未唯への手紙
未唯への手紙
留学したつもりで報告書をまとめる
留学したつもりで報告書をまとめる
偶然から大いなる意思を感じた。そこから何を意図しているか? 逆に自分の役割を見いだしたように。
どこから飛躍させるか? おなじことを言っているところから。
留学したつもりでこのレポートをまとめよう。帰りの船が沈むかもしれないけど。そんなことは親鸞。
キーワード空間に距離を導入
項目間の距離を入れ込むのがキーワード空間の役割。
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OCR化した5冊
『もう一度学びたい哲学』
お金を儲けることは悪いことなのでしょうか?
どうしてお金がほしくなるのでしょうか?
お金持ちだけが得をしているのでないでしょうか?
お金持ちが人格者ではないのはなぜでしょうか?
どうして税金を払わないといけないのでしょうか?
なぜギャンブルをしたくなるのでしょうか?
労働せずに投資で儲けてはいけないのでしょうか?
どうして働かなければならないのでしょうか?
どうして会社に上司は必要なのでしょうか?
会社と社員はどちらが大事なのでしょうか?
出世するといいことがあるのでしょうか?
どうして話が合わない人がいるのでしょうか?
なぜいじめはなくならないのでしょうか?
リーダーシップとはなんでしょうか?
近所づき合いは必要なのでしょうか?
どんな愛が一番幸せなのでしょうか?
人はなぜ恋愛をするのでしょうか?
どうして結婚しなければいけないのでしょうか?
どうして不倫はいけないのでしょうか?
神様は存在しているのでしょうか?
世の中の決まりごとは、どうやって作られたのでしょうか?
多数決はベストな決定手段なのでしょうか?
なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?
どうして勉強しなければいけないのでしょうか?
楽しいことばかりをするのはいけないのでしょうか?
なぜ人は誘惑に負けてしまうのでしょうか?
計画的な人生の方が幸せなのでしょうか?
社会を変えることが自分にできるのでしょうか?
強欲はいけないことなのでしょうか?
『博報堂で学んだ負けないプレゼン』
プレゼン作りの演習問題「新手のコーヒーチェーンを作る」
オリエンはこんな感じ
次に世の中とのすり合わせ
ロジック整理チャートヘの落とし込み
私が考えたロジック3点セット
最後に解決策
あなたの事例でやってみよう!
『キーワードで読み解く地方創生』
産業集積・企業城下町
エ業都市の発展と産業立地政策の展開
イノベーションを重視した産業振興へのシフト
各地に形成された企業城下町とその変容
望まれる地域の個性を生かした産業振興
コンパクトシティ
90年代以降進んだコンパクトシティ
ハコモノ先進事例を成功事例と勘違いしがち
コンパクトシティは難題山積
シェアリングエコノミー
スマートフォンの普及で拡大するシェアリングエコノミー
訪日外国人向けシェアサービスでは地方圏にチャンスあり
『インド思想との出会い』
仏陀の真の教えは何か
仏陀は宗教改革のみを切望した
歪曲された仏陀の教え
仏陀は心を人間の活動の中心に据えた
宗教は論議から離れ、実践を目指すべし
知性的な仏陀の教え
普遍宗教としての仏陀の教え
自ら自分の光明となれ
『構想力の方法論』
歴史的構想力
構想力の時空間を広げよう
未来をつくる歴史の智慧
イノベーションは歴史的事件として起きる
ドットとドットが繋がり綜合されていく
歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
必然と偶然のシンクロニシティ
ナラティブな創造
歴史についての二つの対極の方法
歴史的方法①:シナリオ思考
未来は驚きとともにやってくる
歴史的方法②:ミクロストリア
細部への注視
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
お金を儲けることは悪いことなのでしょうか?
どうしてお金がほしくなるのでしょうか?
お金持ちだけが得をしているのでないでしょうか?
お金持ちが人格者ではないのはなぜでしょうか?
どうして税金を払わないといけないのでしょうか?
なぜギャンブルをしたくなるのでしょうか?
労働せずに投資で儲けてはいけないのでしょうか?
どうして働かなければならないのでしょうか?
どうして会社に上司は必要なのでしょうか?
会社と社員はどちらが大事なのでしょうか?
出世するといいことがあるのでしょうか?
どうして話が合わない人がいるのでしょうか?
なぜいじめはなくならないのでしょうか?
リーダーシップとはなんでしょうか?
近所づき合いは必要なのでしょうか?
どんな愛が一番幸せなのでしょうか?
人はなぜ恋愛をするのでしょうか?
どうして結婚しなければいけないのでしょうか?
どうして不倫はいけないのでしょうか?
神様は存在しているのでしょうか?
世の中の決まりごとは、どうやって作られたのでしょうか?
多数決はベストな決定手段なのでしょうか?
なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?
どうして勉強しなければいけないのでしょうか?
楽しいことばかりをするのはいけないのでしょうか?
なぜ人は誘惑に負けてしまうのでしょうか?
計画的な人生の方が幸せなのでしょうか?
社会を変えることが自分にできるのでしょうか?
強欲はいけないことなのでしょうか?
『博報堂で学んだ負けないプレゼン』
プレゼン作りの演習問題「新手のコーヒーチェーンを作る」
オリエンはこんな感じ
次に世の中とのすり合わせ
ロジック整理チャートヘの落とし込み
私が考えたロジック3点セット
最後に解決策
あなたの事例でやってみよう!
『キーワードで読み解く地方創生』
産業集積・企業城下町
エ業都市の発展と産業立地政策の展開
イノベーションを重視した産業振興へのシフト
各地に形成された企業城下町とその変容
望まれる地域の個性を生かした産業振興
コンパクトシティ
90年代以降進んだコンパクトシティ
ハコモノ先進事例を成功事例と勘違いしがち
コンパクトシティは難題山積
シェアリングエコノミー
スマートフォンの普及で拡大するシェアリングエコノミー
訪日外国人向けシェアサービスでは地方圏にチャンスあり
『インド思想との出会い』
仏陀の真の教えは何か
仏陀は宗教改革のみを切望した
歪曲された仏陀の教え
仏陀は心を人間の活動の中心に据えた
宗教は論議から離れ、実践を目指すべし
知性的な仏陀の教え
普遍宗教としての仏陀の教え
自ら自分の光明となれ
『構想力の方法論』
歴史的構想力
構想力の時空間を広げよう
未来をつくる歴史の智慧
イノベーションは歴史的事件として起きる
ドットとドットが繋がり綜合されていく
歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
必然と偶然のシンクロニシティ
ナラティブな創造
歴史についての二つの対極の方法
歴史的方法①:シナリオ思考
未来は驚きとともにやってくる
歴史的方法②:ミクロストリア
細部への注視
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
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歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
『構想力の方法論』より 仏陀の真の教えは何か
歴史的方法:ミクロストリア
歴史学者の阿部謹也は著書『歴史と叙述-社会史への道-』の中で次のように述べていました。
「人間は不可能といいながらも常に何らかの形で全体像の形成へ、世界像の形成へと向かわざるをえないとされているのだが、その全体像とか世界像といわれるものは、個なる自己が人間存在、一回限りの人間のいのちの深さと重さを時と場所をこえて受けとめようとするときの、したたかな手ごたえのある、しかし果てしのない行路以外のなにものでもないのである。それが世界像であり、また世界史なのだ。だから世界像も世界史も常に完結しない課題・行路として存在しているのである。個別的なもののなかに、個人の一生のなかにも世界史をみることは出来る」
歴史学の方法でもう一つ、歴史=物語論の対極として、ホワイトの歴史的想像力とともに重要なのは先にも述べたミクロストリア(ミクロレベルの歴史、微視の歴史学)という方法です。ミクロストリアは、歴史学における従来の実証主義に対しても、またそれに異議申し立てをしたホワイトらの歴史=物語論の相対主義的立場に対しても、反論することをバネとして登場した新たな手法です。その有力な提唱者であるイタリアの歴史家ギンズブルグ(1939-)は、阿部謹也も関心を寄せた、ブローデルらの率いる「アナール派」の研究者であり、歴史叙述の現場で行なわれている作業を再検討することで、実証主義とも相対主義とも異なる歴史を描き出そうとしました。具体的には、境界などがはっきりと定義された小さな単位を対象とし、集中的に歴史学的な調査・記述を行うという手法です。多くの場合、一つの出来事や一つの村など小さな共同体、あるいは一人の個人を対象とします。
ギンズブルグは著書『歴史を逆なでに読む』で、歴史=物語論への反論を次のように述べます。
「今日、歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき、そこには、フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を、事実上廃止してしまおうとする相対主義的な態度がともなっている」
「わたしたちは実証主義を拒絶する場合でも、なお〝現実〟とか〝証拠〟とか〝真実〟といった概念には立ち向かわなければならないのである」
また、ミクロストリアを深化させて著した『チーズとうじ虫』では、一六世紀イタリアのフリウリ地方に住む一人の粉挽屋の異端審問記録から、当時のイタリアの農民文化を描きだしています。主人公のメノッキオは教会の教義とは異なるさまざまな書物を読み(コーランも含まれていた)、農村の生活での自然の観察から独自の世界像をつくりあげていました。審問記録によれば「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです」というのがメノッキオの主張でした。ギンズブルグは、このただ一人の男の物語から、当時のキリスト教の背後に隠れていた、膨大な文化の存在キリスト教以前の農民宗教を描いたのです。メノッキオは、聖餐式などの儀式はキリストがはじめたのではなく、ローマ教会によって設けられたので、それらがなくても人は救済される、とか、地獄も煉獄も金儲けをするために司祭や修道士たちが考えだしたもの、またもしキリストが義の人なら、十字架に傑けになることはなかっただろう、などと主張したのです。そして二度異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまいます。
細部への注視
このようなミクロな問題や場に目を向けること、ミクロストリア的思考の特徴は、大きな問題に迫ろうとすると抽象的議論に陥ってしまうのに対し、現実の一点をつぶさに観察、記述することでそこに集結する多様な文脈が見えるようになるということです。そこで得られたユニークな観点を、次により広い世界に適用していく。これは、領域密着型の理論構築(GTA:grounded theory approach)などの質的研究方法論にも通ずるものです。
