山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

「佐渡一国を味わう旅」出発へあと3日

2015-05-29 03:28:29 | くるま旅くらしの話

 あと3日で佐渡への旅の出発です。あれこれ考えた末に、今度の旅を「佐渡一国を味わう旅」と名付けることにしました。味わうといっても、何か美味いものでも食べるということではありません。佐渡ヶ島全体をじっくりと訪ね回って、それぞれの地域の情景や風物などを味わいたいということです。あえて「一国」としたのは、自分にとっての佐渡ヶ島というのは、新潟県の一部などではなく、遠い昔からそこに存在した「佐渡」という国に思えるのです。前回も書きましたが、佐渡は山あり川あり、平野あり、湖あり、の四囲を海に囲まれた一国なのです。何故か自分には、佐渡は現代文明がもたらした今の世の喧騒を払いのけた、日本国の原形がそこに息づいているように思えるのです。今回の旅は、薪能などの鑑賞を通して、それらを確認しに行くようなつもりでいます。

 9年前の佐渡の旅では、たった6日ほどの滞在だったので、実のところ上っ面の佐渡しか見ていなかったのだと思っています。佐渡は北側に大佐渡山地、南側に小佐渡丘陵があり、その中間に国中平野が広がっています。地形的には二つの小さな山脈が国中平野で合わさっているといった感じの構成です。前回は大佐渡山地の麓を一回りし、国中平野の旧跡等を見て回ったのですが、南の小佐渡丘陵側は小木の近郊を訪ねたくらいで、その他のエリアは行かず終いでした。今回は万遍なく260kmの海岸線を回り、山岳地帯などにも踏み込んで本物の佐渡の味を見出したいと思っています。

 先ずは能舞台の見学・鑑賞が中心目的となりますが、5回の上演の鑑賞で何が学べるかが楽しみです。一応事前に能の精神というのか、考え方について学んでおこうと、世阿弥の「風姿花伝」を読んでいるところです。大変難しい芸術論書ですので、まだ能の鑑賞もロクに体験していない身では、本当のところ幾ら読んでも本物の理解は出来ないのだろうと思っています。地元の観客の皆さんと一緒に無知なりにも能の何たるかを共に楽しみながら、何を得られるのか大いに期待しています。

 能の鑑賞以外は、6月中ごろが最盛期の大野亀のトビシマカンゾウの花を堪能したいと思っている以外は、全て行き当たりばったりで佐渡の中を自在に動き回りたいと考えています。どんな景観に出会えるのか、どんな出来事に出会えるのか、そして何よりもどんな人たちに出会えるのか、不安と合わせて期待も大きいのです。くるま旅を始めた頃の原点に戻り、それぞれの出逢いを大事にしたいと考えています。

 あと3日後の出発が楽しみな「佐渡一国を味わう旅」です。この旅についての報告は、6月1日からブログにて掲載することにします。ご一緒にお楽しみ頂ければ嬉しく思います。予告でした。

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佐渡行の楽しみ(前楽)

2015-05-17 05:19:26 | くるま旅くらしの話

 6月には、佐渡へ行って心の浄化を図ることにしています。心の浄化などと大げさな話ですが、時には旅に出て静かな出会いを楽しむのもいいんじゃないかということです。まだ出発までには少し時間がありますが、もうかなり前からこの佐渡行を楽しんじゃっています。その一部を紹介しましょう。

 佐渡ヶ島には2006年の4月28日から5月3日まで6日間滞在したことがあります。この時はTVの取材を受けての旅でしたので、最初の二日間は落ち着かない時間でした。取材から解放された後の4日間は、島内の主な観光地などを訪ねていろいろ感ずることがあり、今度来るときには6月頃がいいなと心に決めたのでした。というのも、佐渡の神社などを訪ねると、その多くに古びた素朴な能舞台が設えられていて、大きな松の絵などが描かれているのを何箇所も見ました。能のことはとんと無知で、どんなものか全くといっていいほど解らないのですが、これだけ能の舞台を備えた神社があるのだから、一度じっくりと鑑賞させて頂ければ、何か気づくことがあるに違いないと思ったのです。その時に聞いたのが、能の上演は、田植の終わった頃に神社に奉納されるということで、6月の時期が一番多いという話でした。

