山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

もうしばらくブログ休みます

2013-06-21 08:22:22 | その他

 11日に旅から戻って、そのあと少しドタバタして、それが収まりかけた頃、身内の大切な人が病で緊急入院し、重篤な状態となりました。大切な人というのは家内の母親で、もう直ぐ卒寿を迎える歳回りです。我々夫婦には4人の親がいるわけですが、自分の両親は既に他界し、家内の父親も若くして事故で命を失い、今は母親だけが存命してくれています。どんな人でもいつかはこの世から去ってゆかねばならないのが宿命ですが、それをあっさりと認めて諦めることが出来る人間は存在しません。母には生きている間は、少しでも長く、心安らかに過ごして欲しいと願っています。

 肺炎を起こし、一時重篤となったのですが、その後幸いに危機を脱して、今は小康状態を保っていてくれています。取り敢えずは安堵の中にありますが、高齢のことゆえ、いつ何時どんな事態が起こるかも知れず、只、ただ、本復を祈るのみです。

 そのようなわけで、しばらくの間はブログを休むことにしました。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第21回(最終日)>

2013-06-12 06:05:34 | くるま旅くらしの話

 【今日(6/12)の予定】 

   昨日で旅は終わりとなる

【昨日(6/11)のレポート】

<行程>

道の駅:下賀茂温泉湯の花 →(R136・R414) → 道の駅:天城越え →(R136・R414他)→ 東名沼津IC →(東名道足柄SA)→(東名道・首都高速・常磐道谷和原IC)→ 自宅(帰宅)

<レポート>

 道の駅:下賀茂温泉の一夜は快適だった。トラックの騒音もなく、ただほんの少し風の騒ぐ音が時々聞こえてくるだけだった。ここは海から近く、直ぐ傍を流れる青野川に沿って海風が上って来るらしい。四囲を山に囲まれている感じがするので、それほど海が近いとは気づかなかったのだけど、地図を見たり、町中にあった海抜米の標示板を見たら8m余りとあったので、なるほどと納得したのだった。静かだと眠りは深く、目の覚めるのも早い。0時半頃には眠りは完了し、もう無理だと判断して起き出す。ブログの残りの分を書き足してそれが終わったのは1時半近くだった。夜は常に電源に不安があるので、ソーラー電源の小さな手元ランプを使用しているのだけど、そのリミットはフル充電されていても3時間ほどなので、パソコン使用が終わればもう使わないことにしている。従って、真っ暗となり、1時半過ぎの外も未だ街灯や自販機の照明くらいしかなく、江戸時代なら暗闇の夜なのである。

現代人は本物の夜というものを知らなくなってから久しいようだ。今の時代本当の夜が存在するのは、深い山の中か森の中の一部くらいしかないのではないか。都会の人が天体望遠鏡を買い入れても、それを自宅で見ようとすれば、余計な光が邪魔して、真にやりにくい環境にある。お月さまや幾つかの惑星くらいしか観測できないのではないか。暗闇の夜を知らない現代人は、時間というものを使い過ぎて、そのためにストレスを抱え込んでいるような気もする。旅に出ると、電源に不安のある夜は、日の入りとともに眠り、日の出とともに起き出すという、我らの遠い祖先の暮らしのスタイルに似た時間の使い方となる。恐らく祖先たちは、何か変事を感じた時以外は、夜は眠るものと考え、身体もその通りに反応していたに違いないと思う。しかし、現代人の自分は、昼夜見境もなく眠りたい時に眠るなどというデタラメをやり続けて来たものだから、眠りが足りてしまうと、丑三つ時の深夜でも暗闇に立ち往生をしてしまうのだ。

ブログを書き終えて発信作業を終えてしまうと、灯り無しで出来ることは殆ど無い。外を歩きまわればたちまち不審者となるであろうし、車の中ではても足も出ない。動き回れば直ぐに何かにぶつかり、相棒の非難を受けるのは確実なのである。そのような時にやることといえば、寝禅くらいしかない。寝禅とは、寝床に横たわりながら調心調息を行うことである。本当は床に座って坐禅を行いたいのだけど、床が狭くて座るスペースも無い。座布も用意して持参しているのだが、車の中では使えない。それで寝禅となるわけである。寝床に身を横たえて、静かに呼吸を整える。吸う息よりも吐く息の方により長い時間をかけるようにして、一呼吸の時間を少しずつ長くして行く。1分間に1呼吸くらいになると、暗闇などとの境は無くなって来る。その状態で、まずは今回の旅の振り返りなどをしてみる。初日どこに泊って、それから後どんなコースを辿って、どんな出来事があったのかなどを今日の今まで辿って見るのである。途中で記憶が途絶えて、どこに泊ったのかも思い出せないことなどがあると、呼吸が乱れたりすることがある。そのような時は最初からやり直す。たいていは記憶は回復し、繋がってゆく。未だ大丈夫だなと少し安心する。何が大丈夫なのかといえば、勿論認知症などの侵入阻止機能である。一通り振り返りが終わると、旅の間で印象的だったシーンを拡大する作業に取り組む。食べ物、人物、景色、自然現象などなど、材料の尽きることはない。しかし、これらの作業を最後までやり遂げたことは一度もない。何故ならそれは無限であり、不可能だからだ。そして途中で終わらせる最大の要因は、いつの間にか本物の眠りが再侵入してくるからである。この日もいつの間にか眠り就いて目覚めたのは4時過ぎだった。

既に外は明るくなり出していた。風が強いようで、周辺の木々たちが揺れ騒いでいた。天気はあまり良くないようで、空の一部に青空も見えるけど、雲が悪質だ。昨日の予報では台風が近づいているということだが、まさか未だその影響は受けてはいないだろう。今は基本的に梅雨時なのだから、天気が悪いのは仕方がない。だけど台風などという奴の来訪は勘弁して貰いたいものだ。そのようなことを外に出て、空を見上げながら考えていると、早や散歩と思しき同世代人が、近くの川の堤防に造られた遊歩道を歩いておられるのが目に入った。そうだ、自分も歩きに出掛けようと、昨日貰った町中の観光案内の絵地図を取り出し、準備をする。下賀茂温泉のある南伊豆町は、いつも通過するばかりで、温泉も昨日が初めてだった。町中のことはさっぱり判らない。町を知るための良い機会である。

ということで、それから1時間ほど近くの町中を歩きまわって、朝の空気を胸に入れたのだった。下賀茂温泉のあるこの辺りが町の中心らしく、役場も直ぐ近くにあり、小型ながら大手スーパーなどの店もあって、暮らしに不自由をしないエリアであることが判った。温泉の湯量が伊豆では一番だと聞いてはいたが、町中を歩いて気づくのは温泉を汲み上げる穿鑿井戸の櫓(やぐら)が幾つもあり、湯けむりを上げていたことである。道の駅の近くにもそれがあり、お湯がこぼれ湧いていた。ここは確かに温泉場なのだなと思った次第。普通は名のある温泉場は、道が細く建物が混み入って、車を停める場所を探すのに苦労することが多いのだが、ここはそれが余りないようだ。どのような温泉の歴史があるのか判らないけど、温泉が現代化し始めたのが比較的新しいのかもしれないなと思ったりした。町中を流れる青野川に沿ってあちこちにたなびく湯けむりを見ながら、一回りして車に戻る。

   

道の駅:下賀茂温泉湯の花の近くにある穿鑿井戸。井戸のてっぺんから熱い湯がこんこんと湧きあがり溢れ出ている。このような汲み上げ井戸が青野川を挟んで町中のあちこちに幾つも湯けむりを上げていた。

町中を歩いていたら、地デジのアンテナをつけている家も結構多いのに気づいた。山に囲まれているので、TVはケーブルなのではないかと思っていたので、車のアンテナも手つかずにしており見るのは最初から諦めていたのだったが、これじゃあ見られるのかもしれないと、車に戻って直ぐ設定をして見た。すると驚いたことにスイッチを入れただけでNHK他の受信が出来ていたのだった。何日か前、川根温泉で設定して以降一度もTVを見ていなかったのだけど、同じ静岡県なので、有効だったようだ。相棒も起き出して来て、その後はしばらくニュース画面などを見ることが出来た。

このニュースを見ていて、天気予報を聞いていると、台風が悪さを始めたらく、しかもそれが早まって来ているらしいという話だった。今までの天気予報はネットや携帯からの情報だけだったので、文字や絵ばかりで、それを見て勝手に大丈夫と想像していたのだが、音声で人が話すのを聞くと、やはり説得力があり、その気になってしまう。その話では、これから先台風が前線を刺激して大雨を降らせたり強風の吹くエリアが増えてくるとのこと。しかもそれはこれから自分たちが行こうとしている富士山麓や秩父などの山岳部に大きく影響しているようなのである。週間予報を見ても天気に期待できそうな雰囲気ではないので、このまま旅を続けてもただ風雨を味わうだけとなってしまいそうな気がした。それに山間部は、最近は土砂崩れなどが多発しており、何が起こるか予想もつかない。今回の旅のメインの目的だった相棒の集まりも終了したことだし、思い切って引き揚げようかということになった。自分としては未だもう少しは台風の影響は大丈夫ではないかと思ったのだけど、TVの天気予報の解説者の話を聞いた相棒は、もはやもの凄い勢力の台風がやって来て、猛烈な雷交じりの豪風雨をもたらすかの如き恐怖の受け止め方だった。今日帰るにしても風は大丈夫なのかと、高速道を使って帰ろうといい出しながら、そんな心配をしているのである。こうなると、もはや旅は終りとしなければならない。

ということで、当初は下田公園のアジサイが開花の最盛期を迎えており、それを見ようと考えていたのだったが、それも止めることにして東名道に一番近いと思われる沼津ICを目指しての出発となった。8時である。いっぺんに旅の予定が終りになって、何だかがっかりしたような、満たされない気分が残っている。けれどもこんな時は安全運転がより重要な心がけだと思う。歳をとるとそのような注意喚起は一応出来るようになってはいる。下田の市街を抜け、昨日来た道を少し戻って途中からR414に入り、山を越えて河津桜で有名な河津町の方に向かう。この山越えは大変だった。414という道路番号に恥じない狭い曲がりくねった山道が続き、時々出くわす通勤車両と思しき車との離合に神経をすり減らした。しかし河津町に入り本来のR414に入ると、ここからは天城越えの安心感のある道路となり、名物のループ橋や新天城トンネルなどを通って、今度は下りとなり、昨日寄った道の駅:天城越えで一息入れる。9時を過ぎたばかりで、売店は未だ開店しておらず準備中だったが、昨日買い入れたワサビの茎と葉をもう一束追加購入しようと、相棒が何とか話をつけて譲って貰ったのだった。今日の僅かな目的といえば、この道を通るのだからこれを手に入れて帰りたいということぐらいだった。それが実現できてよかった。

