山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

'11北海道くるま旅( 第48日)

2011-07-31 07:28:55 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
別海町のキャンプ場に戻っての一夜は、快眠に恵まれたものだった。昨日の日中の暑さは嘘のように消え去り、寒さに近い涼感を味わいながらの眠りは、この季節では天からの恵みのように思える。日中も昨日までの暑さはどこへ行ったのか、昼寝にも毛布が必要な気温となった。道東の夏というのは、もしかしたらこれが普通なのかも知れないと思った。この頃は普通が何なのか分からないような気象が多いように思える。
午前中はお隣の車が去られたので、我が家も少し移動し、ついでにテントも移動するなどの作業に時間をとられた。テントの移動というのは、最初の設営と同じくらい手間の掛かるものである。今日は涼しいので作業するのは楽しい。基地を作っていると思えば苦にはならない。再設営を終えた後は町中へ買い物などに出かける。これから半月ほどは此処に腰を据えて暮らすつもりである。

さて、今日はその後、年に一度あるかないか、否、人生でも何度も味わえない嬉しい時間が待っていたのだった。実は昨日、先日塘路のカヌーのキャンプ場でご一緒したMさんから電話を頂き、中標津から別海に向かう途中の道で、なんと彼の運転するダンプ車とすれ違ったとのことだった。当方は全く気づかず驚いたのだが、偶然とは言え不思議な縁を感じたのだった。そのMさんから再度電話を頂き、今日ご実家でご両親共々ウエルカムパーティーをしてくださるとの招待のお話を頂戴したのだった。いやあ嬉しかった。Mさんは別海町の出身で、ご両親は別海町にお住まいとお聞きしている。Mさんのお心遣いを本当にありがたく嬉しく思った。
16時過ぎお迎えを頂き、ご両親のお住まいにご案内頂いた。なんとキャンプ場からは歩いてもさほど時間のかからない近さに驚いた。Mさんは我が愚息よりも年下の青年である。大へんパワフルで活動的な方で、又人を慮(おもんばか)る優しさに満ちた、滅多に出会えない青年である。今どき我が愚息をはじめ身近に見る青年の殆どは、個人主義というか自己中心的な考え方の人が多く、同世代を超えた人たちと自在に交流できる人物は少ない。Mさんをその様に見ている自分には、ご両親にお会いできるというのはとても嬉しく楽しみなことだった。何故かと言えば、この素晴らしい青年の生まれ育ちの秘密を覗けるからである。親子というのはお互いに育て合う存在だと思っているけど、なかなかそれがうまくはゆかない現実がある。Mさんは別格の親子関係を実現されているに違いないと思った。〔人は様々であり、親子関係も様々なのだから、それぞれの良さがあり、弱さも又あって、決して括って考えることはできないことは承知している〕
玄関に入り、ご両親と初めての挨拶を交わした。第一印象は予想通りのお二人だった。そして、そのあとの歓談の中でその素晴らしさをジワジワと実感したのだった。宴の始まる前に、ご両親が丹精を込めてお作りの菜園をご案内頂いた。二棟のハウスを初め手入れの行き届いた畑には、数々の野菜が実りの時を迎えようとしていた。短い期間しか活用できない北海道の自然条件の中で、心を籠めて育てられた野菜たちには、それを育てる人への感謝が溢れているように感じた。自分も在宅時には菜園に足を運ぶ毎日であり、野菜を作る人の気持ちも野菜の気持ちも良く解るつもりでいる。
家に戻って、いやあ、それからのご馳走の時間は、美味しいと言うよりも、驚きの連続だった。生まれて初めて食べたものがある。生まれて初めて知ったことがある。牛乳から豆腐が作れるというのは驚きだった。北海道の酪農の世界ならではの逸品である。中標津町で牧場を営むMさんの奥さんの実家からわざわざお持ち頂いたという、品評会で頂点を極めているという極上の生乳を惜しげもなく(失礼)使って、その作り方を目の当たりにして、驚きは更に膨らんだのだった。牛乳豆腐を作るのはお父さんが名人とのことで、大鍋に注がれた大量の牛乳が少しずつ固まってゆくのを息を呑みながら見つめたのだった。にがりを入れるなど大豆からの豆腐の製法とあまり変わらないのも驚きだった。出来上がったその豆腐は、まさに絶品の味わいだった。テレビで毎度マイウ~と言っている彼が食べたら、一体なんというのだろうか。マイウ~などでは表現しきれる筈がないと思う。幸せを感じた。
Mさんがわざわざ自宅から運ばれたサーバーでの生ビールを味わい、お母さん手づくりの数々の料理に舌鼓を打ちながらの歓談は、真に楽しくMさんの今日ある秘密もすべて解き明かされた感じだった。もうこれ以上書くと楽しさも嬉しさも霞んでしまいそうなので止めることにしよう。
気がつけば時は22時を回っており、お子さんお二人にはかわいそうなことをしてしまった。たくさんの野菜ととっておきの牛乳などのお土産を頂戴して、キャンプ場までお送り頂き恐縮の極みである。それにしても、なんと嬉しい、ありがたい日であったろう。出会いの大きな宝物を天から授かったという感動の中に居ながら眠りに就いたねだった。ありがとうございました。
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'11北海道くるま旅( 第47日)

2011-07-30 04:20:52 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
ウトロの夜は涼しく、夏を忘れさせてくれる快適さがあった。少し疲れ気味の身体には快眠は何よりの良薬である。このところ移動ばかりの毎日が続いており、その疲れが溜まって来ているようだ。気楽にその日暮らしの旅を楽しんでいると思っていても、どこかに動き回ることによるストレスなどがかかって、変化を楽しんでいるのだという意識とは無関係に身体に疲れを溜め込むというのは、生き物としての人間の性(さが)なのかも知れない。今回の北海道の旅では、あまり動き回らずに避暑的静養をと考えていたのに、一所に留まって居たのは2週間ほどしかない。当初の思惑とはかなりズレて来ている。今日中には別海町のふれあいキャンプ場に入って、今度こそ腰を据えることにしようと思った。十年来の北海道の旅では、何故か別海町が一番滞在日数が多い。里心のようなものがどこかで育っているのかも知れない。
その様なことを考えながら、ウトロでの朝一番は、オロンコ岩に登ることだった。オロンコ岩はウトロの海岸に点在する奇岩の中では最大のもので、知床八景の一つでもある。車からは10分足らずの距離だ。しかし、巨岩のてっぺんに上がるための急崖を登るのは容易ではなく、老人には息が上がってしまうほどの厳しさだ。垂直に近い壁面に最初に道をつけた人を尊敬せずにはいられない。高所恐怖症のくせにてっぺんに行きたがるのは、昨日も書いたけど此処に自生する植物たちに逢いたいからである。なるべく下の海を見ないようにして登って行くと、崖の道の目の高さにイブキジャコウソウの群落が飛び込んできた。今回一番逢いたかった野草である。丁度今が花の最盛期らしく、淡いピンクの花が、わずか数センチの草丈の頭にぎっしりと花を咲かせていた。虫眼鏡を忘れて来てしまったので覗くことは出来なかったが、カメラでもその優雅さは十分に感ずることができた。絶壁には涼しげな顔をしたツリガネニンジンがベル状の花を風にそよがせと海を見ていた。てっぺんに上が
って、トリカブトの花を探したが、まだ花期ではないらしく、花を見ることは出来なかった。オロンコ岩からは、野草たちだけではなく、眺めの方も素晴らしい。高所恐怖症を忘れてしまいそうだ。新たに造っている港の様子やゴジラ岩などウトロの町の全てが俯瞰できるのである。しばらくその景観に見とれた後、ソロリと降りるのを開始する。どうしても眼下の海を目にしないわけには行かない。極力足元だけを見るようにして、冷や汗を掻きながらの帰途だった。小1時間のワクワクの冒険タイムだった。
食事の後はゆっくりと片付けをして、出発は9時半頃となった。昨夜ここに泊まった30数台の旅車の中では我々は遅い出発の3本の指に入ると思う。日差しはかなり厳しくなって、暑さがジワリとまとわりつき出した。今日も悩まされ続けるようである。
今日は知床峠を越え羅臼に下りて、海岸線を走って標津から中標津へ向かい、少しばかり買い物をした後別海町のキャンプ場に入る予定でいる。先ずは相棒の希望もあり、知床探訪の玄関口となる知床自然センターへ。
車を留め館内で情報を確認した後、フレペの滝まで往復する。フレペの滝は海岸の絶壁に何条かの糸状になった水が流れ落ちて海に注いでおり、その姿から乙女の涙と呼ばれているとか。詳しいことは解らないけど、切り立った崖を覗き込むのはあまり得手ではなくロマンよりは恐怖の方をより多く感じてしまう。今年も草村の中に鹿たちを見られるかと期待したが、あまりに暑いせいか、彼らは森の中からは出てこないようだった。滝見台近くの道端にはナミキソウの群落が点在しており、小紫色の花を今が盛りと咲かせていた。帰り道の森の中に巨大なヒトリシズカを見つけ驚いた。関東は奥多摩辺りに自生しているのと比べて10倍くらいの大きさに見えた。北国ではヒトリシズカでさえもその存在を強く主張しているのかと思った。
知床自然センターを出た後は、知床峠に向かう。ウトロ側から行くのは初めてではなかったか。急な坂道が続いて老体になり出した我がSUN号にはかなり厳しい登りだったと思う。峠で一息入れた後は、今度は下り坂が続く。ディーゼル車はエンジンブレーキが効くので、それを最大限活かしながらゆっくりと坂道を下る。間もなく羅臼の市街に入り、道の駅で昼食休憩。黒ハモのいなり寿司というのを買ってきて食べたが、なかなか美味だった。相棒は小骨が喉にしっかり引っ掛かる人なので、心配していたが、無用だった。
昼食を終え、後は別海に向かって走るだけである。標津から右折して中標津に向かう。中標津の町で給油と買い物を済ませ、別海のキャンプ場に着いたのは15時半頃だった。半月ぶりの帰還である。この地も今日は日差しがキツくて目が痛くなるほどだ。受付を済ませた後、車をいつもの場所に留め、テントの設営を行う。長期滞在の時はテントを設けることにして、持参している。大汗を掻きながら設営を終えたのだが、ここで大問題が発生した。
発生したと言うより、発生していたのに気づいたという方が正しいのかも知れない。ポータブル冷蔵庫の100V電源用コードが無いのである。仕舞ったと思われる箇所は皆丹念に探して見たのだが、どこにも見当たらない。これが無いと、折角100Vの電源があるのに12Vで使うことになり、テントの中に移動することもできず、車内がやかましい。かなり高額で追加購入しているので、財務官の目は同情の影もなく、批判と軽蔑の光が細く強まっているのを感じた。置き忘れたのかも知れないと、念のため前回使った美深のキャンプ場に問い合わせてみたが、届け出は無いとのことだった。最近は確かに物忘れが増えて来たようだけど、この様な物を忘れるとは思われず、でもやっぱり置き忘れたのだとすれば、これはゆゆしき問題だなと思った。探すよりも病院へ行く方がニーズ大なのかも知れない。笑えない笑い話ではある。
とにかく諦めて、汗を流しに丘の上にある温泉に行くことにした。今日は久しぶりにゆったりと温泉に浸り、ぐっすり眠って明日からの別海暮らしをあれこれ思い巡らしてみたいと思っていたのだが、そういう訳にはゆかない気分である。車に戻り、どうもスッキリしない気分で一杯やって、明日に期待することにした。
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'11北海道くるま旅( 第46日)

2011-07-29 04:31:04 | その他
《今日の予定》
道の駅:ウトロシリエトク→道の駅:羅臼→中標津町郊外ショッピングモール→別海町ふれあいキャンプ場(泊)


《昨日のレポート》
女満別の道の駅の朝もいい天気で、今日も暑くなる予感がした。今日はまだ予定は決まっていない。何処へ向かうかも決めないまま、先ずは旅車管理の基本となる事項(給排水・トイレ処理・電源チェック・タイヤ点検・フロントガラスの清掃など)を行う。その後は近くの地産物販売所に行き、トウモロコシやジャガイモなどを買い、持ち帰って茹でたりして、それらの仕事が終わったのは11時近くになっていた。予定が決まっていないというのは安気なものである。これで昼の対策完了である。
とにかく南下を続けることにして、先ずはいつも通過ばかりしている網走の観光名所を少しばかり覗いて見ることにした。
網走は一般的には監獄などのアウトローの終着駅のイメージがあるけど、その実際は今の時代からは遠い世界である。網走は平和な海と丘の町だ。映画などで決まるような世界ではない。天都山展望台に登って見たが、天気があまりに良過ぎて知床方面の山々の景観も、膨らんだ空気に霞んで見えなかった。博物館などは以前に訪ねているので寄るのは止め、景観だけに満足して丘を下りた。
街中のショッピングモールで買い物を済ませた後、もう昼時を過ぎているのに気づき、近くの小清水原生花園の駐車場に行き昼食休憩とする。原生花園の野草たちのなかでは、カワラナデシコとエゾキスゲが目立っていた。昼食の間に今日の泊まりを知床のウトロの道の駅に決める。
先ほど知人から電話があり、在宅時によく顔を出しているRVランドという旅車のビルダーがNHKの取材を受け、それが今日の16時台に放映されるとのこと。どんな内容なのか、とにかく見る為にはテレビが映る場所に居なければならない。ということで食事の後は寄り道をせず一路ウトロを目指すことにした。
昼を過ぎても雲一つないピカピカの太陽が輝く空が広がり、4~5日前迄の涼しさを超えた寒さは何なんだったのだと思うほどの落差である。行ったことは無いけど、砂漠の一日の気温変化もこの様なものなのであろうか。斜里町に入り山の麓迄真っ直ぐに続く道を走りながら、今年の夏もやはり異常さが拡大しているように思った。
ウトロの道の駅:ウトロシリエトクに着いたのは、14時半だった。シリエトクというのは知床と同じ意味のアイヌ語である。本来このカタカナの表示が正しいのではないかと思っている。全く逃げ場のない暑さで、照りつける太陽は、これでもか!と人間どもをからかっているかの感じがした。風はひんやり涼しさを感じるのだが、直射の光を防ぐために窓を遮蔽すると風が通らず、その調整に苦労した。テレビの方は大丈夫、ちゃんと映っている。まだ時間があるのでビールで一杯やって一眠りする。小窓に風が通り思ったほど暑くはなく、快適な眠りだった。
目覚めてドタバタしている内にテレビのスイッチを入れるのを忘れ、慌てて気づいて見た時は、ちょうどその放映が終わろとしている時だった。全部を見られず残念。でも取材の主旨がこの度の大震災を機にキャンピングカーのニーズが高まって来ているというのは理解できた。さもあらんと思う。こうして、もう1ヵ月以上も車の中で暮らしていれば、住まいとしての基本条件を備えた車のニーズは明らかなのだ。過度の装備は不要だけど、いざという時には住まいの基本要件を備えた車は決して只の贅沢品等ではない。
我々がくるま旅に気づいたのも、最初は苦い経験からトイレのある車が欲しいと思ったことから始まっている。その様な車を探し求めたら、一緒に小さな炊事場まで付いていたので、これなら旅もできるのではないかと気づいたのだった。キャンピングカーをキャンプに使うものという固定観念は、人生をつまらないものとしかねないように思う。くるま社会に生きる我々は車を単なる移動・運搬手段や見栄(?)の飾り物などと考えていないで、人生をより豊かに過ごすツールとして活用することを考えても良いのではないか。キャンピングカーと呼ばれている車は、その可能性を一番秘めていると思っている。その様なことを思った。
ウトロの道の駅はくるま旅の人には人気のある場所で、夕方になると泊まりの車は大小合わせて30台を超えるほどとなった。これはまだ少ない方で、カラフトマスや鮭釣りのシーズンに入ると広い駐車場は車と人がごった返す日々が多くなる。今年はカムイワッカの湯の滝近くまで車の通行が緩和されたとかで、隣の車の方が今日行って来たと話されていた。我々は知床が世界自然遺産になってからは、一度も足を入れていない。これからも行くことはないと思う。今のところ此処へ来るのは、近くにあるオロンコ岩のてっぺんにある植物たちを見たいからだ。高所恐怖症の気があり、断崖を登るには勇気が要るのだが、岩のてっぺんに命をつないでいる植物たちの魅力には敵わない。トリカブトなどが無造作に咲いているのである。明日は行って見よう。
日が沈むと、今までの暑さは一気に取り払われて、快適な涼しさが戻って来た。テレビのニュースでは、中国新幹線事故のその後の顛末について報じられていたが、この国の国民に対する厚顔無恥さというか恐ろしさは、日本国の戦前の軍部政権の本質に通うものがあり、世界には常識などというものは存在しないのを改めて思い知らされたのだった。明日は別海町のキャンプ場に戻ることになるのだろうなと思いつつ、眠りに就く。
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'11北海道くるま旅( 第46日)

2011-07-28 05:15:01 | その他
《今日の予定》
道の駅:メルヘンの丘めまんべつ→?(未定)


