山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老人はサプリ依存症になってはならない

2024-03-30 03:13:09 | 宵宵妄話

 この頃は、TVを見る時間が多くなった。今迄はTVといえば、ニュースやスポーツ番組を時々見るくらいだったが、傘寿を過ぎてからは、ドラマなどを録画しておいて、好きな時間に見るようになった。直接放映されているのを見ることは殆どなくて、8割以上が録画である。

 録画を見ている時、余りにも多いので腹が立つのは、コマーシャルと云う奴だ。その中でも一番目立つのは、老人や中高年向けのサプリメントの類。その他、まあいろいろあるけど、この頃は生命保険までがしゃしゃり出てきている。これらのコマーシャルをどう受け止めるかは、個人の勝手だが、今回の紅麹事件のようなことが発生すると、楽して得するという安易な考えは危険と考える。

 高が錠剤の一つや二つで健康状態が改善されるなどと云うことはあり得ない。サプリの宣伝広告の9割以上はインチキなのではないか?いろいろ能書きをつけてオーバーなことを言っているけど、たった1%の効果でもそれを100%以上に拡大宣伝しているのだから、そのようなものを安易に信じてはいけないのだ。聴いていると実にバカバカしい内容の宣伝が余りにも多いのに驚き、巧みな文句と出演者のそれらしい演技やセリフに大勢の老人などが騙されて、ムダな金を使っていると思えて、他人ごとながら腹が立ってくる。

 例えば、青汁の宣伝で、乳酸菌が○○億個入っているとか云っているけど、そんなのを数えられるわけがないし、青汁がどれだけ野菜代わりになるのかには疑問がある。よさそうなものを皆集めればよさそうな効果が全部出てくるなどと云うことは先ずあり得ない。粉になった葉っぱにどれだけ本物の野菜の栄養が残っているのか、そのことは決して説明などしないのだ。自分は30年来の糖尿病患者だけど、特別なコーヒーを飲んだら食後の血糖値が下がるなどと云うのは、糖尿病の何たるかを知らないで医者からその危険性をアドバイスされているレベルの人たち向けの宣伝なのだろうけど、食後の血糖値が下がるだけで糖尿病が改善されるなどということはあり得ないのだ。無理して高いコーヒーなど買わずに自分が気に入ったコーヒーを飲めばいいのである。コマーシャルに出てくる人たちは上手に演技しているけれど、騙しのサクラをやっていることを反省すべきではないか。生命保険などでは、85歳まで加入可能などと云っているけど、老人は死んだ後のことなど考える前に死ぬまでをどう生きるかをしっかり決めて実行する方がずっと大事なのだ。死んで保険金が貰えるわけではないから、死んだ後の身内などのことを考えているのだとは思うけど、ほどほどにしておいた方がいい。この頃の保険会社は、老人までをもターゲットにしているのかと思うと、だんだんと嫌な世の中になって来ているのを感じて怒りがこみ上げてくる。

 今回の紅麹事件などは、健康上のトラブルを改善できるなどと云って、その原料を様々な薬品や食品などつくる関係先に配ったのであろうが、自分にとっては、日頃の不信を明確に証明してくれている気がしてならない。恐らく今回の小林製薬以外にも、世間の善良な人たちを騙し続けている企業などが数多く潜在しているに違いない。

人の弱点は様々あるけど、加齢に伴う最大の弱点は老化をはじめとする健康関連事項であろう。そこにつけ込んだ様々な奴原が巧みに騙しのテクニックを拡大しているのが今の世の中なのかもしれない。とにかく今の世は利便性の追求に明け暮れており、何でもかんでも楽して得するという考えに振り回されている気がしてならない。

 「楽あれば苦あり」という箴言があるけど、まさに今の世の今は、人類全体が樂(=利便性)を求めてきた結果、そのしっぺ返しとしての苦を味わわされている、そのような時期に突入している気がしてならない。オーバーに言えば、人類がこの地球を食いものにして破壊し続けた結果のしっぺ返しが温暖化であり環境悪化による自然災害多発となっているのではないか。これは大きな問題だけど、個々人に於いても同様のことが云えるのではないか。健康管理を疎かにして好きなように飲み食いを続け、ロクな運動もしないでやって来て、気付いたら老人になっていて、慌てて楽な方法で健康上のトラブルを逃れようとして、半ばインチキな広告宣伝に気をとられてサプリや飲料、食品などに取りついて、騙されるという構図に多くの老人などが嵌っているのが現状なのだ。人生経験を多く積んで賢い筈の老人たちが、コロリと騙されるのは、染み着いている「楽して得する」と云う考え方が弱点となって、「楽あれば苦あり」という先人の箴言をすっかり忘れ去っているからなのであろう。

あの世に行ってからどうなるのかは全く分からないけど、生きている間は、騙されない老人になって、人生を全うしたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登の旅の思い出に寄せて

2024-03-24 04:52:20 | 宵宵妄話

 能登半島大地震が勃発してからあっという間に3ケ月が過ぎようとしています。傍観者の私などから見ればそのような感じなのかもしれませんが、被災された方々から見れば、復興が遅々として進まず、最も大切な生活インフラの回復さえもまだまだはっきり見通しが立たず、今でも水が出ないという厳しい現状の暮らしは、長い長い悪夢が続いているとしか思えないのではないかと思われます。私と同じ様な80歳を超えた被災者の方の心情は如何ばかりかと、それを思うと、胸が痛みます。人生の晩期に於いての突然の日常の喪失は、最後の力を振り絞って現実に立ち向かうには、余りにも苛酷な課題なのではないかと思えてなりません。とにかくも、早く冬が終って温かさが戻ってくることを願うばかりです。 