その後は、動き出した人々や車の中にまぎれ、渋滞にも見舞われながら、沼津の市街地に入り給油をした後、ようやく東名道に入る。新東名道の名が並んでいたけど、敢えて東名道を行くことにした。入り口がはっきりしないからである。それに新東名道は御殿場辺りで終わりになるからでもある。ここから先は足柄SAで早やめの昼食をとり、ひたすら高速道を走って、首都高に入り、それを抜けて常磐道の谷和原ICを出て、我が家に着いたのは13時40分だった。高速道は風もなく、雨も降らず、走行に何の支障も無かったけど、こんなに慌てて帰り戻る意味があったのかなと、何だかすっきりしない気分が残った。しかし、その後の荷物の取り出しや片付けに汗を流している内に、そのようなことは皆忘れてしまっていた。とにかく今回の旅は終わったのである。全行程2,644kmだった。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第20回>

2013-06-11 01:27:27 | くるま旅くらしの話

【今日(6/11)の予定】 

  道の駅:下賀茂温泉湯の花 →(R136)→ 下田公園(アジサイ鑑賞)→ 未定

 【昨日(6月10日)のレポート】  

<行程>

道の駅:伊豆のへそ →(R136) → 伊豆の国市内・ホテル →(R136・R414)→ 道の駅:天城越え →(R414)→ 浄蓮の滝 →(R414・R136・K15)→ 道の駅:花の三聖苑松崎 →(K15・R414・R136)→ 道の駅:下賀茂温泉湯の花(泊)

<レポート>

 昨夜は初めは静かでいい眠りだったのだが、深夜に一度眼を覚ました時にあいにく1台の冷凍車らしいトラックが近くに入って来て、夜明け近くまでエンジンを掛けっ放しで、その後の眠りは放棄せざるを得なかった。仕事とはいえ、何とかエンジンをかけないで済むようにして欲しいものだけど、冷凍車の場合はまだ技術的には難しいのかもしれない。自分の車の冷蔵庫はガスだけど、大型車の場合はどうなっているのだろうかなどと、半分迷惑に腹を立てながらも半分は同情するという複雑な心境だった。ま、前半の眠りで昨夜の蚊の攻撃の分は取り返しているので、特に支障はない。

 この車の中で、一人で眠るのは久しぶりのことである。静かでいいものかと思っていたけど、静かすぎるというのもなんだか調子が狂ってしまうものだなと、改めて思った。この道の駅にはごみ処理も給水もなく、その分の仕事が無くなっているので、退屈を持て余すという感じだった。他に何もすることが無いので、朝食は5時半過ぎだった。お湯を沸かしてコーヒーを淹れ、パンに玉ねぎスライスを挟み、それにケチャップをなじませて食べる。これが普通の自分の朝食内容である。コーヒーの代わりに味噌汁とすることも多い。パンは基本的には8枚切りとしている。6枚だと1切れが2単位(=160Kcal)となり、2枚ではカロリーオーバーの食べ過ぎとなってしまうからである。8枚切りだと2枚食べても3単位程度に収めることができる。糖尿病というのは、カロリーのコントロールができないと自己管理は難しく、薬に依存しなければならなくなってしまう。自分の場合、もう20数年糖尿君と親しく厳しくお付き合いをさせて頂いており、現在もどうにか薬なしで対応している。Ha1cも薬を常用すればもっといいデータとなるのだろうけど、それは可能な限り避けたいと思っている。パン一切れが横道にそれて、とんだ話となりました。

8時半過ぎ相棒に何時に迎えに行けばよいかメールをする。当初は9時50分ということだったが、しばらくして電話があり、皆さんの出発が9時半に変更となったので、20分ごろに来て欲しいという。どうせ暇なのですぐに出発する。10分ほどで到着。ロビーで相棒の御世話になっている恩師の先生にご挨拶する。また一緒に集まりに参加された男性陣2名の方にも。驚いたことに昨日の集まりは女性陣が5名だったとか。女性陣に挨拶するのが恐ろしくなって外に逃げ出す。いつもは男性の参加者の方が多いと聞いていたのに、今回は例外だったとか。それにしても卒業以来50年近くを経過して、未だ恩師を囲んで集まれるとは真にうらやましい限りである。先生には初めてお目にかかったけれども、御歳87にして、矍鑠とされており、その求心力たるや素晴らしい方だなと畏敬の念を感じたのだった。相棒は良き師、良き友に恵まれて果報者だなと思った。ご一行は相棒を除いてホテルのバスに乗って駅の方に向かわれた。それを見送って我々の方も出発となる。

今日の予定も特に決めているわけではないのだが、今のところは先ずまだ行ったことが無い道の駅:天城越えという所に行き、ワサビの獲物を見て見ることにし、その後は西伊豆を回って、何処かで温泉に入り、泊りは下田にある道の駅にでもしようかなと思っている。伊豆に来るのは、かなり久しぶりで、もう5年以上経っているのは確実である。昨日ここまで来るにも、何回か通っているはずの道も随分と勝手が違う感じがして、人間(自分だけかも)の記憶などというものは儚いものだなと感じ入っていた次第なのである。

昨日入りそこなった大仁温泉の脇を通って、ひたすら天城湯ヶ島の方向を目指す。修善寺温泉、天城湯ヶ島温泉とR136やR414の道脇には伊豆の名だたる温泉が連なっている。昨日の長岡だって温泉地としては有名だ。この他にも伊豆には覚え切れないほどの温泉が点在している。自分たちはそれらのホンの一部を味わわせて貰っているにすぎない。そのようなことを考えながら進んでゆくと、間もなく天城湯ヶ島の温泉街に入り、少し行くと右手に浄蓮の滝の入口があった。ここも懐かしい場所である。帰りに寄ることにして少し先に造られている道の駅:天城越えへ。以前ここを通った時には無かった施設である。目的はワサビ関連の何かいい獲物は無いかということ。伊豆はワサビの一大生産地であり、この辺りはどこへ行ってもワサビを商う店などの看板が多い。また清流の脇にはワサビ田が随所にみられる。道の駅の販売所を覗いていたら、あった!ワサビの葉のついた茎が並んでいた。最も欲しかったのがこれだった。ワサビは加工品が多く販売されており、葉ワサビや茎そのものの類はいつでも売られているとは限らない。ワサビといえば普通は根を摩り下ろして刺身や蕎麦のタレなどに用いるのだろうけど、自分たちは根よりも葉や茎の方に関心を持っている。これがあれば三倍酢や醤油などに漬けて自家製の漬物を作れるし、酒粕を用意すればワサビ漬けだって作れるのである。多分今頃だと手に入れるのは無理だろうなと思っていただけに、うれしい発見と獲得だった。家に帰ってから作ることにしようと思っているけど、持たない場合は途中で作ることにしたい。

目的の物を手に入れたら後は用は無し。天城峠の方へ行くのは止め、引返して浄蓮の滝に寄ることにした。10分ほどで到着。ここに寄るのも久しぶりで、前回から10年くらいは経っているに違いない。それが証拠に、滝見の場所までの道の長かったこと。石段の多さにも記憶違いを実感したのだった。往路の方は下りばかりで、これがきつかった。復路は登りなので、筑波山のそれと比べたら大したことはない。比較するのも愚かという感じなのだが、相棒を始め多くの同世代の善男善女は息が上がって、フウフウ言っておられた。滝の放つマイナスイオンのパワーは強大で、一番下の滝見台に降りると別世界の様な清浄な空気が身を包んでくれるのが判った。何枚か写真を撮ったが、その中にはマイナスイオンも写っているに違いない。流れの脇に造られたワサビ田の葉の鮮やかな緑が印象的だった。30分くらいの時間だったけど、貴重な時間だった。

   

浄連の滝の景観。落差はそれほど大きくないけど、滝つぼ周辺に溜まったマイナスイオンの規模の大きさには圧倒される。まさに浄連にふさわしい名瀑だと思う。

   

浄連の滝の下の清流を取り込んでつくられているワサビ田。鮮やかなその緑の広がりには、心を洗われる思いがする。

浄蓮の滝の後は、更に今朝来た道を戻り、しばらく走って金山のあった土肥の町の方へ行く道であるR136へ左折して、西伊豆方面を目指す。次の目的地は松崎にある道の駅:花の三聖苑松崎である。ここは何回か訪れて泊ったこともある場所で、温泉もあっていい所なのだ。構内の花や樹木も心を落ち着かせてくれる。今日はちょっと寄って、お昼にしたいと考えている。土肥までは伊豆の山々を横断することになり、かなり厳しい道が続いた。東側からだと登りよりも下りの方が多くて、車への負担は軽いのだけど、その下りの道はカーブも多くて油断できない。以前松崎の道の駅に寄った時にも、思ったよりも行程が長くてなかなか目的地に届かなかったのを思い出したりした。ようやく海が見えてきて、土肥の町に入る。ここからは海岸沿いの道をしばらく走る。幾つものトンネルをくぐって、ようやく松崎の町に入る。途中、恋人岬など富士山の眺望の素晴らしい場所が幾つもあるのだけど、今日は曇りで富士山は全く見えない。松崎の港エリアから左折して県道をしばらく走ると道の駅に着いた。ここで昼食休憩とする。

三聖苑というのには何か地元の偉人のどなたかの業績を残すという事業が関わっているらしいのだけど、よく解らない。花の方は、この辺りは今の季節アジサイが最盛期を迎えており、来る途中の道脇にも様々な色の花を見せてくれていた。構内ではタイザンボクの純白の大きな花が迎えてくれた。今日のお昼は外食にすることにして、構内にある食堂に入り、川のり丼というのを食した。この辺でも川のりが採れるのだという。しかし食べて見ると今一インパクトに欠けていたのは残念だった。この町は帯広と姉妹関係にあるとかで、豚丼がメニューに加えられていたが、どんな差があるのか、そちらを食べたほうが良かったのかもしれない。今度来た時は豚丼にしようと思った。

この先どうするか昼食時に話している内に、当初は西伊豆を花でも見ながらゆっくり南下し、南伊豆で温泉に入り、下田の道の駅に泊ろうかと思っていたのだったが、相棒がどうにも眠くてたまらない様子なので、眠り人を乗せてそのようなコースをドライブしても仕方ないので、先ずは下田の方に早く行って一眠りしてから温泉に行くことにしようということになった。下田に行くには、このまま県道を行った方がはるかに早い。30分もあれば着いてしまうのである。ということで、予想外の変更をして、下田の道の駅に向かう。

山を下り、下田の街に入り、間もなく道の駅近くという時に、相棒が言うには、自分は昨日温泉に入っているので、今日は入らなくてもいいから、眠るのであれば道の駅ではなく、あなたが温泉に入っている間にしたいとのこと。それならば、下田よりも少し先の南伊豆の下賀茂温泉に新しい道の駅ができており、その駅の近くに温泉博士に載っている無料入浴の湯もあるので、そこに行こうと信号を待つ間に変更する。下田の街中は何だか知らないけど妙に車が混んでおり、渋滞がひどかった。そのおかげで安易な変更が成り立ったのかもしれない。どうも、今回の伊豆の旅はかなりいい加減なものとなりそうである。昨夜で相棒のメインイベントが終わっているので、そろそろ帰心なるものが膨らみ出したのかもしれない。