《昨日のレポート》
昨夕来た時はかなり混んでいた駐車場は、その後潮の引くように少なくなっていて、泊まった車は数台だったようだ。今日も天気は良さそうで暑くなり過ぎなければ良いのにと思った。この心配は的中して、食事をしている間にも車内の気温はぐんぐん上がり始めた。今日はもう一度ワッカ原生花園に行き、その後の野草たちの様子を観察したいと考えていたのだけれど、こんなに暑くてはそれこそ熱中症になり兼ねないと思い予定を変更し、海側で何の木陰もない原生花園ではなく、山の中の木陰を期待出来そうな、丸瀬布のマウレ山荘に行くことにした。マウレ山荘はここ上湧別の道の駅からは比較的近いのである。
上湧別の道の駅辺りは、相棒には何やらの悪臭のようなものがあり、昨夜来窓を開けられないのだそうで、こう暑くなると長居をしているわけにはゆかないのである。急ぎ食事を済ませ、丸瀬布に向かう。
車を走らせている間は暑さはさほど感じなかったが、丸瀬布の道の駅に着いて外に出ると、ムッとする熱気が体を取り巻いたのだった。久しぶりに味わう不快な暑さである。直ぐに駅構内にある木の工芸舘に逃げ込む。丸瀬布は今は遠軽町と合併し、遠軽町の丸瀬布エリアとなっている。元々木材の豊かな所で、材木の伐り出しやその加工に関わる産業が盛んな所だったようで、現在でも木工芸品の製作が行われており、館内には様々の木工作品が展示され販売されていた。特に木片を組み合わせた嵌め絵というのだろうか、メルヘンチックな作品は、木の持つ温か味を存分に活かして素晴らしい物が多かった。館内は涼しく、ずっとここに居たい気分だったが、そういうわけにもゆかず、お土産などを買った後、10kmほど離れた武利という地区にあるマウレ山荘に行くことにした。
先日マウレ山荘に来た時は、温泉に入るだけだったが、今日はマウレ山荘に併設されているミュージアムを見学することにした。このミュージアムは平成16年に廃校となった地元の武利小中学校の校舎をそのまま利用して開設されたもので、元教室には世界中から集められた障害者の方々の優れた絵画の数々が常設展示されている。この他にも石炭画の四国八十八箇所寺の本尊を描いた作品や世界の蝶や昆虫の標本、それに化石の標本などが数多く展示されている。
その昔現役の頃、元勤務していた会社で、自分も障害者の画家の方たちの絵画に関わったことがあり、初めてここに来た時は、驚くと共に深く感動したのだった。昨年は我が亡き畏友安達巌の画集を寄贈させて頂いている。安達巌も幼少期に事故で両手を失い筆を口にくわえての画家だった。その作品が一点だけこのミュージアムに収蔵、展示されている。その外にも懐かしいタッチの作品が幾つか収められている。それらの作品を思いを籠めて見て回った。元教室の板張りの床は、歩く度に心地よい懐かしい音を立てて、現役そのままに使われているのが実に嬉しい。この様なスタイルのミュージアムは日本にはここしか無いに違いない。マウレ山荘に来られる方には、是非ともこのミュージアムにも足を運んで欲しいなと改めて思った。
ミュージアムの見学を終え外に出ると、再び熱気が襲って来た。車をマウレ山荘の方に移動し、木陰に涼を求めたのだが、無風状態で、風はそよとも動かない。こりゃどこへ行っても同じだと諦め、軽く食事をして、しばらく横になることにした。相棒は既に先ほどから気分が悪いとダウン気味である。熱中症にでもなられたらたまったものではない。
窓から微かに入ってくる風を頼りに、とにかく辛抱して目を閉じている内にいつしか眠りの世界へ。相棒も何とか凌いだらしい。目覚めたのは15時頃だった。少し雲が増えて今日の暑さは峠を越えたようである。温泉に入るのも面倒くさくなり、とにかく今夜の宿を決め、向かうことにした。この時点でまだ宿は未定なのだ。くるま旅以外ではあまり考えられないデタラメぶりであろう。昨夜の上湧別の道の駅はどうかと提案したら、相棒は臭いよりはまだ暑い方が我慢できるという。暑い方というのは、北見市留辺蘂の道の駅:温根湯温泉である。それならばとそこに向け出発。
車が走り出せば暑さは一気に解消するのだが、運転者は居眠りも厳禁である。しばらく走っている内に、待てよ、温根湯よりも女満別の方がいいんじゃないか、と気がつく。明日も暑かったら、内陸部の温根湯よりも海に近い女満別の方が条件が良い筈だ。それに南下のコースにも沿っている。ということで、留辺蘂に向かう道を途中で止め、北見市の端野という所からR39に入り、美幌町を経由して女満別の道の駅に向かう。女満別は今は合併して大空町となった。平成の大合併で新しく生まれた自治体の中では秀逸の名前だと思っている。17時半近く道の駅:メルヘンの丘めまんべつに到着。
ここへ来たのは正解だった。丘の上近くにあり、風通しも良い。気がついて良かったと思った。旅車も何台か泊まりの人がいるようだった。この道の駅はくるま旅の者には好意的である。ゴミ処理等も受け入れてくれるようだ。有料だけど、一方的に持ち帰れ!というよりは筋が通っており、有料は当然だと思う。この様な道の駅が増え、一般化することを願わずにはいられない。
暑さもすっかり収まり、夜には快適な眠りに恵まれたのだった。
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'11北海道くるま旅( 第45日)

2011-07-27 05:53:42 | その他
《今日の予定
道の駅:上湧別チューリップの湯→ワッカ原生花園ネイチャーセンター→?


《昨日のレポート》
初めに、昨日のタイトルの第45日は第44日の誤りでした。今日が第45日目となります。失礼しました。
さて、今日から移動再開である。4~5日掛けてオホーツク海側の道を南下開始である。今日どこまで行けるのか、特にゴールも決めておらず分からない。急ぎの旅ではないので、ちんたら行くことにして、適当な所で泊まることにしている。
快晴のクッチャロ湖の朝は実に爽快だった。穏やかな湖面には、さざ波さえも立たず、まさに鏡のような佇まいだった。昨夜は満天の星が輝き、相棒は夜中に外を覗いてそれを知り、大感動のようだった。しばらくこの湖の穏やかな佇まいをじっくりと眺め、味わった。
昨日までご一緒だったiさんご夫妻は、我々より少し先に砂金の採取へと出発されて行った。それを見送った後、我々も先ずは近くにあるベニア原生花園を見ようと出発する。
ベニア原生花園はクッチャロ湖を海と分けて広がる湿地帯で、面積が守谷市の10倍近くの330平方キロメートルもある原野である。樹木は殆どなく、丈の低い草を中心にオホーツク海の砂浜まで、幾つもの植物達が命を養っている。10分ほどで到着し、案内所に顔を出す。花の状況などを訊いてみた。自分の目的は浜辺のウンランという小さな野草の花を見ることなのだが、店の人の話では花はまだとのこと。相棒はしきりに熊のことを訊いていた。3年ほど前からこの付近にも熊が出没しているという。昨日聞いた話では、今年は浜頓別町の中心街に熊が現れ、射止められたという。人間にも熊にも不幸なことだ。原生花園も幾つかある散策コースの一部が通行禁止となっていた。
カメラを手に浜辺に向かって散策開始。目立つ花と言えば、クガイソウ、ノハナショウブ、カセンソウ、ハマナシ、クサフジ、ハマヒルガオ、ハマエンドウなどがあった。でもトータルすれば原野は地味な草たちばかりで、野草に関心の無い人には、只の原野の広がりしか感じられないのではないかと思った。浜辺近くにウンランを見つけたが、花はまだのようだった。更に海辺の方に砂浜を歩いて行くと、ハマベンケイソウを見つけた。良く見ると近くには幾つものハマベンケイソウの株が点在していた。先日のワッカ原生花園には数が少なかった野草である。帰り道にもう一度ウンランを見ようと探していると、何と花を咲かせているのがあるではないか!一度それに気づくと不思議なことに、次々と花をつけているウンランが目に入るのである。2~3㎜の小さな薄い黄色の花は、10㎝の帯状の葉の連なる一株の先に点いており、気をつけて見ていても見落としてしまいがちだ。そのような小さな生命に愛しさを覚えるのは、残されている時間が少ないことを感じ始めて
いるからなのかも知れない。とにかく目的が叶って大満足だった。
ベニア原生花園を出た後は、オホーツク海に沿って走るR238の南下を開始する。先ずは昼食をと枝幸町の道の駅:マリーンアイランド岡島へ。ここへ寄るついでに近くにあるキャンプ場を覗いて見たが、かつての盛況は全くなく、2台ほどの旅車が羽を休めていただけだった。コメントは避けたい。
昼食の後は雄武(おうむ)町のガス屋さんに寄りLPガスの充填をして貰う。ここは1㎏当たり単価が300円と良心的だ。先日の旭川では500円だった。600円を超える値段を吹っかける所もある。商人の良心というのは、どの辺りに本当の姿が鎮座しているのか見当もつかない。特にLPガスの充填と給油の際には、いつも考えさせられているテーマである。
ガスの充填の後は、雄武町にある日の出岬近くの同名のホテルに立ち寄り湯をして体の手入れをする。昨日購入した「HO」のおかげである。海を眺めなからの温泉が楽しめる素晴らしいロケーションのホテルだった。
その後は、当面の課題である洗濯物をどうするか迷ったあと、とにかく紋別迄行って、その時の気分で明日にするかどうかを決めることにする。この時点でも今夜の宿の場所は未定なのだ。
今日はずっといい天気で、日差しは少しきついけど風がほど良く涼しくて、感謝したい気分になってしまう。左手に広がるオホーツク海も波は穏やかで、時折寄せる白波はまるで海が微笑んでいる感じだった。あの大津波の時の海の表情からは想像もつかない穏やかさである。紋別市郊外のショッピングモール傍のコインランドリーに車を停めた時は16時を少し回っていた。
結局洗濯は今日やってしまおうということになった。そして今夜は上湧別町の道の駅に泊まることにした。洗濯の担当は相棒、自分は買い物と夕食の準備担当である。今夜はご飯は炊かず簡単に済ますことにして、野菜やパンなどを買い、キャベツの漬け物などを作った。2時間ほどで洗濯終了。近くのスタンドで給油の後上湧別町に向かい出発。
上湧別の道の駅はかなり車が混んでいた。ここの道の駅はその名もチューリップの湯であり、旅の者には人気大である。それ故に夕方は特に混み合うのであろう。少し離れた場所に車を留め、今夜の宿とする。そのあとは、いつもの通り。因って件の如し、であった。
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'11北海道くるま旅( 第45日)

2011-07-26 04:22:24 | その他
《今日の予定》
クッチャロ湖畔キャンプ場→ベニヤ原生花園→道の駅:雄武→?


《昨日のレポート》
今日も静養日。終日クッチャロ湖畔キャンプ場で過ごす。と言っても今日は楽しい語らいの日だった。
昨日とは違って朝から天気はご機嫌斜めで、霧雨模様の雲に覆われて、涼しさを通り越して寒さを覚えるほどである。このところの北海道各地の天気は、暑さからは遠ざかっているエリアが多いようだ。これでは農作物に悪影響が出るのではないかと心配してしまう。見当もつかない天意である。
午前中は北海道の旅では必携となった、旅のガイド誌「HO!」を町中の本屋さんに買いに行く。一昨日予約していたもので、この地では販売の入冊数が少ないと聞いての対応だった。無事入冊したとの確認を電話でした後、今日は車での買い物とした。少し横着心が出だしたようである。
出掛ける前にiさんから、砂金採取仲間のKさんを紹介頂く。何だか良く事情が分からぬままにiさんに連れて行かれてご紹介頂いたのだが、写真や絵を書かれている方なのだという。しかし、作品を見せて頂き、いやあ驚き、感動した。Kさんのメイン作品はご本人がフリーアートと呼ばれている、自然界の植物などの素材を用いて作ったメルヘンの世界を創出した工芸・工作品なのである。特殊加工した厚みのある額縁の中には、昔懐かしい農村風景を描いたメルヘンの世界が巧みに表現されていた。木の実や乾燥させた葉や、野草の2㎜ほどの小さな花など、普段見過ごしている様々なその辺にある素材を巧みに使い、柿の大木に登って遊ぶやんちゃ坊主の子どもたち、一緒にじゃれ遊ぶ子犬、荷車の下に潜り込んだかくれんぼの子などなどが、精巧に作られて収まっていた。まさにフリーアートだなと思った。Kさんのお話では、大病を患った時に、自分の存在を確実に証明して残せるものが欲しいと気付かれ、それ以降写真や絵を描き始め、更にこのフリーアートに至ったとのこと。作品
の一部は先日泊まった道の駅:剣淵にも寄贈・展示されていると伺った。又剣淵町のメルヘンの館とは10年来のお付き合いがあるともお聞きした。人の思いというものは、必ずどこかで一所に集まるものなのだなと、その不思議を思った。Kさんにはそのほか絵と写真の作品も見せて頂いたが、どれも常人の何段階か上のレベルにあり、見る人の心を動かすものが秘められていると感じた。とても嬉しい出会いだった。iさんに感謝。多謝。
さて、午後はそのiさんご夫妻と昼食をご一緒し、夕刻近くになるのも気づかず、歓談の時を過ごした。お昼には相棒がiさんが手に入れられたこの湖で穫れたエビなどの天ぷらを揚げ、自分が先日音威子府で買って来た黒蕎麦を茹でて、山賊風の味で4人で食した。何しろエビはまだ生きて跳ねている奴なので、その美味いのなんの!。アルコールは封印のiさんを無視して、自分独りがビールもどきに有頂天になった次第。
さて、楽しかった歓談の中身は、いつものように秘密である。
お開きになる頃から空が明るくなり出し、何とやがて太陽が顔を出したのだった。雲は多く太陽にも薄い雲がかかっているけど、この分なら夕日が期待できるかも知れないと思った。そして待つこと1時間余り、ようやく湖面を茜に焦がして沈む夕日を見ることが出来たのだった。湖面全体と全天を真っ赤に染め上げるほどの夕日には至らなかったけど、それでもここに来て良かったと思った。自分的には日が沈んだ後しばらくの間の残照というか黄昏ゆく空の一瞬が何とも言えない時間だ。それは一日の終わりであると同時に一生の終焉の時でもあるような気がするのだ。そして、それはこの一日が、この一生がそれなりに満たされたものでなければ味わえないもののような気がするのである。
今日は満たされた日であった。
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'11北海道くるま旅( 第43日)

2011-07-25 05:43:39 | その他
《今日の予定》
終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
今日もここでゆったりと過ごすつもりでいる。できることならブログを書くのを止めて休止日としたい。その方がこれを読まれる方もホッとされるのではないかと思う。なにしろ写真一枚も無い、同じような長文・駄文の連続なのだから。
とはいうものの、今日は一つだけやらなければならないことがある。蚊取り線香を買いに行くことである。昨日、ここは蚊などの虫が多いことに気がつき、蚊取り線香を吊す容器を3つも取り出したのだが、肝心の線香本体が無かったのだ。北海道というか、北国の虫たちの毒は悪質で厳しく、一度刺されたら痒みと傷が治るまでに半端でない時間を要するのだ。虫に刺されて入院するという、とんだ災厄を被った人の話も、一人や二人ではない。北海道の旅では、蚊取り線香は必携・必需品である。事前にこれの在庫を確認しなかったのは、真に迂闊だった。
ということで、10時過ぎ、歩いて町中に買い物に出掛ける。キャンプ場からは20分ほどの距離に、小さなショッピングモール(?)があり、そこのホームセンターで蚊取り線香とヒューズを買う。昨日の車と冷蔵庫のトラブルで、iさんにすっかりお世話になり、予備のヒューズなどを用意しておこうと思った次第。板ヒューズも欲しかったのだか、ガラス管ヒューズしか無かった。この地で必要なものを思ったように手に入れるのは簡単なことではなさそうである。
浜頓別町は道北を流れる頓別川がオホーツク海に注ぐ川口の町である。この町の名を有名にしているのは、なんといっても砂金の採取だろう。その歴史のことは分からないけど、この川の本流なのか、それとも支流なのか、砂金が採れるということで、全国からそのファンがやって来る。勿論今では趣味の世界であり、時々それらファンのために砂金を撒いているという話を聞いたりする。ま、そんな事はどうでもいいけど、採れた砂金は本物だし、それを追いかける人たちの夢も本物である。大自然の中に夢を探すという地道な行為は悪いものではない。iさん初め何人かの砂金採取をこよなく愛する方たちの、熱の籠もった話を聞いて、そう思っている。
浜頓別町のもう一つの自慢はクッチャロ湖の存在だ。この周囲約27キロメートル、面積14平方キロメートル弱の湖は、昨日紹介した通り白鳥の飛来する、ラムサール条約加盟の湖である。海跡湖というのだそうで、長い年月をかけて海を取り込んでできたものだという。水深はごく浅いようで、真に穏やかな湖面は時として鏡のように対岸の風景を逆さに映すことがある。この湖畔にあるキャンプ場はまさに癒やしの場に相応しい。涼風にもたれて湖畔のさざ波を見ていると、心が洗われてゆくのを実感するのである。まだ白鳥たちには会ったことはないけど、寒い季節の好きな彼女たちも、この穏やかな湖がこよなく気に入っているに違いない。昨日、日本の最北の湖と書いたが、間違ってはいないかと、地図を見て確認した。自分の住む守谷市は茨城県では最も面積の小さな市で、約37平方キロメートルなのだが、この湖はその3分の1もあるのである。この湖の他にも稚内市近くに大沼というのがあるけど、あればやはり沼なのであろう。最北の湖は間違ってはいないと思
っている。
買い物から戻り、その後はまことにグータラの限りを尽くして夜を迎えたのだった。その有り様を伝えるのは、酷暑に苛まれて働いておられ方々の怒りを買うのは自明のことだし、何よりも自責の念が強い。この歳になって特段善人ぶるつもりも無いのだけれど、一人安楽を貪ることに後ろめたさを感じてしまうのは、生来の貧乏性と臆病者の証しの為せる性質に違いない。今日はその様な一日だった。
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'11北海道くるま旅( 第42日)

