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個人の分化を起こすには

市民コミュニティの情報共有

 そこでは、市民コミュニティにおける情報共有にも活用できる仕組みを見えるようにしていく。市民コミュニティをどう作っていくのか、大きな課題です。これはNPOの立場で考えていきましょう。

 コミュニティの中に入ってきた、個人の分化をどう進めるのか。道具は店舗コミュニティで実践していきます。

 それを元にして、メーカーのマーケティングそのものを変えていく。メーカーの力を使って、社会コミュニティとの健全な関係を作り上げる。メーカーは社会インフラを行政と一緒になって、再構成しないといけない。

 社会が変わっていけば、日本のあるべき姿が見えてきます。新しい民主主義も見えてきます。そのうちに、グローバルのグローバルとしての世界をどう作っていくのかにいきます。

 「SNSで世界連邦」という本は、上からしか見ていません。人が入っていない。個人が分化する時に、SNSだけでは無理です。

Oの具体性に対しての概念

 具体性と概念。具合性というのは、何に対して、具体性かわからない。それに対して、概念は利用シーンということで、存在します。

 具体性というのは、「つくる」人にとっての画面を指しているだけです。そんなものはどんどん変えていかないといけない。本当に「つかえる」かどうかがポイントです。

 具体的なものから意味を求める。だけど、Oの説得はしない。時間の無駄です。

個人の分化を起こすには

 なぜ、個人の分化が起きるのか。近傍にぶつかることで、考えるからです。接触分化です。考えるというイメージを持てば、それは可能です。それを増やすにはどうしたらいいのか。

 大きな政府の変革に期待するよりも、個人の分化を始めていく。その時に、地域コミュニティに守られて、話すこと、聞くこと。そのためのシステム設計は雑です。だけど、構想は密です。

 メーカーは自己完結という名のもとに、一つのことしかやらせていません。作るとしたら、それをどう使っていくのか、お客様の顔をどう見ていくのか、そんなこともやっていない。作って、後工程に渡しておしまいです。想像力も足りないし、役割も固定しています。

 それが個人の分化のネックになっています。色々なことを考えるのに、より広い範囲から考えていかないといけないのに、個人の役割は一つではない。デカルトの平面座標系を見ている感じです。数学は多様体で、色々な側面を持てるように、ローカルとグローバルを分化させました。

 デカルト平面の一番の問題は、ローカルとグローバルの概念がないので、表現できるものが少なかった。それと規定が多かった。ローカルとグローバルが幾何学から生まれた。空間配置が可能になった。数学はローカルから始めて、グローバルにつなげること。それが抽象化です。

 クライシスになった時に、個人としてどうするかを考えてないといけない。組織は何も対応してくれない。3.11で国の実態を見れば、分かります。5年後はどうなるかも、自分で考えていかないといけない。メーカーでは言葉で言うけど、個人が組織を超えて考えることをさせていません。

未唯空間第二章

 第2章からは言葉にします。詳細までのロジックを見て、言葉との関係を把握します。時間がないから、ドンドン、変えていくしかない。

店舗コミュニティの情報共有

 店舗コミュニティの情報共有の最大の目的であり、私のミッションは、スタッフが発言できるようにすることです。

 安心・安全な環境で、お客様のことについて、色々、皆に語れるようにすることです。その上で行動計画ができてきます。それがスタッフにとっての最大の武器になります。

 販売店は、メーカーのコピー版になっています。販売店が対応している、お客様は一つの価値観では動いていません。

 メーカーは閉じられた世界です。マーケティングの方から、販売店を変えて行くことから、メーカーを変えていく。会社を変えていく。ローカルからグローバルへの提案です。インタープリターの役割です。

 会社を変えることで、本当の意味で、社会に参画できます。

数学での本質の捉え方

 数学での本質の捉え方は、現象から本質を捉えるのか、仮説・実証から捉えるのか、直感で本質を捉えるのか、と言った時に、3番目です。

 その時になるのか、ローカルを見ながら、一気に本質に迫る、グローバルに迫るやり方です。ローカルから、インバリアントを見つけて、一気に空間を作り出します。

キンドルHDのアプリがこけた

 キンドルHDアドビ・リーダーがアベンドして、入力したコメントがなくなりました。1時間半のロスです。こういうこともあるということ。だから、後ろからやっていきます。それと連続作業は避けましょう。

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生み出されつつある関係性 新たな組織化

『震災の公共人類学』より トルコのコミュニティ

以上、本章ではMAGがどのようにして防災の公共性を維持しているかを見てきた。そこでは公共性を支える論理だけでなく、様々な立場の間で微妙なバランスをとるという実践がきわめて重要な役割を果たしていることが明らかになった。

MAGは, 2012年現在に至るまで、内外で新たな関係性を生み出しつつ、組織構造も変化させている。各マハレや区レペルでの継続的な活動によって、県や区が行う防災訓練などにMAGが参加するという機会は着実に増加している。さらに重要な変化としては、2010年に結成されたMAG-AME (AcilMudahale Ekibi, 緊急介入チーム) が挙げられる。これは、MAGが基本的には自らのマハレでの活動を念頭に置いていたのに対し、他の地域で発生した災害に対しても緊急援助に向かうような、より少人数の、専門的なチームである。このチームを結成しようという動きが出た時、財団のエヅレン氏はどちらかと言えば批判的で、「これはMAGの目的に反するので、MAGとは独立のものだと考えている」と語っていた。またゼイティンブルヌMAG協会でも何人かがこちらのチームに参加しようとしたが、それは協会に属するメンバーにとっては、これまでの協会を分裂させようとする動きに映り、対話も困難なほどの緊張関係を生んでいた。

こうした関係は1年ほども続き、その間協会とAMEメンバーは別々に行動していたが, 2011年10月23日に東部ワン(van) 県で起きた地震に対する救助・支援活動のなかで意図せず連携したことで緊張は解消に向かった。MAG-AMEからは20人が県の救助隊とともに当日のうちにワンに飛び、最も被害の大きかったエルジシュ(Ercis)で活動した。被災地には外国からの支援もあったが、そのなかにはスイス事業団からのチームも来ており、結果として両者はそこで接することになった。そして事態が落ち着いてから、MAG-AMEの活動よりもMAGそのものの活動が上位にくることを両者が確認し、分裂は避けられたのである。

こうした事態はMAG内部に、既存の組織構造を超えて新しい動きを生み出そうとするポテンシャルがあることを示している。またこうした動きと並行して、同年11月には、区レペルを中心に10近くあったMAG協会が県ごとに再編され、MAG全体はイスタンブル・コジャエリ・ヤロヴァの各県の協会と財団からなるプラットフォームによって運営されることとなった。ただしそこでも、各県の協会やマハレのMAGは独自の活動を行う自主性をもち、新たなマハレでの教育活動を行う場合は財団と当該県の協会との間で協定を結んだうえで行う、ということが決められた。

このようにMAGは、内的に多様な関心をはらみ、それらに即して新たな組織を生み出したり、組織構造をより複雑なものに変化させたりしながら、多様な活動を生み出し続けているのである。

前章でも述べたように、現在, 1999年の地震から10年以上が経過し、卜ルコにおいては市民や行政、企業などは一様に防災という問題に対する関心を低下させつつあり、「私の声が聞こえる人はいるか?」という呼びかけに代表されるような働きかけに対し、市民からの積極的な応答を期待するのは次第に困難になってきている。そうした状況においてMAGは、言説空間における議論だけではなく、様々な仕方で市民や行政をこの問題に「巻き込む」ことによって防災の公共性を維持していた。ここで重要なのは, MAG協会での話し合いのように、防災をめぐる実際の議論の様子は必ずしも論理的・理性的な討議とは言えないこと、しかしかえってその曖昧さが、多様な参加のありようを可能にしている、ということである。本章の後半で見たように市民や行政の「巻き込み」は、メンバーが共有する公共性の論理に基づきつつも、強制性と自発性、協調関係と緊張関係という極の間で一方に振れてしまわないよう、微妙なバランスをとることによって達成されていた。確かにMAGはスイス事業団のプロジェクトと資金なしには存在しえなかったし、現在も企業や行政などからの財政的援助を必要としている。しかし、MAGの事例において明らかなのは、そうしたアクターの意向が、必ずしも直接的にMAGの活動を左右していない、ということである。市民を継続的に活動に参加させるためにはある程度の制度化が必要でも、その度合いを強めればかえって市民は離れてしまうし、行政に近づきすぎれば、政党活動のなかに取り込まれてしまう。また企業や組織同士の微妙なパワーバランスによって、特定の組織(の論理) が前面に出ることも避けられている。 MAGにおいて防災という問題の公共性は、こうした「どっちっかず」であり続けるための不断の活動の結果として維持されていたのである。

「どっちつかず」は一般にはネガティブな意味をもつだろうが、ここではこの言葉に肯定的な意味合いを与えたい。現在はこうした弱い言葉を通じてしか語れない、しかし将来に向けては大きな意味をもつ可能性が、彼らの実践に含まれていると考えるからである。

MAGにおいてはこの「どっちつかず」であることは、「ボランティア」という古くて新しい概念やローカルな社会関係、あるいは講習という仕組みや「財団」「協会」というような公的なステータス、さらにはインターネットなどのメディアというように、きわめて雑多な要素を用いることによって達成されていた。このことは、トルコにおける「国家的なもの」に代わる公共性が既存の枠組みとして存在しているわけではなく、それをいままさに人びとが様々な要素を利用しながら試行錯誤のなかで生み出しつつある過程にある、ということを意味しているのである。

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複雑性の原理

『Xイベント』より 複雑性の七つの顔

①創発:互いに作用をおよぼし合う個体の集まりが「システム」を構成する。そして、システムは全体として、個体のレベルでは見られない独自の特性を持つことが多い。そのような創発特性は個体の相互作用から生まれるものであり、システムを構成する個体の特性に対して、「システム特性」と呼ばれる。創発特性の好例は、高速道路の渋滞、フットボールの試合での得点、金融市場の価格変動などだ。高速道路を降りようとする車が一台なら渋滞は起こらない。だが、キックオフの時間までにスタジアムに着こうとして何百台もの車が同じ出口から降りようとしたら、渋滞が発生する。また、フットボールの試合では、どんなにうまい選手だろうと、一人の選手の動きだけでプレイの結果が決まるわけではない。プレイがタッチダウンで終わるかどうかは、数人の選手の相互作用によって決まるのだ。だから、得点が生まれることは試合の創発的側面と言える。同様に、金融市場では、買うか売るかホールドするかというトレーダーたちの決定の相互作用が、価格を上げたり下げたりする。その価格変動も、トレーダーの決定とその相互作用の両方によって決定される創発現象である。

②赤の女王仮説:ルイス・キャロルの名作『鏡の国のアリス』で、赤の女王がアリスに言うセリフがある。「ここでは、同じ場所にとどまるためには全力で走り続けなければならない」。この考えは一九七三年に生態学者のりI」ヴァン・ヴェーレンによって科学の世界に持ち込まれた。適応し、進化する生命体の集まりで構成されるシステムでは、それぞれのメンバーが絶滅を避けるために進化して、他のメンバーとの競争に勝たねばならないということに、ヴァン・ヴェーレンは気づいたのだ。要するに、ゲームにとどまるためには、できるだけ速く進化しなければならないのである。この原理から出てくる必然的な結果は、システムの包括適応度は複雑性の階段をどんどん上っていく傾向があるということだ。だが、やがてこれ以上は上れないというときがくる。その時点で、システムは一般にそのシステムとの競争に勝った別のシステムの作用によって崩壊する(社会の複雑性の増大は最終的にはその社会の崩壊を招くという、先述したジョセフ・テインターの主張と相通ずる見方である) 。

③代償は避けられない:経済システムであれ、社会システムであれ、他のシステムであれ、システムを高い効率性レペルで作動させたいと思うなら、作動環境で発生する未知の--そしてもしかしたら不可知の--衝撃や変化に対するシステムの柔軟性を大幅に低下させるという形で、システムの作動を最適化する必要がある。これはとりもなおさず、きわめて不確実な環境における適応力や生存力という便益を得るためには、効率の低下という代償は避けられない、ということだ。免責条項などどこにもないのである。

④ゴルディロックスのポリッジ:システムが最も開放的かつダイナミックに、適応力を持って作動するのは、システムが活動するための自由度が、イギリスの童話『3びきのくま』で主人公のゴルディロックスが食べるポリッジ(訳注一米やオートミールを牛乳で煮込んだおかゆのような食べ物) のようなとき、すなわち熱すぎもせず、ぬるすぎもせず、ちょうどよい温度のときだ。システム理論の用語では、これは「カオスの淵」と呼ばれることが多い。カオスの淵とは、新しい挙動レジームを探るための自由度が少なすぎてシステムが不活発になりすぎるときと、自由度が多すぎてシステムがなんでもありのカオス状態になるときの間の細い線のことだ。現在の仕組みを有効に利用し、それでいてタイミングと環境の変化に応じて新しい仕組みに移行する十分な余地を確保するためには、中間が適切な居場所なのだ。

⑤決定不能性/不完全性:行為や挙動が発生するかしないかに関するあらゆる主張に決着をつけるためには、合理的論証だけでは足りない。別の言い方をすると、論理的な演縄的推論の連鎖をたどることでは予見できない事象が、必ず起きるのだ。予測を成功させるためには、直観的な思考の飛躍と入手できるデータそのものには含まれていない情報のどちらか一方、もしくは両方が必要だ。

⑥バタフライ効果:MITの気象学者、エド・ローレンツは、一九七〇年代に大気の変化の数理モデルを研究していたとき、複雑なシステムの代表的な特徴の一つを発見した。システムのある部分に生じた一見、取るに足りない変化や乱れが、ネットワーク全体に伝わって、別の部分に、もしくは別のときに、大きな変化を生み出すことがあるという特徴だ。ローレンツはこれを「バタフライ効果」と名づけた。ブラジルのジャングルで今日、チョウが羽ばたいたら、メキシコ湾で来週ハリケーンが発生するという作用を言い表したものだ。要するに、複雑なシステムは、システムの当初の状態の一見小さな変化に対して、病的と言えるほど敏感な反応を示すことがあるわけだ。この特性をはっきり示している実例を紹介しよう。

⑦必要多様性の法則:最後に、複雑性の原理のうち、少なくとも本書の目的に照らすと最も重要なものについて説明しよう。これはXイベントが一般に、相互作用する二つ以上のシステムの複雑性レペルの持続不可能なギャップを埋める手段として登場するのはなぜかを説明するものだ。
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絶対孤独を徹底させる

2日休みで会社に行った

 いつものように7時45分に会社に到着した。まるで変わっていない。誰も、私が二日間休んだことは知らない。今日も何の会話がないまま、終わるのでしょう。

 葬式の後と同じ状況です。孤立と孤独が徹底しています。

ポータルの進み方の確認

 ポータルの進み方をSFDC、TM、電算部に確認したところ、3月末までに決まる可能性が見えてこない。何のために結論を延ばしたのか、意味がない。

 またしても、Oの悲劇です。

排尿できずに、溢れると腎臓をこわす所だった

 それにしても、日曜日も火曜日もやばかった。日曜日の深夜は地域医療センターに駆け付けた。900mlあった。

 火曜日は抗生物質で治るかと思ったが、やはり、ダメだった。電話で問い合わせて、トヨタ記念病院の駆け付けた。やはり、900mlあった。これ以上あると、膀胱から溢れて、肝臓がやられるところです。

絶対孤独を徹底させる

 絶対孤独であるために、外から自分を見る目もつぶします。全て、内側を見ます。つまり、自分に対して、格好つけない。ひたすら、自分の内部を見ます。

 このところ、声を出してしゃべることはしていません。むなしい時に、絶対孤独の時に、ICレコーダーに対して、しゃべります。その分、人との関係では、孤立と孤独で行きます。

インタープリターとしてのSFDC

 インタープリターとしてのSFDCに期待しています。ソーシャル分野でのクラウドになって。グーグルとかアマゾンなどと連携してほしい。

 ポータルを作るためのシステム会社としてのSFDCではなく、ソーシャルウェブを社会のために展開していく会社に変えていく。他の会社を変えるのは不遜かもしれないけど、それが本音です。その前に、この会社を変えないといけないけど。SFDCの方がマシですよね。

