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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第17日)

2008-11-30 06:09:25 | くるま旅くらしの話

第17日 <11月29日()

 道の駅:貞光ゆうゆう館→貞光の二層うだつ町並み散策→(R192他)→道の駅:藍ランドうだつ(徳島県美馬市)→(県道・R438)→道の駅:ことなみ(香川県琴南町)→(R438・県道・R193他)→道の駅:津田の松原(香川県さぬ  き市)(泊)   <92km

この道の駅にお世話になったのは初めてだった。3年前に四国に来た時は、トイレにちょっと寄った程度だったと思う。昨日は暗闇の中をやって来たので、周辺のことは良くわからなかったが、朝になって近くを歩いてみると、R192の向こう側は吉野川の大きな河川敷で、なんとパークゴルフ場もつくられているではないか。パークゴルフは北海道だけのものかと思っていたが、ここにつくられているのを見て、何だかホッとした。今度来るときにはパークゴルフができるように、用具を持参して来ようと思った。

この道の駅のあたりからは剣山は見えないけど、旧貞光町と旧一宇村が合併して出来たつるぎ町は、拓には魅力的な町だ。今日は近くにある貞光町の二層うだつの古い町並みを見学することにしているが、又今度来た時は、機会を作って一宇村の巨樹たちに会いに行きたいと思っている。屋久杉の屋久島も巨樹の島だが、一宇村のそれも有名だ。巨樹には人間以上の生命力のすごさを感じるからである。

明日は、旅の大切な友人のTさんと道の駅「津田の松原」で会うことにしているので、今日は夕刻までにはそこへ行って泊ろうと思っている。その間、この辺りで有名な貞光と脇町のうだつの町並みを見学し、どこか温泉を探して入ることにしたいと考えている。

先ずは朝食の後、車はそのままにして歩いて貞光のうだつのある町並みに向う。うだつというのは、「うだつが上がらない」と言う時のあの「うだつ」のことである。そしてそれは、漆喰で固めた防火用の壁のことを言うものであり、その壁は町並みに軒を連ねる隣家との境に作られている。以前来た時は脇町のそれを見ただけだったが、今日は先ず貞光町にあるものを見ることにしている。貞光町のうだつは、二層うだつと言われ、うだつの作り方が二層になっているらしい。江戸時代には、商家は競ってこのうだつの豪華さを自慢したとか。

20分ほど歩いて、貞光の古い町並みに入る。なるほど、二層構造をした立派なうだつのある家がいくつか残っていた。ここは脇町よりも保存が難しかったのか、うだつの残る家は少ないようだ。狭い道の両側にぱらぱらとあるだけだった。200mほどの距離を往復すると、もう帰りとなる。軒下でタバコを吸っておられた90歳を超えていると思われるご老人から、昔のこの通りの賑わい振りと今の寂れた有様を嘆く話を聞かされた。半分くらいしか意味が分からなかったが、他所からやって来るうだつの見学者に何かを訴えずにはいられないご老人の気持ちはよく分かる。

   

貞光の二層うだつの家。重厚な雰囲気がある。うだつの残っている家は少ないのが残念。

車に戻り、今度は脇町のうだつを見ることにして出発。もともとうだつのことなど拓にはさっぱり分からなかったのだが、邦子どのの影響で知ったことなのである。彼女は以前江戸東京博物館のたてもの園でボランティアガイドなどをしていた時、古民家やお寺などの建造物にかなりの関心を持ったようで、かなりの資料や本などを集めていたが、うだつのこともその時に知ったらしくて、前回はこの脇町を歩かされた次第である。

20分ほどで脇町にある道の駅「藍ランドうだつ」に到着。脇町のうだつの町並みは、よく保存整備がなされており、来訪する観光客も多い。今日もかなりの人が訪れていた。

   

脇町のうだつ。貞光と比べると豪勢さは劣るかも知れないが、こちらは町並みが残っており、往時の雰囲気を味わうことが出来る。

邦子どのとは途中まで一緒で、どこかでうどんでも食べようと思ったのだが、店が見つからないので食べるのは諦め、うどん(乾麺)を売っている店に入り、うどんを1箱買って拓だけ先に車に戻ることにした。うだつの方はざっと見ただけだが、別に研究しているわけではないので、それで充分だ。邦子どのは、うだつは卒業して、今は藍染めや地元の工芸品などに関心があるらしい。拓とは別の世界の話なので、別行動の方がお互い嬉しいのである。拓は車に戻り、うどんを茹でて昼食とする。その後は一眠りである。

2時間ほど経って、邦子どのがやや興奮気味で戻ってきた。何かと思ったら、どうやらうだつの町並みの中で、TVドラマの撮影があったらしく、何時もTVで見ている役者さんを見てきたらしいい。ドラマというのは、内田康夫氏の小説の殺人事件シリーズの中の一作らしい。多分「藍色回廊殺人事件」かなんかじゃないかと思った。邦子どのは内田康夫氏の推理小説の大ファンで、彼の作品は全て所蔵している。お陰で拓も彼の全作品を読んでいる。日本各地の名所旧跡などを取り入れたストーリーは実に巧みで、すごい作家だなとも思っている。それで興奮冷めやらずということらしい。

もう一つは竹細工の店で、そこの製作をされているご主人と話し込み、何やらいろいろ感銘を受けたらしい。なんと拓用にと穂先が竹で出来た筆を一本買って来てくれた。珍しいことではある。拓は、最近筆を手にしたことが無い。その昔はそれなりに書道というものを自習していたのだが、この頃は専らパソコンのワープロばかりで、万年筆も毎日つける日記に使うだけである。旅から戻ったら、久しぶりに何か書いてみようと思った。

3時間ほど脇町で過ごして、さてどこの温泉にしようかと迷ったが、比較的近くの、入浴施設のある琴南町の道の駅「ことなみ」に行くことにした。思ったよりもかなりの急坂を登って、1時間ほどかかって道の駅に到着。「エピアみかど」という名の温泉施設が併設されていた。さっそく準備をして温泉へ。中へ行って見ると、お湯の質は良さそうだったが、露天風呂も無く設備はそれほど充実してはいなかった。600円という料金は少し高いなというのが正直な感想だった。

風呂から出て、暗くなりかけた道を吉野川沿いにしばらく走って、脇町からR193に入って一路さぬき市を目指す。途中長尾で県道に入り、この辺りなら昔何度も通ったことがあるから大して迷うことも無かろうと、高を括って行ったのだが、次第に暗くなってどこをどう走っているのかがその内に分からなくなってしまった。それでもどうにかR11に出て、もうそうなれば安心。道の駅「津田の松原」に着いたのは、丁度18時だった。

Tさんが来られているのではないかなと思いながら来たのだが、予想に違わず、それらしきキャンピングカーが停まっていた。行って見るとやっぱりTさんだった。今回は、バスではなく息子さんのキャンピングカーで来られたようである。息子さんのキャンピングカーは拓のSUN号と同じメーカーの2世代くらい後の新しい車である。Tさんと並べて車を停めて、再会の嬉しい挨拶を交わす。

Tさんは、何年か前北海道の旅で知り合って以来の友人であり、今では親友といっていい。大阪で鉄工所を経営されていた方だが、それをきっぱりとやめられて、今はくるま旅くらしを中心に悠々自適の生活を楽しんでおられる。拓とは同い年で、奥さんも邦子どのと同い年の似たようなコンビなのである。くるま旅に関しては、これはもうTさんの経験には遠く及ばない。それにTさんは旅くるまの愛好会の一つであるHMCCの関西支部の会長さんでもあり、旅くるまの装備に関しては、恐らく日本でも有数の知識と技術の持ち主ではないかと思う。機械も電気も全く無能な拓から見ると、Tさんは神業を備えた知恵者のように思えて、尊敬せずにはいられない。拓が勝(まさ)っているといえば、酒飲みということくらいだろうか。

夕ご飯を食べかけていたTさんに、SUN号に来て頂いて、それから後は、23時過ぎまで、あれこれ楽しい歓談の時を過ごす。Tさんは、今回これから愛媛の方へ行って瀬戸内の島をフェリーで渡って山口の方へ行き、錦帯橋辺りで奥さんと一緒になるということだった。いろいろな旅の仕方があって、Tさんからは学ぶことが多い。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第16日)その1

2008-11-29 03:07:45 | くるま旅くらしの話

第16日 <11月28日()

道の駅:内子フレッシュパークからり→高昌寺(内子町)→内子町並み散策→道の駅:小田の郷せせらぎ(内子町)→(R380R33経由)→道の駅:みかわ(愛媛県久万高原町)→(R33R190経由)→道の駅:土佐和紙工芸村(高知県いの町)→(R190R33経由)→高知市内つたや書店→(R32)→道の駅:大杉(高知県大豊町)→(R32R192)→道の駅:貞光ゆうゆう館(徳島県つるぎ町)(泊)244km

内子の道の駅は活気があるので有名だ。全国でもこの種の施設経営では、成功事例の5本の指に入るのではないか。少なくとも自分達が廻った多くの道の駅の中では、それを実感できる所である。とにかく未だ暗いうちから軽トラが続々やってきて、野菜や様々な手づくりの加工品などを売り場に並べてゆく。明るくなる頃までにはすっかり準備が整って、売り場は新鮮な品物で溢れんばかりとなるのだ。そしてそれをお目当ての人たちが早々と買物に出かけてくるのである。日中は他所からも大勢の人たちが買物にやってくるという盛況だ。

  

左:早朝の市場の様子。暗いうちから生産者の思いをこめた様々な農産物が並ぶ。右:愛宕柿。巨大な柿が7個も入ってたったの300円。安い!

さっそく行って見ると、巨大なあたご柿が驚くほど安い値段で売られているのが気を引いた。渋柿を手に入れて干し柿を作りたいというのが我々の毎年の願いなのだが、関東では渋柿は殆ど手に入らない。それなのにここには無造作に並べられているのである。旅の途中でなければ、100個ぐらいは買い求めてゆきたいのだが、残念ながら今買っても、家に着くまでに時間がかかりすぎて、柿はダメになってしまう。これは諦めて手作りの、固めで大型の豆腐と野菜などをゲットした。とにかく早朝から車の出入りが激しいので、いつまでもここにのんびり構えているわけにはゆかない。朝食の後、内子の町並みの見学のために直ぐに出発する。

町役場の駐車場に車を入れようと思ったが、駐車区画のスペースが狭いので諦めて高昌寺というお寺の駐車場へ行ってSUN号をとめる。お寺に参詣した後、古い町並みの残る道を歩く。内子といえば、ここ出身のノーベル賞作家、大江健三郎氏が有名だが、拓はこの人の作品は難しすぎて読む気がしない。ノーベル賞受賞後の記念講演記録の「あいまいな日本と私」というのを読んだが、何だか日本のことを馬鹿にしているような気がして、途中で読むのをやめた。ま、そのことと内子町とは無関係な話である。

内子に何故古い町並みが残っているのかは知らないけど、その昔ここは和紙や木蝋の生産地として栄えていたとか。またこんぴら参詣や四国巡礼の宿場町としても要路にあったらしい。そのようなことが案内板に書かれていた。500mほどの古い町並みをゆっくり歩いて散策した。

   

内子の町並みの景観。大正・昭和の初期といった雰囲気と面影が残っている。タイムスリップした感じだ。

ここにある内子座という芝居小屋が有名である。内子座は、大正天皇即位の大典を記念して1,916(大正5年)に建てられたものだという。今日は芝居の興行は行なわれていなかったが、300円也を払って、中に入って古い建物の中を隈なく覗いてみた。

  

左は内子座の入口の景観。右は館内の観客席廊下の隅にある往時からの広告板。自転車屋さんの宣伝用のものらしい。

二階の観客席の壁板には、大正時代か昭和の初め頃なのか、幾つかの昔の広告板がそのまま掲げられていた。舞台にも上がってみたが、役者というのはこのような狭い空間で、身体を使っての様々な表現にチャレンジするものなのだなと思った。舞台下の奈落にも下りてゆき、あちこちと覗いて廻ったが、回り舞台なのか、せり舞台なのか、木製の仕掛けが工夫されて造られていた。このような建物だけではなく、芝居の上演を見なければ内子座の本当の姿は分からないのだろうけど、それほど芝居を見たいという願望はないので、これだけ覗き回れば拓としては十二分満足だった。

内子座を見た後は、再び来た道を戻ることにした。邦子どのは途中から別行動なのでどこにいるのか分からない。ぶらぶら歩いて、魚屋の前で中を覗いていると邦子どのがやってきた。見たことが無い「まる寿司」というのが店頭に並べられており、それが気になって覗いていたのである。

   

店に並べられた丸寿司。アジとサバの2種類あって、いずれもシャリの代わりにオカラが使われている。

邦子どのも興味を覚えたらしく、とにかくそれを買うことにした。店のオバサンの話では内子の名物だとか。後で食べてみたら、何とこの寿司は、米ではなくおからを握ったものに鯖や鯵を巻いて作られていた。なかなかの珍味だった。邦子どのは、ガイド誌で知ったというジャンボ稲荷という奴をどこかで仕入れて来ていた。11時少し前に車に戻り、一息入れて高知方面に向かって出発。

今日は移動日を予定している。明日の夕方には、さぬき市にある道の駅「津田の松原」に行くつもりなので、今日は高知市街を通り抜け、その先のどこか適当な道の駅にでも泊ろうと考えている。先ずは、R380経由で高知に向うメイン国道のR33に入るべく出発。R380は山の中を走っているので、これまた途中からが心配だ。しかし高知に向かうには、この道を選択せざるを得ない。(続く)

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第16日)その2

2008-11-29 03:07:01 | くるま旅くらしの話

出発して30分ほど走ると、道の駅「小田の郷せせらぎ」というのがあった。昼飯には少し早い時間だったが、お茶を沸かしてお昼にすることにした。先ほどのまる寿司、それにジャンボ稲荷を食したが、どちらもGood !! だった。素朴な味わいは今の時代では貴重感を増している。   

今日の昼食メニュー。朝、市場で買った木綿豆腐とジャンボいなり寿司。豆腐の冷奴は拓の大好物で、これがあればご飯はいらない。

昼食休憩の後は、本格的な山道に入る。やはり予想していたとおり、かなり厳しい細道となったが、どうにか無事にR33に入ることが出来た。R33は、その数字から行ってもメイン国道を表しており、どんな山道でも離合困難などという箇所はある筈がない。久万町(現在は久万高原町)から先の道路は、どのような山の中でも心配は無用であろう。少し行って道の駅「みかわ」というのにちょっと寄ってみたが、ここには印象に残るようなものは、何も無かった。

その後は、「松山街道」と呼ばれるR33のかなり厳しい山道を、仁淀川支流の面河(おもご)川に沿って、幾つかのダムを見ながらひたすら走る。1時間半ほど走って、伊野町(現在はいの町)にある道の駅「土佐和紙工芸村」に寄って見ようと、左折してR194に入る。土佐和紙のことは良く知らないが、昔四国に住んでいた時に邦子どのが土佐面と呼ばれる和紙で作ったお面(おかめとひょっとこ一対)を買ったのが、今でも残っており、30年以上の時間が経って、今はなかなか渋い作品になっている。あれは、この辺りで作られたのだろうか?邦子どのには、この道の駅はかなり関心があるらしい。山の中だけど、仁淀川の広い流域を感じさせる場所にその道の駅はあって、和紙に関わる資料館や入浴施設なども設けられていた。拓がトイレに行っている間に、邦子どのはあっという間に何処かへ消えてしまった。入浴施設があるというので、それを覗きに行ってみたが、複雑な通路で入口がなかなか判らなかった。こりゃあ余程風呂に飢えている時でないと入る気にはなれないな、などと思いながら外に出た。目ぼしいものは何も無いので、早く出発しようとしたが、邦子どのがなかなか戻って来ないのでイライラした。

それから20分ほど経ってようやく戻ってきた。少し離れた場所で、織物教室のようなものが開かれていたらしく、そこに掴(つかま)ったらしい。彼女はどういうわけなのかこの頃は織物に取り付かれているので、文句を言うのは控えることにした。今度来た時は、ここに2、3日泊って織物の勉強をしたいようなことを言っていた。その時には、拓は向いの仁淀川に降りて行って、川釣りでもすることにしよう。道の駅に小1時間ほど滞在してしまい、時刻は15時半を過ぎていた。暗くならない内に高知の市街をパスしようと思う。

R33に戻ってしばらく走ると、高知市が近くなり、路面電車が並行して走るエリアに入った。高知では未だ路面電車が走っていたのかと嬉しくなる。四国では高知だけなのだろうか。松山では気付かなかった。高松や徳島では、もう随分前から走っていない。車の走行には邪魔のように思うけど、電車から見れば車が邪魔なのは明らかだ。拓としては電車の主張を尊重する立場である。しばらく路面電車と前後しながら市街地を走り、かの有名な「はりまや橋」(といっても今はその名残りがあるだけで川など無くなっている)を過ぎて、いつの間にかR32へ。これは徳島県の池田の方へ向う国道である。

   

高知市街を走る路面電車。市民の足として何時までも走っていて欲しい。

途中つたやという本屋があったので、雑誌「キャンピングカースタイル」が入ってないかと立ち寄る。あった、あった。さっそく買って見てみると「くるま旅くらし心得帖」がニューストピックスの欄に紹介されていた。それだけでなく、先日のお台場のイベント、「くるま旅パラダイス」でのお立ち台で自著を案内した時の拓の写真まで載っているではないか。ありがたいことだと改めてお礼申し上げたい。邦子どのは、本屋の人に拓の著書の取り寄せ販売をお願いしていたが、協力して頂けるということで、これまた嬉しく思った。

外に出るともうかなり暗くなり出している。近くの南国市にも道の駅があるが、もう少し欲張ってR32を走り大豊町にある道の駅:大杉で泊ろうかと考える。真っ暗になった中を走ってその道の駅に着いてみると、以前と同じように駐車場もその他の施設、設備も宿泊には向いていないのが分かった。メイン国道沿いで車の往来が激しく、駐車場もそこいらのドライブイン以下の狭さだ。どうやらここはトイレ休憩の場所のようだ。少しは良くなっているかなと期待して来たのだが、それは空しかった。斯くなる上は、先へ行くしかない。それならば貞光町(今はつるぎ町)にある道の駅を目指すことにした。

真っ暗なので判らないが、30数年前、初めてこの道を高松から高知へ向って通った時のことを思い出す。近くに大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)という吉野川上流の渓谷があって、そこは山襞(ひだ)を深く切り込んで、蒼い清流が流れているのだが、その両側は、昔は人間が近くを通るのを拒んでいると思われるほどの切り立った崖になっており、たいへん危険な道であったらしい。それでこのような名が付いたようだ。ボケなんぞとは全く無関係の厳しい山の自然環境である。今は渓谷を下に見ながら国道が走っているが、初めてここを通った時は夜で、勿論下を流れる渓谷は全く見えなかったのだが、雨が降り出しそうな天気なのに、車のフロントガラスの上の方には、まるで星が輝いているように幾つもの光が点灯しているのが見えた。どういうことなのだろうと驚いたのだが、後で分かったのは、そのような山の中腹にも民家が点在していて、その灯が星のように見えたのだった。よくもまあこのような所に住んでいるものだなあと、東京から来たばかりの拓には、まさに想像を絶する世界だった。その後祖谷渓を訪ねる機会があり、平家の落ち武者であると聞いたが、そこはこの辺りよりも更に深い山奥なのに、人が住んでいることに又々驚かされたのであった。今日もその時と同じように天空に民家の灯が輝いているのが見えた。

大杉からは思いのほか距離があって、高校野球の一時代をつくった、かの今は亡き蔦監督率いる池田高のある池田町(現在は三好市)に出た頃は19時を過ぎていて、まるで深夜の様相であった。給油の後30分ほど走って道の駅「貞光ゆうゆう館」に到着。道路の裏側にも駐車場があったので、騒音を避けるためにも、そちらの方にSUN号を停め泊らせて貰うことにする。直ぐ近くに夜間照明の完備したテニスコートがあり、クラブ活動の高校生らしい人たちが大勢練習をしていた。もう19時半を過ぎている。いつまでやるのかなと少し心配になったが、20時になると一斉に引き上げて、急に静かになった。内子でゲットした豆腐などを食べながら、一杯やって今日の移動はこれで終り、間もなく眠りの世界へ。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第15日)

2008-11-28 00:17:59 | くるま旅くらしの話

第15日 <11月27日()

道の駅:ひろた→砥部焼産業会館(砥部町)→砥部焼彩陶窯→砥部温泉ゆとり館(砥部町)→(R33R11経由)→Tさん宅(松山市) →(松山市からR11R56経由)→道の駅:内子フレッシュパークからり(愛媛県内子町)(泊)<85km

今日は松山市内に住む昔の拓の職場の仲間の一人であるTさん宅を訪問する予定である。午後2時頃にお邪魔したい旨のアポイントを取っておいた。従って午前中は時間が空くので、未だ行ったことがない砥部焼きの里を訪ねたいと思っている。朝起きて見ると、直ぐ傍を渓流が流れており、道の駅は静かな山里の中にあった。この辺は未だ紅葉の真っ最中らしく、周辺の山は赤や黄色に染まっていた。天気が良ければこれらの紅葉も青空に映えるはずだが、残念ながら今日も天気は機嫌が悪そうである。

9時頃出発。30分弱走って砥部焼伝統産業会館という所に到着。先ずは砥部焼が展示されている所に行き、この町の焼き物についての知識を得ようというわけである。

   

砥部焼伝統産業会館の玄関。砥部焼の歴史や諸作品などが展示されており、砥部焼の知識を得るにはここを訪ねるのが一番。

拓は焼き物のことはよく分からないが、邦子どのは何だか知らないけど結構うるさい。建物の中には大小さまざまな作品が展示されていたが、一通りそれらしい顔をして眺めて廻った。2Fで最近の作品の展示会が開かれていて、邦子どのはその内の一つが気に入ったようで売って貰えるのかを訊いていたが、ここでは売らないという。それで何という窯で作られているのかを訊いたら、陶彩窯だということだった。それならば、後でそこへ行ってみようということにして、先ずは残っている作品などを見て廻った。

外に出ると、たくさんの窯の所在地の案内板があり、それを見て陶彩窯という所へ訪ねることにした。歩いてもそれほど時間がかかる距離ではなさそうだった。10分ほど歩いて陶彩窯を発見。

   

陶彩窯のショールーム。この奥の方に制作場があるようだった。

留守のようだったが、奥のほうへ行って声をかけると奥さんが出て来られた。そこから先は邦子どのの一人舞台で、あれこれ言いながら気に入ったものを手に入れた様である。主な目的は妹へのお礼にということなのだが、ついでに自分の家のものも求めたらしい。このようにしてムダ遣い()をするのだ。満足した邦子どのを促して、さて車に戻ろうと外へ出ると、とんでもない土砂降りの状態となっていた。どうしようと思っていたら、その奥さんがSUN号の所まで送るといってくださった。ありがたい。軽自動車に乗って直ぐに到着。助かった。

砥部焼きのエリアから少し離れた所に町役場などがあり、その先に「砥部温泉」という案内板を見つけたので、ちょっと行って見ることにした。坂道を登ってゆくとドン詰まりに駐車場があり、その上にそれらしき建物が建てられていた。雨が降っているので、邦子どのを置いて坂道を登って行って見ると、間違いなくそこは砥部温泉ゆとり館だった。料金は350円とのこと。リーズナブルである。今日は入らないけど、今度来たときは是非利用させて貰おうと思った。いい発見をした。

久しぶりにお昼は外食にしようと、うどん屋を探す。四国はやはり蕎麦よりうどんという考えがどこかにある。山の中ならば蕎麦だろうけど、この辺りではうどんが正解のように思った。店を見つけてジャコ天うどんのハーフをオーダー。拓は旅の間も減量中なのでうっかり食欲に任せてうどんを食べてしまうと後で問題を起こすことになるので、控えめにすることにしている。久しぶりのうどんは、文句なく美味かった。

松山市内に入り、R11を通ってTさんの家がある方面へ向う頃は、大変な土砂降り状態となった。何ということだ。本当に久しぶりに訪問する日だというのに、こんな降りになるとは! 郊外の本屋でそろそろ発行される筈の「キャンピングカーライフ」という雑誌を買おうと寄ったのだが、この店には置いていないということだった。実は今号に、拓の書いた本の紹介を載せて頂くことになっているので、それを見たいと思っている。確かもう店頭に並んでいる筈なのだ。仕方がない、別の店を見てみようと思いながら外へ出ると、Tさんからの電話が鳴った。近くにいるという話をしたら、予定よりも早くてもいいから来たらどうかというご案内だった。それではということで雨の中を向う。

何しろ30年以上も経っているので、昔1度だけ訪ね、一晩だけ家族ぐるみでお世話になったお宅も、今は何処だったかその場所の記憶は全く消えている。予めネットの地図で所在を調べて来てはいるが自信はない。一応電話でも教えて貰ったので、まあ大丈夫でしょう。拓はナビを敬遠する、地図主義なのだが、意外と一発で初めてのお宅を訪ねることに成功している。よしんば迷ったとしても、この頃は迷うことを楽しみにしている。何故かといえば、迷うことによって、多くのことを知ることが出来るからである。ナビなどに頼って何時も迷いなく目的地についている人は、その頼るものがなくなったり壊れたりした場合は、困惑するだろう。何事も一発で成功するというやり方は、人生をお粗末なものとし兼ねない。人間は、順境ばかりで、逆境の体験をクリアしなかった人は魅力に乏しい人である。今の世の中、逆境の大切さを忘れて順境にある人を僻(ひが)むような人間が多い。「艱難(かんなん)汝を玉にす」というのは、本物の箴言(しんげん)だと思う。余計なことを書いたが、Tさん宅には一発で到着することが出来た。

Tさん宅を初めてお邪魔したのは、拓が初めて関東を離れて四国に転勤で来た三十年以上も昔のことである。その頃のTさんは、松山エリアの責任者として日夜仕事に走り廻っておられた。拓は事務屋で、現場のことはよく知らなかったので、とにかく四国の事業所の置かれている場所の責任者の方にはしっかり挨拶に廻ろうと考えていた。それで、どういうわけだったのかTさんの所へは家族ぐるみでお邪魔してしまったのだが、その時奥さんから現場の苦労話を聞かされ、事務屋としてはしみじみ申し訳ないと思ったのを覚えている。というのも拓の勤務していた会社は、技術サービスを業としていたので、機械の調子が悪いと、日夜を問わずお客さんから電話がかかってくるのである。ご主人が出払っている時には、どうしても奥さんが電話に出なければならなくなる。お客様からの電話の多くは、緊急の出動要請か或いはクレームなので、奥さんとしては謂(いわ)れもなく、お客様にお叱りを受けたりするのである。そのようなご苦労を毎日されている内に、ある種の故障内容は奥さんでも状況の想定が出来るようになってしまい、その対応策もある程度回答できるようになったというお話だった。しかし、会社のルールでは奥さんに何らかの手当てを支給するわけでもなく、責任者のご主人に対してもそれを含めた手当てが出るわけでもない。それは仕方がないとしても、せめてその当事者としての苦労を知っておいて欲しいということだったと思う。その時のお話は、今でも心の奥にしっかりと受け止めているつもりである。

ま、そのような思い出があり、奥さんのご尊顔を拝するのはその時以来なので、さてどのようなお顔だったかと思い起こそうとしてもなかなか浮かんで来なかった。しかし車を停めて、お宅にお邪魔すると直ぐに思い出すことが出来た。ご主人の方は忘れるわけがないが、いざとなれば奥さんの顔だって思い起こすことが出来るのだなと、改めて思った。家に上がり込んで、それから3時間ほど楽しい歓談の時が続いた。昔のこと、今頃のこと、旅のことなどなど話はあちこち入り乱れて、とり止めもない感じだったけど、30年の空白を埋めるのには相当有効だったと思う。空白を埋めるというよりも、お互いが知人として新しい友情を育てて行けるような気がして、嬉しく思った。昔のことを忘れることはできないが、これから先は昔のことよりも、お互い新しい関係を作り上げてゆくことが大切なのではないかと思う。お互い加齢の道を歩みながら、それなりの新しい関係が育ってゆけば、こんなに嬉しいことはない。同じ会社で職場を同じくした者であっても、職場関係を引きずったままのお付き合いはあまりしたくないというのが拓の考えである。

奥さんの作られたケーキも美味かった。お土産に頂戴した手づくりのリンゴジャムは絶品の風味があり、その後の朝の食卓を楽しませてくれた。又宇和島のミカンも美味かった。すっかりご馳走になっている内に雨も上がったようで、我々に対しては、天も少しは気を使ってくれたのかもしれない。Tさんご夫妻、本当にありがとうございました。

Tさん宅を出た後は、内子町にある道の駅「内子フレッシュパークからり」に泊ることにして、R56を内子に向う。昨夜、持ってきた小型インバーターが故障してしまったので、途中カー用品の店に立ち寄り、やむなく新しいものを購入した。17時半頃道の駅に到着。もうすっかり暗くなっている。今夜はこのまま早めに寝て、明日は内子の町並みをじっくり散策してみようと思っている。

大阪のTさんとメールで連絡を取り、18日にさぬき市の道の駅「津田の松原」で会うことに決めた。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第14日)その1

2008-11-27 05:10:52 | くるま旅くらしの話

第14日 <11月26日()

道の駅:よしうみいきいき館→亀老山展望台(吉海町)→下田水(ただみ)港フェリー乗り場→今治港→今治市内・コインランドリー→(R317)→鈍川温泉:せせらぎ交流館(今治市)→(R317を戻R196)→道の駅:風早の郷風和里(愛媛県松山市)→(松山市からR33R379を経由)→道の駅:ひろた(愛媛県砥部町)(泊)121km

     

 来島海峡第1大橋の景観。来島海峡大橋は、世界初の3連吊橋で、全長3,127mもある巨大なもの。第1大橋は960mで一番短い。

明け方から雨音がしなくなったので、もしかしたら天気は回復したのかなと思いながら外を見たのだが、残念ながら期待は裏切られ、今でも降り出しそうな空模様だった。朝食の後、そのままフェリーに乗るのも勿体無い気がして、島にある亀老山展望台という所へ行ってみることにした。パンフレットによれば、そこの展望台からは来島海峡に架かる橋が望見できるということだった。この天気では良くは見えないかも知れないけど、下見のつもりで行くことにした。途中から曲がりくねったかなりの急坂となったが、最近はSUN号もこのような道に馴れて来ているので、それほど驚きはしない。駐車場に車を入れて、展望台に上がったのだが、残念ながら四方にガスが掛っていて、殆ど何も見えない状態だった。少し待てば見えるかもしれないと期待したのだが、益々悪化する気配なので、諦めて降りることにした。一度だけ霧が薄くなった箇所から来島海峡第2大橋だろうか、白い橋がちらりと目に入った。晴れていれば、素晴らしい眺望が拡がっているに違いないと思った。

道の駅に戻り、少し休憩していると、近くのジャコ天売り場で、お母さん達が開店の準備をしているのに気付いた。その場でジャコ天を揚げて売る店なのだ。訊くと9時からだという。二人ともジャコ天大好き人間なので、特に揚げたてのそれには目が無い。フェリーに乗るのを便遅らせても、是非ゲットしようと出来上がりを待って一番客となる。

   

道の駅:吉海いきいき館の広場にある鯛とカサゴの彫刻。何ともユーモラスな島の人たちの思いを表わす作品である

9時半発のフェリーに乗り込む。この島に住む人たちは、大橋を利用するよりもこのフェリーを使って四国へ渡るようにしているようだ。20分おきくらいの間隔で運行しているようだけど、どの船にも結構多くの車や人が乗っている。時間的にも今治までは30分くらいなので、橋を行く時間と大して変わらないようだ。とにかく、1,000円以下でSUN号をフェリーに乗せて貰えるのは、初めてのことであり、それだけで拓は感激している。

   

フェリー乗船券の領収書。980円で乗れるとは夢にも思わなかった。

たった30分の船旅だったが、来島海峡には興奮させられた。何しろ航行する船の数が多い。潮の流れも速く、その中を数多くの船が行き交っている。危うく衝突するのではないかと、邦子どのなどは、ずーっとハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキの連続だった様だ。

   

荒波の中を行く、もう一台の協和汽船のフェリー。カラフルなのは海難防止のための工夫なのか

その昔ここを通る船から通行料をせしめた海賊の連中は、相当に操船に長()けた猛者連中だったに違いないなと思った。今でもちょっとでも油断したら、たちまち事故が起こりかねないほどである。霧の季節は相当の難所となるのであろう。そのような時はとても乗れないな、などと思いながら写真を撮ったりしているうちに、30分はたちまち過ぎて今治港に到着。愈々四国上陸である。(その2へ続く)

 

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第14日)その2

2008-11-27 05:10:17 | くるま旅くらしの話

今治に着いたら、コインランドリーを探して溜まっている2週間分の洗濯をしなければならない。明日松山に住む知り合いを訪ねる予定なので、今日は洗濯のあと鈍川(にぶかわ)温泉に行って風呂に入り、その後松山に近いどこかの道の駅にでも泊ろうかと考えている。具体的には行って見なければ分からない。

上陸したときは既に雨が降り出していて、どうやら今日は雨降りの一日となる気配である。どこかにコインランドリーは無いかと探しながら市内を走っていると、メイン通りに店を発見。つい最近オープンしたらしく、案内板も駐車場もそして設備類も新しい店だった。

   

今治市内で見つけたコインランドリーの店。オープン仕立てで、何もかも新しかった。

さっそく車を駐車場に入れて洗濯開始。これは邦子どのの世界で、拓は洗濯物を運ぶだけの役割である。

   

洗濯開始。いろいろな機械があるけど、洗濯担当者は、この頃はどんなものも使い慣れてきて、戸惑いは無いようである

邦子どのは不思議な人で、食後の洗い物は溜めておいてまとめて行なう主義で、家のシンク(台所の流し台)は何時も雑然として汚いが、洗濯の方は、たとえタオル一本でも未だ使おうと思っているものをその辺にうっかり置いておいたら、たちまち洗濯されてしまう。拓はどちらかといえば靴下でも2日くらいは履きたい考えなのだが、それは到底叶う夢()ではない。その代わりシンクの方は、拓は溜めるのが嫌いなので、たとえ洗い直しされても気がつけば直ぐに洗うように努めている。これは一見バランスが取れているように見えるが、邦子どのの食器類の洗い方は、溜めておいてから洗う所為か、異常なる潔癖を求める神経質なレベルで、拓が洗った分は洗い直しされることが多いのである。これにはかなりプライドを傷つけられる。何度文句を言っても通じないのが腹立たしい。あ、これは少し余計な話となった。

2時間と少しかかって洗濯終了。この間、雨は益々ひどくなり、大雨の様相を来してきた。うんざりするけどどうしようもない。今回の旅も天気には歓迎されていないようだ。今年の北海道の旅も8割方は雨と曇天だったのを思い出す。佐渡の旅もそうだった。この頃の異常気象には馴れて来てはいるけど、これが定着してしまったら、生態系も変わってしまうのではないかと心配になる。

この雨の中でも、コインランドリーを利用する人は結構多くて、我われの他にも入れ替わり立ち代りに洗濯物を抱えた人がやって来て、大盛況だった。若い世代の人が多いのは、生活の様式というか考え方が少しずつ変わって来ているからなのであろうか。

洗濯が終わった後は、郊外の道を走ってスーパーで飲料水を、カー用品店でバッテリー用のヒューズを買って、一路玉川町(現在は今治市に合併)にある鈍川温泉のせせらぎ交流館という施設を目指す。ここは前回四国訪ねた時にお世話になっており、気に入っている入浴施設の一つである。雨は相変わらず降り続いている。13時少し前に着いたが、食事の前の方がいいと考え、先ずは風呂へ。ものすごい雨で傘をさしていても濡れてしまいそうなほどである。今日は日曜とあってか、来場者が多く駐車場も満杯だし、風呂の方も休憩施設も人で溢れていた。それでも1時間近く温泉を楽しむ。風呂から出て、軽く昼食をとりながら1時間ほど休憩。昼間の入浴は出た後でビールなどが飲めないので辛い。飲むのを許されるのは運転をしない邦子どのだけである。しかし、それを恨むことはしない。人間誰しも条件が満たされておれば、それを楽しむ権利があるのではないか。条件が満たされなければ諦めるしかない。この頃は拓も人間が出来てきた?!

さて、どこの道の駅にお世話になろうか。取り敢えずはR196沿いにある松山に近い道の駅「風早の郷風和里」というのへ行ってみることにした。菊間を通るときはここに住んでいる昔の知り合いのことを思ったりした。四国に住んでいた頃からもう30年以上が経っており、彼も引退したのかもしれない。年賀状のやり取りだけなので、詳しいことは分からない。今日は海が荒れており、この分では海の近くの道の駅は泊るのには向いていないだろうと思いながら行ったのだが、やっぱりそうだった。その名も風早の郷という通り、風がきつく吹いていて、海は白波を立ててうねっている。とてもこのような所に泊ることはできない。邦子どのがパニックになることは必定である。16時少し前でかなり暗くなり出したが、どこか他を探すしかない。調べた結果、少し遠くなるけど松山を通り越して、R33経由でR379を内子町に向う手前に、広田村(現在は砥部町に合併)というのがあり、そこに道の駅がある。近くに砥部(とべ)焼で有名な砥部町もあるので、広田村の道の駅「ひろた」まで行くことにした。

松山の市街地を抜け郊外に出る頃には、一時青空が覗いたりしたのだが、その後は小雨のぱらつく天気に戻って暗闇の中を走ることになった。R379は山の中に入って行く道なので、離合も出来なくなるほどの狭い道になりはしないかと心配しながら行ってのだが、暗くて周囲が良くわからないけど、予想通りかなり離合が厳しい状態の箇所が幾つかあった。ようやく峠を越え、トンネルを潜って坂を下りると、その途中に道の駅があった。暗くてさっぱり分からない。近くにある東屋みたいな建物の下に野良猫たちが数匹屯(たむろ)していた。とにかく今夜はここに泊めさせて貰うことにした。暗くなってから急遽予定を変更して走ったので、少し疲れた。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第13日)

2008-11-26 00:16:30 | くるま旅くらしの話

第13日 <11月25日()

道の駅:多々羅しまなみ公園→(大三島ICより入り伯方島ICにて降りる)→伯方ショッピングセンター→船折り瀬戸(今治市・伯方島)→道の駅:伯方(今治市・伯方島)→(伯方・大島大橋徒歩往復)→(伯方島ICから入り大島北ICにて降りる)→道の駅:よしうみいきいき館(今治市・吉海町)(泊)  <47km

昨日の晴天は一日で終り、今日は再び怪しげな天気となった。とりあえず朝のうちは、雨は大丈夫そうなので、今日も歩いて多々羅大橋を往復することにして9時過ぎ出発。橋を渡るのも三度目となると、かなり余裕が出てきて、最初に感じていた恐怖感は殆ど無くなった。邦子どのも同じようで、もうすっかり普段のスピードで歩いている。橋の下に渦巻く海流を見てもすごいなあと感心するだけである。瀬戸内の海は、やっぱり晴れている時の方が美しい。鉛色では、どこに美しさを求めていいのか良くわからくなる。瀬戸田の島(=生口島)の橋の袂にある何本かの山もみじの紅葉も曇天では冴えない。

今日は瀬戸田PAの売店でこの島で栽培されているラン(デルフィニュウム)の小鉢を買った。瀬戸内の島々の幾つかではランの栽培が盛んらしい。因島にも生口島にもランの栽培センターなるものがあった。くるま旅では、車内がどうしても殺風景となりがちなので、小鉢のランは、その後の旅を大いに慰めてくれた。

ランを大事に抱えて帰路につくと、橋の手前辺りから雨が降り出した。今日はうっかり傘を持って来るのを忘れてしまったので、どうしようもない。濡れるばかりである。かなりの本降りとなったが、雨宿りの場所も無いのでとにかく橋を渡ることにした。雨勢は途中少し弱まって、橋を渡りきった頃は、殆ど止みかけていた。人騒がせな雨ではある。

車に戻り、今日は隣の伯方島に渡り、泊りはもう一つ四国よりの大島にある道の駅「よしうみいきいき館」という所にしようと思っている。伯方島にも道の駅はあるのだが、そろそろ四国本土の知人を訪ねる約束の日が迫ってきているので、今回は泊るのはパスして、様子だけは下見しておこうと思っている。

11時少し前出発。大三島橋を渡って、あっという間に隣の伯方島へ。先ずは島を一回りしようとICを降りた後、左回りで行ってみることにした。しかし島の半分くらいを廻ると、何だか道が狭くなり出して、漁師町に入ってゆくようなので、恐れをなして引き返すことにした。もう釣をする考えは無いので、無理をする必要は無いと判断した。途中、伯方ショッピングセンターというスーパーでカワハギなどをゲット。美味そうで安かったので、今夜鍋にして食べるつもり。地元で採れたものに違いない。

来た道を戻ってゆくと、船折の瀬戸というのがあった。来る時にもちょっと気になった所だった。というのも小型の貨物船がものすごいスピードでその瀬戸を通過して行ったのに驚いたからである。車を止めて行って見ると、道路の下がキャンプ場になっていて、なかなか良い所だ。船折の瀬戸というのは、潮の干満で潮流の激流が生まれる所らしく、文字通り古来そこを通過する船が折れてしまいそうなほどの急流の瀬戸という意味らしい。

   

船折りの瀬戸を行く船。潮は右から左方向へ流れている。写真では解らないけど、この船はエンジンフルスロットルでノロノロとこの瀬戸を通過している。

先ほどは右手から来た船がすごいスピードで通過していったが、しばらく見ていると今度は左の方から来た船が超低速で前を通過して行った。今でも交通の要所らしく、不断に船が通過して行っている様だった。鳴門の渦潮や、島をつなぐ大橋の上から見る渦潮も迫力があるが、この船折の瀬戸というのも、見た目には判らないけど、船に乗って行って見たら、潮流のパワーのすごさにど迫力を覚える所に違いないと思った。

伯方島ICの近くにある道の駅「伯方SCパーク」に車を停め、1時間ほどかけて昼食休憩。今朝隣の島で雨に降られて困惑したことなどは嘘のように、今はいい天気になっている。休憩の後、隣の大島に架かる伯方・大島橋を歩いて往復してみようということにした。因島大橋、多々羅大橋と歩くのに馴れた所為か、ここでも挑戦してみようという気になったのだ。名のとおり二つの橋がセットになって隣の島へ渡るようになっているのだが、距離は両方併せても多々羅大橋よりは短い。間に見近島というのがあって、ここは釣にはぴったりの場所だなと思った。釣竿を背負ったバイクのおっちゃんが下から上がって来て、それを見て確信は強まった。今度来る時は、ここでも釣をして見たい。1時間半ほどかけて橋からの眺望を楽しみながら往復した。今度しまなみ海道に来るときには、自転車を持って来なければならないなと思っている。海道に架かる橋には全て自転車通路が設けられており、尾道から今治まで、車とは格段安い料金で渡ることが出来る。今回自転車を持って来なかったのは大失敗だった。

車に戻って、隣の大島に向けて出発。ICに入って5分もかからぬ内に隣の大島北ICを出る。この島には二つの町(いずれも今は今治市)があるが、今日はとにかく疲れたので、早く吉海町の道の駅に行って休むことにした。立ち寄り湯のできる温泉などはなさそうなので、早めに夕食にして疲れを癒すようにしたい。道の駅「よしうみいきいき館」に15時頃到着。

ここは海の直ぐ近くに造られており、近くには下田水(しただみ)港というのがあって、今治とを往復するフェリーが航行している。その港の上を来島海峡大橋が走っている。下から見上げる橋は、天上に架かっている感じがして、多々羅大橋とは又違った壮大な景観だ。

   

来島海峡第1大橋とその手前を走るフェリー。フェリーは今治との間の急な潮流の中を往復している。

多々羅大橋は優雅で美しいという感じがするが、来島海峡に架かる三つの大橋は、優雅さよりも逞しさを感じさせるものがある。雨は降ってはいないが、再び天気が悪化して16時前だというのに辺りは薄暗くなってきた。下田水のフェリー乗り場に行って見たら、何と6m未満は980円で今治まで行けるという。しかも運転手だけでなく同乗者も含まれた料金なのだ。今までどんなに近くても1,000円以下の料金でフェリーに乗ったことはない。このフェリー会社の努力には頭が下がる思いがした。相当厳しい覚悟がないとこの料金で経営を続けるのは大変だろうと思った。明日は橋を通らないで、フェリーで四国に渡ろうと思った。来島海峡の潮の流れの厳しさは何度も耳にして入るが、この目で見たことは無い。明日はそれが体験できる。

夜は、再び雨降りになったが、伯方島で買ってきたカワハギ鍋を楽しみながら一杯やって時間を過ごした。暗い中に来島海峡大橋の照明が天国への道のように続いていた。夜半からかなりの雨降りとなった。今回の旅に出てから、もう2週間近くになろうとしているが、晴れた日は2、3日しかない。楽しみにしていた島での暮らしも、終日晴れだったのは、たった1日しかなかった。寒さはあまり感じないが、雨や曇りが続くと気分も暗くなりがちになるのはどうしようもない。結局人間という生き物も大自然の中では大自然の表情に左右されながら生きて行く小さな存在に過ぎないのかもしれない。

夕刻大阪のTさんからメールあり、明日明石海峡経由で四国に向うとのこと。連絡をとりあって、四国のどこかで再会することを約した。日時・場所等は未だ決められない。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第12日)

2008-11-25 01:20:44 | くるま旅くらしの話

第12日 <11月24日()

道の駅:しまなみの駅御島→道の駅:多々羅しまなみ公園→宮浦港:釣り場→多々羅温泉:しまなみの湯→道の駅:多々羅しまなみ公園(泊)<32km

昨夜の雨は思ったよりも早くに上がった様で、深更からは雨音がしなくなった。朝起きて外を見ると、青空が大きく広がっていた。久しぶりにいい天気となったようだ。我々の他にも2台ほど外来からの泊りの車が居たようだ。

朝食の前に、直ぐ近くにある大山祇神社に参拝する。ここはいわずと知れた海の守護神であり、瀬戸内海軍(海賊)の守り神の祭られている所である。境内に宝物館があって、その中には国宝となっている古来よりの鎧兜や名刀などが納められているらしい。らしいというのは、宝物館の中を覗いたのは邦子どのだけで、拓は未だ入ってことはないからだ。拓は、そのようなものよりも、ここへ来ると境内に何本かある楠の大木に圧倒される。樹齢2,600年という生きた樹や3,000年という枯死した樹などには、特に壮大なオーラを感ずるのである。動・植物を問わず、千年を超えて生きているものには、生き物としての卓越した生命の輝き、厳しい生き様のもたらす途轍もない強さを覚えずにはいられない。縄文杉もそうだけど、この境内の楠の老樹にもそれを感ずるのである。ゆっくりと歩きながら、澄んだ朝の大気を何度も深呼吸した。

    

 乎知命(おちのみこ)手植えの楠:樹齢2600年という楠の老樹。生き物の迫力を感じさせてくれる存在である。

朝食は、多々羅大橋の見えるしまなみ公園の道の駅へ行って摂ることにして、しばし移動する。壮大な大橋の景観を見ながら食事をした後は、もう一度多々羅大橋を往復する考えでいる。食後の散歩に丁度良い距離だ。

   

今日も散歩に出かけた多々羅大橋の景観。向うに見えるのが瀬戸田町のある生口島。

10時頃瀬戸田PAに向け歩いて出発。今日は天気がいいので視界は良好なのだが、風が強くて帽子を押さえていないと吹き飛ばされそうだ。昨日よりは馴れた所為か恐怖感は少なくなり、邦子どのの歩くスピードも平静に戻ったようである。人は恐怖感を覚える所では動きが早くなるものらしい。そして恐怖感が限界を超えると今度は逆にうずくまってしまって動けなくなるのであろう。今の所これらの大橋を渡るのに、動けなくなるほどの恐怖感は無いようだ。もしかしたら、高所恐怖症などというのも、慣れてくれば消え去るような心の軽い病なのかも知れない。そのようなことをとり止めもなく考えながら歩いていると、橋の中央辺りでメールが入った。盟友のKさんからだった。旅を追い掛けて貰って時々メールを頂戴するのは嬉しいことだ。さっそく歩きながら返信する。このような巨大な橋の上からメールを送っているなど、彼には想像もできないことだろう。

   

多々羅大橋の上から覗き下ろした渦の様子。昨日は少し足がすくんだが、今日は大丈夫だった。

苦も無く歩き渡って、瀬戸田PAへ。今日は蛸飯などを食べるのは控えて、塩餅というのをゲットする。勿論これは邦子どの専用の食べ物である。拓はよほどの気まぐれでない限り、そのようなものは口に入れない。帰りは畑脇の無人売店で青いレモンを買って橋を渡る。考えてみれば、関東の田舎に住んでいる人間が、昨日今日とこのような素晴らしい橋を散歩道として使うことが出来るなんて、凄いことなのだなと思った。このような馬鹿なことをやる奴は今の世の中にはあまりいないのではないか。それだけで何か優越感を覚えるような気がした。

橋の袂(たもと)の、しまなみ公園とは反対側の所にキャンプ場が見えたので、そこへ寄ってみたのだが、案内板を見るとキャンピングカーは3000円ほどの料金となっており、がっかりした。アウトドアタイプの1、2日の利用ならさほど高い料金とはいえないが、旅くらしとなると泊れるレベルではない料金だ。キャンプではなく、モーターホームの寄港地というような発想で、水と電気を供給してくれる駐車場のある、より安価な料金の施設は造れないものなのだろうか。水や電気はコインで利用できるようにし、駐車場に泊るだけなら500円程度の料金でもペイするような気がするのだが、全国を探しても日本の国情にあったそのような施設は皆無である。自分が始めてみようかとも思ったりしているが、先立つものが無いし、事業よりも先にくるま旅くらしをしたいと思っているので、これはムリな話だ。現存するキャンプ場はそれなりに意義のあるものだとは思うが、くるま旅くらしのニーズは益々高まるであろうから、新しいスタイルの施設が出現してもおかしくないように思う。どこかに提案したいのだが、今のところこのようなアイデアをどこへ持ってゆけばいいのかが見えていないのだ。

車に戻って、軽く昼食をとった後、釣りの餌のゴカイが未だ少し残っており、生きているので、もう一度釣りに挑戦してみようと、昨日泊った大三島町の道の駅の先にある宮浦漁港の方へ行ってみることにした。港にはフェリーも出入りしているので、少し先のところへ行って投げることにした。いい天気だが、風が少しあって、投げ釣にはあまりいい条件とはいえない。これではダメだろうと思いながら何度か投げてみたが、やっぱり予想通り全く魚信なし。せめてフグの1匹でもかかってくれれば慰めになるのだが、かかっているのは何度やっても餌だけである。これでは釣にならないので、早々に諦めて切り上げる。

折角だから、島を半周しようと盛(もり)という名の集落に向けて行ってみることにした。大三島からは現在でも石が切り出されているらしく、途中石切り場からのダンプらしい車に何台か出会った。瀬戸内の海は少し風があってもさほど波は高くなく、真っ青に輝いていた。盛漁港はなかなか良い所で、近くの島へのフェリーなども発着している。港の近くには、SUN号を泊めて2、3日過ごせるような公園もあった。次回はこの辺で釣などを楽しみたいなと思った。

少し早いけど、今日は一昨日入った多々羅温泉しまなみの湯に入ることにした。行って見ると、今日は15時過ぎという早い時間の所為もあるのか、お客さんが少ないようだ。湯船に浸って地元の人たちの話を聞くのが楽しみの一つだが、今日の話題は、この辺りには猪がかなり出没して畑を荒らしているらしく、地元のハンターが猟犬を連れて駆除に出向いているのだが、猟犬が猪にやられて6匹も死んだという。この話は先日も聞いたが、今日の人の話では、死んだ6匹の犬の他に16匹が大怪我をしたということだった。来年は猪年だが、この島の人たちにとっては、あまりありがたい干支ではなさそうだ。又別の話として、この入浴施設は、例のふるさと創成金で造られたということである。この施設の営業がうまくいったので、近くに運動施設と併せてもう一つの温泉を造ったのだが、こちらの方は全くの赤字経営となっており、この温泉だけが唯一黒字になっているとかいう話だった。税金の無駄遣いは歴史を通しての時代現象とも言えるもので、現代のそれは、このような小さな町でも繰り返し行なわれているのだなと思った。

温泉を出てからは、再び多々羅しまなみ公園の駐車場に戻り、今夜もここにお世話になることにする。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第11日)その1

2008-11-24 04:08:55 | くるま旅くらしの話

第11日 <11月23日()

道の駅:多々羅しまなみ公園→島内ウロウロ→マーレグラッシァ(塩湯温泉)→道の駅:しまなみの駅御島(今治市・大三島)(泊)19km

り空の朝だったが、お天気は良くなる気配は殆ど見られなかった。おまけに風が強くて、これではとても釣は出来ない。今日はこの地で釣りに再挑戦してみようと思っていたのだが、それは無理のようだ。このような天気のときは、ここの道の駅よりも、大三島町にあるもう一つの道の駅「しまなみの駅御島」の方が風の影響が少なくていいかもしれない。

今日はさて、何をしようかと少し迷ったが、雨は降っていないので、思い切って目前に聳(そび)える多々羅大橋を渡って瀬戸田PAまで歩いて往復してみようと考えた。風が強いので、あの巨大な橋を渡るには相当の勇気が必要だが、それをどれだけ出せるかを試してみようというわけである。邦子どのも好奇心半分でチャレンジOKということである。

前回初めてこの地に来た時は、瀬戸田PAに車を停めて橋の1/3くらいの所までおっかなびっくり往復した経験がある。今日はフルに往復しようというわけである。道の駅から遊歩道が出来ているので、それを辿って、15分ほど歩くと橋の入口に到着した。多々羅大橋は世界一の斜張橋だという。斜張橋というのは、支点となる高塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を吊るもので、安定性に優れた特徴を持つらしい。しまなみ海道の中では最も美しい橋の様に思う。

  

大三島から見た多々羅大橋全景。左手が大三島側、右手正面の島は瀬戸田町のある生口島。世界一の斜張橋は文句無く美しい。

さて、この橋は全長1,480mあり、車ではあっという間の通過になるが、歩いて渡るとそうはゆかない。風が吹いていれば揺れを感ずるのは当たり前だし、恐る恐る下を覗けば、巨大な橋桁の側に海流が渦を巻いているのが見える。鳴門の渦潮は有名だが、鳴門までとはゆかなくてもここの渦潮もかなりのものだ。もし、歩いている途中に巨大地震でも起きて橋が倒れたりしたら、一たまりも無いだろう。今日は生憎強風が吹いている。おっかなびっくり歩かざるを得ないが、邦子どのの歩くスピードは、普段のそれの倍近くになっていた。とにかく早く通り抜けたいという気持ちが、その歩きに出ている。

1/3くらい行った所にある橋桁のところに「多々羅泣き龍」というのがあって、その地点で両手を合わせてポンと叩くと、ビビビーンと反響が返ってくる。側に拍子木が置いてあって、これを叩くとその音は一層はっきり跳ね返ってくる。日光の鳴き龍などとは比べられないほどの壮大な規模の音の反響現象だ。以前に来たときもこれを知って驚いたが、今回は十二分にこの人工の音の反響現象を楽しんだ。

 

左は多々羅鳴き龍地点でのお邦。右はその地点から巨大な橋桁を見上げた様子。この橋桁同士の空間に音が反響して鳴き龍の声となる。

20分ほどかけて渡りきり、瀬戸田PAのある生口島に着く。恐怖心と好奇心が入り交ざって、かなり緊張した時間だった

   

ミカン畑の向うには、瀬戸内の海が拡がっていた。如何にものどかな島の段々畑の風景である。

生口島の瀬戸田PAまでの道は、ミカン畑が広がっていて、高速道と橋のことを忘れれば、のんびりとした果実の島以外の何ものでもない景観が広がっている。畑の隅を行く道の脇には、無人のミカン売り場があり、100円を入れると数個のミカンをゲットできる。ミカンは昨日買ってしまったので、今日は帰りにレモンを買うことにして、瀬戸田のPAに向う。振り返ると、たわわに実った金色のミカンの向こうに、今通って来た多々良大橋が人びとの壮大な夢を実現してどっしりと構えていた。   

生口島側から見た多々羅大橋の景観。大三島からは見上げる風景が多いが、瀬戸田側からは橋を見下ろす風景が多い。

瀬戸田PAは広島県側行きと愛媛県側との双方に作られているが、ここで名物の蛸飯や蛸天などを食べようと思うなら広島県側行きでなければその願望か叶わない。前に来たとき食べた蛸飯の味が忘れられなくて、今日は是非それをもう一度味わいたいと思っている。急な坂道を登ってPAの売店に到着。さっそく蛸飯と蛸天うどんを食す。美味なり。二人で半分こしながら食べたが、やっぱり蛸飯の方がベターだった。

しばらくPAからの景観を楽しんだ後、復路へ。少し馴れた所為か、緊張感はかなりほぐれたようだ。幸い雨は降らないが、風だけが強めに吹いている。橋からの景観を楽しむ余裕も少しは出てきた。それにしてもこのような巨大な橋を造ることが出来る人間という生き物は、地球の歴史の中で特異な存在にちがいない。地球を壊すだけの力を持っているというのは、恐ろしいことだなと、改めて思った。人間の心の持ち方こそが地球の未来を決める鍵となることは間違いない。

   

瀬戸田PAにある多々羅大橋の表示石。この瀬戸田町出身の平山郁夫画伯の書によるものである。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第11日)その2

2008-11-24 04:08:03 | くるま旅くらしの話

車に戻って一息入れていると雨が降り出した。少し島の様子も見てみようと、大三島橋の方へ行って見ることにした。御滴(みたらし)の水という井戸があるというので、そこを覗いてみたが、浜の波打ち際にある横堀の井戸で、珍しい。しかし今は歴史の残骸を留めるだけだった。その昔は、島での水は貴重なものだったろうから、この井戸は多くの人を救ったに違いない。

   

みたらしの水。丸い鉄製の蓋が置いてあったが、中を覗いても水は見当たらなかった。横堀の井戸というからこれは入口に過ぎないのかも知れない。

しばらくするとかなりの雨降りになって、あわよくば釣りをしようと考えていた願望は完全に打ち砕かれた。やむなく今夜の夜の夕食のおかずの、おでんの下準備をする。といってもこれは邦子どのの仕事で、拓の方は、寝床の中で午睡を貪(むさぼ)る。

目覚めて、今日は島の反対側にある大三島町の道の駅「しまなみの駅御島」に泊ることにして、その近くにある塩湯温泉、「マーレグラッシア」というのに行くことにする。雨はかなりの本降りで、こんな時は温泉に浸ってゆっくりするのが一番だ。途中道の駅に寄ってみたが、駐車場には殆ど車は見られなかった。塩湯温泉というのは、よく分からないけど、伯方(はかた)の塩を作っている会社が関係しているらしい。伯方の塩といえば自然と隣の伯方島で作られていると考えるのだが、そうではなくてどうやらこの大三島で作られているらしい。塩が身体にどの様にいいのかはさっぱり分からないが、この温泉施設は人気があるようで、かなりの人が入りに来ていた。1時間半ほど温泉を楽しんだ後は、道の駅に戻る。この道の駅の直ぐそばには大山祇(おおやまずみ)神社がある。明日はそこに参拝することにしよう。

      

 塩湯温泉の案内板。思ったほど塩辛いというものではなかった。程よく温まって、いい湯だった。

久しぶりにおでんをつつきながら、一杯やって、夕食の時を過ごす。相棒が一杯やれるというのはありがたいことだ。時には邦子どののほうが先に一杯やりだす時があるが、もし酒に無縁の相棒だったらこのような旅くらしは無理かも知れないなと思った。(しかし、あまりこれを強調すると、相棒が付け上がるので危険でもある)

   

旅の食卓。右上は、今日の歩きで瀬戸田PAの売店でてに入れたデンファレのランの花。食事の方はこの後おでん鍋をつついで一杯やる。

雨がかなり強くなり出したようで、天井を叩く音がうるさい。今日は何だか中途半端な一日となった感じがするが、それでも多々羅大橋往復はよかった。明日天気が良ければもう一度チャレンジして見たい。

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