 それから早や9年が経ち、今回ようやくそれを実現する機会がやって来たというわけです。今年は夏の北海道行を諦めることにしており、その代わりに少し早目の旅をしたいと考えていたのですが、佐渡行はそのタイミングにぴったりなのでした。調べてみると、6月の能の上演は、6回ほど予定されており、その内一度だけ同じ日に重なるものがあるので、5回しか観ることが出来ないのですが、毎週1回は観ることができるのですから、どんなに無知で鈍感な自分でも、能尽くしの一カ月を送れば、少しは得るものがあるに違いないと目論んでいる次第なのです。

 江戸時代の天領佐渡は、金山の存在が最も有名ですが、現在は既に廃鉱となっており、その跡が観光スポットの一つとなっているだけです。前回訪れた時はそのような罪人をこき使った暗い坑道を覗くのは忌避して、訪ねはしませんでした。閉所恐怖症の気のある自分には、どうも深い穴などに潜るのは苦手なのです。石見銀山遺跡を訪ねた時に、一度だけ勇を鼓して坑道を歩きましたが、もう二度と歩きたくはありません。佐渡には、そのような暗い場所などではなく、もっと明るく素晴らしい世界がたくさん広がっています。今回はそれらを能鑑賞と合わせて存分に楽しみたいと思っています。

 佐渡は一国です。現在、島の全ての市町村が合併して佐渡市となりましたが、これは佐渡が本来の姿に戻ったことになるのではないかと自分は思っています。佐渡は面積が東京都の約半分の大きさ、周囲が260km余りで、日本の本土4島を除けば、沖縄本島に次ぐ大きな島ですが、実際に佐渡に行ってみると、四囲が海というだけではなく、山あり、川あり、平野あり、の優れた一国であることを実感します。古代に定められた領制国においても、佐渡は一国と定められていますが、同じ隠岐や壱岐、対馬などと比べて、はるかに一国を実感できるように思います。

 佐渡ヶ島は、古来流人の島としても有名ですが、流人とは往時の権力者の意向に反したり、従わなかった人たちが殆どで、人間的には権力側にいた人よりも優れた力を持った人も多かったのだと思います。いわゆる島流しの刑に処された人の全てが犯罪者だと考えるのは軽薄な誤りであり、佐渡や八丈島などにはその人たちがもたらした文化が、磨かれて根づいているのを見出だすことが出来ます。佐渡ではその代表的なのが能なのでありましょう。鎌倉時代に能の大成者として名高い観阿弥・世阿弥父子の世阿弥が佐渡へ流され、その時に佐渡に能という猿楽文化を根づかせたのでありましょう。能を知らない自分でも世阿弥の「風姿花伝」くらいは読んでおり、芸道の深さというものをそれなりに考えさせられたものでした。佐渡への流刑者は、鎌倉時代以降に急増しているようですが、江戸時代は金山に従労させる本物(?)の犯罪者が多かったようです。詳しいことは佐渡へ行ってから能鑑賞の合間に博物館や民俗展示館などを訪ねて調べてみようと思っています。

 ところで、今回の旅の日程ですが、出発は6月1日と決めています。5月の末に房総方面へ3日間ほどの小旅行に出かける予定があり、それとつなげることも考えましたが、一応一旦家に戻り、改めて出発することにしました。その日が待ち遠しい現在なのですが、今回の佐渡行には能の鑑賞以外にも幾つかの楽しみが付随しています。

 先ずは、往路です。家を出発したら、高速道などを利用して日光に向かいます。そして日光の手前北部からは会津西街道(R121)を行くことにしています。今回は是非とも会津若松の探訪をしたいと考えており、このコースを選択しました。重伝建の大内宿も久しぶりに訪ねてみたいし、塔のへつりの奇景も眺めてみたいと思っています。会津若松は何時も素通りばかりで、しっかり探訪したことがありません。早乙女貢著「会津士魂」を読んで以来、いつかじっくり会津若松の探訪をしてみたいと思いながら、まだ実現していなかったのです。今回は下見のつもりで、城下町会津を訪ねてみたいと考えています。その後は、越後街道(R49)を新潟に向かいますが、会津と新潟は意外と近いのを知っており、戊辰戦争にゆかりのある各地を通過しながら、往時に思いを馳せたいと思っています。

 新潟港から佐渡に渡ってからは、今は能の鑑賞予定しか決めていませんが、一つだけぜひ訪ねたいと考えているのは、トビシマカンゾウの群生地のある大野亀です。佐渡の島の北端に近いここには、カンゾウの株が群生しており、前回訪ねた時にはまだつぼみも見られない時期でした。今回は丁度花の最盛期頃なので、大いに楽しみにしています。カンゾウは、日光キスゲの仲間で、全国各地にそれぞれの呼び名で群生して花を咲かせてくれています。佐渡のトビシマカンゾウの、そのありのままの姿をしっかり見ておきたいと思います。佐渡での、その他の予定は全く未定で、能の上演のない日はフリーなのですから、存分に動き、止まり、眠り、飲み、食べて時間を楽しみたいと思っています。

 さて、帰路ですが、6月の最後の能の上演が終わる20日を過ぎたなら、翌日にでも両津港から新潟に上陸することにします。その後は、往路と同じコースを戻るのは止め、燕市や三条市など長岡市近郊の道の駅などを訪ねた後、山越えで只見町に向かうか、それとも檜枝岐村を訪ねてみようか、などと思案中です。どちらも新緑に染まり上がった静かな景観が期待できそうです。檜枝岐村の農村歌舞伎というのが先日TVで紹介されていましたが、その神社を覗くのも面白そうです。

 山の生気を目一杯胸に吸い込んだ後は、下界に戻り我が家へ戻る考えです。帰着は何時になるのか未定ですが、6月以内には草鞋の紐を解くことになるでしょう。(今の世では、靴を脱ぐということになるのでしょうか。何とも情緒のない言い方です) ただ今、部屋の中には、関東・甲信越・南東北の高速道地図と佐渡市の全図が重ねて貼ってあり、それを交互に見ながら出発の日が来るのを待っているところです。佐渡行、前楽の一部披歴でした。

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起きて半畳、寝て一畳

2015-05-14 03:42:34 | 宵宵妄話

、2階の入替引越が終わって、まもなく半月になろうとしています。まだ残務整理は残っており、なかなか落ち着きません。新しい書斎の場所も、運んできた本はとりあえず本棚に入れたままだし、それを整理し直すという気にはなかなかなれないのです。人間には「その気」というやつが不可欠で、どんなに簡単なことでも、「その気」にならなければ、現状を変えることはできなのです。今のところ、この「その気」がなかなか込みあがってこないのです。

 何しろ絶対スペースが大幅に減少した上にレイアウトもインテリアの考え方も違う造りだったので、これを克服するのは大変なのです。今まで10年も同じ屋根の下に暮らしていたのに、2階へは殆ど上がったことがなく、今は改まってその違いの大きさに驚いているところです。自分の方は書斎のことだけ考えれば、何とかなるのですが、家内の方はそうはゆきません。何しろ彼女は物持ちなのです。特に衣類は彼女のこだわりの世界で、気にいったものを超大事にする性格なので、「捨」の対象となるようなものは皆無に等しいのです。「思い切って捨てたら?」などと言うものなら、彼女の心を破壊するほどに脅かすこと甚だしきことになってしまいます。結婚以来、衣裳類のことについては、未だ一言もコメントしたことがありません。これは彼女の聖域の世界だと思っているからです。

 今回は絶対的なスペース不足の引越しなので、彼女の頭の中では、使える空間がどれほど生み出せるか、連日相当にその収容の方法について格闘して来ているに違いありません。何種類かの新しい収納用具を購入したりして、その労苦は半端ではないことが解ります。ゴミに出来ないものを宝物というのであれば、彼女の着衣類はまさに宝物その物であって、鉱石・金属類と変わらないほどのものなのです。

 引越しとなると、費用はつきものですが、今回も結構な出費となりました。1カ月の旅費用を超えるほどかもしれません。ついでに新しくしたものもあって、冷蔵庫や電気釜などはかなりの値段でした。これらは、この世におさらばするまで使い続けるのだから、ま、いいかなどと言いながらの買い物でした。あと十数年は気分よく使って行くつもりであり、このような投資もやむを得ないのかもしれません。

