【昨日(8月30日)のレポート】
≪行程≫
稚内公園森林キャンプ場 →(R40)→ 稚内市内スーパー →(R40・R238)→ 道立宗谷ふれあい公園キャンプ場(泊) <11km>
≪レポート≫
昨夜から吹き始めた強風は、朝になっても一向に弱まることなく吹き荒れて、まあ、BSアンテナを思うさまなぶり続けて、落ち着いてTVを見させてくれないほどだった。台風崩れの余波なのか、真に迷惑極まりない大風だった。暑さの方は昨日ほどではなかったけど、一寸でも風が止むと、忽ちじわっと蒸し暑さがにじり寄って来るという状態だった。こんな、日本の最北端の町で、もう直ぐ9月を迎えるというのに、暑さがこれほどしつっこく付きまとっているのは、やはり相当におかしな気象状況なのではないかと思った。
今日は昨日行けなかった稚内空港寄りにある、道立の宗谷ふれあい公園内にあるオートキャンプ場へ行き、日本最北端の地での今年最後となるであろう一夜を過ごすつもりでいる。このキャンプ場にはまだ行ったことが無い。先日別海で再会を果たしたKさんから、とてもいい所なのでぜひ一度行ってみてくださいと、場所や宿泊の要件などまで記したメモを頂戴しており、ぜひ訪ねようと思っていたのだった。受付が13時からだというので、午前中はここを中心に過ごし、その後若干不足している物を買ったりしてからキャンプ場に向かうつもりでいる。しかし、もの凄い風が吹き続けており、一体いつになったらこれが収まるのやら、南西方向からの雲はかなりの速さで流れ続け、それを煽るようにして風の塊が吹き下ろしてくる。
ドラマ「太祖王建」を見ていると、隣のHさんからお声がかかった。自分たち二人の写真を撮らせて欲しいということだった。どうやら何やらの取材絡みらしい。相棒に訊くと珍しく、私はいいからあなただけ撮って頂いたら、などといっている。TVの番組を見始めたばかりというのではなく、どうやら隙を急襲された感じがあり、まだ十分に服装も顔も整い終わっていないからの様だった。女性の心理という奴は未だに良く解らないけど、どうして化粧とか服装とかいう奴に一々こだわるのだろうか。ま、美しくなりたいとか、人並みでありたいとかいう心理は良く解るけど、社会的な毎日がそこから出発するというのは、70歳を幾つか超えた老人にはやはり解せない。もういつも素顔で、寝巻でない服装なら、そのようなことは気にしなくたっていいんじゃないかと思うのだけど……。しかし我が相棒には、そのようなことは通ずるはずがない。ということで、しばらくTVの定期鑑賞の時間なので待ってほしいとお願いした。その後、TVを見ながらの相棒は、結構忙しかった(?)様だった。
今朝、ごみ捨てと鍋を洗いに行った時にHさんにお会いして、少しばかりくるま旅絡みの話となったのだったが、その中で自分の人生の宝探しのことなどもお話したのだったが、それらに関連して、Hさんは「グレイ・ノ・マド」の話をされていた。グレイ・ノ・マドというのは、「grayno mad」という言葉で、グレイは髪の毛の色をイメージしたいわゆる熟年世代というような意味なのだろうか、そしてノ・マドというのは、遊牧民とか流浪の人とかいうことらしく、Hさんの話ではヨーロッパでは、現役リタイア後にくるま旅をして新しい人生を楽しむライフスタイルの人たちのことを、そのように呼ぶとのことだった。そして、彼の主張はこのグレイ・ノ・マドの人たちがこれからの国を救うのだということだった。まさにこれは自分の考えと合致しているなと思った。くるま旅の先進国の具体的な状況は、自分には全く知らないのだけど、ヨーロッパよりも過密な車社会を作り上げているこの日本国の、くるま旅に対する環境対応の遅れは、殆ど手つかずのレベルにあるということはよく知っている。日本では、彼の言うグレイ・ノ・マドというとらえ方は殆どないのではないか。ましてや国を救うなどという発想は皆無だと思う。定年後に車を使って走り回っている旅の人を胡散臭い目で見つめ、又何か悪いことを仕出かすのではないかと、ウオッチこそすれ慈眼を以て受け入れる地元人は年々減っている感じがする。自治体などもごみ箱の撤去競争にしのぎを削っている感があり、なんともはやセシウム並みの扱いに堕ちようとしているかの如くだ。ま、これは言い過ぎだけど、日本ではくるま旅のグレイ・ノ・マドがこれからの世の中を救うのだなどという発想は、未だ最低レベルにとどまっている感じがする。その中での彼の発想は素晴らしい。マイナーの社会の自己弁護ではなく、くるま旅はそれを経験してみれば誰でも実感することだけど、多くの出会いが自分を元気づけ、残された人生を活き活きと生きる為の大きな力となるのである。そのような自身のパワーに気付いたグレイ世代は、病や老の無力感にさいなまれながらより多くの社会保障費を求めるような人生は決して送らないということは、自明のことだと思う。Hさんの主張は正しいのだ。老人や病持ちがより活き活きと生きてゆく手立てや支援を工夫するための資本投入の方が、病や老の治療費・保護費などよりもはるかに少なくて済む筈だし、元気な老人は経済のタガを回すことにも貢献することができているのである。くるま旅の元気老人は、霞を喰って旅をしているのではない。地元の新鮮な食材に一層の元気を頂戴しながら、嬉しく生きているのだ。と、まあ、こんな気持ちでHさんとしばし話を交わしたのだった。
TVを見終えて、Hさんの撮影に応じた。記事に使わせて貰うかもととのお話だったけど、今更恥ずかしいという年頃でもないので、どうぞとお答えしておいた。願わくば人目には触れたくないというのが相棒共々の本心である。その後もしばらくの間Hさんと、それにその知人の札幌在住のAさんも加わって、話題の花が咲く。立ち話だったけど、くるま旅ならではのいい時間だった。この間も強風は吹き続け、今回の北海道の旅を今日で終えられるというHさんは、この風当たりの車の影響を心配されて出発を逡巡されておられた。間もなく決断されたようで、出発される二人を見送った。
11時半過ぎ我々もお世話になった稚内公園森林キャンプ場を後にする。坂を下る途中にサハリンを望む氷雪の門のモニュメントなどが建っているけど、今日は車を停めるのは止め、走りながら往時の人たちの悲しくも切なる心情に祈りの心を寄せたのだった。アイヌの人たちから見れば、サハリンも彼らの土地だったのではないか。ロシヤ人の強欲さには嫌悪以上の何かを感じてならない。シベリアもアリューシャンもその領土の殆どは、武力に任せて強奪した戦利品に過ぎないし、北方四島などは、どさくさにまぎれた悪計で騙し横取りしたままの土地ではないか。歴史的に日本固有の領土であることは自明のことなのだ。時あたかも竹島や尖閣諸島の領土問題が喧噪化しているけど、自分的には、対ロシア関係の領土の復旧の方がはるかに重大な外交問題ではないかと思っている。おっと、きょっと入ってはならない横道に入ってしまった。失礼。
街中のSというスーパーで買い物をする。昨日も感じたのだが、このスーパーの客扱いというか、経営の進歩はかなり遅いように思った。5~6年前と変わっていない、というより現状維持を続けているが故の後退にも見える。建物と駐車場などはその後の手当ては殆どされておらず、明らかに悪化していると思った。氷を調達しようと思ったのだが、かなり大きなショーケースの氷の棚は全く空っぽで、1枚の一袋の氷も見当たらなかった。相棒が在庫を確認しようと尋ねると、傍にいた店の人が自分の担当ではないからわからないなどと返答していた。販売やサービスを業としている業界に働く者の返答としては、時代稀に見る愚答である。苦しい経営が続いているのかも知れないけど、こんな状態では見通しは決して明るくはならないだろうと思った。郊外に気の利いた大型のショッピングモールでもできたなら、いっぺんに明日が無くなるかもしれない。今はそんな時代なのである。少し気の毒だなとも思った。
ふれあい公園の受付場所には30分ほど早く到着。広大な緑地の公園で、いろいろな施設が点在しているようだった。オートキャンプ場は、入り口からはかなり遠くにあって、様子はとても見渡せない。受付に行ってみたけど、誰もいないので、時間を待つことにした。Aさんもお出でになるというので、探したのだけどまだ未到着の様だった。携帯電話を手元に置かなかったので、探して画面を見たら着信の表示があった。誰かなと思ったら、Aさんからだった。直ぐに電話をしたら、なんともう既に受付を終えて中に入っておられるとのこと。どうやらここでは、時間厳守にこだわるだけではなく、来客に対する仁義サービスも心得た対応をしてくれるらしい。さっそく受付に行き、呼び鈴を押したら快く対応頂いたのだった。ありがたいことだ。広い構内の中を少し進んで、Aさんの車を見出し、隣に車を停める。プライベートサイトなのだが、電源と給水設備は個別に設けられており、駐車スペースも円形に作られており、自在に車を留める向きを調整できる。今日みたいに強風の吹き荒れる時には、真にありがたい仕様である。挨拶を交わした後はとりあえず電源をつなぎ、TVのチャンネル設定などをする。地形の関係なのか、地デジは映らなかった。アンテナをかなり高くしなければダメな様だった。強風の中でのBSアンテナの設定は厳しかったけど、どうやらこちらの方は受信OKとなった。
その後の時間は、広大なキャンプ場の独り占めならぬ、Aさんとの2家族占めという嬉しくもありがたい時間を独占できたのだった。唯一最大の邪魔者は、もう1日以上経っているのに、絶えることなく吹き続ける強風だった。地面にサンダルを揃えて置くと、あっという間に風が運んで、違う場所に不揃いで散り投げてくれるというほどだ。そんな強風の中なのに、アウトドアの達人のAさんはテントを取り出し、設営を始めらえたのには驚いた。どうすれば設営できるのかと危ぶまれるほどの強い風の中でも、設営の方法はあるもので、着実にテントが組み上げられていったのには脱帽である。しかし完成しても中に入って落ち着くには無理があり、もみくちゃにされるテントを可哀想だなと思いながら、それを見つめながらビールを一杯やっているAさんの脇に行って、しばらく歓談した。このテントは、買って間もない頃にクチャクチャにされたという歴史を持っているとか。サロマ湖の辺りでその洗礼を受けたのだという話だった。Aさんの話は実に面白い。今回はその時ほどには至らないようにと自分なりに願った次第。
夕刻になりかけて、少しは風も収まりそうな気配を感じたのだったが、又々ぶり返しのような風が吹き始めて、揺らぎ続けるテントの中で、2家族の豪華な夕餉が始まる。このような体験も思い出に残るものとなるように思った。Aさんご夫妻と、改めてしみじみと話をさせていただきながら、くるま旅ならでの醍醐味をたっぷりと味わった時間だった。晩餐が終わっても相変わらず強風はテントをいじめ続け、風を切る音が、車の四方から賑やかだった。我々の味わっている感慨にやきもちを焼いての、天の嫌がらせだったのかもしれないけど、そのようなことで我々グレイ・ノ・マドの嬉しい心を邪魔立てすることは出来ない。夜もかなり遅くなって、天もそれを知ったかのように静かになったようである。
今日(8/31)の予定】
道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場 →(R238・R40・R232)→ 天塩鏡沼海浜キャンプ場 →(R232)→ 道の駅:ほっと・はぼろ(羽幌町)(泊)