第18日 遊湯館しぶきの湯(岐阜県)から道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里(長野県)まで
昨夜は良い天気だったので、今朝は冷え込みがきつくなるのではないかと思ったのですが、起きてみるとそうでもなさそうです。外に出てみると、曇り空に変わってしまっていました。起きた時、車の窓からオレンジの光が見えたので、日が昇って良い天気ではないのかと思ったのですが、それは外灯の消し忘れでした。とんだ錯覚です。こんな日は楽しくないことが起こることが多いので要注意です。
この場所ではトイレの処理などが出来ませんので、早々に道の駅の方に移動することにしました。10分足らずで到着です。早朝なのに道の駅には大型、小型トラックが数多く留っていて、エンジン音がうるさく、排気ガスも付近一面に沈滞している感じです。営業車のトラックの殆どは、当たり前のように、どの車もエンジンを掛けっ放しのままに仮眠をとっているようです。酷い環境状況だなと思いました。これは何とか厳しく規制して欲しいなと思います。エンジンを掛けなくても仮眠が出来るようにして欲しいのです。それは運転手の責任ではなく、メーカーの責任や運送経営者の責任だと思います。或いは政治家の責任かもしれません。上の立場に立つ人たちが、もっともっと真剣に現実の状況を確認し、スピーディな改善に取り組まないと、本当に地球はダメになると思います。エライ人たちには、きれいごとばかりが多くて、やることが遅すぎます。昨夜はここに泊らなくて大正解だったと思いました。
軽く食事をした後、高山市の方に向かって出発。今日は家内の要望で、高山市にある民家園の「飛騨の里」というのを見学することにしています。せっかくなので、そこへ行く前に高山の名物の宮川沿いの朝市を覗くことにしました。高山には一年ぶりの来訪です。我々の旅では、高山と古川はいつもセットになっています。どちらにもそれぞれの持ち味があって、その両方を楽しむのが当然だと思っています。何度も来ているのに、高山市内で駐車場を探す時にはいつも同じように間違って戸惑い、結局は細い道を通っていつも同じ駐車場に車を入れることになるのですが、今回もやはり同じ繰り返しでした。もはや記憶は後ずさりするばかりで、進歩は期待できないということなのでありましょう。
歩いて坂道を下り、商店街を通って宮川に架かる橋の脇から朝市の人の流れの中へ。宮川の脇の細い道の両脇に幾つもので店が連なっています。最初にここへ来た時は、興奮してあれもこれもといろいろなものを買い込みましたが、この頃はすっかり落ち着きがでてきて、買うことよりも朝市の雰囲気を味わうためにここを歩くというのが多いように思います。今回は家内が自分用にゴマに飴を絡ませた(その反対なのかも)何とか云う菓子を買っただけでした。陣屋跡にある朝市の方にも行ってみましたが、特に目ぼしいものは見当たらず、こちらもざっと見ただけでした。家内がどうしても味噌を買いたいというのですが、古い屋敷町の方はまだ殆どの店が開店前でした。しばらく待つことになりました。この屋敷町も毎度お邪魔していますので、今日は味噌を買うだけにして貰いました。少し待って半年分とも思われる味噌を買い込みました。重い、重いのです。駐車場まではかなりあるので、こりゃあ大変な仕事です。この役割はいつもジサマのもの。我が家では、ジサマは運輸省であり、バサマは常に大蔵省なのです。今やどちらの国の役所も名前が変わってしまいましたが。
ようやく車に戻り、飛騨の里に向かって出発です。飛騨の里は高山の市街地を少し離れた清見村の方向にあります。途中に大きな案内板がありましたので、迷うことなく到着することが出来ました。しかし、この後トラブルがありました。というのは、うっかりそのまま駐車場に入ろうとしましたら、そこは機械の受け付け装置のある駐車場で、表示を見たら何と千円となっているのです。普通車は300円ですから、随分差があります。SUN号はどこでも普通車で扱って貰っていますので、これは不当です。戻ろうと思っても後ろに車がいるので戻れません。やむなく入ってしまいました。駐車場の管理人に話をしたのですが、聞き入れてくれず機械が正しいという判断です。確かにSUN号は少しばかり図体が膨らんではいますが、大型バスと同じ料金というのはどう考えても納得できません。しかし、いくら話してもまけてはくれませんでした。不愉快になりました。
家内の方は念願の飛騨地方の村の住処などを見られるので、張り切っていますが、ジサマの方は元々さほど関心がありません。というのも茨城県の山奥の村育ちですから、山村の貧しい暮しは子どもの頃十二分に体験済みなので、そのようなものを敢えて思い起こすようなことには係わり合いたくないというのが本心なのです。古民家などというものは、学術資料などという切り口から眺めれば、興味の持ち方が違うのでしょうが、暮らしの場という切り口からそれを受け止める場合は、当時そこに暮らした人たちの辛い生き様や苦労のあり様などの蠢(うごめ)きを想ってしまい、それに自分の子供の頃の終戦当時の惨めな思い出とが重なって、それが眼前に甦って来るので、ジサマの方は古民家などというものをあまり見たいとは思わないのです。
というわけで、駐車料を大型バス並みにふんだくられてその上に高い入園料を払った上、更に昔の嬉しくない暮らしぶりを思い起こさせるような建物を見るなどという気はしなくなって、ジサマの方は中には入らないことに決めました。民家は山の斜面のかなり広い敷地の中に幾つも点在しており、それらを全部見るとなると、4~5時間はかかることでしょう。時間はたっぷりあります。バサマを見送った後は、先ず汚れている車の清掃です。車体を丹念に拭き、車内をきれいにしたりしているとあっという間に1時間が過ぎました。その後は記録の整理です。このところサボっていたので、これもかなり溜まっています。2時間ほどその作業に集中しました。それでもまだ時間がありますので、昼飯時なのでご飯を炊くことにしました。それとついでに、先日鳥取県の三朝で買ったムカゴがまだそのままだったので、これを塩茹でにしました。
ま、ざっとこのようなことをしていますと、12時半ごろ意外と早く家内が戻って来ました。お昼にはちょうどいいタイミングです。早速昼食です。くるま旅では食事を作る作業は女性と決めるのは無謀というものです。在宅の時と同じように食事の用意は女性の仕事などと決めると、融通性の無いつまらない旅となることは必定で、恐らく女性の方から一緒に旅に行くのはお断りということになりましょう。それが嫌で3度の食事を外食などにしたなら、間違いなく何らかの病気になるに違いありません。我が家では食事はその時の都合で作れる人がつくることにしています。在宅のときだってジサマが食事を作るのも珍しくはないのです。
ちょっと横道に逸れました。戻って来た家内の方は興奮さめやらず、もう上機嫌でいろいろ見て来た感想などを話したがります。聞いている内にだんだん疲れて来ますので、次第に聞いているふりをする度合いが強くなり出すのですが、家内の方はそれを無視して話続けようとします。そこでもう一段我慢して調子を合わせたりしているのですが、これはやはり不誠実ということなのでしょうか?どちらさんでも同じような現象が起こっているものなのか、知りたい気持ちがあります。ハイ。
さて、これからの予定ですが、一応今回の旅は明後日には帰宅予定にしています。旅の終わりの頃には、干柿用の渋柿を信州で買って帰ろうと考えていますので、これから安曇野堀金村にある道の駅へ行って泊ることにしました。野菜や果物を買うならやっぱりあそこの道の駅が一番だからです。ということで、来た道を戻り高山市街地を通り抜けて、R158を丹生川村の山道へと入って行きました。長い登り坂はSUN号の最も苦手とする道ですが、平湯トンネルから安房トンネルを抜けるまではこの苦手の道がずっと続きます。後続車が無ければマーペースで気楽なのですが、そうでない場合は気楽というわけにはゆかないからです。どんなにアクセルを踏んでも40kmくらいしか出ない箇所もあって、何だか車が可哀そうになるのです。
幾つもの坂を登って、トンネルを抜けると平湯温泉が見えました。ちょっと寄って風呂に入るのも良いかななどと思いながらも今日はその気はありません。安房の有料トンネルを抜けるとしばらく曲がりくねったトンネル付きの下り坂の道が長く続きます。間もなく上高地や穂高へ行く基地のある所を通過しました。上高地や白骨温泉にはまだ行ったことがありません。これから先の夏の間は、ずっと北海道で暮らすことを考えていますので、恐らく生涯大正池などを見ることは無いように思います。今の時期でも上高地に行く人は多いと見え、かなりの数の車が駐車していました。引き続き坂を下ってやがて道の駅「風穴の里」に寄り、ちょっと休憩しました。
風穴の里というからには、近くに風穴なるものがあるに違いないのですが、まだ行って見たことはありません。ここには何度も寄っているのですが、通過の途中の休憩点としか考えていないので、本当は勿体ないことをしているのかも知れません。穴の中に入るようなことはあまりしたくはない(閉所恐怖症の気あり)のですが、一見はしておきたいなどという別の慾はあるのです。道の下には青い水を湛えたダム湖が横たわっていますが、それを囲む周辺の山は秋色に染まった全山紅葉が水の青さを一層引き立てています。しばらくその壮大な景色を眺めました。休日の所為なのか車が多く出入りが賑やかです。多くの人は売店やトイレ辺りを忙しそうに動き回っていて、ダム湖の景観を楽しんでいる人は皆無のようでした。世の中は何かと忙しいようです。
一息入れて出発です。R158はこの辺りでは野麦街道と呼ばれているようです。野麦峠というのは別のルートで丹生川村の南に隣接する高根村からの県道で、その道が長野県の奈川村を経由して安曇村でこの道に合流するのです。野麦峠といえば、「女工哀史」(細井和喜蔵著)の、紡績工場に働きに出かけざるを得なかった、貧しい農家などの若い娘たちの過酷な労働の姿を思い浮かべますが、野麦峠は標高1700m近い細道の最高点なのでした。涙を流しながらその峠を越えてこの山道を下って行った少女たちがいたのは、今から100年も経っていない、ほんの少し前の時代だったのです。そんなことを想うと、今の時代というのは、やはり相当に豊かな恵まれた時代なのだと言えるのかもしれません。しかし、あまりそれが実感できないのは、恵まれ過ぎた故の驕りなのでしょうか。人の生き様というのは、やはり不可解のようです。
長野道松本ICの前で野麦街道と別れて左折し、堀金村に向かいます。梓川村を過ぎ三郷村に差し掛かる頃から急に道が混み出しました。僅か1年の間に、この辺りの道の両側にたくさんの全国版の大型の店が進出して来て、ショッピングモールを形成しているのでした。これはもう東京近郊の都市部の様子と変わらない様相を呈していました。この所為で車が渋滞しているのだと判りました。間もなく目的地に着きました。
この道の駅には何度も来ており、我々の気に入りの場所の一つです。泊ったこともあるのですが、トラックなどが多いので、泊りにはあまり向いていないように思います。この道の駅の素晴らしさは、何といっても様々な農産物とその加工品などが高品質で、しかも安価に販売されているということです。この町の西側には常念岳はじめ日本アルプスの高山が連なっていますが、その山麓にはサラダ街道と呼ばれる野菜畑を縫う道が通っており、その辺りで生産される野菜は高品質のものが多く、それがここで手に入るのです。例えばスーパーなどで1本(=1片)100円もするようなセロリが、それを何本も束ねたような大株をここでは200円ほどで手に入れることが出来るのです。干柿用の渋柿もその一つですが、驚くほど安い値段で手に入るのです。いつ来ても道の駅の売店には活気がみなぎっており、それを感ずるだけで嬉しくなってしまいます。恐らくここでは生産者と販売者をつなぐ仕組みがしっかりと出来ており、それが上手く機能しているのだと思います。
早速売店を覗いてみましたが、もうたそがれ時となっており、売れ残りの僅かの商品しか残っていませんでした。明日が楽しみです。
道の駅の観光案内所の中の資料を見ていたら、その中に「ほりでーゆー四季の郷」というのがあり、そこには温泉入浴施設があるのを知り、そこへ行ってみることにしました。ここからは6kmほどの山寄りの場所なのでした。早速向かうことにしました。少し暗くなりかけた道を進んでゆくと、途中から小雨がフロントガラスを濡らし出しました。このまま大した降りにならなければ良いがと思いながら行くと、間もなく四季の郷に到着です。山の中腹に拓かれた台地に3階建のかなり部屋数のある大きなホテルのようなものが建っていました。この中に立ち寄り湯の出来る施設があるようです。駐車場も広く、泊っている車はかなり多いのですが、それでもまだかなり余裕があります。これなら今夜はここに泊っても大丈夫なのではないかと思いました。
風呂から出て、特に断らなくてもこれだけ広いのだからいいだろうと勝手に決め、そのまま泊ることにして、建物からはかなり離れた駐車場の隅の方に移動して夕食としました。勿論風呂上がりの一杯は何よりの楽しみですから、缶ビールで乾杯です。風呂も良く温まって良い気分でした。毎日の就寝時刻といえば、20時を超えることは殆どありません。いい気持ちになって寝床の中に直行です。ところが、‥‥です。‥‥でした。
一眠りして眠りが浅くなった頃だと思います。23時50分くらいではなかったでしょうか。ホトホト、コンコンとSUN号のドアを叩く人がいるのです。何か変な奴ではないかと一寸緊張しました。今まで真夜中に車のドアを叩かれたことなど一度もなかったからです。でも叩き方からは、まあ普通の人だろうと起き出してドアを開けますと、何とそこに立っていたのはガードマンと思しき人物なのでした。その人が言うのには、何かホテルに用があるのか?ということなのです。勿論、何も用などありませんから、そう答えますと、彼が言うのには、ここは0時までで営業が終了するので、用が無いのなら出て行って欲しいということなのでした。これには恐れ入りました。やっぱり最初にフロントで訊いておくべきでした。周りには1台の車も留っていないので、大して迷惑を掛けるわけでも無いじゃないかと思いつつも、やはりホテルの営業ということからはその敷地内に無断で泊るというのは問題だと思います。これは道理だと思いました。文句を言うのは止め、直ぐに準備をして出発することにしました。
その後は、堀金の道の駅を目指して、小雨の降る真っ暗な中を、坂を下ったのでした。又々の失敗談となりました。アルコールの方は大した量では無かったので酔いなどは完全に醒めており、運転には全く問題が無かったことを申し添えます。道の駅に着いて、なるべくトラックの騒音からかなれた場所を選んで車を留めました。かなり多くの車が留っており、やはりエンジン掛けっ放しの車も少なくはありませんでした。雨は次第に本降りとなり、天井を叩く雨の音も次第に大きくなり出したようです。こうなるともう簡単には眠れないので、お茶を飲んだ後はしばらく旅の記録のことなどをあれこれ考えたりして時を過ごしました。とにかく大失敗でした。