下賀茂の道の駅:下賀茂温泉湯の花に着いたのは14時ごろだった。川の傍に幾筋かの湯煙の立つ、なかなかいい場所だった。温泉場というと細道が多くて駐車に悩まされることが多いのだけど、ここはそんな問題は全くなさそうで、道の駅の駐車場も平らで、広くゆとりがある。調べて見ると、温泉博士に載っている河内屋さんというホテルは、道の駅から歩いてゆける所だった。ラッキーである。これなら相棒が夜になるまで眠っていても車を動かす必要が無い。下田の道の駅泊りを急きょ変更してここに来たのは正解だったようである。勿論下田は止めて、今日はここに泊らせてもらおうと決めた。

その後相棒は待望の眠りを本格的に貪る。昨夜は11時くらいには就寝となったとのことだけど、興奮してそうそう眠れるはずもなく、また仲間の人たちは皆早起きで5時過ぎには起き出していたとのこと。朝の弱い相棒には蚊の群団の攻撃以降の眠り不足が積もったようだった。眠りたい時に眠るというのは熟睡の基本条件である。その後夕刻まで眠り続けていた。自分の方は、ブログの記事の半分ぐらいを書き終えて、その後歩いてホテル河内屋さんの温泉に入りに行く。ホテル河内屋さんは、下賀茂温泉の老舗の様で、源泉かけ流しのお湯を竹笹の様なもので冷まして作っておられるとか。その湯を内風呂と露天風呂とでたっぷりと味わわせて頂く。少し塩辛い感じの湯だったが、柔らかく温度もほどよく管理されていて、いい湯だった。無料で入らせて頂いて、なんだか申し訳ないなと思うのはいつも同じである。

風呂から戻って、近くのコンビニでビールと氷を仕入れて、相棒にも起きて貰い、夕食的な時間となる。少し早いけど、温泉に入るとこうなるのは我が家の場合は自然の流れなのである。相棒は、今日は温泉には入らないと決めたらしい。1時間足らずでいい気分になって、相棒のことは構わずに早々と寝床にもぐる。後のことはわからない。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第19回>

2013-06-10 02:34:09 | くるま旅くらしの話

【今日(6/10)の予定】 

  道の駅:伊豆のへそ →(R136)→ 伊豆の国市内・ホテル →(R136・R414)→ 道の駅:天城越え → (未定)

 【昨日(6月9日)のレポート】   

<行程>

道の駅:富士川楽座 →(K369・R1・R414) → 道の駅:伊豆のへそ →(R136)→ 伊豆の国市内・ホテル →(R136)→ 道の駅:伊豆のへそ(泊) 

<レポート>

 旅の間にはいろいろな事件が勃発する。その内容は大小様々だけど、一番恐ろしいのは天災にぶつかることだと思う。その次は事故かもしれない。取り上げればきりがないが、天災の部類に関しては、今迄で一番肝が震えたのは、強烈というか、激烈というか物凄い雷雨に見舞われた時だった。富山湾のブリは有名だけど、そのブリ君たちを驚き慌てさせて湾内に追い込む自然現象がある。冬の雪空の中での雷鳴は、それを知らない関東に住む者には不気味で恐ろしいけど、富山湾のそれはその恐ろしさの塊のような現象らしい。この雷鳴とどろく現象はブリ起こしと呼ばれているとのこと。自分たちが能登を訪れたのは晩秋とはいえ秋だった。能登半島の中島ロマン峠という可愛げな名前の道の駅に錨を下ろしたのだったが、その夜は18時過ぎから猛烈な雨が降り出し、時々大玉の雹(ひよう)などを含ませながら、車の天井が破れ抜けるかと思うほどの大音声を発し、それに雷鳴がとどろき、近くに落ちた雷が何度も何度も地面を揺るがし、車を振動させたのだった。およそ2時間近くその恐怖の時間帯が続いた。まさにこれがブリ起こしなのだなと思った。連続して身近に落雷を感じる恐怖は、光と音の狂乱のようにも思え、この世の地獄を思わせた。しみじみと大自然の脅威のすごさを思い知らされたのだった。我が人生では一番の恐怖の実体験だった。

 前置きが長くなったけど、その大自然の引き起こす現象が昨夜の雨だった。雷鳴は遠くの方で多少鳴っていたのかもしれないけど、雨の勢いはかなりのものだった。能登での経験があるので、それほど驚いたわけではないけど、日中の晴れの穏やかな表情からは予想もつかない大変事だった。くるま旅をする場合どこに車を止めるかという判断はかなり大切で、どこでもいからあまり気にしないというのは、いざという時を考えた場合大いに問題があるように思う。我々の場合は、先ずその土地の全体のロケーションを地図などで確認して、実地に着いてから歩いて周辺の状況を確認するようにしているのだが、絶対といって泊らないよいにしているのは海のすぐ傍にあるような道の駅である。海の近くでも高台ならば時にお世話になることもあるけど、港に隣接しているような場所は敬遠することにしている。また、風の通り道となっているような場所も避けるようにしている。近くに崩落の危険のあるような場所も当然気をつけなければならない。昨夜は富士川の崖の上に造られた駐車場だった。雨は良しとして、地震のことを考えると必ずしも適切な選択ではなかったように思った。反省が必要である。

 昨夜はもう一つ事件が起こった。家にいる時ならまずあり得ないことなのだが、車の旅では油断をしていると時々見舞われる事件である。それは夜中に蚊の攻撃を受けたことである。いつ、どこから侵入したのか分からないのだけど、とにかく夜中に眠気が誘いに来ていい気分の時に「ぷ~ん」という鳴き声は、何とも腹ただしく、いっぺんに眠気を吹き飛ばされてしまう。昨夜は途中でたまらなくなって起き出し、灯りをつけて徹底的に彼らの退治に取り組んだのだが、ゲリラ戦と同じように安易な勝利は難しいようで、ついに夜明けまで彼らの無差別攻撃を回避することはできなかった。このような虫との戦いは、安全衛生上バカにできない重要テーマの様に思う。蚊を退治するということが当面の最重要事項なのだけど、それ以上に恐ろしいのは蚊に刺された後の処理だ。これを安易に考えて手当てを誤り、後で入院に至るほどの大事となったケースも身近に聞いており、たかが虫くらいでなどとは決して思わない方がいい。北海道を旅している時に、実際に虫さされで大事となったという話は何件か聞いており、同じ種類の虫でも、その住むエリアによっては毒性に差があるようで、要注意である。

 冒頭から変なことを書いているけど、今日は実のところ大して書くことがないからなのである。というのも、今日は今回の旅の計画の引き金になっている、相棒の高校時代のクラブの仲間たちが、恩師を囲んで伊豆の長岡の温泉(伊豆の国市)で一泊して旧交を温めるという日だからである。この相棒の予定のために、我々は信州から北陸に抜け、京都の北部から南に抜け近江から奈良を回って、お伊勢さんに寄り、そして東海をうろついてここまで来たというのが実情なのだ。ずいぶんとまあ、膨らませたものだが、こんなことも旅の口実となるのだから面白い。従って、今日は相棒をその宿まで送り届ければ、明日の10時までは無罪放免となるのである。といって、自分に格別の企みがあるわけでもない。ただ一人でゆっくりするだけの話である。

 ということで、道の駅:富士川楽座では午前中一杯過ごそうかなどと思っていたのだが、期待していた富士山の眺望も、朝の内のわずかな時間にぼやっと頂上辺りが見えただけで、さっぱりだった。晴れて空気が澄んでおれば、ここからの富士山の眺望は一級品なのだ。しかしまあ、この梅雨の時期はそのような富士山を期待する方が無理というものであろう。一回り建物の中を巡った後、とにかく伊豆の方に向かうことにした。自分の泊る予定場所としては、相棒の宿からさほど離れていない場所にある道の駅:伊豆のへそというのを考えている。ここはまだ行ったことがないのだけど、トロピカル洋ランセンターなどとかいう施設に併設して造られているようなので、恐らく日中は姦しい場所ではないかと思っている。でも夜は静かな穴場となるのかもしれない。とにかく先に行って様子を見ておこうということにしたのだった。

 相棒の仲間の方たちのチエックインは15時以降ということで、時間もたっぷりあるので急ぐことはない。ということでナビの言うのに従うことにした。長岡のその道の駅に行くには二つのメイン国道があるのだけど、もしかしたらナビはややこしい方を選ぶのではないかと思っていたら、案の定より複雑で時間のかかるルートの方をガイドし出した。ナビに翻弄されるのは良しとしないので、少し気にいらなかったけど、ま、この道も一度通って見ておこうというとで従うことにした次第。R414は海側から入る道で、細い道が続いていた。戸田の方へ行く別れ道から左折して長岡方面へ向かい、12時少し前に道の駅:伊豆のへそに着く。妙な名前だけど、これは恐らく伊豆半島のへその位置に当るということからの命名ではないか。ま、伊豆半島の頭がどこで、足や心臓がどこなのか知らないけど、そんなことはどうでもいい話である。道の駅は、植物園というよりもハワイアンセンター風の歓楽地のような雰囲気の場所のすぐそばにあり、観光バスの立ち寄りルートの一つになっているようで、何台もの観光バスが出入りしていた。車も多くて、やはり日中は賑やかなようだ。15時までまだかなり時間があるので、軽く昼食を済ませたあと、ひと眠りすることにした。昨夜は蚊の無差別攻撃を受けて、熟睡をものにできていなかった。相棒も同じはずなのだが、眠くないらしく数独の本を引っ張り出して熱中し始めた。これがあると他のことを忘れられるというのだから、不思議な人である。自分などは完全アバウト主義者なので、このような数字遊びは苦痛以外の何物でもない。しかし、自分が1時間ほど寝て起き出してみると、相棒もまた数独の薬が効いたらしく、本を手に持ったまま熟睡のご様子だった。ま、たわいもない老人たちの時間の過ごし様である。

 14時半過ぎ相棒を届けに出発する。道の駅からは15分はかかるかなと思っていたが、実際は10分ほどで着いてしまった。仲間の皆さんは皆一緒に車で来られるらしく、まだ到着されていなかった。15時チエックインなので、それまでは待ってみようと、すぐ前を流れている狩野川の堤防を歩くことにした。このホテルのある側の方は伊豆長岡の温泉街となっており、幾つもの旅館やホテルなどの建物が立ち並んでいた。20分ほど歩いて戻ったけど、何時に到着されるかは相棒も判らないというので、それなら自分は先にここを出ることにして相棒を置いて出発する。

 道の駅に戻る前に、持参するのを軽視して読みを誤り少なくなっているTシャツを買わねばならないし、また温泉にも入ることにして、既に行く先も調べ済みである。温泉は大仁温泉にある旅館を予定しており、そこに向かうことにした。走っていると、途中にアピタという大手のスーパーがあったので寄ることにした。自分でこの手の買い物をすることは滅多にないのだけど、窮すれば何とやらである。ポケットの付いているものを探し求めて買い入れる。携帯を入れるので、どうしてもポケットが必要なのだが、それのあるTシャツは少ない。上手く見つけられてよかった。そのあと温泉街の目的の旅館に行ったのだが、着いてみると駐車場が狭くSUNを停める余裕は全くなかった。残念。再度新たな施設を探すのも面倒なので、温泉は明日に伸ばすことにして、道の駅に向かう。15時50分到着。これから先は自分一人の自由時間。但し、何も予定はなく、ブログを書いて寝るだけ。

 夕食はスパゲッティ・カレー。それとトマトと常食の玉ねぎサラダ、それと昨日の余りの黒はんぺん。ビールと焼酎をやっていい気分となるころは、道の駅の構内には車は殆どいなくなり、日中からずっと流されていた中古品のハワイアンの歌も止み、蛍の光の曲が流れていっぺんに静かになった。ここはTVも良く映り問題ないのだけど、見ない方に慣れてきているせいなのか、ニュースを見た後はもういいやという気分になり、寝床にもぐりこんで爆睡となる。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第18回>

2013-06-09 06:30:10 | くるま旅くらしの話

【今日(6/9)の予定】 

  道の駅:富士川楽座 →(K396・R1・R136)→ 伊豆の国市内・ホテル(相棒はここに宿泊)→ (未定)

 【昨日(6月8日)のレポート】   

<行程>

藤枝市内親戚の家 →(R1・K396)→ 道の駅:富士川楽座(泊) 

<レポート>

 いやあ、昨夜は大沈没だった。当初は就寝は2階での部屋でといわれていたのに、もし夜間に小用を足しに行くなどの際に階段を転落したら大変だと考えたらしく、急きょ寝場所を1階の方へと変更して頂いたりした。まことに申し訳なし。この頃は嬉しくなって飲むと、なんだか足元が覚束なくなって来るようになり、まことに情けない。しかし、これは一種の警報の様なものなのだろうから、甘んじて受けとめ、反省しなければならんなとは思っている。要は素直に自分をコントロールできるかどうかが問題なのである。ま、朝になって気分も爽快に目覚めて、大事なかったことはよかったということなのであろう。

 まだ何処かにアルコールが残存していないでもないようなので、ブログを書き終えた後、付近を散歩することにした。藤枝のここには何度もお邪魔しているのだが、付近を歩きまわることは少なく、東西南方の方角すらも定かでない。家の庭の向こう側に、こんもりとした樹木の茂った塊の様な場所があり、そこへ行ってみるとお寺があり、その森はお寺が背負っていたのだった。何やら由緒のあるお寺らしく、説明板の様なものがあったが、よく解らなかった。そこを通過して、ぐるっと回る感じで20分ほど田んぼなどの中の道を歩いていると、もう一つの樹木の茂った小高い丘があったので、そこに入ってゆくことにした。石段を登ってゆくとそこは神社の境内で、岩城神社という所だった。参拝の後、さらに上の方に登ってゆくと、そこは公園となっているらしく、椅子やテーブルなどの休憩施設が作られていた。その頂上にある公園からの展望は素晴らしく、樹木の間から藤枝の市街が望見できた。ここはマイナスイオンに満ちたイヤシロ地(=癒代地)であり、実にいい気持になれる場所だった。少し座禅でもすることにしようと10分ほど椅子に座って調心調息に努める。呼吸が1分に1回ほどに落ち着きだした頃、なんだか痒いなと思ったら、蚊が手足を攻撃していたのだった。気をそがれて、止めることにした。物事はなかなか思う通りには行かないものだなと、手足を掻きながら家に戻ることにした。

 その後は朝食をご馳走になる。味噌汁が格別に美味かった。ご飯も美味かった。旦那さんが作ってくれたのだと思うけど、これは合格点の中にあると思った。相棒などは、今朝の3時過ぎまでぎっくり腰の妹さんを捕まえて話し込んでいたはずなのに、食事の間も相変わらず話をし続ける口をコントロールできずにいた。真に恐れ入ったパワーである。妹さんのぎっくり腰も、その毒気に当てられて却って治る方に向きだしたのかもしれない。お茶をいただきながら、その後は11時半過ぎまで歓談が続いたのだった。それでも話は終わりそうもなく、これ以上は続けるべきではないと決断して、お別れすることにした。12時少し前出発する。いやあ、ありがとうございました。お世話になりました。お騒がせいたしました。

 さて、今日はどうするか、一応の予定としては、明日の午後15時の伊豆長岡のホテルのチエックインの時刻までかなり時間があるので、身延山久遠寺経由で下部温泉に入るなどして、その後朝霧高原にある道に駅にでも泊ろうかなどと考えている。しかし、しばらく走っている内に気が変わり、相棒の寝不足は確実だし、無理して走り回るのは避け、今日は半日の静養日にすることにしようということにした。で、行く先は東名高速道のハイウエイオアシスのある道の駅:富士川楽座にすることにした。高速道で行くのではなく、一般道を行っての道の駅なのである。焼津で少し給油をしてR1に入り、静清バイパスに入り、大静岡市を過ぎると、間もなく富士市に入る道となる。その県道を6kmほど走ると道の駅に到着した。13時20分だった。かなり早い到着である。

 先ずは道の駅の様子を見に行く。ここには何度も寄っているのでが、そのほとんどは高速道を利用している時で、一般道の方に泊るのは確か今回が二度目だと思う。前回はかなり前のことなので、様子がどうなのかはほとんど覚えておらず、はじめてきた感じなのだ。結局は高速道からの建物も一般道からの建物も同じなのだが、そこへ行くまでの様相はかなり違っていた。一般道からは、富士川を見下ろす急崖の上に造られた駐車場に車をおいて、トイレ脇の階段を上って、県道上に架けられた歩道橋を渡って、4階建ての建物の2階部分の入口に入ることになる。そこから1階上の3階が高速道からの入口となっており、物産販売の店やレストランなどが入っている。この建物には屋上にプラネタリウムも設置されており、なかなか多目的なしゃれた建物だ。物産販売店で、名物の黒はんぺんを買い入れた。酒の肴にぴったりのイワシのつみれのような奴だ。これが自分の好物で、ここに寄る時は必ず買うことにしている。今まで気付かなかったのだが、ここには富士山の展望室の様なものが作られていたのだった。天気が良ければ、目の前に大きな富士山の景観が飛び込んでくるはずなのだが、今日は晴れて暑くなっているのに雲が多くて、富士山は全く顔を出してくれてはいない。残念。

 相棒は何か用があるらしく、もう少し他も見てくるというので、自分だけが車に戻りひと眠りする。蒸し暑いのだが、窓を開けると風が良く通って気持ちがいい。1時間ほど眠って目覚める頃に相棒が戻ってきた。ずいぶんと長い時間であり、どうしたのかと思ったら、誰かさんと話をしていたらしい。絵を描かれる方だとかで、ここで展覧会を開かれているのだとか。後でその方の描かれた絵ハガキなどを見せてもらった。今回は富山県のおはらの風の盆をテーマに描いた作品の展示だとか。相棒のこのようなエネルギーには、毎度恐れ入る。その後はストンと眠りに着いたようだった。

 17時過ぎから夕食の準備に入る。今日は自分がご飯を炊き、味噌汁を作ることにした。まず先にご飯を炊く準備をし、策に味噌汁を作る。具はジャガイモと玉ねぎ。それに後で卵を割って落として出来上がり。それが終わってご飯を炊いてこれで準備完了。おかずは黒はんぺんと漬物類と余りものなど。野菜は玉ねぎのスライスやトマトなどいろいろあるけど、出すのが面倒なので、常食の玉ねぎスライスだけとした。18時過ぎ夕食。ここへ到着した時には映っていたTVは映らなくなってしまったので、夕食はTVなしとなった。なんだか空の雲が急変して、雨が降り出しそうで、その影響が電波にも及んでいるのかもしれない。済んで片づけが終わるころに雨が降り出した。さあ、それからが大変だった。物凄い豪雨となったのである。天井を叩く雨音の激しさからは、風もかなり強く吹き付けている感じだった。こんな時は寝床の中でじっと耐えて鎮まるのを待つしかない。

 それで、そのまま眠れるかと思っていたのだが、その後はいつ、どこで侵入したのか分からないけど、蚊の攻めに遭っていやあ、えらい目に遭ってしまった。5匹ぐらいは何とか退治して、もう後は大丈夫だろうと眠ることにしたのだが、灯りを消すとまたどこかからやって来ての波状攻撃だった。蚊取り線香を点けるわけにもゆかず、布団を被れば暑苦しくて、とにかく悶々しながら何ともはや静養にもならぬ一夜を送ることになってしまったのだった

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第17回>

2013-06-08 07:52:21 | くるま旅くらしの話

【今日(6/8)の予定】 

  藤枝市内親戚の家 → 富士宮方面(詳細未定)

 【昨日(6月7日)のレポート】   

<行程>

道の駅:川根温泉 →(K64・R1他)→ 藤枝市内親戚の家(泊) 

<レポート>

 昨夜は夜半から雨が降り出し、明け方ごろは結構な降りとなった。昨日の静岡県地方のニュースを見ていると、雨が少ないため、干上がってしまっている川などがあり、アユの干からびた姿や息も絶え絶えのうなぎの姿などが映っており、例年の半分以下の降雨量しかないとのことだった。やはり梅雨時にはそれにふさわしい雨が降ってくれないと、それぞれの地域の一年の運びが狂ってしまうのだ。特に農業ではその影響が大きい。我々の様なもはや使用済みの如き老人の旅の願望などはどうでもいいことで、ソーラーが雨降りで役立たないなどということは全くの問題外だなと思った。今朝の雨は慈雨といっていいのだろうと思った次第。

 今日は午後に相棒の妹さん宅を訪ねる以外は特に予定はない。昨日はSLの撮影に失敗しているので、もう一度それにチャレンジしようということにした。相棒の方もカメラの扱いを誤ったらしく、折角のシャッターチャンスをものにできなかったと悔しがっていた。特段SLの走りにこだわっているわけではないのだけど、ここに来ると目の前に鉄橋があり、撮りたくなるのは誰でも同じ気持ちになるように思う。SLの通過予定は往路が12時25分ごろ、復路は15時25分ごろということである。もし往路で失敗したら、復路で挽回してもいいかななどと、早くも次善のチャンスまで考えているありさまだった。藤枝の妹さんの家までは、ここからだと1時間もかからない。急ぐ必要は全くない。何もすることがないときは、寝ることにしている。SLの通過の12時25分までには、まだしばらく時間があるので、寝床に入ることにした。今朝は雨の中不足していた水を汲んだりして、結構働いていたので、眠るのを妨げる条件は何もない。すぐに眠りが来て、その後12時近くまで眠った。

 起き出して外に出て見ると、車の周辺がいつの間にか満車近い混み具合となっているのに驚いた。この温泉は相当に人気のある場所なのだなと思った。よく判らないけど、今日はここで何かイベントでも開催されているのかもしれない。また、SLの撮影目的で来られている人も結構多く、平日だというのに昨日よりも多い数だった。今日は昨日とは違う撮影場所を探して、そこに腰を落ち着ける。間もなく予定の通過時間がやって来て、SLの運転手の方もそれを心得ておられるのか、鉄橋を渡る前には必ず汽笛を鳴らしてくれているようで、あの懐かしい声が、シュッシュポッポの音と一緒に聞こえ、近づいてきた。一瞬心が少年のように踊った。ふと気が変わって、構えていたカメラを、動画の撮影に切り替えた。考えて見れば、数枚の写真を懸命に取るよりも動画の方が全体の動きを収めることができるのである。今頃のデジカメには動画の機能が付いており、こんな時に使わなければいつ使うのだと気付いた次第。とっさの判断で、上手く行くかどうかためらいもあったけど、結果的にはこれは大成功で、しっかりSLの進行を収めることができた。怪我の功名的な感じだった。

 SL騒動が終わって、どうするかなと考えていると、俄かに空の雲が増えて暗くなり出した。ポツポツと雨も落ちてきて、敏感な相棒は何処かのエリアでの雷様の音まで聞こえてきたらしい。予報では、そのような気象情報もあったように記憶しているので、これは少し早いけど引き上げ時かなと思い、急ぎ出発の準備をする。14時少し前に出発して、藤枝の相棒の妹さん宅に向かう。今日は昨日来た国道ではなく、大井川の反対の川岸を走る県道を行くことにした。この道の方がトンネルなどがあって、曲がりが少なく車の走行には向いている。ナビだと国道を走らされる可能性があるので、使わないことにした。30分ほど走って、R1のバイパスに入り、あっという間に藤枝へのICを下りる。そこから先は迷うことなく勝手知ったる道をその家に。

 さてさて、駐車場へ車を停めて、家の中に入らせて頂くと、何と、なんと肝心の妹の御方は、病の姿で迎えてくれたのだった。驚いて訊くと、何とぎっくり腰で動けなくなっているとか。何かの拍子でガクンと来たらしい。それを教えて頂ければ、訪問は差し控えたのにと思ったけど、我々の久しぶりの訪問を受けて頂いたことを思い、申し訳もなくありがたいことと感謝する。動けない妹さんに代わって旦那さんがまめまめしく動いておられて、それは我が家と同じだなと思った。

 さて、その後のことは、あまり書かないことにしよう。何にしろ3~4年ぶりの訪問なので、禁酒などは一切放棄して、同類の愛飲者である旦那と一緒にビールから焼酎へと進んで、肴はいろいろ準備して頂いた刺身などに加えて、赤羽の道の駅で手に入れたヤングコーンを相棒が天ぷらにしたものなどを並べて、いやはや今回の旅では想像もしなかった大宴会となったのだった。そして、その後は足腰もおぼろとなり、まさに沈没という結果と相成った次第である。(しかし、これを書いている今は、もういつもに戻っており、心配は御無用。為念。ハイ。)

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第16回>

2013-06-07 05:05:44 | くるま旅くらしの話

【今日(6/7)の予定】 

  道の駅:川根温泉 →(K64・R1他)→ 藤枝市内親戚の家(泊)

 【昨日(6月6日)のレポート】   

<行程>

道の駅:川根温泉に終日滞在(泊) 

<レポート>

 今日は静養日である。終日ここでのんびり暮らし、明日は近くの藤枝市にある相棒の妹さんの家に御厄介になることにしている。静養日は今回の旅では2回目になる。本来旅そのものが静養日でもあるはずなのだが、自家にいる時とは違って毎日が刺激的なので、気分転換の毎日であっても動き続けていると疲れやストレスが溜まるのは、生き物の習いなのだからこれはもう仕方がない。特に馬齢を重ねてくると、旅の中での静養日は価値あるものとなるようだ。ここ川根温泉は、先日の松阪近くの香肌峡温泉の道の駅:飯高駅とよく似た地形である。飯高駅の場合は、四方を山に囲まれ、山の縁を櫛田川が流れているのだが、ここ川根温泉は、大井川が流れてやはり四方を山に囲まれている。周辺がお茶の一大産地であることも良く似ている。比較して違うとすれば、この川根温泉の方が少しスケールが大きいということになるかもしれない。川の大きさが違うということ。それにここ川根温泉は、すぐ傍の大井川に架かる鉄橋を、平日は日に一度だけど、名物となっているSLが運行している。大井川は河原が大きくて、それを眺めているだけでも気分が爽快となって来る。その景観を良質の温泉から眺めることもできて、静養には絶好の場所なのだ。

 今日の予定としては、メインは勿論温泉に入って心身の疲れを取り除くことにある。それをさらに効果的にするためには、当然のことながら入浴後の一杯を予め用意しておくことが大切だし、その際の肴類も考えておく必要がある。というわけで、午前中はちんたらとその準備に取り掛かることにした。

先ずは昨日田原の道の駅で買った茄子を何とかしなければならない。というのも自分は新鮮な野菜と信じて買ったはずなのだが、相棒は首を傾げていた。1袋180円で10個以上も入っているので、喜んでゲットしたのだけど、後でそれを開けて見たら、相棒の予見が当っていたのだった。昨夜の味噌汁の具に3個ほど使ったのだけど、まだ10個以上が残っている。このままだと捨てる運命を辿ることは間違いない。そうさせるわけにはゆかないので、残っている全部を使って茄子の煮びたしを作ることにした。自分はまだ一度も作ったことはなく、相棒に食べさせてもらった記憶もない。我が家では茄子といえば、味噌炒めか焼きナスか、塩もみの漬物かそれとも味噌汁の具かといったところなのである。相棒に聞くのも癪なので、自分でネットでレシピを調べてやってみることにした。何種類かあったけど、一番簡単なものを我流に加工して作ることにした。先ず茄子を半分に切って表側に細かく包丁を入れ、それを鍋に敷いて、あまだれという名のそうめんつゆの様なものをかけ、砂糖を少し入れて水を追加し、それに火を入れて10分ほど煮ることにした。それで終わりである。レシピには茄子の表面を焼くようなことが書いてあったけど、それは面倒なので省略することにした。これで出来上がりである。冷蔵庫に入れるなどはできないので、自然に冷まして食べれば煮びたしらしくなるはずである。ということで一品が完成したのだが、失敗は味付けの方で、たれを入れ過ぎてしまい少々塩辛いものとなってしまった。しかしまあ、酒のさかなとしてはそう悪いものでもないなと思った。

 次はビールの準備である。これは飯高の時よりも安堵感がある。というのは、ここへ来るっ途中にコンビニがあるのを確認しており、どこへ行けばよいのかを知っているからである。しかし、車だと5分もかからないけど、歩けばかなりの距離で時間がかかりそうである。ま、歩き不足の傾向があるので、これは一つ楽しみながら買いに行こうと思った。10時ごろに出かけたのだが、店までは30分ほどかかった。距離にすれば2.5kmほどだろうか。途中は大井川の渓谷に沿った長い上り下りの坂道があり、それでもちゃんと歩道が付いているのがありがたかった。坂の上と思しき辺りに「SLの見える丘公園」というのがあり、そこへ行くと眼下の大井川渓谷の大きな黒っぽい石の河原が展望でき、その端の方に架かる鉄橋が望見できた。SLは1日1往復が普通のようなので、その時以外は見ることはできないのだろうけど、確かにここからだとその雄姿の全体を見ることができるなと思った。道の脇には萩の様な花も咲いており、退屈することはない。折角行ったので、少し多めに飲料を仕入れた。帰りも景観を楽しみながら歩いてきたが、途中車の交通量が多いのには驚かされた。特にダンプの往復が多いのは、走路脇の崖の修復や川砂利の運搬などの仕事が多いからなのかもしれない。11時過ぎ車に戻り、煮びたしを確認したら、かなりそれらしきものになっていたので安堵した。

   

SLの見える丘公園からの大井川の景観。鉄橋の右手にある建物群が川根温泉の施設などである。温泉の露天風呂からSLが通過するのを見ることもできる。

 入浴は午後にすることにして、その後は少し休んで、昼食には奈良の桜井で仕入れたうどんを茹でて、余ってしまった煮びたしの汁を使って食べることにする。この作業の途中に往路のSLがやってくる時間となり、中断してカメラを持って飛び出す。間もなくSLがやって来て、2台のカメラで立ち向かったのだけど、一度にシャッターを切るのは不可能で、結局は合計でも数枚の写真しか取れなかった。小型のデジカメは、画像が見にくく、極めて扱いにくい。欲張っても無駄だというのを思い知らされた。やはりファインダー付きの方がいいなと思った。写真を撮り終えて、うどんを食べて昼食。ついでに一杯やって、先ずは午睡。

 目覚めたのは15時ごろか。復路のSLが来るというので、河原に降りて待ち構えて写真を撮った。今度は初めからカメラは1台だけにしてチャレンジした。納得のゆくよう写真は無理だったけど、それでもSLは写っていたから、まあ、満足することにした。

   

大井川に架かる鉄橋をゆくSLの雄姿。これを見ていると、雄姿というよりもなぜか哀しみのような気持ちとなってしまう。その昔自分たちはこのようなSLに乗るしか通学の手段がなかったのだった。このSLは50数年前の思い出をどのような気持ちで引きずって運んでいるのだろうかと思った。

その後は、相棒と一緒に温泉の受付へ。ここはJAFのカードを示すと料金が1割引きとなるとのこと。50円安くなって450円也である。ありがたい措置である。このことは今回初めて知った。今まで何度か入っており、温泉の質が良いのは承知済みである。ここは100%源泉かけ流しで、湧出温度も50度弱で、理想的な温泉なのだ。サウナなどはなく、6種類ほどの浴槽が思い思いに造られて、温泉を楽しめるようになっている。それらの浴槽の内の5つは露天風呂である。今日は存分に温泉を味わうことにして、その後1時間半ほどを過ごす。途中トラブルもあり、自分よりも高齢の80歳代と思しいご老人が、浴槽の中で眠ってしまってのぼせたらしく、それを覚ますのに担当の係員の方が大わらわだった。それを見ていて、高齢者というのは、入浴を侮ってはいけないなと思った。慎重に自分の体調を考えながら入浴しないと、周囲の大勢の人に迷惑をかけることになってしまう。自分も気をつけなければなと自戒の気持ちを強めたのだった。

 風呂から戻った後は、待望のビアータイムである。煮びたしの他に相棒がビール用にと作ってくれたソーセージとピーマンを炒めたものをメインの肴に大乾杯だった。こんな時自分一人だけでなく、相棒も一緒に飲んでくれるというのは、真にありがたいことではある。分け前が少し少なくなってしまうのが残念だけど、それはまあ、相棒にとっても同じことであるのだから、文句などは言わない。

 とまあ、今日はざっとこのような様子の静養日だった。旅の老人夫婦のどうでもいいような一日を紹介するのは身の恥をさらすような感じがしないでもないのだけど、今の時代は恥をさらすことを職業として稼いでいる人などが増えているようなので、この程度なら恥にはならないのかもしれない。良い場所で、いい暮らしの一日だった。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第15回>

2013-06-06 04:50:01 | くるま旅くらしの話

 【今日(6/6)の予定】 

  道の駅:川根温泉 →(未定)

 【昨日(6月5日)のレポート】   

<行程>

道の駅:田原めっくんはうす →(R259)→ 道の駅:伊良湖クリスタルポルト →(R42)→ 道の駅:あかばねロコステーション →(R42・R1)→(浜松市など通過)→ 道の駅:掛川 →(R1・R473・K64)→ 道の駅:川根温泉(泊) 

<レポート>

 昨日は遅く到着し、ドタバタしながらの就寝だったのだが、存外によく眠れて4時少し前には目覚める。ブログを書こうかなと思い準備をしようと台所の方に行ったら、冷蔵庫の点火スイッチのランプが点滅しているのに気づいた。これはガスが無くなっているのを知らせるもので、そろそろボンベを交換する時期かなと思っていたのが、気づかぬうちに空となってしまっていたのだった。外に出て予備のボンベと交換しようと、調整器をはずして、取り付けようとしたのだが、これがなかなか入らない。いつもスムースに入った試しがないのだけど、それでも10分以内には交換作業を終えていたのだった。ところが今日は真に悪質で、何をどうやっても予備のボンベの口に調整器が入らないのである。止めるわけにはゆかないのだ。ガスを交換しないと冷蔵庫の中のものが使えなくなってしまう。何とかしようと焦れば焦るほど器具の方は空回りばかりしていて、一向に嵌らないのである。およそ1時間近く悪戦苦闘して、ようやく器具を取り付け終えた時はもう夜が明けて空が明るくなっていた。驚くべき事件だった。何故嵌らなかったのか、その原因は未だに判らない。恐らく今度交換しなければならないときも、同じようなことが起きるのかもしれない。このようなことが無いように装備を換えればいいのかもしれないけど、その気にはなれない。また同じことが起きたら、再チャレンジするしかない。朝からカリカリしながら、己の無能さを罵り、呪ったのだった。さすがに相棒もいつもの貶す行為は止め、ちょっぴり慰めのセリフなどをノタマワッテいた。いやはや。

 その後は気を取り直してブログの記事書きに取り組む。発信を終えた時は7時半頃になってしまっていた。ワープロの転換ミスや脱字や「てにおは」の誤りなどがかなり入り交ざっていたのではないか。ま、お許しあれ。朝食の後は、しばらくここで過ごし、野菜や果物などを手に入れることにする。店の開店は9時過ぎなので、それまで雑用をこなす。相棒が片づけを始めると終わりの時間が遅れることになるのだが、今日も少しその傾向があって、店の方へ行った時は9時半を回っていた。メロン、トマトを始め何種類も野菜や果物が店の中に溢れていた。田原という所は、農作物は何でも作れる大変恵まれた土地なのだなと改めて思った。地元の方が自家栽培した野菜の類は、それも皆一袋100円で販売されており、紅甘夏柑などは4個も入っていた。何種類かの野菜を手に入れた。その中に摘果メロンがあり、さっそく皮をむいて漬物を作った。ナスなども多く仕入れたので、この後味噌汁や漬物に使用などと考えている。どうも、このような場所に来ると、旅に出ているのを忘れてしまいそうで、困ったものである。あれこれとドタバタしながら買い物の処理手当てなどをして、一段落した時は11時近くになっていた。もう思い残すこともなさそうなので、これから渥美半島を一回りして、その後は今夜の宿を島田市郊外(大井川上流の茶どころ)の川根という所にある、その名も川根温泉という道の駅にすることに決めて出発する。

 道の駅を出て、先ずは渥美半島の先端にある道の駅:伊良湖クリスタルポルトを目指す。ここは伊良湖岬の先端にあって、鳥羽や知多半島の師崎などへ行くフェリーの発着所に併設されている。クリスタルポルトとは、透明感のある港というようなイメージで名付けたのだろうけど、穏やかな海の光に包まれた港は確かにその名にふさわしい感じがする。30分余りで到着したのだが、今朝のイライラ作業のせいなのかなんだか急に眠くなり、そのまま寝床に直行する。眠くなったら寝るというのがくるま旅の中ではかなり重要なことだと考えており、それは実行するのみ。1時間ほど眠り呆けて、いい気分に戻って目を覚ます。背伸びなどしていると相棒が戻ってきた。駅舎の中は観光バスでやってきた団体さんで賑わっていた。我々と同世代の人たちばかりで、駅舎の2階にあるレストランが昼食の会場になっているらしく、続々とエスカレーターを上がって行った。毎度のことながら団体の観光客の皆さんのパワーには圧倒される。これからどんなご馳走が出るのか、今が一番楽しみな時間なのかもしれない。我々の昼食といえば、自分は田原の道の駅で買ってきた紅甘夏柑とトマトだけである。相棒が何を食べているのかよく解らない。お互いに時々いい加減な食事で済ませてしまっている。

 次は赤羽という所にある道の駅:あかばねロコステーションというのを目指す。ここは比較的新しくオープンした道の駅で、我々には初めての訪問だった。その近くは何度も通っているはずなのだが、どんな所だったのかと思いながらの到着だった。行ってみると、そこは赤羽港の近くに作られていた。赤羽港というのがあることも知らなかったので、驚いたのだったが、道の駅に隣接して大きな広場の様なものがあり、近くの砂浜ではサーフィンなどができるようである。道の駅には、山海の多種多数の産物が並べられ、販売されていた。田原の道の駅には海産物は少なかったけど、ここにはシラスや干物など魅力的なものが並んでいた。農作物はラベルに田原産と書かれたものが多かった。スイートコーンの葉付きのものがあったので、何袋かを買い入れた。相棒はシラスなども手に入れていたようだった。買い物にも満足して、今日の宿の川根温泉を目指すことにした。

 川根温泉までは赤羽からは120kmほどの距離である。行って泊るだけの予定なので、夕方までに着けばいいという考えである。赤羽の道の駅を出た後は、R42をそのまま直進して、30kmほど行って、R1のバイパスに入る。そこから先は島田までひたすら道なりを走るだけだった。R1の大半はバイパスとなっており、そこでの走行は高速道波である。以前は所々渋滞があって、なんだか不満な気分になることが多かったのだが、今頃は各地の工事などが一段落したのか、渋滞は一か所だけでそれも10分ほどで解消したのはありがたかった。急いでいるわけではないのに、渋滞に巻き込まれるとうんざりするのは、これはもう人間の本性なのかもしれない。浜名湖に架かる大橋を渡って、磐田を通り過ぎ、島田の手前の掛川に道の駅があるので、そこに寄ってしばらく休憩する。この道の駅もなかなか活性化しており、魅力的な商品が多いのだけど、先ほどの渥美半島内でほとんど調達済みなので、店内を一回りするだけだった。掛川を出た後は、少し走って島田エリアに入り、大井川に沿って走るR473に左折して入る。本当はこの道を行くよりも川の反対側を走っているK64を行く方がいいのだけど、ナビ任せにすることにした。R473はかなりの数値の大きな番号で、このような道は国道といえども山の中の細道となっていて、離合も危ぶまれるようなケースもあるので、要注意なのである。しかし、この道は何度か通ったことがあり、相当に高い山の中腹から大井川を見下ろすことにはなるけど、そちらの方を見ないようにして走れば、高所恐怖の感覚も目覚めないと思っての走りだった。しばらく走って、川原近くに降りて、道は間もなくR64に出合った。これを右折して下流方向にしばらく走ると道横に道の駅:川根温泉の標示案内板が見えた。16時50分到着。予想よりもかなり早い到着となった。

 川根温泉は我々の気にいっている温泉の一つである。温泉は本物だし、湯の楽しませ方もいい。それに近くを走る大井川鉄道は、SLの運行で名を知られており、その撮影にも格好の場所だ。今日もかなりの車が駐車場を埋めていた。我々はここに今日と明日の二日間錨を下ろすつもりでいる。自分は昨日入浴済みなので、今日は休んで明日温泉を楽しむことにしたのだが、相棒は昨日はあまり満足しなかったようで、今日も明日も入るのだと張り切って、温泉に出かけて行った。そのあと、TVの設定をしようと、BSアンテナの位置合わせをしたのだが、これがどうしてもうまくゆかず諦める。山に囲まれた場所なので、地デジの方は無理だろうと思いながら試しにチャレンジしてみたら、何と昨日の田原の道の駅よりも安定した画像を得ることができたのだった。何処かに中継用のアンテナなどが作られているのかもしれない。久しぶりに19時のニュースを見ながらの夕食だった。しかし、その後はいつもと同じように早めの就寝となる。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第14回>

2013-06-05 07:25:16 | くるま旅くらしの話

【今日(6/5)の予定】 

  道の駅:田原めっくんはうす →(R259・R42)→ 道の駅:  →(R42・R1)→(浜松市他通過)→(R1・R473)→ 道の駅:川根温泉

 【昨日(6月4日)のレポート】   

<行程>

刈谷ハイウエイオアシス →(湾岸道)→ 豊田南IC →(R155・R247)→ 常滑焼卸団地 → 常滑陶磁器会館 →(常滑やきもの散歩道散策)→(R247)→ 知多半島一周 →(R247他)→ 西尾市内・入浴施設 →(R23他・R259)→ 道の駅:田原めっくんはうす(泊) 

 <レポート>

 昨日は思わぬ二人の気まぐれから、早々に先に行くのを取りやめ、ハイウエイオアシスとも呼ばれる刈谷のSAに泊ることとなったが、覚悟していたとはいえ、夜間のトラックのエンジンの振りまく騒音には閉口した。以前よりは大分に音の量も質も少なくなって改善されてはいるけど、すぐ隣に突然やって来て、長時間ガナリ続けられると、いったん目が覚めてしまったらもう一度眠るのは相当に困難だ。なるべくトラックの来ないような場所を選んだつもりなのだが、その魔手を逃れることはできなかった。それでも十二分に眠りを獲得しているので、頭の重さなどはない。

 今日はいよいよ知多半島を巡る日である。日本には数多くの半島や岬が存在するけど、大きい半島の殆どは訪ね終わっていると思っている。ところが愛知県は名古屋の近郊の知多半島にだけはまだ行ったことがなかった。この半島の東側の渥美半島には何度も行っており、おいしい野菜や果物類が豊かに稔る地であることを承知している。今回も知多半島の後はぜひ訪ねたいと思っている。知多半島といえば、常滑焼のある所。常滑焼といえば急須、ということくらいしか知らず、まだ実際に訪ねたこともない。先日TVを見ていたら、日間賀島や篠島などのことが紹介されていて、それを見ていてぜひ一度は行って見たいなと思ったのだった。知多半島は名古屋に近く、つい通過してしまって、くるま旅の対象から置き去りにしてしまいがちな場所のようだ。全国くまなく旅をしようなどとは思っていないけど、置き去りにしている重要な場所があってはならないとは思っている。知多半島がその一つであることは間違いない。どんなことになるのか楽しみである。

 今日はいい天気だ。朝から青空が広がり、梅雨に入っているのを忘れさせるほどである。そういえば、梅雨入り宣言を聞いて以降一度も雨が降っていない。今年も番狂わせの異常気象となりはせぬかと心配である。ま、とにかく旅の間は、なるべく晴れて頂くに越したことはない。出発準備を終えて、8時半過ぎ常滑方面へ向かう。伊勢湾岸道からは、すぐに次の豊田南ICで降りて、その後は一般道を行くのだが、この辺りの道は地図を見ても複雑過ぎて、どの道をどう行ったらいいのかが極めて解りにくい。とにかくナビ任せとすることにした。このナビも少し古いので、新しい道に出くわすと怪しげな案内となる。持参している地図は15年も前のものなので、ナビとはいい勝負なのかもしれない。ま、どんなに迷っても海外に行ってしまうことはないので、その点は心配ない。と、まあ、そんな心境での進行だった。

 知立から東海、そして常滑の案内板が見えてきた。合併で新しい名称となった地域は、高齢者には何とも分かりにくい土地である。今回は合併前の旧称の書いてある資料を持参しなかったので、地名が新しいのか古いのかも良く解らない。R155はバイパスの部分が多くて、高速道並みの走り易さだった。順調な流れのまま常滑の市街地近くになった。何かしら焼き物の案内板や店などがあるのではないかと期待して行ったのだが、すぐに焼き物卸団地という案内板が目に入り、真っ先にそこへ行って見ることにした。9時半くらいだったので、まだ店は開いていないのが殆どだった。そこは街中からは少し離れた場所に新しく造られた施設の様で、焼き物を作る窯などはなく、製品の流通基地の様な感じの施設だった。卸だけではなく、幾つかの小売りの店も並んでいた。何しろ初めて来る場所であり、名前につられてやってきただけという訪問なのである。常滑焼といえば朱泥の急須のイメージが強くて、その他にどのような焼き物の製品があるのかさっぱりわからない。卸団地の店の内外を覗いて判ったのは、やはり急須が一番有名の様で、その他は比較的大型の壺や鉢類、それに目を惹いたのは招き猫や蛙などの置物の類だった。庶民の暮らしに密着して使われるようなものが多いのは、どこの焼き物の町に行っても同じであるのは当然なのかもしれない。折角来たのだからと、ポケットマネーを叩いて急須と酒の徳利を買う。相棒は慎重のようだった。店の人に常滑の街の様子を教えて頂き、陶磁器会館というのがあり、そこの駐車場に車を置いて、散策のコースがあるので歩いて見てはと勧められた。さっそく行って見ることにした。

 陶磁器会館が見つからなくて、二度ほど同じ道を通ったりしてイライラした後、ようやく見つけて車を止める。絵図の様な案内図というのは、毎度のことながら自分の都合のいいように考えて見てしまうので、戸惑うことが多い。辿り着いてみると、なあんだということなのだが、迷っている間は呪いの言葉ばかりである。陶磁器会館の駐車場は、土・日休日は有料らしいけど、今日は平日で無料、ラッキーだった。その後は、3時間余り焼き物関係の建物や店などが点在する「常滑やきもの散歩道」というのをじっくり歩いて回った。

 常滑の街は海に近く、平地が多いようだけど、その昔からの焼き物の生産工場(=窯)のあったのは、小高い丘のような場所で、そのあまり広くないエリア一帯に幾つもの窯が点在していた。それらは細い道でつながっており、家々もその道の脇に密集して建てられている感じがした。散歩道はそれらの生活の道であり、うっかりすると袋小路に行き当ってしまいそうな道ばかりだった。それは尾道の崖の様な場所に密集する家々の中を縫う細道を思い出させたり、長崎の同じような風景を思い出させる景観だった。違うといえば、勿論ここは古くからの焼き物の街であり、道脇の家々の壁や道路わきの石垣などの場所が、壺や土管などの焼き物の残物(?)などできれいに整備されていることである。これは備前焼の町にも通じる景観だった。幾つかの現役の窯もあるようだったが、その規模はあまり大きくはないようだ。50年くらい前までは現役だったらしい巨大な登り窯があったが、今まで見たこともないようなズングリムックリのスタイルで、何本もの煙突を立ち並べていたのには驚かされた。土地々々によって、使われる窯の形も変わってくるのだなと思った。作品や製品を販売している店も幾つかあり、その中のノベリティ(=記念贈答品?)用の小物を製作販売しているお店があり、店内にたくさんの可愛い小動物や人形などが並んでいた。相棒はその店で鉢受けなどに使える小さな皿を買っていた。何やらのお土産にするのだとかで、多量に買い入れていたので、他のお客さんからは仕入れに来ていたと勘違いされていた。自分はその後この荷物の運搬役を仰せつかり、熱暑の中の細道を30分以上も歩かされたのだった。

   

土管と甕の埋め込まれた塀が続く、常滑やきもの散歩道の景観。このような風景が随所に見られた。

 一旦車に戻り、一息入れる。既に12時を回っており、昼食の時刻となっていた。まだ、この街の観光名所となりつつある「とこなめ招き猫通り」というのを見ていない。卸団地の方から聞いた話では、陶芸作家の方たちが作られた招き猫の作品が並んでいるとのことだった。これは一見に値するものだなと思っていたので、昼食を兼ねてそれらを見ることにして出発する。陶磁器会館から町の中心街に向かう道を少し歩くと、道の左側がコンクリートの壁になっており、その壁に幾つもの招き猫たちが、思い思いの姿スタイルで、我々を迎えてくれた。作品の一つ一つに、そのテーマと作者の名前が紹介されており、それらの焼き物の焼き方なども皆一工夫あって、面白い。それらの全作品を一個ずつカメラに収めた。全部で40作品が展示されていた。この後もこのようなアイデアを広げて頂いたらいいなと思った。

   

常滑市・まねき猫通りの景観・どれも個性的な猫たちであり、ぼけ封じやガン封じなど、生活のあらゆる部分からのテーマで猫君たちが、我々に幸運を招こうと頑張ってくれていた。

 その後、なぜかやきもの散歩道の中にあるうなぎ屋さんに入ることになり、久しぶりでうなぎ一匹丼というのを食して、旅の英気を養う。満腹になって満足して車に戻り、14時ごろ南知多方面に向かって出発する。この先のことは常滑以上に全く何があるのかもわからない。先日家族に乾杯の番組で、鶴瓶さんが半島の先にある日間賀島などを訪ねていたのを見て、時間があればちょっと船に乗るのもいいかなと思っているくらいである。また、泊りに向いた場所があれば、一泊してもいいかななどとも考えている。

 ということで、南知多町の方を目指したのだった。先ずは相棒が郵便局に用があるというので、それを探しながら走っていると、美浜町という所に見つけて用を済ます。その後はひたすらに走り続けて、南知多町の師崎という所に着く。ここは日間賀島の方へ行くフェリーの乗船場のある所である。ここまで来る途中で気付いたのだが、この辺りは完全に観光化されており、民宿レベル以上の観光ホテルやリゾートマンションなども多いのだ。30階建以上の高さの建物もあり、驚かされた。これじゃあ、ゆっくり車を停めて昼寝するようなことは無理だろうと思った。その予感は的中して、師崎のフェリー乗り場は超混雑しており、車をちょっと停めてフェリー乗り場の様子を伺うことすら無理だった。かろうじて一方通行の車通りを一回りして元のR247に出て、半田市方面に向かう。今日は知多半島をぐるっと素通りしての下見の様な按配となった。

 ダメ元のつもりでやって来ているので、文句はない。今日の宿をどうするかは未だ決めていないのだけど、その前に風呂に入りたいので、温泉博士に載っている西尾市内にある「6・4の湯」という所へ行って見ることにした。半田市辺りからは中京工業地帯に入るのか、所々に発電所の高炉煙突や怪しげな煙を吐き出している工場などが多くなってきた。これらの煤煙に弱い相棒はハンカチの上にマスクを掛けて超用心の対策を講じていた。16時過ぎ迷いに迷って、ようやくその浴場を探し当てた。ナビならば電話番号が判れば、一発でガイドしてくれるはずなのに、我が車のナビは、電話番号検索の機能は付いているのに、かつて一度も電話番号で行く先を示したことはない。地図は古いし、車を停めてネットを見るのは面倒だし。さりとて、住所が判っているのに、ギブアップするのは癪だし、と頭の中は惑乱する。しかし、試行錯誤で走り回っている内に、何とか地名を探り当て、目的地にたどり着くというのだから、考えようによっては、これはバカみたいに面白い。とまあ、ようやく入浴の願いは達成されたのだった。

 時刻は18時近くになっており、ここからは比較的近くにある道の駅:筆柿の里・幸田というのに御厄介になろうと出発する。ところがここはナビの道の駅には登録されておらず、とにかくR23を目指せばいいと、その方向に車を走らせたのだが、探し当てたR23は高架の上を走っていて、入口が判らない。ようやくそれが判った時は既に18時半近くになっていた。R23の岡崎バイパスは、高速並みの自動車専用道路である。あっという間に道の駅に着くはずだったのだが、何と道の駅は通行方向の反対側に造られているのである。これだと、一旦降りて、反対側の入口を探さなければならない。如何にも面倒くさいし、それに見た感じでは高速道のPAのような状態で、トラックも多数停まっていた。これじゃあ、安眠は無理だなと思った。それで、少し遠くなるけど、何回か泊っている豊橋の先の渥美半島の中にある道の駅:田原めっくんはうすまで行くことに即断する。この道の駅はナビにも登録されており、予定では19時半ごろの到着と表示された。

 その後はナビの指示に従って、ひたすらにR23を走り続け、豊橋郊外からR259に入り、19時半過ぎ無事目的の道の駅に着く。今回の旅の中では最も遅い到着時刻となった。とにかく寝るのが肝心。TVは止めて、軽い食事の後は直ぐに寝床にもぐりこむ。 

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第13回>

2013-06-04 03:25:01 | くるま旅くらしの話

 【今日(6/4)の予定】 

  刈谷ハイウエイオアシス → 知多半島方面(詳細未定)

 【昨日(6月3日)のレポート】   

<行程>

道の駅:伊勢志摩 →(R167・K32・R23)→ 伊勢神宮(内宮)駐車場(神宮参拝他) →(R23)→ <松阪市・津市・四日市市通過> → みえ川越IC(伊勢湾岸自動車道)→ 刈谷ハイウエイオアシス(泊) 

 <レポート>

 早朝5時過ぎに出発準備を終えて伊勢神宮(内宮)の駐車場に向かう。伊勢志摩の道の駅は、名称ほどの立派さはなく、山の中に造られた競馬の場外馬券売り場の脇に、付属物のような形で存在している。売店には当地の産物なども並んではいるけど、店が閉まれば何もない。賑やかに動き回っているのは、子育て最中のツバメ君たちだけで、トイレの付近には何と20個以上もの巣が並んでいた。出発の前にトイレの処理と少々水を汲む。

 途中の道は存外に走っている車が何台もあって、皆さん伊勢の町に仕事や御用で向かっている感じだった。5時半過ぎ内宮前の駐車場に到着。さすがに先着の車は数台ほどで、我々もいいスペースを確保することができた。但し、駐車料の仕組みが少し変わったような気がした。1時間は無料だけど、2時間までが500円で、それ以降は30分ごとに100円が加算されるという。この分だと、伊勢うどんなどを食べようと12時近くまで滞在すると、結構な高額の駐車料となってしまいそうだ。しかし、ま、我慢するしかない。軽く朝食を済ませて、先ずは早朝の参拝に出向く。

     

伊勢神宮(内宮)の入口の鳥居。普通はこの反対側から撮るのだと思うけど、この写真は振り返って撮ったもの。6時前の駐車場には車も少ない。

 まだ6時を少し過ぎたばかりなのだが、もう何人もの人が参拝に訪れていた。団体さんも混ざっており、この神様の人気は相変わらずのようだ。いつも参拝する所定の道を行くのは止め、五十鈴川に寄ったりしながら、原生林と思しき森の空気を存分に深呼吸しながら正宮に着く。今年の秋には式年遷宮が行われとのことで、囲いの向こうに新しく建てられたと思しき何棟かの神殿の一部が見えた。いつもそうなのだけどここの正宮とかいう御宮の建物は、見えないように囲われていて、一般の人々を拒絶しているかのようだ。新しい建物の屋根の一部くらいは見えるのだけど、全体の姿はさっぱり判らない。以前の古い建物の時もそのような扱いだった。また、石段の上に賽銭を受ける白い布の箱が置かれて、そこで拝礼するようになっているのだけど、目の前はただの板塀の門があるだけで、およそ拝殿らしくない扱いである。このような扱いは、真に以って神様らしからぬ所業ではないかと思った。お賽銭だけ置いて行けというのならば、○○と変わらぬ所業ではないか。

 石段の上では写真を撮ってはならぬということで、見張りの門番の様な人が立っていた。何故撮影禁止なのかも解せない。からかい半分に、敢えて撮影禁止と書かれた板を撮影しようとしたら、たちまち注意されてしまった。癪に障るので、「どうして撮影してはいけないのか?」とその人に聞くと、神様に迷惑をかけるから、などというような説明をしていた。「神様というのは、写真を撮ってはだめだなどというような、そんな細かいことなんか言わないんじゃないの?」というと、その人は、自分も良くは解らないなどと戸惑いながら答えていた。それ以上訊くのは気の毒なので止めにしたが、どうもすっきりしない気持ちだ。拝殿にも寄せ付けずに門外で賽銭だけおいて拝んでいけ、というのは、理不尽なこと夥しい。

    

正宮に向かう石段。ここから先は撮影禁止だという。それで、この石段を撮影限界石段と呼ぶことにした。奥の方に遥拝所の門がある。この先はどうなっているのか、神様のことは秘密らしい。怪しげな神宮人の世界のようだ。

それで思ったのは、もしかしたら本当は伊勢の天照大神はこの地には居られないのではないかということだった。こんなに窮屈に勿体ぶった扱いをするのは、まさに人間どもの所業であり、あきれ返って元の住まいの宮津の籠(この)神社や、或いは大和の檜原神社などへ還ってしまっておられるのではないか。なんだか人間どもが神様をダシ使っての、奢りの様なものが感ぜられて、がっかりした。折角参拝しながら、このようなけしからぬ不敬のコメントを書くのは如何なものかとは思ったけど、人間どもの勿体ぶった思い上がりにはどうも腹の虫が静かにしていないので困る。結局参拝したとはいえ、所定の拝礼などしていないので、参拝にはならないのかもしれない。素直な気持ちにさせないのは、神様を取り巻いている人間どもの思い上がりのせいなのだ。ま、そのようなことをノタマワッテいる奴もまた思い上がっているのかもしれない。一言さんの方がずっと親近感を覚えるのは、自分だけではないのではないか。

   

伊勢神宮に来て、何よりも、どこよりも神の存在を覚えるのは、この原生林である。この中に入ってみたいとは思わないけど、すぐ傍に往古から息づく森の世界があるのは、なんとも心休まるものだ。神は社の中ではなく、この森の中に鎮座されているに違いない。

 その後は車に戻ってしばらく一休みする。近くにおかげ横丁などの門前の繁華街があるけど、なんだかめんどうくさくなって、行くのは止める。おかげ横丁で思うのは、江戸の末期辺りに、おかげ参りという名のお伊勢参りが大流行したという話。これはどうやら庶民たちの、時代の閉塞感に対するうっぷん晴らしの様相を呈していたと聞いているけど、その根っこにあるのは信仰心などではなく、やけくそ的な反発心だったのではないか。彼らの目的は伊勢の天照大神に対する敬虔な信仰心などではなく、その膝元の門前町などで明日を忘れてのバカ騒ぎを享受することにあったように思えるのである。人間の所業というのは、本来そのようなインチキが多くて、そのインチキ行為が実は本物であることが多いのだ。70余年もの間、人間というのをやっていて、自分は今頃そのように思っている。だから、撮影禁止だの何だのと神様を勿体ぶる所業に固まった世界は本物ではないと思うのである。ま、これ以上批判するとトバッチリを受けることになりそうなので、止めておきましょう。でも念のためにお断りしておきますが、自分は神様の存在を疑ってはいないし、どこの神社へ行っても二礼・二拍・一礼の拝礼は欠かしてはいないのですぞ。

 その後8時半過ぎに相棒が戻って来るまでの間、ブログを書いたりして過ごす。まだ商店街も開いてはおらず、相棒は一体どこを歩いているのだろうと、不思議に思ったのだが、戻って来ての話では、目的だった布地を扱うお店だけが開いていたそうで、何やら買い入れてきたようだった。また、伊勢の名物赤福だけは売っている店があったそうで、これもしっかり手に入れてきた。お湯を沸かし、お茶を淹れてさっそく赤福を賞味する。甘いものは得意ではないのだけど、なぜかこのあんころ餅だけは抵抗がない。神様の面倒見の連中よりもこの赤福の方がよほどに信用がおける。(しかし、何年か前はこの赤福でさえも世の中を裏切ったことがあり、やはり同類なのかもしれない。ま、そんなものでありましょ)

 9時近くになり、店が開くまで待っていると、かなりの駐車料金となりそうなので、特に自分は買うものもないし、相棒は用が済んだことだし、うどんを食べるために待っているのはアホらしいと考え、おさらばすることにした。自分の計算では駐車料金は900円となるはずだったが、実際に支払おうとすると、メーターは400円を要求していた。どうもよく解らない。書いてあるのと実際との食い違いは何故なのか解せないのである。しかしまあ、予想の半額以下だったので、神様の取り巻き連中に対するうっ憤が少し緩和された気分になった。全く、我ながらあきれ返る心模様である。

 今日の予定は、伊勢神宮の後は、知多半島をのんびり訪ねまわることにしているのだけど、実のところ具体的な内容は何もないのである。つまり、行き当たりばったりに、まだ一度も行ったことのないエリアを回ってみたいという思いだけなのだ。それほど急ぐこともないので、高速道を使うのは止め、R23をどこまでも行って、知多半島の突端辺りで泊れる場所を探してみようと思っての出発だった。R23は伊勢から松阪・津・鈴鹿・四日市などを通過して名古屋の港よりを通る東海の大動脈の一つである。伊勢から先鈴鹿辺りまでは順調な流れで、ドライブ気分だったのだが、鈴鹿で給油をして、その後四日市に入ると途端に渋滞が始まった。ナビの常滑への到着予定時刻はどんどん遅れて、ついに最初の設定の1時間近くも遅れる表示となっていた。ここを通る時はいつも渋滞に巻き込まれることは重々承知してはいたのだが、これほどひどいとは想像できなかった。1kmを進むのに30分もかかるという塩梅だった。後で知ったのだがこの渋滞エリアの中で事故を起こして停まっている車があったのだという。真にけしからん奴だと思った。事故現場にトラックと乗用車が停まっているのを見たけど、罵倒したい気分しかなかった。

 この大渋滞に巻き込まれて、もはやそのままR23を進む気がしなくなり、みえ川越ICから伊勢湾岸道に入る。名古屋市内の渋滞を避けるにはこの道を行くのが一番である。今までの渋滞が、あれはなんだったのかと思えるほど、車らしい走りを実感することができた。本来は知多の方に行くのなら大府ICで降りるのだけど、昼食を少し先の刈谷ハイウエイオアシスで食べることにして、遠回りのコースを選んだ。13時少し前到着。ここのSAはハイウエイオアシスと呼ばれ、一般道と共通の休憩施設が設けられており、遊園地や入浴施設なども備えている。また、施設内の売店では、名古屋の名物のえびせんべいの専門店などもあり、我々も何度か泊ったりして利用させてもらっている。今日は平日だけど、かなりの賑わいで、駐車場も混んでいた。

 売店棟の中にある食堂で何か食べるのかなと相棒の後をついて行ったら、食べないという。昨日買っている伊勢うどんを作ってくれというので、ついて回るのは止め、車に戻って調理に入る。といってもお湯を沸かし、うどんを温めて昨日の残りの天ぷらを敷いて、タレをかけるだけの話。伊勢市内のあのとぐろを巻いたうどんには及ばないけど、それでもマアマアの味だった。相棒が買ってきた餃子とシュウマイを追加して平らげ、これで昼食は終わり。この時の話で、ついでに今日の旅もここで終わりにすることになった。というのも、先ほどの超渋滞の疲れがどっと出て、運転者も同乗者も、このあと先を急ぐ気力を失った感じなのだ。知多半島の探訪は明日にして、今日はここでゆっくり休むことにしようとなったのである。

 その後は、二人とも午睡を貪る。昼食を摂っている頃から天気が回復し出して、暑くなり出していた。この後は電気の心配はなさそうなので、昼寝をして果報を待っていても大丈夫だという判断である。SAの外のエリアへも歩いて出て行けるので、このような場所で気ままに時間を消化するのも面白いと思った次第。夕刻近くに起き出して、付近をしばらくぶらついて夜が来るのを待ったのだった。久しぶりに夜はTVなどを見て普通の生活となった。今日は予定外の、大番外の日となった。

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