goo

電子書籍時代の図書館

『新しい時代の図書館情報学』より

情報資料の電子化

 所蔵資料を電子化し、ネットワークを通じて公開するには、著作権の消滅したものを除き、複製権と公衆送信権について著作権者の許諾を得ることが必要である。そこで、初期のプロジェクトでは、古典資料が大半を占める貴重書コレクションが対象にされることが多かった。こうした資料群は図書館展示資料を電子化したものにすぎず、一般利用と結びつかないことから「電子紙芝居」と鄭楡されることもあったが、電子図書館のイメージやそれを実現する環境の乏しかった時代において、電子化における課題を浮かび上がらせる役割を果たした。

 日本国内では、その後、岡山県の「デジタル岡山大百科」のように学校教育での利用と結びっいたもの、神戸大学附属図書館の震災文庫のように震災関連の調査研究に資したものなど、教育上、研究上の具体的な「利用」を想定した電子化も試みられるようになっていった。

 しかし、図書館での電子化プロジェクトの多くは、依然として限られた範囲での蝸牛の歩みであった。そんな図書館界を尻目に、一気に図書館蔵書の電子化を進めようとしたのがグーグルであった。2005年、グーグルが発表した一つのプロジェクトが世界の図書館界や出版界に大きな衝撃を与えた。現在のグーグルブックス(Google Books)の前身にあたるグーグルプリント(Google Print)である。これをきっかけとして、図書館が中心となって資料を電子化する計画も加速化した。国立国会図書館における大量デジタル化もその一つである。

 学術資料に関しては、とくに欧米で、電子ジャーナルや電子書籍での提供が進んでいる。それらを図書館の資料として提供するにあたっての課題は第7章ですでに述べた。しかし、電子化の進みの遅い分野や言語圏も存在する一方で、直近の研究成果が雑誌や書籍になるのには時間がかかるし、ごく限られた範囲でしか流通しない資料もある。このようななかで大学等の機関リポジトリは、所属研究者の論文や、実験データ、講義の教材などを電子化して公開する仕組みとして、ウェブ上で利用可能な一次情報の厚みを増す役割を担っている。世界の主要な大学にとどまらず、国内でも国公立大学のほとんどすべてと一部の私立大学が機関リポジトリを整備している。国内の機関リポジトリのインターネット上の総合窓口が、国立情報学研究所の提供する学術機関リポジトリポータルJAIROである。

電子資料の収集

 図書館が所蔵する紙媒体資料を電子化する計画が進められる一方、作成された当初から電子形態をとるボーンデジタル資料が増加し続けている。英国図書館は、2020年までに世界の出版物の75%がボーンデジタルになると予測している。日本でも2010年、アマゾンのキンドルやアップルのiPadといった携帯読書端末がブームを呼び起こし、何度めかの「電子書籍元年」に沸いた。実際には日本語の書籍で電子形態で利用できるものはまだ少ないが、国際標準の電子書籍用フォーマットであるEPUBが日本語にも対応するようになって、今後は確実に増加していくだろう。しかしそうした資料の多くは、ウェブサイトも含め、日々生まれもするが、消え去ってもいく。

 自国の出版物は法定納本制度によって、基本的には国立図書館がその収集に責任を負う。日本の場合には国立国会図書館法により出版者に国立国会図書館へのすべての出版物の納入が義務づけられ、その対象範囲は法改正によって電子出版物にも広げられてきた。現在、パッケージ形態の資料(CD-ROMやDVDなど)と官公庁等のネットワーク系資料(ウェブサイトなど)が対象になっている。ウェブサイトに関する扱いは国によって異なり、国内の全サイトを一括収集する国もあれば、選択的に収集する国もある。日本では現時点では後者の方法がとられているが、選択の範囲を広げていくことが望まれる。ウェブサイトを収集し、保存することをウェブアーカイビングという。

