二日目は、豊岡の県立コウノトリの郷公園から。日本の野外のコウノトリが1971年に絶滅。飼育されていた最後のものは1986年に死亡し、旧ソビエトから受贈。幼鳥6羽から今は80羽ほどになりました。すべて足輪がつけてあり、捕獲された時連絡があり、飛来場所は把握されています。国内は青森、沖縄、国外は韓国まで飛来。コウノトリ公園には常時8羽いて、見ることが出来ます。
ツルと似ていますが、別。卵はツルは平地で孵化させますが、コウノトリは、高い松や塔の上。近くを飛んでいましたが、余りの大きさに驚きました。羽根を広げると2mくらいになります。コウノトリの郷公園のものは羽根の一部が切られているので飛べないのですが、自由に飛び回っているものがあちこちで見られます。昨年岡山に居たツルはゲージで餌をついばむだけで、飛ぶ姿は見ていません。(記事は2014.10.8)
豊岡市はかばんでも知られています。もともとは柳行李から始まり、夏のバッグが主流でしたが、今はかばん全般。皇太子殿下が幼少の頃、ナルちゃんバックを持たれていましたが、あのバスケットは豊岡で作られたもの。
出石で皿そばを頂き、帰途に向かいました。出石は30年ぶり。出石城址は撮る価値のある場所でしたがあいにくの電池切れ。携帯ではうまく撮れずパス。辰鼓楼は、明治初期のもので、札幌と時計台と同時代。日本ではその時代の時計台は二つだけとか・・・元は藩医の所有でしたが、管理するのも大変なので出石町に寄付。出石城の登城時間が8時。その時刻を知らせるために作られました。辰の刻は8時。
出石城の家老仙石氏と同姓の人が岐南町にいるので、30年間気になっていました。今度の旅のメンバーに仙石さんがいたので訊ねてみると、まさしくその通りでした。彼は家系図を持っていて、曰く、「自分の先祖は出石城の家老です」と。ナゾが解けました。
生き餌をついばむ県立コウノトリの郷公園のコウノトリ 8羽います
コウノトリの郷公園へ行く前に、京丹後市久美浜町小天橋の遍照寺に寄り、太田真照住職の法話を聞きました。法話と言っても自分の遍歴とか奥さんの血液型はB型がいいとか・・・愉快な話ばかり。お話もうまいし、本(欲をすてるな、爆笑般若心経など) も出版。色紙も売られています。その中の言葉に、「ほどほどの欲が落ち着きところ」というものもあります。お布施の替わりにお菓子や梅干しも販売。長らく無住だった寺の発展にあててほしく思い、販売に協力しました。この寺に入るまでのいきさつや奥様との出会いも語られました。もともとは、四国?のお寺の4男。駒澤大学大学院博士課程(仏教) 出身。高校の英語の先生、出版社勤務の後、縁ありこの寺の住職となられました。
遍照寺本堂
辰鼓楼は30年ぶり
出石そばも30年ぶり