Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

絶望の習慣を養う親

2017年11月21日 | Weblog
子供に何か話しかけられるのを
面倒くさがる親ほど、

根気よく子供に
絶望の習慣を養っている親はない。

              下村湖人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

忙しい社会に生きる親たちは、
善意の故に、
子供に絶望を生み出しかねない危うさと
共に生きているかのようである。


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愛を求めない子供たちに

2017年11月21日 | Weblog
日々、新たに、色々な出会いをいただく。

胸を痛めるようなことも多い。

今日は、次の、下村湖人の言葉が思い出された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛を求める子供たちは、
むろん愛されなければならない。

しかし、

より一層愛されなければならないのは、
愛を求めない子供たちである。

なぜなら、
彼らは愛に飢えすぎていて、

愛を求める力さえ失っているのだから。


                    下村湖人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この言葉の痛みと深さを、
どれだけの大人たちが、
感じ取ることができるのだろうか。
そして、そんな子供たちの存在を
どれだけ想像できるのであろうか。

お金の枯渇も問題だが、
想像力の枯渇が、
実は社会の潤いを
失わせていくのかもしれない。




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現実味を欠いた

2017年11月21日 | Weblog
教育の中で使われる言葉には、
どうも現実味を書くものや、
定義が曖昧なものが多い。

「友達100人できるかな。」
「アクティブラーニング」
「ゆとり教育」

友達の定義によっては、
100人も要らないし、

パッシブな姿勢の教師に
アクティブラーニングができるとも思えない。

また、「ゆとり」も何だかよくわからない。

気が付けば、いまや、
若者を非難する言葉にしかなっていない。

それも私はおかしいと思う。

「詰め込み教育」でない、
「ゆとり教育」を受けた若者は、
自分で考える力があって素晴らしい!
となれば良いだけの話だからだ。

ともかく、

こうした教育現場の言語空間を経て、

教員やマスコミや政治家という、
ちょっと浮き世離れした立ち位置にいる人たちが、

未だに、曖昧で、現実味を欠く
議論や情報発信をし続けているように
思えてならない。

やはり、教育は大事なのだとつくづく思う。






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