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豊田市図書館の24冊

209.6『鉄条網の歴史』自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明

546.59『次世代自動車用リチウムイオン電池の設計法』

837『天声人語2012冬』

548.2『チューリングの大聖堂』コンピュータの創造とデジタル世界の到来

302.76『ハワイを知るための60章』

973『孤独な天使たち』

559.1『狙撃の科学』標的を正確に撃ち抜く技術に迫る

674『物語のある広告コピー』

689.8『リッツ・カールトン たった一言からはじまる「信頼」の物語』

402.8『科学史人物事典』150のエピソードが語る天才たち

379.7『一日5分iPhone+クラウド勉強術』

007.1『集合知とは何か』ネット時代の「知」のゆくえ

913.6『潜水空母Z艦隊』3ハワイ攻略全艦出撃 神算鬼謀が錯綜する最後の日米艦隊決戦!

391.26『WWⅡドイツ装甲軍』装甲電撃戦が教える戦争の力学

302.45『謎の独立国家ソマリランド』そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア

210.67『日露戦争史2』

392.1『兵士は起つ』自衛隊史上最大の作戦

389『昨日までの世界 上』文明の源流と人類の未来

389『昨日までの世界 下』文明の源流と人類の未来

910.26『吉本隆明--詩人の叡智』再発見 日本の哲学

167『イスラムとは何か。』

312.38『ろくでなしのロシア』プーチンとロシア正教

290.38『最新世界地図』

146.03『心理臨床学事典』
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大量データはポータルで対応

大量データはポータルで対応

 さて、問題は今回の大量データーのサーバーです。メーカーから送るためのサーバーと見ていく。販売店ニーズに対しては、ポータルのライブラリで対応させていきます。これ以上、管理部署の趣味にはついていけない。やるべきものはやります。

 10年前の状況と大きく変わっています。この9月には高速ネットができます。ポータルをクラウド化(ソーシャルウェブ)にすることで、大量のデータを保有できるし、インターネット世界とつなげば、多様なコンテンツの扱いが可能になります。

 メーカーから送るウェブサイトだけを作っておけばいいのに、人が絡もうとするからです。ソーシャルウェブは簡単にするのがポイントです。肝心の販売店が使うところのイメージが明確になっていない。この部分は販売店が独自にやればいい。

 販売店の経営者にヒヤリングした時の意見は、メーカーから来るのは碌なものではない。時間がかかるし、来たものは使えないし、無駄ばかりです。だから、自分たちがありモノで作るんだ。ということでした。

 作るための情報共有基盤として、ポータルがあって、ポータルにメッセージを集めてきて、メッセージがライブラリに誘導させます。ポータルは、メッセージからどのように使われているかの分析を行い、セキュリティの役割も間接的に行えるようにします。メーカーツールとして、前面には立ちません。

 使うこと主体に考えれば、そういうカタチになります。今後はケータイから、どのようにメッセージを使っていくかが主流になってきます。デバイスとソーシャルウェブの進化に、管理部署はついていけない。販売店で対応するために、メーカーに事務局を構えます。

 ポータルで大量データをライブラリとして、使えるようにする。販売店責任で放置していてはまずい。状況を把握していく。

 クラウドのライブラリはソーシャルウェブのサーバーとはセキュアーにつながります。

大規模システムはシンプルに

 情報系の開発を見ていると、やたら、多くの人が絡み、つぎはぎで、時間が掛かっている。

 大規模システムになればなるほど、シンプルでなければいけない。これは最初に部品構成システムで習ったことです。あれほど、膨大で、かつ緻密なデータベースを一人の頭の中で、全部、把握したものです。

 基幹系もデータの流れをすべて、頭に入れ込んでいた。だから、クライアント・サーバーに対応するネットワークの設計ができた。オフコンの世界にいる人には分からない世界です。そこから入っています。だから、データは分けています。

μとの携帯電話

 そのノウハウを使うかどうかは、未唯への手紙と一緒です。μには出すけど、他の人には聞かれたら、応えます。別に内なる世界でできればいいのだから。外の世界は勝手にすればいい。このICレコーダーをμとの携帯電話にします。語りかけるのは、μだけにします。

トポロジストのDual性

 Dual性についても、私がトポロジストだから、そういう風に断言できるのです。

 近傍はある一点です。個人の分化で近傍です。近傍系はそれがチェーンで範囲が広がっていきます。その時に特異点は回避していきます。

 近傍系の中の一点から、同じように近傍系を作っていく。それがチェーンになり、空間を作り出していく。そこでできた空間で考えていく。

 位相は近傍に対しての全体との関係を保証するものです。コミュニティに置き換えると、コミュニティの集まりに対するものです。同一位相なら、一つの空間になるが、位相が異なれば、重層化していきます。

 社会現象に対しても、近傍系と全体との関係で見てしまうから、トポロジストです。だから、Dualも対象物が変わるだけです。違和感はありません。ネットワークだろうと、ポータルだろうと、社会だろうと、歴史だろうと同じ数学モデルに落とし込めます。

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未唯への手紙の考え方

未唯への手紙の考え方

 未唯への手紙の考え方に戻します。社会には人が存在しない。だから、発信しても受ける人はいない。本来、誰もいないのだから。元々、未唯への手紙は、20歳の未唯への発信でした。その姿を明確にします。

 未唯からのコメントはμとして、入れ込みます。自分でやっていることを分かってもらえるようにします。

 未唯しかいないだから、この対話はどんどん、アップします。もっと、考えないといけない。

サファイアネットワークは循環型

 なぜ、サファイアのネットワークにしたのか。本来、バラバラでいいし、メーカーが関与するところではないという関係者がほとんどだった。

 あくまでも、販売店を支援するために、ネットワークを循環型にした。サファイアでのGlobal meets Localの体現化です。メーカは直接、店舗までデータを送れるし、店舗のLAN構造まで入り込めます。

 その考えに基づくものをSaとしました。sustainable(サステナブル)持続可能性です。私にとっては、本社→店舗→メーカー企画→メーカーシステム→…の循環です。ポータルにしても、メールにしても、情報共有にしても、各社で決めて、作り出せばいい。

ポータルへの経緯

 最初は、販売店のウェブとライブライを共通化した。次に、ポータルをあえて、メーカーがポータルを作りました。各社のコスト減とノウハウの横展開が可能になった。

 成功事例の横展開のためには、販売店が同一構成であることが必要です。メーカーとつなぐ時も、販売店の状況が一元化されているので、容易です。

 メーカーと店舗を直結することは、本社の意図と多様化に対応できないので、店舗・本社・メーカーを対等の関係にした。

 ポータルにライブラリをつけたのは、フロー情報に対して、ストック情報を見える化するためでした。それもバラバラでいいという人も多かった。ライブラリの展開は1/3の販売店です。それがくっつけられることで、メーカー⇒本社⇒店舗⇒お客様の下りの流れにライブラリが使えます。

使うこと主体のシステムを志向

 そういうカタチは、サファイアは本来、販売店が個別に作ればいいものを作ってきた。

 基幹系システムと情報系のシステムは大規模になるという理由でメーカーが作ってきた。使い方は販売店独自のモノです。メーカーと販売店の関係は複雑です。作り込んでいるから、メーカーは大量の人間を抱えて、使われもしないものを作っている。

 一つのもので対応しようとするので、パターン分けが多くなって、使いにくいものになっている。売るところについては、販売店で加工できる道具を渡せばいいのに、すべて、メーカーで作り出そうとします。作ることが趣味になっている。

事務局の役割

 パートナーを事務局にするのが夢だった。作らなくても、使えるようにする。ソーシャルウェブのツールが優れているから、ポータルに生かしたい。SFDCはその期待に応えてもらいたい。

 メーカーの役割として、事務局をしっかり忘れていました。すべて、作るわけではなく、販売店での発想を生かして、横展開をする。そのためのガイドをつくる。

 フェースブックもYouTubeもイントラに入れ込んでしまう。それで作る以上のものができます。

 基本的には余計なお世話になりますが、使いこなすためにはファシリテーターは必須です。
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キューブラー・ロスの「死ぬ前の五つの段階」とは?

『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』より 死ぬのが怖くなる方法とは? 死の統合学、システムデザイン・マネジメント学

キューブラー・ロス(『死ぬ瞬間』中公文庫・二〇〇一年)によると、病気により死期が迫っている末期患者の精神状態は、基本的に、衝撃→否認→怒り→取引→抑僻→受容のような段階を追うという(衝撃以外の五つ、①否認、②怒り、③取引、④抑慰、⑤受容に基づき、五段階ということもある)。もちろん、すべての人がこの段階を経るというわけではないだろう。実際、日本人の場合は少し違う経路を通るのではないか、というような学術研究もある。しかし、先ほども述べたように、キューブラー・ロスの分類はターミナルケアの基本といわれているので、これについて述べよう。

終末期患者には、死を宣告された人とされていない人がいる。しかし、キューブラー・ロスは、患者から学んだ最も印象的なことは、明確に死を宣告されようとされまいと、彼らは病気が重いと気付いているということだという。言葉で言わなくても、周りの人の雰囲気や態度の変化から、患者はいろいろな信号を敏感に読み取るものなのだ。

それぞれの段階について、キューブラー・ロスの文章を参考にしながら、簡単に説明しよう。

まず、「衝撃」とは、病気について知らされたときの衝撃だ。病気だとわかったとき、当然ながら、多くの人が衝撃を受けることだろう。

その直後に、ほとんどの患者は「否認」の状態をたどるという。否認とは、「そんなはずはない」「私のことであるはずがない」という自己防衛反応だ。誤診ではないか、カルテの患者名の間違いではないか、という反応も含めて、とにかく自分ではない可能性を期待する段階だ。

否認が妥当ではないとわかると、次に、怒り、激情、妬み、憤慨といった感情が支配的になる。典型的なのは、「どうして私なのか」という、行き場のない怒りだ。たとえば、どうしてあんなにちやらんぽらんに生きているA君ではなく、いつも健康に気をつけていた私が病気にならなければならないんだ、というような。

次に、取引という段階がやってくる。取引の相手は神である場合が多いというので、キリスト教文化圏で顕著な現象というべきかもしれない。取引の内容は、たいていの場合、延命であり、「これからは一生、神のために尽くすので、二、三日、痛みなしに過ごさせてほしい」というような懇願をする段階だ。オベラ歌手が「もう一度だけ舞台に立ちたい」と願うのもこれだ。

次が、抑膠、つまり、膠状態となる段階だ。抑膠の段階には二種類があり、最初が「反応的な抑膠」、次が「準備的な抑膠」。前者は病気で失ったものへの抑膠、後者はこれから自らの生を失うことへの抑膠だ。

前者は、たとえば乳癌の手術で乳房を失った人が「もう私は女ではない」と思い悩むケース。あるいは、莫大な治療費のために、家を手放さなければならない、子供を大学に行かせられない、というようなケース。治療のために会社を辞めなければならないケース。妻が働かなければならないケース、などなど。

後者は、死んで自分かいなくなってしまうことへの抑膠。本書の主題でもある、死ぬのが怖い、死ぬのが嫌だという思いが、切実な問題となったことに伴う抑膠。

抑膠に対しては、「そんなに深刻に考えないほうがいいですよ」といった、ものごとの良い面を見るように仕向ける助言が役に立つ。しかし、後者(これから自らの生を失うことへの抑僻)に対しては、ものごとの良い面を見るように、患者を励ましてはならない。その抑僻が、もうすぐ愛する者たちと別れなければならないことの準備段階であって、その事実を受容するためのものだったならば、励ましたり元気づけたりしてもさほど意味がないからだ。この時期は死への準備段階なので、励ますよりも、だまって一緒にいてあげるだけでよい。

次は、受容。患者は自分の運命に気が滅入ったり、憤りを覚えたりすることもなくなる。このように言うと、幸福な段階であるように思えるかもしれないが、そうではない。感情がほとんど欠落した状態であり、患者は、疲れきり、たいていは衰弱がひどくなっている。とはいえ、諦念的・絶望的な「放棄」でもない。まどろんだり、頻繁に短い眠りをとったりしたくなる。ある患者の言葉によれば、「長い旅路の前の最後の休息」だという。死に瀕した患者は、平安を見出すと同時に、周りへの関心が薄れていく。丁人にしてほしい、せめて、世間の出来事や問題には煩わされたくない、と願う。面会者の訪問を望まなくなり、たとえ誰かが訪ねてきても、患者はもはや話をする気分ではない。患者とのコミュニケーションは、言葉を使わないものになっていく。ただ、近くにいてあげるだけでいい。

キューブラー・ロスの本の最後のベージには、こう書かれている。「死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止である」と。
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ポンペイウスとカエサル

『内乱 バルサリア(下)』より 梗概

第七巻

 決戦の日、昇る陽は暗い。その前夜、ポンペイウスは自らの名で呼ばれる劇場に坐し、満座の民衆の拍手喝采を浴びたかつての栄光の時の己の姿を夢に見る。

 決戦の遅れに憤感を抱くポンベイウス軍の全員の声を代弁し、キケローが決断を迫ると、ポンペイウスは、決戦回避の戦略を断念し、不本意ながら、やむなく兵戈で決着をつけることを許す(兵らの準備、神々がこの日を特別な日にしようとして送り、怯える兵らが目にした予兆や怪異が語られ、ポンベイウス軍の陣容が述べられる)。乾坤一擲の勝負を仕掛ける秋の到来を見て取ったカエサル、決戦不可避を覚悟したポンペイウスが、それぞれ鼓舞激励の言葉を述べると、一方は「独裁への野望」に、他方は「独裁への恐怖」に奮い立ち、両軍は決戦へと突き進む(ローマの崩壊と「民族の死」、何より自由の喪失と隷属をもたしたパルサリアの戦いを嘆き、指弾するルーカーヌスの長いコメントが続く)。

 戦は、異国の騎兵と軽装兵で遊撃戦が行われた側面の戦闘でも、ローマ兵同士が相撃った中央の戦闘でも、カエサル方が圧倒し、パルサリアの野はおびただしい血の海に浸り、堆い屍の山に覆われる。中央の戦闘では、厳しく叱咤激励する「軍神」、「犯罪の巨大な夜の闇」となったカエサルの指示でポンペイウス方の多くの元老院議員、指導者が斃れるが、その一人ドミティウスは、嘲るカエサルに向かって「手厳しい誄罰を受けよ」と言い残し、息を引き取る(「戦のあとに生まれた我らに君主を与えたのなら、我らに与えるべきであった、戦をも」という、帝政期すなわち専制の時代に生きるルーカーヌスの絶唱が漏れ出る)。

 敗れたポンペイウスは、自刃は控えて、戦場からラリサに落ち延びる。一方、勝利したカエサルは、その夜、数知れぬ亡霊に襲われる悪夢を見るが、陽が昇ると、パルサリアの野の惨状を勝ち誇るように眸睨し、兵らの屍の荼毘を禁じて野晒しのままに捨て置く。カエサルヘの指弾と、「ローマ国民の墓場」となったパルサリアの野への断罪で本巻は終わる。

第八巻

 ラリサを発ったポンベイウスは逃避行を続け、ペネイオス川の河口に達すると、小舟に乗り、最愛の妻コルネリアのいるレスボスを目指す。レスボスの支援の申し出を謝辞したポンペイウスは、コルネリアを船に乗せ、小アジアの海岸沿いを南下、その彼のもとに、息子セクストゥスや王たちが追随し、生き延びた元老院議員らも次々と参集する。指導者たちが会したシュエドラでの軍議の場で、ポンベイウスは、ローマの仇敵パルティアと結び、再起を期すことを提案するが、強硬に反対するメテッルスの理路が元老院議員らの賛同を得て、パロス(アエギュプトゥス〔エジプト〕)に支援を求めることとなり、一行はパロスに向かう。

 ポンベイウス来たる、の報に、アエギュプトゥスでは、佞臣ポティヌスが、勝者方に付き、ポンベイウスを殺害するよう少年王プトレマイオスを指喉すると、王はそれを容れ、将軍アキッラスや、ローマ人の傭兵で、「どの獣にもまさって捧猛な人」セプティミウスらを刺客として送る。刺客らは、海上で歓迎を装い、ポンペイウスを小舟におびき出すと、コルネリアの目の前でポンペイウスを殺害し、あまっさえセプティミウスはその首を落としてアキッラスに手渡す。

 自死しようとするコルネリアを押しとどめ、一行はアエギュプトゥスを離れるが、ポンペイウスに付き従っていた敬虔な財務官コルドゥスが潜伏場所から浜辺に現われ、海に浮かぶポンベイウスの首なき亡骸を探しだしてささやかな荼毘に付し、石塊に「マグヌス、ここに眠る」とだけ標した粗末な奥津城に葬って、霊を弔う(奥津城の粗末さを憐れみ、いまだに遺骨が祖国ローマに戻されず、弔われていない不当さを嘆くルーカーヌスの声が続く)。
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