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環境対応が企業にもたらすメリット

『競争戦略論』より 競争力と環境規制

イノベーションが果たす中心的役割、ならびに環境改善と資源生産性の関連性を探るため、我々は一九九一年から、環境とビジネス研究所(MEB)と共同で、環境規制によって大きな影響を受ける産業や部門--パルプ・紙、塗料・塗装、電子機器、冷蔵庫、乾電池、印刷用インク--の事例研究を全世界的に進めてきた。

データからわかったことは、環境規制への対応コストは、別の競争優位性を提供するイノベーションを通じて、ゼロにはできないまでも、最小化できるということである。我々がこの現象に初めて気づいたのは、各国の競争力を論じた『国の競争優位』のために調査している時だった。

エコロジーと経済のトレードオフがとりわけ顕著であると考えられる化学産業を例に挙げよう。廃棄物の発生防止に関して二九の化学工場を調べたところ、「イノベーション・オフセット」(イノベーションによるコスト相殺)によって資源生産性が改善していることがわかった。一八一の活動のうち、コスト増が生じたのはわずか一件である。産出量が変化した七〇の活動のうち、六八件は増加だった。そのうち特定のデータが取れた二〇件の平均増加率は七%であった。

このようなイノベーション・オフセットは驚くほど少ない投資で実現し、回収期間も短かった。資本コストが具体的にわかる四八件のうち、四分の一が設備投資をまったく必要としなかった。回収期間のデータがある三八件のうち、ほぼ三分の二が半年以内に初期投資を回収していた。汚染源削減のための投資一ドル当たりのコスト削減効果は、算出可能な二七件の平均で年間三ドル四九セントだった。またこの調査では、企業を汚染源削減の取り組みに向かわせる主要因が、廃棄物処理コスト削減と環境規制対応の二つであることが判明した。

環境規制への対応がもたらすイノベーションは、大きく二種類に分けられる。

第一は、環境汚染が生じてしまった時に、これに対応するためのコストを最小化する新しい技術や手法である。そのカギは、汚染にまつわる資源を何らかの価値に転換することにある。企業は、毒性物質や排出物を処理して使用可能な形に変えたり、廃品をリサイクルしたり、二次処理能力を改善したりする方法を学んでいる。

たとえば、フランスのシャランペにあるローヌ・プーランの工場では、二塩基酸として知られるナイロンの副生物をがっては焼却処理していた。同社は七六〇〇万フランを投資して新たな設備をつくり、回収した二塩基酸を染料やなめし用の添加剤、あるいは凝固剤として販売した。この新しい回収プロセスは年間約二〇一〇万フランの売上げを生んでいる。

マサチューセッツ州を拠点とするサーモ・エレクトロンが開発した新しい脱墨技術(古紙からインクを剥離する技術)は、リサイクル紙の利用の可能性を広げる点で、目覚ましい効果を発揮している。同じくマサチューセッツ州ウォルサムのモルテン・メタル・テクノロジーは、各種の有害廃棄物を処理する触媒抽出法を開発して、コスト削減効果を上げた。

第二のイノベーション--第一のものよりもはるかに興味深く、また重要である--は、資源生産性を向上させることで、汚染の原因を抜本的に解決するというものだ。このようなイノベーション・オフセットは、投入資源の利用効率の向上、製品産出量の増加、製品の改善など、さまざまな形で可能である。以下の例について考えてみたい。

既存の原材料を低コストの原材料で置き換えたり、既存の原材料の利用効率を高めたりすれば、資源生産性が改善される。ダウ・ケミカルのカリフォルニアエ場では、塩化水素ガスを腐食剤で浄化し、さまざまな化学物質を生産している。同社は蒸発池に廃水を貯蔵していたが、新たな規制により、一九八八年までに蒸発池を閉鎖することを強いられた。一九八七年、この新法遵守の圧力から、同社は生産プロセスを見直したことで、苛性ソーダの使用量が減り、また腐食性廃棄物を年間六〇〇〇トン、塩酸廃棄物を年間八○トン削減させることに成功した。ダウはまた、廃棄物の流れの一部を工場の他の部分で原材料として再利用できることを発見した。これに要したコストは二五万ドルだったが、年間二四〇万ドルの節減を達成した。

3Mも資源生産性を向上させた。溶剤排出量の九〇%削減を義務付ける新たな規制の遵守を強いられた同社は、より安全な水溶液で製品を塗装することにより、溶剤をまったく使用しない方法を見出した。その結果、3Mは製品開発における先行者利得を獲得した。競合他社の多くが製造プロセスを変更したのは、ずっと後になってからである。しかも、溶剤を利用する塗装には承認プロセスが必要だが、これが不要になったため、新製品発売までに要する時間が短縮さ脳呼

また3Mは、イノベーションが工程の一貫性を高め、ダウンタイム(製造工程の休止時間)を減らし、コストを大きく削減できることを発見した。同社はかつて接着剤をバッチ単位で生産し、それを貯蔵タンクに移していたので、悪いバッチが一つでもあると、タンク内の全部が不良品になりかねなかった。その結果が、生産ロス、ダウンタイム、有害廃棄物の廃棄コストだった。3Mは、新規バッチの品質検査を迅速に行える新技術を開発し、これにより、ほとんどコストをかけずに有害廃棄物を年間一一〇トン、コストを年間二〇万ドル以上削減することに成功した。

化学製品の生産では、一度設備の運転を中断してしまうと、製品の品質を安定させて仕様通りに仕上げるために、再開時に初期運転をしなくてはならないことが多いが、その際に産出されるものは廃棄するしか方法がなかった。規制によって廃棄物の処理コストが上昇したのをきっかけに、デュポンは以前より高性能のモニター機器を導入した。その結果、生産中断とそれに伴う再開時の初期運転の回数が減った。同社は廃棄物の発生を抑えただけでなく、何も生産していない時間を減らすことにも成功したのである。

廃棄物や汚染の排出量を削減し、より生産的に資源を利用するために製造プロセスを変更すると、生産高の増加につながることが多い。環境基準が新しくなったため、チバガイギー(一九九六年にサンドと合併してノバルティスとなったが、化学部門はチバ・スベシャリティケミカルとして分離された)はニュージャージー州トムズリバーの染料工場の廃水流を見直した。その際、エンジニアたちは生産プロセスに二つの変更を施した。第一に、汚泥を発生させる鉄の代わりに、害の少ない化学変換剤を使用した。第二に、毒性の可能性がある排出物を廃水流に放出するのをやめた。同社は汚染を減らしただけでなく、歩留まり率を四〇%高め、さらに年間七四万ドルのコスト削減を実現した。工場の当該エリアは最終的に閉鎖されてしまったが、この事例は、規制により工程の見直しが促されたことを物語っている。

環境規制を遵守するための工程の見直しは、製品の一貫性や品質を高めることにもつながる。一九八七年に採択され翌年発効されたモントリオール議定書(正式名称「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」)、そして一九九〇年の米国大気浄化法(一九五五年制定)の改正により、電子機器メーカーはオゾン層を破壊するフロンガスの一掃を義務付けられた。当時多くの企業が、プリント基板の製造時に生じる残留物を取り除く洗浄剤としてフロンガスを使用していた。

レイセオンの技術者たちは難題に直面した。当初、フロンガスをまったく使用しない洗浄は不可能だと考えられていた。しかし研究の結果、閉鎖循環システム内で再利用可能な別の洗浄剤が発見された。フロンガスを用いた洗浄剤では品質が低下することもあったが、この新しい方法によって品質が平均的に向上しただけでなく、オペレーションコストの削減にも成功した。この規制を受けて、他の研究者たちも、洗浄がいっさい要らない方法を見出し、いわゆる無洗浄ハンダ付け技術を開発して、品質を落とさずにコストを低下させた。環境規制がなければ、このようなイノベーションは実現しなかっただろう。

環境規制に対応したイノベーションは、不要なパッケージングを減らしたり、設計を簡素化したりすることで、製品原価を下げ、資源生産性を高めることができる。

一九九一年に日本で施行された「リサイクル法」(正式名称「再生資源の利用促進に関する法律」)では、製品をよりリサイクルしやすくするための基準を定めている。これを受けて、日立製作所をはじめ、日本の家電メーカーは、分解に要する時間を短くできるように製品を再設計した。日立の場合、洗濯機の部品数を一六%、掃除機の部品数を三〇%削減した。部品の数が減ることで、分解だけでなく、そもそもの組み立ても楽になる。こうした再生可能な製品を義務付ける規制は、ユーザーが負担する廃棄コストを下げるほか、資源が回収しやすい設計につながる可能性がある。その結果、顧客消費者か、使用済み製品を回収するメーカーのどちらかに、大きな価値がもたらされる。

そのような製品イノベーションは、顧客の力ではなく、規制によるところが大きいが、世界はますます資源効率の高い製品を求めている。多くの企業がイノベーションをてこに、環境にやさしい製品によって価格プレミアムを実現し、新たな市場セグメントを開拓している。

ドイツは他国に先駆けてリサイクル基準を導入したため、ドイツ企業はパッケージングの少ない製品の開発において先行者利得を獲得している。こうした製品はコストが低いうえ、市場でも必要とされている。米国では、カミンズ・エンジン(現カミンズ)が環境規制に押されてトラックやバス向けの低排出ディーゼルエンジンを開発し、同様のニーズが拡大している国際市場で優位なポジションを確立している。

以上のような事例はあるが、企業が常にイノベーションによって環境負荷を低コストで削減できるとは限らない。ただ、製品、生産工程、オペレーションの再設計というイノベーションを通じて、環境汚染を減らす機会が広がっていることは明らかだ。

いまだに環境規制に抵抗する企業もあるし、規制規制の中には資源生産性の高い革新的なソリューションを阻害するものも少なくないが、それでもここで紹介したような事例はもはや珍しいものではない。その事実は重要なメッセージを発している。それは、企業が環境改善に取り組むためには、新たな思考のフレームワークがすぐにも必要だということである。
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独裁者の原爆の使い方


独裁者の原爆の使い方

 独裁者は原爆を一発持っていればいい。ヒットラーは最終段階でベルリンで使ったでしょう。侵攻してくるソ連軍に対して、ベルリンを消滅させる。カタストロフィを起こす。自分の死はそれに値する。

 朝トイレ行く時にいつも思うこと。このまま、他者と同じようにな死で納得いくのか? かといって、カタストロフィというのも面倒。
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留学したつもりで報告書をまとめる

留学したつもりで報告書をまとめる

 偶然から大いなる意思を感じた。そこから何を意図しているか? 逆に自分の役割を見いだしたように。

 どこから飛躍させるか? おなじことを言っているところから。

 留学したつもりでこのレポートをまとめよう。帰りの船が沈むかもしれないけど。そんなことは親鸞。

キーワード空間に距離を導入

 項目間の距離を入れ込むのがキーワード空間の役割。
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OCR化した5冊

『もう一度学びたい哲学』

 お金を儲けることは悪いことなのでしょうか?
 どうしてお金がほしくなるのでしょうか?
 お金持ちだけが得をしているのでないでしょうか?
 お金持ちが人格者ではないのはなぜでしょうか?
 どうして税金を払わないといけないのでしょうか?
 なぜギャンブルをしたくなるのでしょうか?
 労働せずに投資で儲けてはいけないのでしょうか?
 どうして働かなければならないのでしょうか?
 どうして会社に上司は必要なのでしょうか?
 会社と社員はどちらが大事なのでしょうか?
 出世するといいことがあるのでしょうか?
 どうして話が合わない人がいるのでしょうか?
 なぜいじめはなくならないのでしょうか?
 リーダーシップとはなんでしょうか?
 近所づき合いは必要なのでしょうか?
 どんな愛が一番幸せなのでしょうか?
 人はなぜ恋愛をするのでしょうか?
 どうして結婚しなければいけないのでしょうか?
 どうして不倫はいけないのでしょうか?
 神様は存在しているのでしょうか?
 世の中の決まりごとは、どうやって作られたのでしょうか?
 多数決はベストな決定手段なのでしょうか?
 なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?
 どうして勉強しなければいけないのでしょうか?
 楽しいことばかりをするのはいけないのでしょうか?
 なぜ人は誘惑に負けてしまうのでしょうか?
 計画的な人生の方が幸せなのでしょうか?
 社会を変えることが自分にできるのでしょうか?
 強欲はいけないことなのでしょうか?

『博報堂で学んだ負けないプレゼン』

 プレゼン作りの演習問題「新手のコーヒーチェーンを作る」

  オリエンはこんな感じ
  次に世の中とのすり合わせ
  ロジック整理チャートヘの落とし込み
  私が考えたロジック3点セット
  最後に解決策
  あなたの事例でやってみよう!

『キーワードで読み解く地方創生』

 産業集積・企業城下町

  エ業都市の発展と産業立地政策の展開
  イノベーションを重視した産業振興へのシフト
  各地に形成された企業城下町とその変容
  望まれる地域の個性を生かした産業振興

 コンパクトシティ

  90年代以降進んだコンパクトシティ
  ハコモノ先進事例を成功事例と勘違いしがち
  コンパクトシティは難題山積

 シェアリングエコノミー

  スマートフォンの普及で拡大するシェアリングエコノミー
  訪日外国人向けシェアサービスでは地方圏にチャンスあり

『インド思想との出会い』

 仏陀の真の教えは何か

  仏陀は宗教改革のみを切望した
  歪曲された仏陀の教え
  仏陀は心を人間の活動の中心に据えた
  宗教は論議から離れ、実践を目指すべし
  知性的な仏陀の教え
  普遍宗教としての仏陀の教え
  自ら自分の光明となれ

『構想力の方法論』

 歴史的構想力

  構想力の時空間を広げよう
  未来をつくる歴史の智慧
  イノベーションは歴史的事件として起きる
  ドットとドットが繋がり綜合されていく
  歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
  必然と偶然のシンクロニシティ
  ナラティブな創造
  歴史についての二つの対極の方法
  歴史的方法①:シナリオ思考
  未来は驚きとともにやってくる
  歴史的方法②:ミクロストリア
  細部への注視
  歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
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歴史的構想力を支える語彙の豊富さ

『構想力の方法論』より 仏陀の真の教えは何か

歴史的方法:ミクロストリア

 歴史学者の阿部謹也は著書『歴史と叙述-社会史への道-』の中で次のように述べていました。

  「人間は不可能といいながらも常に何らかの形で全体像の形成へ、世界像の形成へと向かわざるをえないとされているのだが、その全体像とか世界像といわれるものは、個なる自己が人間存在、一回限りの人間のいのちの深さと重さを時と場所をこえて受けとめようとするときの、したたかな手ごたえのある、しかし果てしのない行路以外のなにものでもないのである。それが世界像であり、また世界史なのだ。だから世界像も世界史も常に完結しない課題・行路として存在しているのである。個別的なもののなかに、個人の一生のなかにも世界史をみることは出来る」

 歴史学の方法でもう一つ、歴史=物語論の対極として、ホワイトの歴史的想像力とともに重要なのは先にも述べたミクロストリア(ミクロレベルの歴史、微視の歴史学)という方法です。ミクロストリアは、歴史学における従来の実証主義に対しても、またそれに異議申し立てをしたホワイトらの歴史=物語論の相対主義的立場に対しても、反論することをバネとして登場した新たな手法です。その有力な提唱者であるイタリアの歴史家ギンズブルグ(1939-)は、阿部謹也も関心を寄せた、ブローデルらの率いる「アナール派」の研究者であり、歴史叙述の現場で行なわれている作業を再検討することで、実証主義とも相対主義とも異なる歴史を描き出そうとしました。具体的には、境界などがはっきりと定義された小さな単位を対象とし、集中的に歴史学的な調査・記述を行うという手法です。多くの場合、一つの出来事や一つの村など小さな共同体、あるいは一人の個人を対象とします。

 ギンズブルグは著書『歴史を逆なでに読む』で、歴史=物語論への反論を次のように述べます。

  「今日、歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき、そこには、フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を、事実上廃止してしまおうとする相対主義的な態度がともなっている」

  「わたしたちは実証主義を拒絶する場合でも、なお〝現実〟とか〝証拠〟とか〝真実〟といった概念には立ち向かわなければならないのである」

 また、ミクロストリアを深化させて著した『チーズとうじ虫』では、一六世紀イタリアのフリウリ地方に住む一人の粉挽屋の異端審問記録から、当時のイタリアの農民文化を描きだしています。主人公のメノッキオは教会の教義とは異なるさまざまな書物を読み(コーランも含まれていた)、農村の生活での自然の観察から独自の世界像をつくりあげていました。審問記録によれば「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです」というのがメノッキオの主張でした。ギンズブルグは、このただ一人の男の物語から、当時のキリスト教の背後に隠れていた、膨大な文化の存在キリスト教以前の農民宗教を描いたのです。メノッキオは、聖餐式などの儀式はキリストがはじめたのではなく、ローマ教会によって設けられたので、それらがなくても人は救済される、とか、地獄も煉獄も金儲けをするために司祭や修道士たちが考えだしたもの、またもしキリストが義の人なら、十字架に傑けになることはなかっただろう、などと主張したのです。そして二度異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまいます。

細部への注視

 このようなミクロな問題や場に目を向けること、ミクロストリア的思考の特徴は、大きな問題に迫ろうとすると抽象的議論に陥ってしまうのに対し、現実の一点をつぶさに観察、記述することでそこに集結する多様な文脈が見えるようになるということです。そこで得られたユニークな観点を、次により広い世界に適用していく。これは、領域密着型の理論構築(GTA:grounded theory approach)などの質的研究方法論にも通ずるものです。

 哲学者の中山元はこの知的方法論を「ミクロロギー」とも呼び、歴史的認識においてディテールを読み取ることの重要性を示唆していると指摘します。「神は細部に宿る」といいますが、すでに古代から、ミクロなものにマクロな宇宙が再現されているという考え方が存在しました。ミクロにマクロが顕現するというものの見方は一つの哲学的方法なのです。

 そのルーツは古代ギリシャの哲学者エピクロスの自然哲学にあり、それを方法的に確立したのが『資本論』のカール・マルクスだといわれます。マルクスは、「細部でその違いを証明できれば、もっと大きな次元でその差異を指摘するのは容易なこと」(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』)だといい、「大きな部分を眺めていたのではわからない顕微鏡的な次元の違いこそが、大きな違いをつくり出すと考えた」(『思考のトポス』中山元)のでした。また、ミクロなものへの観察から考察を始めるという手法は、フッサールの現象学の重要な方法です。

 歴史的構想力にはこうした細部に目を凝らし微細な様相のなかに全体の構造を探すという方法論的アプローチが内包されていると考えられます。その先には、不可視のものを見て、真のリアリティとして再構成していく挑戦があるのです。

 このミクロストリアの思考に近似しているのが、デザイン思考です。ミクロストリアはエスノグラフィー的な性格を持っています。実証主義的にデータや形式知をいくら集めても世界をつくることはできず、またホワイトのメタヒストリーのように自分の仮説だけに固執してもいけないし反対に他人になり切ってもいけない、ということです。重要なのは、自分が存在している文化のなかに、自分もいるのであり、そこに参加していることを意識しながら、あくまでも同一化してしまうことなく、そこで起こっていることを冷徹に観察し記述していくことです。そういう歴史家の姿はエスノグラフィーの参与観察の姿勢に通じるものがあります。そのような姿勢で現実と向き合うことで、歴史における立証と言語表現としての歴史を両立させることができるとギンズブルグは主張するのです。

歴史的構想力を支える語彙の豊富さ

 歴史学の方法を二つ見てきましたが、どちらにおいても言語で表現するナラティブが重要です。ナラティブは必ずしも言語だけでなく、視覚的要素や音楽、身体的リズムであってもいいのですが、とりわけ歴史的構想力においては、言語化の能力において優れていることが求められます。イノベーターにとって言語化は成否を分ける重要な能力といえるのです。

 イノベーターにとっての言語化能力とは、大きな目的に基づきつつ、現実のディテールや文脈から得られた洞察を結び付けていく実践を促す言語表現であり、その背後では概念化と言語化の絶えざる試行錯誤があります。またそれは、より大きな歴史的な状況のなかで、新たな世界観を表す形而上学的な思索作業でもあるのです。

 スティーブ・ジョブズは製品の提供価値を一つの言葉や文章に凝縮して表現しました。MacBook Airの発表のときには「封筒に入るパソコン」といって実際にマックを封筒から取り出してみせました。その瞬間、言葉と現実が結び付きます。ここでは「封筒」というメタファー(喩え、隠喩)が重要であり、これはもともと先人達の使った技でもありました。ヒューレット・パッカードが関数電卓を開発した際に、その大きさは創業者のビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットに入るサイズで決められたといわれます。ソニーのポケッタブル・ラジオも、胸ポケットに入るということが大事であり、本当は普通のワイシャツの胸ポケットには入らなかったのに、ポケットの大き目のワイシャツを特注し、米国の販売スタッフに着せてポケッタブル・ラジオというレトリックで売ったというエピソードが残っています。これら先人たちの知恵を洗練させたのが、ジョブズによる「封筒に入るパソコン」だったのではないでしょうか。イノベーションにおいてはこのようなメタファーが、コンセプトを構成する複数の変数を束ねて理解、説明するには重要となります。

 問題の対象に分け入り細部に沈潜していくのも、想像の翼を広げてビッグピクチャーを描くのも、突き詰めれば個やチームの気概とモチベーションにかかっています。その対象やテーマを扱うことの社会的意味を問い続けながら構想していく道程には、「自分は何なのか」と問う瞬間や「本当にこれでよいのか」という不安が必ずあるはずです。多彩なメンバーが増えるほど、孤独に沈むことがあるのではないでしょうか。さまざまな要因が複雑に作用しているのだと思いますが、不安の一端は、自分はいまどこに立っているのか、過去から現代さらに未来へとつながる歴史の中のどこにいるのかという疑問につながると考えられます。

 芸術家にとっては、その葛藤が作品を創造する原動力ともなるのでしょう。しかし、社会経済の新たな生態系を創造し地球環境のリバランスを目指す二一世紀の構想力の実践においても、そうした情緒は重要なものであると考えます。そうした心の動きが、自らを歴史的存在として自覚させ、歴史的構想力を呼び覚ますのではないでしょうか。

 パーソナル・コンピューティングの概念を生み出し、ジョブズなどにも大きな影響を与えたアラン・ケイの構想力については第2章で紹介しました。彼の言葉を再度思い起こしてみまし 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明することだ」

 これは、未来に向けて物語を物語ることで、世界のパラダイムを変え、歴史の一部を形づくり創造していくという歴史的構想力をまさに表現した言葉です。イノベーションとは単に新たな技術や商品を開発したり導入したりすることではない、ということを示唆しています。未来を、すなわちこれからの人々の生活や意識を変える仕組みを物語り、その中でプロット(物語の筋書き)をつなげ、実践していくことです。それが歴史的存在者としてイノベーションを起こすということの意味だと考えられるのです。
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歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧

『構想力の方法論』より 仏陀の真の教えは何か

歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧

 何か面白いアイデアを思いついたり、トレンドを分析するなどして、こうすればビジネスになる、というところまで考えたりするのは、はっきりいえば誰にでもできるでしょう。場合によっては、机上でも考えられます。しかし、そのアイデアがいずれ世に出て行き、顧客や人心を掴み、投資家を惹き付け、さらには社会的インパクトをもたらしてイノベーションとして結実するかどうか、までを見きわめるには、歴史的構想力の働きが決定的な役割を担うのです。

 「歴史的」という意味は、その想像力が歴史家(歴史学の専門家など)の備える賢慮(賢さ)といってもいいものだからです。そこで私たちは、歴史家たちから未来をいかにつくるかを学ぶことができるのです。

 歴史家は、過去のある事件やその一場面にスポットライトをあてて、その個別的事象から出発します。そして自分のビジョン、さらには過去からのパタン、モデルを適用しながら、その時代や世界、歴史の一幕を全体として物語り、物語を紡いでいきます。つまり、ある兆候や問題を、短期的視野で見たり、その因果関係を分析したりするのでなく、過去から現在そして未来が継続する地平で、いかなる世界があり得るかを考えていくのです。二一世紀の社会や経済においては、個別具体から全体像を構成していく、このような歴史家の想像力がイノベーターにも備わっていなければならないのです。

 それは異なる未来をイメージできる力といってもよいでしょう。歴史的構想力とは、過去と現在においてあり得た可能性を考え、歴史を物語っていく力です。その力を、今度は未来の可能性を創造的に仮説することに活用し、打ち立てた仮説としての構想を、現場の状況に基づいて実践していくのです。こうした歴史的構想力に根付いた実践こそが、イノベーション・リーダーにも要請される高度の賢慮だということです。

 賢慮とは、過去・現在・未来が同時に意識されるような時間軸において発揮されます。古くから賢慮は不思議な姿で描かれてきました(次ページの図はアムステルダム市庁舎のために製作された一七世紀の寓意画)。未来を見つめる若者あるいは犬(右)、過去からの歴史的な文脈のなかに身を置く老人あるいは狼(左)、まさにいまここでの現実の変化を生みだす壮年あるいは獅子(中央)が一体化した寓意です。過去とは、伝統や歴史的事象のパタンの宝庫を意味します。未来とは構想力の表出であり、ビジュアルかつナラティブに想像することを意味します。そして、過去と未来のせめぎあう現実界に「現在」の行為があります。それは、現在の眼前の事象や問題だけに焦点をあてて解決しようとすることでなく、現状の破壊と創造を伴うパワーに基づくものです。これらの時間からなる「場」に支えられて、変革や革新が起きるということを、これらの寓意画から読み取ることができます。

 「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」(『歴史とは何か』)と説いた英国の歴史家、E・H・カーは、さらに次のように述べています。

 「歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を理解させようとする点にある」

 歴史的構想力とは、過去と現在を見渡しながら、あり得た可能性やそのパタンをアナロジーとして未来にあてはめ、可能なパタンをさらに創造的に仮説することです。そして、それらを現場の状況に基づいて実践する。そうして実際の政策決定に過去の歴史をどう活用するかを研究し、類似の歴史的状況から類比して構想を描くのです。

必然と偶然のシンクロニシティ

 私たちが生活を営み、ビジネスを行なう二I世紀の現実世界は、グローバル化やインターネットなどの技術によってきわめて複雑化して、多くの不確実性が支配しています。不確実性は今の時代に限ったことではないという反論もあるでしょうが、それがかなり大きなスケールで展開しているのがいまの時代なのです。

 カオス系の世界では、初期条件がその後の結果を大きく作用するという「予測不可能性」が生まれます。過去のトレンドを分析して戦略を描き、あるいは計画を立ててもまったく計画通りになどなりません。しかし、ではまったくのランダムネスに支配されているかというと、そうでもありません。各事象の背後にある深層要因は相互作用を経て大きな変化を生みだしているのですが、そこには大きな秩序が存在していると想定してよいでしょう。その相互作用の契機は、個々の、ときに微細な現象や出来事であったりするのです。

 二〇世紀最大の歴史家の一人とされる、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデル(1902-1985)は歴史における経済や地理的要因の重要性を説いてセンセーションを巻き起こしました。その代表的著書『地中海』で示した、歴史を把握するモデルは、環境によって歴史が生成されるメカニズムを説明するものでした。すなわち歴史を「長波」「中波」「短波」の三層構造で見る、ということです。「短波」とは、歴史上の表舞台で見える個々人の活動で、それらが絡み合って起きる事象を指します。例えばビジネスの時間尺度は10年単位、長くて30年、ファッションのように短いと半年です。「中波」というのは、人口や国家、文化、経済といった歴史の背景です。100年から300年単位といったところでしょうか。そして「長波」は中波の深層・背景となる自然や環境といった地理的・地政学的要因で、ブローデルはここに注目したのでした。それは1万年以上のスケールで歴史に影響を与えます。

 ブローデルの多層的モデルは現代のビジネスにとってきわめて重要な視点だといえます。なぜなら、二一世紀の社会や経済は、長期的な視点での変化が底流にあって成立するからです。エネルギーや自然資本は数十年単位での時間尺では考えることができません。放射性廃棄物は半減するのに一万年というものもあります。自然エネルギーや災害ビジネスは長期的な気候変動を考えるべきでしょう。グローバルな交通インフラ開発や都市ビジネスはどうでしょう。数百年単位から千年でしょう。文化的なビジネスもまた、数百年単位で考える必要があるのではないでしょうか。一方で、ZARAなどのファストファッションのように、数週間で回るビジネスもあります。デジタル化によって、基礎研究の時間軸なども大きく短縮しています。デジタル世代のューザーは20秒ごとに関心をスイッチする、といった報告もあります。こうした多元的で多層的な時間の中でビジネスを考えざるを得なくなっているのが現在なのです。

ナラティブな創造

 そこでは社会的・文化的・経済的・技術的・環境的な深層要因が絡み合って、さまざまなパタンを生みだしていきます。ただし出来事と出来事がどう出合うかは偶然です。歴史は後戻りしません。まったく同じことが繰り返されることもありません。重要なのは、生きる現実の渦中でどう物語を生みだしていく(歴史を物語る)かということです。ストーリーとして固定化したものを考えるのでなく、戦略を物語る(ナラティブ)姿勢が大事なのです。

 第2章でも紹介しましたが、哲学者の野家啓一は著書『物語の哲学』のなかで歴史哲学者アーサー・ダントーを引用しつつ、物語り行為とは「時間的に離れた二つ以上の出来事を通時的に組織化・統合化する言語行為」であると述べています。それは偶然と偶然を紡ぐ行為ともいえるでしょう。そして、そこでそうやって物語ることで、自分もその一部となっていく、といえるのです。主観力が現実になり、逆に、自分が何者かが見えてくる。科学における観察者効果のように、自分が行なう行為が現実に影響もする、それが自ら物語り、その物語を生きるということになるのです。

 戦略も同じです。客観的なデータ分析からは、現実レベルでの変化の本質が見えません。現実に関わらないかぎり、未来への物語のプロットである変化の兆しは見えてこないのです。イノベーターは客観的に市場を眺めて分析するのでなく、自らも市場や変化の一員としてその状況の渦中にいるからです。その意味で、ミンツバーグがいったように、イノベーションや創造的な戦略はクラフティングの対象、つまり状況に対応しつつ「こしらえる」ものなのです。

 それはいわば、大きな秩序に基づく偶然性から飛躍的な変化や変革が生ずる世界で、いかに生きるかということです。『「PULL」の哲学』の共著者、ジョン・シーリー・ブラウン(元パロアルト研究所所長)とジョン・ヘーゲル3世(デロイトコンサルティングLLPディレクター)は問いかけます。ヘーゲル3世は、経営者は現時点のめくるめく変化に集中して適応すべきで、あまりに不確実な未来など考えても意味がないと語ります。一方でブラウンは、それはそうだが、変化の背景には深い流れ、しかも長期的に変動する要因があると指摘します。ちょうどカヤックを操っているときのように、その流れに敏感でないと死を免れないというのです。

 どちらが正しいのでしょうか。結論は、両者とも正しい。つまり、単に「○○○の未来を考えよう!」というのは、この不確実で複雑な環境では意味がないのです。しかし一方で長期的な変化に鋭敏になり、そのビッグピクチャーのもとで、現時点の変化に俊敏に機動的に対応することが重要です。長期的構想があるゆえに、微細なレベルでの変化を生みだすことができるということです。それは後述する歴史的方法に繋がる観点です。
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大いなる意思への報告書

大いなる意思への報告書

 やはり、大いなる意思への報告書を目指します。私に納得がいくことだけを目的にして。

 ということは他者に気にすることない。私にとって、ジコチューというのは自己中心ではなく、自己しかいない状態を言う。

ペンライトが欲しいけど

 今日はナゴヤドーム駐車場で 物販 やはり行けなかった
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インド思想 仏陀の真の教えは何か

『インド思想との出会い』より 仏陀の真の教えは何か

知性的な仏陀の教え

 人間生活の中心に心を置くことにより、仏陀は人間の知的探求に極めて深い奥行きを持たせることになりました。普通、我々は外部に客観的世界が存在していると信じ、自分の言葉や科学、哲学を通じてそれについて考察を加えます。しかし、仏陀の深い教えによると、それは幻想だというのです。深い意味において、外界は我々がそうであると考えているように存在してはおりません。般若心経の中で、仏陀はシャーリプトラに次のようにいいます。

  「この世で、形態は空である。空自体が形態である。形態は空と異なってしない。空は 形態と異なってはしぬい。およそ形態あるものはそれ自体空であり、空なるものそれ 自体が形態である。」

 心経の中心的命題は、存在と非存在の間には相違がないと言うことです。見える世界は空である。空なるものが、この見える世界である。

 しかし、それでは如何にすればこの事が分るのでしょう凱

 この質問への最も簡単な答は、仏陀によって提示された道を歩むことです。これは他者の言葉に依存することなく、何事も自分自身で直接体験することです。目を閉じて、心を完全に静めることが出来ると、頭には何の動きも無くなり、我々は空の状態になります。又目を開けると、我々は再び目で見える世界の中に戻ります。

 しかし、本当のところ、我々の大部分はシュンニャの世界に自由に没入することができません。目を閉じても、外的世界はイメージの形で我々の頭を一杯にしており、我々の心はそのイメージ世界の処理ににしいのです。我々の周りの世界の根底には大きなシュンニャがあります。その空から各人の心の働きに従って、様々な物や人間や出来事が不断に作り出されるのです。人間が自分の心を絶対的に静かにさせ、言葉もイメージも生じなくなれば、外界もその中における個人的存在も、その人にとって全く溶解してしまいます。すると、その人間はニルヴァーナの状態になるのです。人間の皆脳を終焉させ、救いを発見するために最も大切なことは、宗教教義を信じたり、宗教儀式を行うことではなく、心の働きを理解し心を完全に静めることです。

 しかし、残念なことに、仏教は仏陀の名においで贋緒主義的傾向を相当帯びるようになりました。シッダルタが悟りを開かれた時、サンスクリットで覚者、ブッデイ(純粋英知)のレベルに到達した人間を意味する仏陀として、人々が彼を認めたことを想起して下さい。仏陀の教えには神秘なものがありません。人々が彼を教師として認めたのは、仏陀が精神的真理を直接唐り、宗教の領域から虚偽を取除こうとされたからであります。彼の中に、人々は自分の宗教の体現者を見出したのです。ヒンズー教には十人のアヴァターラ即ち化身という概念がありますが、大事なことは仏陀がラーマやクリシュナとならんで神の化身として考えられていることです。

普遍宗教としての仏陀の教え

 仏陀の真の教えを理解するシナリオをここで描いてみましょう。

 一群の人々が地球から火星に移民すると仮定します。これらの人々は地球から移り住む時に、新天地に住むのに必要な全てのものを携えて来ました。新天地でも地球と同じように快適な生活をすることが出来るようになっているのです。しかし、ふとした手落ちで、宗教に関連した本は持って来ませんでした。又、地球上でどんな宗教があったか、誰も思い出せないでいます。

 そこで問題ですが、火星に移住した人間は果たして独自宗教を発達させることができるでしょうか。それとも仏陀やイエスやモハメットみたいな人が現れて宗教を授けるまで、無宗教で彼等は暮らすことになるのでしょうか。

 この問題に対する答えは宗教の真の始まりを理解することにあります。人間の宗教的精冲は様々な理由から生まれます。

  ①人間の様々な集団の問には軋陸が存在することを人間は見出しました。人は人間社会に平和と調和を打ち立てることを望むのです。

  ②人間は宇宙の巨大さとそれに比べ人間が全く取るに足らない存在であることに圧倒され、宇宙の性質とその創造者を理解しようと望みます。

  ③人間は内的混乱に悩み、心の平安を見出す方法を発見したいと思いま肌最後に

  ④どんなに快楽に取り囲まれていようと、人間にはそうした外的手段では満足できない渇きがあることを発見します。彼は自分の存在の源泉を知り、その究極の運命に到ろうと欲します。

 宗教の始まりに関する、こうした理由は、特別な人間の集団に限りません。それは人間の本性に根ざしているのです。そこで、たとえ火星に暮らせるようになり、地球上の既成宗教を忘れても、いずれ彼等は宗教に近いなにものかを探し始めるでしょう。教条的キリスト教徒は、バイブルを忘れイエスキリストが教えてくれたことを忘れてしまったので、宗教がどんなものか決して知り得ないであろうというかもしれません。教条的回教徒はコーランが無くては、宗教については何も知り得ないであるうと言うでありまでしょう。しかし、仏陀ならば、次のように言うことでありましょう。

  「もし火星に移住する人々が知的で、真剣で注意深い人達なら、彼の悩みは自分では制御しえない心の動きに由来することを発見するであろう。そして、遅かれ早かれ、平和で調和ある生活をする道を見出せることだろう。まず、内なる実相の本院を瞑想して、心を完全に静めるならニルヴァーナに到達することは可能である。私がこの世に現れて真理を説くまで待つ必要はない。真理はすでに内在している。それを発見し、それにしたがって生活するだけで良いのだ。」

 仏陀が常に弟子に語っていたことは、

  アッパディーポバヴァ

  「自ら自分の光明となれ。」これが仏陀の真のメッセージです。

自ら自分の光明となれ

 自分の救いを見つけるのに、別に宗教的梅戎や神を信仰する必要はないのです。神とか魂とか、天国とか地獄だとかいう概念は全て人間の心が産み出したものです。心を超えたものに関する問題は心によって解答し得ないのです。人間にとって緊急問題は決して神の本性を知ることではありません。自分自身の本陛を知ることです。

 真剣に観察するなら自分の心が世界の全てを作り出していることを発見できます。外的な物質的世界も心の働きで作り出されたものです。心の統御されざる働きと、足ることを知らない欲望が人間の苦悩の根本原因です。人間は自分の心の主人にならなければなりません。自分の心を完全に鎮めた時、従って、個人的欲望に突き動かされた活動が全く無くなった時、初めて人間はプラディヤ・パーラミタの状態、超越的意識の状態に到達します。そこに人間の究極の救いであるニルヴァーナがあるのです。

 これは希望とインスピレーションに満ちたメッセージです。それは完全なる自由、心の頚木からの自由、ドグマ、儀礼、権威からの自由であります。

 普通の人間にとっては、この仏陀のメッセージを理解することが、若干難しいであろうことは認めます。普通の人々は日常の様々な問題を抱えた生活の中で、すがるべき具体的なものを望んでいるからです。その様な人達には、ある種の信仰、儀礼、儀式などが必要でしょう。これは極めて当たり前のことであります。宗教の始祖達の言葉を盲目的に信奉して、宗教的な儀式を行えば心を一時的に静めることが出来ます。

 しかし、ここではっきり理解しておかなくてはならないことは、これらの信仰や儀式は決して宗教の究極的な対象物ではないということです。これらは特定の宗教の信奉者にある種の内的な平和を与えますが、様々な宗教的な集団の間に不可避的に軋蝶を産み出します。またそれらの信仰や儀式を通じて心は静まるかもしれませんが、心がより高い理解力のレベルに成長することはないのです。人間は平和を見出すと共に、より高い精神的レベルに向って成長しなければならないのです。

 仏陀の教えに従がう限り、人間の精神的探求と知的探求との間には何の矛盾も生じません。その両面において、人間の心はその中心的地位を占めております。心の働きこそ文字どおり外的並びに内的世界を作り出すものであります。人間の心の本当の性質を知らなくては、我々は科学によって研究されている外的世界の究極的性質も理解することは出来ません。人間の内的な悩み、恐れ、不満、緊張、混乱は心の働きによって作り出されます。心の作用をよくよく理解し、心を鎮めて心の統率者ならない限り、内的世界の永続する平和は有り得ません。人間が将来進化しなくてはならないのはこの方向であります。

 現在人間の生活は、家族のレペルでも社会や国家のレベルでも全世界的規模のレペルでも混乱の極にあります。人間は現在、ドグマや儀礼から自由な、人間を精神的探求に導いて行く普遍的宗教を手探りの状態で求めています。個人と社会のレベルにおける今日の危機は人間が自分を変えより高い意識の次元に進化するための挑戦であり、好機でありま肌仏陀の教えは人間をより高い進化に向かわせるための大きな道標であります。
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キーワードで読み解く シェアリングエコノミー

『キーワードで読み解く地方創生』より ⇒ スマホがキーなのは正解。

ポイント

 ・シェアリングエコノミーは、個人間の取引で有形・無形の資産をシェアする経済活動である。自宅を宿として貸し出すホームシェアや自家用車で客を運ぶライドシェアが主なシェアサービスである。

 ・日本ではシェアサービスに対する不安感が根強く残っているが、小規模・不定期という特徴から、シェアサービスは地方圏と相性がよいと考えられる。

 ・大都市圏が住民の不安感からシェアサービス拡大に躊躇している今は地方圏にとってチャンスである。地方圏は訪日外国人誘致や社会的課題の解決にシェアリングエコノミーを積極的に活用すべきであろう。

スマートフォンの普及で拡大するシェアリングエコノミー

 シェアリングエコノミーとは、一般的には個人や組織が所有する資産等について、貸し出し等により他人との間で共有(シェア)し、その対価を受け取る経済活動であり、シェアリングエコノミーで展開されるビジネスはシェアサービスと呼ばれる。自宅を宿泊者に貸すホームシェアは、その代表例である。また、シェアする資産の中には、労働のような無形資産も含まれる、自分の車を使って自分か運転して他人を運び、運賃を受け取るライドシェアのように、車と労働という有形・無形資産の両方をシェアするケースもある。

 シェアサービスと似たようなものとして、すでに各種のレンタルビジネスがある。これまでのレンタルビジネスと比べたシェアサービスの大きな特徴は、CtoC、つまりサービスの提供も利用も個人がメインとなること、および、CtoCゆえに小単位、不定期なサービスが行われることであろう。このため、シェアサービスでは供給と需要を簡便にマッチングさせるツールが必要となり、スマートフォン(以下、スマホ)が欠かせないツールとなっている。このような背景から、スマホの普及に伴って、シェアリングエコノミーは急拡大しているといえる。

 日本ではシェアサービスヘの不安が残っているが 米国をはじめ海外では、スマホの普及に伴いさまざまなシェアサービスが生まれている。また、総務省「情報通信白書(平成28年版)」によると、世界のシェアリングエコノミーの規模は, 2013年の150億ドルから2025年の3,350億ドルに急拡大するとされる。さらに、世界のユニコーン企業(企業価値が推定10億ドル以上の非上場ベンチャー)上位10社のうち、4社がシェアリングエコノミー関連会社となっている。

 一方、日本ではいまだにシェアサービスに対する不安が残っている。シェアサービスの代表的なホームシェアとライドシェアの利用意向に関する国際比較をみると、日本の利用意向は低い。その理由として事故やトラブルヘの対応への不安があり、日本は韓国と並んで大きい。

 しかし、日本でもシェアサービスヘのこのような不安は徐々に解消しつつあると思われる。 CtoCといえども、仲介サービスを行っている企業はマッチング機能に関するプラットフォームを提供しており、事故やトラブルに対応している。さらに、シェアサービスでは利用者も提供者もお互いに評価されるので、悪い評価を得た個人はその後の利用や提供が難しくなる。このような仕組みが知られると、シェアサービス利用への警戒感も薄らいでいくとみられる。例えば、フリーマーケットのような取引をスマホで行うことができるフリマアプリを利用して一時的に使いたいモノを購入し、少し使ってすぐに売却するような方法は、事実上不特定多数で資産をシェアしているといえ、日本でも利用者が急拡大中である。シェアサービスの大きな特徴であるCtoCに関する不安は徐々に解消され、日本でもシェアサービスは拡大していく可能性があろう。

訪日外国人向けシェアサービスでは地方圏にチャンスあり

 近年、シェアリングエコノミーは地方圏で大きな注目を浴びるようになっている。小単位、不定期というシェアサービスの特徴は地方圏の小規模マーケットのニーズに適合しており、企業による従来型のビジネスが展開しにくい地域でも、シェアサービスであれば対応可能とみられているからだ。地域社会の課題解決にも、シェアリングエコノミーが役立ち、それによって地域経済の活性化につながることが期待されている。

 ここでは、事例としてシェアサービスの代表であるホームシェアの民泊を挙げておきたい。民泊は、2018年6月から民泊新法の下に正式に全国で展開された。大都市圏では近隣住民の不安などから条例で上乗せ規制をする自治体もあるものの、訪日外国人にとってホームシェアは慣れ親しんだ宿泊方法であり、その誘致において民泊拡大は大きなアドバンテージとなる。民泊では、大都市圏が消極的である今が地方圏にとってのチャンスといえよう。

 また、ライドシェアについても、地方圏は利用が進みやすい素地がある。大都市圏ではタクシーがすでに普及しており、タクシー事業者の反対もあってライドシェアが正式に展開されるようになるには時間がかかりそうだ。一方、夕クシーがそれほど普及していない地方圏では、ライドシェアに対するタクシー事業者の反発は少ないとみられる。その上、高齢化が進む地方圏では自動車が運転できない高齢者が増加し、移動手段の不足が問題化し始めている。その対策として今、ライドシェアが注目されている。例えば、京都府の京丹後市では、企業によるタクシーサービスの確保が難しいため、ライドシェアに期待をかけ、実証実験を行っている。そして、訪日外国人はライドシェアに慣れ親しんでいる人も多く、訪日外国人誘致という点でもライドシェアが大きなアピールになろう。

 近年、2社以上のシェアサービス事業者と組んでいる自治体はシェアサービスの事業者団体からシェアリングシティと認定されるようになり、地方圏を中心にすでに15自治体が認定された(2018年5月現在)。地方が先導する形で、日本でもシェアリングエコノミーが拡大していきそうだ。
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キーワードで読み解く 産業集積・企業城下町

『キーワードで読み解く地方創生』より 産業集積・企業城下町 ⇒ 豊田市はどこへ行く! 負の財産を背負って。

ポイント

 ・高度経済成長期を中心に、各地に製造業の事業所が立地し、工業都市が形成された。特定の大企業グループと、その下請け、孫請け企業などから成る「企業城下町」も地域の発展に大きな役割を果たした。

 ・日本経済の成熟に伴い、産業集積にも変化が現れた。製造拠点から研究開発拠点や情報サービス拠点への移行が目指され、政府もこれを後押しする産業振興策を展開した。

 ・1990年代以降は、グローバルな競争が激化し、製造業の事業所の海外移転なども進行した。こうした中で、イノベーションを重視した産業振興が重点化されるようになっている。

エ業都市の発展と産業立地政策の展開

 わが国では、高度経済成長期を中心に、臨海部などに製造業の工場がまとまって立地するようになり、多くの工業都市や重化学コンビナートが形成された。こうした地域では、大企業の事業所とともに、そこに部品などを供給する下請けや孫請けの企業が層を成し、「産業集積」が生じた。

 産業集積は、その地元に雇用創出効果をもたらすことなどから、自治体は工場の誘致に積極的であったし、国も経済成長に資するものとして政策面で後押ししてきた。そうした産業立地政策の展開をまとめたものが表Iである。

 1960年代から70年代にかけては、「国土の均衡ある発展」という目標の下、地方への製造拠点誘致やそのための基盤の開発が主眼となっていた、続いて80年代の安定成長期に入ると、リサーチパーク等の整備が推進された。この頃まではハード面、「ハコモノ」への投資が優先されていたといえよう。

 80年代後半の「バブル」が崩壊した後、わが国の経済成長率が低下するようになると、地域産業の活性化策にも変化が現れ、個々の企業の事業カアップや事業者間のつながりがクローズアップされるようになった。そこには、大企業の工場などが海外に転出する動きが広がり、残された地場の中小企業が生き残りに力を尽くさざるを得なくなった背景もある。この時期の施策は、中小企業の技術力や経営力を高めたり、連携をサポートするメニューが増えてくる。

イノベーションを重視した産業振興へのシフト

 2000年代に入ると、地域政策はエリアを重視する傾向が強まった。地域を限定して規制の特例を設けたり、支援策を用意する「特区」制度が導入されたのもこの頃である。そして、企業のみならず大学や研究機関など地域に所在する諸主体が参画する形で、産業や技術の高度化を図る動きが広がった。産業クラスター計画や知的クラスター創成事業などは、その典型である。経済の停滞が長期化する中で、地域の総力を挙げての対応が進められた。

 そして、2010年代に入ると、イノベーションが強調される方向となった。半導体や家電品をはじめ、日本の製造業の競争力低下が懸念されるようになり、国内の大学の世界ランキングが低下するなど、国際的にトップレベルとされてきたわが国の研究力や技術力にも陰りが差してきた。そこで、イノベーション、とりわけ多様な主体が参加するオープンイノベーションの創出にスポットが当てられるようになった。

各地に形成された企業城下町とその変容

 わが国の戦後の経済発展において、製造業はその推進役であった。そうしたものづくりの拠点として大きな役割を果たしてきたのが、多数の事業所が集まる製造産業の集積都市である。中でも、大手の有カメーカーとそのグループ会社の事業所が集中し、さらにその下請け、孫請けとなる中堅・中小・零細企業が層を成す「企業城下町」は、わが国の産業発展を象徴する存在といえる。こうした都市では、有カメーカーと地場の事業者がタテのつながりを持つことで、頂点に立つ大企業の成功が取引のある地元の企業に恩恵をもたらし、地域経済の発展にも大きく寄与してきた。一方で、地場の事業者やそこで雇用される地域住民が大企業の事業活動を支えてきた面もあり、企業城下町では有力企業と地域との一蓮托生の関係が築かれてきたといえよう。

 臨海部の大規模な工業地帯では、複数の大企業と多数の中小事業者が網目状の取引関係を形成してきたのに対し、地方の中堅都市などでは、大黒柱となる企業が地場の企業を丸抱えしてきたような例が散見される。全国にはこうした企業城下町とされる都市がいくつかあるが、日立市、豊田市、門真市などは、とりわけ特定有力企業の城下町として有名である。

 こうした企業城下町も、1980年代半ば以降の急激な円高やアジア諸国の経済発展などによって、大きな変容を迫られてきた。大手メーカーといえども内外市場で厳しい競争を迫られるようになり、海外に生産拠点を移転させるケースも増えた。また、大企業による国内取引先の選別も進み、企業城下町の地場の企業の中には、取引が絞り込まれ、事業の縮小を余儀なくされるところも現れた。特定企業への依存度が高いだけに、頂点に立つメーカーの業績や事業行動が、中小事業者や地域経済を直撃したのである。

 このため、各地の企業城下町では、地域の産業と経済を守るための模索が続けられてきた。その主たる方向性は、個々の企業の競争力向上、取引関係の多角化、地域の事業者間のヨコの連携などである。産業集積都市としての地域資源の厚みは、生かし方次第で、依然として地域の大きな強みとなろう。

望まれる地域の個性を生かした産業振興

 地域の産業振興に関して、地方自治体は事業所の誘致に積極的である。人口減少、公共事業の縮減といった変化の中で、経済的自立には産業集積が有力な手立てとなるからである。進出企業への助成、工業団地の造成、技術支援機関の設置などが続けられてきており、政府もそのための支援措置を講じてきた。しかし、各地で似たような呼び込み策が取られたことで競合も生じ、取り組みが当初期待した効果を得られないケースも少なくなかった。

 企業誘致には自治体の助成が一定の効果を挙げてきたことは確かである。しかし、補助金の競い合いは自治体の財政負担ともなる一方、助成の有無は企業の立地選択要因の一つにすぎず、用地・人材などの地域資源の方が重視されるともいわれる。このため、各地固有の地の利を生かした集積が図られることが望ましい。それにより産業の適正配置も進み、わが国全体の活性化にも効果的であると考えられる。自治体の地域の個性を生かしたプランニング、そして事業者の創意と挑戦により、地域経済の自立的発展が進むことが期待される。
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