山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

リレーアタックの防御

2019-02-27 09:02:22 | 宵宵妄話

 先日TVを見ていたら、リレーアタックという耳慣れないことばが注意を引いた。何のことだろうと思って見ていたら、何と車のキーの発する電波をキャッチして、ドアを解錠してエンジンを始動させ、車を盗み去るという行為のことを言うのだとか。2~3人が組になっての自動車盗の最新の手口ということだった。最近この被害が増え出しており、要注意とのこと。

 この頃の車は、ポケットにキーを入れたままでも始動ボタンを押せばエンジンがかかるという、使い勝手のいい装備が当たり前となって来ている。スマートキーというのだそうな。自分としてはそのような上等な装備の車にはずっと縁がなかったのだが、昨年これが人生最後の車だと新車を購入した。我が家にはトラックベースの旅車と軽自動車のセカンドカーの2台がある。セカンドカーの方は、急ぎ乗り換えなくても良かったのだが、いつまでも古い車に乗っていると、時代から置き去りにされてしまいかねないという気持ちになり、今頃の車の装備を知っておいてもいいのかなと考えて乗り換えたのだが、軽自動車とはいえ、その装備は10年前の車とはかなり違っていた。

 サイドブレーキが無くなってフットブレーキとなっていたし、ハイブリッドで燃費も少し改善されていた。勿論ドアの開閉もエンジンの始動もスマートキーでとなっていて、馴れるまでは少し違和感があって時間がかかった。セカンドカーなので、家内と二人だけでの買い物など近所へ出掛ける時だけ用いることにしており、軽自動車で十分なのである。

 TVの情報によると、自動車盗が狙うのは高級車のレクサスやSUVのランクル、それに用途の広いハイエースの類だという。これはトヨタ製だけど、他社製の同クラスの車も狙われているのは確実なのだと思う。話によるとこれらの盗賊どもは、2~3人の小グループだけではなく、大がかりな窃盗団もあり、組織的に活動しているということだから、被害に遭ったら恐らく取り戻すのは困難ということになるのであろう。真にとんでもない奴らである。

 ところで、まさか購入後1年も経った我が家の軽自動車が狙われることは万が一にもあるまいと思うけど、ドロボーの中にも気まぐれの奴が紛れ込んでいるかも知れず、盗り易い環境の駐車場なので、一応は対策を講じておくことにした。もし朝になって外に出て、どこかへ出掛けようとした時に車が無くなっていたら、驚くばかりでなく、忽(たちま)ち暮らしに支障を来すことになる。都会風になってきたとはいえ、守谷市はまだまだ田舎であり、電車やバスだけで用を足すというわけにはゆかないからである。

 そこで、どうすればリレーアタックを防げるのかをネットで調べてみた。いろいろ対策グッズもあるようだが、その前に自分で出来ることはないかと考えた。先ずは、このスマートキーというのは、常時微量の電磁波を出すようにできており、これを遮るようにしてキーを保管していれば、リレーアタックを防ぐことができるという理屈が書かれていた。そして、それには何でもいいから金属の入れ物がその電波を遮ってくれるという。それで早速、丁度手頃の紅茶の空き缶があったので、その中に入れて車の傍でキーを操作してみた。ところが全く遮る能力はないのである。自在にドアは開きまくるのである。他の缶でも試してみたのだが、皆同じであり、これを書いた人は一体どういう了見なのだろうと思った。

 次に調べてみると、アルミ缶なら防げるという。ところが我が家にアルミ缶は見当たらない。鍋もないしあるのは大きなヤカンだけだ。まさかそのようなものを使うわけにはゆかない。今頃でもアルミ製の弁当箱が売っているのかと探してみたら、良品計画の店で見つけたのだが、かなり高価であり、とても買う気にはなれない。そこで思いついたのは、アルミというならアルミ箔でもいいのではないかということ。アルミホイルならアウトドアの調理などでも使うし、どこでも売られており、我が家にも在庫がある筈。ということで、先の紅茶の空き缶に一重にアルミ箔を巻いて試してみたのだが、これが又さっぱり功を奏しない。少し離れた場所からやって見ても、忽ちドアは音を立てて解錠してしまうのである。