 元々のポータルのカタチに、循環の考え方をプラスすれば、カタチはできます。それを示していきます。販売店のシステム会社とは関係なしに、インタープリターとしてのSFDCとTMとその辺のところをやっていきます。

 先に店舗コミュニティをする理由は、組織として、店舗があり、人がいるからです。そして、彼らは変わらないといけない時に来ています。スタッフが変わって、お客様との信頼関係ができて、その上で経営者の意識を変えていく。

市民コミュニティの情報共有

 そこでは、市民コミュニティにおける情報共有にも活用できる仕組みを見えるようにしていく。市民コミュニティをどう作っていくのか、大きな課題です。これはNPOの立場で考えていきましょう。

 コミュニティの中に入ってきた、個人の分化をどう進めるのか。道具は店舗コミュニティで実践していきます。

 それを元にして、メーカーのマーケティングそのものを変えていく。メーカーの力を使って、社会コミュニティとの健全な関係を作り上げる。メーカーは社会インフラを行政と一緒になって、再構成しないといけない。

 社会が変わっていけば、日本のあるべき姿が見えてきます。新しい民主主義も見えてきます。そのうちに、グローバルのグローバルとしての世界をどう作っていくのかにいきます。

 「SNSで世界連邦」という本は、上からしか見ていません。人が入っていない。個人が分化する時に、SNSだけでは無理です。
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フッサールがソルボンヌ大学デカルト記念講堂で講演する

『フッサール心理学宣言』より ここで念のため、現象学超入門

ここまで読んで来て、似たような話を聞いたことがあるぞ、と思う読者もいることだろう。そう、一七世紀フランスの哲学者で数学者ルネ・デカルトの、方法的懐疑だ。デカルトは、あらゆる学問にとっての確実な基礎を見出すために、まず一切の知識という知識を疑った。当時の学問的知識はもとよりのこと、この世界が存在するということも、世界は夢かもしれないし悪魔に送りつけられた幻覚かもしれないから疑わしい。自分自身が存在することだって疑わしいではないか。そのように懐疑を重ねていった果てに、デカルトは、疑っているということだけは疑えないことに気づいた。

目の前の花瓶が存在することは疑える。けれども、花瓶の実在を疑っていることだけは疑えない。疑うとは、つまり、思うことの一種である。花瓶の存在について私がいろいろと思っていることだけは、疑いなく確実なのである。そして、私が思うということが確実なら、私が存在することもまた、確実である。我思う故に我あり。そうだ、これをこそ最初に与えられた確実な知識として、あらゆる知識の出発点、あらゆる学の第一原理とした。

これが、デカルトの主著『省察』にある有名な方法的懐疑の話である。

フッサールの現象学的還元の目的もデカルトと同一である。後期の主著『デカルト的省察』を読めば一目瞭然だ。

フライブルク大学を退官して翌年、七〇歳になったフッサールは、パリ・ソルボンヌ大学のデカルト記念講堂において「超越論的現象学入門」という題で講演を行った。その折の原稿を元にして、一九三一年、若きレヴィナスらを訳者としてフランス語版で出版されたのが『デカルト的省察』である。それは次のような一節で始まっている。ここフランスの知の学問にもっとも由緒あるこの場所で、超越論的現象学〔と私が呼ぶ哲学〕について語ることができるのを、私はたいへん嬉しく思うが、それには特別な理由がある。と言うのも、フランスの偉大な思想家ルネーデカルトは、その省察によって超越論的現象学に新たな刺激を与え、すでに生まれつつあった現象学が超越論哲学という新しい形態へと変革を遂げるよう、直接働きかけたからである。したがって、たとえ超越論的現象学が、まさにデカルト的な動機を徹底して展開するために、デカルト哲学のよく知られている学説全体をほとんど拒否せざるをえないことになろうとも、この超越論的現象学を新デカルト主義と呼ぶことができる。(浜渦辰二訳、岩波書店、二〇〇一、一七頁。なお、邦訳は、生前は出版されなかったドイツ語増補版に基づいている) 

フッサールの現象学も、まさにデカルト的な動機、あらゆる知識の確実な根拠の探求という動機に導かれているのである。ちなみに、現象学的還元については、フッサール中期の主著『イデーンー』(一九一三) に詳しいが、詳しすぎてひどく分かりにくくなってしまっている。そこで本章では、講演をもとにしているだけあって読みやすいこの『デカルト的省察』と、後に出てくる『ブリタニカ草稿』に依拠したことをことわっておきたい。

それにしても、この冒頭の一節もけっして分かりやすくはない。まず、フッサールは自分の現象学を超越論的現象学と呼んでいるのだが、「超越」というと日本語では、現世を超越した気高い境地といった宗教的超自然的イメージがあるうえに、「論」がつくからますます物々しく響く。心理学の本ではまず絶対使えない言葉だ。

超越論とはもともとカント哲学に由来する語なのであるが、哲学史の話はひとまず置いて、わたしなりに噛み砕いて説明しよう。まず「論」のつく以前の「超越的」をドイツ語辞書で引いてみると、①経験(知覚) できる範囲を越えた、とあり、その後に《哲》超越的な、《俗》超自然的な、とある。日本語の語感としてはこの「超自然的な」に近いわけだが、やはり、経験もしくは知覚できる範囲を越えた、という意味が妥当だろう。

生命発生以前の宇宙は、私たちに直接経験される可能性がないという意味で、まさに超越的世界である。そんな極端な例を出さなくても、テーブルの上の花瓶もまた、目に見えない裏側という、知覚できる範囲を越えた「超越的」側面によって初めて「実在する」という意味が与えられる。そもそも、私は目をつぶっても、それどころか私が死んでも、世界は存在し続けていると信じているのだから、超越的世界の実在を信じていることになる。そこで、これに「論」を付けて「超越論的」とすると、そのような超越的存在についての信念に、根拠は、妥当性はあるのか、そのような知識はいかにして得られるのかといった、超越的存在をめぐる論という意味になる。

フッサールは、自分の哲学を超越論的現象学と呼んだ。それは、「テーブルの上の花瓶の、今、知覚している面という現象」を徹底的に反省することによって、その現象の構造の内部に、裏側を備えた超越的存在としての花瓶を、誰も見ていなくとも存在している花瓶という客観的実在を、私が信じている根拠を見出すという課題が、最初のテーマになるからにほかならない。
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新たな公共

『日本行政学』より

公共選択論的アプローチ

 一方、新しい公共選択論的アプローチは、公共性を追求するのは政府だけではないと考える。公共性の担い手は民間企業も含め的確な主体は多様に存在すると考える。市場の失敗の方が「政府の失敗」よりもましだとも考える。したがって、できるだけ市場原理に委ねようという立場に立ち、小さな政府をめざす。ここでは官と民を分ける蓋然性がないので脱二元論的思考を原則にしているといってもよい。

 尺間委託などを例とし仮に公共領域に官民が関わるべきだという考えに立ったとしても、従来の官民パートナーシップ論は、官が指示し民が作業を行うという厚生経済的アプローチをとっていた。だがNPMでのパートナーシップ論は、公共選択の立場から、原則として官と民という分け方をしない。いずれが優位であるかで判断しようという考え方をとる。また、官民の協働という考え方をとる。

 厚生経済学的アプローチは主体論であり、公共選択論的アプローチは関係論とも言える。主体論に立つと、官だから公共性を追求する、民だから私的利益を追求するという考えになる。しかし関係論では、民でも住民との間で約束によって公共性を担保できると考えるのである。

協働の考え方

 これからの公共経営を考えるときに、「協働」という考え方は大切である。しかし、これまで日本でパートナーシップに伴う協働がうまくいかなかった理由は、従来の法体系が主体論を支える二元論で成り立っているからだと言える。公権力の主体は役所だけであり、それに関わる行政は役所の守備範囲に属するという考え方に立っていたからである。

 そうではなく、NPMの公共性の考え方は個人主義に基づいている。これは、個から発して個に帰することである。個に帰するというのは利益だけではなく、責任にっいてもである。公共性とは住民も担うものであり、住民が公共性とは何かを考えるということになる。

 NPMでいう顧客主義の「顧客」を「住民」と捉えると厚生経済的アプロ-チになるが、公共選択論的アプローチでは、住民は単に受け手(受益者) ではなく、責任も負う「主体者」「参画者」と捉えるのである。そこでは自治体と主体者である住民、企業、NPO、NGO、ボランティアなどを対等のパートナー、協働の担い手と捉えるのである。

 もとより、NPMの考え方は直ちにこれが「行政の民間化」を意味する訳ではない。公共サービスヘの民間参入を拡大することではあるが、行政が責任まで放棄する話でもない。自治体でいうなら、柔らかな「新たな公共」の考えを取り入れ、従来の直接事業を直営的に執行する事業官庁から、執行を民同等に多く委ねそれをマネージメントする政策官庁に脱皮して行くことが求められる。

 行政はもともと利潤機会が乏しく、民間ではできない、民間がやってはならない公益性の高い分野を担うのが本来の仕事である。行政自体が民間の論理一辺倒になっては、行政そのものの存在意義を失うことになる。そうではなく、あくまでNPMの潮流は事業執行の効率性を高める点に主眼があるということを忘れてはならない。

「新たな公共」の考え方の整理

 いろいろ述べたが「新たな公共」について、もう一度要点を整理しよう。

 官民二元論の立場から公共を説明しようという考え方を「厚生経済学的アプローチ」とする。これに対し新しい公共経営(NPM) の考え方を「公共選択論的アプローチ」とする。この2つのアプローチは、対照的であり、公共性に対する考え方がまったく違うといってよい。

 すなわち厚生経済学的アプローチでは、政府だけが公共性を追求できる主体だと考える。ここでは官と民を明確に分ける二元論的思考を原則としている。民間の領域は市場原理によって処理するが、公共の領域は市場原理が働かない領域(市場の失敗) で官に問題処理を委ねる。結果として、公共領域は「官」独占となる。ただ、政治のメカニズムに意志決定を委ねると、大衆民主主義の結果、それに基づく福祉国家論は大きな政府になりやすい。

 一方、公共選択論的アプローチは、公共性を追求するのは政府だけではないと考える。公共性の担い手は民間企業も含め的確な主体は多様に存在すると考える。市場の失敗の方が「政府の失敗」よりもましだとも考える。従ってできるだけ市場原理に委ねようという立場に立ち、小さな政府をめざす。ここでは官と民を分ける蓋然性がないので脱二元論的思考を原則とする。

公共領域と私的領域

 よく考えてみると「公共」領域といえども、もともと「民」を排除して官が独占すべきだという根拠はうすい。むしろ採算ベースに乗らないから民が参入しないだろうという仮説に立っている。または利益を求めて行動すると望ましい結果が得られないから官が支配すべきだと考え、民を排除している。

 しかし、「公共」領域を国、自治体が独占することは良い結果を生まないという考えが台頭してきた。 1980年代以降、英国やニュージーランドを中心とした改革の流れを「NPM」と呼んでいる。

 |新たな公」について、イメージを図表3-1に示してみた。相互に入り組んだ斜線の部分が徐々に拡大しているのが現代社会の特徴とも言える。公的部門、民間部門がそれぞれの領域に入り組んでおり、「新たな公共」とひと言で述べてもその性質は微妙に異なっていると言えよう。ただ今後、こうした新たな公共領域は拡大していくものと思われる。そこでの官民の関わり方に関するルールづくりはこれからの課題である。

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『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」ノーペル賞物理学者の自伝』I、Ⅱ

『本よむ幸せ』より ファインマン物理学には感銘を受けた。子供たちに買ったが、誰も読まなかった。

未唯空間での配置:数学で見ていく

リチャード・P・ファインマン博士は、シュレジンガー、朝永振一郎と共に一九六五年ノーべル物理学賞に輝いた。その中身は素人のぼくたちが聞いてもさっぱり判らないが、「量子電気力学のくりこみ川論」というものだ。タイトルを聞いただけでも、やっぱりユニークな理論だったのだろうなと思う。

この本は、その人が多年親しかったラルフ・レイトンとの共著で出版した、言わば半自伝というか、エピソード集だ。日本版からはなぜかレイトンの名が消えているが、それはまあどうでもよいことだ。

岩波書店から一九八六年に出た日本版は忽ち版を重ねた。そしてロングセラーとなり、今も売れている(二〇〇〇年には岩波現代文庫に入り、二〇一二年には上巻で三〇刷、下巻は二五刷となっている)。カバーに紹介の一文が載っているが、その初めの部分だけを拝借するとこうだ。

--現代を代衣する大物理学者が、奇想天外な話題に満ちた自らの体験を痛快に語る。何でもとことん追求する態度といたずら好きの性格は、周囲に混乱と感動をひき起こさずにはいない。--

この本はファインマンがニューヨーク市近くの小さな海辺の町ファーロッカウェイに生まれ、MITからプリンストン大学に移り、マンハッタン計画のプロジェクトに関わってロスアラモス研究所に勤め、コーネル大学を経てカリフォルニアエ科大学に腰を落ち着けるまでの人生と、その時々の本当に楽しくなるような、そして不朽のエピソードを、ドラム仲間のレイトンが巧みにまとめたものである。

そしてこの変な書名は、原著SURE」Y YOU'RE JOKING.MR.FEYNMAN」を日本語にしたものだ。プリンストンの大学院に入学したファインマンは、入学して間もない頃、アイゼンハート院長の主催するティーパーティーに招待された。そこで院長夫人に「お茶にはレモンを入れましょうか、それともクリームがよろしいですか?」と聞かれて、うっかり「はい、両方いただきます」と答えたので、冗談ばっかり」と笑われたという出来事が書名になったのだ。

ファインマンのあらゆることに対する興味と関心、度外れたいたずら、人騒がせな仕掛けの数々はこの二巻本に満載なので、ここで一々紹介する必要もないだろう。

中でもぼくが気に入っているのは、寝ているうちに寮の一室のドアを外して隠してしまった実話だ。それからロスアラモスの研究所では、機密書類の入ったキャピネットの錠前を破って書類を引き出してしまう。いたずらはまた、こんな重大な書類が簡単に手に入るんだよという警告にもなった。そしてそのうち錠前のコンビネーションダイヤルの法則を見つけてしまうのだ。

ファインマンは毎年夏には車でアメリカ横断をしたが、よくラスベガスで引っかかった。そこでは大物の親分の女と親しくなるなど、考えようによってはそれこそハチャメチャな半生である。だが一方で、原子物理学では立派な業績を残し、『ファインマン物理学』(全五巻)は全米の教科書として永らく有名であった。

ぼくがこの本のことを知ったのは、確か週刊誌の書評である。そして買ったその日の夜から夢中になって読んだ。こんなに面白い自伝に出合ったのは初めてだと思った。

のちになって、言わば書友(本好きの友人)となっていた松下電器の山下俊彦社長にお知らせしたら、直ちに「あなたはこの本をどうやって見つけたのか」というお手紙を頂いた。山下さんもよほど気に入られたのだと思うし、松下の社内では、社長に「この本はお読みになりましたか?」と尋ねるような社員は居なかったのかも知れない。

ファインマン博士はお亡くなりになる前、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故調査の委員の職務に精力を注ぎ込まれ、独自のそして極めて客観的な報告書を完成された。その姿勢にはこれらの挿話のようなューモアは一切見られない。

ぼくはこの本を立派な人間の生き方の一つの手本として、機会あるごとに若い人たちに薦めている。読んだ人の何人かはぼくと同じような感想を持つのだが、半分以上の人々にはその意味していることがよく判ってもらえないらしい。もっと率直に言えば、器の小さい人にはファインマン博士の生き方は判らないし、眉を輦めるだけなのかも知れない。

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『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用』 

『本よむ幸せ』より エドガール・モランの『複雑性とは何か』で仕事の仕方を変えた。一九八四年の講演会は東京大学安田講堂まで聴きに行った。

未唯空間での配置:2.2.3.2 モランの複雑性

フランスの哲学者・社会学者のエドガール・モランは、何度も来日している。一九八四年の日仏文化サミット「文化の将来」では基調報告「ユマニスト文化・科学的文化・メディア文化」というまことにふさわしい講演をしている。そのモランに会う機会があった。

朝日新聞社のパリ特派員だった故・根本長兵衛氏は企業メセナ協議会の初代の専務理事になったが、フランスにいた頃、モランと親しく交友があったので、彼の誘いで東京で夕食を共にしたのだ。

その時のモランの話でとても印象に残っていることがある。

ある時、モランはイタリアで水族館に出かけた。そして館内の水槽を見ているうちに、一匹の大きな魚がガラスに顔をぴったりつけて、モランの目を見た。モランも魚もお互いに目をじっと見つめて動けなくなった。そのうちに巡回してきた守衛が、「間もなく閉館だから出て下さい」と告げるが、モランは事情を話して、「ぼくと魚は恋している、だからしばらくこのままにさせてくれ」と頼み、一時間だけと承知してもらった。人と魚が動かず見つめ合っているうちに、モランの目から涙が瀋み出してきた。だんだんに涙が止まらなくなったが、お互いに目を見つめ合ったままだった、という話だ。そのうちにまた巡回してきた守衛に「もう限度です、帰って下さい」と言われその場を離れたのだそうだ。

多分、モランの心の根底には「愛」というものがあり、対象が人間だろうが社会だろうが、水族館に閉じ込められた魚にですら愛の目を向けているのではないかと思った。

ここで紹介する『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用』は一九六九年に出版された、言わば今日のメディア論の原点になるような重要な位置を占める本である。日本では一九七三年に第一版が刊行され、一九八〇年には第二版が刊行されたが、一九九七年になって書物復権のスローガンを冠して、四社(岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房)共同復刊として新装で発売されるという歴史がある珍しい本である。

一九六九年五月初めに、南フランスのオルレアンという地方都市で一つの噂が広まった。何人かの女性がブテックの試着室の中で薬物を嗅がされるか注射され、外国の売春街に売られた。そしてそれはユダヤ人商人によるものだというのだ。噂はその月のうちに尾鰭をつけて広まってしまう。しかも後日の調査の結果では、その失踪の事実はなかった。

モランと調査グループはこの噂の構造の徹底的な調査に乗り出す。

なぜオルレアンで起きたのか。なぜユダヤ人なのか。なぜ現代の世の中に千年も前の中世のょうな噂の世界が出現したのか。その原因の解明がモランたちの調査の狙いだったのである。

オルレアンのょうな中世からの歴史を背負い現代に都市化の現象が拡大した地域では、中世の社会構造の一部であった、「集合的無意識」と言われる現象の深部を失っている。そして人々は試着室という密室とユダヤ人を結びつけてしまった。その結果、噂が生まれてしまったのである。今では「都市伝説」と言われているものの発生がこれに近いのだろう。

のちにはオルレアンで起きたのと似たような噂がフランス北東部のアミアンでも起きた。ここもまた古い中世の歴史を持ち、現代に都市化した地である。

モランはこれからの社会では、「臨床社会学」が必要になるとも言う。若い頃からベルリンなどのフィールドでこのような調査に関わり、その病根を探り、現代社会でその対応策を考えるというモランの姿勢には、一貫して他者或いは弱者への愛情が感じられる。後年モランは思想家とも考えられるょうな発言をするようになったが、そのルーツはこのような真摯な研究を積み重ねた日々にあった。

今から五十年も前のメディア論はこのような事件を取り上げて、世の行く末を案じていたのだけれど、その後の情報の即時化、同時化の発展がますますこうした噂の伝播を加速化し、規模を拡げているのだ。集団的コミュニティが個別化していけば、よけいにヒステリックになるのかも知れない。

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仕事の進め方の変化

『ザ・ホスピタリティ』より ホスピタリティ志向による効率化~ホスピタリティを小売業に活かす~

未唯空間での配置:5.5.1.1 意識の変革

①役割・意識の変化

 仕事を進めるために必要な課題や目標は、従来そのほとんどは上司から与えられるものであり、仕事・業務の進め方・システムも既存の標準化されたものがあって、いち早くそのやり方に慣れることが必要とされた時代があった。組織を巡る環境が比較的平穏な場合にはこのような取り組みで良かったといえるが、混沌・変革という時代を迎えると、このような仕事への取り組みでは適応がはかれない。役割・意識を変えざるを得ないのである。

 構造的変化は仕事に対する基本的な考え方・枠組みを変えることを要求し、図表の右側がより一層強調される時代になってくる。

②仕事をこなすから仕事を創る

 今、組織をとりまく環境は大きく、激しく、しかも構造的に変化している。変化の時代になればなるほど、常に組織をとりまく内外の環境変化を見抜き、強力なリーダーシップを発揮して、事業の革新、業績向上、業務の革新と効率性の追求・改善、職場の活性化に必要な企画や問題解決行動を打ち出していかなければならない。

 今、組織に求められているのは、如何に「仕事をこなす」かという視点ではなく、「誰のために」「何をなすべきか」である。つまり積極的に「仕事を創っていく」という視点を持って仕事に取り組むことである。

 自社・自部門さえうまくいけばそれでいいという発想ではなく、相互発展と相互扶助を概念として持ち、他者のために何ができるかということを認識し、業務に取り入れていくホスピタリティ的な側面がなければならない。

