山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

常総市の公害大火災に思う

2019-05-20 20:17:58 | 宵宵妄話

 先週火曜日(5/14)郷里の常陸大宮市にある実家の畑の草刈りに出掛けたのだが、その帰りに久しぶりに喜連川の温泉に浸ってゆこうと一晩寄り道をして泊っての帰り、間もなく家に着くなと思いながら下妻市から常総市の石下近くまで来た時、何やら前方右の方に穏やかならぬ黒煙が空に向かって吹き上げ膨らんで立ち上るのが見えたので驚いた。火事なのかもしれないと思ったが、あの煙の様子だと尋常の火事ではなさそうだなと思った。しばらく走って常総市内に入ると、その煙はどうやら市内の西部郊外の辺りらしいことが判った。黒煙はますます勢いを強めて空を汚し始めていた。

 帰宅して火事のことを家内に訊いたら、TVでもニュースになっているとのことだった。どうやら家電などの廃材置き場からの出火ということだった。どうしてそのような所が火事になるのか、少し訝しさを感じながらも、これはやはり尋常な火事ではないなと思った。恐らく消火も簡単なことではなかろうと思った。

 この火事はその後益々勢いを増し、延々と4日間も燃え続けたのである。毎朝散歩を楽しみにしているのだが、いつもなら小貝川の土手を歩く時は穏やかな空に僅かな雲が浮いているだけで、土手の竹藪や樹木の茂みではウグイスやコジュケイたちが賑やかに春を囀(さえず)っているのに、この日は空にとぐろを巻いた黒雲が立ち込め、それが常総市街一帯に覆いかぶさって広がっているのが見え、小鳥たちの囀りも心なしかいつもの開放感が見られない感じがした。翌日もまた黒雲は一向に消えることなく、空の状況は一層険悪となっているようだった。

 このような景色を眺めながら歩いていると、4年前の鬼怒川の氾濫で大水害を喰らってさんざ痛めつけられた常総市が、今度は自然作用ではなく人災による悪質な災害に見舞われ、何だか自らの首を絞めている感じがして、この街はこのところ厄の歳回りに入り込んでいるのではないかという思いがして来た。良い話よりも悪い話で全国に名を馳せるというのは、厄の巡り合わせというしかない。

 その真因は何なのか? 火災をひき起こした業者の責任意識のずさんさが問題となるのは当然だが、市の、県の、国の行政の弛(たる)みはなかったのか。いろいろな面で問われるべき問題が山積している様に思う。報道ではそれらについて幾つかの問題点が掲げられており、今後再発防止に向けて、何らかの手が打たれてゆくのであろう。

 ところで、今回の公害大火災について自分が改めて思ったのは、人間という生き物が己たちの暮らしの利便追求のために行って来ている成果の反対の側面、即ち負の部分への対応の欠損という問題である。人は常に暮らしの利便性の向上を希求し、それを数多く実現して来ているのだけど、その結果もたらされる負の部分への対応がぞんざいになっているのではないか。その問題点は世界中で幾つも指摘されているのだが、どの国もどの企業もそして又消費者も本気になって取り組むことをしていないようだ。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが人間社会の経済的な循環の根底に潜んでいる。

 例えば、原発の負の部分が如何に大きな脅威をもたらすかを知っていても、当面の安価な電力を調達するためには稼働は不可欠だという考えなどその代表的なものであろう。プラスチックが世界の海を汚染し、それがやがて人間の身体に悪影響を及ぼすという理屈は知っていても、プラスチックを生活用材から外すことなど到底できるわけがないという生産・販売体制がつくり上げられている。人々は日常の暮らしの中で何の問題意識も覚えないまま、プラスチック用材に包まれた食品を買い、消費してゴミとして捨てて行く。この無数の繰り返しは、人の生きている現実そのものであり、これを改めることはもはや不可能なのであろう。そう思ってしまうと、これはもう為るようにしかならないのではないか。つまりは行き着く先は人類の滅亡ということになってしまう。

 話が大げさになってしまったが、常総市の今回の公害大火災も又人間の利便性追求の負の部分に大きく係わっていると思う。家電製品の廃棄物等がうず高く積み上げられていた、その高さがルールに違反していたという指摘があるけど、そのルールを1センチ下回っていたなら、それで消火は可能だったのかといえば、恐らくそうだとは断言できないのではないか。火災の問題だけを考えると改善すべき点は幾つか見出されるのだと思うが、もっと大切なのは、いわゆるゴミとなった使用済・消費済みの物質に対する抜本的な対応の仕組みではないかと思えてならない。

 原発事故などの特別なケースを除いて、この負の遺産に対する対応は殆どが自治体や民間の業者に付託されている。ゴミ処理という呼ばれる重大な施策も自治体任せだし、今回の公害火災を惹起した常総の業者は民間であった。それらが世の中で上手く回っているのであれば、懸念は少ないのだが、多くの場合、これら負の遺産に関わる事業は敬遠され、それ故に不完全なままに処理されてしまう危険性が高いのではないか。

 思うにこれら負の遺産に含まれる全ての事業は、国家プロジェクトとして取り組むべきものではないか。ゴミ処理が各市町村で区々の対応となっているのは間違っているのではないか。産廃対応が業者任せとなっているのも間違いではないか。そのように思えてならない。人類の負の遺産の中に、やがて人類の生存を脅かす危険性が幾つも潜んでいるのだとすれば、これはもう個人や団体任せの発想では対処できないのではないかと思うのである。

 負の遺産は、これからの人間社会を次第に歪めて行くに違いない。現在問題とされる負の遺産は、その多くが地球環境や人体に及ぼす悪影響に対してであり、物理的な側面だけが対象となっているけど、現在の情報機器の異常な進化・発展は、やがては人類の精神的な面でも数多くの問題を生み出すに違いない。今まで何千年もかけて人類が培ってきた人間としての倫理といったものが破壊され、その結果人類がより下等な生き物になり下がるなどということがなければいいがと、この頃は至る所でスマホなどに囚われ続けて動いている人たちを見る度にそう思うのである。

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10連休の仕事

2019-05-06 11:12:39 | その他

 昨日で長い長~い連休が終わった。令和の時代も一週間を迎えようとしている。過ぎてみれば時間の経つのは何と速いことか。馬齢を重ねるにつれて時の流れが加速化してゆくのはなぜなのか。そのようなことを思いながら今日を迎えている。

 さて、この連休は自治会の仕事も休みとなったので、少し自分のことをしようと考え、去年から気になっていた一冊の本をつくることにした。昨年の初め頃、某出版社の無料出版作品募集に応募して見事に外れた作品があり、それをパソコンの中に仕舞っておくだけではつまらないと考え、この際自分で本をつくって見ることにした次第である。

自分は、今まで旅を終える度にその記録を冊子として残しておくようにしており、既にその冊子は30冊を超えているので、簡単な本を作る自信は多少あるのである。本格的な本と言えるレベルではないのだけど、それでも思いを形に表して見ることで次に進める感じがしたのである。

その本というのは「くるま旅で人生の宝もの探しを」という題で、サブタイトルとして「我が人生の宝もの探し」と名づけることにした。20年近くくるま旅をして来ているのだが、この辺りで一区切りして、くるま旅が自分にとってどのようなものだったのかを確認してみたいと思ったのである。結論からいえば、それは「人生の宝もの探し」だったということになる。

人は誰でも宝物を保持していると思う。宝ものとは自分が生きて行くのを支えてくれる力の源泉となっている様々な出来事、出会いである。この世に生まれ出でて以降、人は誰でも数多くの宝ものに支えられながら成長し、自分という生き物を育てて来たのである。宝ものを失ったら、人は生きる力を弱めてしまうし、新しい宝ものを手に入れれば、新たな活力を増すことができるのである。

老人となって思うのは、その人生の宝ものというのは、例えば仕事の世界をリタイアしたりすると、次第に新しい宝もの探しから遠ざかることになり、既存の宝ものの持つ力が弱まり出すということなのだ。つまり、出会いや出来事への係わりのチャンスが少なくなってゆくということである。内に籠り平穏な暮らしばかりを味わっていると、人の感性は弱まり、心身の活力が失われてゆく様に思えるのである。

これを脱却する方法は幾つもあるのだと思うけど、とにかく何らかの目的を持って、その実現に打ち込むということが大事ではないか。それはその人自身が見出し、取り組めばいいことなのだから、とやかく言うことではないのだが、自分の場合はくるま旅こそが宝もの探しの最上の方法だと思っている。

旅はそれが車であっても無くても、非日常の世界に飛び込むことで様々な出会いやできごとに満ちている。否応なしに刺激の世界を味わうことになる。だから感性は動き出し、心に活力がもたらされるのである。これは老を重ねるほどに必要な取り組みではないか、そう思っている。

今回の本は、そのような自分の思いを伝えておきたいと考え作ったものである。内容としてはくるま旅が人生の宝もの探しのツールとして優れているという理屈と、それから自分自身が宝ものと考えている旅で拾ったエッセーを何篇か披歴することにした。北海道から九州までの各地で出会った出来事などを16篇取り上げて書いてみたのだが、まだまだ紹介しなければならないものが数多く残っている。これらはいずれ別の形でまとめてみたいと思っている。