 よし、それならば二重にしてみようと試したのだが、これもだめ。こうなったらトコトンやってみようと更にアルミを増やしてキーをくるんでチャレンジしてみた。すると、3枚目になって、幾らボタンを押してもドアは音を立てなくなった。ようやく効果が出たようなのだ。缶のスペースがかなり狭くなってしまったが、一応これで電波を遮断できることが確認できたのだ。やれやれ、である。

 そこで念のために更に缶の中にもう一枚アルミ箔を増やして貼るようにして、現在使用中である。スペアキーについても、家の中に対策なしで置いておくと電波を拾われてしまう恐れがあるので、これは菓子作り用のアルミの箱にホイルで厳重に包んで棚の奥に収めることにした次第。これで、我が家ではドロボーが家に入り込んでキーを奪うというような事件でもない限りは、自動を盗まれる危険はないのだと思った。

 今の世は、ドロボーの仁義など完全に捨て去られており、まことに悪質な事件が幾重にも置き続けている。防犯というのは、結局は他者依存ではなく、自らが乗り出して対策を講じて悪を排除するしかないのだ。そのことを改めて強く感じたのだった。                                                                                                                

常時使うキーは、紅茶の空き缶にこのようにアルミ箔の壁を作って収めるようにしている。

 

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2018年北海道の旅、後楽の苦しみ

2019-02-18 04:52:43 | その他

 昨年は「北海道生誕150年の今めぐり旅」というのを思いつきそれを実行した。110日をかけ、1万1千キロ余りの長旅だった。この旅は、自分たちにとっては珍しい目的的な旅だった。目的的というのは、それまでは行き当たりばったりに旅先でのできごとを楽しむというだけだった。「北海道生誕150年の開拓の歴史を訪ね巡る」というような大げさなテーマを掲げることなど考えてもみなかったのである。140カ所以上の歴史民俗資料館や博物館、役場などを訪れたのだが、未だにその整理が終わっていない。集めた資料類は、大型の書類袋に10個もあり、その他にも撮った写真類も万を数えるほどで、それらをつき合わせて確認してゆくのは大仕事なのだ。それらをチエックしている内に情報不足に気づいて、今度はネットなどで調べたりしていると、益々仕事のボリュームが膨れ上がって、何だか絶望的な気分になって来る。

 これらの資料をチエックした後、もう一度新たな気持ちで紀行の記録などを書いて見ようと思っていたのだが、この調子で資料を整理していると、もしかしたらあの世に行くまで時間が掛ってしまうのではないか。そのような恐怖に時々襲われたりするのである。これはもう後楽どころではない。苦しみそのものではないか。一体何のためにこのようなことをしているのか。葛藤が続いている。

 いつも作っている旅日記の方は、旅から戻った半月後には完成している。何しろ長期間だったので、枚数も膨れ上がってしまい、B5判に細かい字で印刷して240ページにもなってしまった。とても多部数の印刷は無理なので、15冊だけ作って、お世話になった関係者の方に送付しただけである。もし紀行文を書くとしたら、只の日記だけでも240ペーにもなるのだから、集めた資料などを使って取り組んだりしたら、その倍くらいの枚数になってしまうかもしれず、これはとんだことになるなと、迷い始めている。もうそのようなものを書くのは止めにしようか、と。

