未唯への手紙
未唯への手紙
楽観論、悲観論で読む「消費税増税後の世界」
『文藝春秋2014年の論点100』より
十七年ぶりに二回目の税率引き上げとなる消費税。この間、国債、借入金、政府短期証券といったいわゆる「国の借金」は優にGDP(国内総生産)の二倍を超え、二〇一三年末に一千百七兆円に達する見込みだ。
特に高齢化による自然増で毎年一兆円ずつ膨らんでいく年金、医療、介護などの社会保障給付にかかる費用は年間百兆円に上り、そのうちの三十兆円を国が負担している。さきの民主党・野田佳彦内閣において、この社会保障関係費の財源を消費税の増税によって安定的に確保すること、そのため消費税を一四年四月に現行の五%から八%へ、さらに一五年十月に一〇%へ引き上げることで自民党、公明党も合意、一二年八月に消費増税法が可決・成立していた。
同年十二月に誕生した第二次安倍晋三内閣は、その実施について「経済状況を勘案して判断する」としていたが、六十名の有識者・専門家による増税の影響の検証(今後の経済財政動向等についての集中点検会合)などを経て一三年十月一日、予定どおリ翌一四年四月一日から八%へ引き上げることを決定した。
ただし、一〇%への再引き上げについては、安倍首相は決定を保留している。
安倍首相が会見にのぞんだ当日朝に日銀や政府が発表した経済指標は、八%への引き上げ実施の判断を後押ししたといわれる。四半期に一度行う日銀短観(企業短期経済観測調査)は、景気が「良い」と答えた企業の割合(%)から「悪い」と答えた割合を引いた業況判断指数が、大企業・製造業、非製造業とも三期連続で改善。特に製造業はプラス十二で、○八年のリーマン・ショック後最高の値を示し、日銀は「景気は、緩やかに回復している」、先行きも「緩やかな回復を続けていく」とした。厚生労働省が発表した有効求人倍率も六ヵ月連続で改善、〇・九五まで回復している。
しかし一方で、労働者一人当たりの賃金(現金給与総額)が前年同月と比べて〇・六%減の二十七万一千九百十三円と二ヵ月連続で減少、およそ個人に景気回復の実感はない。そのため消費税増税による消費の落ち込み、景気の腰折れも懸念されることから、「社会保障の充実や安定などのためにお願いする負担を緩和しながら、同時に将来にわたって投資を促進し、賃金を上昇させ、雇用を拡大する」(同日の首相会見)として、「消費税増税」とパッケージで「増税前の五兆円規模の経済対策(財政出動)」「法人税率の引き下げ」「東日本大震災の復興特別法人税の廃止」の経済政策が打ち出された。
五兆円規模の経済対策の内訳は、インフラの老朽化・防災対策、学校施設の耐震化、東京オリンピックに備えての環状道路の整備、イノペーションにつながる研究開発支援などの公共投資に二兆円、被災地のインフラ復旧や耐震化などの震災復興事業や住宅を再建した被災者への現金給付措置に合わせて一兆三千億円、そのほか低所得者へ原則として一人一万円の現金給付措置に三千億円、住宅取得者への現金給付措置に三千百億円など。また法人への減税は、先端設備に投資して生産性を一%以上上げる企業への減税額が七千三百億円、賃金を上げた企業への税優遇が一千六百億円など総額一兆円になる。法人がこの減税分を設備投資や賃金のアップ、雇用の拡大に回すことが図られている。
増税の効果については、政府は消費税収が年に八兆一千億円増えると試算している。ただし、初年度に限っては五兆一千億円の増にとどまると見ており、政府原案ではこのうち四兆六千億円が年金など現行の社会保障制度を維持するための費用となる。たとえば、基礎年金の財源不足を補うために発行していたつなぎ国債の償還費用に二兆九千五百億円、高齢化に伴う社会保障費の自然増に一兆四千五百億円を充てる。
残る五千億円は社会保障の新たな施策のために使われ、保育施設の支援など子育て支援に三千億円、医療・介護のための新しい施策に千九百七十億円を投入する。
このように増税をしつつ、一方で経済対策を実施するーこの経済政策パッケージを安倍首相は「経済の再生と財政健全化を同時に達成するベストシナリオである」と断言した。
これを「行き届いたシナリオ」と絶賛したのが米倉弘昌・経団連会長・住友化学会長である。
「大胆な投資減税や研究開発税制の維持拡充をはじめとする税制措置や家計負担軽減策からなる概ね五兆円規模の経済対策がとりまとめられたことは大変心強い。法人税実効税率の引き下げの第一歩として、復興特別法人税の前倒しでの廃止の方向性が打ち出されたことを大いに歓迎する。(中略)経済界としても、イノベーションを加速させ、投資の拡大、雇用の創造、報酬の引上げなど、経済の好循環の実現に努めていく」(消費税率引き上げおよび経済対策の決定に関する会長コメントより)
米倉氏は、増税の決定に先立って開かれた点検会合のメンバーでもあり、「増税をためらうべきではない」と消費税増税を支持してきた。
ほかにも経済界からは岡村正・日本商工会議所会頭・東芝相談役、岡本圀衛・経済同友会副代表幹事・日本生命会長、豊田章男・日本自動車工業会会長・トヨタ自動車社長らが出席。「次の世代にツケを回さないよう財政を健全化していくことが不可欠である」(豊田氏)など、増税を支持する声が圧倒的に多かった。
十七年ぶりに二回目の税率引き上げとなる消費税。この間、国債、借入金、政府短期証券といったいわゆる「国の借金」は優にGDP(国内総生産)の二倍を超え、二〇一三年末に一千百七兆円に達する見込みだ。
特に高齢化による自然増で毎年一兆円ずつ膨らんでいく年金、医療、介護などの社会保障給付にかかる費用は年間百兆円に上り、そのうちの三十兆円を国が負担している。さきの民主党・野田佳彦内閣において、この社会保障関係費の財源を消費税の増税によって安定的に確保すること、そのため消費税を一四年四月に現行の五%から八%へ、さらに一五年十月に一〇%へ引き上げることで自民党、公明党も合意、一二年八月に消費増税法が可決・成立していた。
同年十二月に誕生した第二次安倍晋三内閣は、その実施について「経済状況を勘案して判断する」としていたが、六十名の有識者・専門家による増税の影響の検証(今後の経済財政動向等についての集中点検会合)などを経て一三年十月一日、予定どおリ翌一四年四月一日から八%へ引き上げることを決定した。
ただし、一〇%への再引き上げについては、安倍首相は決定を保留している。
安倍首相が会見にのぞんだ当日朝に日銀や政府が発表した経済指標は、八%への引き上げ実施の判断を後押ししたといわれる。四半期に一度行う日銀短観(企業短期経済観測調査)は、景気が「良い」と答えた企業の割合(%)から「悪い」と答えた割合を引いた業況判断指数が、大企業・製造業、非製造業とも三期連続で改善。特に製造業はプラス十二で、○八年のリーマン・ショック後最高の値を示し、日銀は「景気は、緩やかに回復している」、先行きも「緩やかな回復を続けていく」とした。厚生労働省が発表した有効求人倍率も六ヵ月連続で改善、〇・九五まで回復している。
しかし一方で、労働者一人当たりの賃金(現金給与総額)が前年同月と比べて〇・六%減の二十七万一千九百十三円と二ヵ月連続で減少、およそ個人に景気回復の実感はない。そのため消費税増税による消費の落ち込み、景気の腰折れも懸念されることから、「社会保障の充実や安定などのためにお願いする負担を緩和しながら、同時に将来にわたって投資を促進し、賃金を上昇させ、雇用を拡大する」(同日の首相会見)として、「消費税増税」とパッケージで「増税前の五兆円規模の経済対策(財政出動)」「法人税率の引き下げ」「東日本大震災の復興特別法人税の廃止」の経済政策が打ち出された。
五兆円規模の経済対策の内訳は、インフラの老朽化・防災対策、学校施設の耐震化、東京オリンピックに備えての環状道路の整備、イノペーションにつながる研究開発支援などの公共投資に二兆円、被災地のインフラ復旧や耐震化などの震災復興事業や住宅を再建した被災者への現金給付措置に合わせて一兆三千億円、そのほか低所得者へ原則として一人一万円の現金給付措置に三千億円、住宅取得者への現金給付措置に三千百億円など。また法人への減税は、先端設備に投資して生産性を一%以上上げる企業への減税額が七千三百億円、賃金を上げた企業への税優遇が一千六百億円など総額一兆円になる。法人がこの減税分を設備投資や賃金のアップ、雇用の拡大に回すことが図られている。
増税の効果については、政府は消費税収が年に八兆一千億円増えると試算している。ただし、初年度に限っては五兆一千億円の増にとどまると見ており、政府原案ではこのうち四兆六千億円が年金など現行の社会保障制度を維持するための費用となる。たとえば、基礎年金の財源不足を補うために発行していたつなぎ国債の償還費用に二兆九千五百億円、高齢化に伴う社会保障費の自然増に一兆四千五百億円を充てる。
残る五千億円は社会保障の新たな施策のために使われ、保育施設の支援など子育て支援に三千億円、医療・介護のための新しい施策に千九百七十億円を投入する。
このように増税をしつつ、一方で経済対策を実施するーこの経済政策パッケージを安倍首相は「経済の再生と財政健全化を同時に達成するベストシナリオである」と断言した。
これを「行き届いたシナリオ」と絶賛したのが米倉弘昌・経団連会長・住友化学会長である。
「大胆な投資減税や研究開発税制の維持拡充をはじめとする税制措置や家計負担軽減策からなる概ね五兆円規模の経済対策がとりまとめられたことは大変心強い。法人税実効税率の引き下げの第一歩として、復興特別法人税の前倒しでの廃止の方向性が打ち出されたことを大いに歓迎する。(中略)経済界としても、イノベーションを加速させ、投資の拡大、雇用の創造、報酬の引上げなど、経済の好循環の実現に努めていく」(消費税率引き上げおよび経済対策の決定に関する会長コメントより)
米倉氏は、増税の決定に先立って開かれた点検会合のメンバーでもあり、「増税をためらうべきではない」と消費税増税を支持してきた。
ほかにも経済界からは岡村正・日本商工会議所会頭・東芝相談役、岡本圀衛・経済同友会副代表幹事・日本生命会長、豊田章男・日本自動車工業会会長・トヨタ自動車社長らが出席。「次の世代にツケを回さないよう財政を健全化していくことが不可欠である」(豊田氏)など、増税を支持する声が圧倒的に多かった。
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田代真人『電子書籍元年』
『図書館はラブリンス』より
インターネットが台頭してきた時、「これで図書館はなくなる」と、まことしやかに言っていた輩がいた。しかし、このモンスターを図書館は自らのサービスに組み入れて、図書館自身の成長の糧にしてきた。そして、次に電子書籍が台頭してきた。インターネット同様、「これで紙の本はなくなる。図書館は新しくつくる必要はない」と、放言する輩がいる。電子書籍は、アメリカにおいては急伸しているが、わが国においては、電子化された本を読む端末機器の開発は盛んに行われるも、次々に沈没。結局、コンテンツの数が思うように増えないことが、アメリカのように勢いに乗れない一因のようである。
「電子書籍元年って何度も聞くけど、二年目はいつになったら来るの」と、元年騒動の際に必ず鄭楡される。しかし、電子化された本を読む機器が、より機能的に、安価になっていくのは間違いなく、コンテンツも年を追って豊富になっていくだろう。だから、図書館は消えていく、という図式を、勝ち誇ったかのように言う輩がいるのだろうが、そういう輩に聞いてみたい。「ところで、あなたは本を読みますか。いや、本が好きですか」と。
本の読者は基本的に一定である。ときに100万部を超えるようなベストセラー本が生まれるのは、普段、本を買わない人が買うからである。「読者」とは、本は買って読むが、図書館では借りないという人。本は図書館から借りて読むだけで買ってまでは読まないという人は少数で、大半の読者は、書店でも本を買うし、図書館でも借りる人たちである。
年間、7万点余を数える新刊本のラッシュは、その大半が増刷されることなく品切れ重版未定となり、書店の店頭から消えていく。もっとも、一部の大手出版社を除き、大半の中小出版社の本は刷り部数も少なく、物理的に全国の書店に配本されることはない。委託販売(売れなければ返本できる制度)ではなく、岩波書店の出版物のように買切りとなると、店頭に並べたい良書であっても、書店はなかなかリスクを冒してまでは仕入れない。
1000部印刷した本が、全国1万5000店の書店に並ぶはずがないのである。初刷で1万部などというのは、コミックを除き、ごく一部の売れ筋作家の出版物でしかない。正確な統計はないので、あくまで推測であるが、平均すれば初刷3000部程度であろう。中小出版社の本となれば、1000部というのは驚くような部数ではない。もちろん、これは企画出版物の話である。自費出版物ではないので、出版社が営利を目的に発行するものである。
出版というのは、一つの産業である。しかし、全体で見ても極めて小さな産業である。4000(推定)もの出版社が一つになっても、自動車メーカー一社の売り上げにも及ばない産業である。しかし、「文化」と密接に語られることが多いので、本の価格は再販売価格維持制度と言って、公正取引委員会から、全国どこでも定価で販売することが好ましい、と擁護されているものである。自由価格で販売したら、その物流コストから遠隔地での販売価格は高くならざるを得ないし、大量に仕入れる大手書店が価格競争で中小書店の優位に立ち、市場を席捲するとの見方から、価格競争が排除されているのである。
アメリカ、イギリスのように自由な価格競争にすべし、との意見は、識者の一部からずっと言われていることであるが、一方、ドイツやフランスのように、自由競争から聖域化することが、本の本たる所以であるとの識見と対立し、今日に至っているのである。
しかし、出版物は価格だけで議論すべき商品ではない。大半の有形・無形の「モノ」は、買い手に向けて、その市場から利益を得ることを見越してつくられるものである。もちろん、ニーズがなくても、ニーズをつくりだすというマーケティングもあるが、それも基本は利益を得ることが目的である。しかし、本という「モノ」はどうだろうか。そこには利益と言えるほどの甘い蜜はないのである。
ある研究者が生涯の研究成果を一冊の本に残しておきたいとし、本を上梓したとする。出来上がった本は、価格が2000円、初刷部数が1000部、印税が5%(一般的には10%だが、有名でない著作者は10%にはならない)。単純に、著者が得られる印税収入は、たった10万円である。日本では、アメリカと違い、印刷部数に応じて印税が支払われるので、単純に言って10万円が著作者の収入になる。2000円の本となれば、250頁はあるだろう。この本の執筆にどれだけ著作者は時間を要したか。少なくとも半年は構想・執筆に要したことだろう。そして、出版することで、どれだけの喜びを得て、また、誤字・誤植や事実誤認等の指摘で、どれだけの慟愧に悩まされるのか、少なくとも10万円では割に合わない仕事である。取材や必要な本の購入など差し引いたら、実質、赤字と言えなくもない。
このような、環境下で多くの本が世に出ているのは事実。しかし、書店に平積みされることなく、たった一冊、棚置きされたところで、出版洪水の中、意中の読者に巡り合える可能性は極めて低い。ましてや新刊本が日々量産される中、その棚に長居することはできず、並べられて数日後、書店員さんに「この本は売れそうもないな」と返品の箱に入れられたら、もう終わりである。
わが国の本の返品率は35%前後。あくまで平均なので、売れない本の返品率は当然これより多くなる。となれば、刷った本の半分が倉庫に戻され、高い保管経費に耐えられず、一定期間が来たら断裁されるという運命を辿るのである。「断裁反対!エコじゃない」と叫んでも、下手にディスカウントされて市場に出回り、かえって面倒なことになるならば、静かに消えていく方が波風を立てないのである。これは本に限ったことではなく、あらゆる商品に当てはまることで、売れなければ処分されるまでである。
しか
インターネットが台頭してきた時、「これで図書館はなくなる」と、まことしやかに言っていた輩がいた。しかし、このモンスターを図書館は自らのサービスに組み入れて、図書館自身の成長の糧にしてきた。そして、次に電子書籍が台頭してきた。インターネット同様、「これで紙の本はなくなる。図書館は新しくつくる必要はない」と、放言する輩がいる。電子書籍は、アメリカにおいては急伸しているが、わが国においては、電子化された本を読む端末機器の開発は盛んに行われるも、次々に沈没。結局、コンテンツの数が思うように増えないことが、アメリカのように勢いに乗れない一因のようである。
「電子書籍元年って何度も聞くけど、二年目はいつになったら来るの」と、元年騒動の際に必ず鄭楡される。しかし、電子化された本を読む機器が、より機能的に、安価になっていくのは間違いなく、コンテンツも年を追って豊富になっていくだろう。だから、図書館は消えていく、という図式を、勝ち誇ったかのように言う輩がいるのだろうが、そういう輩に聞いてみたい。「ところで、あなたは本を読みますか。いや、本が好きですか」と。
本の読者は基本的に一定である。ときに100万部を超えるようなベストセラー本が生まれるのは、普段、本を買わない人が買うからである。「読者」とは、本は買って読むが、図書館では借りないという人。本は図書館から借りて読むだけで買ってまでは読まないという人は少数で、大半の読者は、書店でも本を買うし、図書館でも借りる人たちである。
年間、7万点余を数える新刊本のラッシュは、その大半が増刷されることなく品切れ重版未定となり、書店の店頭から消えていく。もっとも、一部の大手出版社を除き、大半の中小出版社の本は刷り部数も少なく、物理的に全国の書店に配本されることはない。委託販売(売れなければ返本できる制度)ではなく、岩波書店の出版物のように買切りとなると、店頭に並べたい良書であっても、書店はなかなかリスクを冒してまでは仕入れない。
1000部印刷した本が、全国1万5000店の書店に並ぶはずがないのである。初刷で1万部などというのは、コミックを除き、ごく一部の売れ筋作家の出版物でしかない。正確な統計はないので、あくまで推測であるが、平均すれば初刷3000部程度であろう。中小出版社の本となれば、1000部というのは驚くような部数ではない。もちろん、これは企画出版物の話である。自費出版物ではないので、出版社が営利を目的に発行するものである。
出版というのは、一つの産業である。しかし、全体で見ても極めて小さな産業である。4000(推定)もの出版社が一つになっても、自動車メーカー一社の売り上げにも及ばない産業である。しかし、「文化」と密接に語られることが多いので、本の価格は再販売価格維持制度と言って、公正取引委員会から、全国どこでも定価で販売することが好ましい、と擁護されているものである。自由価格で販売したら、その物流コストから遠隔地での販売価格は高くならざるを得ないし、大量に仕入れる大手書店が価格競争で中小書店の優位に立ち、市場を席捲するとの見方から、価格競争が排除されているのである。
アメリカ、イギリスのように自由な価格競争にすべし、との意見は、識者の一部からずっと言われていることであるが、一方、ドイツやフランスのように、自由競争から聖域化することが、本の本たる所以であるとの識見と対立し、今日に至っているのである。
しかし、出版物は価格だけで議論すべき商品ではない。大半の有形・無形の「モノ」は、買い手に向けて、その市場から利益を得ることを見越してつくられるものである。もちろん、ニーズがなくても、ニーズをつくりだすというマーケティングもあるが、それも基本は利益を得ることが目的である。しかし、本という「モノ」はどうだろうか。そこには利益と言えるほどの甘い蜜はないのである。
ある研究者が生涯の研究成果を一冊の本に残しておきたいとし、本を上梓したとする。出来上がった本は、価格が2000円、初刷部数が1000部、印税が5%(一般的には10%だが、有名でない著作者は10%にはならない)。単純に、著者が得られる印税収入は、たった10万円である。日本では、アメリカと違い、印刷部数に応じて印税が支払われるので、単純に言って10万円が著作者の収入になる。2000円の本となれば、250頁はあるだろう。この本の執筆にどれだけ著作者は時間を要したか。少なくとも半年は構想・執筆に要したことだろう。そして、出版することで、どれだけの喜びを得て、また、誤字・誤植や事実誤認等の指摘で、どれだけの慟愧に悩まされるのか、少なくとも10万円では割に合わない仕事である。取材や必要な本の購入など差し引いたら、実質、赤字と言えなくもない。
このような、環境下で多くの本が世に出ているのは事実。しかし、書店に平積みされることなく、たった一冊、棚置きされたところで、出版洪水の中、意中の読者に巡り合える可能性は極めて低い。ましてや新刊本が日々量産される中、その棚に長居することはできず、並べられて数日後、書店員さんに「この本は売れそうもないな」と返品の箱に入れられたら、もう終わりである。
わが国の本の返品率は35%前後。あくまで平均なので、売れない本の返品率は当然これより多くなる。となれば、刷った本の半分が倉庫に戻され、高い保管経費に耐えられず、一定期間が来たら断裁されるという運命を辿るのである。「断裁反対!エコじゃない」と叫んでも、下手にディスカウントされて市場に出回り、かえって面倒なことになるならば、静かに消えていく方が波風を立てないのである。これは本に限ったことではなく、あらゆる商品に当てはまることで、売れなければ処分されるまでである。
しか
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宇宙の旅人という概念
宇宙の旅人という概念
宇宙の旅人という概念は存在と無そのものを表している。大きなものである、全体のものと意識しかないものを表している。その関係が双方向にあるというものです。無視されないものとして。宇宙という無、存在という無。同じ感覚で、社会の中の個人を表現するのに、数学モデルを使ったということでしょう。
グローバルとローカルがつながる社会
未唯空間1.4はグローバルとローカルがつながる社会にしました。未唯空間はそのための手段です。従来は、グローバルに対するローカルの関係は座標系でしかなかった。つまり、国民と国家みたいなものです。役割は配置です。それに対して、近傍系というものは、ローカルとグローバルをまたぎ、両方の性格を持つものです。ローカルに入っている人たちを守ります。だから、カバーリングできるのです。結局、トポロジーというのはそれが言いたかったのでしょう。点ではダメで、グループがあって、サブ空間を持ちことで、次に全体を覆うという考え方は有効です。
内なる歴史
個人からサファイア社会にするのは、あくまでも考えた末の未来予測です。内なる世界の結果です。内なる世界のいいところは、何物にも邪魔されずに、シミュレートできることです。そこでの課題も含めて、すべて作り出せます。
数学で真理に近づく
数学は全体が見えるものです。それだけ、底辺にあるものです。だから、真理に近づきます。これは、どうしても宇宙との関係です。そこだけ見ていてはダメだということと、そこから始まらないとダメだということ。
ふらついています
このふらついみたいなものは、以前の眩暈と同じかどうかわからないです。
ミカロス=絶対孤独とは思っていたけど、こんな感覚だとは想像できなかった。生きる力がどんどんなくなっています。手も冷たくなっています。
社会編のダブり
社会編はずっと、同じことを述べています。ロジックを全て、分析し、再構成します。その際に、第9章の環境社会も含めます。
やはり、まだたぶります。こうなったら、個別なところからやっていくしかないでしょう。概念を明確にした上で、それをどうしていくかを、付帯している文献からアイデアを抽出します。未唯宇宙そのものを使います。
歴史編は国民国家に偏り
歴史の構造はあまりにも簡単に書きすぎています。国民国家以前の部分を増やさないといけないかもしれない。
なぜ、国が生まれたのか、なぜ、滅ぼうとしているのか。何となくローマ帝国興亡史みたいですね。ローマ帝国が衰退した理由だけでも、多くの文献があります。それを歴史哲学まで吸い上げないといけない。
なぜ、国民国家をターゲットにしたのか。多分、これは組織と個人の関係からでしょう。アナロジーとしての国家と国民。それらの関係がどうなっていくのか。
国民国家は破綻している。グローバルという大きなものと、個人の分化という小さなもので。このアナロジーは多くのものに通じています。
宇宙の旅人という概念は存在と無そのものを表している。大きなものである、全体のものと意識しかないものを表している。その関係が双方向にあるというものです。無視されないものとして。宇宙という無、存在という無。同じ感覚で、社会の中の個人を表現するのに、数学モデルを使ったということでしょう。
グローバルとローカルがつながる社会
未唯空間1.4はグローバルとローカルがつながる社会にしました。未唯空間はそのための手段です。従来は、グローバルに対するローカルの関係は座標系でしかなかった。つまり、国民と国家みたいなものです。役割は配置です。それに対して、近傍系というものは、ローカルとグローバルをまたぎ、両方の性格を持つものです。ローカルに入っている人たちを守ります。だから、カバーリングできるのです。結局、トポロジーというのはそれが言いたかったのでしょう。点ではダメで、グループがあって、サブ空間を持ちことで、次に全体を覆うという考え方は有効です。
内なる歴史
個人からサファイア社会にするのは、あくまでも考えた末の未来予測です。内なる世界の結果です。内なる世界のいいところは、何物にも邪魔されずに、シミュレートできることです。そこでの課題も含めて、すべて作り出せます。
数学で真理に近づく
数学は全体が見えるものです。それだけ、底辺にあるものです。だから、真理に近づきます。これは、どうしても宇宙との関係です。そこだけ見ていてはダメだということと、そこから始まらないとダメだということ。
ふらついています
このふらついみたいなものは、以前の眩暈と同じかどうかわからないです。
ミカロス=絶対孤独とは思っていたけど、こんな感覚だとは想像できなかった。生きる力がどんどんなくなっています。手も冷たくなっています。
社会編のダブり
社会編はずっと、同じことを述べています。ロジックを全て、分析し、再構成します。その際に、第9章の環境社会も含めます。
やはり、まだたぶります。こうなったら、個別なところからやっていくしかないでしょう。概念を明確にした上で、それをどうしていくかを、付帯している文献からアイデアを抽出します。未唯宇宙そのものを使います。
歴史編は国民国家に偏り
歴史の構造はあまりにも簡単に書きすぎています。国民国家以前の部分を増やさないといけないかもしれない。
なぜ、国が生まれたのか、なぜ、滅ぼうとしているのか。何となくローマ帝国興亡史みたいですね。ローマ帝国が衰退した理由だけでも、多くの文献があります。それを歴史哲学まで吸い上げないといけない。
なぜ、国民国家をターゲットにしたのか。多分、これは組織と個人の関係からでしょう。アナロジーとしての国家と国民。それらの関係がどうなっていくのか。
国民国家は破綻している。グローバルという大きなものと、個人の分化という小さなもので。このアナロジーは多くのものに通じています。
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