山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

化石世代から異次元世代を見る不安

2021-06-19 03:35:31 | くるま旅くらしの話

 先日、新しい旅車で試し旅をして来ましたが、予定外の地の群馬県東吾妻町にある道の駅:あがつま峡に2泊しました。その二日目の朝に、還暦を迎えられたという青年に出会いました。その名は三川屋幾朗さん。近年出会ったなかでは抜群の面白い、奥行きの深い人物でした。傘寿の自分とは20歳の差、昔の言い方では2世代も離れた世界の方ですが、その活き活きとした話しぶりには若さが漲っていて、圧倒されました。

 私の旅は、日本という国だけで外国には一切関心がないのですが、この方は国際人〈そのような言い方があるのか判りませんが〉で、50歳で仕事をリタイアするまでは、世界を股にかけて仕事を為されていた様で、世界各地に知己をお持ちで、現在もそれらの方たちとの交流を最大限に生かして自由人としての活動をされているようでした。

 私は、今回の旅で初めて今朝ご飯を炊き、それを食べ終えて洗い場に行く途中だったのですが、休憩所のテーブルに一人ラジウスを用いて何やら朝食に取り掛かろうとされているその方に声を掛けられ、気がつけば小一時間近く話込んでしまいました。旅の話から始まって、人間観、縄文やアイヌの歴史などに至るまで、話はどんどん広まり、尽きることがないほどでした。この方はとても聴き上手で又格別の話し上手なのです。

 一体どのような方なのか、名乗られたのは三川屋幾朗でした。たくさんの情報発信をされておられるというので、あとで調べさせて頂くことにして、別れることにした次第です。

 この方と話をしている中で大変気になった言葉がありました。最近溢れている横文字や略字にそれほど関心はなく、いつもざっと調べて、なんだあと思うくらいなのですが、「Z世代」とかいう言葉には引っかかるものがありました。何時の間にそのような呼ばれ方の世代があったのか。いとも当たり前のようにその言葉を駆使しておられるのを不思議に思いながら聴いていました。自分は明らかに化石世代なのだという不動の確信はあるのですが、今頃世代に対してどのような見方や呼び方があるのか、全く関心がなく気づいてもいなかったのです。彼がZ世代の人たちの中にも自然環境や生き方について未来につながる健全な考え方を持つ人がいるなどという話を聴いていてもさっぱり解らないのです。これは後でしっかり調べなければならないなと思いました。

 40年も前の現役の頃、間もなくやって来る高度情報化社会について思いを巡らしたことがあるのですが、当時はパソコンの操作もロクに知らない状況でした(今でもそうなのですが)から、高度情報化などという言葉は解っても、その実態は無知なのでした。それがこの40年の間に、高度情報化の現実が生み出した世代が出現していたということなのです。Z世代とは、1990年後半から現在に至るまでに生まれた世代を呼ぶようで、主に20代半ばまでを言うようです。さらにこれを細分化してα世代というのもあるとか。またZ世代の前にY世代というのもあるとのことですが、化石時代の者には皆初耳のことでした。これらの新世代(?)の特徴は、デジタルネイティブ、SNSネイティブ、スマホネイティブということだそうで、いずれも化石に生きる者には、多くの歪みを孕んだ、ただ利便性だけが貪り取られたツールにしか見えないものなのです。未だツールとしてどう活用すべきなのか、その活用を支える倫理はあるのかも見えない中で、どんどん活用が進んで現在様々な問題や事件を引き起こしているのがこのツールなのではないか。ま、正しく使っている人たちも多いのだとは思うが、自分などは疑問と疑念だらけで、これらのツールを手にしてはいても本気で使おうとは到底思えないのです。Zやα世代の人たちはそれをベースとして育ち生きているというのですから、解ってはいても何だか不信感が拭えないのです。

 例えば、このブログですが、自分のような作文主義の運営は明らかに化石化時代の者の特徴であり、YやZ世代の人ならば、もっともっと言葉を削って、映像や動画などを活用して、説明など余計なのだと考えて作成するに違いないのでは、と思います。しかし、自分はせいぜい写真を掲載するレベルで十分と思っているのです。その最大の理由は、写真や動画などは、所詮本物ではなく見た目に過ぎないと考えられるからです。リアルではなくバーチャルなのです。バーチャルリアリティなのです。その本質は本物ではなく、そっくりさんに過ぎないのです。そっくりさんだけでも人間関係は出来上がっていくとは思うのですが、その場合本物はどこへ行ってしまうのでしょうか。甚だ疑問があり心配です。ついこの間の20世紀まで、人間は本物を主体に生きてきたと思うのですが、いま、それが解体されようとしている。そのようにも思えるのです。化石がどんなに考え語ろうとしても、その声が届くのか。縄文時代の欠片の発する声に気づく人がZ世代の中にいるのか。三川屋さんの話されたZ世代を調べてみて、様々な複雑な思いを膨らませたのでした。

 三川屋さんは、たくさんの情報を発信されておるようですが、その中に「メンター@三川屋幾朗/毎日3時半から超早ズーム朝礼」というのがあり、その中では自分は旅仙人と紹介されておりました。名誉なことです。何処かの旅先で生きている間に再会が叶うことを願っています。

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1 コメント

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海彦の山暮らし (umihiko)
2021-06-24 18:41:11
 ご無沙汰してます。お元気そうで何より。
 新しい車も乗りやすそうで良かったですね、
 ワクチン接種済んだら,どこかでお会いしたいです。
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