『転向』より 満州国の建設者--石原莞爾・浅原健三
石原の軍事学は『世界最終戦論』に集約される。世界最終戦とは、われわれの想像を絶する大きな戦争で、人類歴史の経験する最後の戦争である、とされる。この最終戦の到来の確信は石原の思想のみならず、石原を崇拝する人たちの戦後の考え方の根底にもあった。石原の軍事学は、「日露戦争は偕に日本の大勝利であった。然し如何に考究してもその勝利が僥倖の上に立った如く感ぜられる。若し露国がもう少し頑張って抗戦を持続したなら、日本の勝利は危なかったのではなかろうか。」の疑問から出発し、左の三点が中心となり、ベルリン留学中に世界最終戦の到来の確信を得る。
〈(一)日蓮聖人によって示される世界統一の為の大戦争〉、つまり日蓮の言「前代未聞の大闘静一閻浮提に起るべし」や、大集経にあり、仏教で信じられている、正法、像法、末法の代の予言と共に、次の図で表示される如く、近い時期に大戦争が起るとされる。
〈(二)戦争性質の二傾向が交互作用をなすこと〉は、「戦争の特徴は、分り切ったことでありますが、武力戦にあるのです。併しその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。武力の価値が他の手段に較べて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換れば陽性の戦争--これを私共は決戦々争と命名して居ります。ところが色々の事情によって、武力の価値がそれ以外の手段、即ち政治的手段に対して絶対的でなくなるー-比較的価値が低くなるに従って、戦争は細く、長く、女性的に、即ち陰性の戦争になるのであります。これを持久戦争といいます。」で、
〈(三)戦争隊形は点より線に、更に面に進んだ。次に体となること。〉
「戦術の変化を観ますと、密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり、戦闘群になったのであります。これを幾何学的に観察してみると、方陣は点であり、横隊は実線であり散兵は点線であります。戦闘群の戦法は今御説明したことに依って明なように面の戦術であります。点線から面に来たのです。この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます。」
具体的に「体の戦法」とは、「空中戦を中心としたものでありましょう。体以上のもの即ち四次元の世界は吾々は分らないのです。」
石原が、政治、宗教、歴史等あらゆる分野の過去の分析を軍事学に凝縮させた努力は、次の、明日はどうなるかの予測、見透しにあった。しかも『最終戦論』の結論するところは至近の最終戦の勃発の必然性である。
「二、戦争の絶滅は人類共通の理想なり。然れども道義的立場のみより之を実現するの至難なる事は数千年の歴史の証明する所なり。戦争術の徹底せる進歩は絶対平和を余儀なからしむるに最も有力なる原因となるべく其の時期は既に切迫しつつあるを思はしむ。」
石原の軍事学は『世界最終戦論』に集約される。世界最終戦とは、われわれの想像を絶する大きな戦争で、人類歴史の経験する最後の戦争である、とされる。この最終戦の到来の確信は石原の思想のみならず、石原を崇拝する人たちの戦後の考え方の根底にもあった。石原の軍事学は、「日露戦争は偕に日本の大勝利であった。然し如何に考究してもその勝利が僥倖の上に立った如く感ぜられる。若し露国がもう少し頑張って抗戦を持続したなら、日本の勝利は危なかったのではなかろうか。」の疑問から出発し、左の三点が中心となり、ベルリン留学中に世界最終戦の到来の確信を得る。
〈(一)日蓮聖人によって示される世界統一の為の大戦争〉、つまり日蓮の言「前代未聞の大闘静一閻浮提に起るべし」や、大集経にあり、仏教で信じられている、正法、像法、末法の代の予言と共に、次の図で表示される如く、近い時期に大戦争が起るとされる。
〈(二)戦争性質の二傾向が交互作用をなすこと〉は、「戦争の特徴は、分り切ったことでありますが、武力戦にあるのです。併しその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。武力の価値が他の手段に較べて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換れば陽性の戦争--これを私共は決戦々争と命名して居ります。ところが色々の事情によって、武力の価値がそれ以外の手段、即ち政治的手段に対して絶対的でなくなるー-比較的価値が低くなるに従って、戦争は細く、長く、女性的に、即ち陰性の戦争になるのであります。これを持久戦争といいます。」で、
〈(三)戦争隊形は点より線に、更に面に進んだ。次に体となること。〉
「戦術の変化を観ますと、密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり、戦闘群になったのであります。これを幾何学的に観察してみると、方陣は点であり、横隊は実線であり散兵は点線であります。戦闘群の戦法は今御説明したことに依って明なように面の戦術であります。点線から面に来たのです。この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます。」
具体的に「体の戦法」とは、「空中戦を中心としたものでありましょう。体以上のもの即ち四次元の世界は吾々は分らないのです。」
石原が、政治、宗教、歴史等あらゆる分野の過去の分析を軍事学に凝縮させた努力は、次の、明日はどうなるかの予測、見透しにあった。しかも『最終戦論』の結論するところは至近の最終戦の勃発の必然性である。
「二、戦争の絶滅は人類共通の理想なり。然れども道義的立場のみより之を実現するの至難なる事は数千年の歴史の証明する所なり。戦争術の徹底せる進歩は絶対平和を余儀なからしむるに最も有力なる原因となるべく其の時期は既に切迫しつつあるを思はしむ。」