山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14 東北春の旅レポート <第23回>(最終回)

2014-05-31 03:00:01 | くるま旅くらしの話

【昨日(5月30日)のレポート】    

<行程>

道の駅:はが →(県道・R294)→ 自宅 

<レポート>

今回の旅の最後の朝を、栃木県は芳賀町の道の駅で迎える。今日も良く晴れた朝で、猛暑日となるらしい。朝食を終える7時半頃には日射しは一気に強くなり始め、紫外線を肌で感じるというほどになってきた。今日はこれから一路我が家を目指すだけである。ここからだと2時間ほどで着くことが出来る。出発する前にこの道の駅の売店で、明日から必要とする野菜類を手に入れなければならない。芳賀の道の駅の野菜売り場は、近郊の人たちが競って買いに来るほど、新鮮で良品質の野菜類がリーズナブルな価格で販売されている。店の開店が9時なのでそれまで少し待つこととなった。気の早い人が何人か、10分ほど前から入り口に並んでいた。5分ほど前にドアが開けられて開店となる。定刻を厳守するのも大切かも知れないけど、お客が並んでいるのだから、少し早くドアを開けるのは、もっと大切なルール違反であっていいように思っている。早速2軒分の野菜類を見つくろって買い入れた。その後直ぐに出発して我が家に向かう。無事、我家に到着したのは、11時5分だった。猛烈な暑さである。それから後は荷物の運び出しなどに大童だった。約1カ月ぶりの孫の顔は、より逞しくなっていた。

<旅を終えて>

4週間を予定していた旅は、暑さのために3週間となってしまったが、特段のトラブルもなく無事に家に戻ることが出来て、先ずはメデタシというところであろう。今回の旅は、東北の春を訪ねることだったが、連休明けの出発ということもあって、思ったよりも春の姿が夏寄りになっていたというのが感想だろうか。しかし、前半の青森県辺りは暑さと寒さが入り混ざって、それも真夏と真冬という感じで体調管理に難しさを覚えた。特に相棒はそれが少し応えたようだった。天気に恵まれたというよりも翻弄されたと言った方が当たっている感じがするのは、老人世代に入っている証拠なのかもしれない。とにかく無事に戻れて良かったと思う。

さて、旅の前に10項目ほど楽しみを掲げたのだが、その結果はどうだったのか?整理してみたら、ちょうど半分しか実現できなかったという結果になった。実現できなかったのは、①あがりこ大王に逢うこと②小川原湖畔での静養③羽黒山参詣④喜多方ラーメンを味わう⑤会津若松の歴史探訪の5項目である。それらの理由の殆どは天候によるものである。特に暑さには参った。何かをじっくり見たいという場合は、歩かなければならないのだが、暑過ぎると体調を崩すことになり、これはもう避けなければならない。終盤の④⑤は完全に暑さのせいである。又①②③は悪天候が背景にある。これらは天の為せる業であり、この場合は決して無理をしないというのが肝心と心得ているので、次の機会に先送りした次第。

ところで願いが叶った楽しみといえば、⑴重要文化的景観の探訪⑵パンダ豆の購入⑶奥入瀬渓流での朝食と野草観察⑷バッケ味噌作り⑸鯵が沢の焼きイカの賞味、の5項目であるが、その中で最大のものといえば、それは⑴の重要文化的景観の探訪と⑷のバッケ味噌作りである。

重要文化的景観は、東北には現在3カ所が指定されているけど、それらの全てを訪ねることが出来て、満足である。一関の本寺地区ではTVのインタビューを受けるハプニング、遠野の荒川高原牧場では山菜の王様のタラの芽の大量採取、大江町の左沢では特に何もなかったけど、それぞれの歴史的背景に思いを寄せることが出来て、十二分に楽しむことが出来満足である。旅にはいろいろな楽しみの目的を持つことが大事だと思っているけど、我々の場合は、今のところ、国指定の「重要文化的景観」と「重要伝統的建造物保存地区」の二つを取り上げている。いずれも日本国の歴史や記憶につながるものであり、今まで忘れて過ごしていたことを思い出し、振り返る上で大きなヒントや感動を得ることが出来るように思っている。これからも旅の中にこれらを織り込んで見聞を広げてゆきたい。

今回の旅の中で、東北の春を身を以て実感できたのは、何といっても2度のバッケ味噌作りだった。青森県は田舎館村の道の駅に3泊もさせて貰って、2度のバッケ味噌作りを楽しんだのは、大きな喜びだった。山菜を採る喜び、それを材料に完成品を作る喜び、そしてそれを味わう喜び、更に付け加えられるのは自慢げに知人に贈る喜びである。旅の中でこれほど多くの喜びを味わえるのは、何という幸せなことなのだろうか。まさに自画自賛の心境である。2度にわたり、10数個のバッケ味噌の瓶詰を手にしての凱旋は、まさに東北の春をそっくり持ち帰ったような心地なのである。これから先もこのバッケ味噌づくりは東北春旅の核となりそうな気がする。

7年ぶりの東北春の旅は、楽しみだけではなく、東日本大震災のその後を、釜石から久慈辺りまで、車窓から眺め続けて、様々な複雑な思いにとらわれたのだった。海岸線の惨状は少しも変わらず、黄色い花を咲かせたペンペン草のような野草に覆われて、無言のままだった。自分が生きている間に、この姿が元に戻ることはないのだなと思った。海に近い丘の中腹に黒く光る墓石の連なるのを見て、無念を残してあの世に旅立たれた方たちの冥福を祈った。福島の方は通らなかったのだけど、原発事故の被害が加わったエリアでは、その悲惨さは現代の最悪の姿となっているのではないか。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の不気味さをそのまま実現している町や村があることを、決して忘れてはならず、改めて脱原発の重要さを思ったのだった。

 

今回の旅の中で、一つ気づいた課題がある。それはもう一度自分なりのくるま旅のガイド書をまとめておきたいということ。というのも旅の中で何人かの方に出会った際に、これからくるま旅を始めようと考えている方が車に近づいて来て話かけられた際に、手渡せるものが何もないからである。出版社がつぶれて本は増版が叶わず、又手作りの本も在庫が無くなってしまい、口でしか情報を伝える手立てがないのである。もう面倒臭くなって、本作りはいいやと思っていたのだけど、本を読まれたという方に声を掛けられたりすると、やはり書いておいてよかったなとしみじみ思ったりもするのである。うぬぼれていうならば、もしかしたらガイド書を書くのは自分の務めなのかもしれない。集大成のつもりで、もう一度まとめてみようと思ったのだった。半年くらいの間に何とかつくり上げたいと思っている。

 

旅から戻って、明日から又いつもの平凡な暮らしに戻ることになる。身体も相当に鈍ってしまっている。心を入れ替えて、7月からの北海道の旅に出掛けられるように、日々の暮らしを充実させてゆきたいと思っている。(おわり)

 

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‘14 東北春の旅レポート <第22回>

2014-05-30 05:44:17 | くるま旅くらしの話

【今日(5/30)の予定】 

  道の駅:はが →(県道・R294)→ 自宅 

 

【昨日(5月29日)のレポート】    

<行程>

道の駅:喜多の郷 →(R121・R49他)→ 会津藩校日新館見学 →(R49他)→ 会津若松市内(猛暑のため散策中止)→(R118・R49・R294)→ 道の駅:天栄 →(R294)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294・県道)→ 道の駅:はが(泊) 

<レポート>

昨夜は初めて出会ったSさんとの話が大いに弾んだ楽しいひと時を過ごすことができて、酒も美味く眠りも満ちて、朝の4時にはすっきりと目覚めることができた。計画した出会いの喜びも嬉しいものだが、突然の新しい出会いはもっと喜びが大きいように思う。

今日の天気も朝から太陽が照りつけて、かなり暑くなりそうである。TVの予報画面を見ていたら,いわき市の最高気温が20度と出ていたので、間違いだろうと思ったら、やはりその通りのようで、福島県は、浜通りと会津や中通りとでは随分と気象のあり方が違うのだなと改めてその広さを思った。いまさら海側まで行くこともならず、今日は暑い会津の街中を探訪するつもりでいる。8時半ごろにSさんは、今日は直行の帰宅です、と出発されていった。我々の方は、先ずは会津藩の藩校の日新館に行くことにして、9時過ぎに出発する。

日新館は、復元したものが城からはかなり離れた場所に建てられている。何度もその近くを通っているのだけど、今まで一度も訪ねたことがないのが不思議なくらいである。心のどこかに、あれは本物ではないという意識があり、そのことが進んで見学することの邪魔をしていたのかもしれない。しかし、早乙女貢氏の「会津士魂」全巻を読み終え、更には大河ドラマで、幕末の会津藩の悲劇のストーリーが山本八重という一人の女性にスポットを当てて語られたこともあり、どうしても、もっと深く会津のことを知りたいと思うようになった。やはりそれを知ろうとする時には、その精神的な支えを創り出した源泉は何かということを考えることになる。たとえば、会津では子どもの躾教育に関して有名な什の掟というのがあるけど、その掟を生み出し形成していったのは何なのかというのを考えると、これはもう教育しかない。とすればやはり藩校の日新館のことを知らなければならないと思ったのである。

日新館は、今は城からかなり離れた旧河東町の高台に復元されて建っている。初めて訪れたそこは、元の建物を忠実に復元したものだと説明にあったが、確かに往時の威厳を感じさせる立派なものだった。620円也を払って中に入ると先ずは解説用の映写が用意されており、日新館の生い立ちとその後のあらましが上映された。ただ、少し物足りなさを覚えるのは、取り急ぎ大勢の来訪者に手っ取り早く概要を伝えようとしているのか、情報が少な過ぎるような気がした。もう少し事例などを入れた丁寧な説明の作品が用意されていても良いのではないかと思った。もしかしたら既に幾つか用意されているのかもしれないが、何のガイドもないのが残念である。

  

復元された日新館の入口である戟門。往時の学び舎に入る子供たちの心を引き締めるかのごとき威厳さを覚えた。

映写を見た後、中庭に入り、先ずは孔子を祀る大成殿に参拝する。儒学の祖の孔子を中心に、孟子や曽子などの像が並んで祀られていた。印象的だったのは、大成殿の前に植えられていた数本の楷の木だった。秋になると鮮やかに紅葉するこの木は、孔子の出身地の曲阜の廟の植えられていると伝え聞く。以前、岡山池田藩の閑谷学校を訪ねた時、この木を初めて見たのが強く印象に残っており、今ここでその木の春の柔らかな緑を見て感動した。土地と種や苗があればぜひ自宅の庭に植えて見たい木である。

  

大成殿の前に植えられた楷の木。この他にも数本が学舎の中庭に植えられていた。なんとも言えない柔らかく穏やかな新緑だった。秋になると真っ赤な紅葉が見られるに違いない。

大成殿の後は、中庭を取り巻くように造られている、様々な勉強や訓練の部屋などを順次見て回った。きめ細かに教育・訓練が行われていたことが良く解った。確かに立派人材を生み出す環境にあったに違いない。しかし、幕末のあの悲劇は一体何だったのだろうか。学びの結果作り上げられた信念を曲げずにそれに従った行動に徹したことが、悲劇につながったとするなら、この教育のことをどう評価すべきなのか。世界の様々な国で現代でも同じような出来事が生み出されているのかもしれない。教育というのは時に悲劇や不幸を生み出すのかもしれない。多少教育に係った者として、複雑な思いにとらわれたのだった。

  

日新館の入口に掲出されていた什の掟。往時もこのような物が掲げられていたのか。それは不明。今の世は、このようなこともわきまえぬ大人たちが溢れている。

40分ほどで見学を終え、車に戻る。相棒は、あまりに暑いので、見学で歩き回るのを敬遠して、中には入らずに売店のおばさんたちと歓談していたようである。確かに今日の暑さも真夏に負けないほどジリジリと大地を焼くかのごとくの厳しさである。その後、市内の散策をすべく鶴ケ城に向かって出発する。で、20分ほどで城の傍に着いたのだが、何とも暑い。相棒は城の見物にはあまり乗り気ではなさそうだった。城といっても本物ではなく復元されたものに過ぎないし、疲れるために入るようなものである。かといって、街中の散策も、この暑さでは熱中症にもなりかねない。当初の計画や目論見を破壊するほどの暑さなのである。しばし迷った結果、城の見物も散策も止めることにして、帰途に就くことにした。予報によれば、この後も暑い日はしばらく続くようなので、これじゃあ探訪や散策は無理だと判断した次第。となれば選択肢は一つしかない。すなわち帰宅することである。

というわけで、それからは急遽帰途に就くことになった。先ほどの日新館の方へ引き返す。帰りは我が家の傍を通っているR294を通って行くつもりである。R294は、福島県の猪苗代湖近くでR49から別れて、茨城県の取手市内でR6につながる茨城街道とも呼ばれる国道である。途中白河市街で複雑になるけど、それ以外は大半が山間地や田園地帯の中を通っている。茨城県に入って、下妻市辺りからは道も片側2車線の都市の道路に変化したりしている。この道の起点から終点までを走る人はそれほど多くはいないのかもしれない。今日はその半分ほどを走って、途中から栃木県の芳賀町にある道の駅まで行き、そこに泊って旅の最後の夜を送り、明日家に帰るつもりでいる。

R49から別れてR294に入り、しばらく山間の農村地帯を走って、至勢峠を上り下って、天栄村に出ると、そこに新しい道の駅が作られていた。新しいといっても何年か前にオープンしたのであろう。我々には初めての来訪だった。ここで昼食休憩。相棒は暑さと冷房に参ったらしいので、1時間ほど寝床に横たわってもらうことにした。道の駅が坂の途中に造られているため、車の往来の度にかなりの騒音がして、落ち着かないとは相棒の愚痴だった。平らな土地がいくらでもあるのに、よりによってどうしてこのような場所に道の駅を作ったのか不可解とのコメントもあった。それは村長さんにでも聞いてみなければ解らない。

14時少し過ぎに出発。白河市の市街地を通過して、再び郊外からR294に入り南下を続ける。那須町の道の駅の東山道伊王野に寄り、一息入れた後更に南下を続ける。この辺りは一雨驟雨が通過したらしく、道路が濡れていた。そういえば、先ほどから遠く雷鳴が届いているような気がしていた。余りの暑さに天も狂気を発したのかもしれない。しばらく走って那珂川沿いに黒羽町、那珂川町、那須烏山市となじみの深い名前の町筋を通過する。間もなく右折して県道に入り、しばらく田畑の中を走ってようやく芳賀町の道の駅に着いたのは、17時頃だった。この辺りはうす雲がかかっていて、さほど暑さを感じない。会津がこれくらいだったら街中の探訪もできたのになどと思ったけれど、これは仕方がない。

芳賀の道の駅には温泉の入浴施設があるので、さっそく入りに行く。以前は500円だった入浴料が100円挙って600円となっていた。消費税の値上げ幅よりも大き過ぎるなと思った。この手の値上げが旅をしていると所々見られて、何とも不愉快な気分になる。ここの湯に入るのは久しぶりだったけど、もうこれからは入るのは止めようと思った。なぜなら少し先に喜連川温泉があり、こちらの方は300円で本物の温泉に入れるからである。風呂場の中での地元の人たちの話題にもここの値上げが取り上げられており、皆さんかなり批判的だった。値上げして収益が改善されるとは限らない。この先大丈夫なのかなと少し気になった。ま、料金はともかくとしてお湯の方はそれなりに満足できるものだった。車に戻り、旅の最後の夜の祝杯(?)を挙げて眠りに就く。

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‘14 東北春の旅レポート <第21回>

2014-05-29 06:11:06 | くるま旅くらしの話

【今日(5/29)の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121・R49他)→ 会津若松市内探訪 → その先未定

 

【昨日(5月28日)のレポート】    

<行程>

道の駅:おおえ →(R287)→ 大江町:左沢地区散策 →(R287・R112)→ 道の駅:さがえ →(R112・R287)→ 道の駅:しらたかヤナ公園 →(R287・R113・R121)→ 道の駅:田沢 →(R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊) 

 <レポート>

久しぶりに雨や風の煩わしさのない一夜を送り朝を迎えた。昨夜ここに泊られたくるま旅の人たちは、早々にここを出発されたようで、残っている車は殆どいなくなっていた。十数年前の自分たちも朝は夜明けと共に旅だって、次の目的地に向かったことを思い出したりした。今は、そのような暴挙は決してしない。考えて見れば旅の中身が随分と変わってきていると思う。もう少し経ったら、一日100km以内を厳守するような時間の使い方になるのかもしれない。

今日は午前中は左沢の町並みを散策するつもりでいる。地図などを見ても良く判らないので、とにかく足に任せて歩き回るつもりでいる。朝食を済ませ、連続TVドラマを見た後、給水やトイレの処理などを済ませて左沢の駅に向かう。左沢には山形につながるJR線が来ており、左沢線と呼ばれているようで、ここが終点となっている。駅前には無料の駐車場があり、昨日確認させてもらっている。

  

JR左沢駅の景観。正面のドーム状の建物には左沢の町の四季の行事などのPR用の展示物などが巧みに紹介されている。

何度かの火災などもあって、昔の町の姿は一部しか残っていないけど、その中心街は駅の近くと少し離れた最上川岸辺にあるらしい。先ずは車を置いた後、原町、横町、内町などの商家のあった辺りを歩くことにした。立派な瓦屋根の光る土蔵付きの家も一軒だけ残っていたが、それ以外は表通りの家はありふれた普通の民家の造りが多く、特徴的といえば、表ではなく裏の方に細長く倉などが連なって造られているのが、今の時代にも使われて残っているという景色だった。写真を撮っても説明を聞かなければ判らないといった感じで、何かが足りないなと思った。

  

左沢地区原町にある旧家。商家であるらしく、この蔵風の建物のほかにも、大きな白壁の土蔵が屋敷の中にあった。ここまで残されている家は、この一軒だけだったように思う。

その後、最上川の方へ行き、川辺の遊歩道というのをあること思ったのだが、手元の資料ではどこからどう行ったらよいのかが判らず、かなり戸惑った。古い最上橋というのがあり、それは直ぐに判ったのだけど、そこに行く道がなかなか見つからないのである。まだ重要文化的景観に指定されたばかりで、案内のパンフレットなどがきちんと出来上がっていないせいなのかなと思ったりした。とにかく、あちらこちらと迷いながらの散策だった。それでも凡そのことはなんとなく理解できたように思う。

  

最上川の岸辺から最上橋を望む景観。この岸辺近くには渡し場や河岸の米蔵などがあったようである。

左沢の探訪を終えた後は、寒河江の道の駅に行って小休止することにした。大江町の道の駅はトイレなどの設備が不十分で、少し面倒だけど隣の寒河江の方が気にいっている。寒河江といえば、サクランボの本場の一つで、もう少し経てばあの愛すべき輝く頬染めた実が見られるのだけど、今はまだ畑の樹木の中で夢を育んでいる最中である。それでも寒河江の道の駅には今日も人が溢れていた。30分ほど休んで、その後は今日のゴールを予定している福島県の喜多方に向かい出発する。当初は米沢から新潟県の方を回って会津に行こうとも考えていたのだが、何も遠回りすることもあるまいと、近道を選ぶことにした。今朝来た道を戻って、R287を白鷹町の方に向かう。今朝の道の駅の電光板では、R287は、大型や中型の車は通れないので、他の道を迂回するようにと案内が表示されていたので、少し気がかりだったが、SUN号は小型なので大丈夫だと思って、そのまま行くことにした。山の中に入り、間もなく白鷹町の道の駅が近いなと思う頃に、この先通行止めで迂回路を指示する案内があった。普通なら絶対に通らないといってよい山道が、その先ずっと続いた。幾つかの限界集落とも思しき数軒しかない人の気配の殆どない場所を通って、相当に大廻りをして、ようやく白鷹町の中心街に出ることができた。既に道の駅は通り越しており、昼食時の休み場所にと少し戻って道の駅:白鷹ヤナ公園に向かう。

ここで昼食休憩とする。何か食べ物で魅力的なものはないかと探したのだが、見当たらず諦めてご飯を炊いて自前のメニューとした。物凄い暑さで、車の外は30度を超えているのは確実である。そうめんなどを食べたいところだけど、水が存分に使えないので、我慢した。この道の駅は、すぐ傍を流れる最上川に巨大なヤナが仕掛けられており、シーズンは鮎の料理などが名物である。しかし今はまだアユ漁は解禁にはなっていないので、売られている焼きものは何だか買う気にはなれなかった。鮎を味わうのは、やはり秋近い頃辺りが一番だと思う。ということで、広い駐車場には停まっている車は閑散としていた。1時間半ほど休んで、長井市方面へ向かう。

  

白鷹町の最上川に仕掛けられたヤナの景観。日本一を標榜するだけあって、確かに規模の大きいものだと思う。それは、最上川の恵みなのだとも思った。

長井市、米沢市街はどこにも寄らずにそのままパスする。長井市のあやめ公園は有名で、ちょうど今頃が見どころなのかもしれない。しかし、この暑さでは、熱中症を志願しに行くようなものである。米沢市内にも魅力的な場所が幾つかあるけど、今日はとにかく喜多方の道の駅まで行って、落ち着くことにした。米沢からR121に入り、少し行くと山が近づきそこに道の駅:田沢がある。ここで小休止する。しかしまあ、その、何という暑さなのだろう。真夏でもこんなに暑い日はないのではないかと思うほど、ジリジリと暑さが身にこびりついてくるという感じで、とても外には長い時間いられないというほどだった。もう少し山の中に入れば涼しい場所があるかもしれないと車を出したのだが、その先は木陰は反対側の方ばかりで、SUN号の行く左側には駐車できるような木陰の場所は皆無だった。やむを得ずそのまま車を走らせて、幾つものトンネルと橋を通って、あっという間に喜多方の道の駅:喜多の郷についてしまった。まだ15時前なのである。

ここも猛烈な暑さだった。日陰のある駐車スペースは2~3台分しかなく、どこへも逃げ場はない。当初は空調が効いて涼しかった車の中も間もなく暑さが侵入してきて、息苦しくなりだすという塩梅だった。仕方がないので、まだ入ったことがない「四季彩館」という建物を覗いたら、ここがまあとても涼しいのである。中には喜多方の祭りの山車や太鼓などが展示されており、中二階もあって、天井の高い蔵風の建物なのであった。これは好都合と、しばらくその中二階にある展示室のソファに身を沈めることにした。その内に相棒が呼ぶので行ってみると、会津型とかいう染めの技法があるそうで、その工房の案内資料があったので、そこへ行きたいという話だった。外へ出れば暑さに見舞われるけど、これから日暮れまでここにじっとしている寄りは気がまぎれるだろうと、喜多方市内の中心地近くにあるその工房へ行って見ることにした。

「染織工房れんが」というその工房は、道の駅からは15分ほどの場所で、行ってみると名物のラーメン屋さんなどが多く並ぶ一角の中にあった。会津型などという世界は自分には全く無縁の世界なので、それから先は相棒に任せて、しばらく古い喜多方の商店街を散策した。喜多方は会津藩の支藩のあったところで、気風も会津人と同じようである。幕末には義を通して大変な目にあったけど、その魂の確かさは本物である。明日は本家の会津若松を訪ねることにしており、あれこれその昔に思いをはせながらの歩きだった。30分ほど経って戻って見ると、相棒はまだ話に夢中のようで、これはもう待つしかない。会津型というのは染物の型のようで、大変微細な模様を描き出す型のようである。このようなファッション絡みの世界には並々ならぬ興味と関心を持つ相棒なので、これはもう一種の病の様なものだと諦めてはいる。それからしばらく経って、ようやく話が終わったらしく車に戻ってきた。そのあと、店の方から湧水があるから汲んで行けばとお勧めがあり、庭先に噴出している水を頂戴して空になっていたペットボトルを満たす。これでもう家に帰るまでの飲料水の心配はなくなった。お礼を言って道の駅:喜多の郷へ戻る。17時を回っており、間もなく日が沈むので暑さも弱まるであろう。

ようやく暑さも鎮まり始めたので、今日はどうしてもビールが不可欠と二人で乾杯して、いい加減な夕食を終えたのだったが、しばらくすると、外で「SUN号だ!」などと声をあげている人がいる。相棒が直ぐに反応して外へ出て行って声をかけていた。すると、その方は馬骨の名を出されて、自分の本を購入して下さった方だという。ブログも良くお読みいただいているとの話だった。まあ、それからいっぺんに賑やかな話となった。栃木県は那須町にお住まいのSさんで、今日は姉さんご夫妻と一緒の旅の途中だとか。大切な知人の経営されているRVランドから旅車を購入されたとかで、ますます親近感が増したのだった。その後、Sさんは我が車を訪ねて来られて、持参されたお酒とつまみをご馳走になりながら、楽しい歓談の時を過ごしたのだった。このような出会いは久しぶりのことで、嬉しかった。旅の中で、まだ一度もお会いしたことのない方から、自分のことを知っていて声をかけて頂けるというのは、無上の喜びである。つたない本だったけど、出版社がつぶれてしまって残念だったけど、書いて世に出させて頂いて良かったなと、しみじみ思った。21時過ぎまで時間の経つのを忘れて、もう、数年前からの知己のように話ができるのは不思議なことである。その内容はプライバシーなので、ここには書かない。Sさんは、奥さんがまだ現役で仕事をされておられるので、ご一緒の旅は短期間とのことだった。奥さんが引退されたら、是非我らでこぼこコンビのように、時にケンカなどしながら旅の楽しさや喜びや苦労などを大いに味わって頂きたいなと思った。今日は最後に思いもよらぬ福に恵まれた一日となった。

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‘14 東北春の旅レポート <第20回>

2014-05-28 06:31:08 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

  道の駅:おおえ →(R287)→ 大江町:左沢地区散策 →(R287)→ 道の駅:はくたか → この先未定

 

【昨日(5月27日)のレポート】    

<行程>

あぽん西浜駐車場 → 道の駅:鳥海 →(R7・R47)→ 道の駅:とざわ →(R47・R13)→ 道の駅:尾花沢 →(R13・R287・R112)→ 道の駅:寒河江 →(R112・R287)→ 大江町:重要文化的景観:左沢地区探訪(歴史民俗資料館・楯山公園)→(R287)→ 道の駅:おおえ(泊)

 <レポート>

昨日は今までの旅の中でもあまり起こらなかった現象だった。まさか遊佐町のここに戻ってくるとは、朝の出発の時には夢にも思わなかったことである。しかし、昨夜はずっと雨が降り続き、悪天候だったことを思うと、存外ここに泊ったのは正解だったのかもしれない。もう一度温泉に入って、熟睡できたのはその証拠のように思った。今朝は昨夜の雨も止んで、青空が現れ出し、何だか一気に暑くなる予感がした。今日はもう羽黒山などに行くのは止めにして、最上川に沿って走るR47を辿り、新庄から南下して尾花沢からそば街道を通って寒河江に抜け、ゴールとしては大江町の道の駅を考えている。大江町には、重要文化的景観の左沢地区があり、時間があれば今日それらの一部を訪ねて見たいと思っている。

8時半過ぎに駐車場を出て道の駅:鳥海に行き、ごみ処理などをした後、酒田方面へ向け出発する。昨日戻ってきた道を辿り、途中で給油をした後、酒田市郊外の最上川にかかる橋を渡った後、左折してR47に入る。この後はこの道を40kmほど行けば新庄市に入ることになる。その間はずっと最上川とつかず離れずの道なりが続いている。以前この道を反対方向から来たことがあり、今日は違う景色を見ながら行くことになる。しばらく行くと最上川は両側を山に挟まれた渓谷を流れることになり、この辺りは最上峡と呼ばれる景観が続いている。最上峡には今でも景観を楽しむ遊覧船が通っており、時々道の左方を水量豊かに流れる川面を、お客を乗せた遊覧船が行き交っているのが見えた。

相棒はどうしてもその遊覧船の姿を川の流れと一緒にカメラに収めたいと考えているらしく、奔っている車の中から盛んにシャッターを切るのだけど、焦点を合わせている間に景色は変わってしまい、シャッターを切った時は邪魔ものばかりが写る結果となっているようだった。ちゃんとした写真を撮るには、停まれば良いだけの話なのだが、道路幅に余裕はなく後続車もあるので、停めるわけにはゆかない。しばらく走っていると、遊覧船の乗り場と書かれたドライブインがあったので、そこに車を停めて舟が来るのを待つことにした。しかし、しばらく待ってもなかなかやって来ないので、いつまでもそうしているわけにもゆかず、出発する。間もなく戸沢村の道の駅近くになる頃に、もう一つの大きな遊覧船の基地の様なのがあったので、そこに車を停めてしばらく休むことにした。川の方に行ってみると、川下り(ここでは上りの便もあるようだった)の舟が何艘も繋がれていた。20分くらい後にここから下りの舟が出るらしいので、それを待って写真をとることにする。待つ間に最上川の水量豊かな流れをしばらく眺めることにした。芭蕉の「五月雨をあつめて速し最上川」の句は有名だが、最上川は五月でなくても一年中水量豊かな流れを保っている。東北の山の受けとめた雨水を静かに、時に激しくあつめて海に流す大自然の浄化作用を受け持ち続けているのかもしれない。人間どもはその流れを物資の流通手段として大いに活用させて貰っており、今日これから行く予定の大江町左沢(あてらざわ)地区なども、その恩恵を受けて栄えた場所であり、更にその上流にもたくさんの恵みを施している。

  

豊な水量の流れを滑りゆく川下りの舟。川の真ん中を行かずに岸辺のより深い場所を行くのは、何か理由があるのかもしれない。

間もなく出航時間が来て、十数名を乗せた遊覧船は出発していった。遠く九州福岡からやって来られた方もいたらしく、相棒はその方としばらく話をしていたようだった。相棒念願の写真を撮って、我々の方も出発する。すぐに道の駅:とざわに着く。この道の駅は韓国の高麗との縁があるらしく、極彩色の朱色の建物が何棟か高台に建っている。なんだか落ち着かない、この景色にはそぐわない感じがする。一番下の方にある地産品の売店を覗いたけど、獲物はさっぱり見当たらず、直ぐに出発することにした。新庄からは一部開通の高速道が無料通行OKとなっていたので、尾花沢の終点一つ前までそれを利用させてもらった。尾花沢の道の駅に寄り、少し休憩する。売り場の中にウルイの良いのがあったので、1把買い求めた。この地ではウルイのことをギンポと呼んでいるらしい。ウルイはギボウシとも呼ばれるから、それがなまってギンポとなったのかもしれない。なかなか面白いなと思った。

ギンポを買って一息入れた後は、R13を少し走って、尾花沢の郊外からそば街道と呼ばれるR347へ右折して入る。この街道は寒河江の方に最上川と交差しながら向かっているのだが、途中に美味しい蕎麦を食べさせてくれる店が何店かあり、蕎麦通の人には見落とせない道筋である。我々は蕎麦通というわけではないけど、時には美味い蕎麦を食べたいという思いは無くしてはいない。今日は久しぶりにそれを味わわせて頂こうと考えている。少し走って、最上川に架かる橋のたもとに「はやぶさ」という店があったので、ここに入ることにした。この店も認定店となっていた。山形県では蕎麦は板そばに限ると思い込んでいるので、板そばを注文した。以前慈恩寺そばを食べた時は、その板の中に入っていたのは真っ黒なそばで、これは度肝を抜かれるほどに堅くて、食べるのに苦労したのを覚えている。まさかそれほどのことはなかろうと思っていたが、運ばれてきたのを見ると白いものだったので安堵した。さっそく口に入れると、ほど良い堅さで、これがそばつゆともぴったり相性が良く、実に美味かった。出されたコゴミのごまあえや漬物も美味くて、この店を選んで良かったなとしみじみ思った。久しぶりに本物の蕎麦を味わった思いがした。

  

村山市そば街道の「はやぶさ」の板そば。具の入っている小丼につゆを入れ、それにそばをつけて食べる。板そばは普通のそばの3倍近い量があり、満腹の満足となった。

昼食の後は、とりあえず寒河江の道の駅を目指す。この辺りはサクランボの名所で、道路の両端にはサクランボ畑が広がっていた。まだ実がついたばかりで、これから膨らんで行くのであろう。農家の人たちはそれほど忙しくもなさそうな畑の感じだった。今は、田植えが終わって一息入れているといった状況なのかもしれない。間もなく寒河江の道の駅に着く。ここはかなり規模の大きな駅舎があり、平日でもかなりの人が訪れていた。30分ほど休憩する。まだ15時前で日は高く、気温は27度を超えているようである。あまりにも暑いので、シャツを脱ぎ七分袖のTシャツ一枚になることにした。数日前までの寒さとは打って変わった環境変化に、果たしてこれから老人は耐えて行くことができるのか、などと大げさに思うほどの暑さだった。

しばらく休んだ後、まだかなり時間があるので、予定していた重要文化的景観の探訪地の内、左沢地区の散策は明日にすることにして、今日は先ず大江町の歴史民独資料館を訪ね、その後左沢の景観を一望できるという楯山城址公園に行くことにして道の駅を出る。10分ほどで歴史民俗資料館に着く。中央公民館というのがあり、そこで受付をし、100円也の入館料を払って資料館の方へ向かう。そこは斎藤半助という方の住まいを移築補修した建物らしく、かなり大規模の古民家らしい建物が資料館となっていた。中に入ると、誰もいないと思っていたのが、ボランティアの方なのか同世代と思しき男性がおられて、家のことやその昔の産業のことなどについていろいろ丁寧に説明して下さった。それによると、この家は、今はもう限界集落が崩壊して住む人もいなくなった十郎畑という集落の名主を務められた方の居宅であり、町に寄付されたものであるとか。その昔江戸から昭和の初めごろまでは、この地は青苧(あおそ)という衣料の原料となる草を植え、それを大阪や江戸に卸すという商いをして栄えたとのこと。青苧のニーズがすたれた後は、養蚕も行われるようになったとも。しかし昭和40年代でその集落の住民は絶え、今は荒れたままだとか。資料館の中には、明治以からと思われるさまざまな民具などが展示されていた。また、青苧を材料とした織物製品や織り機なども展示されていた。これらは相棒の興味関心の度合いの高いもので、説明は逆転している感じだった。何はともあれ、青苧を始めこの地での産物が、最上川の水運や大正に入って引かれたJR左沢線などの運送手段を利用して広く全国に運ばれていったということが良く理解できた。

  

大江町歴史民俗資料館となっている、旧斎藤半助家居宅の景観。重要文化的景観の幟が立っていた。

歴史民俗資料館を出た後は、近くにある楯山公園という所に出向く。ここはその昔の城跡で、そこからの景観は日本一というので、日本一公園とも呼ばれているとか。行ってみると狭い敷地に東屋の様なものが建てられており、確かにそこからの景観は、最上川とそれに寄り添うようにして発展してきた左沢の町が一望でき、見事だった。日本一かどうかは別として、歴史に思いを馳せれば、重要文化的景観にふさわしい眺めだなと思った。写真を撮ったのだが、景色が大き過ぎて上手く収まらないのが残念である。明日は、あの眼下に広がる町中を歩いてみようと思いながら公園を後にして道の駅に向かう。

  

楯山公園から俯瞰した左沢の町並みの景観。左側の流れが最上川。この川はこの辺りでかなりひねくれて蛇行しているようだ。

大江町の道の駅には何度もお世話になっているのだけど、左沢への関心は全くなく、今回重要文化的景観良関心を持って初めてそれと知った次第である。左沢が重要文化的景観に指定されたのは昨年のことであり、気づかなかったのもやむを得ないのかもしれない。とにかく今夜は道の駅に泊ることにして、先ずはそのすぐ近くにある温泉へ。ここには幾つかの入浴施設があるのだが、自分たちは一番近くにある舟唄温泉というのを利用させてもらっている。ここは最上川の急流断崖の上あたりに建っている施設で、景観も良いしお湯も源泉かけ流しである。料金も200円とこれまた安い。先ずは相棒が温泉に行き、その間に自分はウルイを茹で、それが終わって旅の記録の整理などをする。その後道の駅の方に移り、それから自分は温泉に出かけた。戻ってきて夕食。何人かのくるま旅の人たちがおり、今夜は数台が泊りを一緒とするようである。6時過ぎになってようやく日が沈み、やれやれという感じになった。夕食の後は、いつもの通りの早めの就寝となる。

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‘14 東北春の旅レポート <第19回>

2014-05-27 06:19:09 | くるま旅くらしの話

【今日(5/27)の予定】 

  あぽん西浜駐車場 → 道の駅:鳥海 →(R7・R47)→ 道の駅:とざわ →(R47・R13・R287)→ 道の駅:寒河江 → 重要文化的景観:左沢地区探訪 →(R287)→ 道の駅:おおえ(泊)

 

【昨日(5月26日)のレポート】    

<行程>

鳥海温泉:あぽん西浜 →(R7・R112)→(酒田市内経由)→(R112・県道)→ 鶴岡市・鶴岡公園(藤沢周平記念館) →(R112・県道)→ 羽黒山参詣(途中で中止)→(県道他)→ 道の駅:庄内みかわ →(県道・R7)→ 道の駅:鳥海 → あぽん西浜駐車場(泊) 

<レポート>

予想外の変な一日となった。昨夜のあぽん西浜の駐車場の一夜は、風も騒音もなく昼寝をした割りには快適な眠りに恵まれて大満足だった。今日は先ず酒田か鶴岡の市内に行って、気にいった所があればそこに寄って見聞した後、羽黒山に参詣して、その後は山越えして寒河江の方に抜けるか、それとも最上川に沿う道を遡って尾花沢の方に出て南下して寒河江に至るかして、近くにある道の駅:大江に泊ろうかなどと考えていた。

先ずは朝食を済ませて,鳥海の道の駅に寄った後、9時過ぎ酒田市内を目指して出発。海側を通る予定で、R112を利用することにした。酒田市街は、本間美術館や旧本間家、それに山居倉庫などは一度訪ねたことがあり、今回は特別関心を寄せることもなく、場所を確認しながら通過することとなった。酒田市街を抜けて、しばらく海岸に沿って走り、鶴岡市に入って、先日TVのどこかの局で放映された海の守り神の善宝寺というのを訪ねることにした。勿論初めての来訪である。行ってみると、立派な伽藍の並ぶ大きなお寺だった。目立ったのは明治の初め頃に10年の歳月をかけて建てられた五重塔だった。これは魚の供養のために建てられたのだとの説明板に書かれていた。海の守り神という話は自分の誤解だったのかなと思った。このお寺についてはTVを見たというだけで何の予備知識もなく、これは帰宅してから調べる必要があるなと思った。寺を後にする頃、托鉢を終えた雲水姿の修行僧らしき人たちが数人戻ってきた。この寺で修業をされている人もいるらしい。とすれば、スケールの大きいてらなのだろうなと、改めて思った。

   

善宝寺五重塔。明治16年から10年をかけて建てられた、魚の供養のための塔であると案内板にあった。漁師たちの魚への贖罪と大漁の思いとが綯い混ざったモニュメントなのだなと思った。

お寺を出た後は、ナビを鶴岡の致道博物館に設定して鶴岡市の中心街に向かう。庄内藩の藩校の旧致道館には、何年か前に一度訪ねたことがある。幕末の戊辰戦争の流れの中で、庄内藩は日和見的な動きを示していて、結局会津藩を裏切ることになったのだけど、何故か西郷隆盛には親近感大だったようで、西郷の関係する資料などが多くあったのに驚いたことがある。詳しいことは判らない。今回は特に再訪してみようという気持ちもなく、とりあえず中心街のあたりを少し歩いてみようと思ってやってきただけである。ところが博物館についてみると、駐車場は満杯で、とても止められない。やむなく駐車場を探して城跡をぐるっと回って見ることにした。昨日何か大きなイベントがあったらしく、城跡の周辺は一方通行の規制などがあって、なかなか停める場所が見つからなかった。ようやく見つけてやれやれと安堵する。しかし、城跡の傍だというのは判るけど、土地勘は全くなく、どの方向へ行けば街の中心へ出られるのか見当もつかないのである。仕方がないので、城跡の方へ行って見ることにした。

城跡は公園となっていて、昨日は天神祭というのが行われたらしく、公園の中には昨日の祭りの雰囲気をそのままにした香具師の人たちので店が幾つも並んでいた。片づけるのはもっと後になるらしい雰囲気だった。公園の中には荘内神社があり、これは庄内藩主酒井氏の鎮守だったということらしい。その脇に藤沢周平記念館というのがあり、これが覗かねばなるまいと300円也を払って中に入ることにした。藤沢周平という作家は自分の尊敬する5本の指に入る方で、その作品のほとんどを収録している。大半は文庫本だけど、書かれている内容は皆同じだから、ハードカバーや雑誌でなくてもいいのだと思っている。展示会場の中に示されている作品やその背景等については、少し物足りない感じもしたが、これは自分の感性の問題なので、とやかく言う話ではないと思う。展示場の中に大泉に住まわれていた時に使っておられたという書斎が移設されてあったが、自分の書斎と比べてきちんと整理が行き届いておられるのを見て、大いに反省した。帰ったら、書斎の見直しをしなければいけないなと思った。このように他人様のものを見て心が揺れ動いて左右されるというのは、下等の人間である証なのかも知れない。どこかでそのような声もしていた。このところしばらく周平作品からご無沙汰しているので、読みなおさなければいかんなとも思った。大いに刺激された時間だった。

  

鶴岡公園内の藤沢周平記念館。時代小説家というイメージが強いので、このような近代的な建物だったのは少し意外だった。もう少し長生きして欲しかった本物の小説家だった。

記念館を出てから、相棒の調子がおかしくなったようだった。館内の空調が寒過ぎたとかで、何だか暗い表情になっていた。それでも、ま、大丈夫だろうと、街中の方へ向かおうとしたのだが、少し歩いても商店街らしきものなど見られず、結局もっと歩くことになってしまうので、止めることにして車に戻る。名物のお菓子を買おうと思ったのだが、相棒がもう良いというので、断念することになった。それにしても判りにくい街中である。もしかしたら、一番わかりにくい場所に車を停めてしまったのかもしれない。何だか不満の残る時間だった。

その後は羽黒山を目指して走り続ける。鶴岡市街から羽黒山へは一本道のようで、しばらく走ると、大きな鳥居も見えてきた。相棒が何か言っているので、何かと思ったら、羽黒山へ行っても自分は車に残るので、あなただけ行ってきたらいいという話だった。なんじゃいそれは?それほど具合が悪いのなら、一人のこのこと参詣してみても始まるまいと思った。それほど羽黒山参詣に執心しているわけではないので、それならば行っても仕方がないと即断して、先ずは休める場所を探して向かうことにした。調べた結果、道の駅:庄内みかわというのが近くにあるのでそこを選ぶ。

道の駅:庄内みかわには何度か寄ったことがある。かなりだだっ広い敷地に何棟もの建物が立っており、温泉などの入浴施設もある。設備は整ってはいるのだけど、ここには水汲み場もごみ箱もなく、くるま旅の者には恵まれた施設とはいえない。ま、とにかく先ずは休憩ということで、着いたらすぐに相棒には寝床に横になってもらった。12時を過ぎていたので、一応昼食の準備をする。近くにスーパーも同居していたので、そこへ行き、そばなどを買い入れた。まだ山芋が残っているので、山芋を下ろしてそばに掛けて食べることにした。その前に、山菜のコゴミも買ってきたので、それを茹でて食べられるように処理した。そばの方は、相棒も食べるというので、二人分を用意する。[1]ドタバタしている内に2時間以上が過ぎ、相棒も少し落ち着いてきたようなので、今夜ここに泊るかどうかの検討の話となった。ここは一晩くらいならどうにかなるのだけど、それにしても風当たりの強い場所で、今もかなりの強風が車を揺らしている。これじゃあやっぱり落ち着かないと、結局調べた結果、昨日泊った遊佐町のあぽん西浜の方がずっといいということになり、もう一度戻るということに決めたのだった。ここからは35kmほどあるのだけど、一番近いし何よりも昨日泊っているという安心感がある。

というわけで、振り出しに戻ることになって、それからはひたすらR7を走って、14時40分頃には到着する。もうここから先は特に書くこともない。

 

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‘14 東北春の旅レポート <第18回>

2014-05-26 06:00:39 | くるま旅くらしの話

【今日(5/26)の予定】 

  鳥海温泉:あぽん西浜 →(R7・R112)→ 酒田市内経由・鶴岡市街方面 →(R112・県道)→ 羽黒山参詣 → その先未定

 

【昨日(5月25日)のレポート】    

<行程>

道の駅:象潟 →(R7)→ 鳥海温泉:あぽん西浜(温泉入浴)→ 道の駅:鳥海 → 鳥海温泉:あぽん西浜(泊)

 <レポート>

昨夜は強風が吹き止まず、朝になっても風の勢いは一向に収まるようすを見せなかった。交差点の信号と強風のおかげで、断続的な不快音が耳に障って熟睡が叶わず、すっきりしない眠りの一夜だった。外を見て見ると、鳥海山は麓まですっかりと霧の膜に覆われて、昨日見たあの雄姿は一体どこに消え去ったのかと思うほど、山側は霧の中だった。昨日から吹き続けた強い風が日本海の湿気を運んで、鳥海山にぶっつけ続けたに違いない。夕日が名物の象潟の合歓の丘も、晴れてこそであり、こんな天気ではうたい文句など糞くらえという感じだった。

朝の2時半ごろトイレに起きたら、冷蔵庫用のガスが切れて、警告のランプが点滅していた。風はあるし、冷蔵するニーズはあまりなさそうな気温なので、LPガスのボンベの交換は朝起きてからにしようと横着した。そのまま放置するわけにはゆかないので、ブログの投稿を終えた後、ボンベを交換する。ボンベには5kgのLPガスが入っており、この車では冷蔵庫専用で使っているのだが、丁度16日で使い切ったことになる。一日の使用量が300gと少しという計算になる。今回はもう一本が空になるまでには家に戻るつもりなので、途中での補填は考えていない。本当はカセットガス方式が便利なのだけど、この車は古くなりだしているので、大型ボンベでお我慢しなければならない。寒風の中で交換を終えた。

今日は、久しぶりにこの近くにある中島台レクリエーションの森を訪ねて、あがりこ大王に挨拶に参上しようと考えていたのだが、この天気では森の中は霧の中で、あがりこ大王のご機嫌もうるわしくないのではないかと思い、訪問を諦めることにした。あがりこ大王というのは、ブナのあがりこの王様と呼ばれている大木である。「あがりこ」というのは、人間が切り倒した株から生えたヒコバエのことを言い、この場合のあがりこは、ブナの木なのである。江戸時代のいつの頃なのか、300年ほど昔にブナの木が伐採されて、そのまま放置された後の株の脇から生えた生命が、その後300年も生長を続けて、今の世に巨大な大木となって生き続けている。大王と呼ばれる一本だけではなく、その他にも数多くのあがりこが見られるのである。これらの樹木はすべて株の辺りが大きく曲がっており、その姿があがりこである証となっている。初めてあがりこ大王に会いに行った時は、その姿の凄まじさに度肝を抜かれるほど感動したのを思い出す。今回は残念だけど、挨拶参上は見送ることにした。

とにかく風が強くて、手を引かれたおばあちゃんがよろけそうなほどなのである。これじゃあ、近くの蚶満寺にも落ち着いては行けそうもないので、ここを出て山形県に入り、遊佐町にある道の駅:鳥海の方に行くことにした。道の駅の近くの海側にあぽん西浜という温泉施設があり、そこは6時から入浴OKということなので、今日はもう完全な静養日ということにして、朝風呂に入り、昼寝をしてその後もちんたらと過ごすことにすることに決める。ま、老人の旅には、このような日があってもいいのではないか。くるま旅だからといって、何も毎日シャカリキに移動ばかり続けることはない。

ということで、朝食の後遊佐町に向けて出発する。左側の山の方は先ほどよりも一層霧が濃くなったようで、すぐ近くまで霧が押し寄せてきているようだった。一時的なのかもしれないけど、これじゃあやはりあがりこ大王挨拶参上は無理だなと思いながらの運転だった。20分ほどで鳥海温泉のあぽん西浜の駐車場に着く。ここへ来て見て驚いたのは、風が全くないことだった。四方が小高い丘と樹木に囲まれて、風を防ぐような位置に施設が造られている。象潟の道の駅は海岸の丘の上に造られており、風を防ぐ手立てがなかったのであろう。今後は風のある時は、ここへきて泊ることにしようと思った。直ぐに入浴の準備をして車を出る。ネットで調べた時には料金が350円だったが、来て見ると400円になっていた。消費税のアップが影響しているのかもしれないけど、計算が合わないなと思った。ま、文句を言うのは止めてそのまま風呂場へ。以前にも何回か入っているのだけど、すっかり忘れている。その方がいつも初めての来訪のようで、新鮮な気持ちで温泉に浸かることができるのだ、とこの頃は思っている。ここには露天風呂もサウナもあって、施設は充実している。400円は安いと思っていいのかもしれない。先日入った乳頭温泉黒湯の硫黄の臭いがまだ残っているのを丁寧に洗い落すことにした。黒湯では石鹼など一切使わないで、ひたすら湯に浸かっただけで、それを洗い落とすこともしなかったので、どうやら今日まで臭い君が頑張って残っていてくれたらしい。相棒に落とすように指示された次第である。相棒は戌年生まれで、嗅覚は超過敏なので、ここ二日は相当のストレスを振り撒き続けていたのかもしれない。

水風呂にも2度ほど入って、すっかりいい気分になって、1時間ほどの入浴を終え、車に戻る。その後は、着替えを済ませ、しばらく朝寝をすることにした。10時を過ぎているので、昼寝というべきなのかもしれない。相棒も寝床に横たわって、それからちょうど正午に町の放送用スピーカーから音楽が流れるまで、春眠を貪った。起き出して、昼食は少し先にある道の駅の方へ行って摂ることにした。車を移動させたのだが、道の駅のいつもの駐車場は満車だった。第2、第3と駐車場が作られており、それらのどれもが車で埋まりつつあった。第3駐車場に車を停め、昼食の目ぼしい獲物を探しに行く。ここでは魚を焼きながら売っており、その他に刺身やフライなどにしたものもあり、また、野菜売り場には季節の作物や山菜などが溢れて並べられている。先ずは魚の方に行き、焼いている銀カレイの大きな切り身を頼む。焼き上がるまでに時間がかかり待たなければならないので、これは相棒に任せて、自分は野菜売り場の方を覗いた。さすがに山菜の方は既に時期を外れており、ほんの少ししかなかった。野菜もこの時期はまだ端境期なのであろう、数は少なかった。その中で魅力的だったのは、蕪の束だった。巨大な蕪が3個150円で売られていた。ヨシ、これを漬物にしようと買い求める。後でスライスしたら、何と3個で中ぐらいの大きさのボウルが満杯となった。これほどの大きさの蕪を見たのは初めての様な気がする。今夜は美味い漬物が食べられるなと、一人悦に入った。

昼食は、久しぶりに焼き魚らしいものを食べて大満足だった。先日の赤魚の粕漬けは食べたような食べなかったような気分で、満足のレベルが低かったのである。やはり焼き魚というのは、串に刺して炭火で炙るのが一番なのだ。しみじみそう思った。昼食の後は、同じ場所でしばらく休んで過ごし、その後あぽん西浜近くの駐車場に移動する。こちらの方が風の影響が少なく、近くにトイレや水道があるので、心強い。今夜はここで泊らせてもらおうと思った。ところで、あぽん西浜の「あぽん」というのは何のことだろうかと思った。温泉の建物に入ったらその謂れが書かれていて、あぽんというのは、この地で母親が赤ちゃんを一緒に入浴させることなのだとあった。なるほどなあ、と思った。保養施設としてとてもいい名だなとも思った。

  

保養センターの入浴施設あぽん西浜の玄関。ここは早朝の6時から営業しており、地元の人たちが朝からの入浴を楽しみに訪れていた。

今日は大して書くこともない、全くの静養日だった。温泉に入って、昼寝をして、豪勢(?)な美食を味わい、最後には軍師官兵衛を見て、静かな夜を迎える。

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‘14 東北春の旅レポート <第17回>

2014-05-25 06:15:35 | くるま旅くらしの話

【今日(5/25)の予定】 

  道の駅:象潟 → 蚶満寺付近散策 →(県道)→ 中島台レクリエーションセンター → あがりこ大王 → 中島台レクリエーションセンター → その先未定

 

【昨日(5月24日)のレポート】    

<行程>

道の駅:なかせん →(R105・R13他)→ 六郷湧水 →(R13)→ 横手市内(焼きそば店)→(R107・県道)→ 八塩いこいの森 →(県道・R107・R7)→ 道の駅:にしめ →(R7)→ 道の駅:象潟(泊)

<レポート>

今日は3泊してお世話になった道の駅:なかせんをおさらばする日である。天気は曇り。予報では午後遅くから又雨が降るらしい。それでも朝食が終わり、朝ドラを見る頃は雲の間から時折り太陽が顔を覗かせていた。出発をする前に、昨日採ってきたバッケのトウ立ちしたのを茹でて調理に使えるようにとの作業を行う。先ずは採ってきた茎についている葉を落とし、お湯を沸かして茹で上げる。それを水に浸して皮を剥くのだが、柔らかくて剥きにくいのでそのまま使うことにして、適当な長さに切り揃えた。こうしておけば、あとは他の具を混ぜて炒めるだけである。この作業に小一時間ほどかかって、その後に横手方面に向かって出発。

先ず最初の仕事は、美郷町の六郷という所にある湧水を汲むこと。六郷湧水は、日本の水の100選にも選らばれているもので、現地に行くと幾つかの特徴のある水汲み場がある。この付近を通る時は必ず寄って水を汲んでいたのだが、このところ5年以上も寄ったことがなくご無沙汰のしっ放しだった。久しぶりだったので、道を良く覚えておらず、ナビに頼って行ったら、観光案内所の建物のある場所へついてしまった。そこから湧水の場所まで行くのが、道が狭くて厄介なので、観光案内所の建物の中に設けられている湧水汲み場を活用させてもらうことにした。飲料水と洗い用の水をしっかり汲ませて頂いて、直ぐに出発する。

元のR13に戻って、再び横手市の方に少し走ると、道の駅:雁の里せんなんがあった。ここも久しぶりなので、寄ることにした。相棒は何か獲物を見つけて買っていたようである。直ぐに出発して、次はこれ又すぐ近くにある金沢(かねざわ)の柵というのの資料館を覗く。昨日の払田の柵跡に刺激されて、もう一度訪ねて見る気になったのだが、改めて資料を読んでみると、ここにあった柵の実際の所在はまだ不明なのだという。判っているのはこの柵城を中心に後三年の役の締めくくりともなるべき戦いが展開されたということである。前九年と合わせた12年間は、東北の行政が大きく変換して、中央の勢力下に組み込まれた時期だった。平泉の藤原三代の繁栄も、後三年の役の後に確立されたものである。少し忘れていた東北の歴史がほんの少し取り戻ったような気分となった。

その後はひたすら横手市内の焼そば店を目指す。今日は相棒の強い要請というか予てからの願望で、名高い横手焼そばをどうしても食べることになっている。ネットで調べて見ると、横手市のこの業界では、コンペの様な催しを毎年行っていて、四天王とかいう名で優秀店を選んでいるということ。その中から、魯句彩亭という店を選び、そこに行くことにしている。店は直ぐに判って、さっそくのれんを潜り中に入る。横手焼そばというのは、そのような名でスーパーなどで売っているものを買ってきて、家で勝手に好きな具を入れて食べているだけで、現地本場のものを食べたことはない。どんなものかと北は膨らんだ。少し待って、運ばれてきた焼そばは特にこれといって変わったところはなく、そばの上に目玉焼きが載っており、あとは脇に赤い色の漬物を刻んだようなものがあるだけだった。カウンターの上に、おいしい焼そばの食べ方というのがあり、それを見みながら食べることにした。先ずは焼そばをつまんで味を確かめ、次に目玉焼の真ん中に穴をあけて、そこからそばを引っ張り出して食べるのだという。ソースが足りない時には追加して掛けるようにとも書かれており、追加用のソースも小さな陶器の入れ物に入って出ていた。ま、美味いといえば美味いという感じの感想だった。素朴さが何よりだなと思った。店は若い方が経営されているようで、いろいろ工夫しながら取り組まれているようだった。四天王に選ばれたのもその成果なのかもしれない。先ずはご馳走様でした。

  

横手焼そば。普通風の焼きそばの上に目玉焼きと思しきものが載っている。

  

この店のアイデアなのか、横手焼そばのおいしい食べ方のガイドがあった。基本編と応用編に分かれているけど、最初から応用編で行った。

その後は、予定では道の駅:東由利の黄桜の里に寄るつもりでいるのだが、その手前に同じ町の運営する八塩いこいの森というのがあり、そこには何本かの黄桜が植えられており、丁度今も黄桜祭りが開かれているというので、寄って見ることにした。いこいの森は八塩山麓に造られた町のレクリエーション施設のようで、ここにはパークゴルフ場やオートキャンプ場、野外広場などが点在して造られている。以前何度か寄ったことがあり、至る所に植えられた黄桜は、ここの自慢となっている。久しぶりにちょいと覗いてみたくなったのだった。行ってみると広い駐車場は車がかなり来て埋まりつつあり、何かのイベントが開かれているようだった。どうやらパークゴルフの大会があったようで、賑やかに人が溢れていた。以前には無かった光景だった。肝心の黄桜はとみて見ると、もう最盛期を過ぎて、わずかに先残ったものが見られる程度で、花の季節は終っていた。あと半月早く来れば見事な黄桜が見られたものをと、少し残念な気持ちになった。

  

八塩いこいの森の今年最後の黄桜の様子。御衣黄という品種か。気品ある色である。

八塩いこいの森を出た後は、ナビを象潟の道の駅に設定したら、山の中の道をガイドしてくれて、日の駅:東由利はパスしてしまった。そのまま由利本庄市の市街を目指し、海側に出てR7に入り、象潟を目指す。途中に西目という道の駅があり、ここも久しぶりなので寄ることにした。この辺りから左手にまだかなりの雪を冠した鳥海山衙、その雄大な姿を現していた。日本海側では、やはり抜群のスケールの大きい山だなと、改めてその雄姿に感動した。西目の道の駅を出た後は、今日のゴールと考えている象潟の道の駅を目指す。15時20分到着する。

この道の駅には駅舎の4階に展望風呂があり、そこからは日本海に沈む夕日を眺め味わうことができる。反対側には雄大な鳥海山を望む景色が広がっており、人気のある道の駅である。今日も大勢の人たちで賑わっていた。その温泉に入ってゆっくり休もうかと思っていたら、相棒が疲れて気分が悪いので、風呂には入らないという。今日の走行距離は125kmで、途中何度か道の駅などに寄ったりして休んでおり、さほど疲れることはないのではと思っていたのだが、どうやら相棒にはこの旅の二度目の疲れが表出したらしい。そのような時は寝床に入って横になるのが一番である。ということで、名物の風呂にも入らず、暗い夜を迎えることになった。海のすぐ傍にあり、どういうわけか強風が吹き続け、又、車のすぐ近くに交差点があり、その双方の掻きならす音が真に姦しい。どうやら寝にくい一夜となりそうである。

  

象潟の道の駅付近から見た今日の鳥海山の雄姿。手前の松の木は、九十九島の一つに生えているもの。ここは芭蕉が訪れたころは海の中にあったが、その後大地震で隆起して、現状のようになったという。

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14 東北春の旅レポート <第16回>

2014-05-24 06:39:29 | くるま旅くらしの話

【今日(5/24)の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105・R13他)→ 六郷湧水 →(県道・R13)→ 横手市方面・その先未定

 

【昨日(5月23日)のレポート】    

<行程>

道の駅:なかせん →(R105・R13・県道)→ 払田の柵探訪 →(県道・R105・R46・県道)→ 抱返り渓谷 →(県道・R105・R46・R341他)→ 乳頭温泉・黒の湯 →(R341・R46・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

<レポート>

昨日の夕方近くになって降り止んだ雨は、今朝まで未だ降る気を衰えさせてはいないようで、昨夜も何度か天井を叩いていた。朝になっても晴れ間は覗かれず、昨日の夕方からバッテリーの残量を示す計器は赤の点滅を続けていた。それでも7時を過ぎる頃にはようやくわずかな青空が時々現れるようになり、今日は天気は回復するのだなと思えるようになった。8時からの朝ドラを見る頃には電源は回復し、久しぶりに普通のTV画面を見ることができた。

今日の予定は、先ず最初にこの近くにある払田(ほった)の柵跡の史跡を探訪しようと思っている。東北にはその昔大和朝廷が領地を拡大するために築いた「柵」と呼ばれる城壁を持つ官衙跡が幾つかあり、払田の柵もその一つである。以前これを見ようとしたのだが、場所が判らず諦めたことがあり、今日はその借りを返したいというわけである。その探訪が終わったら、田沢湖方面に向かい、どこかにたくさんある筈のバッケのトウ立ちしたものを採るつもりでいる。その後、秋田駒ケ岳の山懐の奥にある秘湯乳頭温泉の黒湯という所に行き、超本物の温泉を味わいたいと思っている。その後は、再びこのにち駅に戻り、3泊目の夜を迎えるつもりでいる。

9時過ぎ、払田の柵跡に向かう前に、少し食料を補給しておこうと近くにあるイオンの食品売り場に出向く。無くなっていたパンなどを買う。その後は大仙市にある払田の柵跡へ。今回はナビがあるので、目的地に届かぬはずはない。この辺りは一面の田んぼで、田んぼの中にその柵とやらがどのような形で作られていたのか、どうもイメージが湧かないのである。普通は古代の官衙といえば、たとえば筑波の平沢官衙のように、山裾だとか、多賀城のように小高い丘の上に造られているものと思うのに、この地では前回それを見出だすことができなかったのだった。とにかくナビの指示に従って20分ほど走ってそれらしき場所に着くことができた。

払田の柵跡は、予想を超えるスケールの大きなものだった。二つの大きな丘の森の中ほどに政庁が造られていたらしく、この森を取り巻いて二重の防護柵が巡らされていたという。この森なるものが予想をはるかに超えて、田んぼを遮っていたので、前回は物の方向から来て気付かなかったのだと思った。この柵跡は、現在も県や大学などの関係者で史跡の発掘等が進められているようで、案内の事務所の他に研究関係者の事務所なども建てられていた。先ずは、資料などのある館に入り、DVDを見せて頂く。柵城の説明と、その昔の柵の造られた時代をテーマとしたアニメと、それから柵の外側の南門の復元の状況を示すものと計3巻、50分の鑑賞だった。これで柵城のことの大半が理解できた。資料の方は、家に帰ってからゆっくり読むことにする。DVDを見る前に、昨夜相棒との話の中で、坂上田村麻呂の蝦夷鎮圧とか、源義家の奥羽鎮圧だとか、格好いいことのように聞こえるけど、元々東北の現地に住んでいた人から見れば、随分と身勝手な暴挙に見舞われた話で、大迷惑だったに違いないと話していたのだが、アニメなどの内容はまさにその通りのものだった。アイヌの人たちの暮らしぶりなどを知るにつれて、どうも大和朝廷では当たり前の話が、現地に対する侵略行為以外の何物でもないなと考えるようになった。ま、狩猟民族と農耕民族の戦いは往時の歴史の流れからは逃れられないものだったのかもしれない。平安時代の昔、遠く奈良や京都の方からやってきた万を超える軍隊が、勝手に攻め込んできて現地を占領し、そこに治世の拠点をして建てたのが柵と呼ばれる政庁の建物施設だった。

  

払田の柵跡の復元された南大門の景観。このような門が東西4ヶ所、外柵と内柵とに設けられていた。

何しろ広大な規模なので、一回りするのも難しい。とりあえず、復元された外側の柵の南門を見学し、その後政庁跡のある丘の方を往復することにした。南門は先ほどDVDでその建造プロセスを見たばかりで、釘一本も使わないとのことだったが、古代の人々の知恵には脱帽することが多い。復元して20年たった今の姿は、やはり木でできていることもあり、柵の一部は朽ちかけてきた個所もあり、木や草が生えていたりした。恐らく往時も何年か後には補修作業が講じられたに違いないなと思った。それにしても周囲が5km以上もあると思われるこの地に、大板で二重の柵をめぐらすという工事は、材料の調達を始め大変な作業だったのではないかと、往時の人々のエネルギーには驚くばかりである。その後、小高い丘の中央に造られていた政庁跡に上る。この造りは、多賀城の官衙と同じ形式だと説明にあったが、多賀城よりも規模が大きいように感じた。多賀城は、東北治世の拠点であり、それなりに重要なものだったが、それをしのぐ規模だったというのは、この柵城の持つ意味が、まだ解明されない何かがあるのかもしれないと思ったりした。ま、それらについては、この後の研究者たちが明らかにしてくれるのであろう。

  

政庁の正殿跡からの景観。四方は見渡す限りの水田となっているけど、これが造られた当時は、まだ未開の土地だったのであろう。

1時間半ほど探訪をした後、昼も近くなったので、ここを出てどこかで食事をすることにして出発する。田沢湖の辺りまで行って、適当な場所を探そうかと走っている内に、前に行ったことのある抱返渓谷(だきかえりけいこく)に行くのがいいなと気付いた。抱返渓谷というのは、上流にある岩盤浴で有名な玉川温泉の方から流れ下っている川で、角館からも近い場所にある。以前その川原近くに造られた公園に行ったことがあり、そこには広い駐車場もあるので、ゆっくり休むことができる。行ってみると、誰も居らず、片隅に車を停めて、今朝買ってきたうどんにおがわら湖で買った山芋を摩り下ろして、とろろうどんを作って食べることにした。この作業はすべて自分の担当。つまり相棒に作って食べさせてやっているという形になるわけだ。食事が済んでから、コンロを外に出して一昨日どうしても買いたくなって手に入れた赤魚の粕漬けを焼く。夕食用なのだが、今の内にここで焼いておこうというやや変則的な発想である。しかし、その後これを焼くには苦労した。魚の肉の厚みがあり、なかなか内部まで火が通らない。それに焼き網が平なので、少し風が吹くと火は下部の方しか回らず、熱効率が悪いのである。焼き上がるまでに40分近くもかかって、出来上がりはぼろぼろの形となってしまった。通常でも赤魚の粕漬けは焼くのが難しいのに、このような状況ではやはり買うべきではなかったかと反省する。

そのあとは、トウ立ちしたバッケを探して秋田駒ヶ岳山麓を乳頭温泉の方に向かう。田沢湖は何度も行っているので、今回は無視。初めはとても食べるには遅すぎるレベルとなっていたトウ立ちしたバッケが、高度があがるにつれて、次第に適当さを増して道の両側に溢れて見えるようになった。残雪が見られるようになった場所にはまだバッケ味噌に適当と思われるものもあり、まだこの辺りには春が冬と同居しているなというのが判った。適当なものがたくさん見出された場所に車を停め、中くらいの大きさのポリ袋に一杯のバッケの茎を集めた。これを蕗の茎と同じように処理して、さつま揚げなどを刻んだものと一緒に炒めるなどして食べるのである。まだ食べたことはないのだけど、黒石の焼そば屋のご主人の話では、蕗の茎よりも柔らかくて苦味もあり、酒の肴には最適な一品なのだということだった。是非明日辺りチャレンジしてみたい。とにかく春の東北を味わうためにはこのような獲物が重要なのである。

獲物を確保した後は、更に坂を登り続けて、乳頭温泉郷へ。ここには幾つかの浴場があるけど、今日は黒湯という所へ行くことにしている。細い坂道を登り出すと、無事に目的地までこの車で行けるのかといつも不安を覚えるのだが、これはもう度胸を据えて行くしかない。坂に入ると、ハッとするほどに柔らかな緑の木立が迎えてくれた。まだ50年ほどの若いブナの木立だった。一瞬息をのむほどの緑だった。今回の旅では、新緑の鮮やかさを堪能し続けているけど、これほどの優しい緑は初めてだった。思わず車を停めてその雰囲気をカメラに収める。さて、うまく収まったか。

  

やわらかなブナの新緑のトンネル。この癒しの力は、温泉のそれをはるかに上回っているように思った。

その林の中を700mほど走って、ようやく黒湯の駐車場に着く。この湯は硫黄泉なので、相棒には向いていないということで、彼女は入らないことになった。自分一人が駐車場からの坂を下り、湯のある小屋の方へ向かう。駐車場からの景観は、まさに秘湯のそれをほしいままにしていた。正面の方に流れ下る滝が見え、右手の方には渓流が音を立てて奔り下っていた。所々湯煙が立って、まさにこれぞ温泉という景観だった。受付で510円也を払い、さてどの湯に入るか。ここには混浴、男湯、女湯の三種があり、選択は男湯か混浴かの二つに一つなおのだと思うけど、受付の人に訊いたら、両方に入れば良いとのことだった。しかし二つの風呂は離れているし、近いのは混浴の方である。女性は入ることは多いのかと訊いたら、あまりいないということだったので、それじゃ、と混浴の方に入ることにした。行ってみると、誰もいない。安堵すると同時に少しがっかりしたような気持ちもある。バカモン。

  

黒湯温泉入口の景観。正面事務所の右脇の方に混浴の小屋がある。男女別浴場は左手の方。

それからあとは、ずっと一人占めの温泉の味わいだった。このよう場には小屋掛けの屋内と露天風呂が設けられており、露天風呂からは間近に渓流の奔るのが見られる。そして源泉から引かれている樋には湯煙が揺らいでいて、何とも言えない風情だった。お湯は少し硫黄の臭いのする白濁した、柔らかい感じの湯だった。このような温泉に入る時には、一切の洗いは無用である。30分ほど出たり入ったりして湯を楽しんだ後、車に戻る。戻る途中の坂道の脇にショウジョウバカマが赤い花を咲かせているのを見つけた。傍には雪が残っており、ようやく遅い春が本格化し始めたことを物語っている感じがした。

  

黒湯温泉への坂道の脇に見つけたショウジョウバカマの花。関東辺りでは3月下旬ごろに咲くのではないか。

相棒の待つ車に戻り、帰路に着く。身体が落ち着くまでに少し時間がかかった。自分ではあまり感じないのだが、多分全身から硫黄の臭いが発しているのだと思う。湯に入っている時は柔らかさしか感じなかったが、運転していると意外と体の一部がピリッと来ているのに気づいた。やはり相棒には向いていないのかもしれない。しかし、あの秘湯の湯船の雰囲気を味わえないのは気の毒ではある。ひたすら走り続けて、17時ごろ道の駅:なかせんに到着。今夜で3泊目となり、同じ場所での宿泊回数が田舎館の道の駅と並んだことになる。明日はここを出て南下の予定である。

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‘14 東北春の旅レポート <第15回>

2014-05-23 05:36:25 | くるま旅くらしの話

【今日(5/23)の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105・県道)→ 払沢の柵探訪 →(県道・R105・R46・R341)→ 乳頭温泉→ (R341・R46・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

 

昨日(5月22日)のレポート】    

<行程>

道の駅:なかせん →(R105・R46)→ 角館・武家屋敷他市街散策(相棒のみ)→(R105・県道)→ 八乙女温泉(入浴と休養~自分のみ)→(県道・R105)→ 角館市街(相棒を迎えに行く)→(R105)→ 道の駅:なかせん(泊)   

<レポート>

昨日から降り続いている雨は、朝になっても一向に止む気配はなく、時々車の天井を音を立てて降り続けていた。このような雨の日は、何とも陰鬱な気分になる。一番困るのは車を動かさないとバッテリーの充電ができず、電源の確保が難しくなることだ。発電機を積めば問題はなくなるのだけど、近隣の車に騒音で迷惑をかけるという新たな問題が発生する。迷惑など気にせず自分の好き放題にすれば困ることはないのだけど、それができるような人はくるま旅をすべきではないと思っているので、自分には無理な話である。当初は積んでいた発電機も今は持参するのを止めている。予報では今日も夕方まで雨だというから、これはもう諦めるしかない。

ということで、昨日考えていた乳頭温泉の秘湯の入浴は止めることにした。山奥の情報は全く判らないので、悪天候となるような場合は近づかないのが一番である。相棒の顔にそう書いてあったので、明日にでも延期することにした。それと、相棒から申し入れがあり、今日は一人で角館の街を歩いてみたいとのこと。昨日西宮家の2階で衣裳類の店を開いていた方と意気投合の部分がかなりあったらしく、そのことをいくら自分に話しかけて見ても糠に釘なので、その方ともじっくり話したいなどとノタマワッテいた。角館は女性が一人旅のできる街なのだなどともノタマワッテいたので、それを実現させたいと考えたらしい。勿論自分に異存はない。大いに結構で、そろそろ一人でゆっくりしたなと思っていたところなので、二つ返事で了解した。段取りとしては、相棒を角館まで送り届けて、用が済んだら電話をしてもらって迎えに行くということにした。

10時過ぎまでゆっくり過ごして、その後角館に向かって出発する。途中の旧中仙町役場の広場脇に、円満造さんの銅像が建っているのが見えた。円満造さんというのは、旧中仙町出身の大工さんで、ドンパン節を作った人としてこの地では超有名である。道の駅:なかせんにも、こめこめプラザという建物の前の塔のてっぺんに、米俵の上にちょこんと座った人物の像があるのだけど、これが円満造さんをモデルとしていることを知っている人は少ないのではないか。旅などで道の駅に立ち寄った人たちは、全く気付かないことが多いように思う。だけど、少し歳をとった人なら秋田県の有名民謡にもなっているドンパン節くらいは知っておられると思う。円満造翁は、多才の人で、ドンパン節は即興の甚句から生まれたという。自分には大変興味のある人物で、以前に少し調べさせて頂いたことがある。

  

  

道の駅:なかせんのシンボルタワー(上)とそのてっぺんに俵に腰かけた円満造ジサマの姿。これは円満造翁こと高橋市蔵さんをモデルにしたもの。実物はもっと痩せておられたようだ。

間もなく角館に着いて、待ち合わせの場所とした昨日の安藤醸造元の駐車場で相棒を下ろす。どこへ行くのか知らないけど、いそいそと出かけて行った。二人だけの空間ではかなりストレスが溜まっていたのかもしれない。それはまあ、お互い様ではある。相棒を下ろした後は、直ぐになかせんの道の駅の方に戻る。道の駅の角から反対側に行く道路があり、そこを少し行くと八乙女温泉というのがある。なかせんの道の駅に泊る時は、この温泉に入るのを常としており、昨日は雨だったので、めんどくさくなって止めたのだった。今日はこれからひとりで昼中の温泉を楽しもうという魂胆なのである。直ぐに温泉に着いて、前の広場の片隅に車を停める。ここには町の運動施設が集中して作られており、立派な球場や交流センターや体育館らしき建物などが点在していた。温泉は古城のあった小高い丘の麓に作られており、小規模ながら落ち着いた雰囲気の湯である。

  

湯を一人占めにした八乙女温泉の景観。木造のちょっと眼には温泉なのかどうか判らないような施設である。

先ずは風呂に行く前に、ネットが使えるかどうかのチェックをした。少し調べたいものもあり、通じないと困るからである。これは大丈夫だった。安堵して風呂の準備をして出向く。入浴料は200円だったが、今回の消費税の値上げで、210円となっていた。それほど身に応える値上げの金額ではないので、何も言うことはない。この温泉はたった一つの湯船しかなく、それにも5人ほどしか入れない狭さである。洗い場のカランは5個あるから、定員が5名ということなのかもしれない。今日は日中昼近い時刻だったので、先着の人が一人入っていただけだった。間もなくその人が出て行ったので、しばらくひとり占めのお湯を楽しんだ。ナトリウム単純泉との泉質で、柔らかく優しい湯だった。サウナも何もない、ただの風呂という感じだけど、本当の温泉というのは、このようなかけ流しの素朴な施設を言うような気がする。

1時間ほど一人の温泉を味わって、車に戻る。雨はまだ降り止まず、今回の旅では一番しつこい奴だなと思った。もう12時半近くになっており、昼食の準備をする。相棒は角館のどこかに比内鶏の親子丼を食べさせる店があるのを見つけて、今日は何としてもそれを食べるのだと意気込んでいた。こちとらは、残っていたスパゲッティーを茹でて、これも一袋残っていたナポリタンソースを温め掛けて、一丁上がりである。久しぶりのスパゲッティー、美味かった。何を食べても美味いのだから、困ったものだ。ビールも飲みたいとこだけど、運転があるので、これは控えなければならない。

食事の後は、少しブログの下書きをしておこうとパソコンをとりだし、書き始める。今日はあまり書くことがない。つまらんことを書いているなといつも思いながらのブログなのだけど、今日はより一層つまらん内容になりそうである。1時間ほど経ったとき相棒から電話があり、時間を延長するという話かと思ったら、大方用件が済んだので、戻ることにしたという。そんなに早くしないでもいいのにと思ったけど、とにかく迎えに行くことにして、パソコンなどを片づける。ふと車の前方を見たら、水を汲めそうな場所があったので、急遽給水することにした。残りが少なくなっていたので、どこで補給しようかと考えていたところだった。30Lほど汲んでいたら、相棒から再度電話があり、間もなく待合場所に着くとのこと。直ぐに向かうことにした。15分ほどで角館の安藤醸造元の本家駐車場に到着。満足顔の相棒が待っていた。

15時を過ぎており、相棒は八乙女の湯よりも、もう一つ角館近くにある花葉館という入浴施設に行きたいと昨日言っていたので、それじゃあそこへ行くことにしようと向かう。花葉館は道の駅:なかせんとは反対方向にあって、角館からは8kmほど協和側にある。泊りを道の駅:きょうわにしても良いなと思ったりしたけど、あそこは山の中で寂しい所なので、やはり泊りは昨日と同じ道の駅:なかせんにしようと決める。温泉は相棒一人が入り、自分は車の中で待つだけ。1時間ほどして茹であがった相棒が戻ってきた。この後は道の駅:なかせんに行って夕食を済ませ寝るだけ。

雨は一応やんではいるけど、いつ降り出すか判らぬ空模様だった。夕食の前に、八乙女温泉のある広い駐車場の隅に車を停め、昨日買った赤魚の粕漬けを焼こうと思い行ったのだが、丁度着いた頃に雨粒が又降ってきた。黒雲の状況をみるとこの按配では一気にどさっと降るかも知れず、そうなったら折角の大事な魚を不意にしてしまうかも知れず、今夜は焼くのは止めて明日にすることにした。だんだんと気持ちが小さくなりだして、何だかショボクレた気分になり出したようだ。直ぐに車を出し、道の駅:なかせんに戻る。久しぶりにTVを設定してみたら、予想以上に良く映るので、調子に乗って相撲番組を見ていたら、丁度白鵬と稀勢の里の取り組みの仕切りの際に電圧低下の警報が鳴り、終わりまで我慢してみようとしたら、2度も仕切り直しをしたりして、結局簡単に勝負がついてしまって、その後大慌てでTVを止めにして、という始末だった。やはり、帰宅したらバッテリーを取り換えなければダメだなと改めて思った。その後はいつもの通りの長い夜を迎える。明日はさっさと晴れて欲しいものだ。

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‘14 東北春の旅レポート <第14回>

2014-05-22 07:50:40 | くるま旅くらしの話

今日(5/22)の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105・R46)→ 角館・武家屋敷他散策 →(R46・R341他)→ 乳頭温泉郷で入浴 → その先未定  

 

【昨日(5月21日)のレポート】    

<行程>

道の駅:五城目 →(R285・R7)→ 道の駅:しょうわ →(R7)→ 道の駅:あきた港 →(R7・R13・R46)道の駅:きょうわ →(R46)→ 角館・安藤醸造元 → 西宮家 →(県道・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

 <レポート>

五城目の朝は、まだ雨は降り出さず曇り空だった。昨夜は近くの池に住む牛ガエルの咆哮が時々聞こえてきて、うるさい奴らだなあと思う間もなく爆睡となった。何しろ何種類もの肴に恵まれたため、ビールだけでは物足りなくなって酒も追加したため、アルコールがほど良く全身に回ってくれたのだった。肴の中では、冷めてしまったとはいえ、やはり一番は鰺ヶ沢の焼イカだった。これでしばらくはイカを食することもなかろうと、名残を惜しみながらじっくりと味わったのだった。バッケ味噌も美味かったし、アケビの芽も負けじと苦さと歯触りで勝負を挑んでいた。深浦の道の駅で買った飯寿司風の漬物も美味かったし、海草のオキュウトも美味かった。これで酒が進まぬはずがない。結局ご飯を食べるのは不要となった。朝なのに、昨夜の話になってしまって失礼。

さて、今日の予定だけど、昨日に引き続き南下をして、秋田市街を通過したら、内陸側の角館を訪ねることにしている。ここでは基地を道の駅:なかせんに置き、2~3日近郊の町や村などを訪ね、山の方にも行ってみようと考えている。山の方とは、田沢湖周辺ともう一つのR105の走る旧西木村の辺りのことである。これらの山の中には、山野草や山菜などの獲物が期待できるのではないかと思うし、久しぶりに秘湯の乳頭温泉郷の湯にも浸かって見たい。具体的には何も考えていないのだけど、それでいいのだと思っている。

五城目の道の駅を9時過ぎに出発して、秋田市方面へ向かう。先ずは一番近い道の駅:しょうわに寄ることにした。ここは何度か訪ねており、花や植え木の数々を取り揃えている少し珍しい道の駅である。どこの道の駅にも多少の花鉢や植木などは置かれているけど、ここは半端ではない。買わなくても目を楽しませてくれるありがたさがあるのである。今頃はどんなものがあるのかと、大いに期待しながらの来訪だった。間もなく道の駅:しょうわに到着。

道の駅の入口付近には常設の植木市なのか、たくさんの植木が並べられていた。その脇には薔薇の苗が賑やかに顧客を待っていた。売店の中に入ると、売り場の半分は花の苗や鉢物が占めていて、色とりどりの草花や小灌木などの花が咲き乱れていた。カーネーションなどは顧客ニーズの時期が終わってしまったからなのか、一鉢200円ほどで売られていた。持ち帰るには家に戻るまでの時間がかかり過ぎるので、買うのは止め、店内を一回りして花の色と香りを楽しんだ。名も知らぬ洋花が多くて、とても覚えきれないし、覚える気にもなれない。野草には関心大でも、なぜか洋花には関心が薄くて花の名は殆ど知らない。しかし、花の美しさは洋の東西を問わず不変である。店の中には魚類も少し売られていて、その中に赤魚の粕漬けの美味そうなものがあったので、たまらなくなって買うことにした。車の中で焼いたりしたら、臭いが寝床までしみ込んで相棒の鼻が曲がってしまう危険性があるので、外で焼かなければならず、場所を選ばなければならないのでちょいと面倒なのだけど、何とかなると思った。この旅でまだ焼魚を食べたことがない。外に出て見ると、チラついていた雨が本降りになりかけようとしていた。直ぐに出発する。

昭和の道の駅は潟上市にあって、隣は秋田市であり、その市街地も近い。少し走って、秋田港の中にあるその名もあきた港という道の駅に寄って見ることにした。ここは比較的新しい道の駅で、まだ訪ねたことがない場所である。行ってみると広い秋田港の中にかなり高い塔が立っており、その下の方に幾つか建物や駐車場があって、そこが道の駅だった。超近代風の建物だった。それは東京の中心街などの建物と同じように、鉄骨とガラスとコンクリートだけで造られていて、木の臭いや香りは殆どない直線の多い建物だった。面白そうだけど、自分にはなぜか心の落ち着かない違和感を感ずるものだった。ま、こんな時は野次馬になるしかない。塔には展望台があり、無料でエレベーターに乗ることができるというので、とにかく高所恐怖症を抑えながら行って見ることにした。相棒はいやだという。彼女は自分よりは恐怖度の少ない症状だったはずなのに。とにかく乗ってしまえばあとは運を天に任せるだけである。5階が展望台で、そこまで1分と少しかかっただろうか。途中がシースルーのエレベーターなので、外を見ないようにして5階に至る。5回といっても高さが100m丁度あり、一体どういう考えで階数を決めているのかなと思った。ちなみに階数表示があるのは3階から5階までしかない。5階は床があったので、少し落ち着いて展望をすることができた。大急ぎで一回りして、何枚か写真を撮ったが、正直生きた心地がしなかった。今日は雨降りで、見えるはずの男鹿半島辺りも何も見えなかった。直ぐに下りのエレベータに乗り、地上に戻る。しばらく心が揺れて落ち着かなかった。少しもワクワクしないのは、やはり老人となっている証なのか。

  

秋田港の道駅構内にあるセリオンの展望タワー。5階の展望台の部屋の高さが100m。鉄骨の塔がガラスのようなもので覆われている。

とんだハプニングに出会った感じであきた港の道の駅をあとにする。しばらく市街地の中を走り、途中で給油などをしながらR7からR13に入って郊外に出る。その後はひたすら大仙市の方へ向かって走る。秋田県の平成の大合併はすさまじくて、大仙市は元の大曲市を呑みこんでしまった。1市8町村の合併というのだから、これはもう新しいイメージで新しい市を覚えるしかない。しばらく走って、旧協和町にある道の駅に向かうためにR46に入る。ずっと本降りが続いており、今日は予報通りこれから終日の雨となるようである。間もなく道の駅:きょうわに到着。ここで昼食休憩。この道の駅も比較的新しいもので、山の中を切り開いて作ったようで、以前ここに泊ろうとして、相棒の反対を受けて他の道駅に向かったことがある。今日は雨だけど日中なので、周辺を見渡すことができる。周りには芝生の立派なグランドゴルフ場などがあり、この道の駅は、レクリエーション施設の一部なのかなと思った。かなりたくさんの車が泊っており、訪れている人も多いように見受けられた。地元の野菜売り場で山菜のウルイを買う。1時間ほど食事をしながら休む。

次は角館を目指して出発。角館は何度も来ているのだが、ここ数年はご無沙汰のしっ放しだった。角館といえば何といっても春の枝垂れ桜と武家屋敷が有名である。東北の小京都などとも呼ばれており、それなりに落ち着いた雰囲気のある町並みが残っている。重伝建指定エリアの中で現代につながって生活が息づいているのはこの町が一番なのかも知れない。そのようなことを思いながら、間もなく角館の街に入る。先ずは郊外にある味噌醤油の製造販売を手掛ける安藤醸造元の店で、買い入れる味噌醤油類の下見をする。これは相棒の仕事で、我が家では味噌の殆どはここで作られたものを使っている。何がどうなのかよく判らないので、下見はすべて相棒に任せて、自分は直ぐに車に戻って頂いてきたパンフを見ながら、角館の町並みを思い出すべくチエックすることにした。間もなく相棒が戻って、すぐに出発したのだが、途中道を間違えてしまい、武家屋敷側の駐車場に行けなくなってしまった。よく間違える場所を、しばらくぶりなので、同じように又間違えたのだった。やむなく反対側から細い道を入ると、直ぐに先ほど下見をした安藤醸造元の本店に出た。ここには駐車場があるので、そこに車を入れ、再度店の方に行って見ることにした。何のことはない、初めからこちらに来れば良かったのである。

この本店にはなんども来ており、店の方には相棒のなじみの人もいるようだが、今日は不在のようだった。この店の歴史も古くて、レンガ造りの倉は文化財としても取り扱われている。蔵の中で展示されるお雛様や五月人形は、相棒の関心の的なのだが、今は五月人形が飾られていたようである。自分はさほど関心がなく、中には入らなかった。結局店の方と話して、味噌類は持ち帰らずに送ってもらうことになった。7千円を超えると送料が無料となると聞いての相棒の判断だった。お土産に店の人のここの味噌で作ったバッケ味噌を1個プレゼントした。味噌屋の人に自家製の味噌の加工品をプレゼントするのは、何か優越感を覚えるものである。

  

安藤醸造元のレンガ造りの蔵の景観。角館は武家屋敷が表に出ているけど、その暮らしを支えた商家の存在もわすれることはできない。

味噌の一件が終わって、まだ少し時間があるので、近くにある西宮家というこれも文化財指定の旧商家を訪ねることにした。ここには10年来の知人のTさんが角館草履屋の実演販売の店を開かれている。その店の名をさけい屋という。Tさんに会うのも数年ぶりとなってしまっていた。行ってみると、あいにく外出されているようで、実演の道具はそのままに置かれていたので、直ぐに戻られるのだろうと思った。10分ほど経って戻られたようだった。さっそく挨拶に出向く。初めは自分に気づかず下を向いて作業をしながらの挨拶だったが、名乗って挨拶すると顔を上げられて、びっくりされたようだった。さもあらん、突然の来訪なのだから。それからあとは、震災以降のこちらの様子や、町のあれこれ、世の出来事などについての歓談となった。Tさんはここでの草履制作の実演販売を始められてからもう10年が近づこうとしているのだった。健康というテーマで足裏に直接かかわる履物の中で草履を選び、これを作りながら様々な工夫を加えて、Tさん流の草履を作り出されている。その特徴の最大のものは、土ふまずを刺激するように草履の中間が高くなっているということであろうか。足裏のツボが健康と深くかかわっているというのは既知のことだけど、履物の世界でそれらがどれだけ活かされているかは疑問である。ましてや日本古来の履物の草履においては、平べったいままのものが殆どだと思う。忙しい時期には、注文に追い付かず納期が遅れてしまうのだと話されていた。今はゴールデンウイークや桜が終わって、一息ついている時なのだとも話されていた。相棒も加わって、その後一時楽しい歓談が続いた。相棒は最新の作を一足手に入れていた。

Tさんの角館草履の店、さけい屋の作品のディスプレー。履き心地だけではなく、色とりどりの柄も美しい。

雨は一向にやむ気配もなく、車に戻って、今日の宿を予定している道の駅:なかせんに向かう。なかせんは中仙であり、旧中仙町の道の駅でここは今は大仙市に属している。角館とは6kmほどしかない。今回はここを基地にして2~3日過ごす考えなのだが、初日は全くの雨で、これじゃあ、とにかく早めに寝るしかない。ご飯を炊き、どこかで買っておいた比内鶏の卵かけごはんを食して、今夜もTVなどは見ずに早めの就寝となる。

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