未唯への手紙
未唯への手紙
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
『構想力の方法論』より 仏陀の真の教えは何か
歴史的方法:ミクロストリア
歴史学者の阿部謹也は著書『歴史と叙述-社会史への道-』の中で次のように述べていました。
「人間は不可能といいながらも常に何らかの形で全体像の形成へ、世界像の形成へと向かわざるをえないとされているのだが、その全体像とか世界像といわれるものは、個なる自己が人間存在、一回限りの人間のいのちの深さと重さを時と場所をこえて受けとめようとするときの、したたかな手ごたえのある、しかし果てしのない行路以外のなにものでもないのである。それが世界像であり、また世界史なのだ。だから世界像も世界史も常に完結しない課題・行路として存在しているのである。個別的なもののなかに、個人の一生のなかにも世界史をみることは出来る」
歴史学の方法でもう一つ、歴史=物語論の対極として、ホワイトの歴史的想像力とともに重要なのは先にも述べたミクロストリア(ミクロレベルの歴史、微視の歴史学)という方法です。ミクロストリアは、歴史学における従来の実証主義に対しても、またそれに異議申し立てをしたホワイトらの歴史=物語論の相対主義的立場に対しても、反論することをバネとして登場した新たな手法です。その有力な提唱者であるイタリアの歴史家ギンズブルグ(1939-)は、阿部謹也も関心を寄せた、ブローデルらの率いる「アナール派」の研究者であり、歴史叙述の現場で行なわれている作業を再検討することで、実証主義とも相対主義とも異なる歴史を描き出そうとしました。具体的には、境界などがはっきりと定義された小さな単位を対象とし、集中的に歴史学的な調査・記述を行うという手法です。多くの場合、一つの出来事や一つの村など小さな共同体、あるいは一人の個人を対象とします。
ギンズブルグは著書『歴史を逆なでに読む』で、歴史=物語論への反論を次のように述べます。
「今日、歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき、そこには、フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を、事実上廃止してしまおうとする相対主義的な態度がともなっている」
「わたしたちは実証主義を拒絶する場合でも、なお〝現実〟とか〝証拠〟とか〝真実〟といった概念には立ち向かわなければならないのである」
また、ミクロストリアを深化させて著した『チーズとうじ虫』では、一六世紀イタリアのフリウリ地方に住む一人の粉挽屋の異端審問記録から、当時のイタリアの農民文化を描きだしています。主人公のメノッキオは教会の教義とは異なるさまざまな書物を読み(コーランも含まれていた)、農村の生活での自然の観察から独自の世界像をつくりあげていました。審問記録によれば「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです」というのがメノッキオの主張でした。ギンズブルグは、このただ一人の男の物語から、当時のキリスト教の背後に隠れていた、膨大な文化の存在キリスト教以前の農民宗教を描いたのです。メノッキオは、聖餐式などの儀式はキリストがはじめたのではなく、ローマ教会によって設けられたので、それらがなくても人は救済される、とか、地獄も煉獄も金儲けをするために司祭や修道士たちが考えだしたもの、またもしキリストが義の人なら、十字架に傑けになることはなかっただろう、などと主張したのです。そして二度異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまいます。
細部への注視
このようなミクロな問題や場に目を向けること、ミクロストリア的思考の特徴は、大きな問題に迫ろうとすると抽象的議論に陥ってしまうのに対し、現実の一点をつぶさに観察、記述することでそこに集結する多様な文脈が見えるようになるということです。そこで得られたユニークな観点を、次により広い世界に適用していく。これは、領域密着型の理論構築(GTA:grounded theory approach)などの質的研究方法論にも通ずるものです。
哲学者の中山元はこの知的方法論を「ミクロロギー」とも呼び、歴史的認識においてディテールを読み取ることの重要性を示唆していると指摘します。「神は細部に宿る」といいますが、すでに古代から、ミクロなものにマクロな宇宙が再現されているという考え方が存在しました。ミクロにマクロが顕現するというものの見方は一つの哲学的方法なのです。
そのルーツは古代ギリシャの哲学者エピクロスの自然哲学にあり、それを方法的に確立したのが『資本論』のカール・マルクスだといわれます。マルクスは、「細部でその違いを証明できれば、もっと大きな次元でその差異を指摘するのは容易なこと」(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』)だといい、「大きな部分を眺めていたのではわからない顕微鏡的な次元の違いこそが、大きな違いをつくり出すと考えた」(『思考のトポス』中山元)のでした。また、ミクロなものへの観察から考察を始めるという手法は、フッサールの現象学の重要な方法です。
歴史的構想力にはこうした細部に目を凝らし微細な様相のなかに全体の構造を探すという方法論的アプローチが内包されていると考えられます。その先には、不可視のものを見て、真のリアリティとして再構成していく挑戦があるのです。
このミクロストリアの思考に近似しているのが、デザイン思考です。ミクロストリアはエスノグラフィー的な性格を持っています。実証主義的にデータや形式知をいくら集めても世界をつくることはできず、またホワイトのメタヒストリーのように自分の仮説だけに固執してもいけないし反対に他人になり切ってもいけない、ということです。重要なのは、自分が存在している文化のなかに、自分もいるのであり、そこに参加していることを意識しながら、あくまでも同一化してしまうことなく、そこで起こっていることを冷徹に観察し記述していくことです。そういう歴史家の姿はエスノグラフィーの参与観察の姿勢に通じるものがあります。そのような姿勢で現実と向き合うことで、歴史における立証と言語表現としての歴史を両立させることができるとギンズブルグは主張するのです。
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
歴史学の方法を二つ見てきましたが、どちらにおいても言語で表現するナラティブが重要です。ナラティブは必ずしも言語だけでなく、視覚的要素や音楽、身体的リズムであってもいいのですが、とりわけ歴史的構想力においては、言語化の能力において優れていることが求められます。イノベーターにとって言語化は成否を分ける重要な能力といえるのです。
イノベーターにとっての言語化能力とは、大きな目的に基づきつつ、現実のディテールや文脈から得られた洞察を結び付けていく実践を促す言語表現であり、その背後では概念化と言語化の絶えざる試行錯誤があります。またそれは、より大きな歴史的な状況のなかで、新たな世界観を表す形而上学的な思索作業でもあるのです。
スティーブ・ジョブズは製品の提供価値を一つの言葉や文章に凝縮して表現しました。MacBook Airの発表のときには「封筒に入るパソコン」といって実際にマックを封筒から取り出してみせました。その瞬間、言葉と現実が結び付きます。ここでは「封筒」というメタファー(喩え、隠喩)が重要であり、これはもともと先人達の使った技でもありました。ヒューレット・パッカードが関数電卓を開発した際に、その大きさは創業者のビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットに入るサイズで決められたといわれます。ソニーのポケッタブル・ラジオも、胸ポケットに入るということが大事であり、本当は普通のワイシャツの胸ポケットには入らなかったのに、ポケットの大き目のワイシャツを特注し、米国の販売スタッフに着せてポケッタブル・ラジオというレトリックで売ったというエピソードが残っています。これら先人たちの知恵を洗練させたのが、ジョブズによる「封筒に入るパソコン」だったのではないでしょうか。イノベーションにおいてはこのようなメタファーが、コンセプトを構成する複数の変数を束ねて理解、説明するには重要となります。
問題の対象に分け入り細部に沈潜していくのも、想像の翼を広げてビッグピクチャーを描くのも、突き詰めれば個やチームの気概とモチベーションにかかっています。その対象やテーマを扱うことの社会的意味を問い続けながら構想していく道程には、「自分は何なのか」と問う瞬間や「本当にこれでよいのか」という不安が必ずあるはずです。多彩なメンバーが増えるほど、孤独に沈むことがあるのではないでしょうか。さまざまな要因が複雑に作用しているのだと思いますが、不安の一端は、自分はいまどこに立っているのか、過去から現代さらに未来へとつながる歴史の中のどこにいるのかという疑問につながると考えられます。
芸術家にとっては、その葛藤が作品を創造する原動力ともなるのでしょう。しかし、社会経済の新たな生態系を創造し地球環境のリバランスを目指す二一世紀の構想力の実践においても、そうした情緒は重要なものであると考えます。そうした心の動きが、自らを歴史的存在として自覚させ、歴史的構想力を呼び覚ますのではないでしょうか。
パーソナル・コンピューティングの概念を生み出し、ジョブズなどにも大きな影響を与えたアラン・ケイの構想力については第2章で紹介しました。彼の言葉を再度思い起こしてみまし 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明することだ」
これは、未来に向けて物語を物語ることで、世界のパラダイムを変え、歴史の一部を形づくり創造していくという歴史的構想力をまさに表現した言葉です。イノベーションとは単に新たな技術や商品を開発したり導入したりすることではない、ということを示唆しています。未来を、すなわちこれからの人々の生活や意識を変える仕組みを物語り、その中でプロット(物語の筋書き)をつなげ、実践していくことです。それが歴史的存在者としてイノベーションを起こすということの意味だと考えられるのです。
