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OCR化した8冊

 『スイスが問う日本の明日』

  共同体

   スイスの本質
   ハプスブルクヘの抵抗
   スイスが共同体をその根底に持つことの意味
   ランツゲマインデ
   ベルンの週末の談笑
   ベルン駅前の景観に関する国民投票
   ドイツ、ハーナウ市議会の地方自治
   スイスの公僕
   スイスにおける「権威」
   統合に際してのスイス人の知恵
   多様性の国スイス
   スイスに於ける中央集権体制への動き
   日本とスイス--中央と地方
   日本とスイスの共通性
   言葉を発しない日本人
   「共同体」が我々に問いかけるもの

 『14歳から知っておきたい中国』

  これが現代中国の普通の暮らし

   いま中国が抱える問題のルーツは共産党による都市と農村の分離から

    農村と都市を隔てる2つの戸籍

   中国の土地と家の仕組み① 都市と農村ではこんなに違う所有方法

    都市は国、農村は集団が土地を所有
    急速に進んだ住宅の私有化

   中国の土地と家の仕組み② 都市のマンションでバブルの波に乗る

    北京五輪を機に不動産バブルヘ
    住む家から投機のための家に

   病院に行くことが、こんなに大変とは 医療保険制度と格差が生まれる仕組み

    都市部の大病院に患者が殺到

   迷走する中国の人口政策が生んだ一人っ子世代とその世界

    世界最大の人口を抱えて
    36年続いた一人っ子政策

   中国の一人っ子を待っている大学入試「高考(ガオカオ)」地獄の門

    受験が競争社会への第一歩

   さあ大学卒業だ、就職だ ところが時代は最大の就職氷河期に

    就職できない若者たちが増大

   一人っ子同士の結婚で男子はこんなに大変だ

    男性過剰で独身者が増加
    新居と結納金のない男性は論外!?

   新しい豊かな世代の誕生 90年代生まれが前世代の富を受け継ぐ

    富への道を拓いた「70后」「80后」
    豊かさを身につけた新人類「90后」

   電子グレートウォールで閉ざされた世界最大のネットワークの花園

    中国でグーグルが見られない訳
    自国だけで完結する巨大ネットワーク

   AIの最先端を走る中国では便利と監視はトレードオフの関係か?

    監視カメラに見張られた社会

   一人っ子たちが支える高齢社会 いったいどうなる、中国の老後

    高齢化で懸念される老人の困窮化
    不足する養老施設と介護士

   中国のグローバル化を支える世界の「海外華人」ネットワーク

    全世界で地位を確立した同胞たち

  大国中国の抱える問題

   中国最大の悩みの種 縮まらない地域格差
   国内の経済格差との戦いは今後どうなっていくのか
   現代中国の産業界に欠けているものとは
   経済成長優先の代償 深刻化する環境問題
   中国に潜む諸悪組織 黒社会との戦い
   天安門で噴出した民主化運動のその後
   AI先進国となった中国の目指すものとは
   1億人を超す少数民族に真の平等はあるか?
   共産党一党独裁体制を継続する理由

 『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』

  ミネルバ大学は既存の大学とどう違うか?--ブルー・オーシャン戦略で見えた6つの特徴
  教授法
  職員
  学生・入試制度
  キャンパス
  カリキュラム
  プロモーション活動

 『怠ける権利!』

  ベーシックインカム導入で人々は働かなくなるか?

   「フリーライダー」大歓迎--九割の労働が必要なくなる未来
   ルトガー・ブレグマン『隷属なき道』
   「負債としてのお金」--銀行支配が強いる経済成長
   「お金は人権だ!」
   ベーシックインカムを可能にする国民的合意とは?

 『冷戦史』

  中国における共産主義の勝利

 『哲学者190人の死にかた』

  序論

   死ぬことを学ぶこと--ソクラテス
   笑いながら死ぬために
   死せる哲学者たちについて書くということ
   ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(一八八九-一九五一年)
   マルティン・ハイデガー(一八八九-一九七六年)
   ハンナ・アーレント(一九〇六-七五年)

 『グアテマラを知るための67章』

  新経済政策 ★貧困問題をどうとらえるか★

  マキラドーラ ★韓国資本に支えられるアパレル産業の発展★

  マキラドーラの労働問題 ★深まる労働者の窮状★

  拡大する中国のプレゼンスと台湾 ★近年高まる中国との経済関係★

 『パイデイア』

  スパルタの国家教育

   教養の形態と類型としてのポリス

    ギリシア教養史の社会的な枠としてのポリス

   前4世紀におけるスパルタの理想と伝承

    スパルタに関する文学的、歴史的な資料
    模範としてのスパルタ像
    パイデイアの本質とスパルタの理念
    テュルタイオスによるスパルタ軍の鼓舞

   テュルタイオスによるアレテーヘの呼びかけ

    テュルタイオスのエレゲイアーの教育的性格
    英雄的なアレテーから祖国愛の英雄主義へ
    祖国に殉じた戦死者への尊敬

   優れた法秩序を基礎付ける思想上の形式

    古代にはたいへん有名であった他のエレゲイアー
    テュルタイオスの全ギリシアと後世への影響
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前4世紀におけるスパルタの理想と伝承

 模範としてのスパルタ像

  いずれにせよ、以下の事実から出発しなければならない。すなわちスパルタ市民のみが後になって初めて(スパルタ社会の)数少ない上層部となり、ラコニア人の住民にとっての支配層を形成した。このスパルタ市民の下には、労働に従事し自由な農民の大衆階級「ベリオイコイ」loと、ほとんど法的な権利を持たない被征服民の大部分、そして非自由民の農奴ヘイロータイがいる。古代の記録からは、スパルタが絶え間ない戦争の宿営地であった印象を受ける。スパルタは、外へ向けられた征服欲というよりも、公共体の内部の状態に制約されていたと言えよう。ヘラクレスの子孫による二王家の制度は、記録が残る時代では政治的に無力であり、戦場においてのみ本来の意義をその都度、取り戻すことができた。この二王家の制度は、軍隊の将軍が王となる古い制度の名残であり、ドーリア人が移住して以来、存続した。この制度は、二つの異なった集団に由来した可能性があり、それぞれ集団の指導者が互いに並存して自己を主張したのである。スパルタの民会は、古色蒼然たる軍事共同体である。この集会では、高齢の老人からなる長老会が提出する動議に関して議論をせずに、賛成か反対かで採決が行われる。この長老会は民会を解散する権利を持ち、採決に際して望ましくない結果を伴う時には,提出した議案を取り下げることができる。「監督官の職務 Ephorat」は国家における最も強力な役職で、王制の政治的な権限を最小のものへと制限する。この監督官の設旧よ、支配者と民衆との間の権力の緊張というディレンマから抜け出すための、中間の道である。この中間の抜け道は、民衆に対して最小限の権利を認めるに過ぎず、公共生活における先祖代々の、権威主義的な性格を保つ。注目に値することに、これはリュクルゴスの立法に遡らなかった唯一の機関である。

  この(スパルタにおける)名目上の立法は、ギリシア人が一般的に立法の下で理解したものとは対極にある。スパルタにおける法とは、個々の国法と民法の条文の段からなる法令集ではなく、本来の意味における「ノモスNomos」、口承によって効力を持つ伝統である。この伝統から、プルタルコスが伝える荘重に定められた基本的な法律、民会の権限に関するようないわゆる「国制文書Rhetren」が文字によって確定されたに過ぎない。古代の資料は、こうした特徴を原始的な状態が残ったものとして考察していない。それどころか前4世紀の民主主義の条文主義とは対照的に、この国制文書の中に、リュクルゴスの先見の明ある知恵を認識する。彼はソクラテスやプラトンと同様、教育の力および国家市民としての志操の形成を、成文化された規定よりも重視した。法律が外部からの機械的な強制によって生のあらゆる個別部分を規制することが少なくなるほど、教育と口承の伝承に当然より大きな意義が’j・えられる。この限りにおいて、上述のことは正しい。しかし偉大な国家教育者リュクルゴスの像は、スパルタの状態に関する理想化された解釈に基づく。この解釈は、後の哲学的な教養理想に従って行われたのである。