 家内のインテリアへのこだわりも相当なもので、今までも何かと不満を抱きながらもそれなりの工夫で小さな納得を積み上げて来たのですが、今回はまた一から出直しということになりました。部屋の基本的なレイアウトや色彩等が異なっているので、それらに慣れるというのか、諦めるまでにはかなりの時間がかかるに違いありません。倅などの側からは理解に苦しむ話なのかもしれませんが、人生の終盤まで持ち続けて来た彼女の価値基準の世界を壊すことはできないのです。これは倅たちにも理解して欲しいのですが、難しいことでありましょう。

 ところで、自分の方ですが、なかなか「その気」が湧いてこないのはともかくとして、もう七十路の半ばまで来ていることを思いますと、ダウンした暮らしのことを思って悩み煩うことは止め、現状を楽しむ方に舵を切ることにしたいと思うに至りました。「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」という箴言がありますが、これを根に据えることにしました。一人の人間が本当に必要とするのは、たった半畳の空間であり、一畳の平面、それに一日二合半の食い扶持に過ぎないのです。人はこのささやかな基準をやたらに膨らませて満足を得ようとしています。そして、その欲望に我を忘れて、不要なストレスに悩まされたりしているわけです。その欲望を否定したりはしませんが、それがどのような形で満たされようとも、暮らしの根っこはこの箴言通りなのだというのが、人間の暮らしの本質のような気がします。

世捨て人ではありませんから、このような暮らしをしたいとは思わないのですが、暮らしの根っこに、この考えを据えておけば、どんな状況が到来しても心が折れることはないだろうと思っています。今は、家内には通じない無理な話だと思いますが、もう少し経ったら現実の我執や妄執から離れて、この箴言の意味することも考えてみて欲しいなと願っています。

いまだ引越しの後遺症がくすぶっている現況の心模様の一端でした。

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北面から南面へ

2015-05-10 10:38:24 | 宵宵妄話

 今月の一日に、我が家では1・2階二世帯住宅の入れ替えを行いました。これを決めたのは3月の初旬であり、それから凡そ2カ月かけて準備を進めてきました。基本は「断・捨・離」の実践でした。これは真に辛く厳しい仕事でした。物欲は断つ、不要不急品は捨てる、物へのこだわりから離れる等々の決断は、なかなかできるものではなく、幾度もためらいながらようやくこの5月1日に入替引越しを終わらせたのでした。

 それから早や10日が経ちますが、依然として後片付けは残っており、気持ちが落ち着くまでには今月一杯はかかるような気がします。とてもブログの記事作成の心境には至らず、この記事は単なる現状に対する愚痴の披歴のようなものです。

 2階の新居は、リビングとキッチン、寝室と書斎だけの2LDKです。LDKと言うのには少し誇張がある狭さの感じもします。書斎が自分の暮らしのメインの場所なのですが、今までの北面とは違って、部屋の窓は南面を向いています。本来なら明るくて外の景色も楽しめる筈なのですが、机の上にはパソコンを始めその周辺機器類がごちゃごちゃと積み上げられ、並んでいて、とても外の景色を眺められる環境ではありません。それに今まで机の三方を囲んでいた作り付けの本棚は、たった一面を占めるスライド式の本棚となり、直ぐに手にとれる本も少なくなりました。多くの本類は元の本棚に居座ったままです。持って来られるスペースが皆無で、必要に応じて下へ行かなければなりません。

 これからの暮らしのスタートは、あらゆる面で縮小方向を目指している感じがします。人生の終盤に掛かっての辛い決断でした。決断した際には、それほど厳しいとも思わなかったのですが、いざ引越しが済んで、実際の暮らしを始めてみると、その苛酷さが相当なものだったことが解りました。過去十数回の引越しでは味わったことのない虚無感のようなものが、しばらくは居座るような感じです。引越しには何らかの新しい暮らしに対する希望や楽しみのようなものがある筈なのですが、今回の引越しでは、それを見出すのは難しいようです。

 残りの時間を数えても仕方のないことですが、ざっと予想してみて、身体がどうにか自分の思う通りに動かせるのも、運が良くてもせいぜいあと10年といったところでしょう。その先はどうなるのか、不安は拭いきれません。なるようになるというのは解っていても、それを安心して受け止めるのは不可能です。かなりストレスが溜まりました。

 しかし、後戻りするわけにはゆかず、これからはこの新しい条件の中で、目一杯暮らしを楽しんで行かなければなりません。具体的に何をどうすればいいのか、今のところはっきりしているのは、旅に出てストレスを発散させるということだけです。そうすればその後に、何かが見えてくるのではないかと思っています。

 取り敢えず、愚痴の再披歴でした。疲れがとれるまで、しばらくブログは休憩することにします。  馬骨拝

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引越のメインイベント終了する

2015-05-02 05:09:13 | 宵宵妄話

 3月の中頃に倅からの申出でにより、1⇔2階の入替引越しを決めて以降2カ月近くが経過し、昨日ようやくその引越しのメインイベントである専門業者による大物家具類等の移動が終了しました。3月以降は「断・捨・離」の修行に明け暮れる日々が続いており、書籍を初め身辺の小物類の処分もかなり進んで来ていたのですが、何しろメインの大物類を移動させない限りは暮らしの場所は変わらないわけで、それがようやく昨日終わったという話なのです。

 この家を建てて早や12年目を迎えようとしているのですが、2階に上がることは殆どなく、泊ったことなど一度もなかったのです。同じ屋根の下とはいえ、昨夜が初めてのことであり、何だか不思議な感覚でした。これからはここでの暮らしが始まるわけですが、落ち着くまでにはかなりの時間がかかりそうです。というのも、1階は老人向けに自分たちの意向を中心に作ってあるのですが、2階は倅の意向で若向きに作ってあり、面積も少し狭いのです。従って台所も風呂も収納量もより小さくなり、先ずは物品の収納に頭を悩ませています。又今までのIHもガスに変わり、いわゆる老後の暮らしの安全対策等もこれからは発想を転換させなければならず、全ての行動において油断は禁物となります。改めて、こりゃあ覚悟してかからねばなるまいと思ったのでした。

 自分の人生では、これが16回目の引越しとなりますが、過去これほど引越しの厳しさというか、煩わしさを味わったことはなかったように思います。たかが1階から2階への移動だけなのに、ここ数日間の運搬のための歩数は、万歩計で連日2万歩を超えており、3万歩を超える日もありました。距離にすれば平地の歩きよりはずっと少ないのでしょうが、階段の上り下りの運動は、一日が終わるとバタン・キューであり、結構効いているのを実感します。ここ数日メインイベントを控えてチマチマと運搬を続けており、歩きの方は休んでいるのですが、それ以上に鍛錬に役立っているのを実感しています。

 それにしても、まあ、何と不要不急品の雑物の多いことか!我ながらあきれ返るばかりです。今回の引越しでは、自分は書斎関係だけを担当し、その他は家内の担当となっているのですが、書斎に係るものだけでも、本以外にも様々な雑品に溢れており、しかもそれらの一つ一つに思い出が籠っているため、「断」の前にたじろぐ時間の連続です。結局捨ててしまえば、どんなに高価なものであっても、その瞬間からただのゴミとなってしまうのであり、たとえ鉛筆一本であっても、ゴミにするかどうかには相当の覚悟が必要です。というのも、捨てるものが多ければ多いほど、何だか自分の人生はゴミを集めて貯め込んでいただけの人生だったのか、と思うようになるからなのです。そのような感慨を抱きながらのここ2カ月近い毎日の暮らしなのでした。

 ま、何はともあれ昨日からは新しい暮らしの出発だ!と考えることにしました。老人になり果てて2階への昇降が叶わなくなった時には、再度1階への移動があるのかもしれませんが、その時はその時として何とかなるのだろうとタカを括ることにしました。そのような未来をあれこれ思い悩むよりも、これからの2階での暮らしを目一杯楽しんでやろうと思うことにしました。今回の引越しで悟った最大のものは、「人生というのは、ゴミとなるものを求め、愛し、そして最後は己自身もゴミとなる」ということです。

 もうしばらく移動後の整理が続くことかと思います。くるま旅の方はそのあととなりますが、6月の佐渡行が楽しみです。一段落したら、スケジュールの作成などの前楽のステージに入りたいと思っています。もうしばらくは「断・捨・離」の修業が続きます。

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