山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ロシアは嫌いだ!

2022-02-27 21:28:04 | 宵宵妄話

 ロシアがまたもや強欲な力をあからさまにウクライナに侵攻した。

何年か前にはクリミヤにも侵略して、うむを言わさず自国に繰り入れた。北方四島だってそうだ。皆力任せの強奪だ。ロシアに対する嫌悪感は、太平洋戦争の末期から膨らみ始め、今ではどうしようもないほど怒りが募っている。そのような感慨を持つ同胞はこの国には多いのではないか。狡猾・卑劣・冷酷・強欲・と言うような悪の権化を表すことばがロシアにはぴったりだ。

 その昔高校生の頃、学校の図書館の文学関係の本の大半を読んだのだが、その時にロシア文学の長編の多いのに驚き、その迫力に尊敬の念を覚えたりしたのだが、その時に感じたロシアのイメージとその後のソ連という国の振る舞いを見るうちに、それらの尊敬の念は遠く消え去り侮蔑と怒りを含んだ悪魔の為政者の棲む国という感情を抑え難くなって来ている。ソ連の解体があって、それが少しほどけた気持になったのだが、それもほんの一時で、元のロシアに戻ってからも、再び独裁体制が芽を出して、あっという間に訳のわからぬ国になってしまった。

 昨日偶々TVで放映されていたトルストイ原作の「戦争と平和」という映画を見たのだが、ナポレオンのロシア侵攻という時代背景は、トルストイのロシアの時代では丁度現在のウクライナの立場に似ているなと感じたのだが、現在のロシアは往時のナポレオンの侵略の比ではない悪の権化のような一方的な侵略をしかけているなと強く強く思った。ロシアという国は、貴族などという階層を一掃してから200年ほどの間に共産などというインチキの思想をひけらかしながら、粛清を常とう手段とする愚かな独裁政治を繰り返し継続している。ソ連の解体でそれが少しは改善されるかと期待したのだが、虚しかった。

 ロシアは嫌いだ。今は本格的な核戦争となったら地球という世界はあっという間に終りになるという時代なのに、このような横暴を超えた侵略を平然と行う大国があるとは。言語道断だ。

大国が常に戦争を意識して争うという姿勢は、やがてこの地球を破壊するに違いない。その意味では中国もアメリカも同じ穴のムジナに近い存在なのかもしれない。しかしロシアのような愚かな勇気は持たない国であってほしい。これはまあ期待し祈るしかない。

今起こっている侵略という出来事は、一般の市民・大衆とは無関係に生起している面が多い。ロシアの市民たちが侵略を望んでいるとは思えない。世界中のどの国の市民だって侵略や戦争を願っている人間など居るはずがない。だとすると、この出来事は政治を司るほんの一握りの人間が起こしているに違いない。我々はその選び方を誤ってはならないと思う。ロシアに於いては、かつてソ連の解体をもたらした市民のエネルギーが、一握りの誤った為政者を舞台から引き下ろす方に向かうことを念じて止まない。とにかくロシアは嫌いである。ロシアの為政者は大嫌いである。

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春の到来〈花2題〉

2022-02-17 04:20:12 | くるま旅くらしの話

浮かぬ冬が長く続いている。オリンピックなどという人工の世界では、悲喜こもごもの出来事が続いているようだが、自然界は常に爆発を秘めた危げな時間がその時が来るのを狙い澄ましているように時が過ぎているのを感じている。

そんな中でも毎朝の歩きの楽しみは、農家の庭先などで見かける春を告げる花を見つけること。昨年末から既にロウバイの花は咲き始め、今は日陰の立地の木々たちが最盛期を迎えているようだが、2月に入って新たに発見したのは先ずはマンサクそして次は紅梅だった。咲くのを待ちかねて撮ったのを下手な句を添えて押し売りしたい。

 

禍(まが)き世は去(い)ぬれとまんさく咲き初める

 

紅梅の灯りて回天の春となれ

 

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ブログ開始15周年を迎える

2022-02-01 03:02:27 | その他

 このブログを開始してから今日で15年目を迎えた。途中、いろいろあったけど止めようと思ったことはない。15年も経つと開設当時(2007年2月)の頃のことを少し懐かしく思い出したりしている。

 元々このようなものをやってみようと思い立ったのは、或る方のホームページ開設の話を或る会誌で知ったからである。その方というのは、村山孚(まこと)というお方で、中国の古典等に詳しい文化人である。もはや故人となられているけど多くの著書はまだ健在だと思う。

このブログを始める前のその頃の自分は、還暦を過ぎたばかりの現役で、そろそろリタイアするタイミングを考えていた。リタイア後何をするかだけは決めていた。リタイア後はくるま旅で全国を回り、感じたことを記録に残そうと思っており、チャンスがあれば本などにまとめて世に問えたらいいなと思っていた。ただ、その具体的な方法ははっきり見つからず迷っていた。

そのような時に或る会誌で村山孚さんがホームページを立ち上げられて、その記事の一部が紹介されているのを読んだのだった。『午後の喫茶店』という名のそのホームページには、80歳を超えた村山さんの活き活きとした所感の記事が載っていた。それを知って感動した。それまでホームページを立ち上げるのも一つの手だなと考えてはいたが、その手続きや要領が苦手で面倒なので躊躇していたのである。それが、自分よりも遥かに年長の方がいともたやすくご意見を発表されているのである。それを知って、ためらっている場合ではない、自分も挑戦してみようと決心して、ホームページ作成の本を買ってきて勉強を開始した。悪戦苦闘しながら1年ほどかかってどうにか自分のホームページを立ち上げることができた。ところが固定的な記事なら作成は楽なのだが、常時入れ替えて新しい記事を紹介しようとするとこれが面倒で、どうも思うようにゆかない。どうしたものかと迷っている時に、ブログというより便利な手段があることを知り、それに飛びついたという次第。ブログならば、記事と写真を載せて発表するのにさほど手間はかからないので、これに切り替えることにしたのである。

ブログはくるま旅くらしをメインテーマとして開始することにした。最初はくるま旅のガイド的なことから始めて、その内に旅が本格化すると旅の毎日の状況を紹介するように心掛けた。このやり方は、旅が終ってその内容を冊子にまとめる際にとても有効な方法なので、その後ずっとそのスタイルを継続している。

しかし、間断なく旅を継続しているわけではなく、旅に出かけない時もあるので、その後ブログには時々の所感等を載せたりするようにした。やがてそれも境を設けずに自分の好きなことと勝手に書いて発表するようになった。現在はその真っ只中にいる。

実はもう一つブログを開設している。2014年3月同じ屋根の下に住む倅夫婦に長男が生まれたのを機に、一層ジジイになったのを自覚して「たそがれジジイの呟きブログ」というタイトルで、老人世代の一員として発言することにしようと、始めたのである。しかし、改めて気がついてみれば、自分は最早たそがれなどという位置づけではなく、既にくらやみの中に入り込んでいるのだ。だから、もうこれは止めようと思っている。言いたいことがあったら、このブログ一本で発言すればそれでよいと思うことにした。

さて、そういうことで、これからもこのブログを可能な限り続けて行きたいと思っている。自分のブログはエッセースタイルを基本としようと考えており、これはこの後も変わらない。より簡便なSNSもあるけど、自分は起承転結に拘(こだわ)って書いて行こうと思っている。SNSの世界では卑怯な者が多い。仮面をかぶり正体を見せず主張したり批判・批難したりしている世界は、本当はインチキなのだと思っている。この頃はバーチャル化が益々進んでいるようだ。情報伝達技術の革新が進むにつれて『本物」が遠ざかってゆく感じがする。人を騙しても何とも思わず、それを商売にしている人間が増えているのは、バーチャル化の進展に比例しているのではないか。

自分は簡便法は取らない。くどくてやぼったい表現でもそれに徹してやってゆきたい。これから卒寿を目指して生きて行くつもりでいるが、世風には媚びない。頑固に行く。15年目の決意である。

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