未唯への手紙
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グレートコメットの詳細
グレートコメットの詳細
グレートコメットの詳細が出た。東京でしかやんないんだ。1月いっぱい、毎日ダブルを含めてかなり過酷。そのうえ2月のロミジュリ の稽古するとしたら、いくちゃんは目一杯。
グレートコメットの配役は、性格も含めて、ほとんどわかる「戦争と平和」の最高の場面。ピエールは愛の告白をするところ。中学生の私にとってみたら、信じられない場面だった。公演を名古屋でやってもらえないか。
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グレートコメットの配役は、性格も含めて、ほとんどわかる「戦争と平和」の最高の場面。ピエールは愛の告白をするところ。中学生の私にとってみたら、信じられない場面だった。公演を名古屋でやってもらえないか。
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ミネルバ大学の教授法、キャンパス
『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』より ミネルバ大学は既存の大学とどう違うか?--ブルー・オーシャン戦略で見えた6つの特徴
教授法
教授法は、大学でおなじみの風景である大講堂での講義から、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学で採用されている少人数制の対話形式の授業(チュータリング)`まで、さまざまな「教え方」の形式が存在する。事前課題を課し、授業では教授による解説とグループワークが行われる「反転授業」と呼ばれる形式は、講義形式の授業に比べ、学生の学習効果が高いと評価されている。ただし、こうした学習効果の高い教授法が必ずしもすぐに大学の運営に取り入れられない実態については、第2章で述べた通りだ。
ミネルバ大学は講義を廃止している。ミネルバ大学が学生に提供する価値は知識ではなく知恵であるという行動指針に基づき、実際に授業中に教員が話せる時間を連続4分、90分の授業プラットフォームで行う授業は、教員と学生個人について発言量を計測することが可能だ。そのため、この方針は確実に実行される。
知識を取得するための基礎科目授業はMOOCを無料で利用できるのでミネルバ大学では取り扱わない。学生は授業で使用する教材を見て、ディスカッションのテーマである分野について必要な基礎知識は、自ら調べたうえで授業に臨む。
コスリン教授は、講義を提供しない理由について、次のように述べている。
「講義は教員にとっては最も効率のよい教え方だ。1人に教えるのも1000人に教えるのも、同じ内容の知識伝達をするなら、後者のほうがずっと効率がいい。しかし、これは学生の学び方から考えると最も学習効果が低いものだ」
誤解がないように補足すると、ミネルバ大学では「専門知識」をまったく教えないということではなく、2年生以降の専攻分野では、セミナーやチュータリング時に、教授ないしクラスメイトとの対話を通じ必要な専門知識の解釈について学ぶケースもある。
しかし、既存の大学と決定的に異なるのは、ミネルバ大学では知識そのものを解説するのではなく、その知識をどのように実社会に応用できるのかを学ぶのだ。
ミネルバ大学は定期テストも廃止した。教員の役割は、学生が知識を効果的に覚えているかどうかのテストで「A」評価を得られるように導くことではなく、担当した授業が終了した数年先でも、身につけた内容を効果的に運用できるように導くことである。この方針に基づき、学生の習熟度は事前課題、授業中の発言内容とプロジェクト学習の完成度によって審査される。
ベンによれば近年、トップ大学では学生の学ぶ時間が減少しているにもかかわらず、成績評価はインフレ傾向にあるという。
「イェール大学を例に取ろう。1963年には「A」は14%の学生にしか与えられていなかった。2015年は実に60%の学生が「A」を取っている」
ミネルバ大学では、1年次には成績は確定しない。実践的な知恵は、はじめて経験する状況でも有効に使えることが実感できないと。流暢に使いこなせるレベルに達したとは考えられない。そのため、2年生以降も学生が1年次に学んだ思考・コミュニケーション技法について評価を継続するのである。そして、その評価は、定期テストではなく、毎回の授業での発言やプロジェクトの成果物(レポートや共同学習者、プロジェクト・スポンサーからのフィードバック)を採点することによって行われる。
このように講義形式の授業と教員の発言量を減らし、テストではなく毎回の授業での発言を成績評価とすることで、ミネルバ大学では学生が能動的で質のよい発言を増やそうとする。さらにすべての授業が19人以下の学生で構成され、アクティブ・ラーニング・フォーラムの機能を活用することで、教員はほぼ均等に学生に発言機会を与えることができる。一人当たりの学生の発言回数、発言量ともにミネルバ大学の学生は大教室で講義を受けている既存の学生を大きく上回る。
アクティブ・ラーニング・フォーラムが可能にするのは、授業中の円滑なディベート・ディスカッションのファシリテーション支援だけではない。ミネルバ大学における教員の授業準備、学生の事前課題提出、授業の記録はすべてこのオンライン・プラットフォームを通じて行われるため、従来の教室型授業では実現できなかった学生の学び方、習熟度評価、フィードバック方法を可能にしている。こうした最新の情報技術の活用は、定点的な習熟度テストに代わり、効果的な習熟度の把握、モニタリング、学びのサポートを実現した。
ミネルバ大学はテクノロジーを現在の教授法に合わせようとするのではなく、教員が理想の教授法を実現できるためのテクノロジーを開発した。
キャンパス
ミネルバ大学は「都市をキャンパスにする」という方針を打ち出し、自前の資産を可能な限り持たない。
ミネルバ大学で唯一、既存の大学と同じような施設があるとすれば学生寮ということになるが、これも長期賃貸契約によって運営されている。学生寮は都市に存在する一般的なマンションに共有キッチン、シャワー・ルーム、談話室、洗濯室がある極めて簡素な仕様で、娯楽的要素はほぼゼロだ。
「簡素な学生寮」は「都市をキャンパスにする」ための施策でもある。こうすることで、学生は街に出て自分に必要な娯楽サービス、たとえばスポーツ・ジム、美味しいカフェを探す楽しみを自分の意思で選択・購入できる。
既存の大学は、広大な土地にさまざまな施設を建築し、その豪華さを競っている。100年以上の歴史を持つ大学ともなれば、施設の維持・管理だけでなく、近代化も必要だ。近年では大学ランキングの評価項目に学生寮の快適さが加わり、従来の学生スポーツヘの投資に加え、アスレチック、娯楽施設まで学生の学びには直結しない投資が盛んに行われ、学部運営費が増加する要因の1つとして取り上げられるようになった。
もはや大学はキャンパス内に都市機能を備え、学生はキャンパスの外に出ることもなく、1か月以上生活することも可能である。
筆者も海外の大学に留学した際、キャンパスの美しさや設備の豪華さに圧倒されたことはあったが、ミネルバ大学の考え方には共感する。筆者が留学したケンブリッジ大学の図書館は「英国で発行されたすべての本が収められている」とまで言われる蔵書数を誇っていたが、実際に図書館に行ったのは卒業生認定証の申し込みをするための1回だけだった。もっぱら大学院の小さな自習室からオンラインで論文検索を行うことで事足りたからだ。
図書館の蔵書数は、必ずしも学生が実際に借りられる本の数を意味しないし、有名な論文は大都市の図書館でも見つけられる。立派な講堂を建てても講義形式の授業を一方的に実施しているだけでは、学生にとって快適な睡眠場所になるだけである。
学生はキャンパスの中にいたほうが安全だ、という考え方も疑問だ。米国の有名大学では、学内レイプの問題が度々スクープされるが、実際のところ、事なかれ主義の大学が物事を公正に処理することはあまり期待できない。
ミネルバ大学のキャンパスに対する考え方は、ストイックな面も感じる一方で、既存大学にはない「卒業後に限りなく近い環境で、世界での生活を体感できる」経験を提供している。
教授法
教授法は、大学でおなじみの風景である大講堂での講義から、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学で採用されている少人数制の対話形式の授業(チュータリング)`まで、さまざまな「教え方」の形式が存在する。事前課題を課し、授業では教授による解説とグループワークが行われる「反転授業」と呼ばれる形式は、講義形式の授業に比べ、学生の学習効果が高いと評価されている。ただし、こうした学習効果の高い教授法が必ずしもすぐに大学の運営に取り入れられない実態については、第2章で述べた通りだ。
ミネルバ大学は講義を廃止している。ミネルバ大学が学生に提供する価値は知識ではなく知恵であるという行動指針に基づき、実際に授業中に教員が話せる時間を連続4分、90分の授業プラットフォームで行う授業は、教員と学生個人について発言量を計測することが可能だ。そのため、この方針は確実に実行される。
知識を取得するための基礎科目授業はMOOCを無料で利用できるのでミネルバ大学では取り扱わない。学生は授業で使用する教材を見て、ディスカッションのテーマである分野について必要な基礎知識は、自ら調べたうえで授業に臨む。
コスリン教授は、講義を提供しない理由について、次のように述べている。
「講義は教員にとっては最も効率のよい教え方だ。1人に教えるのも1000人に教えるのも、同じ内容の知識伝達をするなら、後者のほうがずっと効率がいい。しかし、これは学生の学び方から考えると最も学習効果が低いものだ」
誤解がないように補足すると、ミネルバ大学では「専門知識」をまったく教えないということではなく、2年生以降の専攻分野では、セミナーやチュータリング時に、教授ないしクラスメイトとの対話を通じ必要な専門知識の解釈について学ぶケースもある。
しかし、既存の大学と決定的に異なるのは、ミネルバ大学では知識そのものを解説するのではなく、その知識をどのように実社会に応用できるのかを学ぶのだ。
ミネルバ大学は定期テストも廃止した。教員の役割は、学生が知識を効果的に覚えているかどうかのテストで「A」評価を得られるように導くことではなく、担当した授業が終了した数年先でも、身につけた内容を効果的に運用できるように導くことである。この方針に基づき、学生の習熟度は事前課題、授業中の発言内容とプロジェクト学習の完成度によって審査される。
ベンによれば近年、トップ大学では学生の学ぶ時間が減少しているにもかかわらず、成績評価はインフレ傾向にあるという。
「イェール大学を例に取ろう。1963年には「A」は14%の学生にしか与えられていなかった。2015年は実に60%の学生が「A」を取っている」
ミネルバ大学では、1年次には成績は確定しない。実践的な知恵は、はじめて経験する状況でも有効に使えることが実感できないと。流暢に使いこなせるレベルに達したとは考えられない。そのため、2年生以降も学生が1年次に学んだ思考・コミュニケーション技法について評価を継続するのである。そして、その評価は、定期テストではなく、毎回の授業での発言やプロジェクトの成果物(レポートや共同学習者、プロジェクト・スポンサーからのフィードバック)を採点することによって行われる。
このように講義形式の授業と教員の発言量を減らし、テストではなく毎回の授業での発言を成績評価とすることで、ミネルバ大学では学生が能動的で質のよい発言を増やそうとする。さらにすべての授業が19人以下の学生で構成され、アクティブ・ラーニング・フォーラムの機能を活用することで、教員はほぼ均等に学生に発言機会を与えることができる。一人当たりの学生の発言回数、発言量ともにミネルバ大学の学生は大教室で講義を受けている既存の学生を大きく上回る。
アクティブ・ラーニング・フォーラムが可能にするのは、授業中の円滑なディベート・ディスカッションのファシリテーション支援だけではない。ミネルバ大学における教員の授業準備、学生の事前課題提出、授業の記録はすべてこのオンライン・プラットフォームを通じて行われるため、従来の教室型授業では実現できなかった学生の学び方、習熟度評価、フィードバック方法を可能にしている。こうした最新の情報技術の活用は、定点的な習熟度テストに代わり、効果的な習熟度の把握、モニタリング、学びのサポートを実現した。
ミネルバ大学はテクノロジーを現在の教授法に合わせようとするのではなく、教員が理想の教授法を実現できるためのテクノロジーを開発した。
キャンパス
ミネルバ大学は「都市をキャンパスにする」という方針を打ち出し、自前の資産を可能な限り持たない。
ミネルバ大学で唯一、既存の大学と同じような施設があるとすれば学生寮ということになるが、これも長期賃貸契約によって運営されている。学生寮は都市に存在する一般的なマンションに共有キッチン、シャワー・ルーム、談話室、洗濯室がある極めて簡素な仕様で、娯楽的要素はほぼゼロだ。
「簡素な学生寮」は「都市をキャンパスにする」ための施策でもある。こうすることで、学生は街に出て自分に必要な娯楽サービス、たとえばスポーツ・ジム、美味しいカフェを探す楽しみを自分の意思で選択・購入できる。
既存の大学は、広大な土地にさまざまな施設を建築し、その豪華さを競っている。100年以上の歴史を持つ大学ともなれば、施設の維持・管理だけでなく、近代化も必要だ。近年では大学ランキングの評価項目に学生寮の快適さが加わり、従来の学生スポーツヘの投資に加え、アスレチック、娯楽施設まで学生の学びには直結しない投資が盛んに行われ、学部運営費が増加する要因の1つとして取り上げられるようになった。
もはや大学はキャンパス内に都市機能を備え、学生はキャンパスの外に出ることもなく、1か月以上生活することも可能である。
筆者も海外の大学に留学した際、キャンパスの美しさや設備の豪華さに圧倒されたことはあったが、ミネルバ大学の考え方には共感する。筆者が留学したケンブリッジ大学の図書館は「英国で発行されたすべての本が収められている」とまで言われる蔵書数を誇っていたが、実際に図書館に行ったのは卒業生認定証の申し込みをするための1回だけだった。もっぱら大学院の小さな自習室からオンラインで論文検索を行うことで事足りたからだ。
図書館の蔵書数は、必ずしも学生が実際に借りられる本の数を意味しないし、有名な論文は大都市の図書館でも見つけられる。立派な講堂を建てても講義形式の授業を一方的に実施しているだけでは、学生にとって快適な睡眠場所になるだけである。
学生はキャンパスの中にいたほうが安全だ、という考え方も疑問だ。米国の有名大学では、学内レイプの問題が度々スクープされるが、実際のところ、事なかれ主義の大学が物事を公正に処理することはあまり期待できない。
ミネルバ大学のキャンパスに対する考え方は、ストイックな面も感じる一方で、既存大学にはない「卒業後に限りなく近い環境で、世界での生活を体感できる」経験を提供している。
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中国最大の悩みの種 縮まらない地域格差
『14歳から知っておきたい中国』より 大国中国の抱える問題
中国最大の悩みの種 縮まらない地域格差
潤う沿海部、瀕死の内陸部
現時点での最新データによれば、2017年における中国のGDP(国内総生産)は、82・7兆元(約1400兆円)に及んでいます。この内訳となるGRP(域内総生産)の一級行政区(省・自治区・直轄市)別ランキングを見ると、トップ3は沿海部の広東省、江蘇省、山東省で、GDPに占めるGRPの比率は各々10・9%。10・4%、8・8%でした。
これに対してワースト3は内陸部奥地のチベット自治区、青海省、寧夏回族自治区。当該比率はいずれも1%に満たず、順にO・2%、O・3%、O・4%でした。
もっとも、地域人口の多少がGRPの大小に直結するので、この数字だけで各行政区の実力を判断することはできません。
そこで1人当たりGRPの一級行政区別ランキングを見てみると、トップ3は直轄市である北京市、上海市、天津市で、共に12万元(約204万円)以上でした。