電子資料の保存

 いったん図書館に情報資料が収集されてしまえばそれで安心かといえば、そんなことはない。情報資料が永久不滅でないことは、電子資料も紙媒体と同様である。むしろ千年以上もちこたえてきた紙よりも脆弱かもしれない。ハードやソフトの再生手段がなくなってしまったり、媒体自体が傷ついたり経年劣化してしまったりすれば、それらはただの空箱でしかなくなってしまう。図書館によって対象となる資料の範囲や程度は違ってくるだろうが、媒体を新しいものに変換したり、旧式の環境を新しい再生装置に移植するなど、長期的な保存を想定した計画を立てて実施することも、面倒ではあるが図書館の重要な責務といえる。

 必要な電子資料を収集して、再生手段を確保し保存しておけばそれでよいかというと、それだけでもやはり十分ではない。収集した資料には標準的な枠組みに基づいたメタデータを与え、必要なときに最適な形で効率的に提供できるよう組織化しておく必要がある。

電子資料の提供

 電子資料に関しては図書館のサービスもまた多くがウェブを介して行われる。ところが電子資料を必要とするときに、図書館ごとにそのホームベージに備えられている検索窓にキーワードを入れるのは効率が悪い。できれば一回きりの入力ですませたい。こうしたニーズに応えるのがポータルサイトである。たとえば国立国会図書館のNDLサーチは、一つの窓から国立国会図書館の電子資料や2次情報のほか、他の図)書館の電子資料や青空文庫のデータなどをまとめて横断的に検索することができる点で、代表的なポータルサイトの一つである。

 これまでの携帯電話は画面が小さく、図書館が提供するような電子資料を見るのには使いづらかった。かといって一部のピジネスパーソンを除いて、モバイルパソコンを持ち歩く人はそうはいない。だが、スマートフォンや携帯型の各種タブレットといった汎用性があり、使い勝手のよいモバイル機器の普及は、電子図書館に新たな可能性を開くかもしれない。もちろん、そこには大量のコンテンツと使い勝手のよいインターフェイスの存在が不可欠である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

無から生じた存在

『無の本』より

なぜ、無ではなく何かがあるのか。そのような疑問に答えることは不可能だという意見もあれば、そんな疑問は無意味だとまで言う人や、答えはこうだと言い張る人もいる。科学は、世界についての真相を見抜くかなり効果的な方法であることがわかっている。なぜなら、科学は主に、「どのように」ものごとが起こるのかという疑問を専門的に扱うものだからだ。科学がもしも「なぜ」という疑問を発するとしたら、ある一連のできごとがどのように起こり、何か何を引き起こし、といったことを詳細にわかっている場合に答えられるようなことがらの側面についての疑問であることがほとんどだ。科学理論を根本まで深く掘り下げると、自然界のもっとも基本的な粒子のふるまいを支配する、自然法則と呼ばれるものの基盤が見えてくる。これらの粒子の正体や、それらにできること、結合される方法などは、その帰結を経験の事実に照らし合わせて検証できる公理のようなものだ。ある意味、ものごとがそのようになっていない状況を想像するのは、とても難しいくらいだろう。自然法則の性質が、法則に支配される同一の素粒子の集まりにある性質と密接な関連をもつようになっているからだ。法則のなかには、特定の属性をもつ粒子にしか作用しないものがある。しかし、他の点では、私たちの宇宙とわずかに異なる宇宙を思い描くことは可能だ。これまでのところ、可能な宇宙はひとつしかないと限定するような理論は見つかっていない。これはつまるところ、宇宙の究極理論における真空の景観の性質についての疑問である。景観に谷がひとつしかなければ、ありうる真窄の状態はひとつだけになり、それを定義づける自然の定数のありうる組み介わせもひとつしかない。もしも谷がたくさんあるなら、真空も多数あり、自然の定数は、ひとつの可能性によってただひとつに定められることはない。自然の定数はさまざまな値をとることができ、しかも第八章でみたように、今、この宇宙のどこかで、そうなっているかもしれない。それだからこそ、「なぜ無ではなく何かがあるのか」という存在論的な大きな疑問を少し控えめにした疑問が出現した。物理学者は、意味ありげにこの疑問を発することができる。彼らの見解では、世界のある種の側面は、生きた観測者をもとうとしている宇宙にある、避けがたい、あるいは必要な特徴なのだ。

この大きな疑問に関連する科学の諸問題に、宇宙論者や物理学者が取り組んでいる。そうした研究から、宇宙が膨張していることが明らかになった。その歴史を数十億年遡ると、密度や温度が無限になるような時点に行き着き、さらに遡ることが不可能になる。このことから、宇宙には、過去の有限の時間において始まりがあったのではないかという重要な可能性が考察されるようになった。これは推定にすぎず、真剣に検討するつもりならいっそうくわしく調べる必要があるが、とりあえず、この点について少しだけここで考えてみよう。もしも膨張に実際に始まりがあったとしたら、さらなる疑問が突きつけられることになる。その「始まり」は、わたしたちが今日見ている宇宙の膨張の始まりだけを指すものなのか。それとも、あらゆる意味においての、物理的な宇宙全体の「始まり」なのか。もしも後者のほうであれば、始まりのときには、宇宙のなかに物質と子不ルギーしかなかったのか。あるいは、時間と空間の織物全体もあったのか。さらに、もしも空間と時間が出現するのなら、自然法則や対称性や定数と呼ばれるものはどうなのか。これらも同じように出現するものなのか。最後に、これらのうちの一部もしくは全部が、歴史における特定できる瞬間に必ず出現するのなら、いったい何から、どのような理由で、どんなふうに発生するのか。

人間には、存在の性質と終わりについて、「なぜ」という重要な疑問を問いかける習慣が古くからある。本書の読者のかなりの人たちは、ユダヤ教やキリスト教の伝統や、その書物や教義を物理的な世界についての初期の知識と調和させるために構築された思想に大きな影響を受けてきた社会に暮らしているだろう。宇宙は無から創造されたとする教義は、ほぼ、キリスト教の伝統にしか見られないものだ。世界中の神話思想を調べても、異国風の登場人物の演じるものとか、幻想的で印象に残るからくりなどはあっても、基本的な宇宙論を語ったものは、驚くほどわずかしか見あたらない。

「創造された」宇宙という概念は、通常、混沌の状態や構造のない空虚から作り直されたものとか、再建されたものとして受け止められることが多い。あるいは、世界は他の状態から「出現」するのかもしれない。その状態には、いろいろな候補がある。原初の子宮から新たに生まれることも、英雄が混沌の啼い水のなかに飛び込んで、引き揚げてくることもある。以前から存在していた卵から孵化したり、世界と世界が合体してそこから出現することもある。他にも、超人的な英雄と暗闇と邪悪の力がぶつかり合い、そこから世界が生まれるという話もある。これらの描写はみな、赤ん坊の誕生や、敵との闘い、動物の生殖、魚を釣って食べるといった営みと密接につながっている。無から何かが出現することには、赤ん坊の誕生のように痛みと労力がともなう。ときおり抵抗に遭うこともあるが、最終的には成功する。これらの例がすべて、わかりやすいものであるとは限らない。時代が下るにつれて、神話はますます複雑になっていく。世界についてのさまざまな事実が次々と明るみに出て、新たな疑問が投げかけられる。神話をさらに潤色することでしか、答えを示せない。そのために、描写がいっそう手の込んだものになる。

宇宙はそもそも始まっておらず、つねにそこにあったのだ、とする伝統も見受けられる。そうした伝統では、時間と歴史が循環する構図が認められることが多い。それは、農耕社会で利用される季節の循環や、人間の生と死の循環に負うところが大きい。したがって、究極的な現実は永遠の過去から永遠の未来まで連続する一方、地上の世界では死んでも必ず生まれ変わり、先祖の灰から不死鳥のように再生する。宇宙論的な筋書きのパターンをいくつか挙げた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

楽観論、悲観論で読む「消費税増税後の世界」

『文藝春秋2014年の論点100』より

十七年ぶりに二回目の税率引き上げとなる消費税。この間、国債、借入金、政府短期証券といったいわゆる「国の借金」は優にGDP(国内総生産)の二倍を超え、二〇一三年末に一千百七兆円に達する見込みだ。

特に高齢化による自然増で毎年一兆円ずつ膨らんでいく年金、医療、介護などの社会保障給付にかかる費用は年間百兆円に上り、そのうちの三十兆円を国が負担している。さきの民主党・野田佳彦内閣において、この社会保障関係費の財源を消費税の増税によって安定的に確保すること、そのため消費税を一四年四月に現行の五%から八%へ、さらに一五年十月に一〇%へ引き上げることで自民党、公明党も合意、一二年八月に消費増税法が可決・成立していた。

同年十二月に誕生した第二次安倍晋三内閣は、その実施について「経済状況を勘案して判断する」としていたが、六十名の有識者・専門家による増税の影響の検証(今後の経済財政動向等についての集中点検会合)などを経て一三年十月一日、予定どおリ翌一四年四月一日から八%へ引き上げることを決定した。

ただし、一〇%への再引き上げについては、安倍首相は決定を保留している。

安倍首相が会見にのぞんだ当日朝に日銀や政府が発表した経済指標は、八%への引き上げ実施の判断を後押ししたといわれる。四半期に一度行う日銀短観(企業短期経済観測調査)は、景気が「良い」と答えた企業の割合(%)から「悪い」と答えた割合を引いた業況判断指数が、大企業・製造業、非製造業とも三期連続で改善。特に製造業はプラス十二で、○八年のリーマン・ショック後最高の値を示し、日銀は「景気は、緩やかに回復している」、先行きも「緩やかな回復を続けていく」とした。厚生労働省が発表した有効求人倍率も六ヵ月連続で改善、〇・九五まで回復している。

しかし一方で、労働者一人当たりの賃金(現金給与総額)が前年同月と比べて〇・六%減の二十七万一千九百十三円と二ヵ月連続で減少、およそ個人に景気回復の実感はない。そのため消費税増税による消費の落ち込み、景気の腰折れも懸念されることから、「社会保障の充実や安定などのためにお願いする負担を緩和しながら、同時に将来にわたって投資を促進し、賃金を上昇させ、雇用を拡大する」(同日の首相会見)として、「消費税増税」とパッケージで「増税前の五兆円規模の経済対策(財政出動)」「法人税率の引き下げ」「東日本大震災の復興特別法人税の廃止」の経済政策が打ち出された。

五兆円規模の経済対策の内訳は、インフラの老朽化・防災対策、学校施設の耐震化、東京オリンピックに備えての環状道路の整備、イノペーションにつながる研究開発支援などの公共投資に二兆円、被災地のインフラ復旧や耐震化などの震災復興事業や住宅を再建した被災者への現金給付措置に合わせて一兆三千億円、そのほか低所得者へ原則として一人一万円の現金給付措置に三千億円、住宅取得者への現金給付措置に三千百億円など。また法人への減税は、先端設備に投資して生産性を一%以上上げる企業への減税額が七千三百億円、賃金を上げた企業への税優遇が一千六百億円など総額一兆円になる。法人がこの減税分を設備投資や賃金のアップ、雇用の拡大に回すことが図られている。

増税の効果については、政府は消費税収が年に八兆一千億円増えると試算している。ただし、初年度に限っては五兆一千億円の増にとどまると見ており、政府原案ではこのうち四兆六千億円が年金など現行の社会保障制度を維持するための費用となる。たとえば、基礎年金の財源不足を補うために発行していたつなぎ国債の償還費用に二兆九千五百億円、高齢化に伴う社会保障費の自然増に一兆四千五百億円を充てる。

残る五千億円は社会保障の新たな施策のために使われ、保育施設の支援など子育て支援に三千億円、医療・介護のための新しい施策に千九百七十億円を投入する。

このように増税をしつつ、一方で経済対策を実施するーこの経済政策パッケージを安倍首相は「経済の再生と財政健全化を同時に達成するベストシナリオである」と断言した。

これを「行き届いたシナリオ」と絶賛したのが米倉弘昌・経団連会長・住友化学会長である。

「大胆な投資減税や研究開発税制の維持拡充をはじめとする税制措置や家計負担軽減策からなる概ね五兆円規模の経済対策がとりまとめられたことは大変心強い。法人税実効税率の引き下げの第一歩として、復興特別法人税の前倒しでの廃止の方向性が打ち出されたことを大いに歓迎する。(中略)経済界としても、イノベーションを加速させ、投資の拡大、雇用の創造、報酬の引上げなど、経済の好循環の実現に努めていく」(消費税率引き上げおよび経済対策の決定に関する会長コメントより)

米倉氏は、増税の決定に先立って開かれた点検会合のメンバーでもあり、「増税をためらうべきではない」と消費税増税を支持してきた。

ほかにも経済界からは岡村正・日本商工会議所会頭・東芝相談役、岡本圀衛・経済同友会副代表幹事・日本生命会長、豊田章男・日本自動車工業会会長・トヨタ自動車社長らが出席。「次の世代にツケを回さないよう財政を健全化していくことが不可欠である」(豊田氏)など、増税を支持する声が圧倒的に多かった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

絶対孤独の一日

絶対孤独の一日

 また、絶対孤独の一日が始まります。依存するな!

 このままでは、あと一か月しか、存在を感じられなくなる。ミカロスの本格化が始まる。

 絶対孤独と言いながら、私にはμがいます。それを忘れてはいけない。とりあえず、水曜日はμとの話に使いましょう。

仕事編に幅がない

 仕事編に幅がないのはなぜなのか。最初から、サファイアにターゲットを絞ったからでしょうか。

 最初の20年間の仕事は何だったのか。色々なことに気づいたはずです。一番は自分の役割です。システムというものを作るのではなく、皆がそれを使って、変えていくようにしていく。皆の思いを自分の思いに。自分の思いを皆の思いに。思いをカタチに。あのキャッチフレーズです。

 それと複雑性の考え方ですね。周縁から変えていく。相手とのキャッチボール。その裏にあったのは、方程式です。自分が作って、渡して、使わせるようにするよりも、皆が自分で使えるようにした方が、何十倍も高いというものです。

 電算部の時は作ることが楽しくて、大きなものを作って、遊んでいた。結局、使わせないといいものにはならない。その人の武器にはならない。間に挟まってはダメだということです。

 その時点では、アップルを使った。作るよりもはるかに、技術者になじんだものです。彼らは組み合わせて、自分のニーズに適応させます。今も同じです。この部署の連中は、一生懸命、作ってスタッフに渡すけど、それよりもキンドルに配信させた方がはるかに容易です。

店舗コミュニティの情報共有のもつ意味

 仕事編での結論は、店舗コミュニティでの情報共有を核にして、どう展開させていくのか、というところです。だから、ファシリテーションとかインタープリテーションとかのキーワードをそれぞれの項目に当てはめます。それを発見した経緯と、どう展開するのか。

 店舗コミュニティの情報共有の底辺にあるのか、存在の力に気付いたことです。個人の分化も同様です。スタッフという言葉にしているけど、国民とか市民でも同様です。環境が違うだけです。

大いなる意思の意思

 キンドルを見ていると、大いなる意思がまだ、私を捨ててないことが分かります。私の周辺に情報をすべて持ち寄ってくるものです。コンテンツがあるものにとっては、最大に武器になります。

 アマゾンの思惑とは違うけど、それを超えたものです。アマゾンもグーグルもフェースブックも私の思惑の下で動けばいいのです。結局は、社会を変えることしか、システムにできることはないのです。情報共有のすごさはフェースブックを見れば分かります。

先人の意思

 ジョブスたちが作ってきた世界です。モノだけではダメです。つながりだけでもダメです。それで社会をどう変えるか。存在の力の意識をどう育成して、どう使っていくのか。ジョブスたちも社会を変えたくて、パソコンを作ってきた。その思いはまだ、達成できていない。そうでなければ、ペプシの社長で十分です。儲けるのであれば。

 道具が揃って、あとは意識の問題。意思の力から存在の力へのシフト。それさえあれば、ソーシャルでグローバルが変化できる。問題はその後、どうなるかです。幸せになるかです。これはエジプトで実験しています。

 これは内なる歴史で述べましょう。社会の位相化というキーワードで、歴史の時空間がどう変わるのか。変わったものがどうなるか。

 この最大のポイントはLL=GGの世界の様相です。それは決して、安定をもたらさない。常に、個人の意識の方に大きな力を要求します。存在の力をどのようにして、維持するのか。

 それに対して、人類が持ちこたえられるかどうかは分かりません。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )