるま旅を始めてからである。ざっと20年ほど前なのだ。それまでは関西にあの様な枝豆があるのを知らなかった。勿論関西にはそれよりもずっと前、大阪万博が開かれる以前から何度もお邪魔しているのだけど、いつも仕事関係の出張だったので、地元の人たちが食べている枝豆などを知る機会もなく、ビールのつまみと言えば、店が出す何やら冷凍したものを解凍したような類のシロモノしか食べたことがなかった。

 ところが、くるま旅を始めるようになってからは、全国どこへ行っても、野菜類等は全て現地調達なので、そこで初めて関西人はこのよう枝豆を食べているのだというのが解った次第。現地の食材の中には時々得体のしれないものが混ざっており、それをわざわざ探して食にチャレンジするのが面白い。特に春の山菜の季節は東北にはそのような食材が多いので、春旅は東北と決めている。

ところで秋となると、旅の向かい先は関西となることが多い。何と言っても関西以西は日本の先進地区なので、見るものが多いのである。現代はそのことを忘れて何でもかんでも都市中心の文化が一番だと思っているけど、現代人はあまりに利便文化が急速に進展してしまっているので、日本の現代が100年前とも千年前ともしっかり繋がっていることを忘れて、錯覚症ともいうべき病に取りつかれている感じがする。

少し脱線したけど、最初にその枝豆を見た時は、少し驚いた。道の駅の農産物売り場に並べられていた枝豆は、何と枯れかけた茶色っぽい鞘つきのものが束ねられて売られていたのである。それまで枝豆と言えば、まだ鞘の青いものが当たり前であり、茶色くなってしまったら、固くなってしまい、枝豆の食感とは違ったものとなってしまう。どうしてこのような枯れ色のものが売られているのか?関西の農家の人たちは、枯れ始めた大豆までをも売り物にするのか。その商売人根性の逞しいのはさすがだなあ、などと思ったりしたのだった。

そのような疑問を持ちながらも一束買って試しに食べてみると、これがまあ、何と驚くほどに美味なのである。鞘の方は確かに硬いのだが、中身の豆の方は歯ごたえも確実で、たっぷりの甘みと風味があって、何とも言えない美味なのである。鞘の中を見てみると黒豆なのである。そういえば黒豆といえば丹波が有名だったと思いだした。しかしあれは正月料理に出てくるものとしか認知していなかったので、へえ、黒豆を枝豆で食べるのかと妙に感心し、食文化の違いに驚くと共にその後はいっぺんにその黒豆の枝豆ファンとなってしまった。

 枝豆と言えば、関東では夏の暑い盛りの時期が旬なのだが、どうやら関西の方では秋の来訪がはっきりし出した頃が旬らしい。10月中ごろまでが丁度食べ時のようだ。これは黒豆というのは、生長が遅くて食べられる時期がずれ込むからなのであろうか。栽培したことがないので、よく分からないけど、あのような大粒の大豆は生長に時間がかかるに違いないからなのだと思っている。

 今年はこれから関西方面への旅を予定しているのだけど、出発は早くても10月下旬となりそうだし、能登などを回って行くつもりなので、本場に着く頃は11月の半ば過ぎとなってしまうだろうから、もう売り場からは消え去ってしまっているに違いない。残念だけど、今年は我慢するしかない。

それにしても関西に住む人たちは羨ましい。枝豆によらずやっぱり食文化には一日の長と千年を超える微妙な深さがあるようだ。このあとも関西のいろいろな場所を巡って、食文化に触れてみたいと思っている。

何年か前の秋に関西を旅したときにゲットした黒豆の枝豆。これは畑の傍でもの欲しそうに残り少なくなった大豆を眺めていたら、そこにいた農家の方が一株引っこ抜いてプレゼントしてくれたもの。このときは11月上旬だたけど、中身の方は立派な枝豆の味が残っていた。

 

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