2011-07-24 06:28:01 | その他
《今日の予定》
終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
今朝の美深も早朝は深い霧の中だった。今朝の散歩は昨日とは反対方向に天塩川の堤防の道を1時間ほど歩き、帰りは牧場と畑の広がる田園の中の道を戻った。空気は冷たく旨かった。畑にはカボチャやアスパラやレタスなどが植えられて、短い夏を使いきろうとしているかの様に生長を急いでいた。1畝の長さが500mもあるので、これはもう大型機械無しには成り立たない農業である。どんな作物が出来上がるのか、収穫できたものを食べて見たいなと思った。
散歩から戻って朝食を済ませ、チェックアウトの12時までの時間をゆっくりと過ごす。Wさんご夫妻とも名残を惜しんで写真を撮ったりした。知人の何人かに現況を知らせるメールを送ったりした。その中のお一人のiさんから直ぐに電話があったので驚いた。何とこれから行こうとしているクッチャロ湖畔のキャンプ場に来ているのだという。偶然とは言えタイミングの良さにびっくりしてしまった。
やがて間もなく正午が近づいて、Wさんご夫妻に別れを告げ出発。最終ゴールはiさんご夫妻との再会が約されているクッチャロ湖畔のキャンプ場だが、今日は歌登経由で枝幸町のホテルに立ち寄り湯をしてから行くことにしている。
その前に音威子府のJR駅に行き名物の黒蕎麦を食べることにした。昨年知人から頂戴して食して以来の黒蕎麦のファンになってしまった。駅構内の小さなお店での立ち食い蕎麦なのだが、真っ黒に近い色の蕎麦には独特の風味があって、何故か北海道開拓時代の逞しきエネルギーがそこに秘められている様な味わいがするのだ。この蕎麦のファンは多い様で、昼時とあってか狭い駅の待合室に10人以上もの人が、思い思いに蕎麦を手繰っていた。相棒は天ぷらを入れたらしいが、自分は勿論掛け蕎麦である。蕎麦の味の真価は温かいものなら掛け蕎麦、冷たい奴ならザル蕎麦と決まっている。余計なものは要らない。(これは言い過ぎか)
これぞ北海道という味を楽しんだ後は、浜頓別町に向かう道を、途中の小頓別という所から歌登の方に向かう。歌登にもいい温泉があるのだけど、今日はパスして枝幸町のホテルの温泉に寄ることにしている。
枝幸を「えさし」と読むのは難しいと思う。えさしは追分で有名な道南の江差や岩手県の米どころの江刺などがあるけど、恐らく共通しているのはこれらの地名は皆アイヌの人たちが呼んでいた特徴のある場所だったに違いない。それが何なのかは知らないけど。枝幸は北見枝幸と呼ばれることも多いようだ。ここはカニが有名で我々がここを知ったのも、毎年7月上旬に行われるカニ祭りを見に来て以来である。町の山の手にあるホテルに行き温泉を楽しむ。
その後は一路クッチャロ湖を目指す。クッチャロ湖は浜頓別町にある日本最北の湖で、冬は白鳥が飛来し、ラムサール条約にも加入して保護に力を入れている。我々がここに行きたがるのは、何よりも夕日を見たいからである。空も雲も湖も、景色を作っている全てのものが茜色に染め上げられた、あの神秘的な景観を一度目にしてしまったならば、その虜にならない人は居ないように思う。今回も勿論それを期待・願望しての来訪なのである。間もなくクッチャロ湖畔キャンプ場到着。iさんはまだ戻っておられないようだった。
iさんご夫妻も旅で知り合った親しき方々である。奥さんが体調を崩されてこのところくるま旅を控えておられたので、お会いするのは久しぶりのことになる。ようやく旅に出られるまで回復されて、何よりのことと安堵している。iさんのご主人は魅力的な人物である。自分の旅での知人には、何故か物づくりに係わる方が多いのだけど、iさんも又ご自分で何でも出来てしまう魔法の力を持っておられる方だ。しかし、iさんの魅力はそれだけではない。多趣味というのか、常人の思いもよらぬ世界を覗き、歩いて人生を楽しんでおられるのだ。例えば在宅時は畑で野菜類の栽培に汗を流す傍ら、今は蜜蜂にも力を入れておられるのである。思いが一所に止まらず発展して、それが行動として実現してゆくのは素晴らしいと思う。旅に出ては、現在の専らの楽しみは、砂金掘りなのである。砂金というものがどれほど小さいものなのかご存知だろうか。一攫千金というけど、その現実は大へんなものなのだ。しかしそこに夢があるから、人は敢えてチャレンジをするのだと思う。iさんは夢をい
っぱい持っている人なのである。
そのiさんご夫妻と間もなく再会が叶う。奥さんも思ったよりお元気そうでよかった。ご主人には早速お世話になってしまった。実は数日前、ポータブル冷蔵庫の12V用コードのシガー差込口への扱い方を誤り、ヒューズを飛ばしてしまい冷蔵庫もラジオも使えなくなってしまっていたのである。後でなんとかしようと、当面は諦めていたのだったが、iさんにそのことを話すと、たちまち問題解決となってしまった。ヒューズも持参されていたものを提供頂き、冷蔵庫の方も応急の手当で復旧が叶ったのだった。真にありがたくも嬉しいことだった。
再会が叶って、今夜は歓談の時をと思っていたのに、夕食時に、iさんからここの湖で穫れたエビの手作り料理を頂戴し、それを肴に一杯やっている内に、すっかりいい気持ちになり、睡魔の誘惑に耐え難くなって、いやあとんだ失礼をしてしまった。真に面目なく、申しわけなし。明日は大丈夫のようにしますので、お許しあれ。
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'11北海道くるま旅( 第41日)

2011-07-23 06:22:36 | その他
《今日の予定》
美深アイランドキャンプ場→道の駅:音威子府→歌登グリーンパークホテル(温泉)→クッチャロ湖畔キャンプ場(泊)


《昨日のレポート》
昨夜の美深もかなりの寒さだった。北海道各地のこの季節の朝は、霧の世界から始まることが多いようだ。美深の今朝もしばらくは深い霧の中だった。自然と「牧場の朝」の唱歌が思い浮かび、散歩の足が軽くなった。牧童も鐘の音も無いけど牧場の情景は少しも変わらない。1時間ほどの早朝散歩を楽しんだ。今日は終日このキャンプ場で過ごすことにしている。
やがて霧は晴れ、青空が顔を出して暑さが膨らみだした。午前中は、かなり汚れがひどくなっている車の内外をきれいにすべく汗を流した。夏のくるま旅では、虫たちが衝突するので、車の前面の汚れはかなり酷い状態となる。それに雨の中を走ると、キャンピングカーという奴は車体の後ろの面がとてつもなく汚れるのだ。洗車は旅先では無理なので、とにかく丁寧に汚れを拭き取るだけである。かなりの暑さの中での作業は結構厳しかった。ついビールなどに手が行き、予定していた終了後の温泉入浴は、面倒くさくなってしまい、午睡となり、目覚めた後となった。
夕刻はWさんご夫妻とのパーティーで、楽しい歓談の時を過ごした。お二人合わせて170歳を超える現役のくるま旅実践者は、日本広しと雖もそうたくさんおられるものではない。Wさんのくるま旅歴は、奥様の健康を気遣われての早期退職以来もう四半世紀に渡っており、日本全国を訪ねておられ、特に北海道は、北海道在住の方よりもはるかに詳しいのではないか。
私はWさんご夫妻を、くるま旅の大先輩のお一人として尊敬して止まないのだが、その理由の最大のものは、このご夫妻に松尾芭蕉のような旅への情熱を感じているからである。「旅に病んで夢は枯れ野を駈けめぐる」というような旅への気迫を感ずるからである。芭蕉翁は一人旅(随伴者はいたけど)だったけど、Wさんはご夫婦二人旅であり、現代ならではの旅のスタイルだ。Wさんご夫妻のくるま旅にかける情熱の凄さは、老齢となられてお互い自身を自在に動かすのにも苦労されているのに、相手を気遣いながら、いわゆる介護の世界に入りながらも、遠く四国から夏の北海道へやって来られて、この地の恵みを目一杯享受されている、その姿である。とても常人にはできるものではない。とてつもなく強い意志と命懸けの覚悟、そして類い希なる責任感がなければこの様な旅は不可能だ。
世の多くの人は言うに違いない。老いた妻を車椅子に乗せ、自らも病で曲がった腰をたどたどしく動かしながら、車椅子を押している姿を見て、「何もそこまでして旅をしなくてもいいんじゃないか。何かあったらたいへんだし、周りに迷惑をかけるんじゃないか」と。そのことを一番思っているのは恐らくご家族の方々であろう。そしてそれ以上にそれを承知しているのは、ご本人なのではないか。覚悟というのはその様なものなのだと私は思っている。ご本人もご家族も覚悟されているのである。
私はWさんご夫妻の生き方を支持したい。いや、したいのではなく支持する。そして、大きなエールを送りたい。くるま旅の先駆者のお一人としての、その情熱を驚異と尊敬と憧れを持って支持したい。夫婦としての生き方の、かけがえのないお手本を見せて頂いていると思っている。Wさんご夫妻に深刻さを見せられたことは一度もない。ジョークの巧みなご主人から、奥様を介護することの深刻さやご自身の病の深刻さを感じたことはない。これは達人の生き様なのだと思う。
思わず長くなってしまったけど、Wさんご夫妻とのささやかなパーティーは、自分にとっては大きな学びの場であり貴重な時間だった。どうかこの後もご無事で毎日が旅の恵みに満たされたものでありますように。お二人のご健康を心から願い、祈ったのだった。
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'11北海道くるま旅( 第40日)

