goo

キーワードで読み解く 産業集積・企業城下町

『キーワードで読み解く地方創生』より 産業集積・企業城下町 ⇒ 豊田市はどこへ行く! 負の財産を背負って。

ポイント

 ・高度経済成長期を中心に、各地に製造業の事業所が立地し、工業都市が形成された。特定の大企業グループと、その下請け、孫請け企業などから成る「企業城下町」も地域の発展に大きな役割を果たした。

 ・日本経済の成熟に伴い、産業集積にも変化が現れた。製造拠点から研究開発拠点や情報サービス拠点への移行が目指され、政府もこれを後押しする産業振興策を展開した。

 ・1990年代以降は、グローバルな競争が激化し、製造業の事業所の海外移転なども進行した。こうした中で、イノベーションを重視した産業振興が重点化されるようになっている。

エ業都市の発展と産業立地政策の展開

 わが国では、高度経済成長期を中心に、臨海部などに製造業の工場がまとまって立地するようになり、多くの工業都市や重化学コンビナートが形成された。こうした地域では、大企業の事業所とともに、そこに部品などを供給する下請けや孫請けの企業が層を成し、「産業集積」が生じた。

 産業集積は、その地元に雇用創出効果をもたらすことなどから、自治体は工場の誘致に積極的であったし、国も経済成長に資するものとして政策面で後押ししてきた。そうした産業立地政策の展開をまとめたものが表Iである。

 1960年代から70年代にかけては、「国土の均衡ある発展」という目標の下、地方への製造拠点誘致やそのための基盤の開発が主眼となっていた、続いて80年代の安定成長期に入ると、リサーチパーク等の整備が推進された。この頃まではハード面、「ハコモノ」への投資が優先されていたといえよう。

 80年代後半の「バブル」が崩壊した後、わが国の経済成長率が低下するようになると、地域産業の活性化策にも変化が現れ、個々の企業の事業カアップや事業者間のつながりがクローズアップされるようになった。そこには、大企業の工場などが海外に転出する動きが広がり、残された地場の中小企業が生き残りに力を尽くさざるを得なくなった背景もある。この時期の施策は、中小企業の技術力や経営力を高めたり、連携をサポートするメニューが増えてくる。

イノベーションを重視した産業振興へのシフト

 2000年代に入ると、地域政策はエリアを重視する傾向が強まった。地域を限定して規制の特例を設けたり、支援策を用意する「特区」制度が導入されたのもこの頃である。そして、企業のみならず大学や研究機関など地域に所在する諸主体が参画する形で、産業や技術の高度化を図る動きが広がった。産業クラスター計画や知的クラスター創成事業などは、その典型である。経済の停滞が長期化する中で、地域の総力を挙げての対応が進められた。

 そして、2010年代に入ると、イノベーションが強調される方向となった。半導体や家電品をはじめ、日本の製造業の競争力低下が懸念されるようになり、国内の大学の世界ランキングが低下するなど、国際的にトップレベルとされてきたわが国の研究力や技術力にも陰りが差してきた。そこで、イノベーション、とりわけ多様な主体が参加するオープンイノベーションの創出にスポットが当てられるようになった。

各地に形成された企業城下町とその変容

 わが国の戦後の経済発展において、製造業はその推進役であった。そうしたものづくりの拠点として大きな役割を果たしてきたのが、多数の事業所が集まる製造産業の集積都市である。中でも、大手の有カメーカーとそのグループ会社の事業所が集中し、さらにその下請け、孫請けとなる中堅・中小・零細企業が層を成す「企業城下町」は、わが国の産業発展を象徴する存在といえる。こうした都市では、有カメーカーと地場の事業者がタテのつながりを持つことで、頂点に立つ大企業の成功が取引のある地元の企業に恩恵をもたらし、地域経済の発展にも大きく寄与してきた。一方で、地場の事業者やそこで雇用される地域住民が大企業の事業活動を支えてきた面もあり、企業城下町では有力企業と地域との一蓮托生の関係が築かれてきたといえよう。

 臨海部の大規模な工業地帯では、複数の大企業と多数の中小事業者が網目状の取引関係を形成してきたのに対し、地方の中堅都市などでは、大黒柱となる企業が地場の企業を丸抱えしてきたような例が散見される。全国にはこうした企業城下町とされる都市がいくつかあるが、日立市、豊田市、門真市などは、とりわけ特定有力企業の城下町として有名である。

 こうした企業城下町も、1980年代半ば以降の急激な円高やアジア諸国の経済発展などによって、大きな変容を迫られてきた。大手メーカーといえども内外市場で厳しい競争を迫られるようになり、海外に生産拠点を移転させるケースも増えた。また、大企業による国内取引先の選別も進み、企業城下町の地場の企業の中には、取引が絞り込まれ、事業の縮小を余儀なくされるところも現れた。特定企業への依存度が高いだけに、頂点に立つメーカーの業績や事業行動が、中小事業者や地域経済を直撃したのである。

 このため、各地の企業城下町では、地域の産業と経済を守るための模索が続けられてきた。その主たる方向性は、個々の企業の競争力向上、取引関係の多角化、地域の事業者間のヨコの連携などである。産業集積都市としての地域資源の厚みは、生かし方次第で、依然として地域の大きな強みとなろう。

望まれる地域の個性を生かした産業振興

 地域の産業振興に関して、地方自治体は事業所の誘致に積極的である。人口減少、公共事業の縮減といった変化の中で、経済的自立には産業集積が有力な手立てとなるからである。進出企業への助成、工業団地の造成、技術支援機関の設置などが続けられてきており、政府もそのための支援措置を講じてきた。しかし、各地で似たような呼び込み策が取られたことで競合も生じ、取り組みが当初期待した効果を得られないケースも少なくなかった。

 企業誘致には自治体の助成が一定の効果を挙げてきたことは確かである。しかし、補助金の競い合いは自治体の財政負担ともなる一方、助成の有無は企業の立地選択要因の一つにすぎず、用地・人材などの地域資源の方が重視されるともいわれる。このため、各地固有の地の利を生かした集積が図られることが望ましい。それにより産業の適正配置も進み、わが国全体の活性化にも効果的であると考えられる。自治体の地域の個性を生かしたプランニング、そして事業者の創意と挑戦により、地域経済の自立的発展が進むことが期待される。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 哲学のAnswer... キーワードで... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。