  哲学的に考察する者は、スパルタの状態を後世の堕落したアッティカ民主主義という喜ばしくない随伴現象と比較した。この比較によってスパルタの体制の中に、ある天才的な立法者の意識的な思いっきを求めがちであった。すなわちスパルタの男たちの共同で食事を取る古風な習慣に、テントでの共同生活に従う戦闘的な組織に、私的な生活よりも公的な生活が優先されることに、男女の若者に国家的な教育を施すことに、そして最後に農耕や商業を営む職人階級の住民と、閑暇を利用して国家的な義務を負い、戦士として訓練を行い、狩猟に専心する自由な支配者層との間の深い分離に、哲学的な教育理想の目的意識に基づく実現を見出すことができた。プラトンはこれを『国家』の中で描いている。プラトンがスパルタに全く新しい精神を吹き込んだにせよ、実際に彼にとってスパルタは、パイデイアに関する他の後世の理論家にとってと同様、多くの点において模範であった。後世のあらゆる教育の社会的な大問題とは、個人主義を乗り越え、人間を全体へと義務付けられた規範へ向けて形成することであった。スパルタ国家は厳格な権威によって、こうした問題を実践的に解決するように見えた。まさにこのような関連から、スパルタ国家はプラトンの思考上の関心を生涯にわたって惹いたのである。しかしプラトンの教育観に完全に心酔していたプルタルコスも、この点に繰り返し立ち戻る。「教育は成年になるまで行われた。誰一人として自由に、自らが望むがままに生きることは許されず、各人は都市においても宿営地にあるかのように確固として決められた生き方をして、国家の課題と取り組んだ。そして自分ではなく、祖国の一部であることを常に意識していた。」別の箇所でプルタルコスは、次のように書いている。「リュクルゴスは全市民に対して、自分流儀の生活を望むこと、送ることができないことに慣れさせ、ミツバチのように永続的に全体と癒合し、支配者のところへ群がり、熱狂的な名誉愛に基づいてあたかも固有の自我から解放され、ひたすら祖国のみに属するようにした。」

  ベリクレス死後のアテナイにおける徹頭徹尾、個人主義化された教養という観点に基づくと、スパルタは実際に理解することが困難な現象であった。我々の資料によってスパルタの状態を哲学的に解釈できることがどんなに少ないにせよ、事実は全体として正しく観察されている。スパルタは、プラトンやクセノポンの見方によれば、それがプログラムであることを意識し、優れた力を備えたただ一人の教育の天才による作品に見えた。このスパルタは実際には特に粘り強い、樹木のように強く太い結合と、個人の発達段階が低く、共同生活が単純で、早期の発展段階が持続したものであった。何世紀もの間、スパルタの形式について考察されてきた。個人がスパルタという形式の成立過程へ参加したことは、例外的に知られているに過ぎない。このようにしてテオポンポス王とポリュドロス王の名前は、国法上の変化に際して残り続けた。その歴史的な実在がほぼ確実であるリュクルゴスの名前が、そもそも特定の国家的行事とも結び付いていたのか否か、なぜ後世になってスパルタ国家の生み出した全てが彼の名前に帰せられたのかを、もはや知ることはできない。ただ「リュクルゴスの国制」についての伝承が付随的であることだけは、確実である。

 パイデイアの本質とスパルタの理念

  こうした伝統は、スパルタという国家体制の中に意識的な体系的成果を見出し、国家の最高の意味はパイデイア、つまり絶対的な規範に則ったあらゆる個人の生の原理的かつ体系的な構築であるということが、それ自体として確実であった時代に由来する。民主主義が人間の法律のみに基づき相対的であるのとは対照的に、デルポイの託宣が「リュクルゴスの国制」を認めたことが繰り返し強調される。スパルタの躾を理想的な教育として示すことは、我々の資料の傾向から理解できる。教育の可能性は、結局のところ前4世紀を通して、人間が行為する際に絶対的な規範に服することができるか否かにかかっていた。スパルタでは、この問題は解決済みと見なされた。というのも、当地における秩序は宗教的な基礎に基づいていたからである。この秩序は、デルポイの神自身によって良いと見なされるか、あるいは勧められた。そこでスパルタとリュクルゴスの国制に関する伝承の全ては、より後の国家論と教育論の精神に基づいて統一的に形成され、こうした意味において非歴史的であることが明らかとなる。ギリシア人がパイデイアの本質と基礎に関する思弁を最も盛んに行っていた時代、後世の国家論と教育論が生まれた。この洞察なくして、上述の理論を理解する正しい観点は得られない。この教育運動がスパルタで燃烈な関心を以てなされたことを考慮に入れなければ、パイデイアの本質に関して何も知ることはないであろう。パイデイアの本質が歴史の記憶の中で生き続けたことやテュルタイオスの詩が保存されたことも、ひとえに次のような重要性による。スパルタという理念はこの:重要性を不可欠の部分として、後世のギリシアでのパイデイアの構築に際して永続的に維持された。

  もしも哲学による補足的な考察を遠ざけるならば、いったいどのような歴史像が後に残るというのか?

  クセノポンが描いた理想は、彼自らが観察した非常に多くの事実を含む。それゆえ彼がこの事実に与える歴史的で教育学的な解釈が退いた後でさえ、真のスパルタ像が全くはっきりと得られる。このスパルタは彼の時代そして彼にとって、ギリシアに存在する唯一の戦闘的な教育国家であった。しかしリュクルゴスという立法者の英知に由来した統一的な体系として最早スパルタを把握できないのであれば、スパルタの成立年代は暗闇の中にある。いやそれどころか、近代の批判によってリュクルゴスの存在が問いに付された。しかしたとえ彼が実在し、前フ世紀のテュルタイオスがすでに知っているような、いわゆる偉大な国制文書の創始者であるとしても、クセノポンが描くようなスパルタの教育方法の由来について、何かが証明されたというわけではないであろう。スパルタの全市民階級が戦士としての教育に参加することは、市民階級を一種の貴族身分とする。その他にもこうした教育における多くのことが、古代ギリシアでの貴族の躾を想起させる。しかしスパルタでも本来前提された貴族支配は、上述の意味で形を変えた。貴族の教育が貴族以外の人へも広がったことが、このことを証明する。何世紀にもわたって奴隷状態に慣れ続けることのできなかった自由を愛する全民族(メッセニア人)は征服されて以来、力ずくで弾圧されざるを得なかった。爾来、他のギリシア国家で行われたような貴族によるず和な統治は、スパルタにとって十分ではなかった。スパルタの統治はスパルタの市民階級全体を、いかなる営利活動からも自由な、武装した支配層へと形成することによっでのみ可能であった。おそらくこのように発展した原因は、前7世紀の戦争にある。そして我々は、市民がより人きな権利を求めて一挙に殺到することを、テュルタイオスの中に見出す。この殺到は、上で述べた発展に有利に働いたかもしれない。スパルタの市民権は、常に戦士としての市民の属性と結び付いていた。我々にとってテュルタイオスは、政治的・戦士的な理想の最初の証人である。この川想は後に、スパルタの全ての教育の中に実現した。しかし彼自身は、戦争のことだけを考えたことであろう。テュルタイオスの詩は、後世が知っているようなスパルタの躾を、すでに完成したものとして前提するのではなく、ようやくこの躾が生成の途上にあることを明瞭に示している。
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グアテマラのマキラドーラ

『グアテマラを知るための67章』より

 マキラドーラ 韓国資本に支えられるアパレル産業の発展

  製造業のグローバル化は、生産工程の細分化による世界規模での機能的分業をもたらし、欧米や日本の巨大市場の周辺の途L国が労働集約的な生産に程の集積地としてグローバル経済に急速に収り込まれてきた。グアテマラも、1980年代後半に米国市場への輸出拠点のひとつとしてアパレル産業のグローバル化に取り込まれた。グアテマラのアパレル輸出は30年近い歴史を持ち、アパレル製品は同国の主要輸出品目である砂糖とコーヒーと並ぶ輸出品目となっている。
  グアテマラのアパレル産業は、いわゆるマキラドーフ制度によって始まった。マキラドーラとは、国内外からの直接投資を呼び込む目的で、輸出向け生産を行う企業に対して、原材料、機械、設備等の輸入関税の免除および法人税や売上税の面での優遇措置を付与する保税加工制度を指す。現地では、その制度の下で輸出加工を担う工場は慣習的に「マキラ」と呼ばれている。1984年に米国が中米・カリブ諸国に対して輸入関税の優遇を与える中米カリブ支援構想(CBI)を打ち出し、それを制度的に補完する形でグアテマラは同年に最初のマキラドーラ法として「輸出産業振興法」(法令21-84)を、続いて1989年には改正法である「輸出活動とマキラの発展振興法」(法令29-89)を制定した。これ以降、グアテマラは急速に対米アパレル生産拠点となっていった。WTO協定に基づき法令29-89は2015年末に廃止され、2016年から新たに「雇用保護のための緊急措置法」(法令19-2016)がアパレル輸出産業の優遇制度の枠組みとなっている。
  グアテマラと同様に他の中米諸国も同じ時期に対米アパレル輸出生産に着手し、今日まで輸出加工業を発展させてきたが、グアテマラを特徴づけるのは、なによりも韓国資本の存在感である。1989年以降、韓国系企業の進出が目立つようになり、2000年には258の事業所のうち166ヵ所を韓国系が占めるに至った。2017年3月時点でも172の縫製事業所のうち韓国系は100ヵ所を数え、アパレル輸出の約60%を占めている。1990年代までのアパレルに場の多くは、肌身で移住してきた韓国人が設に吠した親会社を韓国に持だない個人経営の企業であった。韓国人がアパレル工場経常のために人挙して移住してから20年を超えており、グアテマラ生まれの韓国系二世が経営する国内企業も川えてきている。アパレル産業における韓国人の存在感は、さらに高まっているといえる。
  アパレル産業を長年主導してきた韓国系企業だが、その構成は2006年の米国-中米自由貿易協定(以下CAFTAと表記)の発効と前後して大きく変貌している。ひとつは、製品の種類と企業の変化である。初期のアパレル輸出品目はスラックスやコートなどの織物衣服だったが、2000年を境にTシャツやタンクトップといったニット衣服が主力目四川となった。その変化の要因となったのが、韓国大手ニットアパレルメーカーの直接進出であった。セア商易、ハンセ実業、ハンソル繊維の大手三社は、2000年前後に相次いで大規模な自社工場を設立し、ニット衣服の対米輸出生産量を劇的に増加させた。現在、セア商易はグアテマラに4工場、ハンセ実業とハンソル繊維はともに2工場を保有するほか、中小縫製企業を傘下に収め、国内下請け網を発達させている。アパレル業界団体のVESTEXによれば、セア商易はグループ企業全体の輸出量がグアテマラの総アパレル輸出の40%を占めるほど突出した存在となっている。
  もうひとつの変化は、CAFTAの原材料の原産地規則を活用するために、2000年代半ば以降、韓国資本の直接投資による糸・生地サプライヤーの集積が進んでいることである。CAFTAの原産地規則では、原糸原則が採用されている。つまり、自由貿易圏内で生産された原糸(生地用の糸)で作られた生地を使ったアパレル製品が無関税となる。この優位性を活用すべく、韓国系大手・中堅ニットアパレルメーカーは、グアテマラに系列の韓国系の糸・生地メーカーを誘致しており、南部のエスクィントラ県パリン村付近が韓国系生地サプライヤーの集積地となっている。これにより、糸から完成品までの生産を一括してグアテマラで行う産業クラスターが形成されることになった。
  CAFTAを契機として、グアテマラのアパレル産業が縫製特化から一括(フルパッケージ)生産へと成熟する一方で、国別の繊維製品の輸出量の規制枠組みであった多角的繊維協定(MFA)の2004年末の撤廃は、グアテマラにアジアとの国際競争という課題を突き付けることになった。グアテマラのアパレル輸出は2004年をピークに減少、横ばい傾向にある。輸出の減少と先述の産業クラスター化は一見矛盾するようだが、これは国際競争に対する韓国系企業の戦略とかかわっている。CAFTA期にグアテマラの韓国系大手メーカーはニカラグアとハイチに工場を新設し、グアテマラとの間で製品の分業体制を進めている。グアテマラは中米でも労賃が高い。そこで、それまでグアテマラエ場で生産していた量産品の生産をニカラグアなどの工場に回し、グアテマラエ場では小ロットで高付加価値の製品を生産するようになったのである。つまり、韓国系企業は、米国市場に近いというグアテマラの地理的優位性と自社工場の一括生産能力を組み合わせて、付加価値の高い製品の迅速供給を可能にし、米国市場をめぐる国際競争力を高めようとしているのである。
  ここまで存在の際立つ韓国系企業を中心に紹介してきたが、グアテマラの国内企業にも言及しておこう。グアテマラのアパレル産業では韓国セクターと国内セクターがほぼ分離しており、生産システムの点でも異なる。韓国セクターでは生産を受注するアパレルメーカーを頂点として、そのドに生地サプライヤー、縫製ド請けサプライヤーが付き従う構造になっているが、国内セクターではリステックスとグルポ・インペリアルなどの国内資本の大于生地メーカー4礼がアパレル生産を受注し、生地を生産・裁断し、「サブマキラ」と呼ばれる小規模・零細サプライヤーに縫製工程のみを下請けに出す構造になっている。しかし、これらの生地メーカーの本業は、CAFTA域内およびメキシコヘの生地の輸出である。韓国系企業の存在が際立ち、国内セクターとの産業連関の希薄さが懸念材料ではあるものの、国内セクターもCAFTAを契機として独自の戦略の下で着実に成長しているといえる。

 マキラドーラの労働問題 深まる労働者の窮状

  グアテマラのアパレル・マキラドーラ産業は、国際生産ネットワークヘの参入以来、中心的な輸出セクターとして着実に成長してきた。だが、その裏返しとして、労働者が安い賃金での就労を余儀なくされ、また労働者としての権利を享受できていないという労働問題が横たわっている。
  日本で時折ニュースになるユニクロの下請け工場の労働条件の問題など、輸出加工業の労働問題は、途上国のみならず先進国企業にも跳ね返ってくるグローバルな問題である。企業の社会的責任(CSR)が浸透してきた今日、国際下請け生産の現場に対するNGOや消費者からの厳しい視線が注がれている。自由貿易協定でも労働者の権利や労働法の遵守を謳う社会条項の内容が厳しくなってきている。グアテマラの輸出産業のこれからの発展は、労働者の権利の擁護や適正な労働条件の保障によって国際社会からの信頼を得られるかにかかっているといっても過言ではない。
  グアテマラのアパレルエ場の労働者は産業発展の恩恵を享受できているのだろうか。最も重要な賃金については、2004年末の多角的繊維協定(MFA)の撤廃以降、人きな変化かみられる。2004年頃までは生産量がきわめて多く、労働者は早朝から深夜まで長時間労働を強いられていたが、労働者は最低賃金レベルの基本給のほかに、生産量に応じた奨励給を得ていた。より多く稼ぎたい者は、時給が2倍となる深夜残業で多くの残業代を手にすることができた。たいていの工場は通勤バスを提供していたため、通勤費も割安だった。ある韓国系工場の2004年2月の給与台帳では、平均的な縫製工の月給は基本給と奨励給で約1480ケツァル(当時のレートで約188ドル)だった。深夜残業代はたいてい現金で1000ケツァル程度支払われた。長時間労働に対する激しい批判が起きていたものの、収入が必要な者には稼ぐ機会があった。
  MFA撤廃以降の変化は、奨励給の大幅カット、残業時間の短縮、通勤バスの廃止の形で表れている。先はどの工場の2005年10月の給与記録では、同様の縫製工の月給は、奨励給のない基本給のみの約1300ケツァル(当時のレートで約163ドル)に下がっていた。2016年に労働者に話を聞いた時にも、以前は200~500ケツァルあった奨励給が、今では50ケツァルもらえれば良いほうだとの嘆き節が聞かれた。MFA撤廃による国際価格競争の激化によって、労働コスト削減が顕著になり、残業も21時までに終わらせるよう求められるようになったと労働者は語る。さらに追い打ちをかけるように、2008年には、最低賃金の上昇による外資の逃避を防ぐ措置として最低賃金法が改正され、それまでの農業部門と非農業部門の二本立ての最低賃金から輸出・マキラ部門を分離させ、三本立てとなり、マキラドーラ部門の最低賃金が最も低く設定されることになった。
  アパレル産業の発展は、労働者の生活をいっそう圧迫している。このことはグアテマラ政府が発表している最低限の生活の充足の指標となる基礎的食糧バスケットおよび基礎的生活バスケットと最低賃金の推移をみるとよく分かる。基礎的食糧バスケットは1世帯5・38人分の必要最低限の栄養摂取を満たすための食料26品目の価格である。基礎的生活バスケットは食糧バスケットに光熱費、家賃、学費等の費用を追加したものである。2015年の基礎的食糧バスケットは3405・60ケツァル(約450ドル)、基礎的生活バスケットは6214・60ケツァル(約810ドル)で、輸出・マキラ部門の最低賃金は2450・95ケツァル(約320ドル)である。図1から、CAFTA期に食糧バスケット、生活バスケットともに価格が大きく上がる一方で、最低賃金の上昇は弱いことが分かる。1世帯5・38人分は余裕を持った設定のように思われるが、工場労働者は自身の世帯だけでなく、兄弟・姉妹、両親、祖父母の生活も支えている場合が多い。たいていの労働者は子ども2~3人と、両親、兄弟・姉妹、祖父母のうち1~3人の生計支持者である。それゆえに夫婦ともに工場で働くケースが多いが、それでも食べるだけで精一杯の水準だといえる。生活バスケットと最低賃金の乖離を見ると、学業の継続や整った家に住むことがいかに難しいかが分かるだろう。
  こうした低賃金状況にありながらも、労働者は金銭的にやりくりし、生地の裁断や縫製などのある意味単調な仕事を日々懸命にこなしている。低賃金に抗議して会社と衝突することはない。しかし、グアテマラのアパレル工場では頻繁に労働争議が起きている。労働者が怒って抗議行動に出るのは、給与と手当に関する権利が保障されない時である。具体的には、2週間ごとの給与の支払いが遅れた時や残業代をごまかされた時、そしてそれに対して抗議したことで解雇され、解雇手当が支払われない時である。給料が安くても我慢して働くが、報酬が支払われなければ不満が噴出する。労働者は定期的な収入を頼りにぎりぎりの生活を送っているのである。
  給与未払いは大きな争議に発展する。グアテマラには争議の一般的なプロセスがある。給与支払いを求めて、労働者がグループを組んで、経営者に直談判に行くと、経営者は労働組合の結成を恐れて、グループの労働者とその仲間を即座に解雇する。解雇された労働者は、地元の労組やNGOの支援を受けて労働裁判所に解雇不服申し立てをする。同時に、NGOは国際人権NGOと連携して、その工場に生産委託しているアパレルーブランドを労働者の人権侵害の加担者として批判する。アパレル・ブランド企業は自社ブランドのイメージを守ろうとして、生産委託を停止し、工場は閉鎖を余儀なくされる。この争議のパターンは、CSRが問われるようになった1990年代後半から目立つようになった。なかには、経営者があらかじめ会社に親和的な労働者グループを抱き込んでおき、反企業的な労働者グループが現れた時に、脅迫や暴力によって労働者の手で反乱分子を排除させるケースも少なからず見られる。
  グアテマラの輸出産業では、労働法にある組合化や団体交渉といった労働権が実質的には認められておらず、労使の問題を社内で解決する手段がない。それゆえに、労働者の不満は人権NGOを介して国際的な社会運動に発展しやすい。グアテマラの労働権の侵害は、CAFTAの労働仲裁廷にも持ち込まれており、国際問題化している。外資誘致による産業発展のために企業を優遇せざるをえないのが途上国の実情ではあるが、CSRが厳しく問われるなかで、企業統治が輸出産業の持続的・安定的な発展には欠かせない。政府が、労働者の低賃金状況の改善のみならず、CSRの制度構築とその履行のために指導力を発揮できるかが問われている。
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未唯宇宙8.1.1~8.1.3

8.1.1「中間の役割」

 中間の役割を販売店に求めたのはなぜか。共同体ならコミュニティでしょう。販売店は企業のイメージが非常に強い。10年間も中間の役割を販売店に求めていた それが理由です。

 販売店は組織の論理に完全に組み込まれている。組織は外からの攻撃が強いけど 、中からは非常に脆い。それは役割が決められて、その中でしか考えていないから。つまり自分のことしか考えてない。その典型が名古屋です。「自己完結」という名の元に。

 販売店を分化できれば、社会の様相が変わる。メーカーの立場に立つ販売店を市民の立場に変えて行く。それが可能なのは販売店の内からの分化。

8.1.2「中間の場」

 市民のリアルな場を作れるのは、販売店とコンビニぐらいしかない。人がいて、空間があるのは販売店。中間の場として、何をしかけるか。高度サービスしかない。

8.1.3「市民とつながる」→取り囲む

 車を使うキャンペーン。それを全面的にしかける。組織と資金力で。ロシア革命の軍隊のように、市民を煽動する。
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