Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

生き方のお手本を示す

2017年11月23日 | Weblog
生き方のお手本を示す
などという立派な生き方は、
私には到底出来ません。

また、
そのような看板を掲げることも
ありえません。

何歳になっても、
私は、一書生でしかありません。

ただ、
共に学び、
関わらせて頂いた、
子供たちに負けないように、

私の関わる全ての教育のシーンにおいて、
実績を出していこうと思っています。

1人でも多くの方の心に、
志の灯を灯せたら幸せだと思います。

自分の会社を通じて、
社会の役に立つことを
全力で生み出していきます。
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伝える力②

2017年11月23日 | Weblog
誰かに「1」を伝えるときに、

「1」しか知らずに「1」を伝えるのと、
「10」のことを知っていて伝えるのと、
「100」のことを知っていて伝えるのとでは、
伝わり方は全く違います。

一の背景しか持たずに一を伝えるのであれば、

せいぜい、
たどたどしい覚えたての知識程度しか
伝わらないものです。

いや、
一すらも伝わらないと
思っていた方が良いと思います。

百の背景を知って、一を伝えるのであれば、
多少は自分のこととして、
自分の思いと共に語ることができるようになり、
また、様々な角度から話を展開することが
出来るようになると思います。

聞いて下さっている人に話や思いが届かないのは、
やはり己の未熟でしかないのです。

そのことに真摯に向き合っていく以外に、
自分自身の伝える力、つまり、教育力を
高めていく道は無いと思います。

誰のせいでもありません。
自分の勉強が足りていないのです。



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伝える力

2017年11月22日 | Weblog
私は自分自身の「伝える力」を
もっともっと高めたいと思っています。

大切なことでも、
伝える人によっては、
伝わったり伝わらなかったりが生じます。

また、
「わかる」レベルと、
「できる」レベルと、
「伝える」レベルの三者は明らかに違います。

わかっていても、
できるようになるためには相当な努力が必要ですし、

できていても、
それを伝えるためには相当な努力が必要です。

わかっていて、できていて、
はじめて、伝えるということに迫ることができます。

だから、
もっと私はわかりたいのです。
世の中のありとあらゆることを。

そして、
できるようになりたいのです。
人として大切な様々なことを。

そして、
自己の学びを通して、
伝えると言うことを磨き上げていきたいと思います。

なぜなら、
伝えることは、
教育にとって大きな意味を持つからです。







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幸福のありか

2017年11月22日 | Weblog
幸福とは、隣屋敷の果物のように、
恵まれてはじめて味わえるようなものではない。

それは、自分で自分の生活を耕し、
自分で収穫して味わうべきものである。

しかし、こういっただけでは、
まだ十分ではない。

というのは、

収穫したものを味わう喜びは、
幸福のほんの一部分で、

その大部分は、
収穫の希望に胸をふくらませつつ、

たゆみなくつづけて行く努力
そのものの中にあるのだから。

                    下村湖人 608

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

志や目標を達成する喜びも大切だ。

しかし、

その過程の中にこそ、
様々な大切なものが詰まっている。

喜び、悲しみ、出会い、努力・・・。

遠くの地平線を見つめていればこそ、
今を生きる充実感が生まれる。

だからこそ、
私は志の教育を実現したい。
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絶望の習慣を養う親

2017年11月21日 | Weblog
子供に何か話しかけられるのを
面倒くさがる親ほど、

根気よく子供に
絶望の習慣を養っている親はない。

              下村湖人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

忙しい社会に生きる親たちは、
善意の故に、
子供に絶望を生み出しかねない危うさと
共に生きているかのようである。


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愛を求めない子供たちに

2017年11月21日 | Weblog
日々、新たに、色々な出会いをいただく。

胸を痛めるようなことも多い。

今日は、次の、下村湖人の言葉が思い出された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛を求める子供たちは、
むろん愛されなければならない。

しかし、

より一層愛されなければならないのは、
愛を求めない子供たちである。

なぜなら、
彼らは愛に飢えすぎていて、

愛を求める力さえ失っているのだから。


                    下村湖人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この言葉の痛みと深さを、
どれだけの大人たちが、
感じ取ることができるのだろうか。
そして、そんな子供たちの存在を
どれだけ想像できるのであろうか。

お金の枯渇も問題だが、
想像力の枯渇が、
実は社会の潤いを
失わせていくのかもしれない。




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現実味を欠いた

2017年11月21日 | Weblog
教育の中で使われる言葉には、
どうも現実味を書くものや、
定義が曖昧なものが多い。

「友達100人できるかな。」
「アクティブラーニング」
「ゆとり教育」

友達の定義によっては、
100人も要らないし、

パッシブな姿勢の教師に
アクティブラーニングができるとも思えない。

また、「ゆとり」も何だかよくわからない。

気が付けば、いまや、
若者を非難する言葉にしかなっていない。

それも私はおかしいと思う。

「詰め込み教育」でない、
「ゆとり教育」を受けた若者は、
自分で考える力があって素晴らしい!
となれば良いだけの話だからだ。

ともかく、

こうした教育現場の言語空間を経て、

教員やマスコミや政治家という、
ちょっと浮き世離れした立ち位置にいる人たちが、

未だに、曖昧で、現実味を欠く
議論や情報発信をし続けているように
思えてならない。

やはり、教育は大事なのだとつくづく思う。






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東京

2017年11月20日 | Weblog
東京のバッカーズ寺子屋も、
ここに来てチームの一体感が
出来てきたように感じます。
12月の足立美術館への合宿が楽しみです。

明日、明後日は、専門学校生への講座です。
これも楽しみです。

90分×8講座の中で、
ぐんぐん学生たちが伸びてきています。

心の持ち方、
考え方を伝えていくことの
大切さを感じています。

受験勉強だけでは、
学校の教科書だけでは、
人間力は伸ばせなかったのです。

日々、正面から、
一人の人間として、
真摯に向き合っていこうと思います。

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人間らしく

2017年11月19日 | Weblog
あまり、
愚痴を言ったり、
弱音を吐いたりしてはいけないのですが、

このブログは私の徒然なるままの思いを
ありのままに書いてきたブログです。

ネガティブになるようなことが起きたとき、
ちょっと、言葉の選び方が雑になることもあります。
配慮が足りなくなることがあります。

その未熟さを反省しつつも、
このブログは、
人間らしく書いていく姿勢で、
いいのかなと思っています。

大したこともない人間が、

様々なことと格闘し、
悩みながら、
そして、喜び、悲しみ、傷つきながら、

それでも前に進み続けようとしている
記録に過ぎないからです。

さぁ、今日も頑張ろう!
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無償ということ

2017年11月19日 | Weblog
何かを無償でやるということは大切ですし、
人に何かを与えられるということは、
素晴らしい価値のあることだと思います。

私の教育も無償でできたら良いのですが、

私はどこかの会社に所属して、
給料を頂いているわけでもありませんから、

全てを無償にしてしまえば、
途端に無収入で、
食べていくことはできなくなります。

会社としての家賃などの経費も
たちまち支払えなくなってしまいます。

また、
一人ではできない量の仕事をしていますから、

私の会社の社員の皆さんにも
ささやかながら給料を払わなくてはなりません。

細かいことを言えば、
社員の社会保険料は、
個人負担と会社負担は折半ですから、
会社負担分も稼がなくてはなりません。

売り上げに対してかかってくる
税金もきちんと支払っていく必要があります。

だから、
会社として負担しなければならないものを、
私は自分で全て稼ぎ出していかなければならないのです。

良き教育を永続的に行うためには、
やはり仕組みを作らなければなりません。
人は霞を食って生きていくことはできないからです。

私の収入は抑えられても、
支えてくれる社員にまで無償を強いることは
私にはできません。

教育に打ち込む時間にしても、
自分では24時間、365日、と思いますが、
それを他人に強いることは私には絶対にできません。

なかなか、
人は、他人の全体像を見ることはできません。

多くの人が、
見えないところで、
社会に尽くしている部分や、
無償で汗を流している部分もあるのです。

ただ、
それは、黙ってやるべきものであって、
人に言ってやるべきものではないのだろうと私は思います。


コメント、ありがとうございました。








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