つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

リトアニアより

2015-07-12 | 海外旅行

 ブログ友のNさんより6/21に、旅先のリトアニアから絵葉書を頂いていたのですが、更に昨日は、杉原記念館の日本語パンフレットが郵送されて来ました。岐阜ご出身の外交官だからです。ナチスの手から逃れようと、ユダヤ人難民は、杉原千畝から通過ビザを貰い、シベリア鉄道でウラジオストックに向いました。そこからは船で敦賀に。敦賀の港にも記念館があるようです。

 その後、難民は日本から米国に渡航。中継地の日本では、欧州難民は心のこもったおもてなしを受けたようです。敦賀の人は、ロシア革命で家族を失ったポーランド孤児の世話もされました。そんなことから敦賀ムゼウムのパンフレツトも入っていました。ムゼウムは、ポーランド語で資料館。 

 

リトアリア カウナスの「杉原記念館」のパンフレット

「人道の港 敦賀ムゼウム」のパンフレット

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朴葉もち

2015-07-10 | 岐阜県

 Wさんから頂いた朴葉寿司を6/12に紹介したのですが、今度はお寿司にプラスし、朴葉もちまで頂きました。これは初めて。皮は米の粉で作られているようです。中には粒あんが入っています。寿司より朴葉は、小型。それと、大粒のブルーベリーまで頂き恐縮です。我が家は毎年かわいいアセビのような花は咲くのですが、最近は不作。虫害も多いです。生り年でもこんな大粒にはなりません。酸性土壌がいいと聞き、鹿沼土なども混ぜてあるのですが・・・ 大粒の実はさすがに甘くて美味しかったです。道の駅にあったとか・・・ 

 昨日は、以前蕗味噌を頂いたTさんから奥様お手製のお菓子を頂きました。シナモンの香りがしてとても美味しいです。ふわっとしていてカステラではなく固く、作り方が想像できないです。レーズンやオレンジピール、ナッツも入っています。

 

        

         ブルーベリー

    

   手作りお菓子

  

  6/21花フェスタで頂いたカランコエが満開 左に少し見えるは夫が頂いたセントポーリア

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大内宿

2015-07-07 | 国内旅行

 友人の五藤さんから写メールが届きました。福島県の大内宿からです。私も旅行中で、旅先で受信したため、アップが遅れてしまいました。とても遠くてなかなか行けない宿。岐阜ではせいぜい中山道。東海道も通っていないのです。 彼女のご主人は版画家のため、取材旅行と言えるかもしれません。

 大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。

 南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。

 また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。昭和56年4月 重要伝統的 建造物群保存地区に指定。茅葺の家がこんなに残るのも珍しいです。

 彼女たちは会津若松鶴ヶ城にも当然行かれました。私は23年前東京にいた頃城には行きましたが、大内宿は行かずじまい。旅先でこの写メールを頂き、お互いに元気で旅行できることを喜びあいました。

     

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊岡と出石

2015-07-06 | 国内旅行

 二日目は、豊岡の県立コウノトリの郷公園から。日本の野外のコウノトリが1971年に絶滅。飼育されていた最後のものは1986年に死亡し、旧ソビエトから受贈。幼鳥6羽から今は80羽ほどになりました。すべて足輪がつけてあり、捕獲された時連絡があり、飛来場所は把握されています。国内は青森、沖縄、国外は韓国まで飛来。コウノトリ公園には常時8羽いて、見ることが出来ます。

 ツルと似ていますが、別。卵はツルは平地で孵化させますが、コウノトリは、高い松や塔の上。近くを飛んでいましたが、余りの大きさに驚きました。羽根を広げると2mくらいになります。コウノトリの郷公園のものは羽根の一部が切られているので飛べないのですが、自由に飛び回っているものがあちこちで見られます。昨年岡山に居たツルはゲージで餌をついばむだけで、飛ぶ姿は見ていません。(記事は2014.10.8)

 豊岡市はかばんでも知られています。もともとは柳行李から始まり、夏のバッグが主流でしたが、今はかばん全般。皇太子殿下が幼少の頃、ナルちゃんバックを持たれていましたが、あのバスケットは豊岡で作られたもの。

 出石で皿そばを頂き、帰途に向かいました。出石は30年ぶり。出石城址は撮る価値のある場所でしたがあいにくの電池切れ。携帯ではうまく撮れずパス。辰鼓楼は、明治初期のもので、札幌と時計台と同時代。日本ではその時代の時計台は二つだけとか・・・元は藩医の所有でしたが、管理するのも大変なので出石町に寄付。出石城の登城時間が8時。その時刻を知らせるために作られました。辰の刻は8時。

 出石城の家老仙石氏と同姓の人が岐南町にいるので、30年間気になっていました。今度の旅のメンバーに仙石さんがいたので訊ねてみると、まさしくその通りでした。彼は家系図を持っていて、曰く、「自分の先祖は出石城の家老です」と。ナゾが解けました。 

     

     生き餌をついばむ県立コウノトリの郷公園のコウノトリ 8羽います

 

 コウノトリの郷公園へ行く前に、京丹後市久美浜町小天橋の遍照寺に寄り、太田真照住職の法話を聞きました。法話と言っても自分の遍歴とか奥さんの血液型はB型がいいとか・・・愉快な話ばかり。お話もうまいし、本(欲をすてるな、爆笑般若心経など) も出版。色紙も売られています。その中の言葉に、「ほどほどの欲が落ち着きところ」というものもあります。お布施の替わりにお菓子や梅干しも販売。長らく無住だった寺の発展にあててほしく思い、販売に協力しました。この寺に入るまでのいきさつや奥様との出会いも語られました。もともとは、四国?のお寺の4男。駒澤大学大学院博士課程(仏教) 出身。高校の英語の先生、出版社勤務の後、縁ありこの寺の住職となられました。

      

      遍照寺本堂

 

                

                 辰鼓楼は30年ぶり

 

出石そばも30年ぶり

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城と竹田城址

2015-07-05 | 国内旅行

 兵庫県に25年も居たので姫路城は何度も登城しているのですが、平成の大修理後はまだ近くで見ていません。地元老人会の今回の旅先は、姫路城と竹田城址。翌日は豊岡の県立コウノトリ公園と出石。兵庫を離れて23年。まだあのころは飼育されていなくて、コウノトリは近くでは見られなかったです。出石は数回行っています。

 日本のマチュピチュと言われる竹田城址は、ごく最近話題に上るようになりました。雲上の城とも言われるのは、近くの山から早朝霧のあるうちに撮影すると、幻想的に見えるからとか・・・いずれにせよ夕方到着でしたし、地元にいないと、そういう風景は見られません。数々の映画が撮影され、一躍有名になり、人が増えすぎ、無料だったのに一昨年から有料になりました。崩落の危険があり、冬場は登山禁止。

 盛沢山の計画で姫路城は登城せず三の丸広場での撮影のみ。天守閣へ登るには一時間の行列です。350mほどですが、竹田城址にも登らず、下から見上げたのみでした。友人から双眼鏡を借りたら石垣だけは詳しく見えたのですが、これではちょっと・・・でも大型バスでは登れないのです。

 2日のFIFAワールドカップ女子サッカー準決勝の試合は、この日バスのテレビで観戦。皆で応援しました。これまで勝ったことのないイングランドに劇的な勝利で、皆拍手喝采でした。

  

  千里が丘あたりのモノレール 開通50年の名神高速から第二神明から加古川バイパスを通り姫路へ

           

           播磨国総社にバスを停車 歩いて姫路城へ  この近くに黒田官兵衛は誕生しました

天守閣が見えてきました

   

  姫路城天守閣 あいにくの曇天で白さがひきたちません

         

      三の丸広場よりの櫓

 

         

         竹田城址

         石垣が見えるだけの竹田城址

   

   丹後半島夕日ケ浦温泉 「佳松苑」の食事 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵手紙 38

2015-07-02 | 植物

 今月も中学の後輩のYさんから、パソコン画の絵手紙が届きました。ざくろの花の絵柄で、テーマは、「小暑」。我が家にもざくろの木があり、毎年夏の日の下で咲く鮮やかな色に励まされます。コメントは、以下。

 小暑(しょうしょ)は、梅雨の最中、一層の暑気が強くなってくる七月七日ころです。練習しているテニスコート脇には一本の柘榴の木があり、六月の初めは青葉の間から橙赤色が目立っていたが中旬には蕾と開花した橙色が果実になる前の実と乱れあって見事な姿でした。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜一陽展と小栗シゲオ展

2015-07-01 | 文化

 昨日は、午前中は県美術館で岐阜一陽展、午後は名古屋に出かけ、一昨年に続いて小栗シゲオ展を見ました。夫も珍しく同行。敦盛演能を見て頂いたこともあり、出品者の久保田さんに挨拶もしたかったようです。彼の作品は、5/6にアップしているので、今回は83歳の河井一郎さんのもの。クレヨンの作品も初出品。彼から手法を聞きました。会場では初日のため、作者も多く来ておられお話出来ました。新幹線岐阜羽島駅南側にある巨大な彫刻の作者の今井田さんにも再会。設置の難しさなど聞きました。巨大なクレーンは岐阜にはないので、高岡からチャーターされた苦労話なども・・・ハンダだけでは危ういので、内部に芯が埋め込まれてあるとか・・・

 午後は、同窓生15人と小栗シゲオグラフィックアート展へ。一昨年より華やかな色使いでした。まだ家には作品が1000点もあるそうです。メモリーに保存してあるので場所はとりません。次々とイメージが湧くのが素晴らしいです。動物が中心。魚が面白かったのでアップします。偶然茶房で小島信夫文学賞を岐阜県で初めて取得した小島正樹さんに会ったので、見せて頂いた同人誌も撮らせてもらいました。「中部ぺん」の表紙は彼が描きました。彼の記事は、2013.1.6.

    

     県美術館外側より見た会場

      

  

       河井さんの「或る情景」

          

         クレヨンで描かれた「魚の化石」 (河井さん)

                   

                    今井田さんの「砂簾」

  

         

  

          

  

  表紙絵は小島正樹さん

        

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする