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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の記録のこと

2011-10-31 04:51:36 | くるま旅くらしの話

 

 そろそろ本来の旅の話に戻りたいと思っているのですが、実際に旅に出かけていないと、自分の感性が鈍くなって、旅の中での感動を味わう心や伝える力が相当に低下してしまいます。反面、旅の最中は新鮮な感動をたっぷり味わいたいと思っているものですから、メモや記録を残すのが面倒となり、ついおろそかになってしまいがちです。同じ自分であるのに、その時々の状況で相矛盾した気持が錯綜するというのは、元々がいい加減な人間であるからなのでありましょう。

 私は旅に出ると3つの作業をすることにしています。その一つは毎日の行程に従って随時メモをとること。この為には自分で所定のメモ用紙を用意し、行程の区切りごとに時間と場所、気づいたことなどを書き込むようにしています。2番目は毎日日記を付けることです。これは集文社という所の発行する横線当用日記というのを利用して書き込んでいます。そして3番目は、旅が終わった後に旅での出来事などを綴った記録の「でこぼこ日記」というものを自家製本で作ることです。この3つの作業は、旅での暮らしの大きな柱としてこの8年間継続してきました。

この他にも旅が長期にわたる時には、毎日ブログに昨日の出来事などを綴って載せるようにしています。これらの作業は相関連しており、同じ内容のことを重ねて書いたりしますので、考えてみれば無駄が多いのですが、元々無駄が気にならない人間なので、あまり苦になることはありません。でもこの中で、ブログの内容とでこぼこ日記の内容は相当に重なっていますので、この頃はブログの発表の内容をほんの少し修正する程度で、それをそのままでこぼこ日記に使うようにしています。従ってでこぼこ日記とブログの内容は殆んど同じですので、これだけでは旅の本当の面白さや楽しさを残せないのではないかと考え、その時の旅の中で特に印象の深かった事項を取り上げ、エッセーとして綴ってゆきたいというのがこれからの課題です。

このような記録作業を始めたのは、10年ほど前にくるま旅を本格化させたいと考えた頃からですが、でこぼこ日記を製本して残すようになったのは、2003年の北海道くるま旅くらしからです。それから早や8年が過ぎようとしており、この間に作成した旅の記録は23冊になりました。先日改めてこれらの記録を整理したのですが、全記録の冊子の厚さを測ってみたら、11cmになっていました。大型の辞典でも10cmを超えるものは殆どありませんから、結構なボリュームとなっているのを実感しました。B5判の冊子が殆どですが、中にはA4判のものも入っています。

又因みにこれらの旅の日数を合計してみましたら、664泊665日となりました。更にオッドメーターでの走行距離を合計しましたら95,573kmとなりました。これがここ8年間の旅の見かけ上の規模なのだなと思いました。勿論この他にも、特に記録を製本などしていない短期間の旅に、思いつくままに何度も出かけていますから、実際はこの8年間での旅に出た時間はもっと多いことは確実です。

さて、どうにかここまで記録を残してきたのですが、実は今までそれらを振り返って読んでみたことは殆どありませんでした。特別に思い出さなければならないニーズがあった時に、取り出して必要な個所だけを覗くくらいで、思い出に浸るというようなことはありませんでした。まだまだ過去を振り返るよりも、これから先どこへどんな旅をしようかと思いを巡らすことの方が自分にとっては遥かに大切なことだと思っていたからです。

それがこのところ少し気が変わりつつあります。もう少し同世代の方々たちに旅の楽しさ、面白さを知って頂くために、これまでの記録を活用したいと思うようになり、その気持ちが次第に膨らみ始めています。残された人生の有効活用(?)のためにも、様々な形での旅を楽しんで欲しいと願っています。

残された時間を活き活きと生きることこそがリタイア後の人生を価値あるものとする最も大切な生き方ではないかと思っています。そのための最も有効な方法が旅ではないかと思っているのです。人は固定化された観念に取り巻かれた環境の中に呼吸をしているよりも、より自由な変化と刺激のある世界を覗くことによって、生きるための感覚が鍛えられるような気がします。世の中には、今までの人生で気づかなかったものが無数に存在しています。それらの一つひとつを、ある時は偶然に、ある時は目的を持って訪ねてみるというのが旅であり、そこに出会いと発見の喜びを感じ、たくさんの感動の後に満たされた心の平安を確認できるのが旅の本質であると思うのです。旅をすると元気になるというのは、このような生きる喜びを実感できる、自らを力づけるパワーが旅の中にたくさん秘められているからなのだと思います。

リタイア後の人生をどう過ごすかは個々人の自由な判断によるものであり、何人もそれに干渉する権限も資格もないと思います。家の中に籠ってTVなどを見ながら気ままに過ごすことも悪くはないと思いますし、家族と共に平穏な暮らしを楽しむことも大切なことでしょう。とっかえひっかえ趣未を探すのも面白いことだと思いますし、まっしぐらに趣味に没頭できる人は最高かも知れません。人には様々な生き方がありますから、皆それぞれに気に入ったことをすればいいのだと思います。そう思いつつも、私としてはおせっかいの虫を抑えきれずに、やっぱり、今までの自分の世界から抜け出して世の中を眺めてみるという、旅への衝動を解き放つことをお勧めしたいのです。

ということで、これからは今までの自分のくるま旅の経験とそれに絡めた想像を膨らませて、旅への誘惑にこれ努めたいと思います。つまりは旅の誘惑者になりたいと思っています。そのために今までの記録を大いに活用したいと思っています。自分の書いたものを改めてじっくり読み返すというのは、何だか自家中毒症に罹るような感じがして、ほんとはあまり好きではないのですが、ネタ探しのつもりで振り返るのであれば、耐えることができるような気がしています。只今準備中ですが、いずれ遠からず、それらの話などをブログでも紹介させて頂きたいと思っています。

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上腕骨外側上顆炎だって!?

2011-10-28 00:25:41 | 宵宵妄話

 ここ半年ばかりの間に右腕の一部が痛くなり出し、それが次第に痛さを増し、最近では腕が棒のようになったり、握力が消え果てる感じで、タオルや布巾を絞るのが辛い状況となり出しました。恐らく老化のプロセスで現れる現象なのだろうと、医者などへ行って見てもそれは気休めで、時間が経たないと本復は難しいのだろうとほったらかしを決め込んでいたのですが、先日芝の張替作業や軒下のレンガ埋め込み作業などをした後は、どうにもほったらかしでは済まなくなり、とうとう今日(10/25)医者に行ってきました。

レントゲンを撮り、幾つかの腕の動作をさせられた後の診立てでは、「上腕骨外側上顆炎」ということでした。自分的には腱鞘炎ではないかと思っていたのですが、専門医の診断結果は、この大変ややこしい呼び名とのことです。別名をテニス肘とも呼ぶそうで、中年以降のテニス愛好家に生じやすい症状なのだそうです。私はテニスをしませんから、恐らくパソコンでのマウスの不適切な使用と急に腕に力を入れた作業をした結果、腕の何がしかの筋肉がストレスを矯めて炎症を起こしたのではないかと思います。要するにその根本原因は、老化ということなのでありましょう。大して無理もしていないのに身体の随所に痛みを感ずるようになったということは、老化の証に違いありません。

 少し理屈を言えば、この上腕骨外側上顆炎という診断の「上腕骨」については、自分の実感としては上腕骨ではなく前腕骨ではないかと思うのです。上腕骨というのは肩から肘までの、いわゆる二の腕の骨をいうのであり、自分としてはそこには何の痛みも感じてはおらず、痛いのは肘から手首までの骨の周辺の筋肉と神経なのです。ですからこれは「前腕骨外側上顆炎」が正しいのではないかと思っています。骨が一本違うと筋肉も違う筈ですから、治療法も違うのではないかと思いがちですが、医者から頂いた「手の外科シリーズ」という一般患者用の「テニス肘(上腕骨外側上顆炎)」という説明資料を読むと、病態については十分解ってはいないと書かれていますので、恐らく上腕でも前腕でも、この種の痛みの症状に対する治療法は同じものなのではないかと思い、処方された飲み薬と湿布薬とを素直に実行することにしています。

 整形外科という所には、この頃は滅多にお邪魔したことが無く、先日家内のぎっくり腰の治療で付添的にお邪魔した時は、自分には無縁の場所だと思っていたのですが、改めて患者として行って見ると、やっぱりここも老人の貯まり場だったということに気づきます。若い人たちがやたらに医療機関を訪れているなどというのは、とんでもない出来事だと思いますが、老人が多いというのは当然のことであっても、何だか多過ぎる感じがしてなりません。

 この国のこれからの在り方を考える時、財政上の最大の問題は、高齢者の福祉と医療にあることは明白ですが、その中の一人の高齢者としては、できる限り医者にお世話になることを避け、PPK(ピン、ピン、コロリ)といきたいと思っているのに、今の内からこの体たらくでは先が思いやられるなあと、反省しています。お釈迦様のおっしゃるように、生・病・老・死は万人の避けられない宿命だと思いますが、せめて病だけは最小限に止めたいと思っています。

このところ旅から遠くにあり、どうもすっきりしません。痛い右腕をさすりながら、11月になったらきっとどこかへ出かけるぞと己(おのれ)に気合を入れています。このブログも最近では妄話の連続となり出しているようで、些か忸怩(じくじ)たる思いがあります。次回辺りからは旅の世界に自分を引き戻したいと思っています。

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タイ国の大洪水に思う

2011-10-24 06:00:16 | 宵宵妄話

   今年の日本は大災害の年でした。これは歴史に大きく名を残すほどの大事件だったと思います。何よりも東北地方太平洋岸を襲った大津波は、誰にとっても普通の生涯では見ることのできないほどの大惨事だったと思います。それに加えて、これは人災ですが、福島第一原発の大事故です。こちらの方は、未だに収束の目途も曖昧で、一般国民は大きな不安を抱えていますし、その後遺症は計り知れないものがあります。これだけでも大変なことなのに、それに追い打ちを掛けて大型の台風が何度もやって来て、これ又歴史に残るほどの大雨を降らせ、大地の随所を破壊して思いもよらなかった災害を各地にもたらしています。今年がまだ終わったわけではなく、この先にも一体どんな変事が起こるのか、何とも不気味な雰囲気があります。

ところで、大自然の異常な暴れ様は日本ばかりではなく、世界の各地で様々な形で猛威をふるっているようです。最近のニュースからは、タイ国での大洪水について、暗い不安が膨らみます。イメージとしては、タイ国の平野のかなりの部分が水に浸かってしまっているような情景が目に浮かびます。勢いに乗って進出した日本企業の殆どが、この大洪水の濁水の中に工場を沈められてしまい、にっちもさっちもゆかない状況を呈している感じがします。

タイという国には一度も行ったことがありませんので、一体どういう所なのか見当もつきませんが、TVの映像を見る限りでは、年に何度も河川が氾濫して被害が出るような国ではないという印象があります。日本の河川のように源流から海までの距離が短く無いのでしょうから、多少の大雨でも直ぐに洪水となって大災害を引き起こすことにはならない筈だと思うのですが、それが今回の場合は真に異常な雨量であり、過去に経験したことが無いとてつもない大雨が降り続いているのでありましょう。

これらの災害の背景には、恐らく地球規模の何かしらの要因が潜んでいるに違いありません。それが温暖化なのか環境破壊なのか本当のところは自分には見当もつきません。しかし、人間の暮らしの在り方が大きく係わっているに違いないように思います。ここ百数十年、人間は湧きあがる目の前の欲望を満たそうと、形振り構わぬ取り組みをし続けた結果が、地球の様々なバランスの破壊に影響していることは自明のことかと思います。今起こっている地球上のあらゆる異変は、その全てが人間という動物の異常な増殖と行為に起因しているに違いありません。人間以外の動植物は、この百数十年、否何千年、何万年の間も自分の力で変化したなどという例は殆ど無いのではないかと思います。今では、人間の格別な思い込みや働きかけによって、動植物の遺伝子までもが勝手に組み換えられたりしているのです。

人間の自分たちにとって都合のよい物を求めそれを実現して行く力を、一概に否定できるものではありませんが、その力の使い方については、今大いなる反省が求められているのだと思います。我々が天災だと考えている出来事の多くは、慎重にその真因を探してゆくと、何らかの人間自体の行為が係わっているような気がするのです。原発事故は地震による津波が引き金になっていることは明らかですが、その結果は人災そのものであり、自然の力を見くびった人間の思い上がりに対するしっぺ返しの様な気がします。液状化や地滑り、がけ崩れ等々の災害も、元々は大自然の脅威というものを謙虚に受け止め、それに備えるという行為をおろそかにした人間の思い上がりが大きく影響しているのではないでしょうか。

被災された個々人にその責めを負わせるべきなどとは決して思いませんが、その個々人をそこに住まわせるように仕向けたのは、大自然ではなく恐らく別の人間なのであり、人間がつくっている社会なのです。この人間社会は被災という深刻な事実に対して、深い責めを負うべきなのだと思います。解りやすく例を挙げれば、液状化の予測も無しで(或いは無視して)宅地を造成し販売した企業、それを認可した市町村・県や国等、これら広義の人間社会に対しては、天災を理由にその行為の責任を逃れることは許されないという考えが大切と思います。山地の崩落や河川の氾濫なども、人間社会の思い上がった振る舞いの数々が、長年に亘って自然界のバランスを壊し続けた結果に違いないような気がするのです。

タイ国の大洪水の報道を見ていると、ノアの方舟の話を思い起こします。私はクリスチャンではないので、聖書のことはさっぱり解かりませんが、敬虔なクリスチャンの先輩から戴した旧約聖書が1冊本棚にあります。それを読むと、創世記の項の中にノアの方舟のことが書いてあります。創世記は神が地上に住む人間をどのようにして創られたかということについて述べられていますが、ノアの方舟の辺りの内容は恐ろしい話となり、神の思いに反した人間を神は抹殺する決意をしたというのです。それでも僅かに人間の再生を期したのか、ノアという人物を中心に生き残りの方法を指示したということが書かれています。

ここからは、これはもう間違いなく人間の再生の記述の様に思えます。「地上に人の悪が増大し、その心に計ることが皆いつも悪いことだけに傾く」ことから、神は「創った人を地の面から消し去ろう」としたとあります。その中で、ノアだけが正しく、神の意に叶っていた。そこで神は、彼と彼の妻、そして彼の3人の息子たちとその妻を救おうと方舟をつくってそれに乗ることを教えたのでした。舟には彼らの他に清い動物7つがい、清くない動物1つがい、それに空の鳥7つがいを乗せても良いという許しが与えられたのでした。そして神は40日40夜の雨を降らせ続け、大洪水をもって地上の全てのものを消し去ろうとしたのでした。

この話には幾つかの説があり、その内容も同じではありませんが、ノアの方舟の話の大意は、大洪水によって悪に染まった人間を消し去ろうとした神の決意の中で、唯一正しい人間と認められたノアが救われたという話であり、この意味するものは、現代の人間に対しても大きな警告として響いてくる感じがします。

タイ国の大洪水は、もしかしたらノアの大洪水を上回る規模のものなのかも知れません。ノアの方舟については、実際にその証拠物が残っているという説もあり、考古学的な切り口からは興味ある話ですが、神の意図というものを考える時、聖書の語っていることは、現代人の神を恐れぬ思い上がりの数々の振る舞いに対する重大な警告のように思えてなりまません。

ひるがえって我が国における今回の大地震や大津波、台風の大雨などの謂わば天変地異ともいえる現象を思うと、これらも又ノアの大洪水の様な神の意志を示しているような気もするのです。特に原発事故に関しては、その中で事業自得というのがどのようなものであるかを思い知らしめているようにさえ思われます。

さて、ここから先が問題です。どうすればよいのか。どうしたらノアの方舟をつくり、それに乗ることができるのか。神の思いに叶うことができるのか。或いは神の人間抹殺の意思を撤回して頂けるのか。大変難しい問題であり、私などの出る幕ではありません。ただそのようなことが起こらないようにと願い、思うだけです。

動いている現在を遠い過去に向かって舵を切ることはできません。地球規模の課題の多くは、全世界の為政者の意識改革に係っているのだと思いますが、どの国も自国の利益中心でしか動けませんから、あまり期待はできないように思います。日本国においても誰に何を託せば良いのか、見当もつかぬままに政治も経済も動いており、神から方舟を用意するようにと付託されるほど信任を得る人物がいるとは到底思えません。

我々ができることは、先ずは己の思い上がりを改めることのような気がします。欲望にブレーキを掛けることだと思います。新しい価値の満足を見出すことだと思います。満たせばポイ捨てになるような満足ではなく、気がつけばいつも満足に浸っていることを確認できるような満足です。それらの行為の全ては、我々を育んでいるこの地球という天体が、かけがえのない大切なものなのだという深い認識に基づかなければならないと思います。

私自身のことを言えば、人生の残された時間を、与えられた条件に従って、生きていることに感謝しながら、方舟に乗ろうなどとは考えずに、小さな旅を重ねる中での出会いと発見にドキドキしながら、悪いことも良いこともせずに、老衰で生命が尽きるまでやってゆければいいなと思っています。

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老を再確認する

2011-10-21 06:51:36 | 宵宵妄話

 

こ半ほど旅車(=SUN号)が不調で、大修理を行いました。デフからのオイル漏れが見つかり、シャフトやベアリングなどを交換しました。私の旅車は、どうやら架装の際の装備のバランスが悪く、後部左輪に荷重がかかり過ぎて、その辺りが不調となるようで、以前にも同じ個所が故障して旅の最中にとんだ足止めを食ったことがありました。今回は大事には至らなかったものの放置しておけばとんでもないことになっていたのかもしれません。先ずは事前の手当てができて良かったというべきなのかもしれません。我がSUN号も乗り始めてから間もなく10年を迎えようとしており、走行距離も15万キロを超えています。そろそろあちこちが痛みだす時期が到来しつつあるということなのでしょう。

ところで、今日の話は旅車ではなく、我が身の故障というか老化というか、ま、身体の調子が今一であるのを思い知らされているという話です。

この頃は毎週1泊でRVランドの果樹園に手伝いに行くのを楽しみにしているのですが、前述の故障で旅車が使えないため、2回即ち2週間も行くのを止め、この間、家の周囲の除染作業をしたのでした。その辺の事情は前記(10/14)した通りなのですが、この除染作業なるものが実に疲れるのです。疲れを実感するのです。これを敢えて強調するのは、一昨年辺りまでは、菜園を1時間連続して耕起しても多少腰が痛くなる程度で、風呂に入って一杯やって熟睡すれば元気は回復していたのですが、この頃はそうはゆかなくなっているのです。除染作業は表土を削るだけですから、耕起するよりは遥かに楽な作業なのですが、これを1時間も続けると腰は痛くなるは、腕も痛くなってきて、更に気づけば膝や足腰の筋肉までもが痛むのです。立ったりしゃがんだりの連続で、不断あまり使わない身体の筋肉を動かしている所為だと思いますが、我ながら情けないと思うばかりです。結局長続きができないので、毎日1時間ほどで止めて、大して広くもない前庭を終えるのに1週間もかかってしまいました。

表土を削った後をそのまま放置しておくと、春先の乾燥の季節には土埃が舞うことになりますので、軒下にタイル(滑らない)を敷き、通路部には芝を張ることにしてその作業を先日行ったのでした。タイルも芝も結構重くて、又それらを固定する作業も再度土を削ったり固めたりの力仕事となりました。どうにか作業が終わって、いつものようにウオッチャ―の家内のコメントは無言レベルの不評の顔でありましたが、これは無視することにしてとにかく1日がかりの作業から逃れることにしました。終わった後は風呂に入って寝床へ直行です。

さて、目覚めて夕食を済ませ、再度寝床にもぐりこんで、多少疲れは取れたのですが、次に目覚めた時はどうも右腕の調子が変なのです。重いのです。自分の腕ではないような感じがしました。横向きになって右腕を脇腹の上に乗せると、そこに棒が置いてある感じがするのです。これはヤバイと思いました。指を動かしたり握ったりしてみましたが、どうも今一つ力が入りません。このような経験は今まで無かったことでした。50肩とか、60肩とかいうのがあるようですが、自分はそのようなことを経験したことは覚えておらず、打ち身で寝返りも打てないほどの痛さを味わったことは何回かありますが、腕が棒になるようなことは初めてでした。

朝方になって痛みは少し収まりましたが、右肘と手首との間の辺りに変な痛さが強く残っていました。腱鞘炎の様な感じです。今まで実際に腱鞘炎という医者の診立てを受けたことはありませんので、本当にそうなのかどうかは良く判らないのですが、この痛さは部位から見て腱鞘炎なのだろうと思いました。昨日の作業ではそれほど腕などを使ってはおらず、タイルや芝の上げ下ろしを何度も繰り返した程度なので、腱鞘炎にはならないはずなのですが、こんなに痛いのは、恐らくパソコンでの作業の不適切さに起因しているのかもしれません。

というのも、先日まで調子の良くないマウスを我慢しながら使っていて、倅に注意されてあわてて交換したばかりだったからです。パソコンに向かっての作業で、それまで腕の一部に妙な痛さを感じていましたが、それがマウスの調子の悪さから来ているとは思ってもいませんでした。パソコンをそれほど長時間使っているわけでもないのですが、正しい知識など持ち合わせていないため、加齢と共に不具合現象が厳しい形で現れるようになったのかもしれません。

パソコン作業の不適切な対処で痛めつけられた腕や肘が、ちょっとばかりハードな土いじりの作業で悲鳴を上げて、ぐったりと棒になってしまったのかもしれません。とにかく3週間ぶりに楽しみにしていた果樹園行がダメになってしまいました。それで、この頃の我が身について、あれこれと思いを巡らすことになった次第です。

古希を超えてからのこの一年というものは、特に老というものを自覚させられています。とにかく思いと身体の動きとのギャップが急速に大きくなり出しています。大丈夫と思って為していることが、少しも大丈夫ではなくなっています。歩けばちょっとした高さの障害物に確実につまずきますし、ものを持てば握ったつもりがその力が不足しているのか、しょっちゅう落すという始末です。加えて、もの忘れなども倍加しているようです。一番ひどいのは仕舞ったものを思い出せないという悪癖で、これは昔からその傾向大だったのですが、最近は益々磨き(?)が掛かってきたようで、財布や免許証それに車や家のキーなどの管理については特に要注意です。もの忘れに対しては、忘れないようにするという対策を講ずるのが肝要なのですが、この頃はそれが面倒くさくなり出して、メモをしたり紐を付けたりするという基本動作の手抜きが多くなりました。

思うに、身体も脳細胞も随所に崩壊現象が起こっているようです。人には誰にでも若さの限界というものがあって、それが我が身にとうとうやって来たということなのでしょう。今回の旅車の故障と同じように負荷が大きかった部分から崩壊が始まるような気がします。いずれは老というものを受け入れなければならないと思ってはいたのですが、こんなに早くその時がやってくるとは思ってもいませんでした。素直に受け入れることにします。

さて、その上での話ですが、人生時計80年(80年を24時で表示する)の残り時間はあと2時間半ほど(1年は18分となります)ですから、先ずはこれをどう過ごすかが大切です。老を受け入れた上で一番大切なことは、やはり活き活きと生きることだと思います。世の中に迷惑をかけないで、できればほんの少しでも世の中の誰かのお役に立つような、自分の好きなことに目一杯取り組むことだと思っています。となると、私のできることは、今のところ物書きしかないように思います。

車は新しい部品と交換すれば機能を取り戻すことができますが、人間の身体には代替部品がありません。老が確実となったら、その後は老のレベルに従って我が身を使いこなすことしか、方法は無いのだと思います。なかなか回復しない腕をさすりながら、今、一番やりたいことは、そのテーマは何なのかを模索しています。これから先も何度も老というものを確認し続けるのだと思います。

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盆栽になれなかったケヤキ

2011-10-19 00:00:57 | 宵宵妄話

今回も樹木の話です。つい先週までは切り株を残して、大鉢の中に根を張っていたケヤキの話です。つまり、今はもう無くなってしまった樹木の話です。

私が引っ越しの多い暮らしをしてきたことは再々申し上げた通りなのですが、20年ほど前に川崎市多摩区の中野島という所に住んでいたことがありました。東京の中心街からですと、渋谷から小田急に乗り、登戸という所でJR南武線に乗り換えて府中市の方に向かっての最初の駅が中野島です。この駅前には15階建だったか、何棟かの高層マンションがあり、この中の1室を借りて7年と少し暮したのでした。ここでの暮らしが、所帯を持った後の我が人生では最長の居住期間であることも何度か申し上げているところですが、間もなく現在の守谷市在住がそれを抜くことになると思います。

話は長くなるのですが、この中野島のマンションには最上階に住みたかったのですが、高所恐怖症の気のある自分よりも家内の方がその高さにビビってしまい、結局5階を選んで住んだのでした。この建物からは南の窓の右手に、よみうりランドの遊園地が望まれ、空気の澄んだ日には遊園地の向こうに富士山も眺めることができるという、なかなかの環境でした。

ここに住み始めてから2年目の頃だったと思います。ベランダに置いてある植木鉢の一つに、細い小さな木が葉を付けて育っているのに気づきました。コンクリートの建物に住んでいる時も花や樹木を忘れることができず、必ず何かの鉢やプランターを置くのが常でした。私は五体満足の樹木や草花に関心があり、切り花などよりも目立たない野の花に、より以上の関心を持つ変な人間なのです。しかし、ベランダでの栽培は難しく、失敗の繰り返しでしたが、性懲りもなく続けて来たのでした。

その葉を付けた小さな木が何なのか、しばらく判りませんでした。樹木たちの幼木は、幼いほど良く似たものが多く、直ぐに何なのかを判別するのは難しいのです。半年ほど経って、どうやらそれはケヤキであることが判りました。恐らくその実を啄(つい)ばんだ小鳥がベランダにやって来て、置いてあった鉢植えの中に餌を探したついでの置き土産に、ケヤキの種を植え付けて行ったのでしょう。ケヤキは巨木となりますが、その実は小さなものであり、小鳥たちの胃袋の中に収まり易いものなのかもしれません。その幼木が気になって、とにかく育てられる限りは面倒をみることにしようと決めたのでした。

それから5年ほど川崎市内のそのマンションに住みましたが、その幼木は結構その場所が気に入ったらしく、枯れるようなこともなく、それなりに生長を続けてくれました。秋には葉を落とすので、うっかりするとそこに生きてくれているのかを忘れてしまうのですが、春になると一丁前に若葉をしっかりと付けて存在を主張してくれるのが、何とも楽しく嬉しい思い出でした。5年経ってもさほど大きくならなかったのは、鉢を替えないままだったからなのでありましょう。しかし、根の方は相当に窮屈だったのではないかと思います。この時点で盆栽に仕立てようとするなら、何か根の始末について為すことがあったのかもしれません。

その後小平市に越すことになり、この時には戸建ての家に住むことになりました。僅かながらも庭らしきものがあったので、鉢を少し大きめのものと取替え、庭先に置くことにしました。ケヤキ君はやっぱりベランダよりも土に直かに接している方が嬉しかったらしく、鉢の底の小さな穴をこじ開けるように根を張って、樹形は一段と逞しくなりました。そのままその家に住み続け、そこから現在の守谷の家に越せれば良かったのですが、その後もう一度東村山市内のマンションに住み替えたものですから、ケヤキ君は、再び窮屈な鉢の中でのベランダ暮らしを余儀なくされ、しかもこの頃から家人が長期の旅をするようになったため、夏場などは水不足で瀕死の憂き目に合うことしばしばだったようです。それでもどうにか生命を繋いでくれて、守谷のこの地までやって来てくれたのでした。

守谷に来た時には、樹齢は既に十年を幾つか超えており、幹の太さも10cmは超えていたと思います。何だか可哀想な気がして、大きな鉢に植え替えてあげたのでした。最初は直径60cmほどの鉢でしたが、ある時気が付くと鉢の底から太い根を出して鉢を壊すほどの生長ぶりでした。このままだと鉢を無視して本格的な生長をし出すことになりそうです。そのまま放置しておいたなら、やがては建屋を壊すような存在になってしまうかも知れません。

この木にはどうしても盆栽となって貰わないと我が家では付き合えないことになると思いました。せめて大型の盆栽として付き合ってもらおうと考え、間もなく直径80cmほどの鉢に植え替えたのでした。根も鉢を壊さないようにと底の方に塩ビ板を敷いて対策を講じました。それから数年が経ちましたが、ケヤキのことはあまり気にもせず過ごしてきました。一回りくらいは大きくなったのですが、少し背が伸びて、鉢の安定性が気になる程度でした。

ところが、今年の夏に北海道で旅くらしをしている間に、関東エリアには何度か台風がやってくるという出来事があり、その際に倅からメールがあって、風でケヤキの鉢が倒れそうになるので、伐ってしまっても良いかとの相談でした。我が家ではケヤキ君の味方は私一人だけのようで、倅も家内もあまり好意的ではなさそうです。ケヤキ以外にも何種類かの木が植えてあり、それらがだんだん大きくなってきて邪魔になり出しているのに、何故鉢植えの中途半端な木が庭を占有しているのか、疑問を感じているようでした。

さてどうしたものかとしばらく悩みましたが、いつかは処分をしなければならなくなるに違いないと思い、伐ることをOKすることにしました。何しろ現地からは遠く離れており、台風の中で孤軍奮闘しなければならない倅のことを考えると、伐らないで何とかしろと無理強いするのもどうかと思ったのでした。20年近い付き合いもこれまでかと、残念さはかなりのものだったのですが、やむを得ないと思うことに決めたのでした。

旅から戻って見ると、根元から10cmほどの高さで伐られていました。しばらくそのままにしていたのですが、ようやく諸々の片づけが一段落し、除染作業のついでにその鉢も壊すことにしたのです。改めて鉢を動かそうとしたのですが、動きません。どうしたのかと底を見たら、なんと塩ビのシートを突き破って太い根が出ているではありませんか。これなら台風の風でも倒れはしなかったのではないかと思いました。幹や枝は大した生長ぶりにも見えなかったのですが、根の方は確実に大地をとらえて不動の体制をつくりつつあったのでした。予想もしなかったことでした。しかし、もはや後の祭りです。ブナのあがりこの様な育て方もあるのかなとも思いましたが、ケヤキではそれは無理なのではないかと、複雑な心境でその太い根をのこぎりで切ったのでした。

話はこれで終わりです。20年も大事に付き合ってきたものを、このような形で断ち切ることになるとは、思いもよらぬことでした。結局は浅い関係だったということなのでありましょう。つまりは思い入れの弱さであり脆さがこのような早い結末をもたらしたということなのだと思います。一本の実生のケヤキの生命をたった20年で無にしてしまった己の生き方の軽さを反省することしきりです。盆栽になれなかったケヤキを責めることはできないと思っています。今残されている根株をどう使うかを考えています。変哲もない暮らしぶりの中にも、様々な思いの浮沈を感ずるこの頃です。

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除染作業に思う

2011-10-14 07:08:32 | 宵宵妄話

菜園を止めることを決めてから以降、毎日少しずつ庭や裏庭などの除染作業というのを行っています。作業そのものは単純で、表土を2~3cmほど削るだけなのですが、手作業で面倒なのと手間がかかるので結構疲れます。土というのは、思っていたよりもかなり重くて、削り取った物を土のう袋に入れて処理するのですが、その運搬が大変です。

守谷市は茨城県内ではワースト3に入るセシウムの高濃度エリアになっていますが、具体的に我が家の四囲がどのようなレベルにあるのかは全く不明です。市役所の学校や公園などの施設での測定値では、0.2マイクロシーベルト台にあると公表されていますが、これをどれほど信用して良いのか、又この数値がこれからの健康管理上具体的にどのような影響を及ぼすのか全く判らず、除染作業などと言ってもどれだけ効果があるのか、無いのか疑念の中の行為なのです。

そのような曖昧で実態の不明なものを普通ならば無視するのが自分流のやり方なのですが、この放射能というのは得体の知れない化け物のような奴で、電気やガスなどの目に見えない物体に比べてもとびっきりの薄気味悪さがあります。こんなものが身体に取りついて何十年もの間悪さを続けるというのですから、そう簡単に無視するというわけにもゆきません。私の80年の人生時計では、只今21時30分ほどに至っており、終わりである予定時刻の24時まであと2時間半ほどしかありません。それを思うと、原子炉の中に入るのはともかく、一応は国の安全基準(~殆ど気休め程度としか認めてはいませんけど)ぎりぎりの範疇にあるレベルであれば、老人がジタバタしても仕方がないことは重々承知してはいるのですが、家族のことを考えるとほったらかしというわけにはゆきません。

何よりも人生の相棒である家内の不安を口先だけでかわすことはできないのです。彼女はここ2年、医療のために自然界ならぬ不自然界の被曝をかなりしているわけで、これに今回の事故による被曝に追い打ちをかけられた時に一体何が起こるのか、高齢者に足を掛けたばかりとはいえ、心穏やかならぬものがあることを認めないわけにはゆかないのです。

それで、たとえ気休めであったとしても、我が家の四囲はとにかく除染作業なるものをやっておこうと決めたわけなのです。もう開始して1週間以上が過ぎたのですが、土を取る前に植え木や生け垣の手入れをしなければならず、それを終えるまでにかなり手間取り、只今はようやく前庭の作業を終了したところです、まだ東西と北側が残っており、狭いとはいえ全部終了するまでには、あと10日くらいは掛かるのではないかと思っています。

ゴム手袋をはめ、長靴を履いて、長袖のシャツに防虫網の掛かった帽子を付けての作業は、少し身体を動かすとたちまち汗が滲み出して来て、結構老人にはハードな作業となります。2~3時間が限界と言ってよいと思います。無理をすれば長続きできなくなりますから、とにかく疲れがピークになる前に、今日の作業はここまでという終わり方が続いており、まことにちんたらな仕事ぶりです。

それにしても、土を掻き取るという作業は真に単純です。でも都会に住む人々の大半は、今の時代、土に手を触れるということなど殆ど経験していないと思いますから、その人たちに比べれば、もしかしたら自分は貴重な経験をしているのかも知れません。しかし貴重の中身が問題です。セシウムという得体の知れない魔物をかき集めているのかと思うと、おぞましさを感じないわけにはゆかないのです。

この作業に取りつかされて以来ずっと思うのは、原発はもう駄目、止めるべきだということです。この薄気味悪さ、おぞましさは地球に住む生きものの全てにとって共通のものであるように思います。犬や猫や鳥たちは知識が無いので、いつもと同じように何の不思議も感じていないのでしょうが、人間は自らがつくり出したこの悪魔に怯えるばかりです。

守谷市のこのところの人口統計を見ていると、引っ越して以来初めて人口が前月と比べてマイナスに転じています。本来ならば、東北の被災各地からの引越者が、守谷市の人口増加を加速させても不思議ではない筈なのですが、原発事故の影響を受けたこの地の放射能の異常値を知った若い世代の人の中には、これは危ないと早急に転居を決断する人が増えているのかも知れません。福島県だけの問題ではありません。原発はもう駄目なのです。

先日東海村の村長さんが地元の原発を廃止することを政府に提言したというニュースがありましたが、全く同感です。もし東海村の原発が今回のような事故に見舞われたなら、日本が沈没することは明白です。社会的経済コストの側面からは、そう簡単に原発を止めるわけにはゆかないという反論があるのは承知していますが、たとえ電力が逼迫し、窮屈な暮らしに落ち込むとしても、この得体の知れない悪魔のエネルギーに依存するよりは、人間はずっと安全と安心を確保できると思います。

私はどちらかといえば、原発に対しては批判も賛成もしないままに、その成果だけを容認して受け取るというご都合主義の立場を取って来ましたが、今回の事故を機にその見方は明確に一変しました。原発に代わる新たな発電エネルギーが見出せなくて、電力不足が恒常化する事態に至ったとしても、それがもたらす不便で窮屈な暮らしに耐えるべきだと思っています。節電などは、もともと電気が無かった時代のことを考えれば、さほど耐え難いという話ではないと思います。我慢する心を、耐える力を鍛えるいいチャンスだと捉えるべきと思うのです。その鍛錬の中から、新しい代替エネルギーを生み出す力が養われて行くように思うのです。

毎日地べたに這いつくばって、悪魔の邪気をかき集めては袋の中に放り込む作業を続けながら、こんな歪んだ暮らしの思いはもう二度とすべきではない。除染作業などというわけのわからない仕事はこの世の中から完全に追放しなければならない。その思いが益々強くなって来ています。願わくば、閣僚の全員に手作業の除染作業をせめて1時間くらいは経験して欲しいと思います。そして東電や各電力会社の役員などエライ人たちには2時間程度の手作業による除染作業に汗を流して欲しいと思います。更に原子力危険不安院(原子力安全保安院とは到底呼び難い)の人たちには、これはもう全員が少なくとも1日以上の除染作業を手作業でやって欲しいものだと思います。これらの戯言(たわごと)は、単なる腹いせのセリフではなく、実際その作業をやって見れば原発事故というもののもたらすおぞましさ、問題の深刻さが解るはずであり、続けるべきでないということが実感できるからです。地球という星の存在を、その環境をこれほど汚染し、破壊する悪魔を飼いならすなどという安易な考えを、きっぱりと捨て去る決断をするために必要不可欠と思うからなのです。

      

除染作業を終えた我が家の前庭の様子。奥の方の藁(わら)を置いた辺りは、茗荷が一面に茂っていて、今年は例年になくたくさんの花を咲かせていたが、それらを食べるのは止め、全部カットして表土を取り除いた。なんでこんなことをしなければならないのか、思いは複雑である。

 

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7年目の急伸(ソヨゴの話)

2011-10-10 05:42:21 | 宵宵妄話

 

堅忍力行」とか「堅忍不抜」ということばがあります。いずれも我慢強く、粘り強く努力をし続けるというような意味ですが、「堅忍力行」というのは、確か高校の時の校是ではなかったかと思います。校是というのは、学校の教育方針と言ったような意味だと思いますが、辞書(広辞苑)などを引いても記載されておりません。今はもう死語となってしまっているようです。堅忍力行などということばも、死語となってしまっているのでしょうか。今の時代は、もしかしたら何よりも堅忍力行が求められている時代なのかも知れないと思ったりしますが、現代人の大半は安逸や安楽を求めて目先の欲求を満たすことに汲々としている感じがしています。斯く言う私自身も、日頃安きに付くことばかりを思い振舞っているようです。

守谷市に越して来てから満7年が過ぎ、間もなく所帯を持って以降最長期の在住地となるのですが、ここに越して来た時に一番考えたことは、庭に可能な限り樹木を植えたいということでした。そして植えるとすれば、可能な限り花を楽しみ、緑を楽しみ、果実を楽しみ、紅葉を楽しむことができるようなものをと考えたのでした。その結果、現在20種の樹木(生け垣のイヌマキ・キンメツゲを含む)を植えています。これは明らかに植え過ぎです。時間経過と共に、樹木たちはそれぞれの個性を発揮し、大きく生長したもの、じっくりと生長しているもの、ひねくれて暴れまわっているもの等々様々です。しかし狭い限られた空間では、何もせずに放置しておけば、彼らの生命力に圧倒されて、人間としての(?)の暮らしに支障を来たす部分も出て来てしまうため、そろそろ思い切った整理が求められています。人間に都合のいい発想で固められていますが、これはもう致し方が無いと樹木たちには諦めてもらうしかありません。

さて、今日の話の主役はその樹木たちの中で、7年間その生長がさっぱりで、枯れはしないかとやきもき心配させられ続けて来たソヨゴという木の話です。ソヨゴという木をご存知でしょうか?ソヨゴは漢字では「冬青」と書き、文字通り冬でも青い葉を付けた常緑樹です。モチノキ科の低木で、雌雄異株の雌株には秋になると小さな赤い実がたくさん付きます。風にそよぐという、あのそよぐということばは、一説にはこの木の葉っぱが、風が吹く度にかすかな音を立てて揺れ動くところから来ているなどという話があります。私はまだその音をじっくりと聴いたことがありません。

この木が好きで、庭のある家に住むことになった時には、是非植えようと考えていました。勿論植えるのならば実の付く雌株の方です。1本では寂しいので、連株のものを玄関先に植えたいと思っていました。けれども玄関先には、結局ゲンを担いで楠天(難を転ずる)を植え、ソヨゴは門の脇に植えることになったのでした。

門の脇に植えられたソヨゴは、我が家の玄関口のシンボルツリーとして、その後順調に生長してくれる筈だったのですが、それがどういうわけなのか毎年秋になると僅かに赤い実は付けてくれるものの、初夏の新緑の季節には辛うじて必要最小限の葉っぱを新しくする程度で、病葉(わくらば)がかった葉がかなり混ざった、活力に欠けた姿をずっと続けていたのでした。もともと1.5mほどの高さの幼木でしたが、5年経っても6年経っても一向にその高さは変わらず、これはもう何か特別の病持ちの木なのではないかと思ったのでした。植え替えて貰おうかと、建築の際の樹木担当の人に申し入れて診て貰ったりしたのですが、特に問題は無いというのです。もしかしたら、土に問題があり、門をつくった辺りは何か怪しげなものが土中に埋められているのかなとも思いました。もし枯れるようなことになったら、全部掘り起こして根を調べてみようとも考えました。しかし、枯れることもなく、今年の春も相変わらずの生気のない佇まいを見せたまま満7年を迎えようとしていたのでした。6月の中旬に北海道の旅くらしに出発したのですが、その時も特に変わったこともなく、そっけなく我々の出発を見送ってくれたのでした。

なぜこれほどに我が家のソヨゴにこだわるのかといえば、今住んでいる住宅地は、7年ほど前から新しく14軒の家が建てられた一区画にあり、各戸には様々な樹木がほぼ同時期に庭先などに植えられたのですが、その中に何本かのソヨゴがあり、それらのどれもが皆我が家のソヨゴよりも大きく伸び伸びと生長しているのです。中には4mを超すほどに大きく生長しているものもあり、それらと比べると我が家のソヨゴはあまりにも寸詰まりで、生長できないままに留まっていたのでした。大きく育ち過ぎるのにも困惑しますが、元気を欠いたままいつまでも伸びることができないままに止まっている樹木にも失望感を覚えます。ましてやそれが長年の夢の実現の期待を背負ったものであれば、その落胆のため息は毎年大きくなるばかりというものでありましょう。

それが、それが、大変身なのです。北海道の旅くらしから戻って、真っ先に家の庭や周辺の除草に取り組み、その後で梅やクロガネモチなどの伸び過ぎた枝の剪定などを行って、それらの作業に気を取られて門脇のソヨゴには気づかなかったのですが、一通り他の樹木等の手入れが済んで、ふと気がついて門脇のソヨゴを見ると、何か今までの雰囲気とは違っていたのです。うっかり見過ごしていたのですが、良く見ると今までの樹高とはかなり異なって、50cm以上は伸びており、小枝もぐっと膨らんで、歩道を通行の人に邪魔を感じさせるほどになっていたのでした。スッと伸びた新しい枝には、たくさんの青い実が付いていました。このようなことはここ7年間全く無かったことでした。

 

    

 

我が家の門の脇に植えたソヨゴの木。一気に50センチ以上も樹高を伸ばした。これほどに生長の勢いを感じさせてくれたことは、今までに一度もなかった。   

 

たった3カ月足らずの留守期間でしたが、この間に我が家のソヨゴは何かとてつもない大きな壁を乗り越えたようなのです。ここに植えられてから7年もの間、一体何が彼の生長を妨げ続けて来たのでしょうか。外気の方は何も変わっていませんから、恐らく原因は土の中にあったのではないかと思います。もしかしたら、今回の大震災の揺れの影響で、土中の障害物が取り除かれたのかもしれません。とにかく7年間の苦闘の堅忍力行が報われ、大きな壁を乗り越えることができたに違いありません。

動物の時間と植物の時間の違いを時々実感することがあるのですが、このソヨゴを見ていると改めてそのことに気づかされた感じがします。この木の堅忍力行の時間は、動物の私から見れば相当に長い時間だったのですが、ソヨゴにとってみれば、7年などというのは、ほんの一息の束の間だったのかもしれません。この木の寿命がどれほどのものであるのか見当もつきませんが、彼の生長はこれから始まるのだと思います。あとどれくらいこの木の生長を見続けることができるのか、どのような姿形で伸びて貰わなければならないのか、生きている間の自分の都合を考えながら、この木とのこれからの付き合い方をあれこれ思いめぐらしているところです。

    

    

 

もう色づいて来たソヨゴの実。まだ橙色だけど、秋の深まりにつれて、次第に赤が濃さを増して、青空に美しく輝くのだが、晩秋頃までにはヒヨドリたちがやってきて、全て彼らの腹の中に収まってしまうようだ。、

 

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野菜作りを断念する

2011-10-06 00:34:01 | 宵宵妄話

   守谷市に越してきてから、はや7年目を迎えています。私の人生は22歳で就職のため上京して以来引越しの連続で、所帯を持ってからだけでも11回を数えています。勤務先の都合のためというのが主な原因ですが、自己都合というのも半分くらいは入っているような気がします。特に引越しが好きということではないのですが、振り返ってみれば、今の時点でも一箇所に住んだ平均が5年にも満たないという結果になってしまっていました。

守谷市の今の家が終の棲家になるだろうと、今ではそう思っています。7年目というのは、川崎市内に住んだのに次いで2番目の長さであり、あと一年経てば、守谷での在住が最長となるという訳です。

さて、今日は引越しの話をしようとしているのではありません。野菜作りを止めざるを得なくなったという話です。私の生家は、元々はサラリーマンでしたが、日立市に住んでいたため大規模な艦砲射撃の戦火に遭い、壊滅的な被害を受けたため、両親は住むのを断念し、戦後は母の実家に近い常陸大宮市の開拓団に入植して農業を始めたのでした。その後父はサラリーマンに復帰しましたが、母は兼業農家の核となって畑や田んぼの耕作を続けました。少年時代は就職するまで、母の手伝いをするというか、させられたというのが最大の思い出です。農作業の手伝いをするのが嫌いだったわけではなく、さりとて、少年時代には他にもっとやりたいことが幾らでもあったので、それに気を取られていつもエスケープしたい気持ちがあったのは事実です。でも、どこかに百姓へのあこがれのようなものが残っており、それはずっと消えることはありませんでした。

それから長い年月が経ち、現役を引退することになったわけですが、その頃にはくるま旅などへの想いよりもどこかで農地を借りて百姓となりたいなどという気持ちが膨らんだのでした。現役の間も、もし土地があるなら、仕事の合間に畑を借りて野菜などをつくりたいという気持ちはずっと持っていたのですが、不幸なことにそれができるようなチャンスは一度もなく、僅かに7年間住んだ川崎の時に市の菜園を3年ほど借りたという経験が持てただけでした。でも川崎市の場合は、菜園を借りる競争倍率が高く、借用期間も短かったため、満足できるような野菜作りには至りませんでした。

それが、守谷市に越してからは、何としてもその願いを叶えようと転入後間もなく菜園の募集に応募したところ、幸いにも競争をパスし、5年の契約期間を大いに野菜作りを楽しみました。その後新たに市が用意した無競争の菜園を借りて、現在3年目を迎えており、今年も秋野菜の種まきや植え付けをしようと思っていた矢先の放射能騒ぎとなったのでした。

福島第1原発の事故は実に不気味で、不可解なことばかりであり、何をどう信用して良いのか、困惑するばかりです。茨城県は福島県に隣接していますが、ロケーション的に一番近いのが北茨城市であり、事故の後の放射線測定値は県内では一番高いものでした。守谷市は事故のあった原発からは茨城県では一番遠い距離にあるのですが、なんと最近の放射線の測定値を見ると、茨城県では隣の取手市やその隣の牛久市と並んでワースト3に入っているのです。北茨城市の測定値は概ね、0.1~0.2程度となっているのに対して守谷市のそれは0.2~0.4(いづれも単位はマイクロシーベルト)もあり、北茨城市の倍にもなっているのです。尤も、この測定値という奴は、比較するには極めてルーズなデータであり、計測機器もタイミングもポジションもバラバラであって、何が本当なのか判らないという原発事故災害の特徴をそのまま反映しているようです。

信じなければそれまでの話なのですが、一旦共通の単位での数値が発表されてしまうと、気にせざるをえなくなるのが人間の常であり、嗤って見過ごすというわけにはゆかなくなってしまいます。私のような高齢者と呼ばれる世代では、さほど神経質にならずともあの世への旅経ちの時はかなり近づいているわけで、ジタバタしても仕方ないと思っているのですが、家族全体のことを考えるとそう言ってもいられません。

特に家内は病の予後の検査等で多量の放射線を浴びており、それに加えて被曝を続けるのは真っ平ご免との思いは強く、放射能まみれの畑での野菜作りは止めて欲しいとの要請には強いものがあります。ま、それは当然のことでありましょう。どうしても畑を続けるなら、表土を5cm以上は削るなどの除染作業をしてからやって貰いたいとのことですが、それまでして野菜をつくったとしても、どの道それを食べるのは自分だけということになるわけですから、これはもう止めるしかありません。

長い間の念願がようやく叶い、旅に出かける期間は野菜たちの面倒見ができなくなるのを承知しながら、野菜を作り続けて来た畑を断念するなんて、思いもよらぬことでした。このささやかな楽しみの破壊者に対して、言いようのない怒りを覚えています。東京電力なのか、国の為政者に対してなのか、はたまた原発の増殖に目をつぶって長いものに巻かれてきた自分自身に対してなのか、怒りの向け先は不明瞭です。

今回の原発事故を機に、たとえ電力の供給が途切れるような事態が発生するとしても、原発は廃止すべきだと思うようになりました。使用した燃料の危険性を取り除く方法の見出せない、人知では完全制御の不可能な、原子力という得体の知れない悪魔を用いた発電装置は、用いてはならないということが今回の事故で明確になったのだと思います。原子力の平和利用などという考えが、如何に危険で恐ろしいものであるかを今回の事故は思い知らせてくれたのだと思います。人の噂も七十五日と言われますが、もしこの出来事を日本人が安易に受け止めて諺通りに忘れ果てたとしたら、この国に真面目な未来は無いような気がします。

現在畑には間もなく花を咲かせようとしている食用菊が一畝残っていますが、この処理を終えて、私の守谷での畑づくりは終わりになります。つまりそれは、もう畑づくりはできないし、しないということを意味しています。悲しみと怒りの綯い混ざった決断となりました。

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停酒宣言一歩手前

2011-10-02 06:17:33 | 宵宵妄話

    妙なタイトルとなりました。只今大いなる迷いの中にあります。酒を止めるべきか、止めざるべきかという大問題です。今まで本気になって考えたことが無い問題です。酒はわが生涯の友という信念が揺るぐことは無かったのですが、このところの我が身の健康状態を慮(おもんばか)ると、どうやら今までのような酒との付き合い方では、遠からず酒の方から離縁を突き付けられそうな気がしているからです。

我が身に直接係わる友といえば、酒の他には糖尿君が畏友として控えています。畏友というのは、身を正して付き合わねばならない親しき友人ということでしょうか。この糖尿君との付き合いはもう20年以上に及んでおり、この間に何度も重大なる警告を受けて来たのでした。その中で最も恐れていたのが、生涯の友と思い込んでいる酒との付き合いを止めろという警告なのです。それがついに今回かなり強いトーンで発せられている感じがしています。

糖尿病というのは健康と病とのあり様を示すバロメーターだと思っています。バロメーターとは元々気圧計のことを言いますが、ここでは健康であるか無いかの程度を示す指標といった意味です。具体的には血糖値とか或いはヘモグロビンA1Cといったものの測定値などが該当すると思います。糖尿病は不治の病であり、一旦取りつかれると薬を飲んでも注射をしても治らない病持ちの体質となってしまいます。薬を飲んで数値が下がって一時的には健康に戻った気分になるのですが、それで治ったと安心して好きなように食べたり飲んだりしていますと、たちまち数値は悪化し、病のレベルに突入してしまうのです。

今の世は飽食の時代だなどと呼ばれていますが、それは別の言い方をすれば過食の時代であり、カロリー摂取過多の時代でもあるということでしょう。糖尿病はそれを証明する重大な指標の一つであり、我が国では人口の約1割の患者がおり、且つその予備軍はその倍以上あるということですから、まさに国民病と言っても良いのかもしれません。

糖尿病が怖いのは、前述のように直接の死因とはなりにくいものの、様々な病を誘発したり、或いは合併症と言われる重大な病を現出させるその根っ子となるからです。そして最も恐ろしいのは、薬を飲めば病は治るなどという甘い考えが通用しない厳しい性質を持った身体に我が身をつくり替えてしまう、そのような病であるということです。病体質になっているのを気づかずに、薬を飲んでいるから大丈夫などと過食を止めないでいると、遅かれ早かれ崖っぷちに立たされることは必定です。その三大病状が①失明②壊疽による足指などの切断③腎臓の不全による透析であり、これらは合併症の極みと言われています。

もう20年以上も糖尿君と付き合って来て、それなりにコントロールに努めて来たつもりなのですが、それが極めていい加減で不十分だったということをこの頃思い知らされています。というのも今年になってから足の指先がしびれるようになり、手指の方にはバネ指の症状が出るようになりました。バネ指はともかく足の指先のしびれは、どう考えても糖尿君からの重大な警告としか受け止められません。目や腎臓の方には今のところ異常は感じていませんが、もしかしたら深く潜行して機能の悪化が始まっているのかもしれません。勿論放置しておくわけにはゆかず、医療機関に行き、然るべき処方を受けて薬なども飲んでいるのですが、多少は改善されている感じがしてはいるものの、このままでは悪化の進行を完全にストップさせるのは難しいように感じています。

70歳を期してベジタリアンに転換しようと只今取り組み中で、先ずは体重を5kgほど落そうと、今年の初めころから取り組んできました。野菜食中心に切り替え、食事記録を付けこれを続けた結果、現在その目標はほぼ達成され67kg前後だった体重は現在62kg前後となっています。目標が達成しかかった3~4カ月前の頃は身体に力が入らず、何だかふわふわしている感じで、何をしても無気力が入り込んでくる感じがしたのですが、今はようやく落ち着いた状況となり、リバウンドの心配も遠ざかった感じがしています。ま、減量そのものは上手くいっているということなのでしょう。これについては、次のステップとして60kg前後まで体重を落として、そのレベルで定着させたいと考えています。

ここまでですと、順調に糖尿君とのお付き合いができている様に見えるのですが、足指のしびれなどはなかなか消え去ってはくれず、停滞しているのです。それでいろいろその原因を自分なりに考えて見た結果、酒との付き合い方に行き着いたというわけなのです。こんなことは大して考えなくてもハナから分かっていたことじゃないかと、どなたでも気づくことなのかもしれません。しかし糖尿君との付き合いの倍以上にもなる古くからの友である酒を止めるというのは、自分にはとてもできないことなのです。今も依然として止めるつもりはないのですが、量を減らす必要はどうしてもあるようです。これをどう実現させるかが冒頭に書いた大問題なのです。

20年ほど前、私はヘビースモーカーでした。今は1本も吸いませんし、タバコの煙には顔をそむける人間となってしまいましたが、止める前までは、日に60本以上は煙を吸い込んで、何やら仕事という奴をやらかしていたようです。これを何とか止めようと休煙宣言を繰り返したりしていたのですが、ある時期の値上げを期に気づいたらタバコを吸わなくなっていました。元々タバコはあまり好きでなかったのかもしれません。百害あって一利なしと言われますが、私はタバコには一利があると思っています。一利があるから皆タバコを吸うのです。その一利とは、百害を承知での一服の緊張からの解放感、或いは逃走感といったものかも知れません。長いことその一利に取りつかれていたのでしたが、それを捨てることができたのは、タバコという国策事業に対する理不尽な値上げに怒りを覚えたのが発端でした。今となれば些かバカバカしい話ですが、結果的には時に値上げにも感謝しなければならないことがあるということでしょうか。

さて、ところでです。酒の方はタバコとは全く違います。何が一番違うかといえば、私は酒が好きなのです。酒も私を好いてくれています。どんなに高額の課税が為されても、或いは禁酒法なる法律が生まれたとしても、酒を見捨てることは我が人生ではありえません。これはもう、バカバカしいほど真面目な信念なのです。問題は如何に量を減らすかということです。そしてこれをどのように実現して行くかということなのです。

目標達成のマネジメントの考え方の中には、様々な手法がありますが、私が良く使うのは言いふらしというやり方です。これは自分に言い聞かせただけではとても守りきれないなという場合に使う手です。身近な周辺の人たちに自分の考えている目標或いは目的を言いふらすのです。その場合はずるい戦法なのですが、100%止めるなどということは決して口にしないことです。タバコの時もそうでしたが、禁煙とか止めるなどとは決して言わずに休煙という言い方をします。これなら元に戻ったところで言いわけが立つからです。

さて、肝心の酒の方なのですが、禁酒などとは元々考えてもおらず、ただ糖尿君の警告もあって、我が身自身がそれを受け入れざるを得ない状況から、量を減らすということなので、どう言いふらせばよいのか困惑しています。それで、今思っているのは停酒宣言という奴です。止めるのではなく停めるということです。停めるのを繰り返すうちに、もしかしたら止まることになるかも知れません。要するにこれは理屈遊びの様なものなのですが、目的や目標の達成には、遊びの様なものが必要なのだと思っています。

それにしても宣言を発するかどうか、今しばらくは困惑が続くのではないかと思っています。とりあえずは、酒類は在庫がなくなるまでは補充をしないことにしました。在庫がなくなった時が決断の時になると思います。慎重に決断したいと思っています。

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