2011-07-22 06:06:55 | その他
《今日の予定》
終日美深アイランドキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
剣淵の道の駅の一夜はとてつもなく寒かった。朝起きてみると寝床の天井のつなぎ目の所に水滴が着いていた。これは真冬の旅車の社内の現象と同じだ。昨夜は外気は冷蔵庫内温度に近かったに違いない。猛暑に苛まれ、台風の強風と大雨に大迷惑を被っている所があるというのに、この落差には戸惑うばかりである。小さいようでも日本列島というのは一つには括れない個性の集まりなのだなと思った。
剣淵町は絵本をウリにしている場所でもあり、道の駅も「絵本の里けんぶち」と命名されている。町の中に「絵本の館」というのがあり、以前に訪ねたことがあったのだけど、生憎その日は休館日だった。今日はもう一度訪ねて絵本の世界を覗いてみたいと思った。今日の予定は、名寄市の北に隣接する美深町のキャンプ場に滞在されているくるま旅の大先輩で長老のWさんご夫妻を表敬訪問しることにしている。
10時過ぎ近くの剣淵町市街地にある「絵本の館」に向け出発。直ぐに到着。今日は休館日ではなく大丈夫だった。
中に入るとたくさんの絵本が時期のテーマ毎に区分されて並べられていた。蔵書は約5万冊とか。こんなにたくさんの絵本を見るのは初めてのことだった。
自分も童話や絵本には興味があり、書いてみたいと思ったこともあった。もう無理だと思うけど未練のようなものがまだどこかにある。童話や絵本は、あらゆる生き物や存在に対する本物の優しさがなければ書けるものではない。自分にそれが足りないことは重々承知しており、特に絵心の無い自分には遠い世界だと思っている。今日はせめてどんな作品が子どもたちやその親たちの心を惹いているのだろうと、写真を撮り何冊かを覗いてみた。
童話や絵本と言えば幼児たちの世界向けの話だと錯覚している人が多いけど、本当に読まなければならないのは大人と呼ばれる世代ではないかと自分は思っている。まだ汚れの少ない頃の、何事も素直にそのままに受け止め、吸い取ることができた、その感性の原点に戻って(そのつもりになって)何冊かの絵本の世界に浸ったのだった。
絵本の館の建物もユニークで、楕円形の平屋の造りの中には絵本のみならず他の書籍や展示場などもあり、文化の香りの高い施設だった。1時間ほどその文化を楽しんだ。今度は、もっとじっくり過ごすつもりで再訪したいなと思った。
絵本の館を後にして、名寄方面に向かう。士別市街は素通りして、元風連町にある道の駅:もちごめの里☆なよろに立ち寄る。ここで昼食休憩。駅舎の売店の片隅に置いてあるパソコンで、久しぶりに自分のブログを覗いてみた。編集画面にアクセスしようとしたが、出来ずに残念だった。やっぱりネットを覗ける機材を何とかしないと、自分自身が置き去りにされてしまうなと思った。書くというのは、読んで貰えるという相互コミュニケーションの上に成り立っものであり、ワンウエイでは力のないものになってしまう。旅に出るとその度合いが酷くなってしまっているようだ。
昼食休憩のあとは、今日のゴールの美深町を目指して出発。名寄郊外から高速道に入ってみた。ここからだと高速道も一般道も美深町までに掛かる時間は大して変わらないのだが、気まぐれで入ってみた次第。昨年と同じかなと思って走っていたら、いつもの終点から先にも新しい道が出来ており、この高速道が見直しの対象からは外れていたことを知った。美深までの1区間だったけど、世の中が動いているのを感じた。このところの政治や行政は大震災や原発事故に塗れて停滞に拍車をかけている感があり、道路行政のことは忘れられているのかと思っていた。とにかく1区間は敷設が進んでいた。
13時半美深アイランドキャンプ場に到着。直ぐに受付にて手続きを済ませ、Wさんご夫妻の近くの区画に車を止め、ご挨拶に参上する。Wさんご夫妻はお二人とも喜寿を遥かに超えておられ、そのくるま旅にかけられる情熱はまさに驚異的だ。お二人とも幾つかの大病を克服しながら、或いは戦い、なだめすかしながら、旅で生きる力を汲み上げながらここまでやって来られている、そんな風に思えるのである。くるま旅にかける執念は並みではない。我々夫婦もWさんご夫妻を目標に88歳までのくるま旅の実現を目指して「88ー55」を車のナンバーとしているけど、さて本当のところこの先どうなるのかは見当もつかない。
しばらく歓談の後車に戻り荷物などの整理を行う。ここは有料のオートキャンプ場なので水や電源もあり、今まで洗いが中途半端だった食器類などを洗い直すというのが相棒の待望のチャンスだったらしく、いろいろな物を取り出して洗っていた。それらを見ている内に何だか疲れが一度にどっと押し寄せて来たようで、風呂に行く気にもなれず、ざっと夕食を済ませ、寝床に潜り込んだのだった。Wさんご夫妻がお元気なのを確認して、安堵感がそうさせたのかも知れない。ストンと眠りに入ったのだった。
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