山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

金木犀の花香る季節なのに

2019-10-19 06:09:36 | 宵宵妄話

 もしこの花の香りを感知できないほど鼻の力が衰えているとしたら、それは最早重傷という他ない嗅覚レベルだと思う。自分はかなり嗅覚レベルが衰えている人間なのだが、この花の香りだけは、それが僅かであっても拾うことができるので、まだ大丈夫だと思っている。

    

金木犀は秋という季節を象徴する花だ。それは香りの塊の花でもある。

 この花の香りが、どこからともなく漂ってくるのに気づくと、ああ、秋も深まりつつあるのだなあと、この季節の到来を実感するのだが、今年は少し、否、かなり違って来ているようだ。穏やかにその季節の到来を味わう気分になれないものがあるのだ。自分はまだしも、何度も襲来する台風に痛めつけられて、この先の暮らしをどうやって立てていったらいいのか、途方に暮れる人たちが半端ではないその被害状況を耳にする度に、被害を受けた方々の家の周辺にも香っている筈の金木犀は、被った泥の中で一体どのような表情をしているのだろうか。そのようなことを想ってしまう。

 毎年、毎年日本国のどこかで大雨や大風が吹き、想定外とも思われる被害が拡大している。西日本エリアが痛めつけられたかと思えば、今度は東日本エリアに未曾有の大雨が降って多くの河川が氾濫し、想像を絶する被害が続出している。一体何なのだ、これは。地球環境の変化や温暖化がその根源にあるというけど、それを止める手立てもない。人間がつくり上げた営みのスパイラルなサイクルは、もはや歯止めが効かない状態で、地球の環境を破壊し、滅亡というゴールに向かっているかの様である。この根源的な営みの仕組みを変えない限り、この動きは止まらないのではないか。この頃の自然災害の不自然な発生状況を見ていると、そのようなことを想ってしまう。

 自分の住む守谷市は、三方を川に囲まれている。三つとも日本国ではかなりしっかりした河川の部類に入ると思う。利根川は日本国では大河の部類に入るし、それに運河を経由して流れ込む鬼怒川もかなりの暴れ大河といえる。もう一つの小貝川は、栃木県平野部の水を集めて流れ下り、利根川に注ぐ曲折の多い暴れ川である。これらの河川の治水には、多くのご先祖様が痛めつけられながらもそれこそ地獄から這い上がるような血と涙の滲む努力を積み上げ、何とか今日の平安を保てるようにして来られたのだと思う。それが今、いとも簡単に破られてしまう時代となってしまった。

 4年前には隣の常総市で鬼怒川の堤防が決壊して氾濫し、街の中心街を初めかなり広範囲で住宅や田畑が被害を蒙った。小貝川は、今回はおとなしそうだったが、過去は何度も歯をむき出し暴れて洪水を起こしている。利根川は、今回は守谷近郊は黙って流れ下ったようだが、少し下流では溢水で被害を出しているし、鬼怒川が流れ込む守谷市近郊ではバックウオーターで、鬼怒川の水が利根川にスムースに流れ込むことができず、水かさを増して、孫たちが通う鬼怒川脇にある幼稚園の建物は床上までの浸水の被害を受け、しばらく休園の憂き目に遭っている。

 守谷市は中心が台地の上にあるようなので、河川に近いエリアを除けば浸水の被害は少ないと予想されるけど、今回以上の想定外の大雨が降ったときにはどうなるのか見当もつかない。ハザードマップを超えるような浸水があったら、もはやこの世の終わりとなるのではないか。そのようなことも思ってしまう。

 自分は今、会員が200世帯弱の町内会の会長を1年間の任期で受け持っている。この小さな地域社会を安全で安心な暮らしを保てるようにと微力ながら務めているところなのだが、幸いこの地は大水の心配はなさそうで安堵している。ハザードマップを見ても大丈夫のようだし、実際町内や付近を歩いてみても、どぶ川のようなものも見当たらないし、崖崩れが起こるような箇所も見当たらない。心配なのは、自然災害では何と言っても大地震だし、台風といえば大風や竜巻といったものが考えられる。町内会としては、何よりも大地震対策が肝要だと思っている。大地震には必ず人災が付帯するからである。その最大のものが火災であろう。地震と火事は自分達の町内では防災の最大のテーマだと思っている。

