下田で古代の木簡を見た。
当たり前の話だが、
木の板に墨で文字が書かれている。
よくも長い年月を経て、
残っていたものである。
そこで、ふと思った。
例えば、今、大津波に日本が飲み込まれたとしたら、
一体、何が後世に残るのだろうかと。
電子媒体であれば、データは当然消失するだろう。
データが残ってもパソコンなどの端末は使えない。
看板は残るかも知れないが、
鉄板を使っている物は錆びて朽ち果てるだろうし、
そうでなくとも、
会社のPRや宣伝の文言が書かれているだけで、
文化的価値はほぼないに等しい。
そう考えると、
私たち現代人の文化は、
あるいは言葉は、
果たして、
どれほどの重みを持ち得ているのだろうかと思った。
科学が脳の機能を解明し、
様々な科学技術が発展しても、
あるいは、
様々な教育理論が確立されても、
無気力な若者たちや、
いじめ、暴力事件は後を絶たない。
分析が論理的に正しく進むのは良いとして、
それが人を育てる手立てにならなければ、
一体それは何のための学問なのだろうか?
それを本当に進歩というのであろうか?
流行のツイッターにしても、
そこでやりとりされる言葉に、
一体どれほどの重みと必然性があるのだろうか。
ふと思い出されたのは
宮大工棟梁の西岡常一氏のことである。
宮大工に代々受け継がれてきた口伝は、
木に書き記すでもなく、
電子媒体に記すのでもなく、
人間の記憶に直接書き付ける形で
受け継がれ続けてきた。
「塔組は木組。
木組は木の癖組。
木の癖組は人組。
人組は人の心組。
人の心組は棟梁の工人への思いやり。
工人の非を責めず己の不徳を思え。」
実に深いメッセージである。
少なくとも、口から口へ伝えたとき、
言葉の温度を二人は確認しながら
伝え合ったのであろうと思う。
声の強さ、トーン、息づかい、表情、眼差し、
あらゆるものから、
弟子は師匠の長年の経験や苦労を感じ取り、
師匠は弟子がどれだけのことを掴み取れるかを量りながら、
五感でお互いの全人格を感じ取って
コミュニケーションをしていたことだろう。
そんなことをあれこれと思っていると、
消化不良の言葉を発信し続けるより、
少しは考える方が良いのではないかと、
木簡を前に考えさせられた。
勿論、私がこうして
ささやかなメッセージを発信できているのは、
IT化の恩恵を受けてのことだということは
十分に理解している。
軽さとスピード感も、
1つのコミュニケーションであることもわかっている。
だからこそ、
流行に左右されず、
頑固にこだわり続ける人間も
多少は必要なのではないかと、
改めて思った次第である。
当たり前の話だが、
木の板に墨で文字が書かれている。
よくも長い年月を経て、
残っていたものである。
そこで、ふと思った。
例えば、今、大津波に日本が飲み込まれたとしたら、
一体、何が後世に残るのだろうかと。
電子媒体であれば、データは当然消失するだろう。
データが残ってもパソコンなどの端末は使えない。
看板は残るかも知れないが、
鉄板を使っている物は錆びて朽ち果てるだろうし、
そうでなくとも、
会社のPRや宣伝の文言が書かれているだけで、
文化的価値はほぼないに等しい。
そう考えると、
私たち現代人の文化は、
あるいは言葉は、
果たして、
どれほどの重みを持ち得ているのだろうかと思った。
科学が脳の機能を解明し、
様々な科学技術が発展しても、
あるいは、
様々な教育理論が確立されても、
無気力な若者たちや、
いじめ、暴力事件は後を絶たない。
分析が論理的に正しく進むのは良いとして、
それが人を育てる手立てにならなければ、
一体それは何のための学問なのだろうか?
それを本当に進歩というのであろうか?
流行のツイッターにしても、
そこでやりとりされる言葉に、
一体どれほどの重みと必然性があるのだろうか。
ふと思い出されたのは
宮大工棟梁の西岡常一氏のことである。
宮大工に代々受け継がれてきた口伝は、
木に書き記すでもなく、
電子媒体に記すのでもなく、
人間の記憶に直接書き付ける形で
受け継がれ続けてきた。
「塔組は木組。
木組は木の癖組。
木の癖組は人組。
人組は人の心組。
人の心組は棟梁の工人への思いやり。
工人の非を責めず己の不徳を思え。」
実に深いメッセージである。
少なくとも、口から口へ伝えたとき、
言葉の温度を二人は確認しながら
伝え合ったのであろうと思う。
声の強さ、トーン、息づかい、表情、眼差し、
あらゆるものから、
弟子は師匠の長年の経験や苦労を感じ取り、
師匠は弟子がどれだけのことを掴み取れるかを量りながら、
五感でお互いの全人格を感じ取って
コミュニケーションをしていたことだろう。
そんなことをあれこれと思っていると、
消化不良の言葉を発信し続けるより、
少しは考える方が良いのではないかと、
木簡を前に考えさせられた。
勿論、私がこうして
ささやかなメッセージを発信できているのは、
IT化の恩恵を受けてのことだということは
十分に理解している。
軽さとスピード感も、
1つのコミュニケーションであることもわかっている。
だからこそ、
流行に左右されず、
頑固にこだわり続ける人間も
多少は必要なのではないかと、
改めて思った次第である。