未唯への手紙
未唯への手紙
『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用』
『本よむ幸せ』より エドガール・モランの『複雑性とは何か』で仕事の仕方を変えた。一九八四年の講演会は東京大学安田講堂まで聴きに行った。
未唯空間での配置:2.2.3.2 モランの複雑性
フランスの哲学者・社会学者のエドガール・モランは、何度も来日している。一九八四年の日仏文化サミット「文化の将来」では基調報告「ユマニスト文化・科学的文化・メディア文化」というまことにふさわしい講演をしている。そのモランに会う機会があった。
朝日新聞社のパリ特派員だった故・根本長兵衛氏は企業メセナ協議会の初代の専務理事になったが、フランスにいた頃、モランと親しく交友があったので、彼の誘いで東京で夕食を共にしたのだ。
その時のモランの話でとても印象に残っていることがある。
ある時、モランはイタリアで水族館に出かけた。そして館内の水槽を見ているうちに、一匹の大きな魚がガラスに顔をぴったりつけて、モランの目を見た。モランも魚もお互いに目をじっと見つめて動けなくなった。そのうちに巡回してきた守衛が、「間もなく閉館だから出て下さい」と告げるが、モランは事情を話して、「ぼくと魚は恋している、だからしばらくこのままにさせてくれ」と頼み、一時間だけと承知してもらった。人と魚が動かず見つめ合っているうちに、モランの目から涙が瀋み出してきた。だんだんに涙が止まらなくなったが、お互いに目を見つめ合ったままだった、という話だ。そのうちにまた巡回してきた守衛に「もう限度です、帰って下さい」と言われその場を離れたのだそうだ。
多分、モランの心の根底には「愛」というものがあり、対象が人間だろうが社会だろうが、水族館に閉じ込められた魚にですら愛の目を向けているのではないかと思った。
ここで紹介する『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用』は一九六九年に出版された、言わば今日のメディア論の原点になるような重要な位置を占める本である。日本では一九七三年に第一版が刊行され、一九八〇年には第二版が刊行されたが、一九九七年になって書物復権のスローガンを冠して、四社(岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房)共同復刊として新装で発売されるという歴史がある珍しい本である。
一九六九年五月初めに、南フランスのオルレアンという地方都市で一つの噂が広まった。何人かの女性がブテックの試着室の中で薬物を嗅がされるか注射され、外国の売春街に売られた。そしてそれはユダヤ人商人によるものだというのだ。噂はその月のうちに尾鰭をつけて広まってしまう。しかも後日の調査の結果では、その失踪の事実はなかった。
モランと調査グループはこの噂の構造の徹底的な調査に乗り出す。
なぜオルレアンで起きたのか。なぜユダヤ人なのか。なぜ現代の世の中に千年も前の中世のょうな噂の世界が出現したのか。その原因の解明がモランたちの調査の狙いだったのである。
オルレアンのょうな中世からの歴史を背負い現代に都市化の現象が拡大した地域では、中世の社会構造の一部であった、「集合的無意識」と言われる現象の深部を失っている。そして人々は試着室という密室とユダヤ人を結びつけてしまった。その結果、噂が生まれてしまったのである。今では「都市伝説」と言われているものの発生がこれに近いのだろう。
のちにはオルレアンで起きたのと似たような噂がフランス北東部のアミアンでも起きた。ここもまた古い中世の歴史を持ち、現代に都市化した地である。
モランはこれからの社会では、「臨床社会学」が必要になるとも言う。若い頃からベルリンなどのフィールドでこのような調査に関わり、その病根を探り、現代社会でその対応策を考えるというモランの姿勢には、一貫して他者或いは弱者への愛情が感じられる。後年モランは思想家とも考えられるょうな発言をするようになったが、そのルーツはこのような真摯な研究を積み重ねた日々にあった。
今から五十年も前のメディア論はこのような事件を取り上げて、世の行く末を案じていたのだけれど、その後の情報の即時化、同時化の発展がますますこうした噂の伝播を加速化し、規模を拡げているのだ。集団的コミュニティが個別化していけば、よけいにヒステリックになるのかも知れない。
未唯空間での配置:2.2.3.2 モランの複雑性
フランスの哲学者・社会学者のエドガール・モランは、何度も来日している。一九八四年の日仏文化サミット「文化の将来」では基調報告「ユマニスト文化・科学的文化・メディア文化」というまことにふさわしい講演をしている。そのモランに会う機会があった。
朝日新聞社のパリ特派員だった故・根本長兵衛氏は企業メセナ協議会の初代の専務理事になったが、フランスにいた頃、モランと親しく交友があったので、彼の誘いで東京で夕食を共にしたのだ。
その時のモランの話でとても印象に残っていることがある。
ある時、モランはイタリアで水族館に出かけた。そして館内の水槽を見ているうちに、一匹の大きな魚がガラスに顔をぴったりつけて、モランの目を見た。モランも魚もお互いに目をじっと見つめて動けなくなった。そのうちに巡回してきた守衛が、「間もなく閉館だから出て下さい」と告げるが、モランは事情を話して、「ぼくと魚は恋している、だからしばらくこのままにさせてくれ」と頼み、一時間だけと承知してもらった。人と魚が動かず見つめ合っているうちに、モランの目から涙が瀋み出してきた。だんだんに涙が止まらなくなったが、お互いに目を見つめ合ったままだった、という話だ。そのうちにまた巡回してきた守衛に「もう限度です、帰って下さい」と言われその場を離れたのだそうだ。
多分、モランの心の根底には「愛」というものがあり、対象が人間だろうが社会だろうが、水族館に閉じ込められた魚にですら愛の目を向けているのではないかと思った。
ここで紹介する『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用』は一九六九年に出版された、言わば今日のメディア論の原点になるような重要な位置を占める本である。日本では一九七三年に第一版が刊行され、一九八〇年には第二版が刊行されたが、一九九七年になって書物復権のスローガンを冠して、四社(岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房)共同復刊として新装で発売されるという歴史がある珍しい本である。
一九六九年五月初めに、南フランスのオルレアンという地方都市で一つの噂が広まった。何人かの女性がブテックの試着室の中で薬物を嗅がされるか注射され、外国の売春街に売られた。そしてそれはユダヤ人商人によるものだというのだ。噂はその月のうちに尾鰭をつけて広まってしまう。しかも後日の調査の結果では、その失踪の事実はなかった。
モランと調査グループはこの噂の構造の徹底的な調査に乗り出す。
なぜオルレアンで起きたのか。なぜユダヤ人なのか。なぜ現代の世の中に千年も前の中世のょうな噂の世界が出現したのか。その原因の解明がモランたちの調査の狙いだったのである。
オルレアンのょうな中世からの歴史を背負い現代に都市化の現象が拡大した地域では、中世の社会構造の一部であった、「集合的無意識」と言われる現象の深部を失っている。そして人々は試着室という密室とユダヤ人を結びつけてしまった。その結果、噂が生まれてしまったのである。今では「都市伝説」と言われているものの発生がこれに近いのだろう。
のちにはオルレアンで起きたのと似たような噂がフランス北東部のアミアンでも起きた。ここもまた古い中世の歴史を持ち、現代に都市化した地である。
モランはこれからの社会では、「臨床社会学」が必要になるとも言う。若い頃からベルリンなどのフィールドでこのような調査に関わり、その病根を探り、現代社会でその対応策を考えるというモランの姿勢には、一貫して他者或いは弱者への愛情が感じられる。後年モランは思想家とも考えられるょうな発言をするようになったが、そのルーツはこのような真摯な研究を積み重ねた日々にあった。
今から五十年も前のメディア論はこのような事件を取り上げて、世の行く末を案じていたのだけれど、その後の情報の即時化、同時化の発展がますますこうした噂の伝播を加速化し、規模を拡げているのだ。集団的コミュニティが個別化していけば、よけいにヒステリックになるのかも知れない。
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