山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

07北海道の旅: 第61日

2007-08-31 07:06:33 | くるま旅くらしの話
旅の最後のイベントが終わって、今日はひたすら家路を辿るだけの行程である。帰心矢の如し、では全くないのだが、旅の終わりになると、帰った後の野暮用などのことをあれこれ思い出して、脇目も振らず走ることが多い。今回はゆったりと帰りたいというのが相棒の希望だったが、それは叶わなかったようだ。8時半過ぎ田舎館の道の駅を出発してから、東北の中央部をほんの少し休憩を取りながら南下する。秋田県の山の中を走り、山形平野を走り、米沢から山を越えて福島市に隣接する安達町の道の駅に着いたのは、夜の9時近くだった。走行距離481km。さすがに少し疲れた。内地の道は車が多い上に工事が多くて、車の流れが止まることが多い。イライラを鎮めるのに慣れるのに時間がかかった。もうブログを書く元気も無い。
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07北海道の旅: 第60日

2007-08-30 07:07:40 | くるま旅くらしの話
内地でも、この辺りになると、さすがに朝夕は涼しくなって、北国であることを実感させる。昨夜の眠りは快適だった。今日は夕刻の旅の放談の時間まで、特に予定もない。どうするか迷ったのだが、相棒が旅の間使い続けた布団類を洗濯したいというので、弘前郊外のコインランドリーに行って、それをやってしまうことにして出発。春の旅で利用したコインランドリーの場所はすぐ分かった。洗濯している間に、次第に日差しが強くなって来て、かなりの暑さとなった。終わるまでの間にブログの投稿記事を書く。携帯でのブログ投稿は、3千字を超えると、どうしても2時間近くかかってしまう。このような待ち時間には、好都合の仕事ではある。知らない間に洗濯は終り、12時近くになっていた。とにかく暑いので、日陰を探して移動することにして出発。山の方へ行けば何とかなるだろうと、道の駅:虹の湖を目指す。着いてみると、駐車場の隅に僅かに木陰があったけど、日差しを遮るにはとても足りない。しかし、これ以上山の中に入るのもどうかと考え、僅かの木陰を大事にすることにした。少し風があり、窓を開けるとそれが通って気持ちよい。久しぶりにご飯を炊いて昼食とする。その後は今夜の話の準備チェックを済ませて、午睡。目覚めたら16時近くになっていた。寝ながらも汗ばんだので、温泉に入ってから行くことにして、昨日と同じ温湯温泉鶴の湯へ。ここの入浴料は二人分で380円也。今どき滅多にない金額である。施設もきれいだし、泉質もいい。満足である。黒石温泉卿には、ここの他にも、板室温泉、落合温泉、青荷温泉などがあるが、今のところまだ温湯以外には行ったことがない。何れも鄙びたいい温泉に違いない。温泉を出た後は、今夜の話の会場となる津軽こけし館の前にある、「花いちもんめ」というお店へ。このお店は、お蕎麦屋さんなのだが、古い布をリメイクした様々な作品の展示販売などもされており、相棒がひょんなことから、お店の経営者のKさんと知り合い、我々がくるま旅をしていることに興味を持たれたKさんが、今回の企画を提案され、今日に至った次第である。花いちもんめは、不思議な雰囲気を持ったお店である。Kさんの息子さんが打つ蕎麦は絶品だが、蕎麦屋なのにお店の中には、この地方の人たちがかつて着た着物の布地を巧みに使った、様々な作品が所狭しと展示、販売されていて、それらが懐かしいふるさとの匂いを漂わせているのだ。相棒などは、裂き織りの布地の入手だけではなく、このお店の持つ雰囲気全体の虜になってしまった樣だ。今回は、7月初めここに寄った時、偶々相棒が拙著「くるま旅くらし心得帖」の話をし、それに関心を持たれたKさんに一冊お買い上げ頂き、それがきっかけで、帰りに寄って旅の話を聞かせて欲しいということだったのである。普通、このようなお話には乗らないのだと思うが、話のことよりもこのような機会を通して、新しい出会いがあるのではないかと考え、Kさんのお申し越しをありがたくお受けしたのだった。しかし、いざ本番となると大した話ができるわけでもなく、ぶっつけ本番でひんしゅくを買うのではないかと心配である。 19時開始。どのような方がお見えになるのか、期待と不安を持って会場の座敷へ行くと、何と6人もの方々が座っておられ、びっくりした。その後お出でになった方もおられて、8名の方々の前で話をさせて頂くことになった。実は内心3、4人位でもありがたいなと思って居たのである。Kさんにご紹介頂いた後、自己紹介などをさせて頂き、旅の理屈や今回の北海道の旅の報告の樣なことをさせて頂いたのだが、何しろ自分といえば、昔から話がくどくて、飛び回っていて、支離滅裂的傾向のある話し方なので、果たしてどれほど真意をお伝え出来たのか、汗顔の至りである。Kさんから、その後ご出席者の皆様を、お一人ずつご紹介頂いたのだが、何れの皆様もこの地の名士でいらっしゃって、益々冷汗は出続けるばかりであった。Kさんの幅広い人脈にはただならぬものを感じた。此処にお一人ずつご紹介したい気持ちがあるけど、失礼となるので控えさせて頂きたい。Kさんの息子さんが作られた料理を頂きながらの歓談は、今回の旅の思い出の中でも特に印象に残るものだった。そして何よりも嬉しく、ありがたいことは、いっぺんに8人もの知己を得たことである。この出会いは貴重だ。Kさんに深く感謝申し上げたい。ありがとうございました。 21時頃散会となる。一度にたくさんの知己を得た喜びをかみしめつつ、Kさんの花いちもんめにお別れを告げる。これからも楽しいことがたくさん起こりそうな予感がする、とても充実した時間だった。今夜の宿は田舎館の道の駅。10で到着。軽く一杯やりながら反省会を行い、興奮を鎮める。旅の終わり近くになって、このような時間が持てたことに感謝しつつ眠りに就く。
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07北海道の旅: 第59日

2007-08-29 07:27:38 | くるま旅くらしの話
小川原湖畔のこの道の駅には、春にも来ていろいろとお世話になった。一夜明けて、あらためてこの地の良さを思った。今は合併で東北町となったが、旧上北町の素朴な温泉街は、らしからぬ本物の温泉の郷を実感させる。派手な温泉街よりもこのような、温泉がどこにあるのかも判らないない様な温泉の名所が好きだ。だからこの辺を通る時には必ず寄ることにしている。ところが、昨日は相棒が珍しく午睡をしたため頭が痛いなどというものだから、温泉には行かなかいという結果になってしまった。朝の道の駅は静かだったが、8時半を過ぎると何故か騒がしげになって、車が増えてきた。此処も野菜などの地元産物の販売に活気があって、開店時間を待っているお客様がいるのだ。我々も超高品質、超安価の枝豆などをゲットした。嬉しくなるほどリッチに並べられている野菜の中に、ミズの実というのがあった。春の代表的な山菜にミズというのがあるが、どうやらその実らしい。ミズというのは、ウワバミ草のことらしいのだが、落語の話とは大分イメージが違うようだ。この実はその後、奥入瀬の道の駅でも見かけだが、同じくらいの量なのに、小川原湖の道の駅のものは半額以下売られており、随分と落差があるものだなと思った。小川原湖の道の駅の野菜販売の豊かさは、日本でもハイレベルにある様に思う。青森県のこの時期の農産物は最高だ。さて今日はフリーな1日である。明日夕刻、黒石市郊外の某所で旅についてのおしゃべりをすることになっており、それまで特にすることもない。日中暑くなりそうなので、奥入瀬渓谷に行き、木陰の中で過ごすことにして出発。途中旧十和田湖町にある道の駅に立ち寄る。珍しくソフトクリームなどを食べたが、メロン味のそれはコクがあって美味かった。奥入瀬渓谷に入ると、道は完全と言って良いほど樹林に囲まれて、爽快な涼しさとなった。此処に来たのはまさに正解だった。石ケ戸に着いてみると、同じ様に考える人は多いのか、駐車帶はかなりの車で埋まっていた。隅の方に車を止め、長居を決め込む。日差しはかなりキツい様だが、木陰の中の車は天国だ。軽く昼食を済ませ、その後は明日のために、今回の旅で二人が撮った写真をチェックする。相棒は風景写真を中心に2千枚ほど、自分はデジカメ日記を付けているが千枚には届いていないと思う。一通り覗くと忘れていた旅の思い出が浮かび上がってくる。写真は旅の記録には不可欠だと思う。特にデジカメ日記は有効だ。パソコンを携帯するのは面倒なのだが、気楽に記録を残すことができる。撮った写真に簡単なタイトルをつけるだけで、後での記憶は抜群に正確になる。去年から始めたが、今は一年を通しての習慣の様なものになってしまった。2時間ほどかかってチェックを終えた後は、待望の昼寝。本当は渓流に沿った道を散策するのが正しい時間の過ごし方だと思うが、春の季節に存分に体験済みなので、より贅沢な昼寝を選択した次第。 16時近くになって、さて今夜の宿をどうするか検討。十和田湖畔にあるキャンプ場行ってみて、良ければ泊まることにし、ダメなら山を降りて黒石市郊外の虹の湖という道の駅に泊まることにして、とにかく移動開始。子ノ口で十和田湖に出て、左折して休屋方面へ。新しく出来たトンネルを抜けしばらく走ると、キャンプ場があった。案内板を読むと、オートキャンプは一泊3000円だという。我々には高すぎる料金だ。パスして山越に。道の駅に着く迄には考えが変わって、とにかくすぐ近くにある温湯(ぬるゆ)温泉に入ることになった。今日の宿の決定は、間際になって二転三転することが多いが、今日もその典型的な日で、温泉から出た後は更に山を下って、田舎館の道の駅に泊まる結果となった。ま、今日はざっとこのような次第だった。走行距離は121kmでした。
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07北海道の旅: 第58日

2007-08-28 09:49:05 | くるま旅くらしの話
今日は北海道から別れ、内地へ渡る日である。朝一番のフェリーに乗ることにして、6時半頃出発。フェリー乗り場に行ってみると、来た時とはすっかり変わっていて、少し戸惑った。このフェリー会社では近く高速フェリーを就航するとあって、フェリー乗り場施設の大改造を行った様だが、今のところ利用者にはあまり評判は良くない様だ。売店は狭く品揃えも不足、又トイレが狭いことにも不満の声が大きい様だ。新高速フェリーが就航した暁には、これらの問題は解消するのだろうか。しっかりと足元を見た運営を期待したい。9時出発。ブログの投稿記事を書いている内に大間近くまで来てしまった。暑い。空を薄い雲が覆っているので、日差しはそれほどでもないのだが、蒸し暑いのだ。これは北海道とは少し違う様だ。車窓に風を入れながら久しぶりの下北半島を走り、昼過ぎ横浜の道の駅に到着。此処で昼食休憩。名物のホタテコロッケやホタテごはんを食す。美味なり。されど暑い。どうにもならず、車のクーラーをかけながら食事。クーラーはかけない主義なのだが、それは無理の暑さだった。今日は春に訪ねた小川原湖畔の旧上北町の道の駅に厄介になるつもりでいる。その前に七戸の道の駅に寄ることにして、横浜を出発。暑い。時々見る道路条件の表示板では29℃となっていた。これでもこの辺りでは、かなり凌ぎ易くなっているのかも知れない。道の駅近くになって、猛烈な睡魔に襲われる。何とか我慢して、道の駅に着き、直ぐに仮眠。ホントに眠かった。危機一髪という感じだった。やれやれ。七戸の道の駅近くに東北新幹線の新しい駅ができる予定で、今その工事の真っ最中だ。春に来た時には道の駅の駐車場は工事関係の車でいっぱいだったが、今日はさほどでもなく、工事のペースも落ち着いたということか。短い仮眠の後、地元物産の販売所を覗く。やはり東北の野菜は日本一だと思った。北海道にも良い所はあるが、青森まで来ると、野菜を見て何故かホッとする。やはり自分は内地の人間なのであろうか。七戸を出て小川原湖畔の道の駅へ。此処は今年の春の旅でたいへんお世話になった所だ。なんとなく懐かしい。その時と変わっいるのは、暑さと販売所に並ぶ野菜類の顔ぶれくらいか。いつもの駐車場の定位置に車を止め、しばらく午睡休憩。少し風があり、眠るのにちょうどの涼しさだ。二人とも、やはり少々旅に疲れたのかも知れない。17時頃目覚めたが、少し元気が回復したようだ。明日は奥入瀬辺りに行って、濃緑の空気を胸一杯吸って、これからの炎暑地獄に耐えるパワーを培いたいと思っている。今日の走行182km。
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07北海道の旅: 第57日

2007-08-27 09:59:13 | くるま旅くらしの話
ニセコの道の駅は、夜間も騒音がひどいのかと心配したのだが、これは全くの杞憂だった。国道を通る車も少なく、ルール違反の車や人も居なくて助かった。この旅の帰り道に、青森県の黒石市のあるお店で、旅についての話をすることになっていて、その日程が未定だったのだが、今朝方確認して、29日に決まった。それで明日のフェリーに乗ることにして、今日は恵山在住のWさんに今年の別れを告げることにする。Wさんは、我々にとって北海道来訪時と帰途時にご挨拶しなければならないことにしている、言わばお代官様のような方である。早速電話をして、強引なトーンで今日のお邪魔を了承頂いた。ニセコの道の駅は、北海道では珍しい活気溢れる農産物の販売が行われている。朝方から地元の農家が、畑で採れた様々の蔬菜類を運んで来て、販売所のカゴを埋めてゆく。開店時間が来ると、待ちかねていた来訪者が、それを求めてレジに列をつくるのだ。ニセコの他にもルスツや長沼町のマオイの丘など活気ある道の駅は幾つかあるが、これらに共通しているのは、生産と販売を結びつけるしっかりした仕組みがあるということだろう。町村の活性化は、どんなに優れた資産や技術を保有していても、それらを活かす仕組みがなければ、力は発揮されない。ニセコには発揮されている力が、益々良い方向に回転して、強化されているのを感じた。我々も土産として、メロンやジャガイモなどを買った。ニセコを出た後は、蘭越、黒松内の道の駅に寄りながら、長万部でカニ弁当をゲット。カニは相棒の大好物で、長万部を素通りすることは不可能である。恵山に行く前に、七飯町の東大沼公園のキャンプに寄り、買って来たトウキビを茹でる。此処で先月稚内で別れた和歌山ナンバーのMさんに再会する。その後の出来事などを懐かしく話合った。2時間ほど休んだ後、東大沼温泉の留の湯へ。我々は留の湯の中にある安政の湯のファンで、此処へは毎年必ずやって来る。実にソフトな優しい湯なのだ。今年の北海道の旅の疲れをまとめて取り去った。夕刻、恵山のWさん宅にお邪魔する。奥さん心尽くしの家庭料理をご馳走になりながら、杯を片手に夜遅くまで、旅のあれこれを語り合った。北海道の地元玄関函館に、この様な知己を得ることができた幸運に感謝すると共にこれからもこのご縁を大切にしたいと思った。Wさんご夫妻本当にありがとうございました。ご馳走さまでした。車に戻りたちまち爆睡。今年の北海道最後の夜は、いつもの様に他愛も無く過ぎていった。
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07北海道の旅: 第56日

2007-08-26 07:17:02 | くるま旅くらしの話
昨夜も凌ぎ易くてありがたかった。あと数日経てば熱帯夜の中に身を置かなければならないのだと思うと、今の天然の涼しさを大事にしなければならないと思う。千歳の道の駅は、サーモンパークと呼ばれる公園にあり、直ぐ傍を千歳川が流れている。サケのふるさと館という建物があり、サケについての科学博物館のようなものらしい。一度入ってみたいとは思っているのだけど、何しろ入館料が高いので、ずーっと二の足を踏んでいる。大人800円、シルバーは半額となるが、二人合わせて1200円は高負担と言わざるを得ない。笑うことなかれ、年金暮らしには、それほどの出費ならば、鮭の切り身を買った方が生きていることをずーっと実感できるのだ。という訳で今回も入館は見送りとなる。インディアン水車の所に行ってみたが、サケの捕獲の様子は全く見られなかった。僅か数匹の遡上のサケが見えたが、昨年は8月初めだったのに水車が大回転でサケを取り込んでいたのに、今年はどうしたことなのかと思った。サケのことはサケに訊かなければ分かるまい。今日は道南に向かっての移動日である。このところ千歳からは支笏湖畔から美笛峠を通って洞爺湖に行き喜茂別に抜けるコースを行っているが、今日は久しぶりに苫小牧から海岸線を洞爺湖経由でルスツ方面に向かうことにした。泊まり先は未定である。9時半過ぎ出発。R36に入り、千歳空港脇を通って暫く走ると間もなく苫小牧へ。イオンがあったので立ち寄る。この辺りでは、確かハスカップの加工品が名物で、何年か前ハスカップのソースをおみやげに頂戴したことがあり、それをヨーグルトにかけて食べると絶妙の味がするのを思い出し、探したのだが見つからなかった。あまりにも店の図体が大き過ぎて、地元の名産や特産品にまで目が届かないのかと思った。あれは、空港の売店でしか手に入らないのだろうか。残念。苫小牧から白老町を通り、12時少し前に室蘭郊外の地球岬に到着。室蘭には何度か来ているが、ここに来たのは初めてである。この頃は積極的に観光をする気持ちが薄れて来ており、ついでに見ようという感じなのである。それでここに来るのが遅くなったという次第。ま、そのようなことはどうでもよろしい。今日の地球岬からの眺望は素晴らしかった。遠く有珠山や昭和新山が、噴火湾の左方の果てには恵山迄もが見えた。何よりも眼下に広がる太平洋の海の碧さが素晴らしかった。マリンブルーとはまさにこの色なのだろう。地球が丸いということもしっかり実感できた。アイヌ語のチキウは地球とは全く意味が違うようだけど、そのことは措くとしよう。地球岬を降りて、白鳥大橋の袂にある道の駅にて昼食。久しぶりに特製のうどんを食す。1カ月前は寒くてうどんは温まるには好都合の食べ物だったが、今日はカンカン照りの暑さなので、やけくその汗を流しながらの食事だった。白鳥大橋は自動車専用の橋の様である。長さなど詳しくは知らないが、室蘭港湾を一跨ぎする名橋と言って良いと思う。まさに大空に羽ばたく白鳥の如き優雅さを持っている。去年三回も歩いて往復した、しまなみ海道の多々羅大橋を思い出した。その白鳥大橋を渡り、R37に入って伊達市方面へ。伊達市や隣の虻田町(今は合併で洞爺湖町)と言えば、何度か前の有珠山の火山活動で大被害を被った所だ。此処を通るのはあの時以来初めてである。有珠山は今でも不気味だし、昭和新山の熔岩ドームを見ると不気味さを通り越して恐怖感を覚える。君子危うきに近寄らずであるが、君子どころか馬の骨の小人なので、時々危うきものに近づきたがるのである。伊達市を過ぎ、新しくオープンした虻田の道の駅に立ち寄る。先日TVでサミット弁当というのを紹介していたので、手に入るかなと期待したのだが、それは儚い夢だった。ウニ丼も売り切れで、残っているのは平凡なメニューだけ。サミットが終わった後の没落が心配だ。サミットで町おこしなどを考えるのは危険だなと思った。一時的なイベントを恒久的なものと勘違いする様な発想は躓きの元である。がっかりしながら一本40円のトウキビを2本買った。この商売はサミットが終わってもビクともしないだろうと思った。こんな値段でトウモロコシを買ったことは無い。虻田からはR230に入り、洞爺湖畔を走ってルスツの道の駅で小休止。途中、洞爺湖全景を見下ろす山の上にサミットの会場となるホテルが見えた。その頃、有珠山が暴れなければよいがと思った。そろそろ今夜の泊まり場所を考えなければならない。京極町に新しく道の駅が出来たので、とりあえずそこに行ってみることにした。京極町はふきだし公園という羊蹄山の伏流水が湧き出している所があり、そこで水を汲むのを楽しみにしている。どうやらその近くに道の駅が出来たらしい。行ってみると、予想通りだった。しかし小さな物産館の建物が新しく建っただけで、何も変わってはいない。坂の途中にあるので、泊まるのには勇気がいる。とりあえず水だけを汲んで、ニセコに向かう。ニセコでは曽我森林公園に泊まろうかと思っていたのだが、結局は何だか動くのが面倒くさくなって、ニセコの道の駅にお世話になった。やれやれ。今日の走行は222km。
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07北海道の旅: 第55日

2007-08-25 07:57:58 | くるま旅くらしの話
マオイの丘というのにはどういう意味があるのか、さっぱりわからない。アイヌ語であることは確かだけれど、今回は地名辞典を持って来なかったので見当もつかない。近くに馬追名水だとか真生神社などと呼ばれる所があるが、これらは全てアイヌ語の同じ意味から来ているのであろう。やっぱり荷物になっても辞典を持ってくれば良かったと、再三の反省ばかりである。そのマオイの丘の道の駅を出て、今日は札幌厚別区在住の、相棒の知人のTさんの所に向かう。女性同士存分に話しされるのが良かろうと、相棒にはタイムリミットだけを念を押して、自分はどこか適当な木陰でも見つけて、溜まっている記録の整理でもしようと考えている。10時少し前に出発し、1時間足らずで待ち合わせ場所に到着。其処でおさらばしようと挨拶をしたのだけど、Tさんは自分のことも含めてお昼などを用意されておられるとか。どうしてもとおっしゃるので、それではとご好意に甘えることにする。Tさんの車の先導で、ご自宅までお邪魔することとなった。その後は、電源を頂戴して安心などしてしまって、まぁ、自分としては想定外(?)の一日となった。Tさんと相棒は、何年か前お互いに方やTさんは北海道開拓の村、方や相棒は江戸東京たてもの園でのガイドなどのボランティア活動を行っていて知り合った仲であり、話しの波長が合うらしい。Tさんは今でもその活動を継続されているが、相棒の方は転居のため活動を断念している。Tさんには転居後の我が家に一度お越し頂いたことがあるので、初めてお会いするというわけではない。ご主人は現役で仕事に励まれておられるのに、その留守中にお邪魔して、女性同士の旧交を温める場に割り込むというのは、何だか後ろ目たいような罪悪感がある。しかし、その割には図々しく上がり込んで、旅の話しなどの半分以上は占有してしまっているのだから、気持ちと言動の乖離には雲泥の差があるようだ。二人は織物や編み物などで共通の趣味の話題が山ほどあるようだが、自分と言えば全く無縁の世界で、雨露と寒さを凌げる着物さえあれば、その材料も形も色合いもさして関心のない人間なので、とても話しには入れない。Tさん専用の部屋(大きな織機とテーブルが置かれ、片側の壁に設けられた収納棚には様々の織物や編み物の材料が並べられている工房である)にご案内頂き、相棒は感嘆と羨望の声を発していた。Tさんは、織物や編み物の素材づくりである糸の紡ぎや染めまで手掛けられるプロ級の方と知って、相棒はカルチャーショック+αの衝撃を受けたようである。手作りの昼食をご馳走になり、暫く歓談の後、ムツクケキ者は退散すべきと考え、車の中に入って記録の整理などをする。 16時になっても話しが終わる気配がないので、声を掛けたが、やっぱり時間のことなどはどこかにすっ飛んでしまっていたらしい。とにもかくにも相棒にとっては刺激の多い、嬉しくも楽しい時間でありました。自分にとっても想定外とは言え、想定内のみすぼらしい時間よりは遥かに潤いのある充実した時間でありました。別れ際にはたくさんの物を頂戴し、恐縮の極みです。Tさんにはあらためて深謝申し上げます。Tさん宅を出た後は、今夜の泊まり予定の千歳の道の駅に向かう。途中給油し、明日以降の移動に備える。千歳川に作られたインディアン水車という、言わば自動鮭捕獲装置のようなものがある道の駅に着いたのは17時半頃だった。今日の日中もかなり暑かったが、夕方になって急に涼しくなり、風が吹くと寒さを覚えるほどだ。北の国には確実に秋が腰を下ろし始めて居るのであろう。相棒の今日一日の感動の反芻に適当に相槌を合わせながら、睡魔には勝てずやがて寝床に。良い一日でした。Tさんありがとうございました。ご主人にくれぐれもよろしくお伝えください。
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07北海道の旅: 第54日

2007-08-24 07:34:03 | くるま旅くらしの話
昨日に引き続いての移動日。明後日相棒が札幌在住の知人と会う予定で、今日は札幌に隣接する長沼町の道の駅:マオイの丘に泊まるつもりでいる。此処からは200kmそこそこの距離だろう。R274で、日高経由でそのまま行けばいいのだが、途中夕張に寄ることにしている。鹿追の道の駅も来年までおさらばである。物産館を覗いたら、地元然別高原産のジャガイモがあったので、1箱ゲット。まだ家から持参した分が残っているというのに。その他1本80円のトウキビも買う。9時半出発。清水町から日勝峠に向かう。だんだん坂が厳しくなって、車にはあまり走りたくない道だろう。峠のトンネル近くの最高点は千メートルを超えていた。北海道内では一番厳しい峠なのかも知れない。何しろ山の中で、注意の看板も「熊出没注意」ではなく、「熊鹿飛び出し注意」とある。鹿の飛び出しは体験して分かるけど、熊の飛び出しは未経験だ。とにかく、この辺りは熊君や鹿君たちの本来の住処なのであろう。追い越され車線ばかりを走り続け、坂を下って日高町の道の駅で小休止。道の駅舎内の売店は来る度に寂れて、今日は小さなシャッター通りが出現していた。単なる定休日ならいいのだが。日高町からは、もう一度山坂を登り下って、途中から芦別に向かうR452に入り、更に道道で夕張市街へ。夕張市は、今試練の時を迎えている。先日メロン城が再開されたと聞いたので、何か土産物でも買って行こうと寄った次第。相棒はメロンゼリーのファンでもある。メロン城は夕張の奥まった丘の上にあるが、途中の市街地を走りながら、在りし日の束の間の繁栄を想った。仕事の関係もあり、たくさんの夕張出身の人を知っているが、彼らはどのような思いで、今の故郷の在り様を見ているのだろうか。静まり返って人影も見えない街を通りながら、斜陽化とそれを乗り越えようとして失敗し、財政破綻してしまったという二重苦のどん底にいるこの街が、一日も早く元気を取り戻すことを願わずにはいられない。メロン城の駐車場に着いて、先ずは昼食休憩。自分は先ほど買ったジャガイモを茹でて食べる。一年365日朝昼晩ジャガイモを食べても飽きないほどのジャガイモ大好き人間を自認している。しかし、相棒はそうはゆかないので、ご飯を炊いて正常なる食事。食事が済んで、メロン城の物産館へ。此処のメロン城本館は物産品の製造工場になっている。物産館の中は、少し商品のメニューもボリュームも少なくなっている様に感じた。相棒が目当てのメロンゼリーは9月に入ってからの販売とかで、ゲットできず。何だか気抜けした感じだった。所感を述べるならば、この様な商売のやり方では、再建は厳しいのではないか。内情実態は知らないので、見当違いのコメントになれば幸いだが、先ずはマーケティングが出来ていない様だ。お客様が夕張の何をどのように欲しがっているのかを関係者全員が知らなければならない。売店の店員のおばさんは今のところ、その様なこととは無関係な世界で仕事をしている様である。作る方も、例えばメロンゼリーにしても、他のエリアでは既にメロンゼリーを製造販売してもいるのを知りながら、此処は9月からですと今すぐそれを欲しがっている客に断言させている様なやり方では、マーケットのニーズに応えて行くのは難しいのではないか。材料調達の問題・事情もあるのかも知れないが、自分たちの都合に甘えている限り、お客様の贔屓心を引き出すことは不可能だと思う。もしメロンゼリーを期間限定、地域限定の商品として売り出すのなら、然るべきPRが不可欠だ。コスト無しで利益だけを追求出来るビジネスなどこの世に存在しない。ドロボーでも詐欺でもコストはかかっている。コスト削減ばかりに集中して大局を見失うと、人間の持つ活力、エネルギーが萎えてくる。メロン城も夕張の街の全てが元気を取り戻す為には、コストダウンの発想は最小限にとどめ、しっかりしたマーケティングの下に周知を活かした施策を展開すべきではないか。この様なコメントが、良い意味で見当違いであることを重ねて願いたい。夕張を出て、長沼町の道の駅に着いたのは15時少し過ぎだった。長くなってしまったので、今日はここまでで終わり。
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07北海道の旅: 第53日

2007-08-23 06:52:29 | くるま旅くらしの話
ついに帰途につく日が来た。まだ関東は地獄の暑さなのにどうして帰るの?というのが回りの人たちの気持ちだと思うし、自分たちもそう思う部分があるが、この世に生きるというのは、全てを自分の思うままに出来ないことを意味している。とにかく9月までには帰らなければならないのだ。別海町ふれあいキャンプ場に残った仲間の皆さんの盛大な見送りを受けて、名残を惜しみつつ10時半出発。先ずは釧路を目指す。北海道の道は札幌などの大都市を除けば、内地のようなコセコセした道などどこにも無い。別海町も標茶町も牧場と原野が果てしなく広がる中を道が続いている。走る車も殆どない。今日は風がかなり強く、この車にとっては少し厳しい条件での走りとなった。2時間ほど走り、釧路市内を走っていると、携帯が鳴った。相棒が出ると、旅の友人伊東さんからだった。何と、今すれ違ったらしい。相棒もそれらしい車を見たと言う。確認の電話だった。ちょっと会いましょうと言うことになり、近くのホームセンターの駐車場で落ち合う。いやぁ、面白くも楽しい。伊東さん夫妻とは、今年の北海道の旅では二度目の出会いだが、もう1カ月以上が経っており、しばらくというよりも懐かしさの方が大きい。お互いのその後の状況や出来事などを話し合って、あっという間に1時間半が過ぎた。我々は帰途についたが、伊東さんたちはこれから道東を海に沿って北上するとのこと。帰宅迄にはまだタップリ時間が用意されている。羨ましいなどという贅沢な気分がどこからか頭をもたげるのを抑えて、お互いの旅の安全と健康を祈って別れる。給油の後、もう一度豚丼を食べようと道の駅:しらぬか恋問へ。白糠町は隣接する釧路市とは合併せず単体で残り、その白糠町に隣接する音別町が釧路市と合併したので、R38を走っていると、釧路市の表示板が二度出て来て変な感じを受ける。平成の大合併に関しては、このエリアでもすったもんだがあったに違いない。それはともかく、此処の豚丼は美味である。今回も美味さの記念写真を撮った。豚丼を食べ終わった後は、R38を帯広方面に向かう。今夜は、先日お世話になった鹿追の道の駅にもう一度ご厄介になるつもりでいる。今日は単なる移動日である。浦幌、豊頃、幕別と通過し、帯広郊外のスーパーで買い物をした後、帯広市街を通り抜け、鹿追の道の駅に着いたのは18時半近くだった。日中はかなりの暑さだったが、今夜は凌ぎ易い夜となりそうだ。しばらくぶりに長距離を運転したせいか、少し疲れて頭重がする。早めに(いつも早めなのだが)寝床に入る。今日の走行距離は248km。
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07北海道の旅: 第52日

2007-08-22 06:19:48 | くるま旅くらしの話
二度目に別海に来て5日目となり、明日はここを出て帰途につく予定である。今日は、今年最後の泊まりとなる日でもある。昨日の祭りの後片付けを、残った者全員で行った後、仲間3家族6人でパークゴルフに出掛ける。女性グループと男性グループに別れてプレー開始。13時頃まで、計36ホールを回った。今日もいい天気で、少し歩くと汗が滲んでくる。時おり吹く風が心地良い。スコアは前回とあまり変わらず、計-14だった。多分これが今年最後のパークゴルフとなるのではないか。くるまに戻り、汗を流しに丘の上の温泉に。この温泉に入るのも、今年は最後となった。風呂から戻った後は、いつものように一杯やって午睡。これも此処では今年最後となった。もうすっかり帰途モードになっている。昼寝から目覚めると少し雨が落ちてきたような音がするので、外へ出てみると雨雲がかなり広く空を覆っていた。明日の出発前にテントが濡れては撤収が大変なので、今日の内に撤収することにして、直ぐ作業に取り掛かる。又汗をかいてしまったが、やむを得ない。昨日の仲間たちも残り少なくなり、少し淋しい夜となった。旅の終わりが近づいた頃の、いつものありふれた一日でした。今日はこれだけ。
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