歴史的方法:ミクロストリア
歴史学者の阿部謹也は著書『歴史と叙述-社会史への道-』の中で次のように述べていました。
「人間は不可能といいながらも常に何らかの形で全体像の形成へ、世界像の形成へと向かわざるをえないとされているのだが、その全体像とか世界像といわれるものは、個なる自己が人間存在、一回限りの人間のいのちの深さと重さを時と場所をこえて受けとめようとするときの、したたかな手ごたえのある、しかし果てしのない行路以外のなにものでもないのである。それが世界像であり、また世界史なのだ。だから世界像も世界史も常に完結しない課題・行路として存在しているのである。個別的なもののなかに、個人の一生のなかにも世界史をみることは出来る」
歴史学の方法でもう一つ、歴史=物語論の対極として、ホワイトの歴史的想像力とともに重要なのは先にも述べたミクロストリア(ミクロレベルの歴史、微視の歴史学)という方法です。ミクロストリアは、歴史学における従来の実証主義に対しても、またそれに異議申し立てをしたホワイトらの歴史=物語論の相対主義的立場に対しても、反論することをバネとして登場した新たな手法です。その有力な提唱者であるイタリアの歴史家ギンズブルグ(1939-)は、阿部謹也も関心を寄せた、ブローデルらの率いる「アナール派」の研究者であり、歴史叙述の現場で行なわれている作業を再検討することで、実証主義とも相対主義とも異なる歴史を描き出そうとしました。具体的には、境界などがはっきりと定義された小さな単位を対象とし、集中的に歴史学的な調査・記述を行うという手法です。多くの場合、一つの出来事や一つの村など小さな共同体、あるいは一人の個人を対象とします。
ギンズブルグは著書『歴史を逆なでに読む』で、歴史=物語論への反論を次のように述べます。
「今日、歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき、そこには、フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を、事実上廃止してしまおうとする相対主義的な態度がともなっている」
「わたしたちは実証主義を拒絶する場合でも、なお〝現実〟とか〝証拠〟とか〝真実〟といった概念には立ち向かわなければならないのである」
また、ミクロストリアを深化させて著した『チーズとうじ虫』では、一六世紀イタリアのフリウリ地方に住む一人の粉挽屋の異端審問記録から、当時のイタリアの農民文化を描きだしています。主人公のメノッキオは教会の教義とは異なるさまざまな書物を読み(コーランも含まれていた)、農村の生活での自然の観察から独自の世界像をつくりあげていました。審問記録によれば「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです」というのがメノッキオの主張でした。ギンズブルグは、このただ一人の男の物語から、当時のキリスト教の背後に隠れていた、膨大な文化の存在キリスト教以前の農民宗教を描いたのです。メノッキオは、聖餐式などの儀式はキリストがはじめたのではなく、ローマ教会によって設けられたので、それらがなくても人は救済される、とか、地獄も煉獄も金儲けをするために司祭や修道士たちが考えだしたもの、またもしキリストが義の人なら、十字架に傑けになることはなかっただろう、などと主張したのです。そして二度異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまいます。
細部への注視
このようなミクロな問題や場に目を向けること、ミクロストリア的思考の特徴は、大きな問題に迫ろうとすると抽象的議論に陥ってしまうのに対し、現実の一点をつぶさに観察、記述することでそこに集結する多様な文脈が見えるようになるということです。そこで得られたユニークな観点を、次により広い世界に適用していく。これは、領域密着型の理論構築(GTA:grounded theory approach)などの質的研究方法論にも通ずるものです。
哲学者の中山元はこの知的方法論を「ミクロロギー」とも呼び、歴史的認識においてディテールを読み取ることの重要性を示唆していると指摘します。「神は細部に宿る」といいますが、すでに古代から、ミクロなものにマクロな宇宙が再現されているという考え方が存在しました。ミクロにマクロが顕現するというものの見方は一つの哲学的方法なのです。
そのルーツは古代ギリシャの哲学者エピクロスの自然哲学にあり、それを方法的に確立したのが『資本論』のカール・マルクスだといわれます。マルクスは、「細部でその違いを証明できれば、もっと大きな次元でその差異を指摘するのは容易なこと」(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』)だといい、「大きな部分を眺めていたのではわからない顕微鏡的な次元の違いこそが、大きな違いをつくり出すと考えた」(『思考のトポス』中山元)のでした。また、ミクロなものへの観察から考察を始めるという手法は、フッサールの現象学の重要な方法です。
歴史的構想力にはこうした細部に目を凝らし微細な様相のなかに全体の構造を探すという方法論的アプローチが内包されていると考えられます。その先には、不可視のものを見て、真のリアリティとして再構成していく挑戦があるのです。
このミクロストリアの思考に近似しているのが、デザイン思考です。ミクロストリアはエスノグラフィー的な性格を持っています。実証主義的にデータや形式知をいくら集めても世界をつくることはできず、またホワイトのメタヒストリーのように自分の仮説だけに固執してもいけないし反対に他人になり切ってもいけない、ということです。重要なのは、自分が存在している文化のなかに、自分もいるのであり、そこに参加していることを意識しながら、あくまでも同一化してしまうことなく、そこで起こっていることを冷徹に観察し記述していくことです。そういう歴史家の姿はエスノグラフィーの参与観察の姿勢に通じるものがあります。そのような姿勢で現実と向き合うことで、歴史における立証と言語表現としての歴史を両立させることができるとギンズブルグは主張するのです。
歴史的構想力を支える語彙の豊富さ
歴史学の方法を二つ見てきましたが、どちらにおいても言語で表現するナラティブが重要です。ナラティブは必ずしも言語だけでなく、視覚的要素や音楽、身体的リズムであってもいいのですが、とりわけ歴史的構想力においては、言語化の能力において優れていることが求められます。イノベーターにとって言語化は成否を分ける重要な能力といえるのです。
イノベーターにとっての言語化能力とは、大きな目的に基づきつつ、現実のディテールや文脈から得られた洞察を結び付けていく実践を促す言語表現であり、その背後では概念化と言語化の絶えざる試行錯誤があります。またそれは、より大きな歴史的な状況のなかで、新たな世界観を表す形而上学的な思索作業でもあるのです。
スティーブ・ジョブズは製品の提供価値を一つの言葉や文章に凝縮して表現しました。MacBook Airの発表のときには「封筒に入るパソコン」といって実際にマックを封筒から取り出してみせました。その瞬間、言葉と現実が結び付きます。ここでは「封筒」というメタファー(喩え、隠喩)が重要であり、これはもともと先人達の使った技でもありました。ヒューレット・パッカードが関数電卓を開発した際に、その大きさは創業者のビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットに入るサイズで決められたといわれます。ソニーのポケッタブル・ラジオも、胸ポケットに入るということが大事であり、本当は普通のワイシャツの胸ポケットには入らなかったのに、ポケットの大き目のワイシャツを特注し、米国の販売スタッフに着せてポケッタブル・ラジオというレトリックで売ったというエピソードが残っています。これら先人たちの知恵を洗練させたのが、ジョブズによる「封筒に入るパソコン」だったのではないでしょうか。イノベーションにおいてはこのようなメタファーが、コンセプトを構成する複数の変数を束ねて理解、説明するには重要となります。
問題の対象に分け入り細部に沈潜していくのも、想像の翼を広げてビッグピクチャーを描くのも、突き詰めれば個やチームの気概とモチベーションにかかっています。その対象やテーマを扱うことの社会的意味を問い続けながら構想していく道程には、「自分は何なのか」と問う瞬間や「本当にこれでよいのか」という不安が必ずあるはずです。多彩なメンバーが増えるほど、孤独に沈むことがあるのではないでしょうか。さまざまな要因が複雑に作用しているのだと思いますが、不安の一端は、自分はいまどこに立っているのか、過去から現代さらに未来へとつながる歴史の中のどこにいるのかという疑問につながると考えられます。
芸術家にとっては、その葛藤が作品を創造する原動力ともなるのでしょう。しかし、社会経済の新たな生態系を創造し地球環境のリバランスを目指す二一世紀の構想力の実践においても、そうした情緒は重要なものであると考えます。そうした心の動きが、自らを歴史的存在として自覚させ、歴史的構想力を呼び覚ますのではないでしょうか。
パーソナル・コンピューティングの概念を生み出し、ジョブズなどにも大きな影響を与えたアラン・ケイの構想力については第2章で紹介しました。彼の言葉を再度思い起こしてみまし 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明することだ」
これは、未来に向けて物語を物語ることで、世界のパラダイムを変え、歴史の一部を形づくり創造していくという歴史的構想力をまさに表現した言葉です。イノベーションとは単に新たな技術や商品を開発したり導入したりすることではない、ということを示唆しています。未来を、すなわちこれからの人々の生活や意識を変える仕組みを物語り、その中でプロット(物語の筋書き)をつなげ、実践していくことです。それが歴史的存在者としてイノベーションを起こすということの意味だと考えられるのです。
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