 能登を訪ねることが能登の人たちの復興を後押しすることにもなるとは考えていますが、それがいつ出来るのか、今は見当もつきません。能登を旅したことが何回かありますが、その時の思い出などを書いてみたいと思います。能登を旅するときは、金沢を出て、羽咋市の方から半島を右回りで訪ねるというコースと、反対に富山県氷見市の方から左回りで訪ねるコースがあり、そのどちらも何回か経験しています。左回りで思い出の地を廻ってみます。氷見市を出た後は、国道18号線を海岸に沿ってボラ網などを見ながら七尾市までゆっくりと北上し、七尾市の道の駅に寄って中を覗いて 獲物を探し、その後は和倉温泉に寄って、(時間帯にもよりますが)総湯に入って温泉を楽しんだ後、今度は国道249を辿って、珠洲市の方に向かいます。海沿いですが山道も多くて、起伏に富んでいるので、珠洲までは遠く感じる道なのです。珠洲近くの恋路海岸に届いたら、まっ先に造り酒屋の宗玄酒造を訪ねます。ここで必ず酒を何本か買い入れます。ここの酒は、飲み過ごしても決して悪酔いしない酒なのです。なので、年末近くに訪ねた時には1升瓶を6本も買った時もありました。ここの酒を飲むと嬉しくなるので、帰ってから知り合いの呑み助たちにも配るのです。でも、勿論旅の間は飲みません。酒を仕入れたら、次は海岸の方へ行って、見附島を見ながら休憩します。この島は本当に軍艦風に出来ていて、自然の造形ながら感心してしまいます。その後は珠洲市市内をかすめて国道249を曽々木海岸の方に向かいます。岬の先端の緑剛崎へ向かう道もありますが、まだ行ったことがなく、これから訪ねる予定でした。曽々木海岸には塩田があり、そこに寄って能登の塩を買い入れます。これは家内の関心事です。塩を手に入れたら、少し横道に入って、国指定文化財でもある古民家の時国家を訪ねます。これは川崎や東京で古民家のボランティアをやっていた家内の願望でもあります。そのあと海岸の道をしばらく進むと、千枚田ポケットパークの道の駅があり、ここで一息入れて、眼下の崖に海岸まで続いている米白千枚田と呼ばれている棚田を眺めて、人間の米づくりへの執念の逞しさを実感します。

そして、その後は輪島に届いて、名物の朝市などを探訪するのですが、朝に行ったことはなく、大抵は昼市の時間帯となっています。市場などを覗いた後は、門前町の方を目指します。門前町では勿論総持寺祖院を訪ねます。ここは曹洞宗の大本山の一つであったのですが、火災事件があり、総本山は現在神奈川県横浜市の鶴見に移されています。又この門前町の海の方には黒島というエリアがあり、そこは重伝建に指定されている船主集落があります。江戸から明治時代にかけて北前船を初め、廻船業を営む人たちの基地があった所で、狭いエリアだけど豪勢な家々が幾つも並んでいます。そこを探訪したあとは、羽咋の方に向かい、志賀町の道の駅の温泉に入った後、そこに泊るか時間に余裕がある時は金沢方面に向かうのです。これが左回りコースの概要ですが、右回りの場合でも大差ありません。勿論この他に新たな寄り道を見つけて行く場合もあります。その他にもまだ行っていなくて、これから行こうと考えている場所も幾つかあります。

これらの場所は、今どうなっているのでしょうか。TVを見ていると、とんでもない状態となっているのが映っています。あの軍艦島はかなりの部分が崩れて砲撃を受けて破壊された船のようになってしまったし、宗玄酒造さんもかなりの打撃を受けてしまったようで、あの美酒がこれからも飲めるのかどうか心配です。塩田のことは放映されているのを見ていないので判りませんが、近くのあの巨大な古民家はどうなったのでしょう。とても無傷とは思えません。輪島市の惨状はもうこれ以上はない地獄の感じがします。総持寺祖院もかなり大きく被災していたし、黒島エリアの情報はありませんでしたが、ここも無傷ではあり得ないでしょう。志賀町の原発が大きな問題がなかったのは不幸中の数少ない幸いでしたが、恐らく課題を抱えているのではないかと心配です。

これだけの思い出の地を一気に破壊し尽くすという大自然の行為の凄まじさは、この先自分たちが住む関東エリアにも70%以上の発生確率と伝えられている大地震が起こった時の現実を想像すると、身の毛が弥立ちます。人生の晩期に入って残り少ない我が人生に於いて、未だ幾つもの訪問先を残している能登エリアへの旅が実現できるのかどうか、不安が膨らむ毎日です。一日でも早く実現できる日が来るのを願うと同時に、この地震の国の何処にでも大地震や火山の大爆発などが起こらないことを強く強く願っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルメリアの花に寄せて

2024-02-03 08:53:38 | 宵宵妄話

 アルメリアという花をご存知でしようか。和名を浜簪(ハマカンザシ)と言います。花言葉は、「思いやり」「心遣い」「歓待」というのだそうです。実に適切な花ことばだと思います。

 4、5日前、近くのホームセンターへ寄って冬に販売されている花たちを見ていましたら、横の方にこのアルメニアの小さな鉢が置いてありました。寒い所為なのか、カンザシ風に良く咲いている花はたった二つで、モヤモヤと茂った細い葉の中に蕾が3つほど並んでいました。何だか急に嬉しくなりました。

 私には、この花に旅の思い出がくっついて離れないでいるのです。そのことをほんの少し書いて見る気になりました。何のことかと思われることでしょうけど、この花にまつわる私の大切な旅の思い出の一つなのです。