 今回の大自然のもたらした大災害では考えさせられることが多い。評論家としての立場からは、大局・小局の見地からあれこれそれらしき批判や対策の意見を言うことはできるけど、いざ自分が当事者となったときに最も大切なことは何なのかを、人は考えておくべきではないかと思っている。それは自助ということではないかと自分は思っている。自分の命は自分で守るしかない。家族の命は家族で守るしかない。共助や公助を最初から当にしてはいけないのだ。TVや新聞などのマスコミは常に共助や公助のあり方について批判めいたことばかり繰り返しているけど、いざという時に本当に大事なのは、自分の命、自分のものを守るのは自分自身であるということなのだ。これを自助という。そして、自助というのは相当に厳しいものだということを知っておかなければならない。思っているだけ、考えているだけでは何の役にも立たないのだ。

 今、守谷市内の道を歩くと、どこを歩いていても金木犀の香りが漂ってくる。多くの人たちがこの樹が好きで庭先や道端に植えているようである。この樹は大自然の怒りに触れて泥の中に沈められてしまっても、決してその香りを失うことはないのではないか。多くの被災地の人たちにも再起のための心の癒しの香りを届けてくれているのではないか。そのようなことを想いながら今朝の歩きを終えて家に戻った。

 

守谷市内の至る所に、今金木犀が香りを放っている。この季節を代表する花だと思う。

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能登行中止です

2019-10-11 02:53:31 | くるま旅くらしの話

 こんなに爽快な秋の青空が広がっているというのに、間もなくとんでもない勢力の台風が襲来するという。信じられない気持で昨日はいたのだが、今日になって空を見ると信じざるを得ない空の様相となって来ている。旅の計画を立てながら、もしかしたら台風なんて奴が来ることにならなければいいがと、ちらっと思ったりしたのだが、それが本当のことになってしまった。昨年の台風21号並の勢力規模で、どうやら今年は関東のこの地辺りを狙っているらしい。

昨年は北海道の旅の中にあって、羊蹄山の麓で21号を避けて、旅車の中でじっとしていたのだが、夜中の強風は半端ではなかった。近くの倶知安町では、風速40mの風が吹いたとニュースが伝えていたのを思い出す。台風が去ってその翌日だったか、今度は胆振東部大地震が発生して、厚真町や安平町などが大被害を蒙り、ブラックアウトというとんでもない体験をしたのを思い出す。

このところの大自然の機嫌は最悪に向かっているようで、様々な局面で過去の悪さのレベルを引き上げようとしているかの如くである。不気味である。台風と一緒に大地震が起こるかも知れず、それが起こらぬという保証は何もないのである。もしかしたら、異常に低い気圧が地震の引き金となるやも知れず、大自然の心情は計り知れないものがある。

今年初めての短い旅を計画して、少しずつ準備を進めて来ていたのだが、この台風襲来の予報がだんだんと厳しくなりだしたのを聞いている内に、迷いと不安が膨らんで来て、最後に、やはりこういう時には旅に出かけるべきではないと決断した。本当は今日(10/11)が出発の日なのだが、旅先の能登の入口に着いた頃に台風がやって来ることになるので、そこでは何とか凌げるとしても、家の方がどうなっているのかが心配になるのは必定なので、のんびり旅などしている気分になれないに違いない。そのようなことを考えると、これはもう中止するしかない。

