山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

第1日

2007-04-30 05:47:47 | くるま旅くらしの話
午後出発。途中栃木県二宮町の尊徳神社や資料館に寄る。喜連川の道の駅泊。偶々来ていた、tacosキャンパーズクラブの林さん、森さんご夫妻に会う。星空を見ながら遅くまで歓談。旅は楽し。走行106km。
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旅に出かけます

2007-04-29 06:10:57 | 宵宵妄話

昨日から大型連休が始まったということを、昨朝のニュースで初めて知りました。毎日が日曜の身には、うっかりすると世間の時間の流れを忘れてしまいそうです。これから向う東北地方も、里帰りなどの人たちも混ざって、隅々まで渋滞などが行き渡るのかもしれません。

さて、いよいよ出発です。未だどのようなコースにするのか決めていませんが、取り敢えずは福島の旅の友のお宅を訪ねた後、今回は日本海側に出て沿岸の道を北上し、秋田辺りから角館経由で盛岡に向かい、小岩井牧場の一本桜を撮ったりしながら北上して、十和田湖の奥入瀬渓谷を訪ね、そのあとは東北町辺りを中心に温泉などに浸りながらのんびり過ごして、帰りは太平洋側を南下するというような、漠然とした考えを持っています。東北は、何事が起きてもその日の内に家まで戻ることが可能です。何事も起こらないことを願っていますが、さてどうなりますことやら。

今年は桜の方は、NHKの朝ドラ「どんと晴れ」の影響を受けて、相棒が何としても小岩井牧場の一本桜を撮りたいというので、これにだけこだわることにし、その他は桜の名所にはあまり囚われないことにして、野山の中に忘れられて咲く山桜などを愛でたいと考えています。

今日の出発は午後となりますので、今夜は喜連川の温泉にでも入って、英気を養い(?)長旅に備えることにしたいと思います。
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アケビの芽の話

2007-04-28 05:23:49 | 宵宵妄話

 

旅の料理というわけにはゆきませんが、今、春の旬の味の一つ、アケビの蔓芽のことについて話したいと思います。これから東北の春を訪ねての旅に出発しますが、多分、旅先の随所で山菜と一緒にこのアケビの蔓芽にお目にかかれるのではないかと期待しています。

私は糖尿君に取り付かれて以来、次第に自然食というか、植物本位の食べ物に関心を示すようになりました。いうなればヴェジタリアン(=Vegetarian)、即ち菜食主義者となりつつあるということでしょうか。しかし、必ずしもそればかりにこだわるのではなく、魚も、時には肉も食べるという雑食主義の実態からはなかなか抜けきれなくて、未だに中性脂肪などの数値は高いレベルを誇っていたりしています。でも少しずつ動物性たんぱく質の摂取が減りつつあることは間違いありません。

というわけで、市から借りた菜園では、旅に出ないときは結構面倒見よろしく、冬の間などは、ほうれん草を始め青物野菜は殆ど自給といった状態でした。相棒から言わせれば、殆ど身体全体がほうれん草や小松菜などで出来上がるほどに、牛や馬のようにワリワリと野菜を食べまくって、過ごしてきているという状況なのです。

しかし、実のところを申せば、最早野菜を食べるのに美味いや不味いといった感覚は無く、ただひたすらにこれを食べ続ければやがて体質を変えることができて、命を永らえるのに役立つという信念を通すだけなのです。いわば仙人が霞を喰うのと同じような心境かも知れません。美味いものは食うけど、不味いものは食べられないなどという甘えは、私の場合は無縁の価値観です。でも、そうは言うものの、本当のところは美味いものも時には食べてみたいとは思うわけです。何といっても俗人でありますから。

で、何が美味いかといえば、この頃は自然食が本命ではないかと思うようになりました。工夫して作り上げた料理も素晴らしいとは思いますが、殆ど無加工でそのまま素材の旬を味わうようなスタイルの食べ方が一番のような気がしています。これは歳をとって来て、身体が自然とそのようなものを求めるからなのかもしれません。或いは、年金暮らしに馴染んできて、豪華で高価なものなど所詮口に入れるのは不可能という現実に対する痩せ我慢の意地のなせる思いなのかもしれません。

ま、その様なことはどうでもいいのですが、今年は手近な春の味として「アケビの蔓芽」に存分にこだわり、毎日うんざりするほどの春の味を味わっています。今日の本題は、旅の話から少しズレて、そのアケビの蔓芽の話です。

アケビの新芽が珍味であり美味だという話は、随分前から聞いてはいたのですが、アケビの実の方は秋になると気づくのですが、春先の新芽の方は、うっかり忘れていることが多く、又家の近くには無いものとばかり思っていました。実際アケビの花を見ても、新芽がどれで、どこを食べるのかが分らず、正直言って去年の春までは食べたことは無かったのでした。

それが、昨年の春の佐渡・飛越方面への旅の際、新潟県の栃尾(今は長岡市)に行った時、道の駅でおばあさんがアケビの芽の小さな束を売っているのを見つけ、なるほどこれがアケビの芽なのか!としっかりその食べ物を確認できたのでした。2束ほど買い求め、さっそく茹でて醤油などで食べてみましたが、歯ごたえがあり、やや苦味があって、味の方も大人の味そのものでした。酒の肴には願っても無いものだなと思いました。アケビの新芽というのは、花の横辺りから出てくるはずの芽のようなものかと思っていましたが、おばあさんが売っているのを見ると、それはごく普通の蔓の新芽であることが分りました。なあんだ、これならばそこいら辺に幾らでもあるんじゃないか、とその時思いました。早速その翌日、栃尾の道の駅付近を早朝散歩した時に探してみたのですが、あるある、山に近い道端の藪の中に細い蔓の新芽がたくさんあるのを直ぐに見つけました。早速それを摘んだのでしたが、たちまち昨日買ったくらいのボリュームとなったのでした。

その後家に戻った時は、関東の春は終わっており、アケビのことはすっかり忘れていたのですが、今年になって毎朝の散歩時に、アケビの蔓の新芽がおいでおいでをしているのに、ふと気づきました。アケビというと、結構高い樹の上の方まで這い上がって実をつけるので、この辺りにはなかなか見つからないのではないかと思っていたのですが、気がついてから良く見ながら歩きますと、随所に点在していて、それらが一様においでおいでをしているのです。蔓で繁茂している植物は、春先になると、伸ばした蔓を何処に絡み付けるのかを探すように、蔓の新芽の先が風に揺れているのに気がつきます。似た様なのも多いですが、アケビの芽は3枚の葉をつけた透明感を思わせる茎の色ですので、他のものとの判別はそれほど難しくありません。

何しろ不断から守谷の至る所を歩き回っていますので、どこの道の何処に何があるのかなどは大概承知しています。あの道脇の土手には白花タンポポがある、あそこの土手には草ボケが紅い花をつけている、あそこの竹やぶの少し日当たりのある所には白花スミレが咲いている、今年は1月末にはもうオオイヌノフグリが花を咲かせているとか、等々歩きの途中に確認している野草や樹木達の情報は、尽きることがありません。今年はそれに一つアケビ情報が加わって、楽しみが大きく膨れ上がりました。

それにしても気がつけば、幾らでもアケビの芽はあるのです。秋になって実がなるほどのレベルでないものなら、アケビは至る所に進出して、拡大戦略を展開しています。植物というのは、我々が気づかない所で、かなり巧妙な生き残り戦略を展開しているようです。アケビ君からいえば、おいでおいでしてくれている、などと勘違いして、その大切な芽を摘んでしまうのですから、私はまさに天敵といわれる存在かも知れません。しかし、私がどんなに頑張っても、彼らの執念のパワーに勝てるはずも無く、恐らく来年は層倍の芽を出してくれるのではないかと思っています。

アケビの芽は、食べ方自体は簡単で、基本は沸騰した湯に塩を一掴み入れ、1~2分さっと茹でて水に晒してこれで完成です。それを何で、どのように食べるかは、食べる人の工夫次第です。そのまま醤油だけでもいいし、酢醤油でもよし、酢味噌でもよし、胡麻和え、白和えでもよし、マヨネーズやドレッシングなどで食べてもいけると思います。チョッピリ苦味があり、何よりもこれがこの食べ物の旬の生命(いのち)です。

ついでに言えば苦味は大人の味であり、これを美味いと感じられるようになったら、本物の大人になったと自負してもいいのではないかと私は思っています。アケビには人間の味覚の大人度を試す力がこもっている様な気がするのです。身近にある春の旬の味覚を今年ほど味わったことはありませんでした。これから出かける東北の各地でも、たくさんのアケビ君たちがおいでおいでをして待っていてくれる様な気がします。(人間の勝手というのは無限でありますなあ)

[明日からしばらくブログ投稿は携帯からとするつもりです。ま、休みだと思って頂ければ無難です。 馬骨]

 

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デジカメ日記のすすめ

2007-04-27 07:00:18 | くるま旅くらしの話

旅の楽しみ方には3つのステージがあり、それは「予楽」「現楽」「後楽」であるという話をしましたが、この中で後楽については、現楽の時点での記録が重要な要件となるとも述べました。その際、デジカメ日記について触れましたが、今日はそのデジカメ日記について少し紹介したいと思います。

多くの場合、旅にカメラは必需品となっているように思います。旅の間に撮った写真は、旅の思い出を語る大切な資料となります。そしてそれらの写真は、記念写真としてのスナップや風景などを撮ったものが多いのではないかと思います。「はい、チーズ!」とか、「オーッ、いいな」と感動した景色などをカメラに収めて、それを旅から戻った時に現像・焼き増しなどプリントして残すというやりかたが主流かと思います。

ところで、現代はカメラの殆どがデジタルカメラ(=デジカメ)になっていると思われます。勿論本格派を自認する方やプロの方はデジカメではないものにこだわる場合も多いことでしょう。難しい議論は措くことにして、記録を残すツールとしてカメラを考えた場合は、デジカメは大変優れた機能を持っていると思います。デジカメの優れている点は、パソコンや他の保存ツールと連動して使えば、多量の画像データを簡単に保存・再生・プリントアウトができ、しかもメモリーメディアを繰り返して何度でも活用することができ、現像などの面倒な処理が不要ということでありましょう。

私はこれらのデジカメの特性を活かした使い方として、デジカメ日記というものを推奨したいと思います。これはTVを見ていて、或るアニメ製作のトッププロデューサーの方が、気づいたときにはいつもデジカメに撮っておき、それを材料にして仕事を進めておられるという話にヒントを得て思いついたことです。

前述のデジカメの特性を考えた時、普通のカメラと同じ発想で旅の記念写真などを撮るだけでは勿体ないなと思ったのです。そしてTVを見た次の日からデジカメ日記というものを付けることを開始しました。それは、今も続いていますし、これから先も続けることになると思います。

デジカメ日記の要領といえば、真に簡単で、毎日、ちょっと気になったこと、出会った人、物、景色、動物などなど、何でもいいからカメラに収めておき、寝る前など、パソコンに保存する時に、必ず枚1枚に簡単な見出しをつけておくということです。そして特に印象的な出来事などを収めたものには、タイトルの他に、画像の保存をする際に「プロパティ」の「概要」欄にコメントを記しておくというやり方です。画像の撮影日時などのデータは自動的に記録されますから、タイトルとコメントなどを記しておけば、後でその日を振り返って思い出すときに記憶を確実に思い起こすことができます。文章による日記とは一味違ったリアル感のある振り返りが可能となります。

旅先で、例えば北海道の旅で、富良野のお花畑などを訪ねたような場合は、一度に100枚を越すような写真の量となり、それに一々タイトルをつけるのは大変な作業となりますので、その場合は、代表写真にその旨のコメントをつけて、他は省略するようにしたりしています。でも私の場合は、50枚程度であれば、必ずタイトルをつけるようにしています。写真を見た瞬間にタイトルが決まるというようなやり方を理想としていますし、現在ではタイトルをつけるのに手間取ることは殆どありません。我が相棒は、写真にはかなりの関心と隠れた自信を持っているようですが、タイトルをつけることなど皆無で、撮りっぱなしなので、時間が経つと思い出すのが難しくなってしまった写真なども多いようです。

ま、デジカメ日記は、良質の写真を撮るというのが目的でも狙いでもありませんので、芸術写真などを目指す場合は、タイトルなどにこだわる必要はないと思います。

毎日の記録を年度別、月別に整理してHDD等の中に収録しておけば、何時でもそれを取り出し、その日の出来事や情景を確実に思い出すことができます。私の場合は、旅の記録を作成するに当って、デジカメ日記と随時メモ、それから日記の3種類の記録を活用するようにしていますが、最も有効なのは画像の力であり、デジカメ日記によるところ大です。それだけにカメラはいつも身につけておき、気づいたらとにかくシャッターを切るように努めているのですが、実際には、なかなか思いと現実行動とは一致せず、人と話しておれば写真を撮ることなど忘れ果て、感動する出来事に会えばそれに浸ってしまって写真などには気づかず、といった毎日の繰り返しです。それでも少しずつ前進しているような気がします。

少し面倒くさいのは確かですが、後楽の内容をしっかりしたものとするためにも、関心のある方には、デジカメ日記の作成へのチャレンジをおすすめしたいと思います。

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最恐怖の気象経験

2007-04-26 02:40:24 | くるま旅くらしの話

怖いものに「地震・雷・火事・親父」とありますが、最近では、明らかに親父は失格となっていると思います。地震と火事は益々その怖さを増しており、世界中でその悲惨な出来事の発生は、引き切りもありません。

旅をしていると、様々な怖い出来事に出会うことがありますが、十数年のくるま旅の経験の中で、最も恐ろしかった出来事について今日は紹介したいと思います。それは雷の話です。

能登への旅は数回になりますが、その大概は珠洲市にある銘酒「宗玄」を買い求めるためということが多いのです。宗玄酒造は、能登の名所の一つである見附島(軍艦島ともいう)の近くにあって、私のお気に入りの酒の一つである「宗玄(上撰)」などを造っています。何が気に入っているかといえば、この酒をどんなに(というほど飲んだことはありませんが)飲んでも、決して悪酔いや、二日酔いなどになったことがないからなのです。

今現在は、どんなに調子に乗っても1升というわけにはゆきませんが、その昔はあっという間にそれくらいを平らげることがありました。飲み過ぎれば、体調を崩すのは当たり前で、我が身に合わない酒(その銘柄を言うのは控えますが)をうっかり飲んだりしますと、僅かにコップ2、3杯でも頭重がやって来ることがあるのです。大量生産で作られる酒の多くは、あちこちの造り酒家から酒を集めて、ブレンドして売っているものがあるので、そのような酒は概して自分の体調に合わないことが多いのです。

或るきっかけでこの酒を知り、金沢に仕事で来た時、随分飲んだ後で、この酒を見つけて4合瓶1本を寝る前に飲んだのですが、翌朝は真に清々しく快調でした。こうなりますと、俄然嬉しくなってこだわりだすのが自分の悪い癖で、どうしてもその造酒屋さんに行きたくなり、さっそく旅のついでに宗玄酒造を訪ねたのでした。11月頃、お正月用にと一升瓶を20本ほど求めたのでしたが、知人に配ったりして、正月の頃には在庫は殆ど無くなってしまっていました。勿論毎日うめえ、うめえと山羊が上等な紙を食べるのと同じように飲んでいたのですから、糖尿病が悪化するのは当然でした。あれ、一体何の話でしたっけ? 酒のことについては、本筋から離れた話でありました。これは又失礼!

さてさてその後も機会があれば能登を訪れ、必ずこの酒を求めて立ち寄ることにしていたのですが、3年ほど前だったか、もの凄い恐怖の一夜を過ごしたことがありました。その時は、富山県の新湊側から能登に入って、いつものように七尾の和倉温泉の総湯という公共浴場に入り、旅の垢を落として、これで命が10年は延びたかなあ、などというのんびりした気分で風呂から出て、その夜の宿に予定していた隣の中島町(現在は合併して七尾市となっている)にある、「中島ロマン峠」という名の道の駅に向ったのでした。

17時を過ぎており、辺りは少し暗くなりかけていましたが、生憎ポツリポツリと雨が降り出しました。珠洲市に向って走る国道249号線に入る頃は、海側を見ると邪悪な雲が真っ黒に海上に湧き出でて、何だか攻撃的にこちらに向ってやってくるような感じでした。能登に来ると、天気の悪い時は、いつも海上に黒い雲が湧いていて、それを邪悪な雲と呼んでいたのですが、思ったほど悪さをされたことは無く、ちょっとした驟雨に見舞われるくらいで終わることが多かったのです。でも今日のこの雲は、それでは済まないような雰囲気でした。というのも、時々ピカッと音なしの雷光が海上を走るのです。何とも薄気味悪い状況でした。

一時も早く道の駅に着いて、避難の体制をとろうと考え、車を走らせました。30分足らずで道の駅「中島ロマン峠」に着いたのですが、とてもロマンなどを思い浮かべることなど無理な状況です。夕闇の迫る空は、既に深夜のように真っ暗となっており、雨脚は未ださほど酷くはなっていませんでしたが、次第に降り方に異常性というか、凶暴性を帯びてきた感じとなって来ました。とにかく夕食の準備をして、早くそれを済ませ、寝床に入ってひたすら時の過ぎるのを待つことにしました。

一度は引いたような雨脚でしたが、ウトウトし出すと、突然雷光が閃き、ドカン!と雷鳴が鳴り響きました。さあ、その後は大ごとでした。雷だけではなく、もの凄い豪雨がやってきました。猛烈な雨で、バケツをひっくり返したなどという降り方ではありません。降水量ならば、1時間辺り150ミリくらいはあったのではないかと思います。その轟音は、滝の裏の騒音などのレベルを遙かに超えて、車の薄い鉄板を鳴り響かせます。閃光の後の雷鳴のタイミングが一層早まり、寸時を待たずに光と音とが争うように鳴り響くのです。ズーン!!という落雷の音が大地を揺るがせ、その旅に車もズーンと揺れ動くのです。生きた心地もなしというのは、まさにこのような状態をいうのだなと思いました。やがて雨は雹(ひよう)のようなものに変わったらしく、天井の音は異常に拡大され、重さを増して来ました。この調子でやられたら、天井はボコボコになってしまうのではないかと心配しましたが、外に出ることなどとても出来るものではなく、只ただ、この降りかかっている災難が遠ざかるのを待つだけでした。

いヤア、もしこれが銃砲の戦いだとしたら、我々の車はいわゆる十字砲火、すなわちクロスファイアーに見舞われた絶対絶命の状況にあったと思います。何しろこちらは無抵抗なのですから、この天の悪意には只ただ恐怖心を持って耐えるしかありませんでした。3時間近くもこの雷鳴と豪雨の攻撃は続いたかと思います。ようやく下火になったときは、心底ホッとしたのでした。

