山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

稀勢の里の優勝を、万感を以て讃える

2017-03-27 02:43:56 | 宵宵妄話

 稀勢の里が優勝した。新横綱になって初めての、一月場所に引き続いての優勝だ。安楽な優勝ではない。13日目に対戦した横綱日馬富士との一戦で喰らった重大な怪我を押しての、二日連続での出場での、本割と決定戦二番に勝利して勝ち取った優勝なのだ。怪我の翌日の対横綱鶴竜戦では、相撲を取るのも困難な状況の中で、それでも痛みなど無視する素振りで土俵に上がったのだが、やはり敢え無く連敗を喫し、この状態では千秋楽はあわや休場かとさえ思われたのだった。しかし、この最終日も平然とした表情で土俵に臨み、本割では対戦した大関照ノ富士を土俵際で突き落として勝利し、決定戦では再び対戦した照ノ富士を右の小手投げで投げ飛ばして、見事優勝を勝ち取り横綱の重責を果たしたのだ。

 久しぶりに見る男の闘魂の姿だった。今の世のちゃらちゃら賑やかに騒いで、己の存在を目立たそうとする人間が溢れている感じがする中で、じっと想像を絶する痛みに耐え、それすらも押さえつけて、勝負の場では心の内にこもるエネルギーを一気に爆発させ、二度も続けて勝利するその姿は、忘れかけていた本物の日本人の大和魂の存在を示してくれたものだった。男というのはこうでなければならないということを見事に表現した姿だった。

 表彰式で国家を歌いながら感極まって流した涙には、彼の万感の思いがこもっていた。闘魂の美とでもいうべきか、美しい涙だった。泣こうなどと思って流す涙ではないのだ。全力を尽くした後の己に対する感極まった涙なのである。それが美しくないなどと言える筈がない。この姿に感動しない日本人がいたとしたら、それは明らかに偽物である。心を震わされた姿だった。見事な男の姿だった。

 この姿を見ながら、16年前の5月場所で、往時の横綱貴乃花が優勝決定戦で横綱武蔵丸を下して勝利した時の姿が重なった。あの時も、貴乃花は絶望的な怪我を押して土俵に上がり、本割では為す術も無く敗れた武蔵丸に、膝の痛みを必至でこらえながら、決定戦では上手投げで巨漢の武蔵丸を投げ飛ばしたのだった。あの時の鬼の形相は多くの日本人の心を震わせ、往時の小泉首相をして「感動した!」との表彰式でのコメントにつながったのである。あの場面の男としての貴乃花と今度の男としての稀勢の里の姿が完全に一致したのである。

 この稀勢の里の優勝は嬉しい。同じ茨城県の県南に住む者として、このところ滅法知名度の低さが有名となっている茨城県を、これほどの日本人の大和魂を秘めている男が生まれ出る県なのだと、力を以て示してくれた人物はいないからである。稀勢の里万歳!茨城県万歳! である。

 このブログでは、かつて二度ほど稀勢の里という人物について記したことがある。相撲道の掲げる心・技・体についてであった。新横綱に昇進した1月場所では、ついに問題だった「心」が出来上がりつつあると確信したのだが、この場所の彼の戦いぶりを見ながら、そして怪我を押しての悲壮ともいうべき闘魂の発露を見て、もう間違いなく横綱としての覚悟が定まり、その本物の第一歩の跡が残されたのだと確信した。

 この上は、何よりもまずしっかり怪我を治し、更なる上を目指して精進して頂きたい。国の至宝となって頂きたい。日本国の、とりわけて我ら老人は、それを願って応援している。稀勢の里、偉大なる優勝おめでとう。

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三月は魔の月

2017-03-15 03:40:25 | その他

三月になって早や半分を経過しようとしている。しかし、書く意欲も考える意欲も湧いてこない。身体だけでは済まず、心の中までも花粉に塗れるこの季節は、私にとっては思考停止の時季なのである。毎年同じような愚かな思いを繰り返しているのだけど、どうしようもない。もうしばらくは、ブログ投稿は休止である。申し訳なし。

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