山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <61回>

2012-08-31 06:16:56 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月30日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

稚内公園森林キャンプ場 →(R40)→ 稚内市内スーパー →(R40・R238)→ 道立宗谷ふれあい公園キャンプ場(泊)  <11km>

≪レポート≫

 昨夜から吹き始めた強風は、朝になっても一向に弱まることなく吹き荒れて、まあ、BSアンテナを思うさまなぶり続けて、落ち着いてTVを見させてくれないほどだった。台風崩れの余波なのか、真に迷惑極まりない大風だった。暑さの方は昨日ほどではなかったけど、一寸でも風が止むと、忽ちじわっと蒸し暑さがにじり寄って来るという状態だった。こんな、日本の最北端の町で、もう直ぐ9月を迎えるというのに、暑さがこれほどしつっこく付きまとっているのは、やはり相当におかしな気象状況なのではないかと思った。

 今日は昨日行けなかった稚内空港寄りにある、道立の宗谷ふれあい公園内にあるオートキャンプ場へ行き、日本最北端の地での今年最後となるであろう一夜を過ごすつもりでいる。このキャンプ場にはまだ行ったことが無い。先日別海で再会を果たしたKさんから、とてもいい所なのでぜひ一度行ってみてくださいと、場所や宿泊の要件などまで記したメモを頂戴しており、ぜひ訪ねようと思っていたのだった。受付が13時からだというので、午前中はここを中心に過ごし、その後若干不足している物を買ったりしてからキャンプ場に向かうつもりでいる。しかし、もの凄い風が吹き続けており、一体いつになったらこれが収まるのやら、南西方向からの雲はかなりの速さで流れ続け、それを煽るようにして風の塊が吹き下ろしてくる。

 ドラマ「太祖王建」を見ていると、隣のHさんからお声がかかった。自分たち二人の写真を撮らせて欲しいということだった。どうやら何やらの取材絡みらしい。相棒に訊くと珍しく、私はいいからあなただけ撮って頂いたら、などといっている。TVの番組を見始めたばかりというのではなく、どうやら隙を急襲された感じがあり、まだ十分に服装も顔も整い終わっていないからの様だった。女性の心理という奴は未だに良く解らないけど、どうして化粧とか服装とかいう奴に一々こだわるのだろうか。ま、美しくなりたいとか、人並みでありたいとかいう心理は良く解るけど、社会的な毎日がそこから出発するというのは、70歳を幾つか超えた老人にはやはり解せない。もういつも素顔で、寝巻でない服装なら、そのようなことは気にしなくたっていいんじゃないかと思うのだけど……。しかし我が相棒には、そのようなことは通ずるはずがない。ということで、しばらくTVの定期鑑賞の時間なので待ってほしいとお願いした。その後、TVを見ながらの相棒は、結構忙しかった(?)様だった。

 今朝、ごみ捨てと鍋を洗いに行った時にHさんにお会いして、少しばかりくるま旅絡みの話となったのだったが、その中で自分の人生の宝探しのことなどもお話したのだったが、それらに関連して、Hさんは「グレイ・ノ・マド」の話をされていた。グレイ・ノ・マドというのは、「grayno mad」という言葉で、グレイは髪の毛の色をイメージしたいわゆる熟年世代というような意味なのだろうか、そしてノ・マドというのは、遊牧民とか流浪の人とかいうことらしく、Hさんの話ではヨーロッパでは、現役リタイア後にくるま旅をして新しい人生を楽しむライフスタイルの人たちのことを、そのように呼ぶとのことだった。そして、彼の主張はこのグレイ・ノ・マドの人たちがこれからの国を救うのだということだった。まさにこれは自分の考えと合致しているなと思った。くるま旅の先進国の具体的な状況は、自分には全く知らないのだけど、ヨーロッパよりも過密な車社会を作り上げているこの日本国の、くるま旅に対する環境対応の遅れは、殆ど手つかずのレベルにあるということはよく知っている。日本では、彼の言うグレイ・ノ・マドというとらえ方は殆どないのではないか。ましてや国を救うなどという発想は皆無だと思う。定年後に車を使って走り回っている旅の人を胡散臭い目で見つめ、又何か悪いことを仕出かすのではないかと、ウオッチこそすれ慈眼を以て受け入れる地元人は年々減っている感じがする。自治体などもごみ箱の撤去競争にしのぎを削っている感があり、なんともはやセシウム並みの扱いに堕ちようとしているかの如くだ。ま、これは言い過ぎだけど、日本ではくるま旅のグレイ・ノ・マドがこれからの世の中を救うのだなどという発想は、未だ最低レベルにとどまっている感じがする。その中での彼の発想は素晴らしい。マイナーの社会の自己弁護ではなく、くるま旅はそれを経験してみれば誰でも実感することだけど、多くの出会いが自分を元気づけ、残された人生を活き活きと生きる為の大きな力となるのである。そのような自身のパワーに気付いたグレイ世代は、病や老の無力感にさいなまれながらより多くの社会保障費を求めるような人生は決して送らないということは、自明のことだと思う。Hさんの主張は正しいのだ。老人や病持ちがより活き活きと生きてゆく手立てや支援を工夫するための資本投入の方が、病や老の治療費・保護費などよりもはるかに少なくて済む筈だし、元気な老人は経済のタガを回すことにも貢献することができているのである。くるま旅の元気老人は、霞を喰って旅をしているのではない。地元の新鮮な食材に一層の元気を頂戴しながら、嬉しく生きているのだ。と、まあ、こんな気持ちでHさんとしばし話を交わしたのだった。

 TVを見終えて、Hさんの撮影に応じた。記事に使わせて貰うかもととのお話だったけど、今更恥ずかしいという年頃でもないので、どうぞとお答えしておいた。願わくば人目には触れたくないというのが相棒共々の本心である。その後もしばらくの間Hさんと、それにその知人の札幌在住のAさんも加わって、話題の花が咲く。立ち話だったけど、くるま旅ならではのいい時間だった。この間も強風は吹き続け、今回の北海道の旅を今日で終えられるというHさんは、この風当たりの車の影響を心配されて出発を逡巡されておられた。間もなく決断されたようで、出発される二人を見送った。

 11時半過ぎ我々もお世話になった稚内公園森林キャンプ場を後にする。坂を下る途中にサハリンを望む氷雪の門のモニュメントなどが建っているけど、今日は車を停めるのは止め、走りながら往時の人たちの悲しくも切なる心情に祈りの心を寄せたのだった。アイヌの人たちから見れば、サハリンも彼らの土地だったのではないか。ロシヤ人の強欲さには嫌悪以上の何かを感じてならない。シベリアもアリューシャンもその領土の殆どは、武力に任せて強奪した戦利品に過ぎないし、北方四島などは、どさくさにまぎれた悪計で騙し横取りしたままの土地ではないか。歴史的に日本固有の領土であることは自明のことなのだ。時あたかも竹島や尖閣諸島の領土問題が喧噪化しているけど、自分的には、対ロシア関係の領土の復旧の方がはるかに重大な外交問題ではないかと思っている。おっと、きょっと入ってはならない横道に入ってしまった。失礼。

 街中のSというスーパーで買い物をする。昨日も感じたのだが、このスーパーの客扱いというか、経営の進歩はかなり遅いように思った。5~6年前と変わっていない、というより現状維持を続けているが故の後退にも見える。建物と駐車場などはその後の手当ては殆どされておらず、明らかに悪化していると思った。氷を調達しようと思ったのだが、かなり大きなショーケースの氷の棚は全く空っぽで、1枚の一袋の氷も見当たらなかった。相棒が在庫を確認しようと尋ねると、傍にいた店の人が自分の担当ではないからわからないなどと返答していた。販売やサービスを業としている業界に働く者の返答としては、時代稀に見る愚答である。苦しい経営が続いているのかも知れないけど、こんな状態では見通しは決して明るくはならないだろうと思った。郊外に気の利いた大型のショッピングモールでもできたなら、いっぺんに明日が無くなるかもしれない。今はそんな時代なのである。少し気の毒だなとも思った。

