山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

朱鞠内湖の水鏡

2014-10-28 05:14:31 | 旅のエッセー

 今年の北海道の旅で最も印象に残った場所といえば、それは朱鞠内湖の一日である。朱鞠内湖は雨竜郡幌加内町の北部にあり、凡その見当としては、旭川の北部に位置する士別市・名寄市の西部辺りに位置しているというところか。もう15年以上も北海道を訪ねているのに、今年初めて行った場所なのである。その感動を思い出しながら振り返ってみたい。

 日本国は山国である。その背骨にあたる数々の山脈が列島を形成しているのだが、その山麓からは無数と言っていいほどの川が流れ出ている。どの川も最終的には海に流れ込むということになるけど、海に行く前により大きな川と合流してそこに流れを預けるという川も多い。北海道には石狩川という全国でも五本の指に数えられる大きな川があるが、朱鞠内湖を造り出したのは雨竜川や朱鞠内川他の幾つかの川たちである。その朱鞠内湖から流れ出る雨竜川は、なお幾つかの川を合わせながら流れ下って、やがて石狩川に合流する。

 日本国には数多くのダムがある。川をせき止めて水をため、洪水に備えたり、飲料水として利用したり、或いは水力発電を行って電力の確保をしたりと、ダムは多目的な用途を目的に今もなお建設が検討されている様である。今の時代となって、その必要性がどれほどのものなのかは、凡人には想像もつかない話であるけど、旅をしていて、あまりにもダムの多いのに気づくと、何故それほどまでにという疑問を拭いえなくなる。この頃はその必要性について論じられることが多くなったが、それは飽和状態に近づいたことを示す証なのかもしれない。

 朱鞠内湖を造り出した雨竜第一・第二ダムは、昭和2年(1927年)に着工され16年の歳月を要して昭和18年(1943年)に完成したという。当時の国情を考えると、このダムの建設には様々な事件というのか、今の時代では想像もつかないような出来事がその中に含まれていたに違いな。ダム建設のいきさつや状況などを調べてみると、少し複雑な思いにとらわれる。ま、そのことは措くとしよう。

 朱鞠内というのはどういう意味なのかを地名辞典で調べてみた。二説あって、一つはこのエリアの川には石ころが多いことから、アイヌ語でシュマ・リ・ナイ(=石・高い・川)から来たのではないかというのと、もう一つはこの辺りには狐がたくさん住んでいたことから、シュマリ・ナイ(=狐・川)という説である。湖畔の説明板には後者の方を取り上げた内容が書かれていた。それで、自分的にはナイ=沢と解釈して、朱鞠内=狐沢と呼ぶことにした。というのも、近くでキャンプしていた人の話では、夜中に狐がやって来て、それをカメラに収めたとのこと。それを見せて貰って、今でもこの辺りにはキタキツネの子孫がかなり住んでいるのだなと思ったからである。

 ほんの少し知ったかぶりをしたけど、これらは朱鞠内湖に関する基本情報のようなものである。感動したのは、そのようなことではない。湖の景観と雰囲気に心を奪われたのだった。今まで相当数の湖といわれる場所を訪ねているが、この朱鞠内湖ほど深沈とした水を湛えている所はなかった。ここへきてキャンプ場の管理事務所の受付に行くと、一晩泊るだけで一人600円という料金を聞いて、どうするかをためらった。二人で1200円、水とトイレはOKだが、電源は別料金だし、ゴミは持ち帰りだという。北海道の中では、あまりにも高額な料金なのでためらわざるを得なかったのだ。それでも泊る気になったのは、下見に行って眺めた湖面の景観が、大空を映して何とも言えない巨大な鏡のように見えたからである。これは金には代えられない景色だ。そう思ったからだった。

 今日は快晴で、風もなく湖面は鏡のように静まっていた。泊りの車も少ないようで、湖畔近くの小さな高台に車を置くことが出来た。ここからは湖畔にある何本かの樹木の向こうに、鏡の水面に映る真っ白な雲を見ることが出来る。樹が少し邪魔だったけど、大空に浮かぶ雲がこれほどくっきりと鏡に映るのを見るのは初めてのことのように思えた。さざ波すらも無く、まさに天然の水鏡なのである。しばらくその大きな景観に見入った。料金のことなど忘れてしまっていた。

  

朱鞠内湖の湖面は大空に浮かぶ白雲を映す巨大な鏡だった。これほど大きな鏡をかつて一度も見たことがない。

 翌日はいつものように早朝の5時には起き出したのだが、辺りは一面の霧で、湖面すらも見えないほどだった。1時間ほど待っていると、次第に霧は薄くなり出し、間もなく湖水に僅かに逆さの景色を写した岸辺の様子が墨絵ボカシのように現れて来た。まさに水墨画の世界だなと思った。昨日は洋画の世界だったのだが、今眼前にあるのは、黒白の色の世界なのである。これもまた一瞬息をのむような感動の世界だった。大自然のこの変化は、どこから生まれ出てくるのだろうか。元の天然色の世界に戻るまでの僅かの時間だったけど、この景観を見ることが出来たのは幸運という以外にない。

  

早暁の朱鞠内湖は霧の中で何も見えなかった。しばらくすると少しずつ薄れ出した霧の中に水墨画の風景が現出した。

 間もなく日が昇って、晴天に白雲を浮かべる景色に戻ったのだが、これら一連の光と影の戯れの中に垣間見たのは、湖の不動の存在だった。「明鏡止水」ということばがある。邪念がなく静かに澄んだ心境のことを言うと広辞苑にあるけど、この湖と自分の心が一体となれたなら、このことばの意味が本当に理解できるのかもしれない。未だ邪念に溢れ、ささやかな出来事にさえも揺れ動いてばかりいる自分の心の拙さを思い知らされた気がした。この先、心に波立つ時には、せめて一時でもこの景観を思い出し、深呼吸をしなければと思った。深い感動を心の奥にしっかり仕舞っておこうと思った。

  

明鏡止水の景色というのは、このような姿を言うのかもしれない。霧が晴れた後の朱鞠内湖は、神々しいほどの静寂に包まれていた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美幌峠の花たち

2014-10-24 04:39:22 | 旅のエッセー

 弟子屈町にある道の駅:摩周温泉を出発して、屈斜路湖の脇を掠め通って、折り曲がった長い坂を上り、美幌峠に着いたのは10時頃だった。今日は少し雲があるけどいい天気で、峠に至る坂の途中から垣間見た屈斜路湖の眺めは、雄大だった。左手の方に標高が丁度千mの藻琴山がなだらかな稜線を描き、その右手遠くには斜里岳なのか、幾つかのキザキザの山頂を見せた山が鎮座し、更にその右手の方には摩周岳の尖がりも望見出来るといった景色だった。それらの景観は、峠にある道の駅の駐車場に車を置いて、展望台の一番上に登って眺めると、一層スケールの大きさが増したように感じた。

  

美幌峠から屈斜路湖を見下ろす景観。中央の島は中島。左に藻琴山があり、右手の方に川湯温泉や弟子屈町があるのだが、大き過ぎて入らない。

 美幌峠には何度も来ているけど、このような快晴の時は少なく、霧で何も見えない時や曇りで霞んでいる時が多く、又晴れていても強風が吹いて景色を楽しむ余裕など感じさせない、厳しい天候の時が多かったのである。それが、今日は晴れてそよ風の吹く上天気なのだ。ここに来る時の楽しみは展望台に上がるまでの間の道端にある野草たちを見ることである。今年は8月も半ば近くになっているので、野草たちの花を見るには少し遅すぎるというタイミングなのだが、それでも何かは見つかるだろうという期待があった。

 美幌峠の展望台は道の駅の建物の横を100mほど登った所にある。展望台というよりも展望所という方が正確なのかもしれない。道の途中に美空ひばりの歌碑がつくられている。この「美幌峠」という歌を自分は知らない。この峠は歌のテーマに相応しい雰囲気を持っているようだ。単に景色が良いだけではなく、最果ての情感を湧き立たせる雰囲気があるように思う。それは今日のような良く晴れた穏やかな日よりも、自然の厳しさを実感させられるような時に一層そのような気持ちになるのではないか。その昔この場所で映画「君の名は」の撮影ロケが行われたということだけど、その映画を見ていないのでどのような情景だったのかは判らない。標高480mほどのこの峠は、釧路地方と網走地方とを分ける境界の頂点をなしており、この峠を越える思いの複雑さが理解できるような気がするのである。

 ま、そのような話はともかくとして、自分の目的は何か新しい野の花を見つけることだった。8月半ばのこの時期は、殆どの野草の開花期は終わっており、高原ではそろそろ秋の花が咲き始める頃である。一番下の道の駅の建物近くの道脇にはヨツバヒヨドリの花が今を盛りの満開だった。たくさんの蝶や花アブなどがボヤボヤっと咲く花に群がっていた。  

    

ヨツバヒヨドリの花に群れる蝶たち。中には派手な模様の羽根をつけたのもいて、さながらファッションショーを行っている感じがした。

少し上に行くと、そこからは丈の低い熊笹の草原(くさはら)といった感じで、草むらの中に所々花を終りかけているマルバダケブキが頭を出しているくらいだった。登り道の左手は崖となっており、こちらの方から先ほどの屈斜路湖を中心とした景観が広がっている。崖の辺りは熊笹ばかりで、花などを見るのはとても無理である。 しかし、である。ここでの楽しみは足元にあるのである。目立つ花は誰でもどこでも直ぐに気づくのだが、目立たない花は注意深く足元を見ないとそのまま通り過ぎてしまう。多くの人たちは景色を楽しむのが殆どで、わざわざ足元ばかり見て歩いているものなどいない。そこが自分一人の秘密の楽しみとなるのである。

 少し登ると、コケモモが小さな赤い実をつけているのを見つけた。殆ど地べたにくっつくようにして草の葉にまぎれているので、なかなか気づかない。一粒口に入れてみた。まだ熟れてはいないのか、ちょっぴり酸っぱい味だった。コケモモの実はジャムなどにも使われているようだが、実を摘むのは大変な作業だなと、その小さな姿を見る度に想う。

   

道脇の草むらに小さな赤い実をつけたコケモモたち。大勢の人が登り歩いていたが、これに気づく人は殆どいなかったようだ。

熊笹の中に終りかけているミソガワソウを見つけたが、少し気の毒な姿をしていた。この花の最盛期は、藪の中にひときわ紫が目立つ存在で、それなりの気品のようなものを感じさせるのだが、終りかけた花には没落の無残さのような哀しみの雰囲気が漂っている。

   

熊笹の中に咲き残っていたミソガワソウの一株。咲き終わった花の残骸が残っていて、花の色も褪せていた。

更に少し登ると、石ころばかりの道の隅に、鮮やかな紫の花をつけている丈が10センチくらいの草があるのに気づいた。最初は一つだけだったが、良く見ると近くに何本かの花が点在している。何という野草なのか判らない。あれこれ頭の中の図鑑をめくってみたのだが、姿形からはセンブリのようにも見えた。センブリとは超苦い薬草でもある。この頃は久しく見たことがない。しかし、センブリにしては花が少し大きい感じがした。もしかしたらリンドウなのかなと思ったが、リンドウにしては花が一所に集中して咲いており、違う様な気がした。しかし、野の草たちは生きてゆく環境に合わせて姿形も変えて行くので、この峠の地ではリンドウもこのような姿になるのかもしれない。やはり、リンドウなのかもしれない。(※帰宅後に図鑑などで調べた結果は、やはりリンドウだった。エゾリンドウもこのような厳しい環境では大型にはなり得ないままに花を咲かせている様である)

    

初め見た時はとてもリンドウとは思えなかったが、時間が経ってこうやって見てみるとやっぱりリンドウだなと納得する。しかし、実物は15センチくらいしかなく、相当に厳しい環境であることがわかる。

花の数は少なかったが、何種類かの花たちを道端に見出して、十二分に満足しながら展望所からの道を戻ったのだった。峠の景観は、大き過ぎてカメラには収まらないのが残念である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンビニのゴミ箱のこと

2014-10-20 07:23:54 | くるま旅くらしの話

 人々の暮らしの中には必ず負の側面が存在する。負の側面というのは、本来なら無い方が良い、在って欲しくない状況や出来事である。例えば、人は生きるために何かを食べなければならないが、食べれば必ずその残滓を排泄しなければならない。排泄とは不要なものを体外に捨て去ることだが、これが負の部分となる。排泄なしで済めばこんな至便なことはない。しかし、生きものとしての人間は排泄なしでは生命を維持することは出来ない。これと同じように、人が作り運んでいる世の中は必ず負の部分が存在する。負の存在なくして正は成り立たないと言ってもいいように思う。

 最初から大上段に振りかぶったややこしい理屈の話となったが、この世の中は極めて乱暴な言い方をすると、生産と消費で成り立っている。生産とは人が生きるために必要なものを生み出し作ることであり、消費とはそれを使って人が生きることである。この循環のプロセスの中で常に負の部分が発生している。それらをひっくるめて言うならば「ゴミ」ということになろう。不要なもの、捨て去るべきものがゴミなのである。

 くるま旅もくらしの一環であり、旅をしていると必ずゴミが発生する。家にいる時には市町村の決めたルールに従ってゴミを処理することが出来るのだが、旅をしている間は毎日の暮らしの場所が変動することが殆どなので、ゴミ処理はルールを持たないこととなり苦労が多い。くるま旅の人は、様々な方法でこれに対処していると思う。買った店でゴミを引き取ってもらう。ゴミ処理のできるキャンプ場などを探して処理する。スーパーやコンビニのゴミ箱を利用させてもらう。など等その時の状況に合わせて何とか対処しているというのが実態ではないか。

 これらのゴミ処理の中で、自分が普段最も頼りにしているのがコンビニのゴミ箱である。勿論基本はキャンプ場などで処理することだ。コンビニは店舗数も多く、文字通りちょっとしたものを買うには便利な店である。飲み物、菓子類、弁当などを求めて立ち寄ることが多い。そのような時に少し溜まった小分けしたごみを捨てさせて貰うことにしている。このような場合でも、決して一度に大量のゴミを捨てることはしないのがエチケットというものであろう。少量ならばその分負担も少なくなる。買い物をした分に相応しい程度のゴミを感謝しながら捨てさせて貰っているというのが正直な現状なのだ。

 このような心苦しいゴミ処理の現実が何故続いているのかといえば、全国共通のゴミ処理のルールがないからである。大げさに言えば、人類の日常的な負の遺産を処理するルールが小さな自治体内部でしか決められておらず、そのエリアを超えて人が動く場合のルールがないのである。

自治体は外部から来た者が生み出すゴミの処理に対しては、基本的に考慮には入れておらず、持ち込みを拒否するという立場をとる所が多いようだ。何年か前までは公園などに公共のゴミ箱といったものが点在していたのだが、この頃はそのようなものは殆どが撤去されて見かけることは滅多にない。ゴミは持ち帰りというのがルールと決めてしまっているようだ。それは誤りではないと思うけど、持ち帰れない人もいるという現実もある。いずれの自治体でもゴミ処理には多大のコストを要していることを考えると、その対応を個別に要求するのは無理のようにも思う。この問題は、やはり全国共通のテーマとして処理のルールを国が決めるのが妥当ではないか。

 この問題はここで論ずるほど簡単なものではないと承知はしているけど、今回の北海道の旅では一つものすごく気になることがあった。2年前にも少し気付いてはいたのだが、これほど急に目立つことになるとは思っていなかった。何かというと、最大手のコンビニのゴミ入れの箱が殆ど撤去されていたということである。その他のコンビニでも一部撤去を始めている所もあるようだ。これは北海道だけの現象なのかもしれないけど、これほど一挙に店の前のゴミ入れが無くなるというのは、個々の店の判断ではなく、本部の方からの通達があったてのことに違いない。その理由が何なのか判らないけど、経済性やコスト効率性の視点から撤去が指示されたとすると、これは哀しくも遺憾なことだと思う。

 一番頼りにしていたコンビニの、しかもその最大手がこのような振る舞いをするとは実に心外である。売ることとコストダウンにだけ心を砕き、負の部分に対しては素知らぬ顔をするというのは、身勝手過ぎるのではないか。売ればその結果がゴミにつながることは自明の理なのに、売った後のことは知っちゃいないというのは、ある意味で社会的責任を放棄することのように思えてならない。

     

最大手のコンビニの店先からはゴミ箱が無くなっていた。一部ゴミ箱を中に入れたコンビニも散見されたが、何だか不可解な気持ちになった。

勿論この行為は犯罪でも何でもないことだから、その非を責めるのはお門違いなのかもしれない。しかし、ゴミ箱を撤去した分だけ他の同業者よりも収益が増すとしたら、アンフェアのように思う。競争の条件がこのような形で崩されてゆくのは、本当にいいことなのだろうか。この最大手のコンビニの経営に対して大いなる疑問が湧く。

 北海道を旅して最も地元に優しく、社会的責任を果たしているのは、セイコマ―トというコンビニだと思う。ここでは地元北海道への寄与も考えた商品の選定を行っているようだ。勿論ゴミ箱を備えない店など一軒もない。どこへ行ってもきちんと受け入れ態勢を整えて商売が行われているのを実感している。これからはよほどのことがない限りこのコンビニを利用することに決めた。最大手のコンビニは、ゴミ箱があっても利用を控えることにした。ささやかな抵抗である。

 北海道の夏を味わいたくてくるま旅を始めてから早くも15年以上が経ったが、この間にくるま旅を巡る環境もいろいろな面で大きく様変わりして来ているように思う。総じて良い方向に進んでいるとは思えず、くるま旅の人が増えるにつれて、悪化している感すらある。当初は好意的な受け入れを示していた場所も、いつの間にか排他的な態度に変わってしまったり、釧路市のように駐車さえもお断りなどという自治体も現出している。車社会は定着し、年々くるま旅をする人も増加の一途を辿っているのに、それを受け入れる体制は少しも前進せず、むしろ旧体制のまま現地・現場は受け入れを否定する方向に動いているように思えてならない。

国は観光立国などを唱えているけど、中国や韓国など隣国からの人々が観光バスを卒業して、個別の車で旅をするような時代が到来したなら、一体どの様な対応をするつもりなのか。まさか、おいでおいでの掛け声だけで、その後はなるようになれ、あとは知らないで済ますわけにはゆくまい。加えて、ゴミ処理など自治体任せにしていたら、この国はゴミの溢れる国となり果ててしまうのではないか。そのような妄想が頭を駆け巡る。

何はともあれ、今のところはくるま旅のゴミ処理はコンビニに依存するところが大きいのである。その頼みとするゴミ箱を撤去したコンビニに対しては、唯一の抵抗策はそこでは決して買わないということしかない。これは北海道のみならず、全国の他の旅をする際にも厳守してゆこうと考えている。

こぼれ話というよりも、単なる思い込みの愚痴話となりました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウトロの巨岩

2014-10-17 05:33:23 | 旅のエッセー

 この頃道東へ行くと必ず訪れるのが斜里町のウトロである。ウトロは、世界自然遺産に登録された知床探訪の起点となる場所の一つであり、観光船などの基地は反対側の羅臼よりもこちらの方が本拠となっているようだ。ウトロエリアは羅臼側に比べて平地の面積が多い分だけ恵まれている様である。

 ウトロには巨岩が多い。そもそもウトロとはどういう意味かと言えば、「岩と岩の間の狭い道を通って行く場所」ということであり、アイヌの人たちはそのような場所をウトロチクシと呼んだという。それが日本語では宇登呂と表記されることとなった。この漢字には何の意味もなく、ただアイヌ語をいい加減な表音漢字でなぞっただけである。北海道の地名は殆どがこれと同じようにして作られており、漢字で地名の由来を考えようとする時には全く役に立たない。ま、中には新十津川町や伊達市などのように、本土からの開拓者たちが故郷を思いながら名付けた場所もある。しかし、それはほんの僅かに過ぎない。

 その宇登呂だが、自分的にはアイヌのことばはいわば外国語のようなものであり、無理に漢字を当てはめて表記するよりもカタカナで書いた方がしっくりするように思っている。それで、ウトロと書くことにする。前述のとおり、ウトロには海岸付近に巨岩が多く見られるのだが、その中で何と言っても目立つものといえば、オロンコ岩とゴジラ岩であろう。この二つは初めてウトロを訪れた人には、真っ先に目に飛び込んでくる異様な風景を形成している。オロンコ岩は誰でもすぐに気が付く筈だが、ゴジラ岩の方は見る場所によって変化するので、もしかしたら観光バスで観光船乗り場の方まで直行してしまった人には気付かないかもしれない。しかし、その近くには三つ目の巨岩の三角岩を見ることが出来る。三角岩はウトロの町側からは一番奥の方にあり、観光船乗り場の近くに位置している。この他にも幾つかの巨岩があるようだけど、名前は知らない。

  

オロンコ岩の景観。これは現在のウトロ港の方から撮ったもの。真ん中にトンネルが見えるが、これを潜ると三角岩の方に抜けることが出来る。

  

オロンコ岩(標高60m)の登場から見たゴジラ岩。左側の岩がそれである。右側の岩と一緒に右手の方から見ると亀の怪獣のようにもみえる。

  

オロンコ岩の上から見た三角岩の景観。下の方に観光バスなどの駐車場がつくられている。この右手の方に現在のウトロ港があり、そこから知床観光の船が発着している。

  

現在のウトロ漁港の反対側の方(=道の駅がある直ぐ傍)に新しい漁港とそれに関連する施設が造られている。

 さて、この二つの岩について、思いを書いて見たい。ゴジラ岩の方は見るだけのもので、その上に登ることは出来ない。自然が作り出した不思議な造形は、ゴジラなどという想像の動物(=怪獣)の姿が出来上がる前から存在していたわけであり、本来はゴジラ岩などと呼ばれるのは心外なことなのかもしれない。しかしまあ、何ともゴジラのイメージに似ているものよと感心してしまう。直ぐ隣にもう一つの巨岩があって、見る角度によっては、この二つの巨岩が重なり合って、巨大で奇怪な亀がそこに居座っている様にも見えるから、これも不思議で不気味な景観である。しかし、傍に行って見ると風雨に浸食されたボロボロの岩石があるだけで、てっぺんの方には海鳥たちの住居なのか遊び場なのか、白いペンキ色の糞などが目立つだけである。見上げる異様さは変わらないけど、これが少し離れた場所からはどう考えてもゴジラの姿に変身してしまうのは、不思議としか言いようがない。

 一方オロンコ岩の方は、これはまさに巨岩である。道の駅側の方から見ると、海に突き出てデンと構えている。高さは60m近くあり、周囲は500mくらいはあるのではないか。日本にこれ以上大きな岩があるのを自分はまだ見たことがない。オロンコという名は、その昔この辺りに住んでいたアイヌのオロッコ族というのから来ているとのことだが、それは「そこに座っている岩」という意味だと説明板に書かれていた。この岩が彼ら一族のシンボルとなっていたのではないか。この岩の上に彼らの信ずるカムイ(=神様)が鎮座していたに違いない。そのようにも思える巨大さなのである。

 しかし、今ではそのてっぺんは公園となっていて、海に向かって左側の方に作られた階段を170段ほど登ると、その小さな公園に至ることが出来る。高所恐怖症の気のある自分には、毎度冷や汗を掻いての道行きなのだが、上に登って見渡す360度の景観の味わいの快感には勝てず、必死の思いで頂上を目指すのである。とにかく下を見ないようにして足元と上の方を見ながらしっかり手すりを握っての登りなのだ。

しかし、このような切羽詰まった状態の中で、始めて登った時に出会った野草がイブキジャコウソウなのだった。階段を100段ほど上がった崖の途中に、ふといい香りが漂っているのに気が付き、良く見ると小さなピンク色の花をつけた丈の低い野草が足元というか鼻先に茂っていたのである。その時は名も知らずに、まあ、こんなところに何と可憐な花が、たくましく生きているものよと恐怖も忘れて感動したものだったが、あとで調べてみてその名を知ったのだった。今年は時期的には少し遅かったのだが、同じ場所に咲き残っているのを見つけて嬉しかった。

  

イブキジャコウソウの花。ここへ来ると、何と言ってもこの野草が一番印象的である。中央の緑の丸い葉の草はアサギリソウ。

オロンコ岩の上は野草たちの天国で、季節によって様々な花を見ることが出来る。何年か前に登った時は、エゾトリカブトの花がみごとだった。高貴な紫色のその花は、この野草の根に猛毒が仕込まれていることなど全く気付かせないで咲き誇っていた。今年は少し遅れての訪問だったので花の数は少なく、ヤマハハコやナンテンハギ、ナガバキタアザミなどが咲き残っていただけだった。それでもたった一つだけエゾトリカブトの花を見つけて感動した。花の大半は開花期を終えて眠りに入りかけている感じがした。このような岩石のてっぺんにこれほどたくさんの野草たちが生息しているとは思いもよらぬことだが、長い年月を掛けて鳥や風や小動物たちが運んだ種や実や根などが定着してこのような一大花園が形成されたのではないか。大自然とその中に住む生き物たちの関わり合いの不思議を改めて実感せずにはいられない。

  

ナンテンハギ。花が萩に似ており、葉がナンテンのそれに似ているので名付けられたのだと思う。

  

ナガバキタアザミ。アザミとあるけど、本州のあざみとは違ってトゲなどはなく、葉も違った形をしている。高山帯の野草なのだが、知床では海岸にも生育しているとか。

   

オロンコ岩のてっぺんに唯一咲き残っていてくれたエゾトリカブトの花。

今日のこのてっぺんからの景観も実に素晴らしかった。360度の広がりの半分は海であり、残りの半分が陸地といったところだろうか。海は眼下にオホーツク海が水平線まで広がっている。冬にはこの辺りにも流氷が漂い流れ着くのかもしれない。陸側の方に目を向けると、眼下に三角岩とゴジラ岩が小さく俯瞰できる。又、知床岬の方に向かう観光船の発着所も観光バスと一緒に三角岩の傍に小さく見えている。更に右手の陸側には何年か前から建設中の新しい漁港と市場らしい建物が、間もなくの完成を目指しているのがが見える。これが出来上がると、漁業基地としてのウトロの機能は益々重要性を増すに違いない。大自然の景観とそこに割り込んでいる人の営みが手に取るように眼下に見渡せるのである。

オロンコ岩のてっぺんの公園は小さくて、散策路は一周100mもないほどだが、楽しみはその百倍くらいはあるように思う。そして、30分位その楽しみを堪能した後はいよいよ下山となるのだが、これが自分にとってはまさに命がけの行動となる。下山の際には下方に横たわって待ち受ける深く蒼い色の海を見ないわけにはゆかないのである。登る時の層倍の力を込めて手すりを握り、決して前には倒れないように重心を後ろと岩側に掛けて、一歩一歩慎重に足を運ぶ。この時はイブキジャコウソウが愛らしい花を咲かせていたことも忘れ果てている。15分ほどの超緊張の時間を経て最後の一段を降りた時は、本当に生き返った気分になって、ホッと安堵するのである。

ここへやってくると、毎回同じような恐怖付きの喜びを堪能している。オロンコ岩とゴジラ岩がなかったら、ウトロに来る楽しみは殆ど無いように思う。知床観光やサケやカラフトマスの魚釣りに興味関心のある人は別として、自分のような旅人にはウトロは只の漁業基地としか映らないからである。しかし、オロンコ岩とゴジラ岩があるおかげで、道東へ来た時には此処を外すことは出来ないのである。この次も又ウトロにやって来るに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千円定食の価値

2014-10-14 15:06:55 | 旅のエッセー

 「食べ物の恨みは恐ろしい」という。ま、恨むほどではないけど、それが有料の場合は、出てきた料理が明らかに価格に見合わないものだったりすると、その店や場所を以外といつまでも忘れないで心に留め置くものだ。食というのは人間が生きものとして生きるための根幹をなす欲求の一つであるから、満足を得られない場合はいつまでもしつこくその不満が祟り続けるのかもしれない。それに類した話である。

 旅をしている間の楽しみにはいろいろあるけど、トップクラスの一つに食べ物があると思う。自分の場合は糖尿病のため、カロリーコントロールを余儀なくされており、食べものに関しては何もかも最早諦めの境地に達しているのだが、それでも時々は正気になって美味いものを食べたいと思うことがある。いや、常に正気になりたがっているのだ。

 旅の間中、外食をするということは滅多にない。それ故に外食する時のメニューに対する期待は大きい。カロリーをコントロールするための普段の食事については、美味いも不味いも無関係に淡々と食べるということにしているけど、外食の時は違う。カロリーが少なくて、美味いものを期待するのである。概してカロリーの少ないものは美味いというコンセプトから外れるメニューの方が多いので、これはなかなか実現が難しいことが多い。

 で、今年の北海道への旅の途中、初日の泊りは東北道の国見SAだった。この日は走り疲れて食事をつくるのが億劫になり、構内にあるレストランで夕食をとることになった。一緒の相棒は、残り物で済ますというので、珍しく自分一人が中に入ることになった。しばらくメニューを見た後で、一番カロリーの少ないものを選ぶことにした。このところずっと焼き魚を食べていなかったこともあって、サンマの焼き魚定食というのをオーダーしたのだった。

 しばらく待ってウエイターが持ってきたお膳を見ると、お皿の上に痩せた小さなサンマの開きが一匹、僅かな大根おろしを添えて出て来た。その他に薄味の豚汁が小さなお椀に一杯、それからきんぴらごぼうなのか漬けものなのか、小さな皿にほんのちょっぴり入ったのが付いて来ただけだった。ご飯はカロリーコントロールでいえば3単位(=240kcal)だった。カロリー計算上は合計7単位くらいだから、まあ理想的と言っていいのかもしれない。(自分的には一日20単位~1600kcalを限度の指標としている)

 しかし、外食への期待は見事に裏切られたのだった。まるで手術で入院した病院の夕食のようなレベルで、サンマは油が抜けてカサカサだったし、豚汁もみそ汁と変わらず、香の物もあるやなしやといった感じで、美味いといえるものがどこをどう探しても見当たらないものだった。ただ、食べただけである。値段は千円也。原価は300円以下と見積もってみたが、あまり外れてはいないと思う。これほど楽しみのない食事は久しぶりのことだった。これも糖尿病になるほど長い間暴飲暴食をしてきた報いなのかと己に言い聞かせて我慢したのだけど、千円という価格に対してだけは、決して忘れないぞと記憶に沁み付いたのだった。幾ら行きずりの客だからと言って、このメニューの内容はなかろうと思ったのである。せめてサンマは1.5倍くらいの大きさでなければならない筈だ。それがないのならどんなに高くても価格を300円は下げて700円程度にすべきではないか。500円だったら納得するかもしれない。我ながら、こんなことでつべこべ言うなんて呆れるばかりなのだが、気持ちの底ではやはり燻(くすぶ)っているのである。

 それから何日か後、余市の道の駅に泊まった日に、近くにある柿崎商店という魚や野菜類などの食品を商うお店の2階にある食堂へお昼を食べに行くことになった。ここの食堂はくるま旅やバイク旅の人たちには有名な場所なのである。鮮魚類を中心とするメニューは格安で、積丹の名物のウニ丼でも二千円程度で十二分に満足できるものが提供される。例えば北海道といえばホッケが定番だけど、その干物の焼き定食がかなりの大型のものでも700円程度でたっぷりのご飯とみそ汁付きで提供されるのである。

 今日は先日のサンマ定食のことが引っ掛かっているものだから、同じ千円で食べられるメニューの中から魚類を探すことにした。その結果、少しカロリーオーバーとなってもいいからと、思いきってブリ定食というのをオーダーすることにした。ここではいつもホッケ定食が多かったのだが、千円というレベルではこれくらいしか見当たらなかったのである。

 間もなくオーダーの番号が呼ばれて、手を挙げるとブリ定食が運ばれてきた。それを見て驚いた。ブリ尽くしという感じだったのだ。ブリの刺身、煮つけ、照り焼きと、かなり大きめの切り身がそれぞれのお皿に盛られて載っていた。勿論たっぷりのご飯とみそ汁も付いてである。これではかなりのカロリーオーバーとなってしまうけど、偶にしか食べない外食の千円という価格では、心配よりも嬉しさの方が遥かに勝るのは言うまでもない。覚悟を決めて久しぶりのブリの味を三方向から、満腹になるまで味わったのだった。

 この格差は一体どこから来るのだろうか。国見のSAの調理人や経営者を非難し、柿崎食堂を褒めあげるつもりはないけど、どちらかに何かが欠け、どちらかに何かが備わっているに違いない。その何かというのは、多分客に対する思いの中身なのではないかという気がする。単に安いとか高いとかいうことだけではなく、客に思いが届くような商売をしているかどうかが大事なのではないか。国見の方は思いそのものが枯渇しているように思えるのである。思いを受け止めることが出来れば、客はそれに応えてもう一度足を向ける気になるものであろう。何の思いも伝わって来なければ、もう二度とその店にはゆかないと決めるのは当然のことに違いない。自分はそのように思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ再開します

2014-10-13 17:38:12 | くるま旅くらしの話

 北海道の旅から戻って早や1カ月が過ぎました。この間ブログは旅の所感などをほんの少し書いただけでした。いつもそうなのですが、旅の間は連日ブログの投稿を続けているせいなのか、旅から戻るとその反動が現れて、しばらく何も書きたく無くなってしまいます。今回はこの書きたくない時間が少し長く続いたようです。

 それでも旅の後楽は続いており、毎日今年の旅の思い出を拾ったりして過ごしています。旅の間のブログには書ききれなかった事柄などを書きとめて残そうと考えています。これからしばらくの間、毎週1~2篇ほどのペースでそれらを旅のこぼれ話という形で紹介させて頂こうと考えています。ご笑覧頂ければ幸甚です。

 それにしても、1カ月というブランクは時の世の流れを実感させられること大なるものがあります。何もしないで過ごしていると、あっという間に世の中から忘れ去られてしまうようです。旅の間はそれなりに多かったブログへのアクセスも、1カ月もの間何も書かずにそのままにして置いたら、毎日のアクセスはその半分の半分(=四半分=25%)ほどに落ち込んでしまいました。たかがブログの世界なのですが、我々の現実も同じように忘却の日常の中への埋没を繰り返しながら時間が経って行っているのだなと、改めて思い知らされた感がします。

  別に目立つ必要も、覚えておいて欲しいと願う気持ちも無いのですが、それでも自分の存在を忘れないで欲しいという潜在的な思いは消えないようで、もしそれが無くなってしまったら、あっという間に認知症の世界に入ってしまうのかもしれません。老人というのは、自己主張や自己認知の意欲を失ったりし始めた瞬間から、老いの坂を滑り落ちて別の世界に近づいてしまうもののようです。ブログを書くことから解放されたような気分の怠惰を味わいながら、こいつはちょっぴり危険だぞと思いました。忘れられてもいいから、何らかの形で自己主張を大事にし、自己認知を失ってはいけないのだと、この1カ月のブログのアクセスの推移を見ながら、そう思った次第です。ブログは明日から再開します。馬骨拝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする