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未唯宇宙10.7.1~10.7.4

10.7.1「未唯空間に記す」

 未唯空間の締め。存在と無から始めて、存在の確認のために私の世界を作ってきた。何を考えているのかを確かめたくて、「未唯への手紙」から未唯空間に向かった。

 内なる未唯空間から、外の世界に対応するために未唯宇宙を提案している。全てを未唯宇宙に押し込めることでシンプルな生活が保証される。

 デカルトの生活規範の意味がわかってきた。そこから存在の無に至る。概念のループは避ける。

10.7.2「未唯宇宙に展開」

 未唯宇宙で外なる世界の実体が見えてきた。ハイアラキーに頼って、自分のことしか考えられない。それが限界を迎えようとしている。

 皆が自分の空間を内に作る。つまり、存在の覚醒することから全体を見ていくことで、変革を起こす。

 人は配置されたモノとして、その点で社会を再構成していく。既与の空間ではなく、自ら作り出す位相空間。そこから自分の宇宙を作り出して飛び出していく。

10.7.3「知る意味」

 存在に覚醒するのは知です。考えれば分かる。その環境は整っている。それを支援するAIとかスマホなども準備されている。

 見方を一つ変えれば、その為のモノが揃っていることに気づく。数学・哲学・歴史、そして本と図書館。自ら魅力を発すれば、それらが寄り添ってくれる。

 自分の領域を制限しないことです。考えなくさせようとする勢力は強い。

 <今>ここに存在している意味を考え、全体を知ろうとすれば、打ち勝つことができる。何しろ、自分のことであるし、時間が限られている。

 あまりにも短くて、膨大な時間がそこにある。時間を無駄にするなとは言わない。一瞬が全てかも知れない。

10.7.4「先に進む」

 未唯宇宙の次はどこなのか。存在している間に未唯宇宙は出来上がらない。ということは、私がいない世界について述べるつもりはない。

 その世界があろうともなかろうとも無意味。全ては私のために作られたモノ。それさえも幻想。では、なぜ、崩壊しようとしている、この世界に放り込んだのか。

 問われれば応えるシステム、そして質問し続けるECHOソクラテスを残すことにしようか。何らかの知見を残して、、次の頂にイメージだけは持っておきましょう。
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ムハンマドの死とカリフ政権の成立

『物語 アラブの歴史』より 大征服の始まり

ムハンマドの死とカリフ政権の成立

 前述のようにヘラクレイオス帝は、返還された聖十字架を捧持してイェルサレムに入城した。ユーフラテス川の上流に近いヒエラポリス(現在のマンビジュ)まで迎えに出て、そこからイェルサレムまで聖十字架に付き添ったと言われる。

 ところがムハンマドはビザンツ皇帝のこの動きを、アラビアに遠征するための軍事行動と誤解したらしい。三万の軍勢を組織し、ピザンツ軍を迎え撃つためにシリア方面に出陣したという。六三〇年の末のことである。しかしヘラクレイオスは軍を率いてコンスタンティノープルに帰還した後だったので、ムハンマドはアラビア北部のいくつかの町を攻略しただけで帰国せざるをえなかった。要するにこのときの遠征は空振りに終わったのである。

 やや自意識過剰の感なきにしもあらずであるが、ペルシア軍がイェルサレムを占領したとの情報に接して、ムハンマドが直ちに信徒たちをエチオピアに避難させたことも考え合わせると、彼は布教の当初より外部世界からの脅威に非常に神経を尖らせていたと言えるのではないか。『コーラン』に「象の章」が含まれているのを見ると、その危機意識の源はアブラハのメッカ遠征にまで遡るのかもしれない。先に引用した「ギリシア人の章」を見る限り当初は親ビザンツであったはずのムハンマドが、アラビアの覇者となってからはビザンツを敵対勢力とみなしているのである。一方のヘラクレイオスは、メディナ政権がサーサーン朝に代わる脅威となることに、おそらくこの段階では全く気付いていない。

 翌々年(六三一年)の巡礼月にムハンマドはようやく大巡礼(ハッジ)を行った。カァバをアッラーのみの神殿と定めて以降、彼が巡礼月に巡礼を行うのはこれが最初で最後であった。巡礼からメディナに戻ったムハンマドは体調不良を訴えるようになり、三ヵ月後に息を引き取った。同年の六月のことで、享年六十有余であった。

 カリスマ的な指導者が世を去った後、後継者の選定でもめるのは世の常である。メディナ政権の場合、ムハージルーンとアンサールのどちらの陣営から指導者を出すかで議論はあったが、結局はムハンマドの古くからの友人で、最初期の改宗者でもあり、それまで巡礼の指揮などでムハンマドの代行を務めたこともあるアブー・バクルが選ばれた(在位六三二~六三四年)。しかし彼は神の使徒でも預言者でもなく、「アッラーの使徒の代理人(または後継者)」としてイスラーム共同体ウンマの代表者となったのである。アラビア語でハリーファ、一般には誂ってカリフと呼ばれる。彼に続いてウマル、ウスマーン、アリーまでの四代のカリフが正統カリフと呼ばれていることは、読者の大部分がすでにご存じのことであろうから、その間の説明は省略する。第三代カリフの時代までイスラーム政権の首都はメディナに置かれたが、第四代のアリーの治世に、ダマスクスおよびバスラを中心とする反対勢力と戦うため、イラクのクーファに遷都した。

 第三章で記したように、当時の同盟や主従の契約は属人的なものであった。契約の一方の当事者が死去すると、その契約はいったん御破算になったのである。ムハンマド死去後のカリフと諸部族の族長との関係もまさにそれであった。半島各地の部族の多くはアブー・バクルが代表するメディナ政権の権威を認めようとはしなかった。税の納入を拒否するだけでなく、メディナのカリフ政権に対抗する勢力を結集して、公然と反旗を翻す者も現れた。そのうちのいくつかの勢力は、預言者と自称する人物によって率いられていた。ムハンマドに対抗する預言者はすでに彼の生前より出現していたが、死後さらにその数が増えたようである。イスラーム側からは「偽預言者(カッザーブ)」と呼ばれている。

 アブー・バクルはこうした動きをすべてリッダ、すなわち背教・棄教とみなし、親メディナ派の遊牧部族の戦士を組織した討伐軍を編制して各地に派遣した。表面的・形式的に服していたにすぎなかった多くの部族をメディナ政権が支配下に置いたのは、この再征服活動を通じてのことである。アブー・バクルが派遣したハーリド・イブン・ワリードが、ヤマーマ地方でハニーファ族の偽預言者ムサイリマを討って以降、リッダは終息に向かった。

シリア遠征とビザンツ帝国との戦い

 リッダの平定後、アブー・バクルはリッダ討伐のために組織した軍を解散せずに、北方に向けて放った。いったん解散してしまうと彼らを統制するのは非常にむずかしく、ある意味危険なことでもあった。彼らを軍として組織したままで政権に従わせるには、戦いを継続して勝ち続けるのが一番の良策だったのである。またリッダ制圧戦によって生じた制圧した者とされた者との内的緊張を解消する最善の方法は、新たな外敵を作りそれに向けてエネルギーを昇華させることであった。アラビアの遊牧諸部族はメディナ政権の統率の下に戦い、勝利すれば多くの戦利品の分配に与れたし、運悪く戦死してもジハードの殉教者として天国行きが保証された。またメディナ政府はこのようにして内部対立を解消できるだけでなく、支配領域の拡大を期待できた。

 ナスル朝とジャフナ朝を滅ぼした後、サーサーン朝とビザンツはそれぞれ別のアラブ勢力に下賜金を給付して、国境警備を担わせようとはしたようである。しかしどの部族の首長にもナスル朝のムンズィル三世やジャフナ朝のハーリスの役割はとうてい務まらなかった。そしてホスロー二世とヘラクレイオスの二十年以上にわたる戦いの間、当然のことながら両国の南方国境の警備は手薄になった。その隙を突いて北アラビアの遊牧アラブは、盛んに両国南部の町や村に侵入と略奪を繰り返していたようである。したがってサーサーン朝やビザンツの当局者の目には、カリフの命を受けて北進してくる軍勢も、当初はこれらの遊牧アラブの略奪部隊と区別、かつかなかったのではなかろうか。

 六三三年の夏にリニグ討伐戦で功のあったハーリドがイラクに派遣される一方で、同年の秋には、三隊に分かれた部隊がメディナからシリアに派遣された。いわゆるアラブの大征服の始まりである。シリアはメッカ商人がたびたび訪れて馴染みの深い土地であるうえに、三年前には預言者自身が軍を率いて目指した土地でもあった。特にイェルサレムは、ヒジュラ直後はその方向に向かって礼拝を行うキブラと定められた聖地であった。この地の征服を目指してビザンツ軍と戦うことが、アブー・バクルの目的であった。

 シリアに向かった軍勢は、おそらくこの地方で略奪を繰り返していた遊牧アラブを吸収しつつ進軍し、たいした抵抗も受けずにシリアの奥深くまで進むことができた。この地方の合性論派のキリスト教徒やユダヤ教徒は、カルケドン派のキリスト教徒以外を異端とするビザンツ政府の宗教政策によって、長年迫害や弾圧に曝されて苦しんできた。彼らの目には、税(ジズヤ)の支払いに応じさえすれば、信仰については特段の規制がなく、特定の教義を強制しないイスラームの侵入者は、むしろ歓迎すべき新支配者と映ったに違いない。彼らの中にはアラブ軍の侵攻に抵抗しないばかりか、手助けする者たちもいたのである。

 シリアにはビザンツ政府と結びついたカルケドン派のキリスト教徒もいて、彼らはもちろんアラブ軍に抵抗したし、ジャフナ朝滅亡後もビザンツとの同盟関係を維持していた一部のガッサーン族のように、合性論派に属していながらビザンツ側に立って戦ったアラブもいた。さらに帝国の正規軍もシリアに駐屯していたが、早々にアラブ軍との戦いで敗北を喫してしまった。

 ようやく事態の重大なことに気付いたヘラクレイオス帝は、アラブ軍の進撃を食い止めるためにコンスタンティノープルより五万強の大軍をシリアに派遣した。一方これに先立ちアブー・バクルの命を受けてサワード(イラク中南部の穀倉地帯)からシリアに転戦したハーリドは、シリア各地で戦っていた部隊を自らの指揮下に統率し、ビザンツ軍との対決に臨んだ。アラブ軍はメディナからの援軍を含めて二万五〇〇〇に達したと言われる。世界史の一つの分岐点と呼んでも過言ではない両軍の決戦は、六三六年八月、ヨルダン川に注ぐヤルムーク川の河畔において行われ、後者の勝利に終わった。この知らせをアンティオキアで受けたヘラクレイオスは、「シリアよさらば、そは敵にとりなんとすばらしき地なるか」という訣別の言葉を残して、コンスタンティノープルに撤退したと伝えられる。

 勝利したアラブ軍はさらに北上を続け、ダマスクス、ホムス、ハマーなどの諸市を相次いで征圧していった。一方、攻囲を受けていたイェルサレムでは総主教が降伏を決意。その求めに応じてメディナから到来したのは、アブー・バクル没後にカリフ位を継いだウマル(在位六三四~六四四年)で、六三八年の初頭、総主教と交渉のうえ条約を締結してこの聖都を占領した。

 さらに六三九年十二月、それまでパレスティナの海岸都市カエサリアを攻囲していたアムル・イブン・アルアースが、突如四〇〇〇の兵を率いてエジプトに進軍し、現在のカイロ南郊にあったビザンツのバビロン城を攻囲した。これに対してアレクサンドリアの大主教兼総督であったキュロスが二万の兵を率いて来援。一方アラブ側はメディナから一万の援軍が駆けつけて、六四〇年七月のヘリオポリス(アイン・アッシャムス)の戦いにおいてキュロス軍を撃破した。アムルは翌年四月にバビロン城を陥落させた後、アレクサンドリアの攻囲に着手した。

 コンスタンティノープルからの援軍が期待できない情況ではビザンツ側の抵抗は長続きせず、同年十一月にキュロスは降伏、翌六四二年にアレクサンドリア市の門はアラブ軍の前に開かれた。このようにして短期間のうちにシリアに続きエジプトも、アラブ軍によってビザンツの手から奪われたのである。
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アラブの歴史 イスラームの誕生

『物語 アラブの歴史』より イスラームの誕生

アブラハのメッカ遠征

 前章に記したようにアブラハは彼の王国の首都というべきサヌアーに、キリスト教の大きな教会を建てた。伝承によると彼はアクスムの王に手紙を書き、その教会をアラブのハッジ(大巡礼)の地に変えてみせると約束したという。その噂を耳にしたのがナースィー(イスラーム暦施行前のアラビアで暦月と季節のずれを調整する任を担っていた職)の男で、人々がメッ力のカァバ神殿へ行うハッジをサヌアーの教会に変えようとしていると立腹し、教会を汚物で汚したという。怒り心頭に発したアブラハは、カァバ神殿の破壊を目的にメッカに進軍した。

 メッカは市壁もない町で、とても遠征軍の攻撃には耐えられない。そこで市民は最初から抵抗を諦めて山に避難したという。しかし神が鳥の大群を遣わし、遠征軍の頭上に焼き煉瓦の飛疎を投げつけさせたので、敵は食い荒らされた茎のようになって退散したと、『コーラン』の第一〇五章(象の章)に記されている。神が自ら神殿をお護りになったと評判になり、これを機会にカァバヘの巡礼者の数は増加し、メッカの町も発展したと伝えられている。

 イスラームの伝承以外に史料がないので、実際にアブラハ軍がメッカに遠征したとの確証はない。しかし『コーラン』の記事を読む限り、おそらくムハンマドが生まれる前に起きたこの事件について、半世紀以上経ってもなおメッカの人々は、当時の恐怖心そのままに記憶していたのではないかという印象を受ける。遠征軍が飛蝶に打たれたというのは、天然痘などの疫病に感染したのではないかと推測されている。

 またサヌアーの教会とメッカのカァバが対立したのは、キリスト教の最も重要な行事である復活祭が、春分後の満月直後の日曜日に当たるので、メッカを含むヒジャーズ地方の巡礼祭と時期的に重なる可能性が高く、巡礼者を取り合うことになるからであり、またナースィーが憤慨したのは、暦に従ってアラビアの各地で挙行される巡礼行事と年市のサイクルが乱されてしまうからであろう、という解釈も行われている。

ムハンマドの召命と宣教

 ムハンマドが最初に神の啓示を受けたのは四十歳前後で、六一〇年ごろのことではなかったかと言われる。彼が後に人々に語ったところによると、ある日メッカ郊外のヒラーという岩山の洞窟でまどろんでいると、何者かが現れ彼を押しつぶすようにして何事かを語ったという。そのようなことが何度か続き、最初はただ恐れおののくだけであったが、やがてそれが唯一神アッラーの(大天使ガブリエルを介しての)啓示であることを悟るのである。

 アッラーはムハンマドに最後の審判の日が近いと告げ、その日のために備えるよう人々に警告せよと命じた。何よりも重要なのは唯一神アッラーを信じ、その教えに従って善行に励むことで、カァバ神殿に祀られているような神ならぬ偶像を拝むことは、最大の悪行であると説かれた。

 アッラーからの啓示はその後も断続的に下り、ムハンマドは自らが神の預言者であるとの自覚を持つに至る。当初は身内やごく近しい者に体験や考えを説いていたが、六一四年からは大衆伝道を開始した。メッカの市民たちに最後の日の到来が迫っていることを警告し、唯一なる神への帰依を説いた。『コーラン』に収められているムハンマドの言葉(アッラーの啓示)は、後ろの章へ行くほど短くなっている。実は一番後ろのほうに置かれているのが、ムハンマドが最初に受けた啓示で、そこからはおおまかに言って、前に行くに従い新しい啓示になるよう章が配置されている。これを見ると、最初は神からの啓示をそのまま口にして説教していたムハンマドが、次第に啓示の言葉をいわばコントロールする一方で、おそらく散発的に下るであろう啓示を編集していたらしい様子が窺える。

 ここまで読まれた読者はすでにお気付きのことであろう。ムハンマドの教えはきわめてユダヤ教的である。身辺にキリスト教徒がいたらしいという説もあるので、キリスト教の影響もないではないだろうが、先に記したアラブ民族とイスラエル民族の祖が、ともにアブラハムを父とする腹違いの兄弟であるという信念などを見ても、少なくともこの時点ではユダヤ教への親近感が強く感じられる。とはいえムハンマドが『旧約聖書』を読んだことなどありえず、旧約的な知識は周辺に数多くいたユダヤ教徒から、いわば耳学問で習得したのであろう。これはムハンマドに限ったことではなく、当時のアラビア半島の人々にとり、この旧約的な知識は半ば常識として浸透していたのではないかと推察される。ムハンマドの説教を読むと、相手がそういった知識を有していることをいわば前提としているとしか考えられない箇所が少なくない。

 ムハンマドの教えを最初に受け容れたのは妻のハディージヤ、ついで従弟で娘ファーティマの婿であったアリーが続き、親友であったアブー・バクルも初期の改宗者であった。ほかに若い世代を中心に成年男子が二〇〇名程度、成年女子もほぼ同程度か、この新興宗教の信者となったと言われる。これが現在は世界中に多くの信徒を抱えるイスラームの教団の第一歩であった。

メッカ征服

 メディナヘの移住によって信者の数が格段に増え、イスラーム共同体の指導者としての地位を確立させたムハンマドは、メッカとの武力闘争の決意を固めた。それまではもっぱら新宗教の布教に努める宗教家であったのが、以後は政治と軍事の面でも指導力を発揮するようになる。シリアより戻るメッカの隊商を襲って略奪を働いたのは、メッカに経済的打撃を与えることを目的とするほかに、信者たちの生活を支えるためでもあった。メッカ側は当然反撃に出たので、これ以降パドルの戦い(六二四年)、ウフドの戦い(六二五年)、塹壕の戦い(六二七年)などが続き、一進一退とは言いながら、結束が固く戦意が高いムハンマド軍側が次第に優勢になってきた。

 この過程で興味深いのは、右記の三つの戦いが終わるごとに、ムハンマドがメディナのユダヤ教徒部族の集落を攻撃し、その土地・財産を奪っている点である。パドルの戦いの後ではカイヌカーウ族、ウフドの戦いの後ではナディール族が攻撃され、結局、財産をすべて放棄してメディナを出て行くことを余儀なくされている。塹壕の戦いの後で攻撃されたクライザ族はさらに悲惨で、降伏後、成年男子はすべて処刑、女・子供は奴隷にされるという憂き目に遭っている。追放もしくは処刑されたユダヤ教徒は、メディナの資産の半分近くを所有していたと言われる。それが戦利品となり、ムハンマドによって再配分された。その結果ムハンマド自身はメディナ最大の資産家となり、移住者たちも中級以上の資産家となった。メディナのアラブも、それなりに潤ったようである。ユダヤ教徒が攻撃を受けた理由はそれぞれ語られるが、どれも半ば言いがかりと言っていいような内容で、最初から彼らの資産を奪うのが目的の軍事行動ではなかったのか、と疑いをかける者が出てくるのも当然である。

 そもそもメディナに移住する段階では、ムハンマドは自らと同じく唯一神を信じるユダヤ教徒が、彼を神の使徒として受け容れてくれることを期待していたと言われる。しかしユダヤ教のラビ(教師)たちは彼の信仰をあざけり、ムハンマドは彼らとの論争を余儀なくされた。その過程でおそらく彼は、ユダヤ教徒との訣別を決断し、以後は一転して彼らに攻撃的になったのであろう。アラビアのユダヤ教徒が親ペルシアであることは、周知の事実であった。ヒジュラ以降きわめて政治的に敏感になったムハンマドにとり、彼らの存在は次第に危険なものと映ったに違いない。それに加えて、移住者たちの生活を支えなければならないという必要性が相まって、ユダヤ教徒部族への攻撃を引き起こしたのではあるまいか。

 さて、このようにしてメディナ全体を完全に掌握したムハンマドは、六二八年に信徒を率いてメッカヘの小巡礼(ウムラ)を試みた。これを遮ろうとしたクライシュ族とフダイビーヤで交渉が行われた結果、十年間の休戦と、ムハンマドの巡礼団はいったんメディナに帰る代わりに、翌年はムスリムが自由に巡礼できるよう、メッカの住民が三日間だけ町を引き払うことなどが約束された。これをフダイビーヤの和議と呼んでいる。

 これに基づき、翌年ムハンマドたちは平和裡に巡礼を行った。しかし六三〇年になると、部族間の争いから生じた刃傷沙汰を口実に、ムハンマドは軍勢を率いてメッカに迫った。塹壕の戦いではメッカ軍に味方した周辺の遊牧民も、今回は多くがムハンマド側に立って参戦していた。メッカ側にはもはや抵抗する気力はなく、ここにおいてムハンマドはメッカの無血征服に成功したのである。同年の一月のことであった。ムハンマドは早速カァバ神殿に赴き、内部の偶像をすべて破壊したと伝えられている。
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バルト三国をバスで縦断する

『おとなの青春旅行』より ⇒ ヨーロッパ縦断の旅の参考

バルト三国をバスで縦断する

 中世の街並みが広がるタリン旧市街 ここ最近、私の周辺では「バルト三国に行ってきたよ!」という人が増えており、観光地としてずいぶん認知されてきたと感じる。

 バルト海の東に位置するエストニア、ラトビア、リトアニアの三国は、1991年にソ連から独立して以来、暮らしにもだいぶ変化があったようだ。現地の中高年の人たちに昔のことを訊ねると、「小学校の夏休みに、コルホーズでリネンの原料をトラックに積むバイトをやったよ」とか、「ミルクを買うのに、行列に並んだものよ」「地味な服しか売っていなかったから、自分で縫って手づくりしていたわ」などという答えが返ってくる。しかしそんなソ連時代の苦労なんて、若者たちはもちろん知らない。

 いまでは自由を取り戻した三国を、北から南ヘバスで縦断する旅に出た。

 エストニアには、フィンランド航空を利用してヘルシンキ経由で入国。ホステルに予約を入れていたので、空港からバスに乗ってタリンの旧市街へ向かった。

 宿に到着すると、数人の日本人が共有スペースでくつろいでいた。ひとりはシベリア鉄道に乗ってロシア経由でやって来た60代の男性。英語はほとんど話せないが、ひとり旅を続けているという。旅の途中、多くのロシア美女と出会い、虜になったのだろう。窓辺に座っていた女性がロシア人と知ると日本語で猛アタックしていた。言葉が通じなくてもなんとかなるらしい。

 翌日は旧市街の中心地、ラエコヤ広場へ。夏季期間中の週末にはマーケットがオープンし、エストニアの名産品を売る屋台が軒を連ねる。エルク(ヘラジカ)やイノシシのサラミ、ヒモ状のチーズ、蜂花粉など、めずらしい食品が並ぶ。リネンやニット、フェルト製品も、メイド・イン・エストニア。季節に関係なく、冬モノのセーターやポンチョなども販売している。

 広場の周りには、カフェやレストランが建ち並び、旧市庁舎の尖塔には街を見守る「トーマスおじいさん」の像も。―階にはレストランが入っており、口をパックリ開けているドラゴンの看板には「スリー・ドラコン」とある。

 覗いてみると、薄暗い店内でツギハギのある昔風のドレスを着た女性たちがスープをよそったり、パイを並べたりしている。小腹が空いたので列に並ぶと、その女性たちが荒々しく何かしゃべり始めた。

 自分の番になり、恐る恐るエルクのミートパイとスープを注文すると、いたって普通の対応。あとで知ったのだが、こんなケンカ腰のやり取りも店の演出のひとつなのだとか。怒られなくてよかった。エルクの肉は臭みもなく、おいしくいただいた。

 中世の街並みが広がる旧市街は、観光名所や土産物店が多く並ぶツーリスト必見のエリア。名所巡りをする前に、街全体が見渡せる聖オレフ教会の展望台に登ることにした。オレンジ色の屋根が連なる街並みと、港にフェリーが入ってくる様子が見える。海の向こうはフィンランド。フェリーに乗ってヘルシンキから約2時間ということもあり、物価の安いエストニアに酒を買いにくるフィンランド人が多いそうだ。

タリンの黒パン愛

 展望台を降りて、「のっぽのヘルマン」(トームペア城の一角に建つ塔)や「ふとっちよマルガレータ」など、観光スポットをひととおり訪ねたあとは、エストニアの郷土料理が食べられるレストラン「クルドゥセ・ノッツ・クルツ)」 へ。

 山小屋風の店内には、昔の生活道具がそこかしこに飾られ、リラックスできる雰囲気だ。民族衣装に身をつつんだ女性がオーダーを取りにきた。豚の血と肉、大麦を腸詰にした血のソーセージ「ヴェリヴォルスト」と、「シュルトゥ」と呼ばれる豚肉の煮ことり、マッシュポテトに大麦を混ぜ、カリカリベーコンをトッピングした「ムルギプデ」「ニシンのマリネ」も注文した。

 血のソーセージは気が進まなかったが、食べてみると味は悪くない。旅をするからには、やはりその土地のものは食べておきたいもの。エストニアに限らず、バルト三国の人たちは、ライ麦でつくられた黒パンを主食とし、豚肉、ポテト、乳製品などを多く摂るようだ。外国を旅するときには、普段食べ慣れている黒パンを持参する人もいるのだとか。バルト三国の人々の黒パン愛は、計り知れない。

 別の日には、エストニア野外博物館にも行ってみた。17世紀から20世紀までの建物を国内各地から移築し、一般公開しているところだ。園内を歩くと、肩からショールを掛け、ロングスカートにエプロンを着けたと婦人方が、古い家屋の前でレース編みをしたり、藁細工をつくったりしている。手づくりしたものをその場で売っているのだが、ガイドの役割も果たしているようだ。

 「オーブンに火を入れることで、パンを焼いたりするだけでなく、家全体が暖かくなるのよ」などと、家屋の構造今昔の人の暮らしなどを説明してくれ 夏の毎週末には、民族衣装を着たグループがフォークダンスを披露するというので、こちらもチェック。さまざまな年代の男女が踊ったり、ゲームをした後、観客を輪の中に招き入れ、一緒に踊るというもの。

 「あれ? どこかで見たような」

 あそこで活き活きとした表情で踊っているのは、ホステルで一緒だった日本人男性。先ほどのシベリア鉄道の男性とは別の人物で、彼も60代。会社を退職してひとり旅をしているという。いまの60代は若々しく、人生をエンジョイしている人が多いようだ。

 いよいよタリンともお別れ。インターナショナルバス「LUX EXPRESS(リュクスエクスプレス)」に乗って、陸路でラトビアの首都リガヘ向かう。

リガの巨大市場

 バスは緑濃い樹木が立ち並ぶ道路を走り、入国審査もないまま気がつくと国境を越えていた。ラトビアの首都リガに到着し、かまぼこ形の建物を望む運河沿いのバスターミナルで停車。ホテルの予約はしておらず、さっそく宿探しとなる。

 行き当たりばったりで入ったホテルにとりあえず1泊し、翌日からは安くて清潔そうなホステルに泊まった。ホステルのリビングに入って行くと、年若い男性が「夕食はもう食べたの?」と声をかけてきた。「まだだよ」と首を横に振ると、「じゃあ、僕がつくるから一緒に食べよう」と言う。

 スイートチリとソイソースを絡めたパスタに、炒めたソーセージ、そしてビール。彼はホステルのスタッフで、アニメがきっかけで日本を好きになったという。日本人と見ると親切にしたくなるようだ。「夕食のお礼に日本語を教えてあげるよ」と提案すると、部屋の奥から富士山御来光の絵が描かれたノートを持ってきた。どうやら自作の絵らしい。これが彼にとっての日本のイメージなのだろう。

 翌朝は中央市場を訪ねた。バスターミナルの近くにあった、あのかまぼと形の建物だ。ツェッペリン飛行船の格納庫を移築したもので、1930年にオープンした当初は、ヨーロッパ一を誇る規模と、モダンな設備を持つマーケットとして話題になったという。

 屋外にも露店が並び、野菜やフルーツ、花などを販売している。ラトビア人は、特別な日でなくても花を贈る習慣があるそうで、日常の何気ない時比も花束をプレゼントするのだとか。屋内に入っていくと、体育館のような造りで、その広いこと。

 バルト海に面しているので魚が豊富だ。タラやサーモン、ヤツメウナギもある。燻製も多く並んでいるが、バケツに束で入っていたのは魚の干物。ディスプレイが斬新だ。名産のハチミツや、黒パンも販売していて、ラトビアの人たちの食生活が見えてくる。

 市場をあとにし、リガ大聖堂や聖ヨハネ教会などを巡り、アールヌーヴォー様式の建物が集まる新市街にも足を伸ばした。動植物申人面などのモチーフがちりばめられているこれらの建物は、「ユーゲントシュティール建築」と呼ばれ、人気の観光スポットだ。

 お腹が空いてきたので、旧市街に戻り、ラトビア料理のテイスティングメニューがあるというレストラン「クローズィニシュ・プロヴィンツェ)」に入った。茄でた豆に炒めたベーコンとタマネギを乗せた「ズィルニ」や、「ブレッド・スープ」など全5品を味わう。

 メニューを見ると「ブラック・バルサム」というラトビアの薬草酒の名前もあった。24種類の薬草が入っており、アルコール度45%とある。ロシアの女帝エカチェリーナがラトビア訪問中、病に罹った際、この薬草酒を飲んで回復したという言い伝えが残っている。ここでは飲まなかったが、後日、土産物店で40ml入りの小瓶を大量購入した。黒スグリ味もあって、こちらのほうが飲みやすく個人的には好みだった。

 旅も後半にさしかかり、明日はもうリトアニア。十字架の丘で知られるシャウレイと、杉原記念館のあるカウナスを経由して、首都ヴィリニュスを目指す。
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反映対比表 2018 Week 30

07月23日

 マスードのライバルの将軍 10.4.1-3 革命家
 パートナーとの長電話 7.5.3-2.4 自分のための時間
 9.1.1「格差問題」 9.1.1 格差問題
 9.1.2「環境問題」 9.1.2 環境問題
 9.1.3「循環問題」 9.1.3 循環問題
 9.1.4「集中の弊害」 9.1.4 集中の弊害

07月24日

 電子書籍化に対する、本屋と図書館の意味 6.2.3-3 場としての図書館
 未唯の二人目の男の子 7.2.3-4.3 幸せだけを願う
 9.2.1「国家の枠組み」 9.2.1 国家の枠組み
 9.2.2「地域の柔軟性」 9.2.2 地域の柔軟性
 9.2.3「家族という単位」 9.2.3 家族という単位
 9.2.4「生き抜くため」 9.2.4 生き抜くため

07月25日

 発想の逆転させる風景 10.4.4 宇宙から見る
 欧州の街を歩きたい 7.3.3-3.1 欧州の姿
 9.3.1「国を超える」 9.3.1 国を超える
 9.3.2「日本と各国」 9.3.2 日本と各国
 9.3.3「日本の方向」 9.3.3 日本の方向
 9.3.4「国家連合」 9.3.4 国家連合
 9.4.1「サファイア機能」 9.4.1 サファイア機能
 9.4.2「内と外の循環」 9.4.2 内と外の循環
 9.4.3「思考」 9.4.3 思考
 9.4.4「行動」 9.4.4 行動
 8.3.3「自律分散」 8.3.3 自律分散
 8.3.4「課題解決」 8.3.4 課題解決

07月26日

 レシートを読み込むアプリ 7.1.4-4.4 私に提供されたモノ
 10.4.1「歴史上の人間」 10.4.1 歴史上の人間
 10.4.2「歴史の進化」 10.4.2 歴史の進化
 10.4.3「歴史の<今>」 10.4.3 歴史の<今>
 10.4.4「宇宙から見る」 10.4.4 宇宙から見る
 10.5.2「配置の考え方」 10.5.2 配置の考え方
 10.5.3「伝播する」⇒「近傍を形成」 10.5.3 伝播する

07月27日

 21thシングル 3.6.4-4.2 選抜基準
 9.8.1「地域主体」 9.8.1 地域主体
 9.8.2「寄り添う社会」 982 寄り添う社会
 今週の新刊書 6.4.1-2.3 知りたいという思い
 イスラエルの出産・子育て事情 7.3.4-3.3 世界の暮らし
 二都物語--エルサレムとテルアビブ 4.7.4-2 4.7.4-2.1 異なる価値観
 実は「鉄道会社」が最も近いトヨタのMaaS構想 8.8.3-1.1 交通機関の進化
 トヨタ自動車の国内生産台数はすでに減少トレンド 8.8.3-1.4 効率の考え方

07月28日

 ジコチューでやりたいことをやる 7.5.3-1.3 女性の生き方
 イスラエルは日本の正反対 9.3.3-1.3 依存体質
 子供を産むことを生産とする社会  7.3.4-3.4 生活の知恵⇒出産
 2歳児と犬と留守番 7.2.3-4.3 幸せだけを願う
 昭和陸軍の派閥闘争 9.3.2-1.3 ローカル意識
 「滅亡」の時代 4.4.2-3.2 多くの事象⇒時代区分
 寒冷化 4.4.2-3.2 多くの事象⇒時代区分
 新しい体制 4.4.2-3.2 多くの事象⇒時代区分
 イスラームの登場と席捲 451-31 西洋と異なる形態
 オリエントの再統一 451-31 西洋と異なる形態
 イスラームの定着 451-31 西洋と異なる形態

07月29日

 9.8.3「シェア社会」 9.8.3 シェア社会
 9.8.4「知の世界」 9.8.4 知の世界
 未唯宇宙の参考資料 1.7.2-4.4 私の世界から
 なぜヨーロッパなのか? 4.4.3-4.1 地域の活性化
 産業革命で家族とコミュニティの崩壊 4.6.3-2.1 存在の力を集約
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反映対比表 2018 Week 29

07月16日

 ももこの「存在」の感覚 1.1.3-1.4 存在から始めよう
 いくちゃんのらじらー出演 3.6.1-3.1 エネルギー維持⇒いくちゃん
 今日のスタバ 7.3.3-1.3 人との関係
 あと一週間なのに出掛けていった 7.2.3-4.3 幸せだけを願う
 考えを変えてみる 1.2.1-2.2 考えるは生きること
 「超ソロ社会」で半数が独り身 3.5.3-2.2 未婚率拡大
 6.5.1「図書館を配置」 6.5.1 図書館を配置
 6.5.2「図書館を拡げる」 6.5.2 図書館を拡げる
 6.5.3「地域のセンター」 6.5.3 地域のセンター
 6.5.4「アピール」 6.5.4 アピール
 6.6.1「知りたい思い」 6.6.1 知りたい思い
 6.6.2「内なる世界」 6.6.2 内なる世界
 6.6.3「知識と意識」 6.6.3 知識と意識

07月17日

 8.7.1「日常の変化」 8.7.1 日常の変化
 8.7.2「中間の活用」 8.7.2 中間の活用
 8.7.3「周縁に拡大」 8.7.3 周辺に拡大
 8.7.4「新しい社会」 8.7.4 新しい社会
 8.8.3「総合体系」⇒「交通体系」 8.8.3 総合体系
 8.8.4「クルマの未来」 8.8.4 クルマの未来

07月18日

 猿投で小学1年生熱中症で死亡 3.7.1-2.3 依存による退化
 「ジコチューで行こう!」の示すもの 3.6.4-2.1 多様なつながり
 ファーストフードの公共化 3.1.1-1.4 グローバル化の象徴
 8.1.1「中間の役割」 8.1.1 中間の役割
 8.1.2「中間の場」 8.1.2 中間の場
 8.1.3「市民とつながる」 8.1.3 市民とつながる
 8.1.4「ソーシャル活用」 8.1.4 ソーシャル技術
 10.1.1「他者がいる」 10.1.1 他者がいる
 10.1.2「提案したい」 10.1.2 提案したい
 10.1.3「存在の意識」 10.1.3 存在の意識
 10.1.4「中間の場」 10.1.4 中間の場

07月19日

 OVERVIEWから町の姿を考える 3.7.3-4.3 組織からコンセプト
 スタバ日記 7.3.3-1.1 生活パターン
 部屋の模様替え 7.3.2-1.4 一人の習慣
 とりあえず、動こう! 7.3.3-1.1 生活パターン
 10.2.1「哲学者」 10.2.1 哲学者
 10.2.2「歴史哲学」 10.2.2 歴史哲学
 10.2.3「存在で考える」 10.2.3 存在で考える
 10.2.4「哲学で考える」 10.2.4 哲学で考える

07月20日

 ベトナム・ダナンでのMV撮影 3.6.3-4.1 取り込み
 本が合わなくなってきている 6.2.1-4 文学は読まない
 ハゲタカが居ない 6.4.1-3.1 ムダな新刊書争奪戦
 ピーチフラペチーノ 7.3.3-1.2 日々の生活
 素人レビュアーの大量出現 3.6.4-3.1 コメント
 中国の情報化戦争 4.1.2-3.4 ネット革命
 社会的欧州の新段階 4.7.4-1.3 独仏・北欧・南欧

07月21日

 「好き嫌い」が哲学の根本 6.2.2-1 好き嫌いの世界
 デバイス選択格差 8.1.4-2.1 情報を使う感覚
 グローバル化が世界的不平等を生んだ 4.3.2-4.1 集中が格差を生む
 人々は格差をどう見ているか 9.1.1-2.2 地域・社会格差
 再分配政策の意味 9.1.4-2.2 分配の負荷

07月22日

 私は何をしたいんだろう 1.3.1-1.1 何をなすか
 メールを確認し損なった 7.5.3-1.1 メールはトラウマ
 未唯の二人目も男の子 7.2.3-4.3 幸せだけを願う
 コンビニは家族制度を崩壊させる 7.6.4-4.4 ユニット⇒生活面
 コメント文化から将来を描けるか 3.6.4-3.1 コメント
 量子力学 スマホの武器は配られた! 8.4.2-1.3 ゲームから進化
 シェアサイクルサービス 10.6.4-2 シェア社会
 日本のバブル経済 4.5.4-1.2 国家の方向性
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反映対比表 2018 Week 28

07月09日(月) 未唯宇宙7.7.1~7.7.4

 逆ピラミッドロジック 5.4.1-2.1 適用範囲
 ジコチュウで行こう! 7.5.3-1.3 女性の生き方
 夢のスーパーめぐり 7.6.4-2.2 多次元表現
 7.1.4「ツール」 7.1.4 ツール
 7.5.4「魅力的な生き方」 7.5.4 魅力的な生き方
 7.7.1「<今>が全て」 7.7.1 <今>が全て
 7.7.2「全てとは」 7.7.2 全てとは
 7.7.3「外の世界」 7.7.3 外の世界
 7.7.4「知る意味」 7.7.4 知る意味

07月10日(火) 未唯宇宙8.5.1~8.5.4

 中間の太さ 7.1.4-1.1 文房具
 パターン解析 7.5.3-2.2 つながる瞬間
 未唯宇宙コメント 1.7.3-1.2 共有意識
 昼寝が一番 7.3.2-1.4 一人の習慣
 いくちゃんは先から見ている 7.5.3-1.3 女性の生き方
 三冊目のノートの使い方 7.1.4-1.1 文房具
 無印改装に伴う什器安売り 7.3.2-1.4 一人の習慣
 8.5.1「メッセージ」 8.5.1 メッセージ
 8.5.2「プッシュとプル」 8.5.2 プッシュとプル
 8.5.3「ライブラリ」 8.5.3 ライブラリ
 8.5.4「システムの展開」 8.5.4 システム展開

07月11日(水) 未唯宇宙8.6.1~8.6.4、8.8.1~8.8.2

 FBの愛知トヨタのCM 8.1.1-2.3 事例の展開
 今日はコクーン 7.1.4-1.1 文房具
 8.6.1「配置の世界」 8.6.1 配置の世界
 8.6.2「クラウド支援」 8.6.2 クラウド支援
 8.6.3「内なる世界」 8.6.3 内なる世界
 8.6.4「他者との関係」 8.6.4 他者との関係
 8.8.1「クルマは公共」 8.8.1 クルマは公共 
 8.8.2「コンパクト化」 8.8.2 コンパクト化

07月12日(木) 未唯宇宙8.3.1~8.3.2、10.5.1

 キーワード空間のつくり方 1.6.3-4.2 テーマ設定
 写真集『転調』 3.6.1-3.1 エネルギー維持⇒いくちゃん
 8.3.1「中間の場」 8.3.1 中間の場
 8.3.2「地域に配置」 8.3.2 地域に配置
 10.5.1「分化を示す」⇒「私の分化」 10.5.1 分化を示す

07月13日(金) 本の感想

 『七十人訳ギリシア語聖書入門』 4.3.1-3.1 クルアーン
 『数学を嫌いにならないで』  2.1.1-1.4 数学を進化させる
 『音声に未来はあるか?』はスマートスピーカー 8.6.2-4.4 個人の好き嫌い
 新興都市アレクサンドリア 7.3.3-3.3 図書館調査
 数学と星座占い 2.1.1-1.4 数学を進化させる
 スマートスピーカー 8.6.2-4.4 個人の好き嫌い

07月14日

 『地域協働のマネジメント』 8.1.3-1 地域の拠点
 『市場首位の目指し方(経営戦略の実戦)』 9.7.3-1.1 市場メカニズム
 『男女平等はどこまで進んだか』 10.2.3-3.1 平等への道

07月14日

 『地域協働のマネジメント』より 地域コミュニティの再構築--つながりから協働の「場」へ
 地域コミュニティの再構築の必要性 8.1.3-1 地域の拠点
 レトルトカレー 9.7.3-1.1 市場メカニズム
 男女平等はどこまで進んだか 10.2.3-3.1 平等への道

07月15日

 『EV・自動運転を超えて“日本流”で勝つ』 8.8.1-3 自動運転の意味
 『公共政策学』 6.2.4-1.2 公共の具体化
 『虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年』 4.5.4-1.2 国家の方向性
 つながる世界での販売店の戦い方 8.1.1-2.1 サービスの高度化
 クルマを超えた移動サービスへ 5.8.4-3.3 移動ニーズ減少
 市民の意思は政府政策を制御するか 9.8.2-1 市民の自律
 明治維新はグランドデザインなき軍事クーデター 4.5.4-1.1 所与の民主主義
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反映対比表 2018 Week 27

07月02日

 考えたこと、感じたことを書く 7.7.2-3.3 現象を捉える
 リュックの持ち方 7.3.3-1.2 日々の生活
 黄色のエプロン 7.5.3-2.3 好き嫌いが基準
 7.5.1「もう一人の私」 7.5.1 もう一人の私
 7.5.2「パートナー」 7.5.2 パートナー
 7.5.3「つながる楽しみ」 7.5.3 つながる楽しみ
 サイゼリヤ 3.1.1-3.1 ファストフード
 スターバックスコーヒー 3.1.1-1.2 アルバイトのしつけ
 モスフードサービス 3.1.1-1.3 フランチャイズ
 ベーシック・インカム資本主義 9.7.3-3.2 様々な資本主義
 サービス産業政策の展開 9.8.2-4.1 資本からサービス
 サービス経済化と経済・社会 9.8.2-4.1 資本からサービス

07月03日

 20世紀最後の岩波講座『世界歴史』 4.4.1-1.3 様々な考え方
 スタバでお仕事 7.5.3-1.3 女性の生き方
 6.8.1「今を知る」 6.8.1 今を知る
 6.8.2「全てを知る」 6.8.2 全てを知る
 6.8.3「先を知る」 6.8.3 先を知る
 7.8.3「歴史の分岐点」 7.8.3 歴史の分岐点
 7.8.4「存在の無」 7.8.4 存在の無
 歴史における個別性と共時性 4.4.2-2.3 時空間の圧縮
 歴史分析の新しい視角と手法 4.4.2-2.3 時空間の圧縮
 細部と構造 4.4.2-2.3 時空間の圧縮
 スンナ派とシーア派 4.3.1-3.2 宗派対立
 スンナ派国家の特徴 4.3.1-3.2 宗派対立
 シーア派国家の主張 4.3.1-3.2 宗派対立
 一七八四年アレッポの事例 4.3.1-3.2 宗派対立

07月04日

 多重宇宙ということ 10.4.4-2 多重宇宙
 主婦業からサービス業 8.7.4-4.2 お客様ひとり
 態から入って、態から抜ける  8.3.2-1 情報共有環境
 取り囲むものを取り囲む 8.3.2-1 情報共有環境
 今週末は雨のバスラ 3.6.3-2.4 世界の創出
 ベトナムの平和 10.6.4-4.2 東シナ海周辺
 7.1.1「放り込まれた」 7.1.1 放り込まれた
 7.1.2「独りぼっち」 7.1.2 独りぼっち
 7.1.3「好奇心」 7.1.3 好奇心
 演劇的空間としてのロシア革命 4.1.2-1 共産主義革命
 古代ギリシアの都市国家と戦争 4.3.3-1.1 国家の論理
 市民革命と国民軍の誕生 4.2.3-3 総力戦の要因

07月05日(木) 行動と思考の関係

 行動と思考の関係 2.2.4-3.2 役割と機能
 子供を持たない女性 7.6.4-3.3 少子化との関係
 雨のバスラ 3.6.3-2.4 世界の創出

07月06日(金) 未唯宇宙7.6.1~7.6.4

 死刑の意味 4.2.1-3.1 指導者を渇望
 新刊書 7.7.2-2.1 新刊書22000冊
 ヨーロッパ旅行 7.3.3-3.1 欧州の姿
 内に発信 7.2.3-1.3 承認は不要
 7.6.1「未唯空間で表現」 7.6.1 未唯空間で表現
 7.6.2「知のインフラ」 7.6.2 知のインフラ
 7.6.3「未唯宇宙」 7.6.3 未唯宇宙
 7.6.4「家族制度」 7.6.4 家族制度
 宗教改革からハイパー資本主義の暴走へ 9.7.3-3.1 資本主義の爆弾
 プラットフォーム独占という悪夢 9.7.3-1.4 所有の意味
 電子国家 9.7.4-2.4 革命を認識
 書物を処分する方法 6.2.2-4.3 コンテンツ共有化

07月07日

 「いらないもの」としての本 6.2.2-4.3 コンテンツ共有化
 本はデジタル化によって 様相が一変する 6.2.3-1.2 読書形態を進化
 アメリカはロシアに侵略されている 9.4.4 行動
 『ごみ収集という仕事』という本 6.6.3-3.4 書く意味
 私に合わせて、ツールは作られる 7.1.4-1.4 ツールの進化
 「日本共産党」の古典的意義 6.2.2-1.4 未唯空間に織り込む
 ベルリン封鎖 4.1.2-3 共産党政策
 チャーチルとトルーマンの「敗北宣言」 4.1.2-2.4 多大な犠牲者

07月08日

 ジコチューで行こう! 3.6.4-2.1 多様なつながり
 本質で絞り込む 10.6.4 本質を追究
 コミュニティの伝播 9.7.2-2.2 外なる世界に拡大
 正規の良妻ハディージャ 7.2.3-3.1 歴史上の奥さん
 ソヴィエト参戦の衝撃 4.2.3-2.2 集団的浅慮
 参戦で軍事、外交、政治政策の崩壊 4.2.3-2.2 集団的浅慮
 原爆攻撃をした理由と目的 4.2.3-2.2 集団的浅慮
 ハル・ノート 4.2.3-2.2 集団的浅慮
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反映対比表 2018 Week 26

06月25日

 組織は死ぬことを忘れさせる 7.2.1-2.2 あきらめない
 未唯宇宙の書き出しノート 1.7.2-2.3 配置を意識
 65年間使っていなかった右目 7.3.3-2.1 健康状態
 何もすることがない世界 9.7.4-1.1 自由は確保
 コロセウムで自動運転車のレースを開催 8.8.1-3.1 クルマに意識付け
 武器の進化 8.4.2-1 武器の確認
 暑い! 7.3.1-1.4 自分を表現
 高所恐怖症は無理させるな 3.6.3-2.1 トラブル対策
 家庭という神話 7.3.4-3.2 範囲拡大
 家族の崩壊 7.3.4-3.2 範囲拡大
 液状化する社会 7.3.4-3.2 範囲拡大
 インスタントラーメンの誕生と人気 9.6.2-4 自律した個人
 インスタントラーメンはなぜ開発されたか? 9.6.2-4 自律した個人

06月26日

 6.2.1「本を読む」 6.2.1 本を読む
 6.2.2「多様な考え方」 6.2.2 多様な考え方
 6.2.3「電子書籍で進化」 6.2.3 電子書籍で進化
 6.2.4「共有を先行」 6.2.4 共有を先行
 6.3.1「本から始まる」 6.3.1 本から始める
 6.3.2「内なる世界」 6.3.2 内なる世界
 6.3.3「他者との接点」 6.3.3 他者との接点
 「乃木撮」はお買い得 3.6.3-4.2 コンテンツ
 モスの「にくにくにくバーガー」 3.1.1-1.1 100円バーガー
 育児から見た家族制度の見直し 7.6.4-4.1 親との関係
 そろそろ、エアコンを付けようか 7.3.3-1.2 日々の生活
 「産まぬ幸せ」は勝手な考え 10.2.4-2.4 新しい家族制度
 図書館が考えることはそんなことではない 6.4.2-1 さまざまな企画

06月27日

 作られる数字 3.6.4-3.1 コメント
 FB「コミュニティが世界を変える」キャンペーン 8.6.2-1.1 コミュニティ主体
 乃木坂を話せる相手がいない 3.6.3-4.2 コンテンツ
 筆記具の選択 7.1.4-1.1 文房具
 未唯宇宙へのコメント 1.7.2-2.2 「論考」表現
 7.8.1「新しい数学」 7.8.1 新しい数学
 7.8.2「社会の構造」 7.8.2 社会の構造

06月28日

 子供をシェアする考え方 10.2.4-2.3 消費からシェア
 映像と本の世界 1.7.4-2.2 ライブラリ
 道具に関する見解 7.1.4.4.4 私に提供されたモノ
 6.3.4「存在を生かす」 6.3.4 存在を生かす
 6.4.1「私のライブラリ」 6.4.1 私のライブラリ
 6.4.2「場を提供」 6.4.2 場を提供
 6.4.3「市民と図書館」 6.4.3 市民と図書館
 6.4.4「図書館を守る」 6.4.4 図書館を守る

06月29日

 ハイアラキーの世界は嫌い 9.2.1-1 ハイアラキー前提
 『乃木撮』購入 3.6.3-4.2 コンテンツ
 貧しい教養部時代に岩波講座『世界歴史』を買っていた 4.4.1-4.4 時空間の解析
 フロイト、ヒトラー、トーマス・マン 4.1.1-3.1 個人が時代を反映
 ゲッペルス、ゲーリング、レーム 4.1.1-3.1 個人が時代を反映
 目標としての生涯学習社会 3.8.1-4 生涯学習

06月30

 7.4.1「孤立と孤独」 7.4.1 孤立と孤独
 7.4.2「独我論」 7.4.2 独我論
 7.4.3「他者の関係」 7.4.3 他者の関係
 7.4.4「発信する日々」 7.4.4 発信する日々
 『日記を書くと血圧が下がる』 感情日記の書き方Q&A
 感情日記の書き方 7.3.1-4.2 全てを表現
 日英同盟の盛衰 4.2.3-2.4 集団性
 ナチスの領土的野心とイギリスの対応 4.1.1-2.2 国家権力を掌握
 ミュンヘン会談 4.1.1-4.1 小さなことを承認

07月01日

 日曜日に元町スタバ 8.1.2-3.1 コミュニティ
 乃木坂選抜発表 3.6.4-4.2 選抜基準
 久保休養宣言 3.6.4-1.3 メンバー
 エネルギーシステムの分散化 8.8.3-4 エネルギー効率
 平等であるための革命 4.1.4-4.3 民主主義で格差
 DIYマーケット 9.7.3-1.1 市場メカニズム
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反映対比表 2018 Week 25

06月18日

 未唯空間の項目見直しルール 1.6.2-4 項目で要約

06月19日

 ワールドカップ 7.3.1-3.3 自分のテーマ
 キーワード空間の表現 1.6.3-4.2 テーマ設定
 中国の軍事脅威 4.7.4-3.2 中国とインドの二軸
 ギリシア独立戦争 4.7.3-3.1 甘えで思考停止
 シェアリングエコノミー 8.8.4-3.2 共同利用

06月20日

 5.8.1「組織を超える」 5.8.1 組織を超える
 5.8.2「配置のロジック」 5.8.2 配置のロジック
 5.8.3「クルマ社会」 5.8.3 クルマ社会
 5.8.4「会社改革」⇒「新しい社会に対応」 5.8.4 会社変革

06月21日

 書き出しノートの使い方 7.1.4-1.1 文房具
 めまいがあると動けない 7.3.3-2.1 健康状態
 6.1.1「私のための本」 6.1.1 私のための本
 6.1.2「本とは」 6.1.2 本とは
 6.1.3「図書館がある」 6.1.3 図書館がある
 6.1.4「図書館を知る」 6.1.4 図書館を知る

06月22日

 いくちゃんのショールーム 3.6.1-3.1 エネルギー維持⇒いくちゃん
 グランパス×SK 3.6.4-1.1 進化する存在
 対話の夢見 7.5.1-2.1 μとの対話
 レースカーをなぜ、走らせるのか 8.8.1-3.1 クルマに意識付け
 キーワード空間 1.6.3-4 キーワード空間
 実存とは人間の可能性のこと 7.2.1-3.2 哀しくなる存在
 死を忘れるための空談 7.2.1-2.4 欲望を抑える
 鎖の他に、失うものは何もない 4.1.4-4.2 不平等がエネルギー

06月23日

 『現代思想講義』 5.8.4-1 所有権放棄
 radiko 7.7.1-2.3 境界は作られる
 カンナエの戦いと捉えどころのない戦争の表情 4.4.3-2.1 地域の争い
 長倉洋海『マスード愛しの大地アフガン』 4.4.3-1.3 地域から突破口
 原子力外交 9.1.4-1.2 リスクより効率

06月24日

 問われてないことに応える 6.8.4-3.2 自由に答を誘導⇒ソクラテス構想
 駅前スタバが混んでいる 8.7.4-4 高度サービス
 ふらつく環境 7.3.3-1.2 日々の生活
 他者は死を忘れさせてくれる存在 7.2.1-2.2 あきらめない
 「男性中心」から「女性中心」へ 7.5.3-4.4 女性が活きる
 分配と差別 6.8.4-2.2 未唯宇宙の融合
 平等性のドグマ 10.2.3-3.1 平等への道
 ミュンヘン症候群 4.4.4-3.2 原因と結果を追求
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