 過去の効率化の発想であった「削る」ことから、これからは「創る」ことへ発想を変えることが、今後求められるホスピタリティ的側面における効率化の発想である。そして、誰のための効率化であるのかを認識し、有効性のある効率化対象業務を選定することが重要である。

 環境が構造的に変化し、積極的な対応をはからなければならないにもかかわらず、現状の仕事の改善や単なる効率化の追求に終始することを「仕事をこなす」といい、障害が発見された場合、すばやく対応しアイデアを出し現状を収めていくレベルで終止する。「仕事を創る」とは、将来を見通し、自分自身が変化をっくり、課題に対して時間をかけて検討し戦略化をはかることである。

 そのためには、「システミック思考」(Systemic Management)が求められる。システミックとは既存のシステムに「学習能力」を持ち、自らを変化させながら環境に能動的に適応していくものと捉える。

 いわゆる、今あるシステムを前提として発想するのではなく、既存システムの有効性の有無を判断し、既存システムの修正または破壊をも視野に入れて発想することである。

 ある航空会社で現場の乗務員が、社内の効率化に貢献しようと火力率化計画を実施した。当時はおしぼりサービスを機内で実施していたが、そのコストに注目し、現状では個別の空港支店で発注をしていたものを、伊丹空港と大阪国際空港は隣接しているので2支店分を一括して発注する提案をした。結果は7、500円/500本だったのが6300円/500本にコス卜を抑えることができた。その結果を見て羽田空港、成田空港で実施し、成果を上げ、全空港支店で一括し発注をかけることとなった。結果は全体で20%のコスト削減ができた。

 これが、おしぼりを配らなければいけないという既存システムで検討する「システム思考」である。

 そのときに新人の乗務員が異を唱えた。「先輩方、苦労して一本当たり何円何十銭のコストダウンをされていますが、本当におしぼりは機内で必要なのでしょうか?」この発想が「システミック思考」である。

 お客様の意見を集めると、国内線においてはおしぽりは必要ないとという意見が圧倒的な数を占めた。結果としておしぼり廃止を打ち出すことになり、一便あたり7、500円の効率化が達成できたのである。

 マネジメント活動におけるシステム・アプローチの重要性はニーズが変わっても不変のものであるが、「システム思考」には「合理的」「体系的」「構造的」「機械的」「効率的」というイメージがある。

 「システミック思考」は「ゆらぎ」「自己組織化」「過程」「有交性」「目的化」といったイメージを含み、システムを環境との相互作用の中で常に学習し、自らを再組織化していく生き物として見るのである。

 効率化の手法にホスピタリティ精神を取り入れることにより展開プロセスがどのように変わるかを検討し、「効率化対象業務の設定」のあり方について考察する。

③守りの姿勢から攻めの姿勢へ

 仕事をマネジメントするとは、「内外の状況の中からある目的のために、あるスタンスに立って、有効性を保持するやるべき課題を発見・創出し、その目標を設定し、そのために最も効率的なシステムを考え、そのシステムを実行するために必要な情報を確保することを考え、計画化し、実践・運用していくこと」である。

 これはとりもなおさず、自分で自分の仕事をマネジメントすることに他ならない。仕事や課題は与えられるものではなく、自らが創っていくものである。今まで展開されてきたコストダウン、業務削減、人件費削減といった「削り取る効率化」(内部固め)から、あるべき像の業務に現状を近づけるために新たな業務を創出、または現状の業務改革を検討する「創造する効率化」(相手のために負荷を負う、革新的・挑戦的、ホスピタリティ精神)への展開が必要となる。

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来月末に前立腺の開腹手術

フッサール独我論に光明

 朝から、『フッサール』のOCR作業を継続。昼前にインスピレーションに反映しました。独我論については、私の「孤独と孤立」「存在と無」の考えにかなり近いので、読み込みます。

尿が溜まり始めた

 昼前にエイデンに行くつもりで、家を出たけど、近所のセブン・イレブンまでがギリギリでした。100円のおにぎりを買って、帰り着くのもギリギリでした。どうも、尿が溜まり始めています。

 水を飲んだらいいのか、動いたらいいのか、分からないので、トヨタ記念病院へ電話した。様子を見ないと分からないということです。すぐ、来てくださいとのこと。お腹を押さえながら、片手運転してどうにか、病院へ到着。

 診療時間が終わっているので、すぐに診療に入りました。先生は以前から前立腺が癌なのか、肥大なのかを診療してもらった前田医師でした。

 まずは、導尿してもらったら、やはり、900mlありました。もしかすると、漏れて、腎臓の方に回っているかを見てもらったら、ギリギリ、セーフです。前立腺肥大で完全に尿道が塞がれているので、カテーテルを常備することになりました。

前立腺の開腹手術

 合わせて、前立腺の手術も設定しました。前立腺が体積で3,4倍になっているので、尿道からではなく、開腹手術になるそうです。日程は4月30日手術で、10日間の入院です。

 入院は、個室にするか大部屋かで、奥さんに電話で確認しようとしたが、通じません。1時間後に通じたので、個室にしてもらうことを頼みました。一日5千円です。

 家に帰って、入院のことを奥さんに報告すると、「あなたが悪いのだから、私は知りません」とのこと。

手術と入院にあたって

 チュニジアに旅行するつもりで、手術と入院を自分で受けることにしました。病室に無線LANがあるか確認しておきましょう。

カテーテル付で通勤

 カテーテルと尿の袋をつなぐのは、寝る時でいいので、会社には通えそうです。明日から出社します。
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