紀行文というのは、松浦武四郎や間宮林蔵、菅江真澄などの著作に刺激されて、現代版の北海道遊覧記のようなものを書いて見ようと考えたのだが、いざ取り掛かって見ると、これは個人の思いつきでは到底無理なことが判った。何しろもはや間もなく傘寿を迎える老人であり、しかも思い立ったのが1年ほど前なのだ。せめて10年ほど前に気づいて取り組んでいたら、北海道開拓の歴史情報は、もっともっと豊かだったと思うのだが、たった110日ほどの旅では、北海道の各地の150年といっても、ほんの一部を掠(かす)めるに過ぎないのではないか。やっぱり無理だなと思った。

さて、どうするのか。今思っているのは、やはり後楽のレベルで、今回の旅の中で拾ったあれこれを書いて見るしかあるまいということ。大上段に振りかぶっての遊覧記など志すべきではないということ。分相応に楽しんで人生の残りの時間を活用すべきなのだ。今はそう思っている。

それにしても今回の旅で、北海道という北の大地に関する(歴史)認識が大きく変わったのを実感している。ぐっと身近になった感がする。北海道の179の自治体名と地理情報は頭の中で定着しつつある。どこにどんな市町村があり、そこを通過したり訪問したりした時の景観などをすぐに思い浮かべることができるようになった。もしかしたら北海道に住んでおられる人よりも詳しいかもしれない。そのような小さな自信が生まれつつある。その市町村が何から始まって今日につながっているのかについては、まだまだだけど、この後の知る楽しみが膨らんでいる。先住民であるアイヌの人たちについても少し理解が進んだように思う。彼らは縄文人を正統に引き継ぐ人々だと思っている。弥生時代のない北海道には、1万年以上の縄文人の知恵の文化がアイヌの人々を通して残っているに違いない。それは現代のような技術情報文明の行き過ぎの時代にとって、これから重要度を増すに違いないように思う。

 

後楽の苦しみの中から、少し光明が見えて来ていると感じている。これからは、オーバーに構えることなく、この貴重な旅で拾った出来事や考えの数々を少しずつまとめて記してゆきたいと考えている。そして、この場でも披歴していきたい。

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観光公害に思う

2019-02-12 23:35:44 | 宵宵妄話

TVを見ていたら、中国の春節での日本への観光客激増の話題が幾つか放映されていた。日本でも正月やクリスマスなどの祝祭日のバカ騒ぎは、コマーシャリズムに煽られていつも度を外している感がするけど、中国のこの旧正月を祝う行事は、13億人が新たな年への脱皮を期してのエネルギーが爆発する勢いがあるようだ。その余波が、日本まで押し寄せて来ているという話なのであろう。

春節に限らず中国からの観光客は多い。中国だけでなくアジア各国からの観光来国者も年々増えているようである。車で北海道を旅していると、有名観光地にはこれらの人々が溢れているのを実感する。富良野や美瑛等の花畑などには、訳の分らぬ嬌声を発する東アジア系と思しき外国人が数多く入れ混ざっているのを実感することが多い。

昨日のTVでは、溢れる観光客に対する白川村の規制への取り組みについて紹介されていたが、さもあらんと同情し同感した。自分達の住む地が幾ら優れた観光資源だったとしても、受け入れのキャパシティを超える人が押し寄せて来たなら、それを放置し続けることはできる筈がない。駐車場も展望台も予約制限をせざるをえなくなるのは当然であろう。

その番組では、引き続いて白川郷に似た景色がある場所として京都の美山の民家エリアの様子が紹介されていたが、美山の人たちは今のところ観光客を引き寄せる方に力を入れているようだけど、間もなく如何にして規制するかの方に力を注がなければならない状況に陥るのではないか。

白川郷も美山の民家も何度も訪れている場所なのだが、ここ20年来行くたびに息苦しさが増して来ている。もはやゆっくり散策を楽しむという風情は無くなって来ている。ただの観光ボケの無知の人たちが渦巻いて訪れる場所になりつつある感じがして、もう訪ねてもダメなのだなとこの頃は思い始めている。日本の古い時代を今に残す場所を旅するとしたら、これからは限界集落や廃村の地を訪ねるしか無くなるような気がする。これは個人的な慨嘆である。

国は観光立国を高らかに宣言し、諸外国からの観光客誘致にかなりの力を入れているようだ。何年か前にある講演会で観光当局者の話を聞いたときには、当面年間3千万人を目指すなどと言っていたのだが、現在は2020年には4千万人と目標が引き上げられているという。ま、観光客が落としてくれる消費の額が4兆円を上まわり、更にそれが膨らむと目算すれば、これは一大産業として位置付けて力を入れるのも首肯しないわけにはゆかない気もする。

しかし、一方で観光公害などという言葉がささやかれ出しているのをどう考えればいいのか。というよりも、国はそのことを考えなくてもいいのか。それが問題なのではないか。物事には何を為すにも必ず負の部分が付きまとう。八方良しというような施策は極めて少ないのが世の現実だ。原発もそうだし、薬の使用だって副作用が付きまとう。現在世界最大の負の問題といえば、環境問題であろう。環境問題は人類が行ってきた全ての行動の負の遺産の総合問題のように思う。良かれと思ってやってきたあらゆる行為が、生み出した負の部分を放置したままにやり続けて来た報いが、環境問題に結び付いている。

観光という事業がどのような負の部分を持っているのかは判然としない。だけど、観光客を誘致することだけに目を向け、力を入れるだけでいいのだろうか。観光公害などということばが浮かび上がって来ている現状を国は看過していてはならないと思う。4千万人を受け入れた時に、どこにどのような不具合現象が発生するのかをより詳しく予測し、手を打つべきことが多々あるのではないか。宿泊施設の増設のような物的側面ばかりを考えるだけではなく、よりヒューマンサイドの出来事にも力を入れてケアすべきではないか。そう思う。4千万人というのは、我が国の現人口の3分の1にも相当する人間の数なのである。これらの人々に自国と同じ遊興気分で浮かれながら、マナーなど無視して行動されたら、地元の人々は堪ったものではない。地元だけで対処できることには限界があり、そうなればもう、これは国の責任ではないか。

いろいろな考え方があると思うが、国は「観光客はお客様であり神様である」などという愚かな発想を断固捨て去るべきであろう。先日隣国の韓国で、「お客様は神様だ」などといって、店員に暴力をふるった客の事件が報道されていたが、このような考えは愚の骨頂である。お客様は神様などではない。人間なのだ。物を買う人間が神様で、店員は唯々諾々と神様に従う人間、などというバカなことがあってはならない。客も店員も同じ人間なのだ。

だから、国は観光客を人間として扱うべきである。ぺこぺこ卑下して機嫌をとることはない。是々非々を明確にし、マナーのなっていない者には断固たる対応を明示すべきである。それは法で規制するしかない。たとえ誘致に支障が出るとしても、法に違反した者には罰を課すべきであり、曖昧な妥協はすべきではない。まずは、この辺りからしっかり取り組んだ上で、大いに観光立国を図ればいいのではないか。

旅を愛する者の一人として、この頃感じていることであり、願っていることである。日本国は日本国としてのアイデンティティをもっと確り明示すべきである。得することばかりを考えての優柔不断な対応は、いつか必ず世界から見くびられて、堕落した国となり果てるに違いない。観光公害など皆無の観光立国を正々堂々と実現して欲しい。そう願っている。

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ブログ開始満12年目を迎える

2019-02-01 01:34:50 | その他

 今日2月1日は、自分にとって記念すべき日である。今から12年前の2007年のこの日に、このブログを開始したのである。あれから干支は早やくも一回りして、自分の年齢も一回り数を増して78歳となった。くるま旅はブログの開始よりも10年ほど前から始めていたのだが、本格化したのは現役をリタイアした63歳からだった。だから、くるま旅に本格的にのめり込み始めてからは15年ほどになる。

 わざわざブログを借りて、くるま旅のできごとなどを発表しようと思ったのは、現役をリタイアした頃、ホームページやブログというようなネット上の発表技法が開発され進展し始めていたからである。その頃、ある雑誌で村山孚(=中国古典研究家・作家)という方の「午後の喫茶店」というタイトルのブログにお目にかかった。その時、村山さんは80歳が近づいている頃ではなかったかと思う。自分よりもかなり高齢の方が、自ら新しい意見発表の場を設けて活躍されているのを見て、自分も相当に刺激を受けたのだった。

 というのも、その頃からリタイアした後はくるま旅を本格化し、その出来事や実際の様子をエッセー化した形で発表したいと考えていたからである。高齢の方がブログという場を活用されているのを知り、自分も何とか取り組んでみようと決めたのだった。ただ、ネットの世界に関しては、全く未知のど素人なので、実際にどのようにブログに参加すれば良いのか、その方法や要領が判らず困惑したのを思い出す。周辺に自分を助けてくれそうな人は皆無だったのである。

 しかし、未知の世界というのは、何事も逡巡していたのでは先に進むことはできず、とにかく先ずは飛び込んでやって見ること、試行錯誤の繰り返しが肝要だということを、この時も改めて思い知らされた。ポータルサイトにgooを選んだのは、偶々知り合いがgooのブログを用いており、自分もできるのではないかと考えてチャレンジしたのである。ま、何とか投稿が可能なところまでこぎつけることが出来たのは幸いだった。

 さて、開始はしたものの何からどのように記載を始めるのか、必ずしもきちんとまとまった計画があったわけでもなく、取り敢えずは自分の考えているくるま旅の考え方を披歴することにした。この頃はくるま旅ではなく、くるま旅くらしという言い方にかなり拘っていた。旅の時間というか期間というべきか、くるまで旅をするならば、2~3日間というような短いものではなく、じっくりと旅の非日常的時間に身を置いてそこから得るものを大事にするということを強調したかったのである。リタイア後のあり余る時間を使ってのくるま旅であるならば、それは「くらし」というほどのレベルであっていいと考えた。そして、それは旅の新しい形としてこれから育ってゆくべきものではないかと思ったのである。

 しかし、この考え方はどうやら自分の一方的な思い込みだった様で、今では単なる時間の長短ではなく、まさにその中身・内容こそが重要だと思っている。くるま旅が、人生を活き活きと心豊かに生きるということに資するものであれば、時間の長短など問題ではないと思っている。

 この12年の間に、ブログは少し幅を広げたと思う。くるま旅だけではなく、世情一般に関しての記事の他に、写真と発句を組み合わせてそれにコメントをつけて自分の思いを紹介するという新たな表現領域などにもチャレンジしてみたりしている。このブログの趣旨からすればそれらは邪道ということになるのだと思うけど、自分の世界では、もはやくるま旅だけに拘るのではなく、馬骨という自分の生きざまを可能な方法で表現・発表する場としてこのブログを考えている。

 さて、これから先のことだが、くるま旅にも限界がある様に、ブログにもほどよい止め時というものがあるのかもしれない。しかし、今のところくるま旅を止める時が来たとしても、このブログは止めるつもりはない。もし止めたりしたら恐らく認知症という奴が駆け足で近寄って来るに違いない。人間思いを入れてやることがなくなったなら、気が抜けてしまって生きているのがあやふやとなってしまう。自分にとってブログの継続は認知症を避ける薬のようなものではないか。そう思っている。

 だからブログは、もう、ものが書けなくなるまで続けて行こうと思っている。生きている間は止めないようにしたい。もしかして、超老世代(95歳以上)まで続けられたら最高だと思う。その時はもはやくるま旅は不可能となっているだろうから、そうなったら、今までの旅の記録をもとに、新たな心境で超老の夢などを語り続けられたらいいなと思っている。

 当面は、今まで通りくるま旅の報告などを中心に、自分の思いなどを披歴してゆきたい。

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