それにしても雷の集中攻撃というものは恐ろしいものだと思いました。近くに何発も落ちた時は、もしこの車に落ちたら終わりだなと、逃げ出そうにも逃げ出せず、覚悟をせざるを得ないと思ったほどです。ドーム型の建物やアースのある所には雷は落ちても大丈夫なのだというのは知っていても、直ぐ近くに何発も雷が落ちて大地を揺るがし、それと一緒に車も振動する状況では、そのような知識は無力の感じでした。さすがの私も、このときはベッドを抜け出し下のソファに坐って、静観せざるを得ませんでした。相棒といえば、恐怖を通り越して開き直った顔となっていました。人間、極限状態で覚悟が決まると、生死のことはどうでもいいと思うようになるのかもしれません。

今までの旅の中で、この時が最高の恐怖経験でした。閃光と雷鳴の狂騒は、冬の富山湾では、「鰤(ぶり)起し」として漁師さんたち関係者には歓迎されているようですが、自分としては鰤君たちの網に逃げ込む心理が解るような気がします。強烈な雷鳴は、海底にまで届くほどのものなのではないかと思います。如何に海の中とはいえ、鰤君たちも恐怖に駆られてジッとしては居られなくなり、動き回って網の中に取り込まれて、まんまと人間どもの術中に落ちてしまうのでしょう。鰤君の刺身などには滅多にお目にかかれませんが、せいぜいそのカマなどを賞味する時は、あの中島ロマン峠の道の駅の一夜を思い起こしながら、供養のつもりでうめえを連発するのであります。

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守谷というところ

2007-04-24 00:33:45 | くるま旅くらしの話

生も又旅であると考えると、私が今辿り着き、住み着いている茨城県守谷市という所も一つの旅先だと考えることができるような気がします。ここに引っ越してきてから早くも4年目を迎えています。家庭を持ってから11回目の引越しでここに至ったのですが、今まで一番長い期間住んでいたのは、川崎市内の7年ですから、それに比べると守谷の在住期間は、ようやくその半分を超えたに過ぎません。思うに、私どもがあまり家に拘泥することなく旅にうつつを抜かすのも、結婚以来平均4年足らずで棲家を替えてばかりいた暮らしの所為なのかもしれません。この歳になれば、定住を考えざるを得ず、それが偶々此処守谷だったということなのかも知れません。

さて、今日は、その守谷についてご案内したいと思います。茨城県守谷市などといっても、この近辺に住まわれている方以外は、殆ど耳にされることのない無名の土地ではないかと思います。

守谷市のロケーションですが、大雑把に言えば東に小貝川、西と北が鬼怒川、南に利根川という3本の川に囲まれた、東京都心から40kmほどの距離にある、面積約36㎢の小さなエリアです。人口は約5万7千人で、都市化の進むエリアと工業団地、それに昔からの農村エリアとで構成されていますが、昨年開通したつくば研究学園都市と都心の秋葉原を結ぶつくばエクスプレス(略称TX)の中継基地を控えた守谷駅の開設に伴い、急ピッチで都市化が進んでいるようです。あと5年後には人口は6万人を超え、都市化は益々スピードを増すように思えます。東洋経済が毎年発表する全国都市成長ランキングに拠れば、昨06年度では13位、04年度では第1位だったということですから、都市としての成長の可能性は大変高いということなのでしょう。このことを例にとって、行政の方ではチョッピリ嬉しがっているようですが、さて、如何がなものでしょうか?最近直ぐ近所の予想外の場所に、突然9階建てのマンションが建つことになり、これに憤慨した先住のある方は、引越しする!などと息巻いておられましたが、都市景観の規制条例等はあっても、規制が効かない状況では、住民としては妙な都市化はあまり歓迎できることではなさそうです。

ここに住むことになったきっかけは偶然であり、運命のいたずらというか、自分の気まぐれのようなことで、必ずしも願って求めた結果ではないのです。旅車の置ける家が欲しかったというのが、最大の動機であり、あとは自分の書斎さえ確保すれば、家そのものの中身など大して興味もなかったという、真にお粗末な考えなので、家内の度重なる非難を甘受するまでもなく、我ながら呆れかえるばかりです。それでも、今は一応定住の決心をしていますので、この街を大事にしたいと思っています。

此処へ越して以来、自分の足と自転車でこの街の殆ど全て(南のエリアの一部を除いて)を歩き、廻り尽くしました。36㎢といえばたった6km四方ということですから、本当は自転車など要らないのですが、足を鍛えるためには歩きだけでなく自転車も有効と考えているためです。糖尿病君の激励を受けて、毎日10km近く歩いていますので、旅に出掛けていて留守の時を除いても、街の中を歩くチャンスはいくらでもあるのです。基本的に毎日同じコースを辿らないことにしていますので、新しいコースを開発せざるを得なくなり、遂には全域を知り尽くすに至るという訳です。

その歩きや自転車での散策の結果分かったことは、守谷という所は、森も多いけど、小さな湖沼地帯であるということ。やはり古来からの利根川や鬼怒川、小貝川等の氾濫の名残りが随所に残っているのではないかと思われます。平均海抜が約20mといいますから、太古は海の中にあった砂地だったのかも知れません。開発が取り残した林や藪に行って見ると、その多くは沼である所が多いようです。

守谷の交通はTXの他に、関東鉄道の新守谷、守谷、南守谷の3つの駅があり、この中の守谷駅がTXとの乗り換え駅になっています。TX守谷駅は、1日の乗降客が1.5万人を超え、当初の目論見よりも多くなっていますが、これはTXの都心と守谷駅までの往復ダイヤが充実している結果によるものと思われます。守谷から先、終点のつくば研究学園に向う電車は、発着の本数が半数以下となり、やや不便な感じは否めません。ついでですが、TXという電車の性能・仕様は、既存のJRや関東鉄道の車輌とは格段の上位レベルにあり、乗り心地が優れているのを実感することができます。不満といえば料金が高いということでしょうか。

守谷の交通としては、鉄道の他に2本のメイン道路が通っています。国道294号線ともう一つは常総ふれあい道路と呼ばれる県道です。現在はこの2本の道路に沿って新たなショッピングモールなどが建設され、その裏側に住宅等の建築も進んでいるようです。

なお、もう一つ交通については、常磐高速道が街を南北に縦断して走っていますが、この道は半地下構造となっており、これを跨ぐ陸橋が多いのですが、騒音も排ガスも思ったより少ない感じがします。守谷にはサービスエリアがあるだけでインターチエンジは隣のつくばみらい市の谷和原が最寄となりますが、これを利用した高速バスに乗ると、夜間なら東京駅から我が家の玄関まで40分で着くことができます。

私が住んでいるのは、北守谷エリアで、関東鉄道新守谷駅から徒歩5分ほどの住宅街ですが、駅に近い割には商店なども少なく閑静な場所です。この辺りは以前牧場等があった所らしく、住宅の進出する余地がなかったようで、新守谷駅も不動産屋と学習塾の建物くらいしかない寂しい駅前風景です。最近駅前近くに大きなマンションが建設されていますので、あと何年か後には、この辺の景観も一変するのかも知れません。

とにかく都市化の波が押し寄せ、新しい創造と共に何かが壊れて行くのが入り乱れて実感できるのが今の守谷市といったところでしょうか。

守谷市の住んで一番満足しているのは、緑が多いということです。歩くのが宿命みたいになっている自分にとって、緑のない道ばかりを歩くのは辛い気分になるのですが、守谷には幾つかの遊歩道が整備され、公園も多く作られており、合わせていろいろな種類の樹木が植えられ、四季の景観を美しく彩ってくれています。その中を縦横無尽に歩き回ることができるのは、この上ない幸せです。少し足を伸ばせば、小貝川、鬼怒川、そして利根川の堰堤に辿り着くことができ、川の流れに思いを馳せることもできるし、冬には田園の彼方に純白の冠雪をいだいた富士山を眺めることもできます。又旧守谷町の中心街近くには守谷城と呼ばれる、一説によれば彼の平将門の築城によるとかいう、お城の旧跡もあります。小さな丘に築かれた城ですが、周囲を沼などの湿地帯で囲む、なかなか戦略的な築城だったようです。何度も足を運び、城跡の森の空気を深呼吸しました。守谷の歴史のことはこれからの知る楽しみの一つです。

街が発展することには反対はしませんが、上手な都市化を進めて頂き、この美しい自然が何時までも多く残り続ける、落ち着いた風情のある街であって欲しいと願っています。
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予楽:今年の東北春旅

2007-04-23 00:07:47 | くるま旅くらしの話

房総の短い旅から戻って、畑いじりや山菜採り(主としてアケビの芽)等にうつつを抜かしているうちに、今月も最終週近くとなってしまいました。今週末か来週初めには東北の春を訪ねる旅に出発します。毎年この季節に東北各地を気の向くままに1ヶ月ほどさすらうことにしています。

さて、今年はどのような旅をするのか、どんな旅となるのか予定はさっぱり立ちませんが、いろいろ考えていることがあります。予楽の事例として紹介したいと思います。勿論予楽ですから、実現するのかどうかはわかりません。

この季節に東北を廻るのは、何といっても関東の平野に住む者にとってはなかなか味わえない、冬から目覚める本物の春の風情を楽しみたいからです。桜の花も山々の樹木や野草たちも、東北の春は躍動感に溢れています。寒さに閉ざされた長い冬の季節から開放された、生命(いのち)あるものたちの歓声が、野山を満たすのです。如何に暖冬とはいえ、北国の冬の厳しさは関東平野とは比較にならない様に思います。それゆえに、東北の春は感動が一杯詰まっているような気がするのです。

今年はいつもより暖冬がひどくて、今回の出発では恐らく名所の桜を観ることは遅きに失するかと思います。これは覚悟の上なので、三春の瀧桜、長井の久保桜や大明神桜、北上の展勝公園、角館の武家屋敷と檜内川堰堤、それから弘前城祉の桜など名だたる桜の名所を訪ねても「ちりぬるを」となるに違いありません。でも心配無用です。山道を通れば、必ず山桜の大木や艶やかなオオヤマザクラを観ることができるのを知っているからです。由利本荘市の黄桜の里などは丁度いいタイミングのような気もします。桜の花を楽しむことは、東北春旅の大切な目的の一つですが、この頃は人知らぬ山里の桜花に思いを寄せることが多くなってきていますので、今回も隠れた名木との出会いがあるような予感がしています。

東北の旅の中で、予てから「へのへのの旅」というのを考えているのですが、これは一戸から(四戸を除く。四戸というのは無い)九戸までを訪ね、更に遠野(=十野)又は十和田まで、つまり「一から十」までの南部地方の市町村を巡って、民話などを拾ってみたいという主旨の旅なのです。これをいつの日か実現させたいと考えているのですが、さて、今回は何処までできるか、チョッピリチャレンジしてみようかな、などと考えています。断片的には何度か各地を訪れているのですが、素通りが多く、旅がつながっていないのです。岩手県から青森県に跨るこの地方は、かつて南部藩が開かれた頃の区割りの地名(らしい?)として一戸から九戸の名が残っていますが、今回の平成の大合併でも、それぞれの市町村が名前の消失を免れており、嬉しい限りです。

今回も順番に廻るのではなく、気まぐれに訪ねたいと考えていますが、「へのへのの旅」の最後の締めくくりになると思われる、未だ行ったことのない、宮古の「浄土ヶ浜」へは是非行ってみたいと考えています。一から十までの地名を訪ねて、最後に海に至り身を清めて旅を終えるというのが、「へのへのの旅」のストーリーとなるような気がしています。

民話といえば、柳田国男の遠野物語に代表される遠野の民話が有名ですが、遠野に限ったことではなく、その他の地方にもいろいろな民話があるに違いありません。どれくらい集められるか楽しみです。ネットなどを使えば、より効率的に集めることが出来るかもしれませんが、民話というのは、現地に行って、野山や往時の人々の佇まいなどに思いを馳せてみないと、その訴えるものが何なのかが見えないように思います。座敷童子(ザシキワラシ)やオシラサマなどの話も、東北のかつての閉鎖された農村地帯の厳しい冬などを思うことができなければ、その情感を受け止め、理解することは難しいのではないかと思うのです。春の歓びの裏側には、長く厳しい冬に耐えてきた人々のくらしの息遣いが潜んでいるような気がします。そのような気持ちで民話を探してみたいなと思っています。

東北の旅の楽しみの一つに温泉があります。有名無名、たくさんの温泉がありますが、私の場合はどちらかといえば無名の湯に憧れます。何しろ住いを背負って旅をしていますので、有名地の温泉には入りにくいのです。有名な温泉には温泉街などが出来上がっており、なかなか敷居が高くてどうしても遠慮してしまいます。又秘湯といわれるような所は、魅力的であってもそこまで行く道が細くて大変だったり、駐車場がなかったりして、チャレンジにためらいがあります。基本は気が向くまま、見つけたらとにかく行ってみること、となりますが、今のところは、青森県の東北町にある幾つかの温泉にゆっくり滞在したいなと考えています。東北町は小川原湖西側に位置する町ですが、幾つかの温泉があり、泉質が良いだけではなく、料金も東京の銭湯の半額くらいですから、大いに気に入っています。できれば4、5日滞在してのんびりしたいなと思っています。

東北は大変広いので、本当は1ヶ月では日にちが足りません。しかし2ヶ月も廻っておれば春は終わってしまいますので、やはりある程度エリアを絞り込んでさ迷う必要があるかもしれません。日本海側も魅力的だし、太平洋側も興味津々です。このところ日本海側の方へ行くことが多かったので、今回は太平洋側が中心となるかも知れません。地震のことを考えると、日本海側の方が安全かな、などとしょうもないことなども考えたりして、楽しみは無限に広がります。

そうそう、東北春旅には、天ぷらを揚げる用意は不可欠です。もう準備は完了していますが、東北の春は山菜天国です。栽培しているものも多少は混ざっているようですが、それよりも天然、自然の山菜が多く店に並べられていますので、これを天ぷらにして食べるのが楽しみです。勿論茹でたり、炒めたり、焼いたりして食べるなど、食べ方はいろいろですが、タラの芽、コゴミ、フキノトウなどはやっぱり天ぷらが一番だと思います。姫竹は焼いて醤油やマヨネーズ(私はこれは使用禁止で残念)をつけて食べるのが一番、それからカタクリの花やミズなどはおひたしが良いでしょう。まだ、見たこともない珍品が見られるかもしれないと、今からワクワクしています。糖尿病持ちなので、たくさんは食べられませんが、新鮮なものならば、多少は破目を外しても却って薬になるような気がします。

 さてさて、とりとめもなく予楽を書き散らしましたが、これが予楽です。このようなノーテンな妄想的なことばかりではなく、遠野物語を再読したり、宮沢賢治の作品を読んだり、関係県の歴史散歩を読んだりと、予楽もそれほど楽ではありませんが、でも楽しいのです。

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旅の楽しみの3つのステージ

2007-04-21 03:57:38 | くるま旅くらしの話

私は、旅の楽しみ方には3つのステージがあると考えています。その1は、「予楽」その2は「現楽」、その3は、「後楽」です。予楽というのは、旅に出かける前に、これからの旅を、あれこれと思いをめぐらして楽しむことであり、現楽とは、旅の現実・実際状況の中で今を楽しむことであり、言わばこれが本番です。そして後楽とは、旅が終わった後で、その旅を振り返って楽しむことです。

このような楽しみ方は、ごく当たり前のことであり、何も殊更大げさに言わなくても良いような気もしますが、とことん旅を楽しんでやろうと思う時には、一度切り分けてその楽しみのあり方を探ってみるのも良いのではないかと考えた次第です。一般的には、旅といえば本番の現実・実際ばかりにスポットが当てられますが、本当の旅の巧者は、恐らく予楽も後楽も存分に楽しんでいるに違いありません。出かける前は荷物の準備ばかりに気をとられ、本番だけを楽しんで、旅から戻った後はホンの一時の間、本番の思い出に耽る程度で、あっという間に忘れ去るというのでは、せっかくの旅が勿体ないような気がします。

そこで今回は、その理屈などについて少し述べてみることにします。

先ず予楽です。旅の準備をすることも予楽の一つかも知れませんが、これは置いておくことにして、準備の前に旅への思いをめぐらすこと、即ち、何処へどのような旅をしたいのか、どのように考えれば良いのかなどについて取り上げることにします。これは実際は各人が自由に考えれば良いことなのですが、参考までに私のやり方を紹介します。

予楽を楽しむためには、何らかのツールが必要です。私の場合は、主に次のようなものを活用しています。

①地図(全国地域別地図、全国名所旧跡案内地図、その他必要に応じて詳細地図類)

②新全国歴史散歩シリーズ(山川出版)

③日本の民俗(各都道府県別)

④道の駅ガイド[AC(オートキャンパー)誌付録]

⑤日本の100選データブック(財務省印刷局)

⑥その他関心事に関する資料等

これらのツールを、在宅の時はヒマに合わせて殆ど毎日見ています。地図はトイレに常備してあり、いつでも全国何処へでも行くことができます。歴史散歩シリーズは全国分を取り揃えてあり、興味関心を抱いたら、引っ張り出して調べることにしています。日本の民俗についても同様で、その地方のことに関心を抱いたら、本を引っ張り出して調べるようにしています。旅先のことを何も知らないで訪ねるのもいい方法だと思いますが、私の場合はある程度の予備知識を持っていた方が良いと考えていますので、それを調べるのが楽しみとなっています。例えば、桜などを追いかける場合も、桜の品種や名所についてのある程度のデータを知っていた方が、ただ単にきれいだなあと見とれて終わるよりも楽しみが深まるように思います。ですから、毎年の東北への春旅には、桜の図鑑と解説本は必携です。この他、より詳しい情報が欲しい場合は、何といってもネットで調べるのが便利です。世の中には隠れた専門家というか情報屋さんが多いのに驚かされます。知恵者の知恵は、大いにお借りして使わせて貰うのが一番だと思っています。

予楽の楽しみは、最初漠然としていたその地への憧れやテーマが、いろいろ思いをめぐらす中で、様々な必要情報を集めることによって、次第に旅のイメージがはっきりしてくることにあります。旅そのものは多くの場合行き当たりバッタリなのですが、芯となるものはキチンと押さえておくのも、やはり必要な気がします。

予楽のメリットというのは、実現できてもできなくても、旅の思いを勝手に膨らませ、それを具体化するためにいろいろ調べたりして、知識や情報を獲得する楽しみにあるような気がします。旅の計画を作ることも予楽の一つかも知れませんが、私の場合は、計画ではなく、あくまでも思いをめぐらして、それを調べたりして遊ぶことが予楽なのだと考えています。それが実現できてもできなくても、旅そのものは行き当たりバッタリなので、あまり気にすることはありません。<

次に現楽ですが、これは説明の必要はないと思います。旅の本番は、現楽にあり、その人が好きなように楽しめばいいのです。というよりも、現楽というのは、その人にしか楽しむことができない、当事者の世界です。私の場合は、最近は楽しみの中に笑いの部類だけではなく、困惑や怒りも入れることにしています。困ったことも腹が立つことも、これは楽しみの一つなのだと思うようにしているわけです。そのように心が落ち着くまでには時間がかかりますが、何しろ心を揺さぶる出会いがなければ、旅は刺激のないものとなってしまうことでしょうから。

後楽のためには、是非ともしておかなければならないことがあります。それは現楽のときに「記録を残しておく」ということです。これがないと、後楽の材料はものすごいスピードで過去に流れ去ってしまい、タイトル程度の記憶しか残らないような状態となってしまいます。人間は忘れる動物とは、旺文社の辞書の赤尾好夫氏のキャッチコピーだったか、古い話ですが、これは人間の弱点をよく衝いた言葉だと思います。旅の思い出を何の記録もないままに話できる人は、恐らく超人ではないかと思います。

後楽は自分だけが楽しむのではなく、自分以外の人を楽しませることができます。写真、紀行記録、DVD、VTR、スケッチ集、等など、たくさんの記録方法がありますが、自分の好きなスタイルで行なえば良いと思います。

記録を整理することを通して旅の振り返りができ、旅の思い出が深まるように思います。私の場合は、旅の紀行記録を日記風にまとめていますが、その原材料となっているのは、毎日の折々のメモとデジカメ日記と称する写真記録です。デジカメで撮った写真を毎日寝る前にパソコンに取り込む時に、必ずタイトルだけは書くようにしているのですが、これが後で記憶をよみがえら際に、かなりの戦力になっています。この他日記は、毎日必ずつけるようにしています。

ま、このような面倒くさいことなど一切せずに、自分のやりたいことだけを存分に楽しめば良いという楽しみ方もありますから、それはそれで批判するつもりなど全くありません。人それぞれの楽しみ方でいいのであって、あくまでも旅の楽しみ方はご本人の自由なのです

予楽、現楽、後楽という、3つの旅のステージをそれぞれ工夫をしながら、大いに楽しみたいものです。

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高齢者には旅は不老の仙薬

2007-04-20 06:38:33 | くるま旅くらしの話

久しぶりに旅についての体験的理屈を述べてみることにします。高齢者というのは、65歳以上を言うらしいですが、してみると自分も立派な高齢者の仲間なのだと気がつきます。還暦の頃も今も、大して変わっていないように自分自身は思っていますが、周囲はそのようには認めてくれないようです。還暦を過ぎたばかりの方には、高齢者なんて冗談じゃない、と心の中で思っている人が殆どだと思いますが、5年程度の時間の経過はそれこそあっという間で、あっという間に高齢者の仲間入りをさせられてしまうのです。

リタイア後の人生をどう生きるかというテーマは、その昔の青年の頃にどんな仕事を選ぶか、どんな志を立てるかと思い惑った時と同じくらい重大・重要です。むしろ青年時代よりは遙かに多彩な経験を積み、ものごとを判別する力も備わっているだけに、この世代の悩みは、深刻ではないけど結論を出すのが難しいような気がします。つまり、過去を反省し、できなかったことや、やりたいことがたくさんあるはずなのに、いざとなると何をどうやるのかに戸惑い、ためらいながら時間が経過してゆくようなことが多いのです。歳月人を待たずといいますが、その箴言(しんげん)は若者よりも高齢者の方にぴったり当てはまるような気がします。還暦後の時間経過のスピードは、何もしないでも現役時代よりも速くなり、加齢と共に一層早まるような気がします。(勿論勝手に時間を止めてしまっている人や、心ならずとも冥界に呼ばれたしまった方は別であり、申し上げたいのは普通にまともに生きている人の話です)

さて、その時間が過ぎるスピードについては、これは絶対的な事実ですから、どうにもならないことなのですが、高齢化や加齢に伴って最も問題となることが一つあります。それは「老化」という、これ又絶対的な事実です。この老化という問題がなければ、加齢も高齢化もさほど気にすることもないのだと思いますが、若者と違う最大の壁はこの老化というものではないかと思うのです。

老化には二つの側面があるのではないかと思っています。一つは肉体的、身体的な老化であり、もう一つは精神的な心の働きの側面です。身体は衰えても精神活動は盛んな方も居られましょうが、一般的には加齢が進むにしたがって、身体の働きの方は確実に衰えて行きますから、何の対策もなければ、それにつれて精神的な面も次第に力を失ってゆくことが多いのではないかと思うのです。少なくとも70代よりは80代の方が、80代よりも90代の方が身体も心の働きもパワーは小さくなるに違いありません。これ又絶対的な事実でありましょう。しかし、身体と精神を比べれば、嬉しいことに同じペースで老化が進むのではなく、精神面の方がその心がけ次第というか、志の持ち方によって、遙かに長く老化を遠ざけることができるように思うのです。

ところで、この老化防止対策に、我々は様々な形で取り組んでいるのだと思いますが、世の中を見ていますと例えば身体的な面では老人医療費の問題に代表されるように、様々な医薬品が開発され、どんな病気にでも対応できる体制が築かれつつあります。しかし、病などというものをどんなにガードしても、肉体的な老化の問題は解決できるものではありません。古来より不老長寿は、皇帝のみならず万人の願いでもあったわけですが、それを成就し今日まで生き続けている人は皆無です。病に薬は効いても老化に効く薬などあるはずがないのです。せいぜい多少の延命に貢献するくらいのものでありましょう。

世の中には、自分自身の身体の壊れる要因を知りながら、それを改めもせず、安易に、或いはひたすら医薬品に依存して回復を期待している人があまりにも多いように思います。老人医療の問題は、そのコストを受診者と治療者が共同して膨らませている結果に拠るところ大のような気がします。私は67歳ですが、昨年医療機関に支払った医療費は0円でした。糖尿病ですが、薬で治療するのではなく、運動と食事で何とかクリアーするように努めています。薬を飲めば、数値的に良い結果が出るのは承知していますが、薬の力によるその良い結果を私は信じないことにしています。あくまでも自然体で、薬なしで良い結果を出すことが糖尿病に対する最高の治療法だと信じているからです。高額の健康保険料の支払いには、大いなる疑問を感じますが、これは世の中、人のための寄付なのだと割り切ることにしています。しかし、時々老人医療費の問題などを耳にしたり目にしたりすると、そのあり方の杜撰さというか、生き方のいい加減さに腹が立ちます。思わず私憤となってしまいました。失礼。

さて、強調したいのは、肉体的な老化対策ではなく、精神的な老化への対応についてです。私は、リタイア後の人生を心豊かに生きながらこの世とおさらばしたいと願っています。それには勿論肉体的な面の影響は避けられませんが、何といっても精神的な面でのあり方が重要なのだと確信しています。身体がかなり衰えてきても、生きるための志をしっかり持っていれば、その時が来るまで、それこそ時を忘れて生きて行くことができるのだと思っています。

その精神的な面の薬に相当するものといえば、それはその人の生きる張り合い、糧(かて)としての志の対象となるものだと思います。何でもいい、自分が死ぬまで打ち込める仕事、なすべきことを指すのだと思います。定年後に始めた趣味でも、道楽でも何でも良いわけですが、飽きの来る様なもの、途中で放り出してしまうようなものは、薬にはならないと思います。いろいろ始めてみたけど、やっぱり自分には向いていないなど、碌に汗もかかないうちから放り出して、平気で他人に愚痴を言っているような人が多いのですが、そのような人はこの薬を見つけることができないでいると、加齢の大波に呑込まれて、やがては肉体の衰えと共に認知症の世界に引き吊り込まれる可能性大なのではないでしょうか?

ここで旅が登場します。旅は志などという大それたものではなく、「その気」さえあれば、いつでも実現するものです。その気がなければ永遠に実現しないものです。ここが大切です。思うに万人は旅に憧れているのではないでしょうか?どんな短い期間の、或いは近くへの旅でもいい、人は旅に出ると、普段とは違う新しい感覚の動きを体感するはずです。それが精神的な薬なのだと思います。それが生きる力を強めてくれるのだと思います。

旅というものは楽しむものだという考え方が一般的ですが、私は本物の旅というのは単なる悦楽、愉楽ではなく、感動の出来事に出会うことなのだと思っています。その出会いがやがて癒しにつながり、生きる力を強めてくれるのだと確信しています。多くの人たちが国内や海外の旅に出掛けるのは、これら一連の旅の持つ安心できる薬効果を求めてなのだと私は考えます。海外の旅に出て、見聞を広めるという目的であっても、心に残る旅には必ず感動の出会いがあるに違いありません。それは国内の旅でも同じことでありましょう。この旅の持つ力こそ、何物にも換え難い老化防止、即ち精神活性化の仙薬なのではないかと思うのです。

旅をすればその中で志というもう一つの薬をを見出すことも可能です。時々は、そしてなるべくたくさん、旅を、旅に出ることをお勧めします。

私は今、「くるま旅くらし」という新しい旅のあり方を、実体験しながら提唱していますが、私よりも遙か以前からそれを実践されている先輩、先達にあやかり、旅車のナンバーを88歳までは旅が続けられるようにとの願いをこめて「88-55」としました。未だくるま旅くらしは始まったばかりです。88歳まで続けられたとしたら、私の心は超豊かになり、この世の悩みなど一切超越してあの世へ行けるに違いないと思っています。(笑)

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旅の前の動と静

2007-04-19 01:49:27 | 宵宵妄話

短い房総の旅から戻って、早くも5日が過ぎようとしています。この間何をしたのやら、さっぱりわからぬまま時間はどんどん過ぎて行くような気がします。イヤハヤ恐ろしいくらいのスピードです。ということはそれと同じスピードで人生の終わりが近づいているということでもありますから、時々生き方の見直しをしなくてはなどと思うのですが、思うだけで実際はなかなか行動には移されないものです。いずれにしてもこのような調子でこの先も過ごしてゆくに違いありません。

 昨日久しぶりにホームページ(山本馬骨のくるま旅くらしの泉 ~ ブログの左側のブックマークの欄をクリックして頂くと見ることができます)にエッセーを一つ追加しました。2週間ぶりに画面を編集したのですが、驚いたことに、その扱い要領をかなり忘れており、もう少しで取り扱い要領の本や資料を復習する必要に迫られました。意地でも思い出そうと資料等には手を触れませんでしたが、頭も身体も使わないとどんどん退化してゆくものだな、とその恐ろしさを改めて実感しました。

 エッセーを書くつもりでホームページを作っているのですが、そのエッセーがなかなか書けなくて、我ながら情けないと思う毎日です。メリハリのある表現のためには、修練が必要だと思うのですが、日記やブログの記事を書いている程度では、さっぱり進歩しないのかなと思ったりしています。要は書く態度というか、取り組み姿勢のあり方にあるのだと思うのですが、なかなか壁を破ることが出来ません。他人様から見れば、どうでもいいような、困った話です。

 房総の旅から戻ったら、何だか急に冬に逆戻りしたような天気が続いて、せっかく芽を出し始めた菜園のジャガイモが、又少し伸びるのを停めてしまいそうです。そろそろラディッシュでも播こうかと思っていたのですが、この寒さでは少し先送りした方が良いようです。畑作業は結構疲れますが、作物たちの生長と稔りのプロセスをしっかり見つめることができて、嬉しいものです。旅に出掛けてしまうとしばらくそれがお預けとなるので、気になるのですが、でもやっぱり旅の方を優先させてしまうのです。旅ができなくなったら、身体が動く限り、自分は畑や庭の土いじりをするのだろうなと思っています。百姓というのがどんなものか良く解らなかったのですが、この頃になって、百姓に勤(いそ)しんだ亡母の苦労と楽しみが解るような記がします。

 昨年、裏庭に小さな野草園を作ったのですが、今年は野草たちがかなり元気に目覚めてくれて、毎日嬉しい時間を過ごしています。雪割草(ミスミ草かも?)に始まって、ショウジョウバカマ、カタクリ、ニリン草、春蘭、シラネアオイ、と続き、今はエンレイソウや雲間草それにイカリ草が満開です。イカリ草は7、8年前、東北の旅で採ってきて、ずーっと鉢植えで大事にしてきたトキワイカリ草が元気だし、この他にこれも東北で何年か前に買い求めた普通のイカリ草と去年佐渡で地元の方に採ってもらった純白のイカリ草と3種類があり、いずれも今年は今までになく元気で花を咲かせてくれています。ブログの写真では迫力がなく、本当の姿を伝えることができないので、写真の掲載はやめることにしました。この他、未だ芽生えてくれないと何なのか判らない野草たちもあって、これらの小さな生命の動きを見つめることが本当に楽しみです。そして、今年は旅先でどのような野草たちが待っていてくれるのかを、これまた楽しみにしています。

 今のところ、まずまずこのような調子で旅に出発する日が来るのを待っています。相棒のフォークダンスのイベントが終わった後の出発なので、早くても29日となりますが、多分東北の多くの桜の名所は、終わりかけたか終わったかのどちらかだと思います。今年は本当に変な陽気が続いていますなあ。ま、桜のほうは諦めて山菜に切り替え、温泉などを楽しみながら頭の中と心の中を洗濯してくるつもりです。

[せっかちで慌て者なものですから、日付を間違えて投稿してしまいました。休むと公言したはずなのに。万事この調子です。馬骨]

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