哲学者の中山元はこの知的方法論を「ミクロロギー」とも呼び、歴史的認識においてディテールを読み取ることの重要性を示唆していると指摘します。「神は細部に宿る」といいますが、すでに古代から、ミクロなものにマクロな宇宙が再現されているという考え方が存在しました。ミクロにマクロが顕現するというものの見方は一つの哲学的方法なのです。
そのルーツは古代ギリシャの哲学者エピクロスの自然哲学にあり、それを方法的に確立したのが『資本論』のカール・マルクスだといわれます。マルクスは、「細部でその違いを証明できれば、もっと大きな次元でその差異を指摘するのは容易なこと」(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』)だといい、「大きな部分を眺めていたのではわからない顕微鏡的な次元の違いこそが、大きな違いをつくり出すと考えた」(『思考のトポス』中山元)のでした。また、ミクロなものへの観察から考察を始めるという手法は、フッサールの現象学の重要な方法です。
歴史的構想力にはこうした細部に目を凝らし微細な様相のなかに全体の構造を探すという方法論的アプローチが内包されていると考えられます。その先には、不可視のものを見て、真のリアリティとして再構成していく挑戦があるのです。
このミクロストリアの思考に近似しているのが、デザイン思考です。ミクロストリアはエスノグラフィー的な性格を持っています。実証主義的にデータや形式知をいくら集めても世界をつくることはできず、またホワイトのメタヒストリーのように自分の仮説だけに固執してもいけないし反対に他人になり切ってもいけない、ということです。重要なのは、自分が存在している文化のなかに、自分もいるのであり、そこに参加していることを意識しながら、あくまでも同一化してしまうことなく、そこで起こっていることを冷徹に観察し記述していくことです。そういう歴史家の姿はエスノグラフィーの参与観察の姿勢に通じるものがあります。そのような姿勢で現実と向き合うことで、歴史における立証と言語表現としての歴史を両立させることができるとギンズブルグは主張するのです。
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
歴史学の方法を二つ見てきましたが、どちらにおいても言語で表現するナラティブが重要です。ナラティブは必ずしも言語だけでなく、視覚的要素や音楽、身体的リズムであってもいいのですが、とりわけ歴史的構想力においては、言語化の能力において優れていることが求められます。イノベーターにとって言語化は成否を分ける重要な能力といえるのです。
イノベーターにとっての言語化能力とは、大きな目的に基づきつつ、現実のディテールや文脈から得られた洞察を結び付けていく実践を促す言語表現であり、その背後では概念化と言語化の絶えざる試行錯誤があります。またそれは、より大きな歴史的な状況のなかで、新たな世界観を表す形而上学的な思索作業でもあるのです。
スティーブ・ジョブズは製品の提供価値を一つの言葉や文章に凝縮して表現しました。MacBook Airの発表のときには「封筒に入るパソコン」といって実際にマックを封筒から取り出してみせました。その瞬間、言葉と現実が結び付きます。ここでは「封筒」というメタファー(喩え、隠喩)が重要であり、これはもともと先人達の使った技でもありました。ヒューレット・パッカードが関数電卓を開発した際に、その大きさは創業者のビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットに入るサイズで決められたといわれます。ソニーのポケッタブル・ラジオも、胸ポケットに入るということが大事であり、本当は普通のワイシャツの胸ポケットには入らなかったのに、ポケットの大き目のワイシャツを特注し、米国の販売スタッフに着せてポケッタブル・ラジオというレトリックで売ったというエピソードが残っています。これら先人たちの知恵を洗練させたのが、ジョブズによる「封筒に入るパソコン」だったのではないでしょうか。イノベーションにおいてはこのようなメタファーが、コンセプトを構成する複数の変数を束ねて理解、説明するには重要となります。
問題の対象に分け入り細部に沈潜していくのも、想像の翼を広げてビッグピクチャーを描くのも、突き詰めれば個やチームの気概とモチベーションにかかっています。その対象やテーマを扱うことの社会的意味を問い続けながら構想していく道程には、「自分は何なのか」と問う瞬間や「本当にこれでよいのか」という不安が必ずあるはずです。多彩なメンバーが増えるほど、孤独に沈むことがあるのではないでしょうか。さまざまな要因が複雑に作用しているのだと思いますが、不安の一端は、自分はいまどこに立っているのか、過去から現代さらに未来へとつながる歴史の中のどこにいるのかという疑問につながると考えられます。
芸術家にとっては、その葛藤が作品を創造する原動力ともなるのでしょう。しかし、社会経済の新たな生態系を創造し地球環境のリバランスを目指す二一世紀の構想力の実践においても、そうした情緒は重要なものであると考えます。そうした心の動きが、自らを歴史的存在として自覚させ、歴史的構想力を呼び覚ますのではないでしょうか。
パーソナル・コンピューティングの概念を生み出し、ジョブズなどにも大きな影響を与えたアラン・ケイの構想力については第2章で紹介しました。彼の言葉を再度思い起こしてみまし 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明することだ」
これは、未来に向けて物語を物語ることで、世界のパラダイムを変え、歴史の一部を形づくり創造していくという歴史的構想力をまさに表現した言葉です。イノベーションとは単に新たな技術や商品を開発したり導入したりすることではない、ということを示唆しています。未来を、すなわちこれからの人々の生活や意識を変える仕組みを物語り、その中でプロット(物語の筋書き)をつなげ、実践していくことです。それが歴史的存在者としてイノベーションを起こすということの意味だと考えられるのです。
歴史的方法:ミクロストリア
歴史学者の阿部謹也は著書『歴史と叙述-社会史への道-』の中で次のように述べていました。
「人間は不可能といいながらも常に何らかの形で全体像の形成へ、世界像の形成へと向かわざるをえないとされているのだが、その全体像とか世界像といわれるものは、個なる自己が人間存在、一回限りの人間のいのちの深さと重さを時と場所をこえて受けとめようとするときの、したたかな手ごたえのある、しかし果てしのない行路以外のなにものでもないのである。それが世界像であり、また世界史なのだ。だから世界像も世界史も常に完結しない課題・行路として存在しているのである。個別的なもののなかに、個人の一生のなかにも世界史をみることは出来る」
歴史学の方法でもう一つ、歴史=物語論の対極として、ホワイトの歴史的想像力とともに重要なのは先にも述べたミクロストリア(ミクロレベルの歴史、微視の歴史学)という方法です。ミクロストリアは、歴史学における従来の実証主義に対しても、またそれに異議申し立てをしたホワイトらの歴史=物語論の相対主義的立場に対しても、反論することをバネとして登場した新たな手法です。その有力な提唱者であるイタリアの歴史家ギンズブルグ(1939-)は、阿部謹也も関心を寄せた、ブローデルらの率いる「アナール派」の研究者であり、歴史叙述の現場で行なわれている作業を再検討することで、実証主義とも相対主義とも異なる歴史を描き出そうとしました。具体的には、境界などがはっきりと定義された小さな単位を対象とし、集中的に歴史学的な調査・記述を行うという手法です。多くの場合、一つの出来事や一つの村など小さな共同体、あるいは一人の個人を対象とします。
ギンズブルグは著書『歴史を逆なでに読む』で、歴史=物語論への反論を次のように述べます。
「今日、歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき、そこには、フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を、事実上廃止してしまおうとする相対主義的な態度がともなっている」
「わたしたちは実証主義を拒絶する場合でも、なお〝現実〟とか〝証拠〟とか〝真実〟といった概念には立ち向かわなければならないのである」
また、ミクロストリアを深化させて著した『チーズとうじ虫』では、一六世紀イタリアのフリウリ地方に住む一人の粉挽屋の異端審問記録から、当時のイタリアの農民文化を描きだしています。主人公のメノッキオは教会の教義とは異なるさまざまな書物を読み(コーランも含まれていた)、農村の生活での自然の観察から独自の世界像をつくりあげていました。審問記録によれば「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです」というのがメノッキオの主張でした。ギンズブルグは、このただ一人の男の物語から、当時のキリスト教の背後に隠れていた、膨大な文化の存在キリスト教以前の農民宗教を描いたのです。メノッキオは、聖餐式などの儀式はキリストがはじめたのではなく、ローマ教会によって設けられたので、それらがなくても人は救済される、とか、地獄も煉獄も金儲けをするために司祭や修道士たちが考えだしたもの、またもしキリストが義の人なら、十字架に傑けになることはなかっただろう、などと主張したのです。そして二度異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまいます。
細部への注視
このようなミクロな問題や場に目を向けること、ミクロストリア的思考の特徴は、大きな問題に迫ろうとすると抽象的議論に陥ってしまうのに対し、現実の一点をつぶさに観察、記述することでそこに集結する多様な文脈が見えるようになるということです。そこで得られたユニークな観点を、次により広い世界に適用していく。これは、領域密着型の理論構築(GTA:grounded theory approach)などの質的研究方法論にも通ずるものです。
哲学者の中山元はこの知的方法論を「ミクロロギー」とも呼び、歴史的認識においてディテールを読み取ることの重要性を示唆していると指摘します。「神は細部に宿る」といいますが、すでに古代から、ミクロなものにマクロな宇宙が再現されているという考え方が存在しました。ミクロにマクロが顕現するというものの見方は一つの哲学的方法なのです。
そのルーツは古代ギリシャの哲学者エピクロスの自然哲学にあり、それを方法的に確立したのが『資本論』のカール・マルクスだといわれます。マルクスは、「細部でその違いを証明できれば、もっと大きな次元でその差異を指摘するのは容易なこと」(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』)だといい、「大きな部分を眺めていたのではわからない顕微鏡的な次元の違いこそが、大きな違いをつくり出すと考えた」(『思考のトポス』中山元)のでした。また、ミクロなものへの観察から考察を始めるという手法は、フッサールの現象学の重要な方法です。
歴史的構想力にはこうした細部に目を凝らし微細な様相のなかに全体の構造を探すという方法論的アプローチが内包されていると考えられます。その先には、不可視のものを見て、真のリアリティとして再構成していく挑戦があるのです。
このミクロストリアの思考に近似しているのが、デザイン思考です。ミクロストリアはエスノグラフィー的な性格を持っています。実証主義的にデータや形式知をいくら集めても世界をつくることはできず、またホワイトのメタヒストリーのように自分の仮説だけに固執してもいけないし反対に他人になり切ってもいけない、ということです。重要なのは、自分が存在している文化のなかに、自分もいるのであり、そこに参加していることを意識しながら、あくまでも同一化してしまうことなく、そこで起こっていることを冷徹に観察し記述していくことです。そういう歴史家の姿はエスノグラフィーの参与観察の姿勢に通じるものがあります。そのような姿勢で現実と向き合うことで、歴史における立証と言語表現としての歴史を両立させることができるとギンズブルグは主張するのです。
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
歴史学の方法を二つ見てきましたが、どちらにおいても言語で表現するナラティブが重要です。ナラティブは必ずしも言語だけでなく、視覚的要素や音楽、身体的リズムであってもいいのですが、とりわけ歴史的構想力においては、言語化の能力において優れていることが求められます。イノベーターにとって言語化は成否を分ける重要な能力といえるのです。
イノベーターにとっての言語化能力とは、大きな目的に基づきつつ、現実のディテールや文脈から得られた洞察を結び付けていく実践を促す言語表現であり、その背後では概念化と言語化の絶えざる試行錯誤があります。またそれは、より大きな歴史的な状況のなかで、新たな世界観を表す形而上学的な思索作業でもあるのです。
スティーブ・ジョブズは製品の提供価値を一つの言葉や文章に凝縮して表現しました。MacBook Airの発表のときには「封筒に入るパソコン」といって実際にマックを封筒から取り出してみせました。その瞬間、言葉と現実が結び付きます。ここでは「封筒」というメタファー(喩え、隠喩)が重要であり、これはもともと先人達の使った技でもありました。ヒューレット・パッカードが関数電卓を開発した際に、その大きさは創業者のビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットに入るサイズで決められたといわれます。ソニーのポケッタブル・ラジオも、胸ポケットに入るということが大事であり、本当は普通のワイシャツの胸ポケットには入らなかったのに、ポケットの大き目のワイシャツを特注し、米国の販売スタッフに着せてポケッタブル・ラジオというレトリックで売ったというエピソードが残っています。これら先人たちの知恵を洗練させたのが、ジョブズによる「封筒に入るパソコン」だったのではないでしょうか。イノベーションにおいてはこのようなメタファーが、コンセプトを構成する複数の変数を束ねて理解、説明するには重要となります。
問題の対象に分け入り細部に沈潜していくのも、想像の翼を広げてビッグピクチャーを描くのも、突き詰めれば個やチームの気概とモチベーションにかかっています。その対象やテーマを扱うことの社会的意味を問い続けながら構想していく道程には、「自分は何なのか」と問う瞬間や「本当にこれでよいのか」という不安が必ずあるはずです。多彩なメンバーが増えるほど、孤独に沈むことがあるのではないでしょうか。さまざまな要因が複雑に作用しているのだと思いますが、不安の一端は、自分はいまどこに立っているのか、過去から現代さらに未来へとつながる歴史の中のどこにいるのかという疑問につながると考えられます。
芸術家にとっては、その葛藤が作品を創造する原動力ともなるのでしょう。しかし、社会経済の新たな生態系を創造し地球環境のリバランスを目指す二一世紀の構想力の実践においても、そうした情緒は重要なものであると考えます。そうした心の動きが、自らを歴史的存在として自覚させ、歴史的構想力を呼び覚ますのではないでしょうか。
パーソナル・コンピューティングの概念を生み出し、ジョブズなどにも大きな影響を与えたアラン・ケイの構想力については第2章で紹介しました。彼の言葉を再度思い起こしてみまし 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明することだ」
これは、未来に向けて物語を物語ることで、世界のパラダイムを変え、歴史の一部を形づくり創造していくという歴史的構想力をまさに表現した言葉です。イノベーションとは単に新たな技術や商品を開発したり導入したりすることではない、ということを示唆しています。未来を、すなわちこれからの人々の生活や意識を変える仕組みを物語り、その中でプロット(物語の筋書き)をつなげ、実践していくことです。それが歴史的存在者としてイノベーションを起こすということの意味だと考えられるのです。
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歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
『構想力の方法論』より 仏陀の真の教えは何か
歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
何か面白いアイデアを思いついたり、トレンドを分析するなどして、こうすればビジネスになる、というところまで考えたりするのは、はっきりいえば誰にでもできるでしょう。場合によっては、机上でも考えられます。しかし、そのアイデアがいずれ世に出て行き、顧客や人心を掴み、投資家を惹き付け、さらには社会的インパクトをもたらしてイノベーションとして結実するかどうか、までを見きわめるには、歴史的構想力の働きが決定的な役割を担うのです。
「歴史的」という意味は、その想像力が歴史家(歴史学の専門家など)の備える賢慮(賢さ)といってもいいものだからです。そこで私たちは、歴史家たちから未来をいかにつくるかを学ぶことができるのです。
歴史家は、過去のある事件やその一場面にスポットライトをあてて、その個別的事象から出発します。そして自分のビジョン、さらには過去からのパタン、モデルを適用しながら、その時代や世界、歴史の一幕を全体として物語り、物語を紡いでいきます。つまり、ある兆候や問題を、短期的視野で見たり、その因果関係を分析したりするのでなく、過去から現在そして未来が継続する地平で、いかなる世界があり得るかを考えていくのです。二一世紀の社会や経済においては、個別具体から全体像を構成していく、このような歴史家の想像力がイノベーターにも備わっていなければならないのです。
それは異なる未来をイメージできる力といってもよいでしょう。歴史的構想力とは、過去と現在においてあり得た可能性を考え、歴史を物語っていく力です。その力を、今度は未来の可能性を創造的に仮説することに活用し、打ち立てた仮説としての構想を、現場の状況に基づいて実践していくのです。こうした歴史的構想力に根付いた実践こそが、イノベーション・リーダーにも要請される高度の賢慮だということです。
賢慮とは、過去・現在・未来が同時に意識されるような時間軸において発揮されます。古くから賢慮は不思議な姿で描かれてきました(次ページの図はアムステルダム市庁舎のために製作された一七世紀の寓意画)。未来を見つめる若者あるいは犬(右)、過去からの歴史的な文脈のなかに身を置く老人あるいは狼(左)、まさにいまここでの現実の変化を生みだす壮年あるいは獅子(中央)が一体化した寓意です。過去とは、伝統や歴史的事象のパタンの宝庫を意味します。未来とは構想力の表出であり、ビジュアルかつナラティブに想像することを意味します。そして、過去と未来のせめぎあう現実界に「現在」の行為があります。それは、現在の眼前の事象や問題だけに焦点をあてて解決しようとすることでなく、現状の破壊と創造を伴うパワーに基づくものです。これらの時間からなる「場」に支えられて、変革や革新が起きるということを、これらの寓意画から読み取ることができます。
「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」(『歴史とは何か』)と説いた英国の歴史家、E・H・カーは、さらに次のように述べています。
「歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を理解させようとする点にある」
歴史的構想力とは、過去と現在を見渡しながら、あり得た可能性やそのパタンをアナロジーとして未来にあてはめ、可能なパタンをさらに創造的に仮説することです。そして、それらを現場の状況に基づいて実践する。そうして実際の政策決定に過去の歴史をどう活用するかを研究し、類似の歴史的状況から類比して構想を描くのです。
必然と偶然のシンクロニシティ
私たちが生活を営み、ビジネスを行なう二I世紀の現実世界は、グローバル化やインターネットなどの技術によってきわめて複雑化して、多くの不確実性が支配しています。不確実性は今の時代に限ったことではないという反論もあるでしょうが、それがかなり大きなスケールで展開しているのがいまの時代なのです。
カオス系の世界では、初期条件がその後の結果を大きく作用するという「予測不可能性」が生まれます。過去のトレンドを分析して戦略を描き、あるいは計画を立ててもまったく計画通りになどなりません。しかし、ではまったくのランダムネスに支配されているかというと、そうでもありません。各事象の背後にある深層要因は相互作用を経て大きな変化を生みだしているのですが、そこには大きな秩序が存在していると想定してよいでしょう。その相互作用の契機は、個々の、ときに微細な現象や出来事であったりするのです。
二〇世紀最大の歴史家の一人とされる、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデル(1902-1985)は歴史における経済や地理的要因の重要性を説いてセンセーションを巻き起こしました。その代表的著書『地中海』で示した、歴史を把握するモデルは、環境によって歴史が生成されるメカニズムを説明するものでした。すなわち歴史を「長波」「中波」「短波」の三層構造で見る、ということです。「短波」とは、歴史上の表舞台で見える個々人の活動で、それらが絡み合って起きる事象を指します。例えばビジネスの時間尺度は10年単位、長くて30年、ファッションのように短いと半年です。「中波」というのは、人口や国家、文化、経済といった歴史の背景です。100年から300年単位といったところでしょうか。そして「長波」は中波の深層・背景となる自然や環境といった地理的・地政学的要因で、ブローデルはここに注目したのでした。それは1万年以上のスケールで歴史に影響を与えます。
ブローデルの多層的モデルは現代のビジネスにとってきわめて重要な視点だといえます。なぜなら、二一世紀の社会や経済は、長期的な視点での変化が底流にあって成立するからです。エネルギーや自然資本は数十年単位での時間尺では考えることができません。放射性廃棄物は半減するのに一万年というものもあります。自然エネルギーや災害ビジネスは長期的な気候変動を考えるべきでしょう。グローバルな交通インフラ開発や都市ビジネスはどうでしょう。数百年単位から千年でしょう。文化的なビジネスもまた、数百年単位で考える必要があるのではないでしょうか。一方で、ZARAなどのファストファッションのように、数週間で回るビジネスもあります。デジタル化によって、基礎研究の時間軸なども大きく短縮しています。デジタル世代のューザーは20秒ごとに関心をスイッチする、といった報告もあります。こうした多元的で多層的な時間の中でビジネスを考えざるを得なくなっているのが現在なのです。
ナラティブな創造
そこでは社会的・文化的・経済的・技術的・環境的な深層要因が絡み合って、さまざまなパタンを生みだしていきます。ただし出来事と出来事がどう出合うかは偶然です。歴史は後戻りしません。まったく同じことが繰り返されることもありません。重要なのは、生きる現実の渦中でどう物語を生みだしていく(歴史を物語る)かということです。ストーリーとして固定化したものを考えるのでなく、戦略を物語る(ナラティブ)姿勢が大事なのです。
第2章でも紹介しましたが、哲学者の野家啓一は著書『物語の哲学』のなかで歴史哲学者アーサー・ダントーを引用しつつ、物語り行為とは「時間的に離れた二つ以上の出来事を通時的に組織化・統合化する言語行為」であると述べています。それは偶然と偶然を紡ぐ行為ともいえるでしょう。そして、そこでそうやって物語ることで、自分もその一部となっていく、といえるのです。主観力が現実になり、逆に、自分が何者かが見えてくる。科学における観察者効果のように、自分が行なう行為が現実に影響もする、それが自ら物語り、その物語を生きるということになるのです。
戦略も同じです。客観的なデータ分析からは、現実レベルでの変化の本質が見えません。現実に関わらないかぎり、未来への物語のプロットである変化の兆しは見えてこないのです。イノベーターは客観的に市場を眺めて分析するのでなく、自らも市場や変化の一員としてその状況の渦中にいるからです。その意味で、ミンツバーグがいったように、イノベーションや創造的な戦略はクラフティングの対象、つまり状況に対応しつつ「こしらえる」ものなのです。
それはいわば、大きな秩序に基づく偶然性から飛躍的な変化や変革が生ずる世界で、いかに生きるかということです。『「PULL」の哲学』の共著者、ジョン・シーリー・ブラウン(元パロアルト研究所所長)とジョン・ヘーゲル3世(デロイトコンサルティングLLPディレクター)は問いかけます。ヘーゲル3世は、経営者は現時点のめくるめく変化に集中して適応すべきで、あまりに不確実な未来など考えても意味がないと語ります。一方でブラウンは、それはそうだが、変化の背景には深い流れ、しかも長期的に変動する要因があると指摘します。ちょうどカヤックを操っているときのように、その流れに敏感でないと死を免れないというのです。
どちらが正しいのでしょうか。結論は、両者とも正しい。つまり、単に「○○○の未来を考えよう!」というのは、この不確実で複雑な環境では意味がないのです。しかし一方で長期的な変化に鋭敏になり、そのビッグピクチャーのもとで、現時点の変化に俊敏に機動的に対応することが重要です。長期的構想があるゆえに、微細なレベルでの変化を生みだすことができるということです。それは後述する歴史的方法に繋がる観点です。
歴史的構想力~過去-現在-未来を同時に見る智慧
何か面白いアイデアを思いついたり、トレンドを分析するなどして、こうすればビジネスになる、というところまで考えたりするのは、はっきりいえば誰にでもできるでしょう。場合によっては、机上でも考えられます。しかし、そのアイデアがいずれ世に出て行き、顧客や人心を掴み、投資家を惹き付け、さらには社会的インパクトをもたらしてイノベーションとして結実するかどうか、までを見きわめるには、歴史的構想力の働きが決定的な役割を担うのです。
「歴史的」という意味は、その想像力が歴史家(歴史学の専門家など)の備える賢慮(賢さ)といってもいいものだからです。そこで私たちは、歴史家たちから未来をいかにつくるかを学ぶことができるのです。
歴史家は、過去のある事件やその一場面にスポットライトをあてて、その個別的事象から出発します。そして自分のビジョン、さらには過去からのパタン、モデルを適用しながら、その時代や世界、歴史の一幕を全体として物語り、物語を紡いでいきます。つまり、ある兆候や問題を、短期的視野で見たり、その因果関係を分析したりするのでなく、過去から現在そして未来が継続する地平で、いかなる世界があり得るかを考えていくのです。二一世紀の社会や経済においては、個別具体から全体像を構成していく、このような歴史家の想像力がイノベーターにも備わっていなければならないのです。
それは異なる未来をイメージできる力といってもよいでしょう。歴史的構想力とは、過去と現在においてあり得た可能性を考え、歴史を物語っていく力です。その力を、今度は未来の可能性を創造的に仮説することに活用し、打ち立てた仮説としての構想を、現場の状況に基づいて実践していくのです。こうした歴史的構想力に根付いた実践こそが、イノベーション・リーダーにも要請される高度の賢慮だということです。
賢慮とは、過去・現在・未来が同時に意識されるような時間軸において発揮されます。古くから賢慮は不思議な姿で描かれてきました(次ページの図はアムステルダム市庁舎のために製作された一七世紀の寓意画)。未来を見つめる若者あるいは犬(右)、過去からの歴史的な文脈のなかに身を置く老人あるいは狼(左)、まさにいまここでの現実の変化を生みだす壮年あるいは獅子(中央)が一体化した寓意です。過去とは、伝統や歴史的事象のパタンの宝庫を意味します。未来とは構想力の表出であり、ビジュアルかつナラティブに想像することを意味します。そして、過去と未来のせめぎあう現実界に「現在」の行為があります。それは、現在の眼前の事象や問題だけに焦点をあてて解決しようとすることでなく、現状の破壊と創造を伴うパワーに基づくものです。これらの時間からなる「場」に支えられて、変革や革新が起きるということを、これらの寓意画から読み取ることができます。
「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」(『歴史とは何か』)と説いた英国の歴史家、E・H・カーは、さらに次のように述べています。
「歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を理解させようとする点にある」
歴史的構想力とは、過去と現在を見渡しながら、あり得た可能性やそのパタンをアナロジーとして未来にあてはめ、可能なパタンをさらに創造的に仮説することです。そして、それらを現場の状況に基づいて実践する。そうして実際の政策決定に過去の歴史をどう活用するかを研究し、類似の歴史的状況から類比して構想を描くのです。
必然と偶然のシンクロニシティ
私たちが生活を営み、ビジネスを行なう二I世紀の現実世界は、グローバル化やインターネットなどの技術によってきわめて複雑化して、多くの不確実性が支配しています。不確実性は今の時代に限ったことではないという反論もあるでしょうが、それがかなり大きなスケールで展開しているのがいまの時代なのです。
カオス系の世界では、初期条件がその後の結果を大きく作用するという「予測不可能性」が生まれます。過去のトレンドを分析して戦略を描き、あるいは計画を立ててもまったく計画通りになどなりません。しかし、ではまったくのランダムネスに支配されているかというと、そうでもありません。各事象の背後にある深層要因は相互作用を経て大きな変化を生みだしているのですが、そこには大きな秩序が存在していると想定してよいでしょう。その相互作用の契機は、個々の、ときに微細な現象や出来事であったりするのです。
二〇世紀最大の歴史家の一人とされる、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデル(1902-1985)は歴史における経済や地理的要因の重要性を説いてセンセーションを巻き起こしました。その代表的著書『地中海』で示した、歴史を把握するモデルは、環境によって歴史が生成されるメカニズムを説明するものでした。すなわち歴史を「長波」「中波」「短波」の三層構造で見る、ということです。「短波」とは、歴史上の表舞台で見える個々人の活動で、それらが絡み合って起きる事象を指します。例えばビジネスの時間尺度は10年単位、長くて30年、ファッションのように短いと半年です。「中波」というのは、人口や国家、文化、経済といった歴史の背景です。100年から300年単位といったところでしょうか。そして「長波」は中波の深層・背景となる自然や環境といった地理的・地政学的要因で、ブローデルはここに注目したのでした。それは1万年以上のスケールで歴史に影響を与えます。
ブローデルの多層的モデルは現代のビジネスにとってきわめて重要な視点だといえます。なぜなら、二一世紀の社会や経済は、長期的な視点での変化が底流にあって成立するからです。エネルギーや自然資本は数十年単位での時間尺では考えることができません。放射性廃棄物は半減するのに一万年というものもあります。自然エネルギーや災害ビジネスは長期的な気候変動を考えるべきでしょう。グローバルな交通インフラ開発や都市ビジネスはどうでしょう。数百年単位から千年でしょう。文化的なビジネスもまた、数百年単位で考える必要があるのではないでしょうか。一方で、ZARAなどのファストファッションのように、数週間で回るビジネスもあります。デジタル化によって、基礎研究の時間軸なども大きく短縮しています。デジタル世代のューザーは20秒ごとに関心をスイッチする、といった報告もあります。こうした多元的で多層的な時間の中でビジネスを考えざるを得なくなっているのが現在なのです。
ナラティブな創造
そこでは社会的・文化的・経済的・技術的・環境的な深層要因が絡み合って、さまざまなパタンを生みだしていきます。ただし出来事と出来事がどう出合うかは偶然です。歴史は後戻りしません。まったく同じことが繰り返されることもありません。重要なのは、生きる現実の渦中でどう物語を生みだしていく(歴史を物語る)かということです。ストーリーとして固定化したものを考えるのでなく、戦略を物語る(ナラティブ)姿勢が大事なのです。
第2章でも紹介しましたが、哲学者の野家啓一は著書『物語の哲学』のなかで歴史哲学者アーサー・ダントーを引用しつつ、物語り行為とは「時間的に離れた二つ以上の出来事を通時的に組織化・統合化する言語行為」であると述べています。それは偶然と偶然を紡ぐ行為ともいえるでしょう。そして、そこでそうやって物語ることで、自分もその一部となっていく、といえるのです。主観力が現実になり、逆に、自分が何者かが見えてくる。科学における観察者効果のように、自分が行なう行為が現実に影響もする、それが自ら物語り、その物語を生きるということになるのです。
戦略も同じです。客観的なデータ分析からは、現実レベルでの変化の本質が見えません。現実に関わらないかぎり、未来への物語のプロットである変化の兆しは見えてこないのです。イノベーターは客観的に市場を眺めて分析するのでなく、自らも市場や変化の一員としてその状況の渦中にいるからです。その意味で、ミンツバーグがいったように、イノベーションや創造的な戦略はクラフティングの対象、つまり状況に対応しつつ「こしらえる」ものなのです。
それはいわば、大きな秩序に基づく偶然性から飛躍的な変化や変革が生ずる世界で、いかに生きるかということです。『「PULL」の哲学』の共著者、ジョン・シーリー・ブラウン(元パロアルト研究所所長)とジョン・ヘーゲル3世(デロイトコンサルティングLLPディレクター)は問いかけます。ヘーゲル3世は、経営者は現時点のめくるめく変化に集中して適応すべきで、あまりに不確実な未来など考えても意味がないと語ります。一方でブラウンは、それはそうだが、変化の背景には深い流れ、しかも長期的に変動する要因があると指摘します。ちょうどカヤックを操っているときのように、その流れに敏感でないと死を免れないというのです。
どちらが正しいのでしょうか。結論は、両者とも正しい。つまり、単に「○○○の未来を考えよう!」というのは、この不確実で複雑な環境では意味がないのです。しかし一方で長期的な変化に鋭敏になり、そのビッグピクチャーのもとで、現時点の変化に俊敏に機動的に対応することが重要です。長期的構想があるゆえに、微細なレベルでの変化を生みだすことができるということです。それは後述する歴史的方法に繋がる観点です。
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