Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

進歩とは?

2011年02月24日 | Weblog
カップラーメンを食べた。

めん(小麦粉、食塩、卵粉、糖類、大豆食物繊維)
味付け豚肉、ポークエキス、えびエキス、味付けメンマ、
豚脂、蛋白加水分解物、植物油、食塩、澱粉、
ごま、えび、香辛料、ねぎ、砂糖、加工澱粉、
調味料(アミノ酸等)、レシチン、酒精、
増粘多糖類、かんすい、炭酸カルシウム、カラメル色素、
酸化防止剤(ビタミンE、ローズマリー抽出物)、クチナシ色素、
紅麹色素、ビタミンB2、ビタミンB1、
原材料の一部に乳成分、鶏肉、りんご、ゼラチンを含む。

という複雑な食べ物だった。

何十年にもわたって積み重ねられた研究の成果、技術開発の結果であろう。
美味しいような気も多少はしたが、後味が妙にべとべとしていた。

お茶を飲み、
口直しのつもりで、
残っていた冷や飯をおむすびにして食べた。
自然塩だけを使って握った。

美味しかった。
すっきりした澄んだ味だった。
噛みしめるほどに甘く豊かな味だった。

人間は一体は何を目指して来たのだろうか?
熱心な科学技術によって生み出されたものは、
果たして本物に近づいたと言えるのだろうか?

また、作る者の食べる者への愛情は深くなったのだろうか?
食は、より人々を幸せで豊かにする存在へと進歩してきたのだろうか?

確かにあらゆるものは複雑になり高度になったが、
それを果たして人類の進歩だと言って良いのだろうか?

私たちは、哀しいことに、本当の意味で、
何を食べているのかさえも
わからなくなってしまったではないか。

人間不在の科学技術、人間不在の研究、人間不在の教育を私はあまり信用しない。
人々のためになってこその学問だと信ずるからである。
目先の損得ではなく、
何世代もの先の子孫への慮りがあることが、
人としての真心であり、思いやるということだと思う。

最初の思いを私たちは忘却の彼方に追いやってはいないだろうか?
最初の思いとは何か?
それは「人々を幸せにしたい」という、
祈りにも似た純粋な願いである。

その本質を見失ってはいけないのである。
どんなにすごい発明や技術であったとしても、
偽物を積み重ねていくことで、
本物に近づこうとするのは間違っていると思う。

単純と笑われていても良いから、
私はおむすびを握り続けようと思う。
質素であっても、本物の味を大切にしたいと思う。

ふと気がついたときに、
己の矛盾に立ちすくむような、
そんな学問や教育は、
生き方として、
したくはないのである。










コメント
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