 ふれあい公園の受付場所には30分ほど早く到着。広大な緑地の公園で、いろいろな施設が点在しているようだった。オートキャンプ場は、入り口からはかなり遠くにあって、様子はとても見渡せない。受付に行ってみたけど、誰もいないので、時間を待つことにした。Aさんもお出でになるというので、探したのだけどまだ未到着の様だった。携帯電話を手元に置かなかったので、探して画面を見たら着信の表示があった。誰かなと思ったら、Aさんからだった。直ぐに電話をしたら、なんともう既に受付を終えて中に入っておられるとのこと。どうやらここでは、時間厳守にこだわるだけではなく、来客に対する仁義サービスも心得た対応をしてくれるらしい。さっそく受付に行き、呼び鈴を押したら快く対応頂いたのだった。ありがたいことだ。広い構内の中を少し進んで、Aさんの車を見出し、隣に車を停める。プライベートサイトなのだが、電源と給水設備は個別に設けられており、駐車スペースも円形に作られており、自在に車を留める向きを調整できる。今日みたいに強風の吹き荒れる時には、真にありがたい仕様である。挨拶を交わした後はとりあえず電源をつなぎ、TVのチャンネル設定などをする。地形の関係なのか、地デジは映らなかった。アンテナをかなり高くしなければダメな様だった。強風の中でのBSアンテナの設定は厳しかったけど、どうやらこちらの方は受信OKとなった。

 その後の時間は、広大なキャンプ場の独り占めならぬ、Aさんとの2家族占めという嬉しくもありがたい時間を独占できたのだった。唯一最大の邪魔者は、もう1日以上経っているのに、絶えることなく吹き続ける強風だった。地面にサンダルを揃えて置くと、あっという間に風が運んで、違う場所に不揃いで散り投げてくれるというほどだ。そんな強風の中なのに、アウトドアの達人のAさんはテントを取り出し、設営を始めらえたのには驚いた。どうすれば設営できるのかと危ぶまれるほどの強い風の中でも、設営の方法はあるもので、着実にテントが組み上げられていったのには脱帽である。しかし完成しても中に入って落ち着くには無理があり、もみくちゃにされるテントを可哀想だなと思いながら、それを見つめながらビールを一杯やっているAさんの脇に行って、しばらく歓談した。このテントは、買って間もない頃にクチャクチャにされたという歴史を持っているとか。サロマ湖の辺りでその洗礼を受けたのだという話だった。Aさんの話は実に面白い。今回はその時ほどには至らないようにと自分なりに願った次第。

 夕刻になりかけて、少しは風も収まりそうな気配を感じたのだったが、又々ぶり返しのような風が吹き始めて、揺らぎ続けるテントの中で、2家族の豪華な夕餉が始まる。このような体験も思い出に残るものとなるように思った。Aさんご夫妻と、改めてしみじみと話をさせていただきながら、くるま旅ならでの醍醐味をたっぷりと味わった時間だった。晩餐が終わっても相変わらず強風はテントをいじめ続け、風を切る音が、車の四方から賑やかだった。我々の味わっている感慨にやきもちを焼いての、天の嫌がらせだったのかもしれないけど、そのようなことで我々グレイ・ノ・マドの嬉しい心を邪魔立てすることは出来ない。夜もかなり遅くなって、天もそれを知ったかのように静かになったようである。

今日(8/31)の予定】 

道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場 →(R238・R40・R232)→ 天塩鏡沼海浜キャンプ場 →(R232)→ 道の駅:ほっと・はぼろ(羽幌町)(泊)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <60回>

2012-08-30 04:30:19 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月29日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

クッチャロ湖畔キャンプ場 →(R238)→ ベニヤ原生花園 →(R238)→ 道の駅:さるふつ公園 →(R238他)→ 稚内市内スーパー → 稚内公園キャンプ場(泊) <101km>

≪レポート≫

 今日から移動再開である。Aさんのご主人は南下を予定されておられたようだったが、奥さんはまだ暑いので稚内方面への北上を希望されているとのこと。朝方はまだ未調整とのお話だったが、結局奥さんの希望が通ってしばし北上するとのこと。我々も北上し、今日は知人に教えて頂いた道立宗谷ふれあい公園のオートキャンプ場に行くことにしている。

 雲の多い朝だったが、やがて昨日と同じように晴れ間のある少し暑い天気となった。10時まではTVを見て、その後出発の準備をし、先ずは相棒の希望で丘の上の温泉施設に寄って汗を流してからの出発となった。Aさんとは又再会の可能性があり、一先ずのお別れとなった。1時間ほどたっぷりと汗をかいて流し、さっぱりした気分になってクッチャロ湖畔にさよならする。まあまあの夕日と、湖畔のゆったりとした時間を味わわせて頂いて、やはりここに来てよかったなと思った。既に12時を過ぎており、お腹の要求も厳しくなっている。昼食は猿払の道の駅に行って摂ることにして出発。まっすぐ行くべきなのだけど、どうしてもベニヤ原生花園のサワギキョウが見たくて、ちょっと寄ってゆくことにした。これは大正解だった。サワギキョウは既に花の最盛期を終えようとしていたが、まだ花は残っており、その紫の楚々たる花を見せてくれたのだった。この他にもいつもの無愛想な花の多い表情とは違った雰囲気で、エゾリンドウやエゾミソハギ、クサレダマ、イヌゴマ、ヤマハハコ、ツリガネニンジンなどが草むらの中に自己主張をしていた。この原生花園には、いつもサワギキョウが咲く前の頃に訪ねることが多かったので、このような花たちを見るのは初めてだった。

  

サワギキョウの花。左は群れ咲く様子。右はその中の一つを撮ったもの。今は最盛期を過ぎているけど、もう少し早く来れば草叢を染める紫の花の穂波を見られたのかもしれない。釧路湿原にもサワギキョウは多いけど、ここのものの方が、より素朴のように思えた。

     

 エゾリンドウの花。この花が、これほど鮮やかに咲いているのを見るのは初めてのことだった。栽培種とは違った野生の色の鮮やかさがひときわ目を引いた。いいなあ、と思った。 

 花に満足した後は、空腹を満たすべく猿払村の道の駅へ。この道の駅にはホテルがあり、観光バスなどの立ち寄る拠点の一つとなっているようだ。猿払といえば、やはりホタテが有名となるのだろうか。その他の水産業も盛んなようで、今朝の散歩では浜頓別の町へも猿払村からの従業員を迎えに来た車を何台か見かけたのだった。そのホタテの入った焼きそばをオーダーした。相棒はホタテ定食。焼きそばの方はオーダーを失敗した感があった。海鮮焼きそばというからにはホタテを初めとする海の幸がたくさん入っているのかと思ったのだけど、イカと思ったのは白菜が殆どであり、ホタテもエビもほんの少ししか入っておらず、がっかりした。相棒の方は満足だったようである。駐車場にAさんの車があり、既に昼食を終えられ、付近を散歩されていたようだった。今日はここに泊まりゆっくりと過ごされるとか。それぞれのペースで旅を楽しむのが一番。我々の方が一足早い北上となった。

 猿払の道駅を出発し、稚内に向かう。オホーツクの沿岸を走るR238は、快適なドライブウエイだ。右にオホーツクの蒼く光る海を見ながら、左には変化する山や牧場の丘を見ながらの、しばらくその走りを楽しんだ。旅車は、ドライブとは無縁の図体と機能だけど、運転者の老人でもやはり気分は若者とさほど変わらない。間もなく日本最北端の宗谷岬に到着。ここで少し休憩。最北端ということでの人気スポットなのであろう、来訪者が切れ目なく立ち寄っているようだった。ここに来ると郷土茨城県出身(現在のつくばみらい市出身)の間宮林蔵の銅像が樺太を向いて建っている。間宮海峡の発見は、今の時代では大した関心事ではないかもしれぬが、江戸のあの時代ではとてつもない大冒険だったのだと思う。北海道といえば、その名付け親とされる松浦武四郎のことが取り上げられるけど、自分的には間宮林蔵も決して引けを取らない大冒険家だったと思っている。時々、彼の生家のあったつくばみらい市の記念館に行って、往時の資料などを見ているのだけど、並々ならぬ人物だったということを実感している。間宮林蔵の生家は、守谷市の住まいからは自転車で行ける距離なのだ。ま、そんなことはどうでもいい。銅像に敬礼して出発。

 食材の在庫が少なくなっているので、今日はそれを補充しなければならない。予定している道立の宗谷ふれあい公園オートキャンプ場に入る前にそれをやっておこうと思い、地図を見たら公園の入り口の所にスーパーがあるように記載されているので期待したのだったが、行ってみたらそのような店は全く見つからなかった。やむなくそのまま走って稚内市内の大手スーパーに車を停める。買い物を済ませて時計を見たら、16時を過ぎていた。ここからキャンプ場へは、来た道を8km位は戻らなければならない。それが億劫になって、今日は近くにある稚内公園の森林キャンプ場に泊まらせて貰おうと、急遽予定を変更した。このキャンプ場は稚内市を見下ろす百年記念塔のある丘の奥の方の林の中にあり、水もトイレもあり、ごみ処理もできる、ありがたい無料のキャンプ場なのだ。丘の上からの景観も素晴らしい。宗谷ふれあい公園のキャンプ場へは明日行ってみることにした。

 稚内公園キャンプ場に着いたのだが、いや、その蒸し暑いこと。丁度夕刻の凪の時間帯に入っているのか、全くの無風でべっとりとした暑さが身体いっぱいにまとわりついてくる。相棒は暑さにもめげず、早速ご飯を炊き始めていた。この間外でごみ処理や洗い物などを済ませる。一段落して駐車場内をぶらついていたら、先着の隣の群馬ナンバーの方から声をかけられた。「何か本を書かれている方ではありませんか?」「ええ、そうですけど、前に書いたことがあります」と返事して、言葉を交わすうちに「馬骨さんですか。山本さんですか。」とその方が自分の名前を思い起こされたようだった。車体の横に「SUN」と書かれた旅車を見たら声をかけて欲しいなどと、どこかに書いたのを覚えておられて、それを実行してくださったようだ。驚くと共にありがたいなと思った。旅の名刺と手作りのくるま旅の本を参考までにとお渡しさせて頂いた。お声をかけてくださったHさんは、元記者をされておられたとかで、ご自身も何冊かの専門関係の著作があり、今はくるま旅、車中泊などについての著作も手掛けていらっしゃるとのことだった。頂戴した「カーネル」という車中泊を楽しむ雑誌に、現在「車中泊の聖地を巡る旅PART3 車中泊・日めくりの旅」というタイトルで、ご自身の旅の記録を連載されておられ、それを読ませて頂いたのだが、何年か前の自分の姿が重なって、ああ、皆さん同じような体験の中に新しい人生を発見されているのだなあ、と思った。

くるま旅というのは、人生の宝探しだというのが持論だけど、人はその宝に元気づけられ、探すため、発見するための動きの中に生きがいを見出し、リタイア後の人生を活き活きと生きる力を見出せるのだと自分は思っている。人生の後段には無力な老と病と死としか残されていないという発想は、今の世の社会保障制度を破たんさせるだけである。社会保障費用の大半が無力な老と病のために費やされるという発想は誤りではないか。老と病は、避けられない人間の運命であり宿命であるけど、後段の人生を活き活きと生きる時、老と病は変化し、人は生きる為のコストを最小化することが可能となるのではないか。自分はそのように思っている。くるま旅は、老と病の無力化を防ぐ特効薬の一つではないかと思っている。Hさんも同じような思いでこの連載に取り組まれていらっしゃるのではないかと思った。良い方に巡り合えたなと思った。

今朝は0時半起床で3時半まで何やらゴトゴトやって、もう一度寝たりして、睡眠がかなりいい加減になっており、夕食を済ますとたちまち睡魔が襲ってきた。この襲来に対しては抵抗をしないことにしている。抵抗すると、今度は不眠がやって来るからである。今頃は何時でも睡魔の襲来に備えられる暮らしの環境にあるので、相棒のことなどは無視して、寝床に潜り込む。夜半からは風な強くなり出したようで、夢うつつの中でも時折車を揺らす風の音を覚えていた。

今日(8/30)の予定】 

稚内公園キャンプ場 →(R238)→ 道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <59回>

2012-08-29 03:02:39 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月28日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在   <0km>

≪レポート≫

 朝の内は多かった雲も日中はバラけて、ほどほどのいい天気となった。少し蒸し暑いのが気に入らないけど、これは仕方のない話ではある。今日は終日Aさんご夫妻と歓談などしながらの、ゆったり、のったりと時を過ごす一日となった。湖畔の語らいというのも格別の味わいのあるものであり、くるま旅ならではのありがたい時間である。ツアーのような急ぎ旅では決して味わえない、豊かさのいっぱい詰まった時間だったと思う。今日はその豊かさを2家族で存分に味わさせてもらったのだった。

 昼前はAさんにお茶をご馳走になりながらの語らい、午後は夕時に相棒が少し頑張って、近くの漁師さん直売の獲りたてのエビをてんぷらにしての夕餉の歓談、そしてその後の落陽の撮影と鑑賞。どれも思い出に残るものだった。相棒のてんぷらはその母親譲りで褒めても大丈夫のレベルだと思う。問題なのは、その腕前を滅多に発揮しないということか。ま、旅の間は致し方ないとしても、家に居る時はもう少し多くてもいいように思うのだけど。油のカロリーは高いので、健康管理への配慮なのかも知れない。文句を言うべき筋合いではない。

 Aさんご夫妻との歓談の中で、旅の知人の方たちとのお付き合いのあり方の話がちょっと出た。自分の場合は「淡交」という考え方を大事にしている。「淡交」というのは、荘子の中の「君子の交わりは淡き水のごとく、小人の交わりは甘き醴(れい)のごとし」に由来することばで、文字通り「君子の交わりは水のように淡泊であっさりしているけど、小人の交わりは甘酒のようにベタベタしている」という意味である。自分が君子であるなどとは到底思えず、ごくありふれた小人に過ぎないということはよくよく承知しているけど、自分としてはそのような気持ちで旅の間に生まれた出会いを大事にしたいと思っている。

淡交というのは難しく、奥の深い交わり方のようだ。淡泊という行動・素振りは、時に誤解されやすい。調子を合わせないと相手は無視されたと感ずるだろうし、適当に調子を合わせ過ぎると相手の方はこれはいい加減な奴だと受け止めるかもしれない。とりわけて、人が発することばというのは、必ずしもその真実や実態を反映してはおらず、誰でもそのことは知っているので、結局は総合的な誠意の様なもので淡交というのを表すしかない。理論的にはこれはコミュニケーションのあり方の世界であり、その本質はその人の持つ人間性に関わってくるものだと思う。余分な枝葉は切り払って、その人の持つ人間としての本質的なもの、例えば価値観というようなものがあるけど、それらを尊重するということが大切なような気がする。相手の価値観を認めず、自己主張にこだわる人は、どんなにきれいなことばや情報を並べ立てても、相手とバイブレートすることは出来ないのではないか。自分はそのように思っている。Aさんご夫妻と語り合いながら、そのようなことを思ったのだった。

この日の落陽も絶景を見るには至らなかったのだけど、昨日とは少し違った美しさがあった。夕陽というのは沈む太陽とその背景の空とそれから大地や海や湖との関係で成り立つものだと思うけど、勿論その中心は太陽であり、その光が空や大地などの背景にどのような影響を及ぼし演出を行うかという世界であろう。今日の演出はやや平凡だったけど、普段あまり落陽を見ることのない自分などには、やはりこの地のそれは感動的であり、心に残るものだった。3日の滞在で2回の夕日を見られたのはありがたいことだと思った。

    

 今日の夕日の特徴は、昨日よりも湖面がより多く茜色に染まったということか。遠くの山も湖も、そして自分たちまでもが茜色に染まる絶景をもう一度見てみたい。今年はこれが最後となる。 

今日(8/29)の予定】 

クッチャロ湖畔キャンプ場 → 稚内方面へ(未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <58回>

2012-08-28 08:51:38 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月27日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在   <0km>

≪レポート≫

 昨夜は荒天模様だったのだが、朝起きて外を見ると雲一つない真っ青な空が広がっていた。ただ、風が強くて湖面はさざ波を超えての中波が絶えず押し寄せ、湖畔の水際は白い泡が吹き寄せられていた。この湖は海跡湖というのだそうで、その昔の海の後が陸に取り込まれて湖となったらしい。カモメが飛来し、騒ぎ立てるのも海が近いからなのであろう。今日は終日ここでのんびりと過ごすつもりでいる。念願の夕日絶景ももしかしたら見ることが叶うのかも知れない。

 今日からはいつもの暮らしのペースに戻って、9時からはBS放送の韓国ドラマ「太祖王建」を見る予定でいる。このドラマは、韓国の2度目の三国統一の歴史を描いたもので、日本国よりも歴史の古さを誇る彼の国のことを理解する上でのいい情報となっている。自分は隣国の朝鮮半島の歴史のことは殆ど何も知らないといって良く、このドラマを見るようになってから少しこの国の見方が変わってきている。甲子園での高校野球が始まって以降、ずっと中断されていたのが、今日から再開されるというので、楽しみにしていたのだった。ところが、9時頃は強風が一層強まって、TVのアンテナがこれ又その風をまともに受ける方向なものだから、揺れに揺れて画像が乱れて困惑したのだった。どうにか風に耐えられるように固定して久しぶりのストーリーを思い起こしながら楽しんだのだった。

 その後はグータラの連続で、とうきびを茹でて、そうめんを茹でて、それらを食べながらビールを飲んだりして、午睡をむざぼって、はて、15時過ぎに目覚めて少し過ぎたら、相棒がにぎやかに発声するので外を見たら、何と昨日までご一緒したAさんが入って来られたのだった。夕陽の話をしたので、それを思い起こされて来られたのかなと思った。午後からの空は少し雲は増えたものの太陽は健全で、このまま行けば夕陽が沈むのを見られるのは確実だと思った。ただ、沈む方向の西空には掛かっている雲が少ないので、何年か前に見た湖面も空も茜色に染め上るというような景観を期待するのは無理だろうなと思った。

落陽までにはしばらく時間があるので、町中まで買い物を兼ねて散歩に出かけることにした。町中までは片道2kmほどだろうか。やや蒸し暑く、少し歩くと体が汗ばんでくる。しつこいアブに似た小虫が付いて回って、油断も隙もない。安心感のない散歩だったけど、北海道での日中の散歩にはこのような環境は普通なのであろう。往復1時間ほどかけて車に戻る。遠くて近きは男女の仲、近くて遠きは田舎の道というけど、たった2kmの行程は遠いように感じた。

18時過ぎ落陽が始まる。カメラを手に動き回って写真を撮ったのだけど、やはり普通の夕日に終わったのだった。湖水と空が茜色に染まるためには、どのような気象条件が必要なのだろうか。1年に2~3度しか見られないというそれを見るためには、少なくとも半年間はここで過ごすことが必要なのであろう。さて、明日はどうなるのかなと思いながら、夕陽が静まって暮れて行く空をしばらくの間眺め続けたのだった。

     

クッチャロ湖の今日の夕日。今日は普通の夕日だったのがちょっぴり残念。絶景の夕日となるときは、太陽が沈んだ後、空と湖面が茜色に染め上るのである。

夕食を済まして、今日も早めの就寝となる。相棒の話では、その後の夜空には月が輝き、湖面に漂っていたとか。風邪気味でしばらく風流心はしまっておく必要があると感じているジサマではある。

今日(8/28)の予定】 

終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <57回>

2012-08-27 08:33:11 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月26日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

美深アイランドキャンプ場 →(R40・R275・道道・R238)→ 枝幸町・ニュー光琳(♨) →(R238)→ クッチャロ湖畔キャンプ場   <102km>

≪レポート≫

 宴と歓談の2日間が終わって、今日はここを出て、少し離れた浜頓別町のクッチャロ湖畔のキャンプ場に移動予定でいる。目的があり、それは夕陽を見ること。この湖に沈む夕日は、天気が良ければいつも素晴らしいのだけど、ある種の気象条件を満たした時の夕日は、この世の全てが茜色に染め上るほどの何とも言えない神秘的な世界を現出させるのである。何年か前、年に2~3度しか見られないというその特別の夕日を見て以来、夢よもう一度という気持ちになって、毎年ここを訪れることになってしまった。今年は元々こんなに北の方まで来ることは考えていなかったのだけど、やはりあれをもう一度見たいという願望には勝てず、やって来てしまったというのが本音なのである。勿論、この2日間の仲間との出会いも大事であり、その双方を満たしたいと考えたのだった。

 さて、朝になって、今日はAさんの特別のメニューのカシワの朝粥を頂けるというので、早朝5時から開始という声に間に合うように車の外に出たのだった。今朝は(いつもそうなのだけど)3時前にはお目目パッチリの状態になって、起きだしブログの記事を書いて投稿を済ませたのが5時だった。朝粥は出来上がるまで2時間は必要とのことだったので、7時半頃の朝食に間に合わせるには、5時には炊き始めるということだった。外に出ると、もうAさんは作業に取り掛かられており、炭を熾すのを手伝おうと声をかけたら、何ともう既に炭は熾きており、鍋をかける寸前だった。いやあ、Aさんはとんでもない(?)働き者だなと思った。自分のテーマソングは「村の鍛冶屋」で、機嫌が良い時にはこれを鼻歌で歌いながら動きまわるのだけど、このテーマソングはAさんの方がピッタリしているのではないかと思った。

お粥といえば、病人の食べる定番食を思い浮かべる人が多いと思うけど、Aさんのお粥はそのようなイメージをはるかに離れたものだった。10Lほどは入ると思われる鍋に骨付き鶏肉を入れ、米2合を洗わないままで入れて火を入れ、それを2時間以上炊き続けるのである。中のコメが動くようになってからその米が花の咲いたような状態になるまで、弱火でひたすらに炊き続けるのである。その間鶏と米のアクを取り続けるのである。これは今回は自分が担当させて頂いて、結局2時間近くもアクを取り続けたのだった。自分の人生でこれほど長い時間アクを取り続けたのは初めてのことだった。禅の修行のようなものだなと思った。それにしてもAさんの粥づくりへの情熱というのか気配りへのエネルギーは大変なものだなと思った。粥が出来上がるまで、実に細かく気を配り、そしてその間にトッピングの具を何種類か作っておられるのである。7時過ぎようやく米の花が咲き出して出来上がりとなった。

朝ごはんは皆でそのお粥を頂いた。美味かった。病人のお粥とは味も味わいも全く違うなと思った。時にこのような食べ物を摂り入れることも大切だなと思った。医食同源とは、このような食べ物をいうのだろうなと思った。レンジでチンでは、どんな優れた食べ物でも医食同源の全ての要件を満たすことはないのだろうなとも思った。早朝5時からの2時間に及ぶアク取りは、決して無駄にはなっていないことを確信したのだった。

長いお粥の話となったけど、皆さんと一緒にお粥を頂いている間にそれまで小雨模様だった天気はいきなり悪化し、本降りとなり出した。一時はこれはもう今日ここを出るのは諦めて、もう一泊延長した方がいいかと思ったほどだった。しかし、歓談をしている間にいつの間にか雨は止み、空が明るくなって、暑さが増し始めた。どうやら空は機嫌を直し始めたようだった。その後もしばらく歓談を続けた後、12時のチエックアウト時刻に間に合うように出発の準備に取り掛かる。歓談のテーマは尽きることなく、それを途中で止めるのは惜しいなと思うのだけど、その名残惜しさが残るレベルでお別れするのもくるま旅の醍醐味の一つなのかも知れない。再会を約しての別れは、永遠の別れなどとは違って、力の入ったものとなるからである。

12時少し前、皆さんとのお別れとなる。先ずは隣の音威子府村の黒蕎麦を食べることにして、JR音威子府駅に寄る。ここの黒蕎麦は、くるま旅の、とりわけてバイクで旅する人たちには必ず立ち寄る名物の場所となっているようで、いつ行っても黒蕎麦を求める人が何人かいる。真っ黒で無愛想な傍なのだけど、昔をたくさん経験している人たちには、何とも懐かしい日本の原風景を思わせる味なのだ。蕎麦の本物の味というのは、このようなものなのではないかと思う。そして、やはり味わいは掛けそばが一番だと思う。薬味は刻み葱と七味唐辛子だけでいい。その他のトッピングは無用である。今日も100%完食して、食堂のおじいさんに、ご馳走さまでしたと、どんぶりを返却する。その後は、温泉に入ってからキャンプ場に行くことにして、枝幸町のホテルニュー光琳へ向かう。途中急に眠くなり、道脇の駐車場に入って20分ほど仮眠する。眠くなったら眠るというのが、自分のくるま旅の鉄則の一つである。寝巻に着替えて寝るのも鉄則。20分で眠気は解消し、少し走って温泉のあるホテルに到着。1時間ほどいいお湯を味わって、出発してクッチャロ湖のある浜頓別町へ。

クッチャロ湖畔のキャンプ場に入る前に、少し買い物をしようと町中のスーパーに入ったのだが、愕然とするほどに物価が高い。いつもはどこでもスーパーなら200円前後の氷一袋が250円近くもしていた。外の商品も他所と比べると軒並み高額である。トウモロコシだけが安かったので、買ったのだけど、氷は必需品なので止む無いとして、他のものは買うのを控えることにした。この町に住む人たちは、気の毒だなと思った。また、スーパーの中は冷蔵庫の中のような寒さであり、レジで働く人たちに健康障害が出ないのかと心配になるほどだった。節電が喧伝されている時なのに、この温度管理は常軌を逸しているのではないかと思うほどだった。北海道のスーパーは概して温度が低すぎるというのが関東に住む自分などの感想なのだが、その傾向は北に行くほど強くなるようである。稚内のスーパーはもっと寒いのかなと思ったりした。

クッチャロ湖畔のキャンプ場に着いたのは、16時少し前の頃か。旅車は軽自動車が1台先着していたきりで、キャンピングカーは我々だけ、あとはすべてバイクの人たちだけだったようである。もうシーズンが終わりに近づき、くるま旅の人たちの多くは、北の方から次第に南下を開始していて、逆のことをしているのは、我々だけなのかも知れない。とりあえず3日間は頑張って、ここで夕陽の見られるのを待つことにして受付を済ます。少し風邪気味で喉をやられかけているようなので、早めに夕食を済ませ、寝床に入ることにした。しばらくすると雨が降り出し、今日は夕陽の方は完全にダメということが確定したのだった。

今日(8/27)の予定】 

終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在

 

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <56回>

2012-08-26 04:50:10 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月25日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

終日美深アイランドキャンプ場に滞在   <0km>

≪レポート≫

 今日は大ご馳走と大歓談の一日だった。旅の醍醐味を味わった一日だった。このような嬉しい出来事のあった日は、その内容などを詳しく書くのはどうも苦手である。そのような喜びは、全く個人のものであり、大仰に言いふらすようなことは礼を失するのではないかと思うからだ。だから、ほんの少しその醍醐味のことなどについて紹介することに止めたい。

 昨日は3家族の集まりだったけど、今日は新しくもう一家族が加わって、4家族での集まりとなった。そのメンバーといえば、四国は松山市からお出でのくるま旅の大御所、大先輩のWさん、鳥取県は米子市からお越しの自分と同年代のAさんご夫妻、それに地元旭川在住のSさん親子、茨城県は守谷市からの我々夫婦の計7名のメンバーである。皆さんそれぞれ大先輩のWさんとのご縁が広がって知り合った仲間であり、Sさん親子は自分には初めての出会いだった。Wさんのことは先日も書いたけど、奥様が病でご一緒できず今年は一人旅となっている。Aさんとは、今年の春の九州行の帰りにお宅に寄らせて頂いて大歓待を頂いている。Sさんは先日の別海のキャンプ場にもお越しになり、Wさんの体調のことなど細やかにまめまめしく心を配っておられたのだが、自分はそれを良く知らず、後で家内からその話を聞いていたのだけど、改めて再会が叶って、やはり会うべき人には会えるようにこの世は出来ているのだなと思った次第。今回は高校生の娘さんもご一緒で、娘さんのことは知らなかったのは私共だけで、皆さん既知の仲間だった。Sさんはご主人を亡くされており、いろいろとご苦労も多いのではないかと思われるのに、そのような気振りなど全く感じさせないエネルギッシュな方で、我々世代とは一世代以上下(50歳台)の若い力を以て、娘さんとご一緒に元気を頂ける存在だった。

 さて、その一日だったけど、朝はそれぞれマイペース。Sさんが加わって、お昼はAさんが用意されたそうめんを頂いたのだった。そうめんといえば、我が家ではタレに薬味を入れて食べるだけのものなのだけど、Aさん家のそうめんは超豪華で、薬味も具にも工夫が生かされていて、今まで食べたこともない美味しいものだった。冷たいそうめんを丼などに取り、これに何種類かの具を載せ、それに薬味とタレをかけて食べるのである。これだと大勢で食べてもお箸を伸ばしあうようなことをせず、味わうことができ、嬉しい食べ方の発見だった。薬味といえば、わさびなどが主役だけど、Aさんの所では、わさびに大葉などを刻んだものに明日葉が練り込まれており、これがなかなかのものだった。又このそうめんの外に、Sさんが今朝わざわざ何と紋別まで行かれて、アツアツの揚げたてのさつま揚げを買われ、断熱財の箱に入れて持参されたものを頂き、これはもうただ食べるだけではもったいないと、ビールの出番となったのだった。名古屋弁でいえば、「うみゃ~」である。こんなに食べてしまい、飲んでしまって、今夜は大丈夫なのかと、糖尿の病を管理する者としては、多少心配もあったけど、それよりもこの今のご馳走を頂けるチャンスの方を大事にしたいと思ったのは、いつもの通りである。

 その後、夕食のパーティまでは時間があるので、車に戻り午睡を貪る。と言っても今日は天気が良すぎて、気温は30℃を超えている。風は少しある様だけど、車の中では窓を開けてもそれほど通って行かないので、眠りにつくまでは少し時間がかかった。15時過ぎに目覚めた時は、皆さん晩餐の準備に取り掛かられていたようだった。今夕は、Wさんは3品の出品を宣言されておられた。84歳にして自らメニューを決め、レシピを明示してという活躍ぶりである。病のために腰が曲がり歩くのにも不自由されているというのに、車の運転といい、調理への意欲と言い、その頭の冴えぶりには敬服するのみである。人はやはりその半分以上はスピリットで生きているのだなと、この方の生きざまを見る度にそれを教えられるのである。自分は1品だけ、ジャガイモ料理(料理と言えるのか?)を作るだけなので、17時半の開催時間に合わせて調理に取り掛かった。AさんとSさんの取り掛かられているメニューは、自分には未知の世界のもので、これはもう丁寧で、アウトドアの技術と家庭料理の工夫を取り入れた手の込んだものだった。その内容を書くのは困難で、とても無理。食べることだけに専念することにした。

 そのようなプロセスを経て始まった晩餐会は、くるま旅の醍醐味そのものだった。乾杯から始まり、目前に並んだ様々な料理珍味を口に入れる度に「美味い」「うめえ」「うみゃー」のコメントが飛び交い、まあ、その賑やかなこと。一段落すると、それからは様々な思い出話や出来事を巡る様々な話題が広がり、流れ続いて、ただただその中にいることを嬉しく実感したのだった。住む場所も、育った環境も、経験した仕事も人生も、何もかもが異なる人間が出会って、ここに集まり、それらの過去の殆どを忘れてくるま旅での悲喜交々の話を共有できるというのは、何と素晴らしいことか。多くの人は世間に縛られ、自分に縛られ、不自由の中にわずかばかりの自由を見出したつもりになって生きているように思えるのだけど、こうやってくるま旅を通しての出会いの世界は、心底生きていることに開放感の喜びを感じることができるのである。自分はくるま旅というのは、出会いという宝物を探し、拾い、磨き。楽しむことなのだと思っているけど、今夜のこの時間はまさにその醍醐味を享受している時なのだと思った。

 まだまだ感じていることはたくさんあるけど、独りよがりとなってしまうので、今日の嬉しさや楽しさの披瀝はここまでにしておこうと思う。今年の旅の中での、とても心に残る一日だった。

今日(8/26)の予定】 

美深アイランドキャンプ場 →(R40・R275)→ クッチャロ湖畔キャンプ場

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <55回>

2012-08-25 08:25:18 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月24日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

ウスタイべ千畳岩キャンプ場 →(R238・道道12・R275・R40)→ 美深アイランドキャンプ場 (泊)   <88km>

≪レポート≫

 今日は書くのは休みです。昨日、枝幸のウスタイべ千畳岩キャンプ場から移って、今日と明日は、親しき知人の方たちと歓談の時間を過ごす予定です。

今日(8/25)の予定】 

終日美深アイランドキャンプ場に滞在

 

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <54回>

2012-08-24 05:04:15 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月23日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

終日ウスタイべ千畳岩キャンプ場に滞在(午後中へ買い物に往復)(泊)   <8km>

≪レポート≫

 今日も特に書くこと無し。昨夜は後半から風が強くなり、時折雨が天井を叩いたりして騒々しい天気となった。特に朝方は、直ぐ傍の海は沖の方に白波を立てていて、強風が吹きまくっていた。昨夜は珍しく芝生の中に車を停めたので、下の地盤が少し柔らかくて、何だか車が地面にのめり込みそうな気がして、早々に車をコンクリート舗装の駐車場の方へ移動させる。ウスタイべ千畳岩は、枝幸市街を見下ろす小高い丘を形成しており、その上は広大な芝などの草に覆われたキャンプ場になっている。無料のフリーサイトだけで、炊事場もトイレもごみ処理場も用意されており、電源が無いのだけが残念だけど、これほど恵まれたキャンプ場は他にはそれほど見当たらないのではないか。犬などのペットを同伴している人には、きちんと管理してさえいれば特段の制限もないので、ありがたい場所ではないかと思う。ただ、天気が荒れると海からの風も強く、滞在は厳しくなるのが残念である。

 今日は昨日までの暑さとは無縁の天気となりそうなので、ここに終日滞在することにした。高校野球の決勝戦があるし、比較的近くにある美深町のアイランドキャンプ場に滞在されているくるま旅の大先輩のWさんの所に知り合いの方が何人か集まられるので、北上のコースとタイミングを一時変更して、自分たちも明日お邪魔して加わろうと考えている。今日はそういうわけでその調整日でもあるわけ。

 ところで、エサシといえば、思い浮かぶ地名はこの枝幸ではなく、道南の江差であり、岩手県の江刺である。最初にここを訪れた時は、カニ祭りに釣られてやって来たのだったが、その字を見てエサシと読むことは出来なかった。「えだゆき」とか「しこう」とか読むのかなと思ったのだ。それが「えさし」と読み、北海道では一般的に「北見えさし」と呼ばれていることを知ったのは、しばらく経ってからだった。エサシは勿論アイヌ語の地名から来ており、どれも皆同じような特徴を持った地形を意味している様である。アイヌ語地名辞典を引くと、海岸に出た崎というような意味の様である。となれば、同じような地名は道内各地に、まだまだたくさん残っているのかも知れない。ここの枝幸の場合は、町の北部の海に突き出たこのウスタイべ千畳岩が海に突き出た場所としてエサシの地名の起源となっているようだ。道南桧山の、追分で有名な江差も、日本海に突き出た小さな岬があり、首肯できるのだけど、岩手県の江刺は海とは無縁の地であり、これはどういうことからこのような地名が付いたのか、解らない。アイヌの人たちとは関係のない場所だったのか、そのようにも思われる。地名の成り立ちというのは、こだわってみると、なかなか面白い。エサシはその代表的な地名の一つのように思っている。

 午前中は真面目に高校野球を観続けた。途中で時々外に出て水の補給を行ったり、車のフロント部分の清掃をしたりして、気分転換をしたりしながらの観戦だったが、勝たせたかった青森の星光学園は大阪桐蔭のピッチャーを打ち崩せず、春の大会の返り討ちに会い残念だった。春夏同じチーム同士で決勝戦を戦うというのは、大変なことだと思う。全国高校球児の頂点での戦いを2度も行うというのは、これはもう実力そのものと言ってよいと思う。勝敗は時の運ともいうけど、運だけではこのような巡り合わせは滅多に起こるものではないからだ。内容的にはやはり大阪桐蔭の方が、力が一枚上だったということか。しかし、星光学園も東北の最北地の代表として、立派な成績を残したものだと称賛したい。

いつもそう思うのだが、勉強など放り投げて野球に専心することは、邪道ではなく正道ではないか。本当の勉強というのは、大して使いもしない知識を詰め込んだりすることよりも、野球を通して人が生きる為の知恵を真剣に学ぶことの方ではないかと思う。勉強よりも部活の方に打ち込んでいる高校生諸君も多いと思うけど、野球によらずどんな部活でも、一時は○○バカと呼ばれるくらい、その道に打ち込んでみて欲しいなと思っている。生身の人間同士の触れ合い揉みあいの中で、様々な形で失敗や苦難などの逆境を経験することが、人が生きる知恵を磨く源泉なのであり、それは高校時代では部活以外の場ではなかなか見いだせないのではないか。ま、学問をおろそかにしても構わないとは言えないけど、自分的には経験的に言っても学問よりは、青春時代に打ち込んだそのような活動の方が、はるかに人生には役立っているように思っている。因みに自分の場合は、バスケットボールともう一つは個人的文学活動だった。高校野球を観ながらそのようなことを思ったのだった。

 高校野球が終わる頃には日も差してきて、天気は回復に向かったようだった。夕食には何か魚などが食べたくなって、14時過ぎに町中まで買い物に出かける。枝幸の町並みは、以前に何度も歩いているので、まだ忘れてはいない。スーパーまで行って、あれこれ物色して必要品を買う。魚はツボダイの干物にした。このところ野菜類が多くて、昨日の夕食はナスのかば焼きだった。先日TVを見ていて、それにあやかろうと相棒がかば焼きのタレなるものを買っておいたのを使っての一品だったが、はっきり言って迫力のない味だった。ベジタリアンを標榜しているけど、時には魚や肉も食べないと熱中症になってしまうかもしれない。塩をなめ、水だけ飲んでいれば防げるというものでもなかろうと思っている。しかし、牛や馬たちは熱中症にはならないのだろうか。時々変なことを考える。悪い癖ではある。くるま旅の普通の暮らしとは、まあ、こんな日常の連続でもある。

 夜には星も見えて、涼しさも一段と加わり、凌ぎやすくなった。明日から又暑さがぶり返すのかも知れない。ほどほどにして欲しいなと思いながら寝床に横たわる。しかしまあ、特に書くこともないなどと言いながら、長々とつまらぬことを書いているものだと思う。

今日(8/24)の予定】 

ウスタイべ千畳岩キャンプ場 →(R238・道道12・R275・R40)→ 美深アイランドキャンプ場

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <53回>

2012-08-23 06:37:35 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月22日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:かみゆうべつおんせんチューリップの湯 →(R242・R238)→ 紋別市内コインランドリー →(R238)→ 雄武町内プロパンガス店 → 道の駅:マリンアイランド岡島 →(R238)→ 枝幸町ウスタイべ千畳岩キャンプ場(泊)   <139km>

≪レポート≫

 昨夜は騒動付きで、寝入りばなに調子を乱されたせいか、朝の目覚めは少し頭の重いものとなった。すべてが暑さに起因するものだったと思うけど、今日もまた暑さは収まらない様で、起き出して外を見ると、ピカピカの青空が広がっていた。まさに雲一つない快晴である。爽風が吹いて、真に気持ち良い朝なのだが、これがいつまで続くかは時間の問題であり、間もなく昨日と同じような灼熱地獄が到来するに違いない。ニュースを見ていたら、現在の北海道内では、雄武町の気温が最高で何と29℃にもなっているという。雄武町は、今日LPガスの補填に寄る予定であり、いやはや大変だなと思った。

 今日の予定は、先ずは紋別市内のコインランドリーで溜まっている洗濯物を処理し、その後は雄武町でLPガスを充填して北上を続け、枝幸町のシンボルともいえる千畳岩の上のキャンプ場まで行って、そこに泊まるつもりでいる。この暑さでは、逃げ場はないと思われるので、今日はじっと暑さに耐える一日になるのに違いない。全く、8月も終わり近くになっているというのに、今夏の最高気温を記録し続けているとは、どういう異常気象なのだろうか。九州の方では雷雨に見舞われるとの予報もあり、まるで暑さ絡みで異常気象がこの国を集中攻撃しているかのようだ。

 上湧別の道の駅の駐車場には、昨夜騒音をまき散らしたトラックも、人声で夜中の清閑をかき乱したバスコンも消え去って誰もいず、残っているのは我々の他に2~3台の旅の車だけだったが、それらの人たちも早々に出発して行って、残ったのは我々だけだった。じりじりと暑さが膨らみ出す8時半出発となる。先ずは紋別市のバイパス沿いにあるショッピングモール近くにあるコインランドリーを目指す。いつもお世話になっている店である。9時過ぎに到着。店の前の駐車場付近に打ち水をしてくれていて、これはありがたいなと思った。打ち水の上を渡る風は、涼風となってやって来て、車の窓を開けると暑さの感じ方がだいぶんに違うのである。店の人の心づかいかなと思った。洗濯は相棒の担当なので、荷運びが終わった後は、しばらく高校野球を観戦することにした。洗濯にはたっぷり2時間以上がかかるので、時間を過ごすには好都合だった。大阪桐蔭と高知の明徳義塾の準決勝の一戦だったが、見ている間の状況としては、大阪桐蔭に軍配が上がりそうな気配だった。途中まで見ていて、近くのショッピングモールの幾つかの店に買い物に出かける。外はもの凄い暑さである。直ぐに店の中に飛び込んで、トイレの防臭剤などを買う。食品売り場などは冷房が効き過ぎていて、寒いほどだった。いつも思うのだけど、このような職場で働いている人たちは、体調の維持管理が難しいのだろうなということ。人間が暑さをコントロールできるということはありがたいことだけど、それをやり過ぎると人間には悪影響を及ぼすことになり、不自然というのは、生きる環境としてはあまり適しているとは思わない。しかし、今日みたいに自然の方が狂ってくると、冷静な不自然さも大事だということになるのかも知れない。自然と不自然の間を行ったり来たりしながら、とにかくこの暑さに辟易したのだった。

 洗濯の方は相棒専任の仕事なのだけど、車にも戻らずランドリーの中で良く耐えているなと思ったら、どうやら店の経営者の人を捉まえて、あれこれと話に没入しているようだった。行ってみるとその若い経営者の方は、別海町出身だそうで、それで一層話が盛り上がったらしかった。お互い時間つぶし(?)には好都合だったということか。2時間半近くかかって洗濯は完了。これでしばらくは着るものに困ることはない。打ち水のおかげで涼しい風に恵まれ、大いに助かった時間だった。その後は、給油の後雄武町のLPガス屋に向かう。まだほんの少ししか雲が湧いておらず、依然ピカピカの青空が広がっており、海岸沿いに走る道には、木陰の逃げ場など全くない。暫く走って、雄武町郊外のLPガス充てん所に寄り、充填をお願いする。担当の人が少し離れた本店の方に駐在されていり、その方が車でしばらく時間がかかった。この店には毎年お世話になっている。北海道内では、最も良心的な店の一つだと思っている。

 LPガスの充てんが済んで、一つ課題が減って、ついでにお腹の方も減ってきた。雄武の道の駅で食事を考えたのだけど、今一食べるところが見当たらないので、少し遠いけど、枝幸町にある次の道の駅:マリンアイランド岡島まで行って、ホタテカレーなどを食べることにして出発。40分ほどかかって到着。既に13時を回っており、空腹感は自分よりも相棒の方が大きかったようだ。ホタテフライ定食をオーダー。相棒はホタテカレーだった。久しぶりのここの食堂での昼食だった。岡島の道の駅の海側のすぐそばには、立派なキャンプ場があり、何年か前までには、無料の電源サイトのあるそのキャンプ場は、占有者や付近の海で密漁もどきをする滞在者がいて、町の人たちの顰蹙(ひんしゅく)を買い、結局電源は取り外され、来訪者は極端に少なくなったという履歴がある。食事の後、今はどうなっているかなと行ってみたら、3台ほどの車が休んでおられた。電源は無くても、立派な独立したサイトがそのまま残っており、釣りなどを楽しむには格好のキャンプ場だと思う。

 その後は、今日の宿を予定している枝幸町のシンボルの一つともいえるウスタイべ千畳岩の上に広がるキャンプ場に向かう。ここは毎年枝幸町のイベントの一つのカニ祭りの会場となる場所で、7月第一土曜・日曜日には、この広大なキャンプ場に全国各地からの旅車などが集まって、中に入れない車はもう一つの大きな駐車場に行くことを余儀なくされるといった状態となるのである。このところカニ祭りには来ていないので、状況は判らないけど、聞くところでは相棒の関心大のよさこいソーランでは、枝幸町のチームが大賞を獲ったり、準優勝をしたりしているとか。相棒はそれを見たいとしきりに騒ぐのだが、自分の方はただ聞き流すだけである。

