Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

深さを尋ねて

2021年01月03日 | Weblog
先人の生き方に学んでいると、一人ひとりの人物の言葉の深さと、生き方の深さに圧倒されます。

そして、それを学び続けても、私が理解できること、社会に還元できることは、たかがしれているようにも思います。

しかし、この道しかないのだろうと思います。ただひたすらに、その深さを追い求めていきたいと思います。哲学や思想や文化や歴史や芸術は、そうそう簡単に極められるものではありません。

How toでは限界があると思います。それは、過去の偉大な先人たちが、決してHow toでは生きていなかったことからもわかります。

ただ、恐ろしく時間のかかることを私はやっているのだと思います。

生きている内に少しは形にしていきたいと思います。
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箱根駅伝

2021年01月03日 | Weblog
箱根駅伝は、駒澤大学の最終区での大逆転優勝で感動的でした。一方で、逆転を許した創価大学の選手は辛かったと思います。みんなの健闘に心からの拍手を送りたいと思います。

ただ、チームメートや家族が沿道での応援を制限され、それをきちんと守っていらっしゃる中で、少なからず応援に出ていた人たちの姿が見られたのは、なんとも哀しく虚しいものがありました。

Yahoo!のコメントには、「野次馬」たちへの批判が多く見られました。いつもなら、「応援者」なのでしょうが、今回は「野次馬」扱いしかされないことの重さに、気づかなかったのでしょうか。

だから、やはり、緊急事態宣言も出されなければ仕方ないのかもしれません。しかし、そんな情けない国でありたくはないと思います。
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緊急事態宣言の発令

2021年01月03日 | Weblog
緊急事態宣言を発令するか否かは、性善説に立つか性悪説に立つかという議論と同じだと思います。

人間は愚かな存在だから法で縛らなければ国民は言うことをきかないと考えるか、人間の性は本来善であるから法で縛らなくとも国民は考えて行動するはずだと思うかの違いです。

またこれは、マグレガーのX理論とY理論の違いとも重なります。

X理論とは、「人間は生来怠け者で、強制されたり命令されなければ仕事をしない」とする考え方です。

Y理論とは、「生まれながらに嫌いということはなく、条件次第で責任を受け入れ、自ら進んで責任を取ろうとする」という考え方です。

X理論においては、マズローの欲求段階説における低次欲求(生理的欲求や安全の欲求)を比較的多く持つ人間の行動モデルで、命令や強制で管理し、目標が達成出来なければ処罰といった「アメとムチ」によるマネジメント手法となります。

Y理論においては、マズローの欲求段階説における高次欲求(社会的欲求や自我・自己実現欲求)を比較的多く持つ人間の行動モデルで、魅力ある目標と責任を与え続けることによって、従業員を動かしていく、「機会を与える」マネジメント手法となります。

国民は「自由を、人権を」と日頃言う割りには、X理論を好むのだなぁと思います。国民が好むのではなく、知事たちが強権発動を好むのかもしれません。そして、国がやってくれないからと幾ばくかの責任転嫁をしたい下心もあるのかもしれません。(勿論、法体系としては、国が意志決定しなければならない 建て付けになっているのですが・・・。)

命令や強制で管理する方が、指示が明確で、何かを決断している感じが出ます。しかし、そこにあるのは人間不信だと言うことを私たちは忘れてはなりません。

国民の良識に期待するのは、何か優柔不断で、意志決定を避けている感じがします。しかし、そこにあるのは人間を信頼する気持ちであることもまた忘れてはならないことです。(ただし、今の政権がそう考えているかどうかは知りません。)

結局、一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルにならざるを得ないという、先人の至言に落ち着くのだと思います。

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