かたやワースト3は内陸に位置する甘粛省、雲南省、貴州省で、最下位の甘粛省はトップ3とは一桁違う2万9000元(約49万円)に過ぎません。
このように、中国はGDPで世界第2位を誇りながら、国内には大きな経済格差を抱えています。一級行政区のGRPは最大と最小で50倍以上の開きがあり、1人当たりGRPには最大・最小の間に4倍もの差が存在するのです。
一方、2017年9月に中国メディアが報じた地方政府の財政状況に関する記事によれば、2016年の財政収支が黒字なのは北京市、上海市、広東省、江蘇省、浙江省、福建省だけで、その財政黒字の合計は3兆元(約51兆円)でした。
しかし、残る25の地方政府は財政収支が赤字で、その財政赤字の合計額は4・8兆元(約82兆円)にも達しています。これら地方政府が財政赤字を解消する手段は、中央政府からの税収還付と財政移転に頼るしかありません。
そのため2017年に中央政府が地方政府支援のために行った税収還付と財政移転の総額は6・5兆元(約110兆円)にものぼり、中央政府の財政支出総額の68・6%を占めています。
中国の「改革開放の総設計師」といわれた那小平が唱えた「先富論」(可能な者から先に富裕になって、落伍した者を助けよという理論)は、上述した6つの地方政府を富裕化しましたが、落ちこぼれた25の地方政府は自立能力を失い、中央政府の支援なしでは財政破綻する状況に陥っています。
世界第2の経済大国である中国の内情は決して安泰といえるものではないのです。
国内の経済格差との戦いは今後どうなっていくのか
いまや世界第2の経済大国となった中国は、2020年までに「小康社会(いくらかゆとりのある社会)」を全面的に実現することを目標にしています。
ところが、「中国の特色ある社会主義」を標榜する社会主義国家でありながら、経済発展に伴い、中国では貧富の格差が拡大しています。国家統計局発表の「ジニ係数(貧富格差を測る指標)」は、2017年にはO・47に達しています。これは社会騒乱多発の警戒ラインとされるO・4を上回り、慢性的暴動が起こりやすいレベルとされるO・5~O・6に迫る数字です。
2014年に北京大学が発表した報告には、全国の1%を占める富裕家庭が国民財産の3分の1を所有し、25%を占める末端家庭が所有するのは1%前後に過ぎないとあり、この趨勢はさらに悪化しているものと考えられます。
中国国家統計局は2017年末における農村の貧困人口は3046万人で、前年より1289万人減少したと発表しています。中国政府は過去30年間で6億人を貧困から脱出させたと豪語し、毎月100万人の貧困人口を削減することで、2020年までに貧困人口をゼロにして小康社会を全面的に実現するとしています。
しかし、この前提となっている貧困ラインの1人当たり平均純収入2300元は1日当たり1米ドル相当で、世界銀行の貧困ライン基準である1日当たり1・9米ドルの半分に過ぎません。中国政府発表の貧困人口が正しいとしても、世界銀行の基準に当てはめれば、中国の貧困人口は2億人前後、実際には3億人前後と考えられます。
これでは小康社会の全面的な実現は不可能でしょう。中国の貧困人口の大部分は農村に住む人々です。中国の戸籍は都市部と農村部に分けられ、農村戸籍者は移動の制限など差別的な扱いを受けてきましたが、制度改正によ旦戸籍は一本化され、戸籍による差別は徐々に解消しつつあります。
このため農村部から都市部への出稼ぎ人口が急増し、許容限度を超えた諸都市で彼らを排斥する動きが活発化しています。こうした現状を踏まえると、中国政府が農村部に就業機会を積極的に創出し、出稼ぎすることなく「いくらかゆとりある生活」を送るのに必要な所得を得られるようにすることが小康社会実現に不可欠といえます。
中国最大の悩みの種 縮まらない地域格差
潤う沿海部、瀕死の内陸部
現時点での最新データによれば、2017年における中国のGDP(国内総生産)は、82・7兆元(約1400兆円)に及んでいます。この内訳となるGRP(域内総生産)の一級行政区(省・自治区・直轄市)別ランキングを見ると、トップ3は沿海部の広東省、江蘇省、山東省で、GDPに占めるGRPの比率は各々10・9%。10・4%、8・8%でした。
これに対してワースト3は内陸部奥地のチベット自治区、青海省、寧夏回族自治区。当該比率はいずれも1%に満たず、順にO・2%、O・3%、O・4%でした。
もっとも、地域人口の多少がGRPの大小に直結するので、この数字だけで各行政区の実力を判断することはできません。
そこで1人当たりGRPの一級行政区別ランキングを見てみると、トップ3は直轄市である北京市、上海市、天津市で、共に12万元(約204万円)以上でした。
かたやワースト3は内陸に位置する甘粛省、雲南省、貴州省で、最下位の甘粛省はトップ3とは一桁違う2万9000元(約49万円)に過ぎません。
このように、中国はGDPで世界第2位を誇りながら、国内には大きな経済格差を抱えています。一級行政区のGRPは最大と最小で50倍以上の開きがあり、1人当たりGRPには最大・最小の間に4倍もの差が存在するのです。
一方、2017年9月に中国メディアが報じた地方政府の財政状況に関する記事によれば、2016年の財政収支が黒字なのは北京市、上海市、広東省、江蘇省、浙江省、福建省だけで、その財政黒字の合計は3兆元(約51兆円)でした。
しかし、残る25の地方政府は財政収支が赤字で、その財政赤字の合計額は4・8兆元(約82兆円)にも達しています。これら地方政府が財政赤字を解消する手段は、中央政府からの税収還付と財政移転に頼るしかありません。
そのため2017年に中央政府が地方政府支援のために行った税収還付と財政移転の総額は6・5兆元(約110兆円)にものぼり、中央政府の財政支出総額の68・6%を占めています。
中国の「改革開放の総設計師」といわれた那小平が唱えた「先富論」(可能な者から先に富裕になって、落伍した者を助けよという理論)は、上述した6つの地方政府を富裕化しましたが、落ちこぼれた25の地方政府は自立能力を失い、中央政府の支援なしでは財政破綻する状況に陥っています。
世界第2の経済大国である中国の内情は決して安泰といえるものではないのです。
国内の経済格差との戦いは今後どうなっていくのか
いまや世界第2の経済大国となった中国は、2020年までに「小康社会(いくらかゆとりのある社会)」を全面的に実現することを目標にしています。
ところが、「中国の特色ある社会主義」を標榜する社会主義国家でありながら、経済発展に伴い、中国では貧富の格差が拡大しています。国家統計局発表の「ジニ係数(貧富格差を測る指標)」は、2017年にはO・47に達しています。これは社会騒乱多発の警戒ラインとされるO・4を上回り、慢性的暴動が起こりやすいレベルとされるO・5~O・6に迫る数字です。
2014年に北京大学が発表した報告には、全国の1%を占める富裕家庭が国民財産の3分の1を所有し、25%を占める末端家庭が所有するのは1%前後に過ぎないとあり、この趨勢はさらに悪化しているものと考えられます。
中国国家統計局は2017年末における農村の貧困人口は3046万人で、前年より1289万人減少したと発表しています。中国政府は過去30年間で6億人を貧困から脱出させたと豪語し、毎月100万人の貧困人口を削減することで、2020年までに貧困人口をゼロにして小康社会を全面的に実現するとしています。
しかし、この前提となっている貧困ラインの1人当たり平均純収入2300元は1日当たり1米ドル相当で、世界銀行の貧困ライン基準である1日当たり1・9米ドルの半分に過ぎません。中国政府発表の貧困人口が正しいとしても、世界銀行の基準に当てはめれば、中国の貧困人口は2億人前後、実際には3億人前後と考えられます。
これでは小康社会の全面的な実現は不可能でしょう。中国の貧困人口の大部分は農村に住む人々です。中国の戸籍は都市部と農村部に分けられ、農村戸籍者は移動の制限など差別的な扱いを受けてきましたが、制度改正によ旦戸籍は一本化され、戸籍による差別は徐々に解消しつつあります。
このため農村部から都市部への出稼ぎ人口が急増し、許容限度を超えた諸都市で彼らを排斥する動きが活発化しています。こうした現状を踏まえると、中国政府が農村部に就業機会を積極的に創出し、出稼ぎすることなく「いくらかゆとりある生活」を送るのに必要な所得を得られるようにすることが小康社会実現に不可欠といえます。
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迷走する中国の人口政策が生んだ一人っ子世代とその世界
『14歳から知っておきたい中国』より これが現代中国の普通の暮らし
迷走する中国の人口政策が生んだ一人っ子世代とその世界
世界最大の人口を抱えて
中国の政策といえば、真っ先に一人っ子政策を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。夫婦一組につき子供は一人だけ、と定めたこの政策は、14億人に迫る世界最大の人口を抱えて迷走する中国の姿を浮き彫りにしています。
1949年に誕生した新生中国は、古い因習にとらわれない婚姻制度を打ち出し、結婚・出産を奨励しました。その結果、結婚ブームが巻き起こり、約5億4000万人だった人口が、わずか4年後の1953年には6億人を突破。このまま増え続ければ、食糧難に陥る恐れがありました。しかし、時の国家主席毛沢東は、中国経済を飛躍的に発展させるべく「大躍進政策」に乗り出し、人口が増えれば労働力が増え、生産量向上につながると考え、「産めよ増やせよ」のスローガンのもとに人口増を奨励しました。
ところが大躍進政策は大失敗に終わります。飢饉によって4000万人以上の餓死者が出たにもかかわらず、中国全体の人口は増え続け、1969年には8億人を突破。明らかに毛沢東の誤算でした。
36年続いた一人っ子政策
毛沢東亡きあと、中国は大胆な人口抑制政策に乗り出します。それが1979年から施行された一人っ子政策でした。
「一人っ子宣言」をした夫婦には様々な優遇措置がとられ、違反した夫婦には罰則が科せられました。その結果、著しい人口増には歯止めがかかりましたが、新たな問題が浮上します。若い労働力が増えない一方で、平均寿命が延びて高齢者が増え、どの国よりも急速に少子高齢化が進んでしまったのです。
そこで、2013年には夫婦どちらかが一人っ子であれば二人目の子供をもてるよう、規制を緩和。さらに2015年には、ついに一人っ子政策を廃止し、誰もが二人まで子供がもてる「二人っ子政策」に転じます。しかし、その時点で中国の合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)は、西欧先進諸国並みの1・6まで下がっていました。中国当局は、二人っ子政策によって出生率が回復すると見ていますが、施行3年目を迎えたいまも、その成果は現れていません。
一人っ子政策の初期に生まれた子供たちは、すでに30代。両親から溺愛されて育った一人っ子たちは、わがままで協調性に乏しく、「小皇帝」とも呼ばれています。彼らが社会の中枢を担うようになった時、中国はどう変わっていくのでしょう。
中国の一人っ子を待っている大学入試「高考(ガオカオ)」地獄の門
受験が競争社会への第一歩
家の中では蝶よ花よとおだてられて育った一人っ子たち。しかし、一歩外に出れば熾烈な現代中国の競争社会が待ち構えています。その最初の関門が、大学受験です。
中国は日本以上に学歴社会であり、どの大学に入るかによって、その後の人生が大きく左右されてしまいます。多くの親が望むのは、我が子が重点大学と呼ばれる名門校に進むこと。その狭き門を目指して、受験生は寝る間も惜しんで勉強に励みます。
中国の新学期は9月。毎年6月になると、通称「高考(ガオカオ)」と呼ばれる全国大学統一入学試験が実施されます。日本の大学入試センター試験とも似ていますが、ごく一部の例外を除いて大学ごとの試験はありません。受験生は複数の大学に出願できますが、高考の点数だけで合否が決まる一発勝負。しかも成績上位者から順に、いい大学に振り分けられるわけではありません。受験においても中国特有の地域格差があり、受験生の戸籍がある省や自治区によって、大学の定員数も合格ラインも異なるのです。
これは、人口の流動を防ぐためともされています。例えば、合格ラインの低い地域でトップの成績を上げた受験生は、重点大学に入学できるのに、合格ラインの高い地域で同じ点数をとった受験生は、二流大学しか入れない、といった理不尽が生じます。そのため、子供の戸籍を受験に有利な地域に移そうと画策する親もいるほどです。
高考が初めて実施されたのは1952年。文化大革命で一時中止されましたが、1977年に復活。以来40年以上続き、受験当日、会場の外に付き添いの親や親族が溢れ、受験生か遅刻しないよう交通規制が敷かれるようすは、いまや風物詩となっています。近年では、あの手この手のカンニングや不正入学も過熱化し、不合格を苦にした自殺も相次いでいます。この悲喜こもごもの受験戦争を嫌って、海外に留学する学生が増え、その数は年間60万人にも達するといわれています。
さあ大学卒業だ、就職だ ところが時代は最大の就職氷河期に
就職できない若者たちが増大
4年間の大学生活を終えた一人っ子たちを、次に待ち構えるのは未曽有の就職難です。かつての中国では、大卒者はエリートとして将来を約束されていました。しかし、1998年に大学の規模を拡大する政策が実施され、大学の数も定員数も増大。その結果、98年に90万人に満たなかった卒業生の数は、2016年には760万人に膨れ上がるまでになりました。
しかも、職を求めるのは大卒者だけではありません。再就職先を探す一般労働者や、海外留学からの帰国者も、膨大な数にのぼります。さらに中国の産業界は、エリート意識の強い大卒者が希望するホワイトカラー(頭脳労働者)より、即戦力になるブルーカラー(生産現場の労働者)をより多く必要としているのが現状です。その結果、仕事はあっても、学生の希望と企業側が求める人材との間にミスマッチが生じているため、就職できない若者が増加し、社会問題ともなっています。
その代表的な例が「蟻族」です。地方出身者は、都市部の大学に通っている間は都市戸籍が与えられますが、卒業して都会で職が得られなければ、農村戸籍に戻ってしまいます。それでも田舎に帰らず、都会で集団生活を送るのが、蟻族と呼ばれる高学歴の若者たちです。都市戸籍をもたない彼らは、非正規雇用の安い仕事に甘んじて暮らしをしのいでいます。
また、就職をあきらめ、実家に戻って親のすねをかじる「傍老族」、日本でいうところのパラサイトシングルも増えています。経済力のある親の資金で海外留学する若者も多く、近年は特にアメリカヘの留学生か急増しています。
一方、就職できた若者も、これで安泰というわけではありません。新卒者の初任給は、大都市でも平均5000元(約8万5000円)に届かないのが現状です。そのため、より給与の高い職を求めて転職を繰り返す若者も少なくありません。
一人っ子同士の結婚で男子はこんなに大変だ
男性過剰で独身者が増加
大学受験、就職に次ぐ人生のハードルは、一人っ子同士の結婚です。
36年続いた一人っ子政策は、男女の出生率にいびつな差をもたらしました。一人しか子供がもてないため、跡継ぎとして男児を望む夫婦が多く、特に農村部では女児受難の時代が続きました。労働力にならない女児は、生まれても葬られてしまったり、戸籍のないまま隠すようにして育てられたりしたのです。1980年代以降、胎児の性別判断ができるようになると、都市部でも計画的に男児を出産する風潮が高まりました。その結果、いまや結婚適齢期の男性が女性より1300万人以上も多いという「男性余り」の状態を引き起こしています。
そのうえ、女性が高学歴化し、社会進出するようになったため、女性が男性を選ぶ時代になりました。女性たちが理想とするのは、「高富帥」。背が高く金持ちでかっこいい、いねば中国版の3高です。それも都会に家や車をもつ男性であれば言うことなし。都会に住んでいても、農村の貧しい家庭から身を起こした「鳳凰男」は、都会育ちの女性とは価値観が合わず、結婚しても長続きしないと敬遠されがちです。
こうして、男性はふるいにかけられ、女性は高望みするあまりに、男女ともに独身者が増加。必死に相手探しをする農村部の男性とは対象的に、都市部では、高収入を得て自由な生活を楽しみ、自らの意思で結婚しない女性も増えています。
新居と結納金のない男性は論外!?
中国では、結婚前に男性側が「婚房」と呼ばれる新居を用意するのが、伝統的な習わしです。これは現在も変わらず、結婚相手も決まらないうちから、それどころか男児が生まれたらすぐに、婚房用の家の用意を始める家庭もあるほどです。
高度成長で不動産が高騰する現在、20代の若者が都会のマンションを買うのは容易ではありません。親の援助を得て、ようやくマンションを手に入れても、次は新婦の好みに合わせて内装をしつらえなければなりません。こうした新居費用に加え、結納金を納める風習があるため、新郎側には大きな経済的負担がかかります。たとえ本人同士の相性がよくても、お金が関わることとなると、両家の親たちが口出しし、縁談がまとまらないケースも少なくありません。
また、めでたく結婚しても、強くなった女性たちが離婚を厭わなくなったこともあり、離婚率が高まっています。一人っ子政策は、中国の家族のあり方を変え、様々な問題をもたらしているのです。
迷走する中国の人口政策が生んだ一人っ子世代とその世界
世界最大の人口を抱えて
中国の政策といえば、真っ先に一人っ子政策を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。夫婦一組につき子供は一人だけ、と定めたこの政策は、14億人に迫る世界最大の人口を抱えて迷走する中国の姿を浮き彫りにしています。
1949年に誕生した新生中国は、古い因習にとらわれない婚姻制度を打ち出し、結婚・出産を奨励しました。その結果、結婚ブームが巻き起こり、約5億4000万人だった人口が、わずか4年後の1953年には6億人を突破。このまま増え続ければ、食糧難に陥る恐れがありました。しかし、時の国家主席毛沢東は、中国経済を飛躍的に発展させるべく「大躍進政策」に乗り出し、人口が増えれば労働力が増え、生産量向上につながると考え、「産めよ増やせよ」のスローガンのもとに人口増を奨励しました。
ところが大躍進政策は大失敗に終わります。飢饉によって4000万人以上の餓死者が出たにもかかわらず、中国全体の人口は増え続け、1969年には8億人を突破。明らかに毛沢東の誤算でした。
36年続いた一人っ子政策
毛沢東亡きあと、中国は大胆な人口抑制政策に乗り出します。それが1979年から施行された一人っ子政策でした。
「一人っ子宣言」をした夫婦には様々な優遇措置がとられ、違反した夫婦には罰則が科せられました。その結果、著しい人口増には歯止めがかかりましたが、新たな問題が浮上します。若い労働力が増えない一方で、平均寿命が延びて高齢者が増え、どの国よりも急速に少子高齢化が進んでしまったのです。
そこで、2013年には夫婦どちらかが一人っ子であれば二人目の子供をもてるよう、規制を緩和。さらに2015年には、ついに一人っ子政策を廃止し、誰もが二人まで子供がもてる「二人っ子政策」に転じます。しかし、その時点で中国の合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)は、西欧先進諸国並みの1・6まで下がっていました。中国当局は、二人っ子政策によって出生率が回復すると見ていますが、施行3年目を迎えたいまも、その成果は現れていません。
一人っ子政策の初期に生まれた子供たちは、すでに30代。両親から溺愛されて育った一人っ子たちは、わがままで協調性に乏しく、「小皇帝」とも呼ばれています。彼らが社会の中枢を担うようになった時、中国はどう変わっていくのでしょう。
中国の一人っ子を待っている大学入試「高考(ガオカオ)」地獄の門
受験が競争社会への第一歩
家の中では蝶よ花よとおだてられて育った一人っ子たち。しかし、一歩外に出れば熾烈な現代中国の競争社会が待ち構えています。その最初の関門が、大学受験です。
中国は日本以上に学歴社会であり、どの大学に入るかによって、その後の人生が大きく左右されてしまいます。多くの親が望むのは、我が子が重点大学と呼ばれる名門校に進むこと。その狭き門を目指して、受験生は寝る間も惜しんで勉強に励みます。
中国の新学期は9月。毎年6月になると、通称「高考(ガオカオ)」と呼ばれる全国大学統一入学試験が実施されます。日本の大学入試センター試験とも似ていますが、ごく一部の例外を除いて大学ごとの試験はありません。受験生は複数の大学に出願できますが、高考の点数だけで合否が決まる一発勝負。しかも成績上位者から順に、いい大学に振り分けられるわけではありません。受験においても中国特有の地域格差があり、受験生の戸籍がある省や自治区によって、大学の定員数も合格ラインも異なるのです。
これは、人口の流動を防ぐためともされています。例えば、合格ラインの低い地域でトップの成績を上げた受験生は、重点大学に入学できるのに、合格ラインの高い地域で同じ点数をとった受験生は、二流大学しか入れない、といった理不尽が生じます。そのため、子供の戸籍を受験に有利な地域に移そうと画策する親もいるほどです。
高考が初めて実施されたのは1952年。文化大革命で一時中止されましたが、1977年に復活。以来40年以上続き、受験当日、会場の外に付き添いの親や親族が溢れ、受験生か遅刻しないよう交通規制が敷かれるようすは、いまや風物詩となっています。近年では、あの手この手のカンニングや不正入学も過熱化し、不合格を苦にした自殺も相次いでいます。この悲喜こもごもの受験戦争を嫌って、海外に留学する学生が増え、その数は年間60万人にも達するといわれています。
さあ大学卒業だ、就職だ ところが時代は最大の就職氷河期に
就職できない若者たちが増大
4年間の大学生活を終えた一人っ子たちを、次に待ち構えるのは未曽有の就職難です。かつての中国では、大卒者はエリートとして将来を約束されていました。しかし、1998年に大学の規模を拡大する政策が実施され、大学の数も定員数も増大。その結果、98年に90万人に満たなかった卒業生の数は、2016年には760万人に膨れ上がるまでになりました。
しかも、職を求めるのは大卒者だけではありません。再就職先を探す一般労働者や、海外留学からの帰国者も、膨大な数にのぼります。さらに中国の産業界は、エリート意識の強い大卒者が希望するホワイトカラー(頭脳労働者)より、即戦力になるブルーカラー(生産現場の労働者)をより多く必要としているのが現状です。その結果、仕事はあっても、学生の希望と企業側が求める人材との間にミスマッチが生じているため、就職できない若者が増加し、社会問題ともなっています。
その代表的な例が「蟻族」です。地方出身者は、都市部の大学に通っている間は都市戸籍が与えられますが、卒業して都会で職が得られなければ、農村戸籍に戻ってしまいます。それでも田舎に帰らず、都会で集団生活を送るのが、蟻族と呼ばれる高学歴の若者たちです。都市戸籍をもたない彼らは、非正規雇用の安い仕事に甘んじて暮らしをしのいでいます。
また、就職をあきらめ、実家に戻って親のすねをかじる「傍老族」、日本でいうところのパラサイトシングルも増えています。経済力のある親の資金で海外留学する若者も多く、近年は特にアメリカヘの留学生か急増しています。
一方、就職できた若者も、これで安泰というわけではありません。新卒者の初任給は、大都市でも平均5000元(約8万5000円)に届かないのが現状です。そのため、より給与の高い職を求めて転職を繰り返す若者も少なくありません。
一人っ子同士の結婚で男子はこんなに大変だ
男性過剰で独身者が増加
大学受験、就職に次ぐ人生のハードルは、一人っ子同士の結婚です。
36年続いた一人っ子政策は、男女の出生率にいびつな差をもたらしました。一人しか子供がもてないため、跡継ぎとして男児を望む夫婦が多く、特に農村部では女児受難の時代が続きました。労働力にならない女児は、生まれても葬られてしまったり、戸籍のないまま隠すようにして育てられたりしたのです。1980年代以降、胎児の性別判断ができるようになると、都市部でも計画的に男児を出産する風潮が高まりました。その結果、いまや結婚適齢期の男性が女性より1300万人以上も多いという「男性余り」の状態を引き起こしています。
そのうえ、女性が高学歴化し、社会進出するようになったため、女性が男性を選ぶ時代になりました。女性たちが理想とするのは、「高富帥」。背が高く金持ちでかっこいい、いねば中国版の3高です。それも都会に家や車をもつ男性であれば言うことなし。都会に住んでいても、農村の貧しい家庭から身を起こした「鳳凰男」は、都会育ちの女性とは価値観が合わず、結婚しても長続きしないと敬遠されがちです。
こうして、男性はふるいにかけられ、女性は高望みするあまりに、男女ともに独身者が増加。必死に相手探しをする農村部の男性とは対象的に、都市部では、高収入を得て自由な生活を楽しみ、自らの意思で結婚しない女性も増えています。
新居と結納金のない男性は論外!?
中国では、結婚前に男性側が「婚房」と呼ばれる新居を用意するのが、伝統的な習わしです。これは現在も変わらず、結婚相手も決まらないうちから、それどころか男児が生まれたらすぐに、婚房用の家の用意を始める家庭もあるほどです。
高度成長で不動産が高騰する現在、20代の若者が都会のマンションを買うのは容易ではありません。親の援助を得て、ようやくマンションを手に入れても、次は新婦の好みに合わせて内装をしつらえなければなりません。こうした新居費用に加え、結納金を納める風習があるため、新郎側には大きな経済的負担がかかります。たとえ本人同士の相性がよくても、お金が関わることとなると、両家の親たちが口出しし、縁談がまとまらないケースも少なくありません。
また、めでたく結婚しても、強くなった女性たちが離婚を厭わなくなったこともあり、離婚率が高まっています。一人っ子政策は、中国の家族のあり方を変え、様々な問題をもたらしているのです。
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スイスが共同体をその根底に持つことの意味
『スイスが問う日本の明日』より 共同体 スイスの本質
スイスが共同体をその根底に持つことの意味
スイスが共同体としての性質をその根底に持ち、従ってこれを考える際、国家というより共同体としての性質に着目した方がその本質をよりよく理解できる、ということはいくつかのことを含意する。
第一は、スイスの物事の決め方である。
凡そ政治とは、社会の込み入った利害関係の中にあって、その間の調整を図り物事を決定していくプロセスである。古来、このプロセスのシステムとして専制主義や全体主義があり、近年、世界で民主主義が優勢である。スイスが民主主義国家であることは言うまでもないが、民主主義の概念でこの国を一括りするより、共同体という側面により多くの光を当て、決定のプロセスを考えていった方がよく分かるのではないか、ということである。
第二は、政治の決定とは、絡み合った利害関係の中で一つの方向性を出し利害関係者全員をそれに従わせることである。
統治とは、政治の決定権者が自らの意思を集団の構成員に押し付けることである。民主主義とは、決定権者は国民自身であり、従って、これは「押し付け」ではないと論理構成したものである。決定権者は「意思の押し付け」をスムーズにするため様々な手法を用いる。その一つに「権威」がある。スイスが共同体であるとは、そこでは、権威が他の国の権威となにがしか違った様相を帯びているに違いない。
第三は、スイスの本質が共同体であるとは、スイスが、共同体でない、つまり、国家的である要素を持つことを排除するものではない。
現にスイスでは、歴史の流れにおいてこの両者のせめぎあいがあり、その結果として、一方が他方を完全に排除することなく現在に至っている。二つの要素の間には微妙なバランスが保たれているのであり、この点にこそスイス人の知恵があるのである。
以下、これらの点を具体の事例に即して見ていく。
ランツゲマインデ
グラールス州とアッペンツェル・インナーローデン州に現在も残るランツゲマインデは昔ながらの共同体を彷彿とさせる。
ランツゲマインデは、スイスの直接民主制を示すものとして名高い。
集会の日、成人男子の住民が剣を手にして共同体の広場に集まる。戦いの集団たる共同体であることが人々の腰に差された剣に現れている。それは戦いの集団であるが故に、構成員は成人でなければならず、また男子でなければならない。
人々はそこで、共同体が抱えるあらゆる問題を提起し、議論を重ねる。決定は構成員全員の合意による。従って、個々の構成員は決定に責任を負わねばならない。討議事項は自らの生活に直結した事柄である。議論は否が応にも白熱する。
これがスイス政治の基礎にあり、スイスは今もこの共同体精神を受け継ぐ。
その共同体精神とは、身近な生活の問題は共同体の構成員が合議により解決する、ということであり、民主主義と大上段に振りかぶることもない、共同体ならどこでもあるような寄り合いの精神である。ただそれが、独立を脅かされるとき、剣を持って戦うとの点で激しさを帯びる。独立に関係しなくても、討議事項が一人一人の生活に直結する問題なので議論は真剣そのものになる。腰の剣はその真剣さを表す。
要するに、スイスにあっては全てが抽象でなく具体なのだが、そうなるのは共同体が地理的に限られ互いが顔見知りの者で構成されることによる。スイスにあっては山を越えた向こうは他人事である。ランツゲマインデ自体は現在二つのカントンに残存するのみである。しかし、その精神はスイス全土に及ぶ。
ベルンの週末の談笑
週末の朝、一一時頃、ベルンから三〇分ほども車を走らせ、市の中心部から離れた、何ということもない小さな料理屋に入る。すると決まって、数人が一つのグループになり楽しそうに談笑している姿に出くわす。
これこそがスイス共同体の姿である。互いに気心が知れ、気の置けない仲間同士が、週末の朝遅くブランチを共にする。誰ともなく、近頃の出来事を話しだし、誰それがどうした、と話か盛り上がる。その間、絶えず笑いが渦巻き、和気蕩々とした雰囲気があたりを支配する。
なんとも楽しそうな、気の置けない仲間内の会話、誰もがくつろぎ、心から会話を楽しみ、腹を抱えて笑い、週末の朝のひと時を共にする。何かの目的があって食事を共にするのではない。ただ、気心が知れた者同士が、自然と集まり、家族も交え話に花を咲かせる。
それが何とも楽しく、互いが互いを認め合い、冗談を連発させ、笑いの中に互いの生存を確認する。そうやって時間を共にすることにより共同体の絆は強化されるが、しかし、人々はそのために集まるのではない。ただ、時間を共にすることが楽しいから、ただ話に花を咲かせるのが嬉しいからやって来る。
勿論、話題は広範囲に及ぶ。どこそこの誰々はこうしたらいいと言っていた。もっともな話だから今度村の会議で検討してみよう。どこそこの橋はもう古い。壊れては危険だから早目に直さなければだめだ、等々。そういうことが、人々の談笑の中で自然にふれられていく。
人々は、週末のゆったりした時間をこうやって過ごす。ここにスイスの共同体の原始的姿がある。スイスの民主主義も、スイスの中立も、スイスの繁栄も、この週末の、スイス人が集まり輪になって談笑する姿にこそ、その根本の拠って立つところがある。
スイスの民主主義は観念ではない。それは頭から生まれたものではなく、人々が普段の生活を共にする中から生まれたものである。
ベルン駅前の景観に関する国民投票
ベルン駅前は、いくつものバスや路面電車の路線が交差するターミナルである。駅前の広場を挟み商店街が軒を連ね、中世からのアーケードが延びる。人々はアーケードを通り雨の日も濡れずに買い物ができるが、ターミナル自体は覆いがなく、青空に露出する。人々はそこにも覆いをつけ、雨に濡れずに買い物ができるようにしたいと考えた。
しかし、ベルンは中世の面影が残る、しっとりとした佇まいの町である。そこに、いきなり巨大な覆いが出現しターミナル全体を覆えば、それまでの景観は一気に損なわれかねない。景観をとるか、雨に濡れない利便をとるか。市民を二分した論争が起きた。
結局、住民投票が実施され利便派が勝利を収めた。景観派は敗北を喫し泣く泣く引き下がった。しかし景観派も住民投票の結果は尊重する。それが、共同体がまとまって存続していくための条件である。
スイスでは有権者の意思を頻繁に確認する。こういうことまでいちいち有権者に聞くのか、と思うことも少なくない。かくてスイス人は連邦レペルの投票のため年に数回足を運ぶ。これに州レベルと市町村レベルの投票が加わる。実に国も、州も、市町村も常に有権者にお伺いを立てるのである。
連邦レベルの国民投票には、イニシアティブとレファレンダム(義務的及び任意的)がある。
イニシアティブは、有権者一〇万人以上の署名を集めれば憲法改正を発議できるとするものである。レファレンダム(任意)は、五万人以上の署名により連邦議会が可決した法律を国民が再審査する。
この国民投票の制度が、ランツゲマインデの精神から発していることはいうまでもない。人々は、自分の生活に直結する事項を自ら決しその結果に責任を負わなければならない。代表を選び議会に送り後はその者に任せる、との姿勢は共同体スイスにとり受け入れられない。
これには色々な批判がある。そもそも、頻繁な国民投票の制度はスイスのような小さい国だからできることであり規模の大きな国にそのまま当てはめるわけにはいかない。国民投票は、ムードに流され、懸案の事項だけでなく、時の政治問題一般がからんだ投票になりやすい。例えば、最近では英国のEU離脱が良い例である、とされる。国民投票は色々な問題はあるが、その最も根本の所に於いて、自らの生活の事柄は自らが決し責任を負うとの思想がある。国(州、市町村)は、その制度を通し、国民にそういう姿勢を持ち続けることを要求する。共同体スイスとして最も重要なところである。
スイスが共同体をその根底に持つことの意味
スイスが共同体としての性質をその根底に持ち、従ってこれを考える際、国家というより共同体としての性質に着目した方がその本質をよりよく理解できる、ということはいくつかのことを含意する。
第一は、スイスの物事の決め方である。
凡そ政治とは、社会の込み入った利害関係の中にあって、その間の調整を図り物事を決定していくプロセスである。古来、このプロセスのシステムとして専制主義や全体主義があり、近年、世界で民主主義が優勢である。スイスが民主主義国家であることは言うまでもないが、民主主義の概念でこの国を一括りするより、共同体という側面により多くの光を当て、決定のプロセスを考えていった方がよく分かるのではないか、ということである。
第二は、政治の決定とは、絡み合った利害関係の中で一つの方向性を出し利害関係者全員をそれに従わせることである。
統治とは、政治の決定権者が自らの意思を集団の構成員に押し付けることである。民主主義とは、決定権者は国民自身であり、従って、これは「押し付け」ではないと論理構成したものである。決定権者は「意思の押し付け」をスムーズにするため様々な手法を用いる。その一つに「権威」がある。スイスが共同体であるとは、そこでは、権威が他の国の権威となにがしか違った様相を帯びているに違いない。
第三は、スイスの本質が共同体であるとは、スイスが、共同体でない、つまり、国家的である要素を持つことを排除するものではない。
現にスイスでは、歴史の流れにおいてこの両者のせめぎあいがあり、その結果として、一方が他方を完全に排除することなく現在に至っている。二つの要素の間には微妙なバランスが保たれているのであり、この点にこそスイス人の知恵があるのである。
以下、これらの点を具体の事例に即して見ていく。
ランツゲマインデ
グラールス州とアッペンツェル・インナーローデン州に現在も残るランツゲマインデは昔ながらの共同体を彷彿とさせる。
ランツゲマインデは、スイスの直接民主制を示すものとして名高い。
集会の日、成人男子の住民が剣を手にして共同体の広場に集まる。戦いの集団たる共同体であることが人々の腰に差された剣に現れている。それは戦いの集団であるが故に、構成員は成人でなければならず、また男子でなければならない。
人々はそこで、共同体が抱えるあらゆる問題を提起し、議論を重ねる。決定は構成員全員の合意による。従って、個々の構成員は決定に責任を負わねばならない。討議事項は自らの生活に直結した事柄である。議論は否が応にも白熱する。
これがスイス政治の基礎にあり、スイスは今もこの共同体精神を受け継ぐ。
その共同体精神とは、身近な生活の問題は共同体の構成員が合議により解決する、ということであり、民主主義と大上段に振りかぶることもない、共同体ならどこでもあるような寄り合いの精神である。ただそれが、独立を脅かされるとき、剣を持って戦うとの点で激しさを帯びる。独立に関係しなくても、討議事項が一人一人の生活に直結する問題なので議論は真剣そのものになる。腰の剣はその真剣さを表す。
要するに、スイスにあっては全てが抽象でなく具体なのだが、そうなるのは共同体が地理的に限られ互いが顔見知りの者で構成されることによる。スイスにあっては山を越えた向こうは他人事である。ランツゲマインデ自体は現在二つのカントンに残存するのみである。しかし、その精神はスイス全土に及ぶ。
ベルンの週末の談笑
週末の朝、一一時頃、ベルンから三〇分ほども車を走らせ、市の中心部から離れた、何ということもない小さな料理屋に入る。すると決まって、数人が一つのグループになり楽しそうに談笑している姿に出くわす。
これこそがスイス共同体の姿である。互いに気心が知れ、気の置けない仲間同士が、週末の朝遅くブランチを共にする。誰ともなく、近頃の出来事を話しだし、誰それがどうした、と話か盛り上がる。その間、絶えず笑いが渦巻き、和気蕩々とした雰囲気があたりを支配する。
なんとも楽しそうな、気の置けない仲間内の会話、誰もがくつろぎ、心から会話を楽しみ、腹を抱えて笑い、週末の朝のひと時を共にする。何かの目的があって食事を共にするのではない。ただ、気心が知れた者同士が、自然と集まり、家族も交え話に花を咲かせる。
それが何とも楽しく、互いが互いを認め合い、冗談を連発させ、笑いの中に互いの生存を確認する。そうやって時間を共にすることにより共同体の絆は強化されるが、しかし、人々はそのために集まるのではない。ただ、時間を共にすることが楽しいから、ただ話に花を咲かせるのが嬉しいからやって来る。
勿論、話題は広範囲に及ぶ。どこそこの誰々はこうしたらいいと言っていた。もっともな話だから今度村の会議で検討してみよう。どこそこの橋はもう古い。壊れては危険だから早目に直さなければだめだ、等々。そういうことが、人々の談笑の中で自然にふれられていく。
人々は、週末のゆったりした時間をこうやって過ごす。ここにスイスの共同体の原始的姿がある。スイスの民主主義も、スイスの中立も、スイスの繁栄も、この週末の、スイス人が集まり輪になって談笑する姿にこそ、その根本の拠って立つところがある。
スイスの民主主義は観念ではない。それは頭から生まれたものではなく、人々が普段の生活を共にする中から生まれたものである。
ベルン駅前の景観に関する国民投票
ベルン駅前は、いくつものバスや路面電車の路線が交差するターミナルである。駅前の広場を挟み商店街が軒を連ね、中世からのアーケードが延びる。人々はアーケードを通り雨の日も濡れずに買い物ができるが、ターミナル自体は覆いがなく、青空に露出する。人々はそこにも覆いをつけ、雨に濡れずに買い物ができるようにしたいと考えた。
しかし、ベルンは中世の面影が残る、しっとりとした佇まいの町である。そこに、いきなり巨大な覆いが出現しターミナル全体を覆えば、それまでの景観は一気に損なわれかねない。景観をとるか、雨に濡れない利便をとるか。市民を二分した論争が起きた。
結局、住民投票が実施され利便派が勝利を収めた。景観派は敗北を喫し泣く泣く引き下がった。しかし景観派も住民投票の結果は尊重する。それが、共同体がまとまって存続していくための条件である。
スイスでは有権者の意思を頻繁に確認する。こういうことまでいちいち有権者に聞くのか、と思うことも少なくない。かくてスイス人は連邦レペルの投票のため年に数回足を運ぶ。これに州レベルと市町村レベルの投票が加わる。実に国も、州も、市町村も常に有権者にお伺いを立てるのである。
連邦レベルの国民投票には、イニシアティブとレファレンダム(義務的及び任意的)がある。
イニシアティブは、有権者一〇万人以上の署名を集めれば憲法改正を発議できるとするものである。レファレンダム(任意)は、五万人以上の署名により連邦議会が可決した法律を国民が再審査する。
この国民投票の制度が、ランツゲマインデの精神から発していることはいうまでもない。人々は、自分の生活に直結する事項を自ら決しその結果に責任を負わなければならない。代表を選び議会に送り後はその者に任せる、との姿勢は共同体スイスにとり受け入れられない。
これには色々な批判がある。そもそも、頻繁な国民投票の制度はスイスのような小さい国だからできることであり規模の大きな国にそのまま当てはめるわけにはいかない。国民投票は、ムードに流され、懸案の事項だけでなく、時の政治問題一般がからんだ投票になりやすい。例えば、最近では英国のEU離脱が良い例である、とされる。国民投票は色々な問題はあるが、その最も根本の所に於いて、自らの生活の事柄は自らが決し責任を負うとの思想がある。国(州、市町村)は、その制度を通し、国民にそういう姿勢を持ち続けることを要求する。共同体スイスとして最も重要なところである。
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豊田市図書館の30冊
134.4『精神現象学』ヘーゲル
020.2『世界を変えた本』
007.35『サルたちの狂宴 上 シリコンバレー修業篇』
914.6『須賀敦子エッセンス2 本、そして美しいもの』
767.8『K-POP 新感覚のメディア』
372.3『パイデイア(上)』ギリシアにおける人間形成
796『なぜ?で始まる将棋の基本』
302.2『図解でわかる 14歳から知っておきたい中国』
335.35『小さくても輝く街の業者たち』
102.8『哲学者190人の死に方』
292.36『ゆったり流れる旅時間 ラオスへ』
361.4『ママ友の距離感』「あ~まんどくさい!」と思った時に読む
302.34『スイスが問う日本の明日』近代の中に忘れてきたもの
289.1『会津藩は朝敵にあらず』松平容保の明治維新
366.2『天職攻略図鑑 王様からの求人票』
335.13『戦争体験と経営者』
470.73『世界植物探検の歴史』地球を駆けたプラント・ハンターたち
289.1『フリーバード 自由と孤独』
830.7『英語多読』全ての悩みは量が解決する! 暗記も努力も我慢もゼロ なのに英語力が伸びる
762.34『ベートーヴェン像 再構築 1』
401『個体化の哲学 形相と情報の概念を手がかりに』
391.2『太平洋戦争大全[海空戦編]』
209.6『資本の時代 1』1848-1875
209.6『資本の時代 2』1848-1875
377.28『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』
302.57『グアテマラを知るための67章』
365.31『新築がお好きですか?』日本における住宅と政治
366.21『怠ける権利!』過労死寸前の日本社会を救う10章
319.02『冷戦史』
233『これならわかる イギリスの歴史Q&A』
020.2『世界を変えた本』
007.35『サルたちの狂宴 上 シリコンバレー修業篇』
914.6『須賀敦子エッセンス2 本、そして美しいもの』
767.8『K-POP 新感覚のメディア』
372.3『パイデイア(上)』ギリシアにおける人間形成
796『なぜ?で始まる将棋の基本』
302.2『図解でわかる 14歳から知っておきたい中国』
335.35『小さくても輝く街の業者たち』
102.8『哲学者190人の死に方』
292.36『ゆったり流れる旅時間 ラオスへ』
361.4『ママ友の距離感』「あ~まんどくさい!」と思った時に読む
302.34『スイスが問う日本の明日』近代の中に忘れてきたもの
289.1『会津藩は朝敵にあらず』松平容保の明治維新
366.2『天職攻略図鑑 王様からの求人票』
335.13『戦争体験と経営者』
470.73『世界植物探検の歴史』地球を駆けたプラント・ハンターたち
289.1『フリーバード 自由と孤独』
830.7『英語多読』全ての悩みは量が解決する! 暗記も努力も我慢もゼロ なのに英語力が伸びる
762.34『ベートーヴェン像 再構築 1』
401『個体化の哲学 形相と情報の概念を手がかりに』
391.2『太平洋戦争大全[海空戦編]』
209.6『資本の時代 1』1848-1875
209.6『資本の時代 2』1848-1875
377.28『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』
302.57『グアテマラを知るための67章』
365.31『新築がお好きですか?』日本における住宅と政治
366.21『怠ける権利!』過労死寸前の日本社会を救う10章
319.02『冷戦史』
233『これならわかる イギリスの歴史Q&A』
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