 そのウスタイべ千畳岩のキャンプ場についてみると、10台ほどの車が思い思いにキャンプ場や駐車場に車を停め、休んでいた。テントも幾つか張られていた。今日はとにかく暑いので、皆さんじっと我慢して暑さが過ぎるのを待っているように思えた。自分たちは、先ずは暑さを何とかしようと、岬の方に行き車を停め、風を期待して休むことにした。樹木などは全くないので、風を頼むしかないのである。殆ど風は吹いていないように見えたけど、窓を開けると良く風が通って、これなら昼寝も大丈夫だなと思った。車内の温度は30℃に達していたが、風が通ると大分に気分も変わってくる。それから2時間ほど午睡を貪る。目覚めて、近くのホテルの温泉に入りに行く。戻って、夜を迎える。

 今日も一日暑さにいじめられ続けた時間だった。それでも昼寝ができるほどの場所と時間に恵まれたのはラッキーだったというべきであろう。予報では明日は空の空気が入れ替わり、暑さも弱まるとのこと。又雨が降るなどという情報もあり、どうやら天気は再び乱れ始めるようである。クッチャロ湖の夕日が満喫できるような天気やってくることを願いながら、寝床に入る。

今日(8/23)の予定】 

ウスタイべ千畳岩キャンプ場 → (未定)

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‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <52回>

2012-08-22 06:26:41 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月21日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:おんねゆ温泉 →(R39・R242・R333・道道)→ 丸瀬布温泉・マウレ山荘 →(R333・R242)→ 道の駅:かみゆうべつおんせんチューリップの湯(泊)   <121km>

≪レポート≫

 今日は愚痴以外に書くこと無し。猛暑の、酷暑の難儀を思い知らされた一日だった。長いこと別海に滞在していて、今夏の暑さというものを殆ど体験しておらず、こんなことでいいのかなどと頭でっかちに不安などを覚えていたのだったが、別海を出て一週間目にこの夏最大の暑い日に遭遇して、喘ぎながら頭でっかちの貧しい恐ろしさを実感したのだった。

 温根湯温泉のある留辺蘂町は、北見市の西にあって、山の迫る小盆地の様な地形にある。北見市の市街地よりもその蒙る暑さの度合いは、一段上なのではないか。駅構内の果夢林という売店の開くのが9時であり、それを待っていたのだが、8時半頃には既に車の中は30℃を超え、外気はそれ以上に高くなっている感じがした。まさにジリジリと地を焼くような暑さが地面から伝わって来て、こりゃあ、今日はどうしようもないなと思ったのだった。というのも、これからの予定はオホーツク側を北上しようと考えているので、暑さから逃げられる場所にたどり着くまでに時間がかかるからである。一気にクッチャロ湖まで逃げるという手もあるけど、途中で寄りたい場所もあり、そう簡単に暑さばかりを考えるわけにもゆかないのである。

 売店が開くのを待って、買い物を済ませた後、ここでは木陰など全くないので、今日入浴を予定している丸瀬布温泉のマウレ山荘まで行って、そこで何とか暑さを凌ごうということにした。マウレ山荘の駐車場は木立に囲まれているので、運が良ければそこに車を停められるはずだし、障碍者の絵画を展示しているマウレミュージアムもある。行けば何とかなるだろうという思いで、出発したのは10時半近くだった。留辺蘂から生田原方へのR242を左折して、山の中の道を丸瀬布の方に向かう。ずっと両側に樹木の立ち並ぶ道なのだけど、木陰のあるような場所はほとんど見当たらない。走っている間は、クーラーが効いているので、暑さはさほど感じないのだけど、途中チャチャワールドという木工芸品を扱う店に寄った時は、地面からのむせ返るような熱気に頭がくらっとするほどだった。

 遠軽からは道はR333となり、間もなく丸瀬布の町に入り、直ぐに左折して道道に入り、更に山の中の上武利という所を目指す。マウレ山荘があるのは、この地区である。道の両側には一層緑の木立だ迫ってきているのだけど、駐車帯はカンカン照りで、その勢いは一向に収まろうとしない。別海と比べて、これが同じ北海道とはとても信じられないほどの暑さなのである。おまけに今日は風一つない静まった日で、騒いでいるのは照りつける太陽の光だけの感じだった。12時15分マウレ山荘の駐車場に到着。木陰が無いか探す。あった。完ぺきではないけど、車体の半分以上は入る木陰が残っていたのはラッキーだった。さっそくそこに車を入れる。しかし、この暑さは小さな木陰などで防げるほど生易しいものではなかった。車内は32℃を超えている。窓を開けると、時折かすかに風らしきものが身体を撫でて通り過ぎていくのが判る。とにかく耐えるしかない。外の山の中の藪に入れば少しは涼しいのだろうけど、そんなことをしたら虫の餌食となってしまう。とてもできる話ではない。昼食を済ませ、とにかくしばらく寝床に横になることにした。相棒は下の方で、何やらやっていたようだったが、自分の方は今朝茹でておいたジャガイモを食べて程よく満腹となり、少し眠気がやって来たので、そのまま寝てしまえと思ったのだった。じわっと滲んでくる汗のことは忘れて、眠気に身をゆだねて、それでも小一時間ほどは眠っただろうか。目覚めると14時になっていた。一層暑くなっているので、外を見ると、いつの間にかお天道様が木陰を反対側の方に作っている状態だった。暑いはずである。少しでもいいから木陰を求めてもう一度車を移動する。そのようなことをしている内に15時になってので、温泉に入りに行く。

 ここの温泉は80余年の歴史があるとか。柔らかくてすべすべしていい湯である。今日はお湯の方が外気よりも温度が低いのではないかと思うほどだった。お湯に浸っては上がってシャワーの水を被り、そのようなことをくり返している内に外の暑さのことは忘れてしまったようだった。さっぱりして車に戻ると、さあ、それからが大変。汗が噴き出して止まらないのである。熱中症にでもなったら大ごとだと、慌てて水を何杯か飲んだ。相棒の方は用意周到でいつも水のペットボトルを持参しているけど、自分は日中はあまり水を飲まない。しかし今日はさすがにまあいいやとはゆかないなと思った。汗が止まらないので、着替えをしても無駄だと考え、そのまま車を運転して丸瀬布の道の駅まで行き、そこで着替えることにして出発。走っている間にエアコンの力で少しは汗も泊まろうという算段。しかし間もなく体が冷えだしたようで、何だか調子が狂いだしたようだった。直ぐに道の駅に着き、着替えを済ます。これは相棒も同じ。

 今日の宿は上湧別の道の駅:かみゆうべつチューリップの湯という所にしている。途中遠軽町のスーパーで氷などを買う。17時半道の駅に到着。ここには幾つかの広い駐車場があるけど、いつも車を停めているトイレと水場がある所に行ったら、大型のキャンピングカーは駐車禁止と書かれていた。大型ではないのだけど、何だか入れにくい気がして、所定の文化センター前の駐車場という所に車を入れる。ところが、ここには大型のトラックも入って来て、夜間の騒音が懸念されたのだった。悪い予感は当たるもので、先に一眠りしていると相棒がブツブツ言っているので目が覚め、何かと思ったら大型のトラックがエンジンをかけっ放し、その近くにバスコンなどが何台か停まっており、そこから降りた人たちが何やら大声で話をしており、それに子供の騒ぐ声も混ざって、相棒は相当にお冠の様だった。それに加えて、蚊も侵入してきており、暑さは少し収まったものの、イライラの要因は車内外に満ちているようだった。ここに泊まるのは止めて、急遽温泉側の駐車場の方に移動する。もう23時近くになっていた。人災天災(?)入り交ざっての、暑さがもたらしたとんでもなく疲れた一日だった。それにしても北見や紋別地方はこの夏一番の暑さだったとは。別海での暮らしが、いかに恵まれたものだったかを改めて実感したのだった。明日は北上を早めなければなるまいと思っている。

今日(8/22)の予定】 

道の駅:かみゆうべつチューリップの湯 → 紋別市郊外のコインランドリーにて洗濯 →(未定)

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