おとなしく今まで通り、自治会中心の暮らしに従っていろという天の指令なのかもしれない。そう思うことにした。今日は何よりも家周辺の台風対策を講じなければならない。倅の家族と同じ屋根の下に住んでいるのだが、倅一家は仕事や子供たちの世話で忙しいから、台風への備えをする時間もロクに無いという現実がある。こんな時にジジババはのんびり旅に出ているなどということになれば、益々信用失墜となるのは確実となる。だからもうジタバタするのは止めて、何よりも風対策を講じなければならない。

それにしても千葉県南部の皆さんは、気が気ではなかろうと思う。まだ前回台風の傷も癒えぬ内に、もしかしたら前回以上の悪意を秘めた奴が、その傷を掻きまわしに来るというのだから、何とも始末の悪い手に負えない事件だ。少しでもいいから勢いがズレる方向へ向かって欲しいと願うばかりである。そして、この地を直撃することになっても、電柱などをへし折るような悪さはしないで貰いたいと祈るばかりである。

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短い旅に出かけます

2019-10-04 23:56:56 | くるま旅くらしの話

 いつまでたっても暑さが去らず、10月になったというのに30度を超える日が続いている。自治会の仕事もようやく後半に入ることとなった。4月以降どこへも出掛けることなく、それなりに自治会の仕事を楽しみながら務めて来たつもりでいたのだが、己の知らぬところでストレスは溜まっているようで、やはり息抜きというのか、ガス抜きというのか、ややマンネリ化しかけている仕事に喝を入れるためにも、どうしても旅に出掛ける必要があると気づいた。

 そこで、今月の仕事の合間を縫って短い旅に出かけることを目論んだ。目一杯の日程を汲んでもせいぜい10日ほどしか用意できない。当初は関西方面への旅をと考えていたのだが、知り合いの方の予定等を勘案すると、とても余裕のある行程は組めそうもないので、これは止むなく断念することにした。今頃は関西地方では黒豆の枝豆の最盛期で、どうしてもそれを賞味したかったのだが、どうやら今年は運が無いようだ。まさか枝豆だけを目的の旅というわけにはゆかず、これもまた来年以降にお預けとなった。

 そこで決めたのは、予てから能登を訪ねたいと考えていたので、その願いを叶えることにした。能登の古代の遺跡や寺社などを訪ねて、この地方がどのような歴史を刻んで来ているのか、その一端を覗きたいと考えていたのである。自分の僅かな知識によれば、能登地方は日本海文化の古くからの重要拠点の一つであり、そのことに絡む歴史の遺産の様なものを見てみたいと思っていたのである。

 考えた日程を大雑把にいえば、先ずは高速道を利用して富山エリアで下りて、高岡から氷見の方に向かい、その後七尾から左回りで穴水町→能登町→珠洲市→禄剛崎経由で輪島市→志賀町→中能登町→羽咋市などを巡って、これで能登半島を一周することになり、7日間ほどかけて獲物を探す旅としたいと考えている。

残り3日ほど余裕があるので、天気の様子などを見ながら可能ならば帰りは糸魚川から姫川沿いの道を信州の松本辺りまで行って、山の紅葉などを期待ながら秋の稔りを手に入れた後、群馬県のどこかから高速道を利用して帰宅するというコースを組んでみた。今のところ何も起こらなければ、11日の出発を予定している。また、帰宅は最終期限を21日としている。

 今回は短期間だし、多少は仕事のことも忘れないようにしなければならないと考えており、今までの旅のように毎日の行程の有り様をブログで報告することはしないことにしている。旅の記録は戻ってから整理をして、それが終わったら追ってブログで紹介しようと思っている。

何しろ今年に入ってからは、4月以前の時期も旅車を殆ど動かしていないので、ちゃんと動いてくれるか多少の不安がある。基本箇所のチエックはしているので、ま、大丈夫だとは思っている。何しろ車もその使用者も老朽化が進んでいるので、そのことを十二分に自覚しながら決して無理をしないように心がけなければならない。1日100km以内の走行に止めなければならないと思っている。

もう大体の準備は整っている。台風や地震などの天の怒りに遭遇しないように祈るばかりである。取り敢えずご報告まで。

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