本の出来は正直あまり良いとは言えない。原稿をA5サイズで書いてしまったので、それをB5に拡大して印刷したら、いつもと少し違う感じの出来上がりとなってしまった。取り敢えず30部作ったのだが、さて、どなたに贈ればいいのか少し迷っている。販売できるレベルではないし、読んでもらえればそれでいいと思っている。とにかく丸3日かけてつくり上げることができホッとしている。

 

どうにか出来上がった本の表紙。部屋が暗くて画像が不良である。

 

 

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令和という時代

2019-05-02 04:35:10 | 宵宵妄話

 令和という時代が始まって二日目を迎えている。新しい時代という気分を味わいたいと浮かれている向きもあるようで、TVなどを見ていると、何だかめでたい気分になってしまう。これは、やはり平成という時代を乗り越えて来られて上皇となられた方の、人間性の素晴らしさと、それを受け継がれた新天皇への期待の大きさがそう思わせて下さるからなのかもしれない。新天皇も又優れた人間性の保持者であり、この国のシンボルとして神代から続く日本国をしっかり守って下さるに違いない。世界唯一の天皇制という不思議なこの国の求心力は、不動のものであることを改めて実感した二日間だった。

 さて、この令和という時代は一体どんな時代となるのだろうか。天皇家の動向はさておき、昭和、平成と生きて来た自分にとっては、昭和の激動の時代を経て平成は一見平和に包まれていように見えるけど、まるで人間たちの横暴に立ち向かうかのように大自然の凄まじい威力を見せ付けられた時代だったように思える。その威力のもたらした結果は、横暴などとは無縁だった人々に向けられていることが哀しい。この大自然の不気味なパワーは、平成時代はもしかしたらほんの先触れにしか過ぎなかったのかもしれない。

 自分的には、昭和の終わり頃から世の中は激変して来ていると感じている。その核となっているのは情報ツールの止まりの無い変革だ。この文明の利器とも思えるツールは、人間の本来持っている力以上のものを引き出してしまって、世の中をある種のカオスに向かわせている感じがしてならない。人間の持つ賢さや謙虚さや慎みといった道徳的部分を破壊し始めているのではないか。人間は世界中が情報に溺れ出しているかのようだ。この混乱の行く先は、大自然の不気味な悪意以上に不気味でならない。人間は利便なツールを安易に使いながら、情報のもたらすカオスの中で、真綿で首を絞めるかのように少しずつ我を忘れようとしているかのように見えるのである。

 令和時代がこの危険性をどのタイミングで修正に向かうのか見当もつかないけど、どう考えてみてもこの時代は多難な時代となるに違いない。地震や大規模風水害など大自然の爆発的な破壊力の発露がいつ起こるのか真に不気味だし、又利便性が利便性を追求し続ける世の中の脆さが何時崩れるのか、これもまた不気味である。これらの結末が令和の時代に直ぐにやって来るとは思えないけど、平成時代よりもより厳しいものとなるのは避けられないのではないか。そういう意味において、令和時代は、多難なのではないかと思えて仕方がない。

 ま、何時の時代も生きている人間の現実は、不安と安堵の綯い交ざりの繰り返しなのだから、悲観的に見ても楽観的に見ても結局は成るようにしかならないのであろう。深刻ぶって多難を予想するよりは、当面の楽観を楽しむ方が賢いということなのかもしれない。

 ところで、自分にとってこの時代に唯一自信を持って予断できる事件がある。それは自分がこの時代にこの世を去るということ。仮にこの時代が30年続いたとしても、それを超えて自分がこの世に生きていることはない。あの世への旅立ちは直ぐそこに迫って来ているのかもしれない。もはやその旅立ちの準備の最中なのだ。「死計は老計の中にあり」を実践中だと思っている。この世からのおさらばは、PPK(ピン・ピン・コロリ)だと長いこと思っていたのだが、少し前にこれではダメなのだと気づいた。それは故大杉漣さんの突然の訃報で知ったことだった。今はPPYだと思っている。PPは同じだが、Yは予言ということである。予め何時死ぬかをしっかり悟って、周囲にそれを告げ、その通りにあの世に旅立つのが死計の極みだと思っている。その体現者は少ない。大往生をされた日野原重明先生のような死に方をしたいと思っている。そしてその実現のタイミングはこの令和の時代の中に潜んでいるのは確実なことだ。新しいこの令和の時代で、唯一そのことだけは断言できることだ。しかし、この実践は容易なことではない。その意味でもこれからの自分には、やっぱり令和は多難な時代だと言えるのである。

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