それは、北海道の北端の町、稚内を訪れた時のことでした。この町を何度も訪れているのですが、ここへ来ると、いつも稚内公園の脇にある森林公園キャンプ場に泊ることにしていました。稚内公園は、稚内の市街地を下方に見下ろし、遠く樺太の島を望むことができる高台にある広大な公園で、その森林の脇に造られた無料のキャンプ場は、くるま旅の者には真にありがたい施設なのでした。

広い公園の中には、高さ80mもある開基百年記念塔を初め幾つかの記念施設や記念碑などが作られています。キャンプ場の近くなので、車を置いてから歩いてそれらの施設を見聞するのが楽しみでした。施設だけではなく、広大に広がる大きな景観を味わうのも楽しみでした。稚内は、太平洋戦争が終るまでは、日本領だった樺太へ渡る基地の港であり、ここから遥かに見える島との間を大勢の人たちが行き交っていたのです。その時代の頃を想像しながら、更には宗谷岬から樺太が島なのか大陸と繋がっているかの確認のために向かって北海の荒海を小舟に乗って旅立った郷土の英雄、間宮林蔵(この方は守谷市の隣のつくばみらい市の出身で、我が家から2kmくらいの所に生家があるのです)の樺太冒険の旅のことなどを想い描きながら、ここからの大きな景色を見るのを楽しみにしていたのです。

何回目かの訪問の時に九人の乙女の碑や氷雪の門のあるエリアを歩いていた時に、足元に作られている花壇に赤紫の丸い穂のようなものを付けた花が咲いているのに気がつきました。それまでに見たこともない花でした。私は野草や草花の観察に興味関心があって、知らない花を見つけると、確認しないではいられない人間なのです。花壇にあった表示板には「アルメリア」と書かれていました。それまで見たことも聞いたこともない花でしたが、何故か強く印象に残ったのです。すぐ傍に氷雪の門や九人の乙女の碑などがあったので、この花は北国に咲く花なのではないかと思ったのでした。おとなしげに咲いている花たちを見て、この花は、終戦末期に、邪悪で悪辣で極悪非道な人間の権化そのもののロシア人軍隊が攻め入って来る直前に、命の限りを尽くして電話局員としての使命を果たしながら自決せざるを得なかった9人の乙女たちの魂を慰めながらここに咲いているに違いないと、そう思ったのです。それ以来樺太や稚内、北方領土などの言葉を耳にする度に、あの稚内に咲いていたアルメリアの花が眼前に現れるようになったのです。

コロナのパンデミックに襲われて5年以上も旅をしないままでいる内にアルメリアのことはすっかり忘れていたのですが、思いがけもなくその名の名札を付けられた小さな鉢に入った花を見つけて、直ちに買うことを決めたのでした。

今その鉢は私の机の上を日中の日差しを探して移動しています。草花たちは皆日差しが大好きですから、水やりと一緒にその願いを叶えてやるように、私なりに努めているのです。

私の所にやって来てから10日ほどが過ぎました。当初たった二つだけだった開花した花はすっかりその役割を果たして消え去り、蕾だった花が二つほどその後を次いで丸く咲き始め、新たに幾つかの蕾が膨らみ始めています。毎日ほんのわずかですが、花たちの命の動きを見つめていると、あの稚内の思い出が様々に甦って来るのです。20年に亘るくるま旅の中では、数多くの野草たちの草花に出会って、心を慰められて来ていますが、その中でも印象に残る花の一つがアルメリアで、それを今毎日身近に見ていられることに幸せを感じています。

      

 私の机上のアルメリアの花。記事を書いている間に少し大きくなりました。稚内では、この花は花壇として咲いていました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明るい春来たる 

2023-03-02 03:33:38 | 宵宵妄話

 このところの世の中、暗いニュースが多いですね。ロシアの悪魔の戦争、トルコエリアの大地震による甚大な被害、コロナのパンデミックの終りなき感染等々余りにも悪夢のような出来事が多いです。いや、多過ぎます。人災、天災を問わず人類の危機とも思われる事件が続いています。傘寿を過ぎた私の人生の晩期は、明るい話は一つもない感じがしています。

 そんな中で、真に個人的な話なのですが、たった一つ明るい話があります。真に些細なことなのですが、私にとっては大変大切な希望なのです。それは、先月下旬に両眼の白内障の手術が無事に終了したことなのです。

 思えば一昨年の秋の終わりの頃、運転免許の更新があり、老人は特別に認知症検査なるものをさせられるのですが、これはさほど苦労しなくてもクリアできたのですが、思いもかけないことに視力の検査で、両眼0.7でギリギリセーフですねと宣告されたのでした。予てからそろそろ白内障の手術をしなければならないかなと気にはなっていたのですが、まさか運転免許更新が困難なレベルとなっているほど、視力が低下しているとは夢にも思わなかったのです。一応更新は出来たのですが、こりゃあまずいな、この分だと次の免許更新が出来なくなるかもしれないと急に不安になり、とにかく専門医に診て貰って、必要な処置をして頂こうと、早速専門医を受診したのでした。

視力の検査をすると、左右共なんと0.4というレベルで、これじゃあ、運転は無理ですよと言われたのでした。しかし、現実に運転に支障がある状況ではないので、俄かには信じがたいことでした。やはり、白内障の所為なのかと訊いたら、白内障は両眼にあるけど、右眼には網膜の黄斑に浮腫があり、このままでは白内障の手術をしても視力は回復しません、と言われたのです。これを治すには眼球に注射をする方法があるということで、その後約1年をかけてその注射をするなどして少し改善の兆しが見られて症状が安定した頃に、白内障の手術をしましょうということで、手術の日程が決まったのは、昨年の10月半ばでした。そして、両眼の手術が可能なのは来年の2月だと言われたのです。その実現が先月のことなのでした。

 この他にも医師からは脅しとも言える話が幾つかありました。例えば手術をしても確実に見えるようになるかどうかは判らない、などということです。ま、医師の側からは100%保証することはできないというのは理解できるのですが、患者としては不安を拭うことはできません。しかし、それを恐れて手術はしないということになると、先行きは真っ暗となるのは確実なのですから、これはもう医師を信頼して覚悟するしかありません。

 とにかく本番までは不安は続いたのでした。経験者の中で失敗して失明に至ったという話は聞いていなかったので、ま、不安はあるけど大丈夫だと思うしかありませんでした。手術の日程が決まって4カ月が経って、先月の14日に右眼を、2週間後の28日に左眼の手術が無事に終了しました。何の問題もなく成功でした。

 最初の手術は術前に1時間ほどかけて点眼を行い、手術の本番は光の眩しい光源のようなものを見ながら20分ほどで終了しました。痛みは殆どありませんでした。終了後眼帯を絆創膏のテープで貼って、片目で家まで30分ほど歩いて戻りました。1晩寝て翌朝の受診時に絆創膏の眼帯を外して、目の点検をした後、薬局へ行ってケアのための点眼液を3種類貰って、その後は日に4回点眼を1カ月ほど続けるという指示でした。2週間後の左眼も同じ要領です。

 さて、その後の眼の状況ですが、3日程はさほど視力が回復したとは感じなかったのですが、その後時間が経つに従って、光を眩しく感ずるようになり、右眼の視力が明らかに増したのを実感するようになりました。左眼の方は未だ改善が進行中ですが、このあと右眼と同様に順調に世の中が明るくなってゆくのを実感できるのだと思っています。視力検査では1,0以上となり、これを維持できれば次回の運転免許更新時の視力検査は大丈夫だろうと思っています。何しろ、あと数年はくるま旅を続けるつもりでいますので、先ずは一安心といった心境なのです。

 暗いニュースで溢れている世の中ですが、せめて自分一人だけでも明るく眩しい光の中で春を迎えることが出来ているのを、真に有り難く思ったのでした。車の運転に関しては、老人の引き起こすとんでもない事故が多発していますが、これから先も運転には慎重の上にも慎重を期してくるま旅を楽しみたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拓魂の人たち 

2023-01-24 10:42:02 | 宵宵妄話

                                                     

 先日(1/14)TⅤを見ていたら、NHKの「小さな旅」という番組で私の住む守谷市について「開拓の心一滴」というタイトルで、現在も守谷市内に残る牧場についての紹介がありました。自分が住む町がTVで紹介されるなんて滅多にないことなので、どのような内容なのかと興味深く視聴しました。

 守谷市は、茨城県では最も面積の小さな市で、TXが開通して以降完全に東京のベッドタウン化して、現在は人口が7万人を超えて、近隣のかつての県南・県西の中心地であった常総市(旧水海道市)や下妻市、龍ヶ崎市或いは筑西市(旧下館市)などよりも人口が多くなり、県内ではもっとも人口密度の高い市となっています。そのような市の中に現役の牧場があるというのを、もしかしたら市民の大半は気づいていないのではないかと思います。現代人は現住現地の現状だけに関心が大きくて(未来にも多少の関心はあるのでしょうが)、過去の歴史などについては関心が薄く、そのようなことなどどうでもいいと考える人が殆どではないかと思います。

 NHKの番組では、戦後満洲から引き揚げて来た山形県出身の人たちが中心となって、利根川と鬼怒川が合流する近くの場所(大木流作と呼ばれていた)に農地を求めて入植した人たちが、大変な苦労を重ね乗り越えて今日の牧場の基盤をつくり上げたのだという話でした。70年前の往時の農家を救ったのが牛乳の一滴だったという話などが紹介され、それらご先祖の意思を引き継いで現在も酪農に勤しむ何人かの方を紹介していました。

 限られた時間の中ではこのような少ない内容紹介で終わっても仕方ないと思いますが、実は私はこの地に引越してきてからしばらく経って、ここがどのような土地なのかを知ろうと調べたことがあるのです。私の住んでいる場所には「御所ケ丘」という名がついています。何の御所なのか調べますと、室町時代に関東の地を治める「関東管領が置かれたのですが、鎌倉に本拠があったのが二つに別れて、それが古河(茨城県古河市)に地を求めていわゆる古河公方と呼ばれるようになったのですが、二つに別れる際に場所をどこに決めるかの下調べをした時に、守谷市のこの地に管領の仮御座所を設けたのが地名の由来だということでした。

 守谷市は未だ町であった50年ほど前に、膨らむ東京のベッドタウン造成の候補地(常総ニュータウン)となり、それまで戦後入植して開拓に携わっていた人たちがつくり上げて来た北守谷地区の農地が選ばれることになり、それ以降公団による住宅の造成・建築が始まり、引き続いて民間の住宅建築も広がっていったという歴史があります。私が住んでいる場所もその昔は牧場であり、つい最近まで牧場を経営する人もいて、牛舎の臭いに悩まされていたのですが、現在はそれはなくなり、牧場が残っているのは、TVで紹介された利根川と鬼怒川に挟まれた地域だけとなっています。

 戦後、旧守谷町の既存農家が手を付けられなかった耕作条件の極端に悪い土地を国からの払い下げを受け開拓に携わったのは、大八州(おおやしま)開拓農業協同組合の人たちでした。この人たちは満洲での開拓、村づくりに携わった山形県出身の人たちを中心とする一団でした。満州での引き上げ開始時には200人を超えていたメンバーは、引き上げの途中に幾多の壮絶な苦難に見舞われ多くの仲間を失い、祖国にたどり着いた時は僅かに70名ほどだったということですから、帰国までには言語に尽くせない辛酸を嘗めたのだと思います。帰国してからもこの地に落ち着くまでには幾多の困苦を乗り越えて来たのでした。それを支えたのは、一致団結した力で農業で暮らしをつくり上げて行くという開拓の魂すなわち「拓魂」でした。これらのことは、大八州開拓農協がまとめた開拓の歴史の本に詳しく記されています。

 実は私も戦後国が全国各地に入植者を募集した開拓地の一つ、茨城県北部の(現常陸大宮市)開拓農民の出身であり、往時の開拓地の暮らしがどのようなものだったかを、子どもながらに身を以て経験しているのです。私の出身の開拓地は、樹木の株の残る荒地を畑の耕作地とするもので、30町歩足らずの土地に20数世帯が入植したという小さな開拓地でしたが、守谷市の場合はその何倍もある広大な土地なのでした。というのもこの地への入植者は満洲での開拓に当った農業の専門集団とも言える人たちで、あくまでもこれからも農業で暮らしを立てて行くという目的‣信念で入植の地を求めた人たちで、満州での経験を生かした取り組みの出来る人たちだったのです。

 私の出身の開拓地は、戦争で焼け出された関東一円の農業には全く素人の寄せ集めの人たちばかりでしたので、守谷のような農業集団としての実力を持たない貧しい開拓者だったのです。水田は無く1戸当たり1町歩程の畑だけの狭い土地では酪農など出来るはずもなく、結局は兼業農家とならざるを得なかったのです。私の父も途中から会社勤めとなり農業は母が担当する形となったのですが、集落の他の方たちも同じような暮らしぶりとなったのでした。

 守谷市の場合は全く違います。今回TVで取り上げられた地区のみならず、農協を核とした集団の力で、隣接する常総市や千葉県野田市にも農場を保有するまでに成長したのです。それを実現したのは、一致団結した拓魂の発揮によるものでした。個ではなく集団の力の発揮なのです。異国で鍛えられた拓魂の発揮は、全国でも注目される程のものだったのです。

しかし、50年前の団地造成に土地を失って以降は、その影響を受けて大八州開拓農協は後退せざるを得なかったのでは無いかと思います。戦後70年の間に大八州開拓農協の存在は、大都市圏という地勢の影響を蒙って激変したのです。往時の面影が残るのはTVで紹介された地域のみであり、その他の地域の大半は宅地やその他物流拠点などの大型倉庫となったりして、農業の繁栄からは遠くなってしまっている現状です。私はこの変化の流れについて、基本的に賛同できない立場なのですが、時代を動かす大きなうねりに巻き込まれてしまったのは、不可抗力で止めようのないものだったのだと敢えて理解することにしています。

今の時代、特に守谷市のような激変の都市化を経験している所では、農業は力を失い先細りの状態となっているようです。かつての大八州開拓農協のようなパワフルな集団の力が失せて、農協は農業との係わりを忘れてしまっているかのようです。このままでは現在先祖が建てたお寺のような豪壮な御殿に住んでいる既存の農家も遠からず音もなく消え去ってゆくのではないかと思うのです。それはまた守谷市のみならず日本国としての農業軽視政策の表れでもある感じがしてなりません。食料自給率が時々取り上げられて問題となりますが、食料の大半を海外に依存するという姿勢は、この度のロシヤの理不尽な侵攻がもたらしたウクライナに食料を依存する多くの国々の困惑ぶりを見ても非常なる危険を孕んでいることを示している感じがします。

守谷市の大八州開拓農協の集団としての力は、僅かに残った牧場エリアにしか残っていないようですが、かつての開拓農協の事務所あとには「偕に拓き共に築く」という拓魂に係わる団結の源泉となった言葉が刻まれた石碑が静かに建っています。そしてその脇には、この開拓に係わったリーダーの初代組合長の胸像が建てられています。私は時々これを拝見しながら、あの戦後の厳しい環境を、生命をかけて農業に取り組んだ人たちのことを想い、深い深い敬意を覚えずにはいられないのです。

NHKの番組を見ながら、開拓の心の輝きはあの程度の紹介の仕方では極めて不十分だなという思いを止めることが出来ず、これを書くことにしたのですが、残念ながら力不足をどうすることもできません。

 

大八洲開拓農業協同組合の旧事務所 今は誰もいない

開拓の精神を掲げた石碑「偕に拓き共に築く」と刻まれている。

初代組合長佐藤孝治氏の胸像。引き上げから帰国後の混乱の中でこのリーダーあればこその一団でもあった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔵書を断・捨・離する

2023-01-14 02:28:33 | 宵宵妄話

 今年初めの話が、長い時間をかけて集めた本たちとの別れの話となるなんて、何という年の始まりなのだ。そう思いながらこれを書き始めている。

老人ならではの哀しい話である。いろいろな事情から、書斎を明け渡すことになり、そこに置いてあった5千冊ほどの蔵書をレンタル倉庫に一時保管したのだが、あの世に行くまでの間のレンタル料も馬鹿にならないので、本当に必要と思われる本だけを厳選して、新たに物置を設置してその中に移し、残りは思い切って買い取り業者に持って行き処分しようと決断した。今流行りの言葉で言えば、断・捨・離ということになるのであろう。

この言葉はあまり好きではない。この三つの言葉のどれも人間の冷たい心がその底に沈んでいるからである。出来るならば断も捨も離もない方がいいと思っている。邪魔になるから捨て去ってきれいさっぱりしようという考えは、一見正当なように見えるけど、そのような考え方で物事を合理的に進めて行こうという人間の本質は非情というものではないかと自分は思っている。人間というのはどろどろとした感情の沼の中で生きている生き物だと思っている。スッキリなんて言うのは、一時・瞬間の出来事に過ぎないのであって、直ぐに人間はどろどろの世界を求め、そこに入り込んでしまう。それでいいのではないかと思っている。

そう思いながらも、今回は思い切らざるを得なくなったのである。泣く泣く2千冊ほどを買い取り業者に運ぶこととなった。ハードカバー、新書、文庫本など種類は雑多なのだが、50年ほどをかけて買い集めた本であり、そのどれにも思い出が詰まっている。全部読み切ったかといえば決してそうではないのだが、本を買ったときの気持ちは消えずに残っており、その出会いの記憶は簡単に消せるものではない。

複雑な心境を抱えながら業者の店に数回通った。そこで販売されている商品の半分はマンガの類のように見えた。今の世は文字をじっくり読みこんで自分自身で物語のイメージをつくるなどという面倒くさいことはしないで、絵に書かれた既製のイメージに飛びつくのが当然となっているようだ。それを批判するつもりはないけど、自分はマンガについては作者の創作力は凄いなと敬服するけど、読者に対しての敬服心は持てない。

脱線したが、買い取り窓口で所定の手続きをして、とにかく諦めて業者の決めに従うことにした。多少は値がつくのかと甘い考えも浮かんだりしたのだが、結果はその昔の1冊の購入値段と変わらぬほどのものだった。2千冊の合計がたったの2千余円なのである。本の価値など全く無くなっており、これは紙くずの買い取りと同じだなと思った。新聞紙の回収業者が1カ月分の新聞を引き取る時にトイレットペーパーを1個くれるのと大して変わらない。人間も動物も死んでしまえば只のゴミとなるのと同じ様に本も変わらないなと思った。

昭和に生まれ、平成をやり過ごして生きてきたが、この本の世界でも時代は完全に変わっているのを改めて思い知らされた。それは本の扱いの問題などではなく、明らかに断絶の時代となっているという感じだった。昭和と平成はつながっていないし、平成と令和もその断絶はより一層拡大するのではないか。いやはやとんでもない時代を過ごしてここまで来てしまったなと思った。

この先どうなるのか。どうなろうと真老80歳超の自分がつべこべ言っても仕方のないことなのだが、これからを生きて行かなければならない子や孫の時代は大変だなと思わずにはいられない。利便性を追求し、使い捨てなど何とも思わなかったここ半世紀ほどの人間の暮らしの負の遺産が、今地球というこの星の息の根を止めるほどに問題化している。この問題をどう解決してゆくのか。地球以外の惑星や月などをビジネスの対象とする考えなども生まれてきているようだが、人間は地球の生物であり地球以外に生きる場所はないのではないか。如何なる世界に於いても「思い上がり」が身を破滅するという無数の事例があるけど、人間はその思い上がりを抑え込むことが出来るのか。あと半世紀の間には、その結論が出るのではないか。蔵書の断・捨・離の話に過ぎないのだが、不吉な予感を感じたのだった。今年も問題の多発する一年となるのではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年(令和4年)の時代認識

2022-12-28 02:01:04 | 宵宵妄話

今年もあっという間に残りが少なくなって、あと三日で終りとなる。人生の晩期に入っている老人の年度末の感慨である。それを少し述べて見たい。

 昭和が終わり平成も終りに近づいたころから世の中がおかしくなり出したようである。そして令和に入ってからは、世の中に朗報と言うものが少なくなって来ている。明るい未来よりも暗さに覆われる未来がやって来ている予感がしてならない。

 今の世を見る中で未来を予測するに当って3つの大きな切り口があると考えている。それは、

①地球破壊という人類の行為

②コロナと言う感染症の人類攻撃

③プーチンと言う悪の指導者による人類愛の破壊行為

この3つは、人類が自我自賛しているあらゆる領域での科学技術の進歩・発展を無意味で価値のないものと化す働きをしている。これらは人類に対する絶大な脅威なのではないか。そう思えてならない。

 先ずは①環境破壊というテーマ。これは過去の人類が積み上げてきた負の遺産の総括的な地球への破滅行為と言えるのではないか。この地球と言う天体を破滅させるほどに生存のための負の遺産をつくり続けて顧みなかった生き物は、人類以外には存在しなかったのだと思う。それほどに人類はただ人類に対してのみ好都合の手段・方法を追求し実現して来た。それは特に20世紀以降急速に発展を遂げて、人類は死を遠ざけ生を伸ばし、仲間を増やして来た。増やすことによって、人類はより一層好都合な手段・方法を開発しなければならなかったし、それを実現して来た。その結果人類は益々繁栄したのだが、その反面それらの進歩がもたらした負の部分も積み上がって膨らみ続けたのだ。世に言う環境破壊の要因とされるものの殆どが、人類がもたらした負の遺産と言えるのではないか。その結果、温暖化が始まり、海洋は汚染され、自然災害が多発し、人類以外の動物は激減し、生態を捻じ曲げられ、植物も又地球での存在を危うくされつつある。

このように考えると、今この地球に生きている人間の全ては環境破壊者と言える。人間は、今は、地球環境を破壊しなければ生きては行けない存在なのだ。これを批判する資格は私自身にもない。もはや環境破壊の恵みを受けないで暮らすことなど不可能なのだ。人類が創り出したそのような世界に取り込まれてしまって、そこから抜け出すことは不可能なところまで来てしまっているのではないか。

対策は知らない。これは無責任を超えているレベルなのだ。

 次に②の新型コロナと呼ばれる感染症が人類に投げかける意味を考えなければならない。元々感染症と言う病は、人類のみならず動物と言う生き物の生を脅かす最大の敵なのだと思うが、この新型コロナと言う感染症は、人類に対して執拗な攻撃を続けている史上最強・最悪の敵ではないか。全ての生き物の戦いは、それが何であっても、相手の弱点を見出し、それを攻撃して破壊・消滅させるという目的を持つものだが、この感染症はその意味に於いて、全く人類の弱点を的確に突いて攻撃を続けている。変異という戦術を駆使して、人類のワクチンという防衛作戦を打破している感じがするのだが、この戦いに終りがあるのか、見当もつかない。

ただ、密かに思うのは、彼らの狙いは感染を拡大させるにあるのではなく、この地球においては余りに多くなり過ぎて身勝手な振る舞いをし続けている人類という生き物を減らすことにあるのではないか。その数値がどれくらいなのか見当もつかないが、過去のパンデミックをもたらした感染症が収まったのは、相当数の犠牲者が出てからだったのを思うと、現在の犠牲者レベルでは、この感染症の成果はまだまだ彼らが満足できるレベルに達しておらず、人類がどんな対策をしようとも、断じてその目標を変えようとはしない、そのような強い意志を感じてならないのだ。

 最後に③の人物の問題だが、この人物は、一国の指導者として、人類が長い時間を積み上げてつくってきた「人類愛」と言うものを破壊し続けて止まないでいる。ロシア国民の多くを誑(たぶら)かし、詭弁を弄して世界人類に己の悪行を正当化して嘯(うそぶ)き、200万年以上をかけてようやく確かになりつつあった「人類愛」という世界共通の遺産を、外道の斧で叩き壊そうとしている。この人物は、人類史上最悪・最低リーダーの一人として歴史に名を止めるに違いない。

 このような人物の存在を見ていると、人類と言うのは、精神世界に於いては逆戻りが多くて少しも進歩していないのをつくづく思い知らされるのである。

 これらについて、実例などを上げて論ずればまだまだ言いたいことは山ほどあるが、止めておこう。これら3つのことを考えれば考えるほど、未来は暗くなるのである。サッカーのワールドカップのような人類の楽しみの話題にも明るさはあるけど、今の世に潜む抜本的な問題は、未来の明るさを覆い隠してしまっている。子や孫の世代まで地球は持つのか、暮らしは成り立つのか。心配は、老人の愚痴で済むものなのか、‥‥‥。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいパソコンを買う

2022-11-23 13:49:30 | 宵宵妄話

 今月、思い立ってパソコンを買った。今使っているのはOSがWindows7なのだが、特に問題も無く、何もわざわざ新しいものに替える必要もないと思う反面、もう世の中のパソコンは、Windows10が殆どで、もしかしたら時代遅れになってしまうかもしれないのでは?というような見えない脅しをかけられている気持があり、ここ2~3年、どうするかで迷い続けたのだった。

 それが、数日前にうっかりと使っているパソコンの電源コードが外れてしまっていて、気付いてあわてて電源コードを差込んだのだが、充電しても幾らやっても起動しない。多分バッテリーの機嫌が悪くなっているので、少し動かせば起動するのだろうとは思ったのだが、今まで一度もバッテリーなどに触ったことも無く、開け方も知らないのである。困惑して家電店の相談窓口に持って行ったら、予想通りバッテリーを少し動かしただけで直ぐに直ってしまった。

 それで、今回は良かったもののこの後にも同じようなことが起こる可能性は大だなと考え、この際思い切って新しいのを買うことにしようと決断したのである。

 パソコンはいくら待っていても値が下がらない。特に値が下がるのを待っていたわけではないけど、もはやこれ以上待っていると、今のパソコンが使えなくなったら、新しくしてもどう対処して良いのか、困惑するに違いない。今の内なら何とかなるのかもしれないと、勝手に思い込んでの決断だった。

 さて、その新しいパソコンだが、何とWindows11となっていた。10を少し変えただけのものだろうと思ったが、10を知らないので、それはどうでもいいことなのだが、7との比較では大違いの戸惑いがある。

驚いたのは、ハードの本体の価格に近いほどにソフト関係の作業価格が掛ったことだった。せいぜい本体価格の3~40%くらいで済むのではないかと思っていたのだが、初期設定、一部ソフトの引っ越しなどやアンチウイルスなどを入れて貰って、なんとそれらの価格が本体の70%にもなったのである。パソコンを扱い馴れている人ならこれほどかからないで動かせるようになったのだと思うけど、自分は今まで長いことパソコンを使っていても、その殆どがワープロ機能の一部だけに過ぎないので、それ以外の機能については、全くのお手上げなのである。とにかく必要な作業は依存するしかない。4日ほど掛って、一応完了したものが手許にやって来た。

 何をどうするのか、戸惑いながら先ずは取り敢えずメールを調べてみたが、一つ送信する必要があったものがあり、これを送ろうと送信ボタンを押しても全然だめ。念のためネット関係のボタンを押してみたら、これは全くダメ。困惑して倅に見て貰ったら、ネットの方は通ずるようになった。それならばメールも通じる筈だと再度やってみたのだが、これがしばらくやってみてもダメ。気を取り直してチャレンジシしている内に突然つながった。よく判らないけど、その後は大丈夫となった。何だか馬鹿にされている感じがした。

 肝心のワープロの方だが、少し慣れるまでは真にやりにくく解りにくい。WordもExcelもごちゃごちゃ余計な項目が増えて、これらも馴れるまでには時間がかかりそうだ。ともかく使い始めて1週間が過ぎて、どうやらギブアップはしないで済む様な気分にはなって来ている。それにしても何でこんなに変える必要があるのか、根本は変わっていないのに、枝葉の方をやたらにいじりまわして、それが本当に改善なのか、進歩なのか、疑問は膨らむばかりだ。

同時に思ったのは、パソコンの根っこをしっかり押さえておけば、枝葉の改悪に振り回されずに済みそうだという思いも強まった。

新しいパソコンで最大のメリットは、今の所製品が軽くなっているということだけである。これは持ち運びに楽なので、大いにありがたいと思っている。その他のことについて、メリットを実感出来るまで生きていられるのかな、と真老後半に近づいている老人は今思っているのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナンバーカードに思う

2022-10-18 04:30:44 | 宵宵妄話

 迷っている。マイナンバーカードというのを作るべきか止めるべきか。国の重要政策ということは理解しているのだが、そうかといってメリットもデメリットもさっぱり判らないのだから、こうなるとネガティブな考えしか浮かんでこない。国の重要政策と言いながら、それがどういうものなのか、自分達老人の所まで理解のための情報がさっぱり届いていない。何やらのポイントがつくなどという、老人にとっては鼻先の人参にもならない不可解な餌をぶら下げているかと思えば、今度は健康保険証を無くすだの運転免許証も無くなるだのという脅しをかけたりして、一体行政は何を考えているのか呆れかえるばかりである。

 大分前に登録関係の資料が送られて来たけど、やたらにカード流行りの今の世の中で、また又またどんな不正が発生するかも判らない新たなカードを、しかも国の政策で作るという、こんな話に軽々と乗れたものではない。そのように考える人は多いのではないか。カードを巡る犯罪は掃いて捨てるほど多く発生しているのだ。

 このカードの普及を正しく進めるというのなら、行政はどんな老人にも納得がゆくような情報をしっかり提供することが必要ではないか。つまりその情報というのは、先ずはどんなメリットがあるのか。そしてメリットだけではなくデメリットや危険性についても事例を挙げて詳しく説明するということである。この努力をしない限り、マイナンバーカードというのは普及が困難なのではないか。

 とにかく自分はどんなに餌をぶら下げられても、脅しをかけられても、今のまま理解のための情報が届かない限りは、断じてカードを作る気にはならない。そう思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大相撲に未来はあるのか?

2022-09-18 20:30:48 | 宵宵妄話

 自分は古くからの大相撲ファンで、栃若〈栃錦・初代若乃花〉時代以前からずっと相撲を見続けて来た。素っ裸で命をかけて勝負に立ち向かう人間の生きざまが何よりの魅力だった。他のスポーツには無い我が国独特の古来よりのスポーツであり、国技と言うのに全てが相応しいとは思わないけれども、他の武道とは異なる世界に類を見ない催しなのだと誇りを思いつつ観戦して来た。

 ところが最近は下らないショースポーツ化している感を拭えない。プロ野球やサッカーのJリーグと同様、現代に於いては大相撲はそれらと同類ではないと断言できるものではないのは明らかなのだが、それでも何か違う日本国の昔に繋がる精神がそこに伝わっていると思っていた。横綱をトップに大関・関脇・小結と言う実力をもとにした役力士のポジション設定をベースとして、全てが実力の発揮を前提に年6回もの勝負の場所が展開されるのを、固唾を飲んで期待しながら観戦しているのだが、大横綱白鵬が引退して以降現在の大相撲界は眼を覆うほど貧弱で魅力などすっ飛んでしまっている。

 今場所を見ていると、せめて頼みの横綱照ノ冨士は既に3敗を喫し、ひざの怪我の状況が懸念されながら辛うじて一人横綱の責めを果たそうと頑張っている。横綱であることを思えば、これを高く評価することはできないが、この人がダメになれば横綱無しの相撲界となってしまうのだから彼の踏ん張りに頼るしかない。それというのも、次の相撲界をひっぱる大関陣以下があまりにも不甲斐ないのは、一体どういうことなのか。横綱になれる人材が皆無というのはどういうことなのか。

 カド番大関がやたらに発生するのはどういうことなのか。今の大関の連中は上を目指すという意欲も気力も殆どなく、ただ安易にその地位を守ることに汲々としているかのごとくだ。怪我や病などの理由はあるにしても図体ばかりがでかくなって、その取り組み姿勢には我々観客の心を震わせるような厳しさは微塵も無いようだ。

 大関正代などと言う人物は今場所ならず先場所もその前も呆れかえるほど大関に相応しくない。何でこんな人を大関などとしているのか。大相撲を愚弄していると思えるような取り組みを続けている。カド番を抜ける為には全力を尽くすけど、それが済めば楽するだけと言うような相撲を取らせていていいのか?協会の運営姿勢や親方と言われる連中の取り組み姿勢にも絶大な疑問を感ずる。何で、こんな無様(ぶざま)な人を大関などとしているのか。呆れかえるばかりである。御獄海と言う人にも甘さを拭い得ない。正代よりはマシとしても厳しさは大関には値していない感じがする。隆景勝は頑張っている。辛うじて大関に相応しいといえるかもしれないけど、横綱にはすぐには届けまい。関脇以下については、何も言う気はしない。問題は横綱を生み出せない相撲界の体質にある。

 横綱大関を抜きにした予想外の人物が優勝してそれが面白いというのが2年も続いたら、大相撲は大相撲ではなくなってしまうのではないか。横綱や大関などという役力士のポジションなどどうでもいいということになってしまうのではないか。教会や親方連中は、現状を超深刻に受け止めて対処しなければならないのではないか。今は、そのような声や憤りの動きは殆ど感ぜられない。このままでは大相撲に未来はなくなってしまう。協会そのものがショースポーツに安んじて、金儲けを意図しているとしているのなら、大相撲なんぞよりもプロ野球やサッカーを見ている方が本物の人間ドラマが見られてずっとマシなように思っている。今,自分は大相撲のあり方に対して無性に腹が立っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする