未唯への手紙
未唯への手紙
豊田市図書館の20冊
114.2『わたしは不思議の環』
309.02『立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記』
146.8『今日から使える認知行動療法』「思考のクセ」に気づけば、心はスッと軽くなる
318『市民自治の育て方』~協働型アクションリサーチの理論と実践~
210.76『戦後日本の復興の記録 上巻』GHQカメラマン ボリアが撮った日本の風景
210.76『戦後日本の復興の記録 下巻』GHQカメラマン ボリアが撮った日本の風景
213.6『盛り場の歴史散歩地図』新宿 渋谷 原宿
013.1『ホテルに学ぶ図書館接遇』
674.3『けっきょく、よはく。』余白を活かしたデザインレイアウトの本
675.5『築地市場』クロニクル完全版 1603-2018
361.45『ローカルメディアの仕事術』人と地域をつなぐ8つのメソッド
914.6『時の余白に 続』
300『中学校の公民が1冊でしっかりわかる本』解説が面白いから記憶に残る!
361.42『しらべる日本』東西南北
290.91『〝世界の果て〟の物語』地上の楽園をめざした34の冒険譚
760.9『音大生のキャリア戦略』音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ
007.3『パワー・オブ・ネットワーク』人々をつなぎ社会を動かす6つの原則
389『イメージの人類学』
210.77『10代に語る平成史』
331『オルテス国民経済学』
309.02『立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記』
146.8『今日から使える認知行動療法』「思考のクセ」に気づけば、心はスッと軽くなる
318『市民自治の育て方』~協働型アクションリサーチの理論と実践~
210.76『戦後日本の復興の記録 上巻』GHQカメラマン ボリアが撮った日本の風景
210.76『戦後日本の復興の記録 下巻』GHQカメラマン ボリアが撮った日本の風景
213.6『盛り場の歴史散歩地図』新宿 渋谷 原宿
013.1『ホテルに学ぶ図書館接遇』
674.3『けっきょく、よはく。』余白を活かしたデザインレイアウトの本
675.5『築地市場』クロニクル完全版 1603-2018
361.45『ローカルメディアの仕事術』人と地域をつなぐ8つのメソッド
914.6『時の余白に 続』
300『中学校の公民が1冊でしっかりわかる本』解説が面白いから記憶に残る!
361.42『しらべる日本』東西南北
290.91『〝世界の果て〟の物語』地上の楽園をめざした34の冒険譚
760.9『音大生のキャリア戦略』音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ
007.3『パワー・オブ・ネットワーク』人々をつなぎ社会を動かす6つの原則
389『イメージの人類学』
210.77『10代に語る平成史』
331『オルテス国民経済学』
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自分の頭で考えてくれ ハンナ・アーレント
『時の余白に』より 自分の頭で考えてくれ
昨年公開された時に見逃した映画「ハンナ・アーレント」が別の館に短期間掛かって、運よく見ることができました。
当方、熱心な映画ファンでも映画を語る気力の持ち主でもありませんが、今回は少々違いました。世評は知らず、この映画の主題が「言葉」であることが面白かったのです。
言葉、すなわち思考、すなわち思考する人間‐--ハンナ・アーレント(一九〇六-七五)は、ドイツに生まれ、ナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したュダヤ人女性。全体主義の考察で名をなした政治哲学者です。
そういう人が、第二次大戦中のナチスによるュダヤ人大虐殺をめぐるいわゆるアイヒマン裁判を自ら希望して取材し、書いた報告記事が世を震憾させたという話です。派手な身振りも筋立てもない、専ら主人公の思考の過程と内面の動きを追う映像に、ほとんど二時間、釘づけにされました。マルガレーテ・フォン・トロッタという監督は凄い。
アイヒマンは、ナチス親衛隊幹部として六百万人ともいうュダヤ人を強制収容所に送りこんだ責任者。一九六〇年に逃亡先のアルゼンチンで捕らえられます。この史上最悪の犯罪者の正体を、ュダヤ人アーレントがどう暴き出すか。世は固唾をのんで見守ったはずです。
エルサレムに赴いたアーレントは、しかし裁判を傍聴しながら重大な疑問にとらわれます。目の前で裁判官や検事とやり合う男は、最悪どころか、ただ命令に従って任務を遂行したと言い張るだけの小役人です。人類に対するあの大罪を犯したのは、どこにでもいる、無思想で無思慮なだけの凡人だった--その事実にアーレントは衝撃を受け、「悪の陳腐(凡庸)さ」という概念を導きます。悪は、何ら特別ではない普通の人間の問題だということです。
アイヒマンは怪物でも反ュダヤでもなかった、という彼女の記事は、ュダヤ人の友を含む世の激怒を買います。おそらく世間の側には、被告席に悪の権化を見いだすことで収まりがつくという「筋書き」があった。
アーレントは、ナチスに協力したュダヤ人の問題にも言及していました。仲間の逆鱗に触れたのです。「ナチスを擁護するもの」とそしられ、脅迫され、勤め先の大学からは辞職を勧告されます。袋叩きです。
裁判の論考をまとめた『エルサレムのアイヒマン』(邦訳みすず書房)をはじめ、アーレントに関する文献を読んでみると、この思想家の重要な論点が「自ら考えないことの悪」にあったことが分かります。
たとえば。アイヒマンが官僚組織中の歯車にすぎなかったとしても、その無思慮な人間が他者への想像力を欠いたゆえ、自分の携わる仕事がもたらす結果への想像力を欠いたゆえに、巨悪は生じた。組織が命じても「それは自分にはできない」と判断して去る道もある。行為しないという抵抗の形もある--。
判断するのも、決めるのも、一人一人の個人なのだということです。厳しいけれど、現代社会においても有効な座標軸になりうる考えです。
映画の最後、アーレントは学生への講義の形で世の攻撃への反論を展開し、「考えることで人間は強くなる」と結んで喝采を浴びます。一編のすべてが凝縮された大演説です。しかし映画はここで終わらない。そのあと、講義をきいたュダヤ人の親友が絶縁の言葉を突きつけます。見る側には宙吊りの感もある最後です。ここからは自分で考えよ、アーレントの言葉を吟味せよ、という監督の声を聞いたような気もします。
アーレントのことを考えるうちに当方の頭はいま騒動になっている偽作曲家の問題に切り替わっていて、双方がどこか同じような空気に包まれて見えます。前にも書きましたがフ人をだまして生きる人間は古今東西どこにでもいる。根絶は不可能です。つまりだまされないようにするしかないのですが、今回のように別人の作などと見抜けるわけがない。
ただ、こういうことは言えると思います。当方もあの曲の一部をテレビ番組で耳にしましたが、「何だ、マーラーじゃん」と思った。それらしきクラシックのさわりをつなぎ合わせたような、「ありそうな」音楽だと思ったのです。好む人がいてもいいけれど、あれほどもてはやされるのはどう考えても不自然です。
むろん曲の背後にある「聾」「ヒロシマ」という物語の効果です。そういう物語が批判を封じこめる。世の筋書きに逆らう者は排除される。はやりもの、もてはやされるものには、からくりがあります。背後には商業主義や権威主義がひそんでいます。
人がどう騒ごうが、自分で受け止め、自分で考えて、つまらなければそこから立ち去ればいい。自分は加わらない、自分はそうしない、という身の処し方もあるのです。
昨年公開された時に見逃した映画「ハンナ・アーレント」が別の館に短期間掛かって、運よく見ることができました。
当方、熱心な映画ファンでも映画を語る気力の持ち主でもありませんが、今回は少々違いました。世評は知らず、この映画の主題が「言葉」であることが面白かったのです。
言葉、すなわち思考、すなわち思考する人間‐--ハンナ・アーレント(一九〇六-七五)は、ドイツに生まれ、ナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したュダヤ人女性。全体主義の考察で名をなした政治哲学者です。
そういう人が、第二次大戦中のナチスによるュダヤ人大虐殺をめぐるいわゆるアイヒマン裁判を自ら希望して取材し、書いた報告記事が世を震憾させたという話です。派手な身振りも筋立てもない、専ら主人公の思考の過程と内面の動きを追う映像に、ほとんど二時間、釘づけにされました。マルガレーテ・フォン・トロッタという監督は凄い。
アイヒマンは、ナチス親衛隊幹部として六百万人ともいうュダヤ人を強制収容所に送りこんだ責任者。一九六〇年に逃亡先のアルゼンチンで捕らえられます。この史上最悪の犯罪者の正体を、ュダヤ人アーレントがどう暴き出すか。世は固唾をのんで見守ったはずです。
エルサレムに赴いたアーレントは、しかし裁判を傍聴しながら重大な疑問にとらわれます。目の前で裁判官や検事とやり合う男は、最悪どころか、ただ命令に従って任務を遂行したと言い張るだけの小役人です。人類に対するあの大罪を犯したのは、どこにでもいる、無思想で無思慮なだけの凡人だった--その事実にアーレントは衝撃を受け、「悪の陳腐(凡庸)さ」という概念を導きます。悪は、何ら特別ではない普通の人間の問題だということです。
アイヒマンは怪物でも反ュダヤでもなかった、という彼女の記事は、ュダヤ人の友を含む世の激怒を買います。おそらく世間の側には、被告席に悪の権化を見いだすことで収まりがつくという「筋書き」があった。
アーレントは、ナチスに協力したュダヤ人の問題にも言及していました。仲間の逆鱗に触れたのです。「ナチスを擁護するもの」とそしられ、脅迫され、勤め先の大学からは辞職を勧告されます。袋叩きです。
裁判の論考をまとめた『エルサレムのアイヒマン』(邦訳みすず書房)をはじめ、アーレントに関する文献を読んでみると、この思想家の重要な論点が「自ら考えないことの悪」にあったことが分かります。
たとえば。アイヒマンが官僚組織中の歯車にすぎなかったとしても、その無思慮な人間が他者への想像力を欠いたゆえ、自分の携わる仕事がもたらす結果への想像力を欠いたゆえに、巨悪は生じた。組織が命じても「それは自分にはできない」と判断して去る道もある。行為しないという抵抗の形もある--。
判断するのも、決めるのも、一人一人の個人なのだということです。厳しいけれど、現代社会においても有効な座標軸になりうる考えです。
映画の最後、アーレントは学生への講義の形で世の攻撃への反論を展開し、「考えることで人間は強くなる」と結んで喝采を浴びます。一編のすべてが凝縮された大演説です。しかし映画はここで終わらない。そのあと、講義をきいたュダヤ人の親友が絶縁の言葉を突きつけます。見る側には宙吊りの感もある最後です。ここからは自分で考えよ、アーレントの言葉を吟味せよ、という監督の声を聞いたような気もします。
アーレントのことを考えるうちに当方の頭はいま騒動になっている偽作曲家の問題に切り替わっていて、双方がどこか同じような空気に包まれて見えます。前にも書きましたがフ人をだまして生きる人間は古今東西どこにでもいる。根絶は不可能です。つまりだまされないようにするしかないのですが、今回のように別人の作などと見抜けるわけがない。
ただ、こういうことは言えると思います。当方もあの曲の一部をテレビ番組で耳にしましたが、「何だ、マーラーじゃん」と思った。それらしきクラシックのさわりをつなぎ合わせたような、「ありそうな」音楽だと思ったのです。好む人がいてもいいけれど、あれほどもてはやされるのはどう考えても不自然です。
むろん曲の背後にある「聾」「ヒロシマ」という物語の効果です。そういう物語が批判を封じこめる。世の筋書きに逆らう者は排除される。はやりもの、もてはやされるものには、からくりがあります。背後には商業主義や権威主義がひそんでいます。
人がどう騒ごうが、自分で受け止め、自分で考えて、つまらなければそこから立ち去ればいい。自分は加わらない、自分はそうしない、という身の処し方もあるのです。
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音大生の生き延びるためのスキル・資質・やる気
『音大生のキャリア戦略』より
生き延びるためのスキル・資質・やる気
音大生か持続可能なキャリアを積んでいくには、はっきりとした自己イメージと職業上のアイデンティティが不可欠であるということは、本書で何度も出てくるテーマです。学部時代にキャリアを築く上でも、同じように、音楽のコアとなるスキルと本人の資質の両方が必要であるという事実も、このことを証明しています。
クラシックのプロの音楽家の仕事には、実際にはスキルが必要とされる仕事と必要とされない仕事が含まれています。バーランドとデヴィドソンのふたりが音楽家の職業生活の多くを明らかにした研究によると、たいていの音楽家の主な仕事はレッスンで、演奏だけで生計を立てているのはごく少数だそうです。さらに音楽の仕事はとても多様で、例えば、音楽家の3分の2の人が、音楽以外の仕事をしています。仲間で仕事をすることが多く、音楽の仕事をしていても、そこから収入を得ていないという人が半分近くもいるのです。音楽家の80%以上がレッスンをしていて、70%が演奏活動をし、30%がアンサンブルを組んでいます。そしてほとんどの人が個人事業主となって仕事をしているのです。
一般的には、音楽家は演奏をする人と思われているのですが、現実での生活がここまで大きく違ってくると、これから音楽の仕事をしようという若者にとって、この生活上の違いがいかんともしがたく、乗り越えがたいもののように見えてしまうでしょう。こうなると、音楽家はただ生活費を稼ぐためだけに演奏以外の仕事をやむなくしているのか、それとも他の別の要因があるのかと、ついつい尋ねてみたくもなります。
この章でお話しすることでもあるのですが、音楽家のキャリアのすごい所は、多彩で魅力的な役割を複数こなせるだけの能力を持っていることです。こうした役割のひとつが演奏であったり、音楽以外の仕事だったりするだけなのです。この音楽以外の仕事がときには、演奏の片手間ではできないような、すごい仕事だったりもします。
音楽大学に入学したての頃は、専門の実技が狭い意味での自己アイデンティティであるはずですし、将来の目標とも一致しています。特に専門実技の世界は、「未知の自分」を探索できるロマンティックな理想の世界でもあります。そしてこの理想と現実とを一致させざるをえないような状況に学生たちが追いやられると、やがてこれまで考えてきた自身のキャリアを再考するように迫られたりもします。つまり、自分たちが抱いてきた音楽キャリアの序列に対して、疑問をもつようになるのです。もちろん、すぐれた音楽家や音楽教師なら、演奏以外のスキルがいかに重要であるかを理解しています。そして学生たちも過密なカリキュラムをこなすだけの忙しい毎日を送るだけでなく、このことに気付いて、有意義な経験を積んでもらいたいものです。
他の章と同じように、この章でも議論を具体的にしたいので、筆者の住んでいるオーストラリアについてお話します。オーストラリアは世界で6番目に広い国ですが、人口密度は最低です。ヨーロッパ諸国やアメリカなど、人々が忙しなく動き回っている国とは、印象が随分と異なります。しかし6つの州とふたつの特別地域から構成されたこの国には、多様な国籍の人が住んでいて、多様な音楽や伝統の中で育った音楽家にとっては、まさに天国なのです。グローバルな音楽世界なら、世界の音楽活動の中心地から離れた周辺に位置していることもうまく活用できるでしょう。
2006年の調査によりますと、オーストラリアでは290万人が何らかの文化的活動で有給あるいは無給の仕事をしており、さらに250万人の人が、趣味としてこうした文化的活動に参加しています。ここで留意すべきことは、世界各国の国勢調査では個人の主業だけを調査する傾向にあるということです。その結果、さまざまな仕事を掛け持ちしている芸術家の活動が、見逃されてしまうのです。このことを念頭におくと、オーストラリアでは、およそ16万7千の人が今現在、音楽活動で何らかの収入を得ています。オーストラリアの人口が今後50年の間に、3分の1増加して3、300万人になったとすると、2060年頃までには少なくとも22万の人が音楽活動で何らかの収入を得て、600万もの人が文化産業に従事することになります。柔軟で創造的な仕事ができる音楽家にとっては、これは十分すぎる機会が創出されていると言えるでしょう。
重要なスキルと資質
・ビジネスと起業
ネイデル(1998)はかつてこう言ったことがあります。「建築家というのは建築物の設計士ではなく、仕事の成果物が建築物なのである。」同じように、音楽家も、仕事の成果物が音楽である人とみなすことができます。ある音楽家はこう説明したことがあります。「人々は音楽が好きです。 しかし音楽家としての仕事を継続するために、どのくらいビジネス感覚が求められているかを、人々は理解していません」。実際のところ、数多くの音楽家や芸術家はお金を集められる機会を失っているのです。それは、自分たちがビジネスをしていると思っていないからであり、またビジネスをうまくマネジメントするスキルをもっていないからなのです。
起業 entrepreneurという言葉は、行動を起こすことを意味するフランス語のアントレプランドゥルentreprendreに由来しています。しばしばリスクをとることと思われていますが、起業家は創造的で、自分たちがしようとすることに情熱を傾けている、訓練されたプランナーです。彼らは必要なだけの時間をかけて計画を練り、結果を受け入れる覚悟ができてはじめて行動を起こします。成功を収め、専門性を高め、ネットワークを広げることで、人は多くの分野で起業家と呼ばれるわけですが、芸術家というのは最初から起業家のようであると言えます。起業家精神を養うことは、音楽家になるための訓練の重要な要素にもなるわけです。
芸術系大学の最終学年の学生について調査したところ、「チームの一員として働く力」とか「独立して働く力」といったような、これから身に付けていかなくてはならない、就職するために必要なスキルを、たいていの学生はよく理解していないことがわかりました。ところが皮肉なことに、オーストラリアのビジネス界は芸術系大学の卒業生の働く能力に関心を示していることを、同じ研究が指摘していたのです。つまり、「経営者は、彼らが有している汎用的スキルの幅広さを、特に評価して求めている」のです。他の研究者も述べているように、スモールビジネスを起こすには、時間とお金をマネジメントする能力、効果的にマーケティングする能力、そして短期的・長期的な目標を見定めて達成するために、注意深く計画を練る能力が求められます。こうしたスキルを若い頃に身につけていることは、学生たちが馴れ親しんでいる活動を少し見れば明らかです。例えば、演奏会を企画するためには、チームワーク、会場や演奏者との交渉、マーケティング・プロモーション、補助金申請の執筆、契約の作成、保険の支払い、領収書の作成、出納簿の管理などが必要となるのです。そして彼らが持っているこうした能力は、他の多くの分野でも活用することができるのですが、履歴書にこうした重要な能力を記載している音楽家は、ほとんど見かけません。
・コミュニケーション力
ロジャーが2002年にイギリスで実施した研究に参加した音楽家のうち、62%の人がコミュニケーション力を最も重要なスキルに挙げています。またトゥラースダール(1996)も、ポピュラーの音楽家たちでも、事情は同じであると報告しています。コミュニケーション・スキルはすべての音楽家に必要です。ネットワークを作り、依頼者と連絡をとり、リハーサルでグループ全体をマネジメントして、製品やサービスを「売らなくてはならない」からです。
効果的なコミュニケーションができる能力と自信は、演奏でも、教えることでも、フリーランスでビジネスをしていくうえでも、必要な実践的能力です。コミュニケーションに自信が持てないというのが、学部生の直面する最大の障害のひとつです。将来の仕事に対して誤ったイメージをもっている学生にとっては、特にそうです。文章によるコミュニケーションでも同じですが、口頭で効果的なコミュニケーションをするためには、機転のよさ、先見性、自信などが必要で、これらは経験によってのみ培われます。しかしこうした経験は、練習室のような閉じた空間で得られることはありません。効果的なモデリング、ピア・ティーチング、メンタリング、公開のリハーサルやプレゼンなどを行う授業などを通して、経験的に学んでいくしかないのです。
第3章でも指摘されていたように、授業の一部として、学生たちをアルバイトやその他の学外での活動に参加させるのが、時間的に効率がいい方法かもしれません。このやり方ですと、さらにコミュニケーション・スキルを高めることができ、グループ間で経験が共有できるだけでなく、自分たちの参加した活動に対する理解を、いっそう深めることができるでしょう。
・演奏とやる気
たいていの音楽活動の原点にあるのは、演奏を愛する心です。ある音楽家が言ったことですが、「自分が音楽家としてやっていくのに必要な気力を支えているのは、演奏の技能なのです」。しかしながら、演奏にばかりスポットライトがあたるというわけではありません。そうではなく、みんなでいっしょになって音楽することが大切なのです。演奏のスキルも、多くのスキルのひとつであって、演奏とそれ以外の活動を結び付けることがより重要なのです。演奏の学位を持っているかどうかや、ソリストとして成功した人かどうかは、あまり関係がありません。イヴェントを企画したり、教えたり、リサーチしたり、グループで演奏したり、プロジェクトをマネジメントしたり、音楽の文章を書いたり、レコードを製作したりすることで、みんなが楽しんで満足してくれることが大切なのです。
このような考えに私が至ったのは、音楽学部のあるクラスで、演奏するときの不安に関するセッションをしたときのことです。学生たちに「演奏のために生きている人はいますか」と尋ねたところ、一人だけ手を挙げた人がいました。これには驚きでした。以前に、演奏に焦点をあてて、キャリアとかやる気についてたくさん議論をしていたからです。
しばらくして私はもう一度質問しました。その質問というのは、キャリアを論じる際に、私が使っているなかで、最も効果的な質問のひとつです。それは「何をしているのが好きですか?」という質問です。そうすると学生たちは、以前にも増して、自分たちの強みや関心について、さまざまに語りはじめるのです。自分たちが楽しめることをこれまで実際に頼まれたことのある人が、ほとんどいなかったこともわかりました。
この議論は私にとって目から鱗の経験でした。学生たちが従来の音楽家の序列の並びを変えてしまい、音楽ではなく自分自身を将来のキャリアの中心に据えるようになっていたからです。自信、変化を受け入れる受容力、やる気、辛抱強さ、根性、情熱といった資質が、演奏のスキルと同じように、重要となったのです。情熱はしばしばキャリアで成功するための推進力で、おそらく最も重要な資質でしょう。音楽に対する情熱がなければ、仕事もうまくいかないでしょうし、不幸な結果を招くにちがいありません。このことは、大学での教育やレッスンでの演奏にも、あてはまることでしょう。
生き延びるためのスキル・資質・やる気
音大生か持続可能なキャリアを積んでいくには、はっきりとした自己イメージと職業上のアイデンティティが不可欠であるということは、本書で何度も出てくるテーマです。学部時代にキャリアを築く上でも、同じように、音楽のコアとなるスキルと本人の資質の両方が必要であるという事実も、このことを証明しています。
クラシックのプロの音楽家の仕事には、実際にはスキルが必要とされる仕事と必要とされない仕事が含まれています。バーランドとデヴィドソンのふたりが音楽家の職業生活の多くを明らかにした研究によると、たいていの音楽家の主な仕事はレッスンで、演奏だけで生計を立てているのはごく少数だそうです。さらに音楽の仕事はとても多様で、例えば、音楽家の3分の2の人が、音楽以外の仕事をしています。仲間で仕事をすることが多く、音楽の仕事をしていても、そこから収入を得ていないという人が半分近くもいるのです。音楽家の80%以上がレッスンをしていて、70%が演奏活動をし、30%がアンサンブルを組んでいます。そしてほとんどの人が個人事業主となって仕事をしているのです。
一般的には、音楽家は演奏をする人と思われているのですが、現実での生活がここまで大きく違ってくると、これから音楽の仕事をしようという若者にとって、この生活上の違いがいかんともしがたく、乗り越えがたいもののように見えてしまうでしょう。こうなると、音楽家はただ生活費を稼ぐためだけに演奏以外の仕事をやむなくしているのか、それとも他の別の要因があるのかと、ついつい尋ねてみたくもなります。
この章でお話しすることでもあるのですが、音楽家のキャリアのすごい所は、多彩で魅力的な役割を複数こなせるだけの能力を持っていることです。こうした役割のひとつが演奏であったり、音楽以外の仕事だったりするだけなのです。この音楽以外の仕事がときには、演奏の片手間ではできないような、すごい仕事だったりもします。
音楽大学に入学したての頃は、専門の実技が狭い意味での自己アイデンティティであるはずですし、将来の目標とも一致しています。特に専門実技の世界は、「未知の自分」を探索できるロマンティックな理想の世界でもあります。そしてこの理想と現実とを一致させざるをえないような状況に学生たちが追いやられると、やがてこれまで考えてきた自身のキャリアを再考するように迫られたりもします。つまり、自分たちが抱いてきた音楽キャリアの序列に対して、疑問をもつようになるのです。もちろん、すぐれた音楽家や音楽教師なら、演奏以外のスキルがいかに重要であるかを理解しています。そして学生たちも過密なカリキュラムをこなすだけの忙しい毎日を送るだけでなく、このことに気付いて、有意義な経験を積んでもらいたいものです。
他の章と同じように、この章でも議論を具体的にしたいので、筆者の住んでいるオーストラリアについてお話します。オーストラリアは世界で6番目に広い国ですが、人口密度は最低です。ヨーロッパ諸国やアメリカなど、人々が忙しなく動き回っている国とは、印象が随分と異なります。しかし6つの州とふたつの特別地域から構成されたこの国には、多様な国籍の人が住んでいて、多様な音楽や伝統の中で育った音楽家にとっては、まさに天国なのです。グローバルな音楽世界なら、世界の音楽活動の中心地から離れた周辺に位置していることもうまく活用できるでしょう。
2006年の調査によりますと、オーストラリアでは290万人が何らかの文化的活動で有給あるいは無給の仕事をしており、さらに250万人の人が、趣味としてこうした文化的活動に参加しています。ここで留意すべきことは、世界各国の国勢調査では個人の主業だけを調査する傾向にあるということです。その結果、さまざまな仕事を掛け持ちしている芸術家の活動が、見逃されてしまうのです。このことを念頭におくと、オーストラリアでは、およそ16万7千の人が今現在、音楽活動で何らかの収入を得ています。オーストラリアの人口が今後50年の間に、3分の1増加して3、300万人になったとすると、2060年頃までには少なくとも22万の人が音楽活動で何らかの収入を得て、600万もの人が文化産業に従事することになります。柔軟で創造的な仕事ができる音楽家にとっては、これは十分すぎる機会が創出されていると言えるでしょう。
重要なスキルと資質
・ビジネスと起業
ネイデル(1998)はかつてこう言ったことがあります。「建築家というのは建築物の設計士ではなく、仕事の成果物が建築物なのである。」同じように、音楽家も、仕事の成果物が音楽である人とみなすことができます。ある音楽家はこう説明したことがあります。「人々は音楽が好きです。 しかし音楽家としての仕事を継続するために、どのくらいビジネス感覚が求められているかを、人々は理解していません」。実際のところ、数多くの音楽家や芸術家はお金を集められる機会を失っているのです。それは、自分たちがビジネスをしていると思っていないからであり、またビジネスをうまくマネジメントするスキルをもっていないからなのです。
起業 entrepreneurという言葉は、行動を起こすことを意味するフランス語のアントレプランドゥルentreprendreに由来しています。しばしばリスクをとることと思われていますが、起業家は創造的で、自分たちがしようとすることに情熱を傾けている、訓練されたプランナーです。彼らは必要なだけの時間をかけて計画を練り、結果を受け入れる覚悟ができてはじめて行動を起こします。成功を収め、専門性を高め、ネットワークを広げることで、人は多くの分野で起業家と呼ばれるわけですが、芸術家というのは最初から起業家のようであると言えます。起業家精神を養うことは、音楽家になるための訓練の重要な要素にもなるわけです。
芸術系大学の最終学年の学生について調査したところ、「チームの一員として働く力」とか「独立して働く力」といったような、これから身に付けていかなくてはならない、就職するために必要なスキルを、たいていの学生はよく理解していないことがわかりました。ところが皮肉なことに、オーストラリアのビジネス界は芸術系大学の卒業生の働く能力に関心を示していることを、同じ研究が指摘していたのです。つまり、「経営者は、彼らが有している汎用的スキルの幅広さを、特に評価して求めている」のです。他の研究者も述べているように、スモールビジネスを起こすには、時間とお金をマネジメントする能力、効果的にマーケティングする能力、そして短期的・長期的な目標を見定めて達成するために、注意深く計画を練る能力が求められます。こうしたスキルを若い頃に身につけていることは、学生たちが馴れ親しんでいる活動を少し見れば明らかです。例えば、演奏会を企画するためには、チームワーク、会場や演奏者との交渉、マーケティング・プロモーション、補助金申請の執筆、契約の作成、保険の支払い、領収書の作成、出納簿の管理などが必要となるのです。そして彼らが持っているこうした能力は、他の多くの分野でも活用することができるのですが、履歴書にこうした重要な能力を記載している音楽家は、ほとんど見かけません。
・コミュニケーション力
ロジャーが2002年にイギリスで実施した研究に参加した音楽家のうち、62%の人がコミュニケーション力を最も重要なスキルに挙げています。またトゥラースダール(1996)も、ポピュラーの音楽家たちでも、事情は同じであると報告しています。コミュニケーション・スキルはすべての音楽家に必要です。ネットワークを作り、依頼者と連絡をとり、リハーサルでグループ全体をマネジメントして、製品やサービスを「売らなくてはならない」からです。
効果的なコミュニケーションができる能力と自信は、演奏でも、教えることでも、フリーランスでビジネスをしていくうえでも、必要な実践的能力です。コミュニケーションに自信が持てないというのが、学部生の直面する最大の障害のひとつです。将来の仕事に対して誤ったイメージをもっている学生にとっては、特にそうです。文章によるコミュニケーションでも同じですが、口頭で効果的なコミュニケーションをするためには、機転のよさ、先見性、自信などが必要で、これらは経験によってのみ培われます。しかしこうした経験は、練習室のような閉じた空間で得られることはありません。効果的なモデリング、ピア・ティーチング、メンタリング、公開のリハーサルやプレゼンなどを行う授業などを通して、経験的に学んでいくしかないのです。
第3章でも指摘されていたように、授業の一部として、学生たちをアルバイトやその他の学外での活動に参加させるのが、時間的に効率がいい方法かもしれません。このやり方ですと、さらにコミュニケーション・スキルを高めることができ、グループ間で経験が共有できるだけでなく、自分たちの参加した活動に対する理解を、いっそう深めることができるでしょう。
・演奏とやる気
たいていの音楽活動の原点にあるのは、演奏を愛する心です。ある音楽家が言ったことですが、「自分が音楽家としてやっていくのに必要な気力を支えているのは、演奏の技能なのです」。しかしながら、演奏にばかりスポットライトがあたるというわけではありません。そうではなく、みんなでいっしょになって音楽することが大切なのです。演奏のスキルも、多くのスキルのひとつであって、演奏とそれ以外の活動を結び付けることがより重要なのです。演奏の学位を持っているかどうかや、ソリストとして成功した人かどうかは、あまり関係がありません。イヴェントを企画したり、教えたり、リサーチしたり、グループで演奏したり、プロジェクトをマネジメントしたり、音楽の文章を書いたり、レコードを製作したりすることで、みんなが楽しんで満足してくれることが大切なのです。
このような考えに私が至ったのは、音楽学部のあるクラスで、演奏するときの不安に関するセッションをしたときのことです。学生たちに「演奏のために生きている人はいますか」と尋ねたところ、一人だけ手を挙げた人がいました。これには驚きでした。以前に、演奏に焦点をあてて、キャリアとかやる気についてたくさん議論をしていたからです。
しばらくして私はもう一度質問しました。その質問というのは、キャリアを論じる際に、私が使っているなかで、最も効果的な質問のひとつです。それは「何をしているのが好きですか?」という質問です。そうすると学生たちは、以前にも増して、自分たちの強みや関心について、さまざまに語りはじめるのです。自分たちが楽しめることをこれまで実際に頼まれたことのある人が、ほとんどいなかったこともわかりました。
この議論は私にとって目から鱗の経験でした。学生たちが従来の音楽家の序列の並びを変えてしまい、音楽ではなく自分自身を将来のキャリアの中心に据えるようになっていたからです。自信、変化を受け入れる受容力、やる気、辛抱強さ、根性、情熱といった資質が、演奏のスキルと同じように、重要となったのです。情熱はしばしばキャリアで成功するための推進力で、おそらく最も重要な資質でしょう。音楽に対する情熱がなければ、仕事もうまくいかないでしょうし、不幸な結果を招くにちがいありません。このことは、大学での教育やレッスンでの演奏にも、あてはまることでしょう。
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