山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

一言主神社に綱火を見に行く

2016-09-29 05:04:02 | くるま旅くらしの話

自分は元々祭りや神事などには興味関心を殆ど持たなかった人間なのだが、くるま旅をするようになって全国を訪ねている内に、次第にその考え方を改めるようになった。そのきっかけとなったのは、家内に影響されて、2004年の11月下旬、九州の高千穂を訪ねた時に、この地方で、この時期から集落ごとに行われる夜神楽を観たことだった。

夜神楽は、その名の通りその日の夕刻から翌朝まで夜を徹して行われる、神への奉納の舞いである。高千穂神社でも毎夜観光客向けの夜神楽の舞が披露されてはいるけど、それは2時間ほどの限られた舞いであり、集落で行われる舞いの実際とは規模も迫力も格段に違っている。

この時は黒口という集落を訪ねて、実際に現地で行われる夜神楽を見せて頂いた。当日の16時頃から、集落の神様をお迎えするという神事から始まり、実際の神楽の舞いの開始は18時頃からだった。狭い集会所の中は神楽を舞う神域が設定されていて、舞い手はその中で舞うのだが、その息使いが聞こえ、汗を振りまきながらの熱演に、観客も煽られてか、集会所は終夜熱気に溢れていた。

古来より農に勤しむ人々が、今年の稔りに感謝し、来年の豊穣を願うという、神への素朴な気持を表わしたものが夜神楽であり、合わせて33もの演目を、翌日の夜明けまで舞い続けるのである。舞手は汗びっしょり、観客もそれに引き込まれて寒さを忘れるほどなのである。今まで祭りや神事にそっぽを向いていた自分だったが、この経験は自分を素直にさせずにはいられないほど感動的なものだった。それ以来旅で各地を巡りながら、機会があればこのような祭事を覗くようになったのである。

 

ところで、よく考えて見ると、肝心の地元の祭礼についてはさっぱりなのだ。せいぜい初詣に出かけるくらいで、どのような祭りがあるかさえも知らない状態なのである。これは、何だか地元に対して礼や仁義に欠ける感じがしているように思われ、今度チャンスがあったら是非とも見に行かなければならないと思っていたのである。

少し前の新聞の折り込みの中に、隣りの常総市にある一言主神社の秋季例大祭の案内が入っていて、奉祝祭の日に「からくり綱火」が行われるというのを知った。綱火については、家内から何度も見たいとの謎を掛けられていたのだが、どうやらそれは花火の一種らしい。自分的には夜の人混みはどうも苦手で、幾ら謎を掛けられても出向く気にはなれなかった。しかし、今回は態度が改まり、どうしても見ておこうと決めた次第である。

一言主神社は、我が家からは車で15分ほどの場所にあり、この辺りでは最も人気のある神社で、月一回の骨董市なども開かれており、又孫たちのお宮参りなどでもお世話になっている。一言主神社の本社は、奈良県御所市の葛城山の麓にあり、そこへも何度か参詣したことがある。古代に関東の艱難を救うために、葛城に居た神様がこの常総の地に飛来し、民を救ったとの由緒書きが境内に示されている。今では、この地では本社を凌ぐほど人気のある神社となっており、地元では「一言さん」の愛称で親しまれている。願い事を一言だけ叶えてくれるとか、或いは一言願えば全てを叶えてくれるとも。民衆一人一人の願望は無限のようだ。

さて、からくり綱火のある奉祝祭の当日は、午後から境内で演武や太鼓、雅楽などが続いて奉納されており、しめくくりがからくり綱火となっていた。駐車場がかなり混むのではないかと思い、少し早目に家を出ることにした。毎年の初詣の時には大へんな車の列で大渋滞となり、いつ境内に到着できるのか判らないほどなのである。今回は、まさかそれほどでもなかろうと13時過ぎに出かけることにした。夕刻までにはかなりの時間があるので、余裕を持って過ごすには旅車の方がよかろうとSUN号で行くことにした。

すんなり駐車場に車を入れた後は、旅の際と同じように、家内とは全くの別行動で、家内は風のように人混みの中に消えていった。自分はしばらくTVでも見ることにして、設定を済ませ、ドラマなどを見ていたのだが、近くで聞こえてくる太鼓の音が凄まじくてどうも落ち着かない。行って見たら、二の宮太鼓會というのが和太鼓の上演を行っていた。佐渡の鼔童とまでは行かないけど、なかなかみごとな桴(ばち)さばきだった。その後も雅楽の演奏などを聴いたりして、神社らしい祭りのムードの中で夜を迎えることとなった。

     

     

上は二の宮太鼓会による和太鼓の熱演の様子。下は水戸雅楽会による雅楽の演奏の様子。

20時過ぎ、いよいよ綱火の開始である。説明書きによると、常総市大塚戸地区の綱火は、江戸時代初期から始められたらしく、その後中断する時期もあったのだが、戦後の昭和43年に復活して今日に至っているとか。ここの綱火は、からくり綱火と呼ばれていて、綱火に仕掛けがあって、今回は万灯、大万灯、三番叟、それから安珍清姫などの演題ものが表現されるとのことである。とにかく、綱火そのものがどんなものかも解らないのだから、只黙って観察するしかない。

さほど広くない広場には何やら見たことも無い仕掛けが幾つか用意されていた。どの位置で見るのがベストなのかも判らず、取り敢えずは見物席の隅の方に位置取ることにした。観客は思ったほど多く無く、200人ほどだろうか。案内の説明が終わると、先ずは奉納万灯というのが始まった。突然爆竹の様な音が弾けて、あらかじめ準備されていた万灯と呼ばれる大きな提灯の様なもの(幾つかあって、奉納をした企業名や個人名が書かれていた)が、一斉に光を発して付近を明るくした。この点灯や操作は何やら細い綱を操って行っているらしい。一瞬の明るさが消えるとそれは終わりとなり、少し間をおいてやや高い櫓の上の方で花火の綱に操られた人形が現れ、何やら芝居演技の様な情景が浮かび上がったようだ。マイクで三番叟という案内があったが、自分の位置からは、張り出している樹木が邪魔をしてよく見えず、何だろうと思っている間に終わってしまった。

         

 初っ端の万灯の様子。いきなり爆竹のような音が響き渡ると、一斉に万灯に花火が弾けて、暗闇は一瞬に解消した。 

続いて大万灯というのが始まった。これは先に奉納された万灯の数倍はあろうと思われる大きな万灯が1個用意されており、それに火が灯ると、花火の弾ける光や音と共に万灯がぐるぐると回り出し、その上部を鳳凰を模ったものがひらひらと舞い上がり、又舞い降りて来てくるという趣向だった。それらの動きは綱を操る人たちの思うままのようだった。これは樹木に邪魔にされることなく良く見えて、なるほどなあと感心した。辺り一面は花火の出す煙が流れ来て、煙硝の臭いも強く、それらに弱い家内などは口元にハンケチを当てて相当に厳しい状況のようだった。

     

大万灯の光が弾ける様子。暗闇の中に浮かび上がった幾つもの万灯が回り出し、振り撒かれる火の粉は、神社の境内を神秘的な世界に誘った。

少し間をおいて、いよいよ今夜のメイン演目の安珍と清姫のからくり綱火が始まった。安珍・清姫は昨秋の紀伊国の旅で、道成寺を訪ねたり、清姫の生誕地とされている場所も訪ねているので、何となく親近感を覚え、さてどんな仕掛けが見られるのかと楽しみだった。

櫓の上の方から小さくパチパチと音を立てて花火に火が灯ると、ぶら下がった安珍の人形が糸を伝って動き出し、間もなくその後を追って清姫の人形が動き出した、しばらくその状態が続いたあと、益々花火の勢いが激しくなり出したと思ったら、突然清姫の人形が大蛇と化したのである。どんな仕掛けがあるか判らないのだが、それは一瞬のことだった。やがて逃げる安珍が釣鐘の中に消えると、追いかけて来た清姫の蛇身が黒い釣鐘に絡みつく。安珍を釣鐘もろ共に焼き尽くすという場面である。その後は、安珍を焼きつくした清姫の蛇身が、いっそう明るく激しくなった花火の中で空高く、低く揺れ惑うという情景が続いて、このストーリーの花火は終わりに近づいた。その後で、「サービスでもう一度釣鐘に絡ませます」との放送があり、再度おまけの絡ませシーンが披歴されて終わった。引き続いて、本物の仕掛け花火が数発夜空を彩って打ち上がり、轟音が谺す中にこれらの催しはめでたく終了したのだった。

(肝心の安珍と清姫の画像は、暗くて写真が上手く撮れなかったため、掲載を諦めました。)

初めて見る綱火というのは、おちこちに綱が仕掛けてあって、その綱を巧みに操ることによって、花火の描く様々な場面を取り運んでいる。このような花火を観るのは初めてのことだった。江戸の初期の昔から、この地に住む人々は少ずつその技術を積み上げながら楽しんできたのがよく解った。暗闇の世界を明るく照らす一瞬の感動の時間を、この地の人々は一言さんへの感謝を込めながら、その恵みとして大切に継承してきたのだなと思った。

21時過ぎ帰途に就く。曇りの一日だったけど、雨も降らずに無事終わったことに感謝しきりだった。いい体験だった。

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行田市の田んぼアートを見に行く

2016-09-25 05:01:39 | くるま旅くらしの話

田んぼアートといえば、発祥の地として尊敬している田舎館村(青森県)のそれが最高のものだと思っている。昨年も見に行き、大地に稲穂で描かれた富士山と三保ノ松原の天女の優雅な像に圧倒され、又第2会場のサザエさん一家の微笑ましい表現に感嘆したのだった。弘前市や黒石市に挟まれた地に位置する田舎館村には、垂柳遺跡という弥生時代の稲作の遺跡があり、これに因んでこの田んぼアートが村おこしの一環として始められたと聞いているのだが、その後これに倣って全国各地で田んぼアートが描かれるようになり、今では田んぼアートのサミットも開かれているとか。

自分的には田んぼアートは田舎館村のそれが至上のものと思っており、他の場所へ積極的に出掛けて行き見て見たいとは思わなかったのだ。ところが先日自治会の一杯やる集まりの話の中で、この近くにも田んぼアートがあり、しかもそれがギネスに認定されているという話を聞いたのである。場所は埼玉県の行田市ということだった。これは一度見ておかなければならないと思った。それで、早速見に出かけることにしたのである。

埼玉県行田市は国道17号線を利用した時に通過しているのだが、その名前は知っていても、足袋生産で有名というくらいで、その実際を確かめたことは無く、他に何があるのかは全く知らなかったのである。行田市のどこに田んぼアートがあるのかは直ぐに判った。ネット情報は真に便利である。それは行田市の市役所に近い「古代蓮の里」という所にあるとのことだった。

九月に入ってからは秋雨前線や台風の襲来で天気が悪い日が続き、なかなか出向くに相応しい日がやって来なかったのだが、ようやくチャンス到来と、曇りとの予報を我慢して、中秋の名月の日に出かけることにした。知人の話では直ぐ近くだとおっしゃったのだが、思ったよりは結構遠くて、到着までには2時間近くを要して、古代蓮の里の中の古代蓮会館に着いたのは正午間近かだった。

思ったよりも遥かに広い敷地には、かなりの種類の古代蓮が植えられており、もう開花期は既に終わっていて、枯れ始めたものが殆どだったが、中には未だ花を咲かせているものが数本あり、それが今まで見たことも無い蓮の花だった。守谷市にも古代蓮の池があり、今年はその鑑賞を堪能したのだったが、ここの蓮池はそれとは比べものにならないほどの規模の大きさだった。古代蓮の鑑賞は後回しにして、先ずは会館のエレベータに乗り、高さ50Mはあるという展望台に上がった。

入口にある案内の写真や説明などでは、今年のテーマは「ドラゴンクエスト」ということで、そのようなゲームの世界には無縁な自分たちには何だかよく解らない画題だった。説明では、≪本市の田んぼアートと同様に、ギネス世界記録に「最も長く続いている日本のロールプレイングゲーム」として認定され、今年誕生30周年を迎えた大人気ゲームシリーズの『ドラゴンクエスト』です≫とあり、更に≪昨年ギネス世界記録認定に沸いた行田市の田んぼアートがこの強力なコラボレーションの実現により「行田のおいしいお米」のPR等の農業振興と本市の人気観光スポットとし観光振興を更に推進します≫とあった。なるほどと思ったが、何故コラボレーションなのかについては不可解だった。

30数秒で展望台に着くと、そこは360度の景観が広がっていた。そして眼下東側の田んぼには、何だか怪しげな怪獣の様な絵が剣を持った恐ろしげな顔つきで描かれていた。田んぼの広さは横幅が150m以上もあり、縦もそれ以上あって、総面積は28,000㎡だとのこと。全てを写真に収めるのは難しい大きさである。使用した稲は9種類で過去最多で、田植には2日かかり、延1,500人もが参加したという。展望台の壁には田植の詳細な設計図が貼られていた。並々ならぬ市の思い入れを感じたのだった。

   

行田市の今年の田んぼアート、ドラゴンクエスト。展望室のガラスが反射して上手く撮れなかった。ゲームをよく知っている人ならば感嘆の声を上げるに違いない、田んぼに稲で描かれた壮大な絵である。

なるほどこれは確かに田舎舘村のそれを凌ぐ広さである。ギネス記録認定はまやかしではないなと思った。しかし、自分には何だか納得し難い絵柄なのである。架空のバーチャルな世界が生み出した怪物様の主役が、こんなにもてはやされる現象をどうも感心できないなと思った。作者や行田市に文句やケチを付ける気など更々ないのだが、美味しい米をPRするのに、大自然と無関係な何の情緒も感ぜられない怪物のようなものを使うのは如何なものかと思った。大きさだけを世に誇るのに、ただ当世の人気者なら何でもいいというような発想には同意し難いのである。ま、喜び感動する人も大勢いるのだから、何もどうのこうの言う必要は無いのだと思うが、真老のジジイの価値観は己を度し難いのである。。

やっぱり本家の田舎館村の方がいいなと思った。キャンバスとなる田んぼの大きさでは引けを取っても、描かれる芸術性は遥かに上の様な気がする。田舎館村の今年の田んぼアートは、第一会場が真田丸の一シーン、第二会場がゴジラ・シンだとのこと。遠過ぎて出掛けて行くのは出来ないけど、ライブカメラなどで様子を見て見ると、実際の状況が目前に迫って来るようで、いつもの感動を思い起こすのである。

ちょっと複雑な感慨を抱きながらエレベータを降りたのだが、その後の会館内の古代蓮に関する説明資料や写真・展示品などを見せて頂いて、これは相当に立派なものだなと感心した。自分は古代蓮といえば大賀ハスだけだと思っていたのだが、世界にはその他何種類もの古代からの蓮があって、花の色や形も様々であり、それらの幾種類かがこの古代蓮の里の池にも植えられているとのこと。来年の開花期には是非とも再訪しなければと思った。蓮の花には、他の植物の花には無い格別の魅力を感じている。来年が楽しみである。

   

古代蓮の里の中にはまだ咲き残っていた花がほんの少しあった。これは最後の花を咲かせていた「大洒錦(たいせいきん)」という名のハス。初めて見る不思議なハスの花だった。

ということで、田んぼアートの見物は終わったのであるが、そのあと、近くに忍城跡があるというので行って見ることにした。武蔵国の忍城のことは、戦国時代以降の歴史書や物語の中で数多く触れているのだけど、実のところそれが現在どこにあるのかは全く知らなかったのである。それが行田市にあったとは!何という迂闊な認識だったのだろうと己を恥じた。

      

 忍城の跡には新しい時代に建てられた櫓が一つ残っていた。この城については、「のぼうの城」という映画に詳しいらしい。その映画をまだ見てはいないのだが、面白そうだ。秀吉の小田原攻めの際に唯一陥落しなかった城がこの忍城だったとのこと。最も攻めたのは石田光成ということだから、今の世の評価から見ればラッキーだったのかもしれない。真実は解らない。

資料によれば、この行田市辺りが埼玉県の呼称の発祥の地だったとか。今までどうして埼玉県なのか解らなかったし、さいたま市のどこかにその源があったのかなどと軽々に考えていたのだけど、これはとんでもない愚かな認識だったと反省させられた。行田市は足袋だけではないたくさんの歴史が詰まっている街だということを初めて知ったのである。

忍城跡には小さな櫓が一つ建っていて、その中に入るのは出来ないようになっていたけど、僅かに残る掘り跡や本丸辺りの屋敷跡などをざっと一回りして、ここも、もう一度じっくり訪ねて見る必要があると強く思った。田んぼアートにはさほど感動できなかったけど、その後の古代蓮池や忍城跡、それに足袋蔵の残る町並みには強く心惹かれるものがあり、己の胸に再訪を約しながら帰途に着いたのだった。

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嵐の女、満1歳を迎える

2016-09-22 08:28:33 | 宵宵妄話

 しばらく孫たちのことについて書きませんでした。月日の経つのは本当に早いもので、今、内孫の二人は、上の男の児が満2歳半、下の女の児が満1歳となりました。

上の子はなかなか自分語を卒業しようとはせず、いろいろと話しかけてくれるのですが、「ジイジ、ジジた~ん」と大きな声で何度も呼ばれるのは嬉しいのですが、その後に続く「○▽×、+△◇○-≒△、?」という説明や話には、なかなかついてゆくのが難しくて、ただただ、「そうか、そうか」と同意をし続けるだけです。それでも「行ってらっしゃい」などと少しずつ新しい普通語を覚え始めているので、楽しみは膨らむばかりです。

さて今日の話題の主役は下の孫娘の話です。昨年の9月10日の生まれで、先日満1歳の誕生日を迎えました。1年前のこの日は、未曽有の豪雨のために鬼怒川の堤防が決壊し、隣の常総市で街の中心部が水に浸るという、大災害が発生した日でした。そのような大雨、大水の大嵐の日に生まれたので、ジサマはこの子は嵐の女だと決めることにしました。

嵐といえば風雨災害につながり、あまり良いイメージはなく、禍福綯い交ざった波乱万丈の苦労多き人生を描くことになってしまうのかもしれませんが、このジサマはそのような表面現象ではなく、嵐の持つ秘めたエネルギーの大きさ、逞しさに期待するという意味で「嵐の女」と思うことにしたのです。

まさに嵐の日に大きな産声を上げてこの世に生まれ出て来た女の子は、その後、大した病に取りつかれることも無くすくすくと育っています。誕生1年目を迎えた日には、親たちが誕生祝いの席で一升餅を背負わせるのですが、今回はそれを重さ半分の紅白のハート形の餅2個にして用意したようです。

伝え歩きをし始めたばかりで、テーブルの縁を持って立ちあがった孫娘は、小さなリュックに先ずは半分の餅を入れて背負わされたのですが、これにはびくともせずどこ吹く風で、伝え歩きの楽しさを味わっていたようでした。周りを取り巻くジサマと二人のバサマは、おお、頼もしや!と感嘆・感激の声を発するばかりです。

次にもう一つの餅を追加背負わせると、今度はさすがに重さを覚えたのか、嫌がってリュックを揺らすと、そのままデングリ返りそうになり、なにをするんだ!とばかりに不快な泣き声を発しました。祝いとはいえ、大人たちの非情な振る舞いにご機嫌な斜めの様子でした。

この嵐の女の子は、ジサマやバサマに対して普段なかなか笑わない子で、父親に抱かれて2階に上がってくると、よほど機嫌が良い時以外は大体が懐疑的な眼差しでジジババを見ているのですが、笑ってくれると、その分だけ、まさに目に入れても痛くないほどにビユーティフルでプリティで可愛いのです。時々騙されてジサマの膝に坐ると、父親や母親が傍にいる時は大丈夫なのですが、居なくなったりするとたちまち大泣きをしてジサマを困惑させてくれるのでした。

ところがこの誕生会を期してなのか、嵐の女の子は俄然女の子の「らしさ」を示してくれるようになったのです。驚いたのは、誕生会の席で、プレゼントされたお人形のセットをどう扱うのかを注目していると、何と髪を梳かす動作をし、ミルクを飲ませることも知っていたのでした。今まで母親からも教わっていなかったことの様でした。どこでどのように学んだのか見当もつきませんが、驚きの振舞いでした。

嵐の女の子は、少し疳が強い様で、時々夜中や夜明け前の早朝に大声を上げているのが階下から聞こえてくるのですが、これじゃあ親は大へんだろうなと同情しきりでした。それにこの頃は要求が厳しくなって来て、何か欲しいものがあったりすると、その都度「や~!」と大声で指を指しながら求めるのです。階下から盛んに「や~!」が聞こえてくるので、どうしたのかなと嫁御に訊いたら、ご飯を食べている時は、もっと欲しい時には、その都度大きな声で「や~!」と要求するのだそうな。いやはやパワフルでよろしい、とそれを聞いて、ジサマは目尻が下がるばかりです。あまりに下がり過ぎて、先日は健康診断の眼底検査の際に、瞼を引っ張り上げて貰わないと写真が撮れなくなってしまったのでした。(これはただの老化現象だって!?)

満1歳になってからは、ニコニコ顔が急に増え出して、ジサマとバサマはもう超嬉しくなって、ホイホイしています。大人の笑顔も良いものですが、満1歳の児の笑顔は素直さ純粋そのものであり、これ以上美しく心を癒されるものはありません。ジジババ対決でお互いに不愉快な顔をしていても、階下から父に抱かれて笑顔の嵐の子が上がってくると、たちまち対戦は休止となり、対戦そのものを忘れ果ててしまいます。まあ、真老のこの歳になって、何とありがたいことか。

ジサマとしては、逞しい嵐のパワーを秘めたこの孫娘が、優しい笑顔の眼差しを輝かせたままに、これからも大きく成長していって欲しいと心から願うばかりです。

 

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メダル倍増は愚算用

2016-09-16 21:32:07 | 宵宵妄話

月の出来事の中で最大のものといえば、やはりオリンピックということになりましょう。連日TVで同じような内容の画像を何度も繰り返して見せられている内に、だんだん感動がすり減って来るようで、正直ヒネくれた老人には馬鹿らしさの様なものを覚えたのでした。そのようなオリンピックよりも、炎天下の球場で高校球児と応援団が一体となって演じられるドラマの方がよほどに胸を打つ感じがしたのです。

ブラジル、リオデジャネイロでの初のオリンピックは、開催に絡んで事前から様々なマイナス情報(政情不安・準備の遅れ・ジカ熱・治安体制など等)が流れていましたので、とんでもないテロ事件などが起こらなければよいがと、そちらの方が心配でした。しかし、それが杞憂に済んだのは幸いなことでした。

終わって見れば日本選手たちの獲得メダルは過去最高の41個ということで、マスコミはそれなりに浮かれた評価をしていたようです。国を挙げての競技ということもあって、日本のみならず世界各国がメダルの獲得に力を入れているのは当然なのだとは思いますが、今頃のオリンピックの価値観は、本来のオリンピック精神からは相当にズレて来ているように思われます。選手個々人の努力の結果にケチをつける考えなど毛頭ありませんが、メダルの数などでオリンピックの成果が評価されるのは何だか正当ではない感じがしてならないのは、ヒネくれた老人の思いだけなのでしょうか。

メダルのことはともかくとして、選手個々のプレーに関しては、感動的な場面が幾つもあり、その競技一筋にそれこそ命をかけて取り組んできた結果を喜び、残念無念がる様は、誰が見ても美しく素晴らしく又哀しく可哀そうに思えるのだと思います。TVでは勝者のことばかりが映されますが、オリンピックの舞台の中では敗者や敗者にさえも届かなかった人や国があり、それらの姿ももっと多く報道されるべきではないかと思いました。

さて、リオでのオリンピックが終わって、次はいよいよ東京での開催が待っているのですが、このことに関してガッカリというか、呆れたというのか、なんだこれは?と思ったことがあります。

それは、オリンピックの全競技が終わって、選手団の解散前の団長の挨拶でした。団長も相当にお疲れになっていたのでしょう、痛々しげに真っ赤な目をされながら、締めくくりの挨拶をされたのですが、その中で緊張の面持ちで吐かれたことばには驚かされました。何と、「次のメダルの獲得数は倍増だ」というのです。

これを聞いて、老人は、「この人はなんてことを言うのだろう」と思いました。今、ようやく過去最高の41個のメダルを獲得したと喜んでいるばかりなのに、次は82個が目標だというのです。しかも悲壮な表情でそれを言うのですから、後ろに控えていた選手たちに一瞬緊張が走るのを感じました。

後ろに控えている選手たちに笑顔で慰労の声をかけ、柔らかな雰囲気の中で、次の東京では倍くらいのメダルが取れたらいいね。皆さん更に精進してガンバッテ下さい。とでも言ってくれるのなら納得できるのですが、国家の悲願というのか、命令というのか、こわばった顔での目標掲示は、何だかスポーツの楽しみなどとは無縁の国家政策の発表のように思えて、何とも違和感を覚えたのでした。

団長自身もその昔は類まれなるアスリートだったのに、長いこと政治の世界に係わっていると、個々人の心情などは忘れてしまって、目的や責任感の塊の様なものが取り付いて、全体主義的な発想となってしまうのかなと、寂しく思いました。

何でも上り坂に目標を捉え設定するのは、全体主義の悪い癖ともいうべきことのように思います。オリンピックはスポーツの祭典であり、メダル獲得競争の戦いなどではないはずです。もっと大らかにオリンピックを通してスポーツの裾野を拡げ、各種のスポーツを楽しむことが国家としての最高の目的なのではないかと思います。

マスコミなども盛んにメダル獲得のことばかりを煽っているようで、真に無責任なことだと思います。オリンピックのメダルに染まった報道などよりも、オリンピックに係わるスポーツのこぼれ話などを何故もっともっと多く報道しないのか、首をかしげたくなります。

今、パラリンピックが開催されていますが、こちらの方もメダルの数などで騒ぐのではなく、想像を絶するハンディを乗り越えて、競技に参加出来ている人たちの姿をもっともっと正確に伝えて欲しいなと思います。

暑い夏もようやく終わりかけていますが、さて、4年後までちゃんと生きていて、またまたぶつぶつ言いながらオリンピックの報道を見ることが出来るのやら。82個などという目標が本当に達成されてしまって、一気に命が縮まるのやら。さてさて、どうなることやら。老人の愚痴なのでした。

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親から学ばない子

2016-09-11 05:21:46 | 宵宵妄話

分と長い夏休みでした。歳をとるにつれて、暑さや寒さへの不適応状態が強まることを実感していますが、今年の夏の暑さは、格別酷いものだと思いました。昨年に引き続き夏の北海道行を控えたため、いつもの4倍の暑さを感じたのかもしれません。とにかく思考停止の仮死状態で、9月に入って朝夕だけはようやく意識が戻り出したという按配です。とにかくブログに投稿する気など全く起こらず、我ながらこの無気力さに呆れ返るばかりでした。それでも、早朝の階段昇降のトレーニングだけは休むことなく継続し、それが終わって家に戻りシャワーを浴び終えると、もうそこで一日が終わるという感じでした。

この8月はスポーツイベントが賑やかで、リオのオリンピック、高校野球など日中の退屈しのぎにはこと欠きませんでした。また、世の中を騒がす出来事も相変わらずの賑やかさで、思考停止の仮死状態とはいえ、時々はあれこれと心が動きました。それらの中から眠気覚ましを兼ねて幾つか思ったことを書いて見たいと思います。

 その一つがタイトルの「親から学ばない子」という現代社会病(?)とも思える現象です。

8月の出来事の中に、ある有名女優の息子さん(この人もまた母親と同じ道を歩み出した俳優なのです)が、なんと仕事先のホテルで従業員の女性を強姦するという、言語道断の忌わしくも許されざる事件を引き起こしたのです。この事件はマスコミの、特に芸能界に係わる人たちの格好の餌食となり、あれこれと大きく報道されましたが、それらを見聞きしながら、この国の人倫道徳の劣化の大きさを改めて思ったのでした。

人間の道(=人倫)などというと古臭いと一蹴される嫌いがありますが、この世にそれが無かったら人間は人間でなくなり、単なる哺乳動物の一種に過ぎないものとなってしまいます。犬や猫と同類、或いはそれ以下となってしまうのです。盲導犬のように犬であってさえもかなり人間の道を学び実行している動物もいるのに、今の世はそれに気づかず、大切な人間の道を軽視するのが流行りの感じすらします。

この人間の道を教える第一の責任者が親というものでありましょう。世の中には、やって良いことと決してやってはならないこと。それは何故なのかということ。つまり、世の中が成り立つための必要最低の遵守事項を知り守ること。等々、人間として生きるための基本ルールがあります。それらをしっかりと子に教え刷り込むのが親の最大最高の責任というものでありましょう。これがしっかりと果たされて後に、より高度な人間社会のルール等が教師を初めとする子を取り巻く社会の全ての人々によって子に教え込まれて行くのです。

昔の話をすると笑われてしまいますが、昔は悪(ワル)と言われた子でさえも、親から多くを学んだものです。がみがみと文句ばかり言っている親に反発しながらも、働く親の姿や姿勢から子どもは多くを学んだように思います。斯く言う私自身も、毎日往復4時間以上をかけての遠距離通勤をしながら働く父親の姿から多くを学びましたし、兼業農家の厳しい作業に早朝から夜遅くまで身を粉にして働く母の姿にどれほど多くのことを学んだか判りません。時には反発することがあっても、父母を尊敬しないことなどあり得ませんでした。ことばよりもその姿から学んだことが何よりも大事だったように思います。

昔でなくても、今でも子は親から多くを学んでいるはずですが、世の中全体を見回してみると、破綻を来している親子関係が相当に多いことに愕然とする思いがあります。青少年の起こしている事件の多くは、親の躾や育て方に問題があるようです。と同時に学ぶべき子の在り方や環境にも問題が多いようです。親は子に対して、人間として生きるための心構えや社会的ルール等を、大人になるまでの間に様々な機会をとらえて、しっかりと学ばせ、且つ親自身がそれらの数々を身を以て示さなければならないのですが、これらの関係が親子共々曖昧なままに時間が経って、気がついたら大人になってしまっているということが増えて来ているように思うのです。

かつて「断絶の時代」ということばが脚光を浴びましたが、著者のドラッカー博士は、来るべき知識社会が社会と文明において根源的な変化、すなわち今までの「継続」社会から「断絶」の社会へと変化をもたらすと予断されたのですが、今はまさにその通りの世の中が生まれ拡大しつつあるのを実感します。この断絶は、「子が親から学べない」「子が親から学ばない」という深刻な社会現象に示されているように思えます。高度情報化社会は、働く親の姿を子に正確に伝えることが難しいのみならず、子の方が親よりも情報を先に操る不可解な力を与えつつあり、まさに「断絶」は親子の間に確実に入り込みつつある感じがします。

今回の女優とその息子の関係が本当のところどんなものだったのかは知る由もありませんが、シングルマザーとして辛苦の中に息子を育て上げたその努力の姿から、息子の方は大切なことは何も学んでいなかったということでありましょう。いつの間にか「断絶」感覚が息子に取りついてしまっており、女性を襲うなどという卑劣極まりないおぞましき外道行為に走るとは!仏教の六道輪廻の世界で言えば、彼の行為は人間道ではなくその下の畜生道にも及ばない地獄道の一歩手前の餓鬼道の振る舞いとも言える、ただ本能剥き出しの行為なのです。

改めて今の世の「断絶」の大きさ深さに気づかされ溜め息の出る事件でした。その後の情報では、この事件は示談が成立して彼は不起訴となり、釈放されて終わりとなるようです。あと2ヶ月も経たないうちに、この事件は人々の記憶からは光速で忘れ去られて行くのでありましょう。しかし、この世に潜む「断絶」の生み出す「親から学ばない子」は、同じような事件を、或いはそれ以上の不可解で悪質な事件を繰り返し生起させるに違いない、そのような予感がしてなりません。

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