goo blog サービス終了のお知らせ 

山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ムクロジ大豊作

2018-10-24 04:55:46 | くるま旅くらしの話

 このところ自分の老化が一段と進んでいるようで、身体のあちこちに不具合が表出している感じがしています。深刻感はないのですが、老化というのは厄介なものだなという煩わしさが取り付いていて、どうもすっきりしません。そのような中で、一つだけ嬉しいことがあり、この後どうするか悩みながらも少しワクワクしています。

何年か前(2011-1-14付)に「ムクロジは木の実の王様」という一文を書いたことがあるのですが、どういうわけなのか、その後ずっと自分のブログ記事の中では人気タイトルとなっているようで、現在でも時々アクセスを頂いているようです。嬉しいこととは、そのムクロジに関することで、何年か前に故郷の畑に植えた苗が大きく生長して、今年は大量の実がついたという話なのです。

今から12年前、実生のムクロジの苗を故郷の畑に2本植えたのですが、これがその後すくすくと生長して、現在では幹回りが50cmを超え、高さも10mを超えるほどの大きさとなりました。一昨年の秋の終わり頃、初めてその1本に実がついたのを見つけた時は感動しました。昨年は2本共にしっかり実をつけていたので、ああ、もう一人前になったのだなとその生長の速さに驚きつつも、これからはいつでもムクロジの実を手に入れることができる満足感に浸ったのでした。

今年はどうなのかなと、旅から戻った9月の半ば過ぎに畑の除草をすべく故郷を訪ねたのですが、その時に見上げた我がムクロジの木には想像をはるかに超えた、大量の実がびっしりとついているではありませんか! 昨年のレベルの比ではなく、どの枝の先にもたわわに実ったあのゼリー状の皺のある丸い球が重たげに下がっていたのです。いやあ、大感動でした。

ムクロジの実。この中にあの真黒な堅い実が入っている。

この木たちの親である東村山市の東京都薬用植物園のムクロジの木では、冬になって僅かに残っていた高い枝の実を揺さぶって何個かを拾うという状態だったのですが、今のこの2本の木の実のつき具合は、あの親の木の貧弱な稔りとは到底比べられないほどの豊かさなのでした。

このような状態で、二本の木とも各枝先にびっしりと実がついていた。冬になって葉が落ちると、壮観と言えるのではないかと思った。

未だ完熟状態ではない実は、黒い珠を取り出すのは冬が近づく頃となると思いますが、もし全部を拾うことにしたら、30kgの米袋に2杯くらいにはなるのではないかと思うほどなのです。勿論そんなことをするつもりはなく、せいぜい200個ほど拾って、その内108個を用いて数珠を1個作り、残りは孫たちの遊びに使う様にしようかなどと考えています。

ところで、実はこの大豊作を見て以降、今大きな悩みの中にあります。というのも、だんだん木が大きくなりだして、畑の中に大木が2本もあるとなると、この先何かにつけて困ることが起こって来るのではないかとの心配があって、思い切ってこの冬には1本を伐ることにしようと密かに考えていたのです。何しろムクロジはかなりの樹高となる種類であり、生長すれば30mもの高さになってしまいます。そのような大木が畑の中に2本も立っているとなると、自分がこの世を去った後、子孫たちがその対処に困惑することになるに違いありません。1本は記念に残させて貰うとして、1本は今の内に伐って処理しておいた方がいいのではないかと思ったのです。

しかし、今が生長の初期段階で、これほど多量の実をつけて活き活きとしている木の生命を奪ってしまっていいものなのかと、いい知れぬ罪悪感のようなものが膨らんで来ています。枯れかけている様な状態ならば、さして罪悪感も生まれないのでしょうが、わざわざ拾って来た実から芽生えた生命を育てて来たものを、大きくなって邪魔になりそうだからといって、自分の都合だけでそのような残酷な処分をしてしまっていいものなのか。迷うところです。

私は何時の頃からか、樹木や草たちが生きものだということを強く意識するようになりました。庭の雑草と言われている草たちを取り除く時も、憎しみよりも可哀そうさを覚えるようになっています。しかし、放置しておくと止まることを知らず自己主張を続けて、そのままふんぞり返るのが草たちの正体だし、樹木にしても放置しておくと形振り構わずに小枝を延ばして、その木の存在を台無しにしてしまうのが樹木たちの本性であるのを知っているので、必要に応じて除草をしたり整枝をしているわけなのです。

さて、ムクロジですが、どうすべきなのか。今しばらく迷い続けなければならないようです。とにかく、この冬もう一度じっくりと彼らと話し合ってみようと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三半規管の老化?

2018-10-19 04:54:29 | 宵宵妄話

 このところ体調不良に悩まされている。旅の後半過ぎの8月の頃から、歩いている最中に眩みを覚えるようになったのである。北海道各地の広大な畑の中の道を歩いている時などに、必ず電柱の上から見張っているカラスたちに気をとられて見上げたりすると、その後に眩みが襲って来て、大地が揺れ動くのだ。大地が動くというのは困惑する現象であり、酷くなると歩くのが困難となり思わず立ち止まってしまう。しばらくじっとしていると、大地の揺れは止まり、元に戻るのだが、地震でもないのに味わう感覚は気分のいいものではない。

 立ち眩みや目まいなどの症状の原因を考えてみると、糖尿病の自分の場合は、高血糖や低血糖それに高血圧などが想定されると考え、先ず眩みを感じた直後に車に戻り、持参していた家内用の血圧計で計って見た。すると想像以上の血圧の高い数値が表示されているではないか。いつの間にか血圧が上がっていて、それが目まいや眩みを引き起こしていたのだと理解した。それで当分の間はそのことを前提に食事等に気をつけるようにしていたのだが、先日定期診断を受けてしばらく降圧剤を飲むことになった。

しかし、血圧が下がってもやはり眩みの症状は改善されないのである。医師の話では血糖値は眩みを引き起こすほどのレベルではなく、原因とは考えられないとのこと。だとすれば、この現象は一体何なのだ。メニエール病というのがあるけど、眩みのレベルはそれと思えるほど大げさなものでもないのである。それで、自分なりにいろいろ考えてみた。

眩みというのは人の平衡感覚を司る耳内の三半規管というのが、その機能に異常を来した時に起こる現象と聞いている。100%そうなのかどうかは解らないけど、メインの要因がそうだとしたら、自分のこの現状もやはり三半規管の不調が元になっているのではないかと、そう思った。としたなら、なぜ三半規管が不調を来しているのか?

あれこれと思いを巡らしていたのだが、くるま旅の環境が3カ月と3週間ということで、少し長かった以外は、食事や睡眠や運動等で在宅時と比べて特に変わったことはしていない。食べ物も在宅時と同じだし、睡眠も在宅時以上の時間だったし、運動は少し減ってはいたけど、毎朝努めて歩くように心がけていた。勿論環境の変化は在宅時とは比較にはならない。しかし、環境が毎日変わるということだけで、三半規管に異常を来すようなことがあるとは思えない。ということで、なかなか納得のいく要因に思い当らなかったのである。

 それで、最後に辿り着いたのが、やはりこれは老化現象の一つの表れではないかということだった。今まで先輩からこのような眩みの話は聞いたことがないのだが、ふと思い出したのは、池波正太郎先生の「剣客商売」の中で、剣の名人秋山小兵衛が某かの剣客との立会いの中で、急に眩暈に襲われて、危い状況となったのだが、気がついて見ればその後身体は自在に動いて相手の剣客を倒していたという話である。その時秋山小兵衛は60歳代後半という設定だったかと思うが、これはもしかしたら池波先生がご自身の体験を巧みに小説の中に取り入れられての話だったのではないか。最初に読んだ時は、へえ、そんなことがあるのか、と半疑で理解していたのだが、今、このような眩みに見舞われていると、はっきりとその事情が理解できて、これは老化の自然現象の一つなのだと思ったのだった。

 老化というのは、身体の変化が1/2勾配を滑るように低下して行くのではなく、階段を下るように低下して行くものだと理解している。しかもその階段は、高さが不揃いで、階段が終わったかと数歩歩いていると、床は突然ストンと低くなって下の段に落ち込むのである。この眩みという奴もその証明なのではないかと腑に落とすことにした。

 つまりはこの現象は、我が三半規管が老化に見舞われて、ちょっと調子を狂わせている状況にあるということなのであろう。身体全体の老化に馴染んで来ていなかったということなのかもしれない。生きものの身体というのは、全体の調和をベースに命を運んでいるのであろうから、いずれは我が三半規管も他の部分と馴染んで、バランスを保ってくれるのではないか。そう思うことにした。これは治療方法など無い自然現象なのだと思うことにした。だとすれば落ち着くまで待つしかないし、それまでの間は我慢するしかない。

 それにしても、この先この身体を組み立てている様々な器官たちが、それぞれどのような老化のプロセスを辿るのか、見当もつかないけど、出来る限り足並みをそろえて行って欲しいと願うばかりである。そして、それらの足並みをそろえさせる脳だけは、あの世に行く指令を発するまで健康であって欲しい。これが一番の願望である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相互忍耐50年を迎える

2018-10-11 01:11:33 | 宵宵妄話

妙なタイトルとなった。かなりひねくれた感じもある。昨日、2018年10月10日は、我々夫婦が共に暮らし始めてから満50年を経過した記念日だった。普通だとやれ金婚式だなどと言って、先ずはめでたいということになるのだと思うが、我々にはその実感はない。かといって危機的な状況にあるわけでもなく、至って平穏に昨日から今日へ、そして明日へと時間は流れている。

50年前の10月10日、東京の某所で結婚式なるものを挙げたのだった。その場所を覚えていたのは、その後の10年間ぐらいで、今はもうすっかり忘れてしまっている。家内の方は覚えているのかもしれないけど、自分はずぼらな人間なので、一見真面目そうに見えても、覚えているのは場所などではなく、その日の天気やどうしてその日を選んだのかということくらいか。10月10日はその当時から晴天の特異日で、先ずは晴れの天気が保証されていた感じだったし、それにあやかってなのかこの日が体育の日として国民の休日となっていたからなのである。この日に式を挙げておれば、その後も結婚記念日なるものが晴天の休日として保証されるに違いないと考えてこの日を選んだのだった。

だから、しばらくの間は家内と一緒になった記念日を忘れることはなかった。しかし、いつの間にか国民の祝日は、世の中を覆っている効率主義、効果主義そして経済主義に毒され始めて、根拠の甘い祝祭日は動くことになってしまったのである。今頃は、体育の日はご都合主義で土・日曜日にくっついて動き回るようになってしまったので、雨の体育の日も増えるようになり、自分達の不変と思われたその記念日も、休日とは限らなくなってしまった。このような変更に対して疑念や不満を抱いている同世代人は少なからず居られるのではないか。と、先ず文句を言っておきたい。

さて、そのようなことはともかくとして、何と50年も経ってしまったのである。この50年の越し方をあれこれと振り返るつもりはないけど、ここまで何とかやって来られたのはどうしてなのか、それを二人での暮らしの根っ子のところで考えてみた。

ぐっと濃縮すると二つに集約できるように思っている。一つは何はともあれ、お互いが健康を保持して来られたこと。もう一つは喜怒哀楽に対する忍耐、即ち我慢が出来ていたことではないかと思う。この二つがあっての毎日の積み上げが結果として50年という時間になったように思う。

暮らしの現実は、愛しているとか、労わりあい助け合って、という一見美しいことばで表現できるようなものではない。勿論そのようなものが全くないという話ではなく、現実の毎日の中では、美しくて楽しくて満足できるようなことは、断片的で一時のものに過ぎないということである。

一般的に我慢というのは苦しく辛いことや悲しいことなどに対して使われることばだと思うけど、喜怒哀楽ということになると、喜びや楽しみに対しても我慢するというのは変ではないかということになるのかもしれない。でも、自分には喜び過ぎたり、楽しみ過ぎたりするのは破滅への道につながるように思えるのである。だから我慢する必要があるのだと思っている。喜びや楽しみというのは噛みしめるという姿が一番であり、それを上まってはしゃぐ言動は如何なものか。だから喜怒哀楽の全てに適当な我慢が必要なのではないか。そう思うのだ。二人ともそれをほどほどにやって来られたので、ここまで辿り着けたのだと思う。もしそれが出来なかったら、心は壊れて二人の関係は危いものとなり、その修復は困難になるのではないか。そんなふうに思っている。

健康のことだが、これは勿論心身併せてのものであり、天の加護と自助努力の結果が今につながっているように思う。家内は大病を患ったが、心を壊すこともなく立ち直って元気でいてくれているし、自分もそれなりに健康には注意して身体を動かしている。健康というのは、お互い個体としての自分自身の問題なので、それぞれが持っている身体と心に合わせて保持して行かなければならない。自分と家内の対応の仕方は全く違っているのだけど、ここまでやって来られたのは、お互いの自己管理をそれなりに上手くやって来ているということなのであろう。

さて、このあとも生きて行かなければならない。この先は今まで以上に忍耐を要するできごとが湧きあがって来るに違いない。老と死であり、その引き金となる病である。これらは生きものの全てに与えられた課題であり、何ものもそれを逃れることはできない。二人が本当に力を合わせて生きなければならないのは、これからが本番なのだと思う。

50年も夫婦暮らしを続けていて、二人は今妖怪化していると自分は思っている。ずぼらな自分は妖怪チョンボジジイとなっているし、それが原因で家内は妖怪小言ババアとなっている。この関係では家内の方により多くの忍耐が必要なのかも知れない。加害者よりも被害者の方に我慢がより多く求められているのが古来よりの世情であり、妖怪小言ババアには申しわけないと思うのだが、このチョンボジジイの動きの中には、かなり生来のものが入っているので、我慢が出来なかったらなるべく早く諦めて欲しいと思っている。

そうそう、諦めが肝心なのである。忍耐の終着駅は諦めなのだ。仏教では放念というのだろうか。一切の囚われの心を解き放っての新たな境地、老を重ねた人間には、やがては誰にでも天が配剤する恵みがそれなのではないか。この頃はそのようなことを思っている。

なお、妖怪は不死身だとも聞く。それは困るなと思っている。妖怪化もほどほどのレベルに止めて、人間を保って行きたいと思う。この二人の関係が何時まで続くのかは解らない。しかし、妖怪化が幾ら進んだとしても、もはやこの関係無しでは生きては行けないことは悟っている。この後もいつものように淡々とその状況に合わせて、一日一日を二人で積み上げて行きたい。そう思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

112日という時間

2018-10-01 08:30:37 | 宵宵妄話

 時の経過を「違い」として認識することは大変に難しい。例えば、昨日と今日との暮らしの違いを見出そうとすると、これが難しいのだ。勿論、個々の行為は違っているのは当然なのだが、本質的には多くの場合今日も昨日と同じことをして暮らしていることになり、大した違いなど無いのである。ましてや一緒に暮らしている人間のこととなると、夫婦であっても親兄弟であっても顔も行動も昨日と今日が違っているなどと判るのは、何かとんでもない事件に遭遇でもしない限り、とても見出すことは困難だ。

 しかし、不思議なことに現実は少しずつ変化しており、一日の差が1カ月、1年、10年となるにつれて、その違いは大きくなってゆく。それに気づかないのは、多分当事者も又時間の流れと共に流れているからなのであろう。丁度新幹線の中に座っている人が外の景色を見ない限りその速さに気づかないと同じように、時の流れの中に居る人には自分自身とその周辺にいつも一緒に居る人の変化には気づかないものなのだ。

 さて、今回の旅では112日ぶりに家に戻ったのだが、前置きの理屈に照らして、何よりもその変化に驚いたことがある。たった3カ月と3週間の時間経過なのに、ホ~!と感心し、驚いたのである。それは孫娘の絶大なる成長だった。まるで人間の成長の瞬間をそこに見たという感じだった。

同じ屋根の下に住む孫娘は、出発した5月下旬の時は2歳だったが、旅から戻った9月中旬には3歳になったばかりだった。どんな反応を示してくれるのかなと、ジジババとしては不安と嬉しさの期待の綯い混ざった心境で孫たち(5歳の男児もいる)と対面したのだが、自分たちに気づいた瞬間、大喜びで飛び込んで来てハグしてくれるほどのはしゃぎぶりだったので、何故か安堵したのだった。そして、驚いたことに孫娘はドレスなどを着ておしゃれをしていたのだ。話を聞くと、なんとこの9月から兄と同じ幼稚園に通っているとのこと。今日はお誕生会があって、それでおめかしをして出掛けて、今戻ったとのことだった。思っていたよりも半年も早い就園ということになる。当今、子どもの数が少なくなっているということで、幼稚園の新しい戦略施策が始まっているのかもしれない。社会性を身につけることは大切だが、ちょっぴり早過ぎるとの思いも浮かんだ。しかし、本人は兄が通園している間、遊び相手もなく半端な時間を過ごしているのだから、悪くはないなと思った次第。

惣領の甚六という俚諺(りげん=ことわざ)があるけど、兄に比べて妹の孫娘の方が何事も覚えが早い様で、先取の気に富んでいる様である。だから、早やめの幼稚園通いはこの子には至当なことなのかも知れないと思った。

その後半月が過ぎて、孫娘はほぼ毎日階段を上がって顔を見せにやって来る。兄の方は偶にしか来ないのだが、孫娘は毎回顔を見せたら、長居はせずに直ぐに戻ってゆく。で、一つ気になることがあるのだが、それは今まで兄のことを「にーに」と呼んでいたのだが、いつの間にか、その名を呼び捨てにしているのである。親たちが兄の名を呼ぶのを見ていてなのか、或いは幼稚園に通うことになって自分も対等なのだと気づいたのか、呼び捨てることに決めたのかも知れない。兄に向かって、大きな声で「○○、それはダメじゃない!」などというのを聞いていると、ドキッとして、これは末恐ろしいことになるのではないか、などとちょっぴり不安にもなる。もはや長幼の序などに拘る時代ではなくなっているのかもしれないけど、何だか下剋上の小児版を見ている様な気がして、複雑な気持ちとなるのである。強いことはいいことなのだが、ただ強いだけではつまらない人間になってしまう。人間には強さと同じ分だけの優しさが必要なのだ。できることなら孫娘には強さよりも優しさの方が先行する女性になって欲しいと願っている。

まだ随分と先のことを気にしているなとは気づいているのだけど、とにかくこの112日間で、孫娘はそれだけ多くのことを思わせるほどの成長ぶりだった。旅から戻って一番の変化に驚かされたのは、この孫娘の姿だった。もはや成長が完全に停まってしまっているジイジには、孫娘の成長はとても眩しく見えたのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする