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「出荷判定会議」は「やらされ仕事」の連中の晴れ舞台

未唯へ。咽喉風邪が本格化しています。連続して月曜日に休むと「月曜病」になりそうだから、出て来ています。おかげで、ローカル・シンクが進みました。

今日はヒットラーの120回目の誕生日です。私の歴史認識は「ヒットラーが近代ドイツを支配して、ヨーロッパを席捲できたのか?」から作り上げてきました。大学1年の自主講座(教養部封鎖のため)で問題意識を持ちました。それ以来です。

サファイア循環ではローカル・シンクがグローバル・アクトにつながるという逆方向を許したことが原因です。スターリンも毛沢東も一緒です。つまり、ローカル・シンク⇒{ローカル・アクト⇒グローバル・シンク}⇒グローバル・アクトで中間の機能が働かなかった。本来、個々の活動を政策につなげるインタープリターが存在しないために、個人の感情が権力に直結した。

独裁国家をなくすために、インタープリター機能を明確にしていきます。

今度は喉が痛くなっています。風邪ですね。土曜日に糖尿で内科に行った時に、喉を診断して、クスリをもらっているので、それで対応させます。熱が出たら、また、バッファリンの出番です。

「出荷判定会議」へ出たけど、本当に頭に来る。「やらされ仕事」の連中が大きな顔をしています。現地現物を見て判断しろ!販売店の人の顔を見て判断しろ!

それに増して頭に来るのが、「やらされ仕事」の取り巻き連中です。自分たちの過去の経験と数字だけで文句を言っている。それで自分の「仕事」ができたと思っている連中です。それにより、販売店に向けるべき工数が半減します。資料が倍になります。

彼らがシステムの実体を見るだけで済むことです。システムを提供している人、それを使っている人の思いを汲み取れば済むことです。

あんなとろい「判定会議」には出ません。この会社が悪くなった原因です。現地現物を見て、機動力で対応しないと、変化はできません。

「やらされ仕事」はグローバル・アクトからローカル・アクトへ直結した時に起きます。それを防止するにはローカル・シンクが必要です。それはサファイア循環での「グループでのコミュニティ」の機能そのものです。

これで、販売店だけは救います。本社中心のローカル・シンクをグループの範囲で、店舗でも可能にしていきます。それにより、店舗での「やらされ感」をなくしていきます。
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老人ホームの「家族会」に出席しました

未唯へ。今週末から朝の散歩を始めています。リクを連れての町内一周です。昨日は5時半、今日は6時半から行きました。眠たそうな顔で見ていたのに、散歩用のリールを付けた途端に突撃モードです。30分程度なので、丁度いいですね。

もう一つ、昼の3時に豊田市まで歩いて行くのも決めました。今週は老人ホームの「家族会」出席で無理ですね。

今日は老人ホームに2回行きました。10時半からは、定期的な訪問です。松皮せんべい持参で、1時間の本読みです。3時から4時までは「家族会」です。

今までは、妹が出ていたが、沖縄旅行ということで、奥さん経由で私に「行くように」という指示が回ってきました。このルートは絶対的です。「家族会」といっても、どこかへ行って、誰かを救出するというものではなく、老人ホーム側の説明を聞くというものなので、員数合せで出席しました。

20名の定員のうち、8家族ぐらいが出席していました。夫婦で5組いました。スタッフの自己紹介とか、家族側からの紹介などで、どうにか1時間持たせました。老人看護系の組織も大変ですね。

取り上げられたテーマの中で、気になったのは食事の件です。アンケート結果からすると、あまりいい数字ではありません。入所者にとっては、最大の楽しみである食事に不満があるというのはストレスの元です。

アンケート結果では
 ご飯の味はいかがですか?:おいしい 5名、まあまあ 3名、おいしくない 7名
 食事は暖かいですか?:暖かい 4名、まあまあ 3名、冷えている 8名
となっている。否定的な人数の方が多くあります。

食事の内訳は、朝食 400円、昼食 600円、夕食 700円ですので、ちょっと工夫すれば、おいしいご飯とか、暖かいご飯は実現可能な気がします。

今朝のテレビで、居酒屋チェーンの「和民」が経営している老人看護ホームの評判がいい、と言っていました。その理由は食事のよさだそうです。おいしく、暖かいものを美しく出す、その基本ができているとの事でした。

老人ホームで、業者を見直して欲しい。ローカルでの善意的な努力だけでは、ものごとは解決しません。グローバリズムが蔓延っている現在こそ、グローバルでの技術がローカルを支援する姿勢が必要であると同時に、ローカルから、その要請を正々堂々と行っていかないといけません。
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近所の病院は病原菌の集まり 

未唯へ。朝6時からリクの散歩をすることにしました。とりあえずは、土日限定です。効果としては、運動と同時に、朝からの活動タイムを早めることです。散歩するには外出できる格好に着替えることで、モードを変えることができます。

今日散歩したけど、リクの散歩コースはウロウロしています。シャキッと歩け!

近所の病院で糖尿病の治療を行っています。2週間ごとに通院して、経過を見てもらうことになっています。月に一回は血液検査です。2週間分の薬込みで3千円から4千円かかります。

薬を飲むタイミングを逸することがあるので、2週間分を3週間かけて飲んでいます。その分、治療費が安く済みます。

この病院はおじいさん、おばあさんで一杯です。今日は喫茶店で朝食ランチを食べながら、本を読んでいて、時間を忘れてしまいました。9時10分に受付をしたので、呼び出しがあったのは10時10分過ぎです。待合室で本を2冊も読んでしまいました。

待合室のテレビで、NHKが太陽光発電のPRをしていました。日本の太陽光発電の政策がここに来て、変換しようとしていることは分かったが、その先の方向がわかりません。政府の政策に対するNHKの姿勢は常にウロウロしています。環境問題に行ったり、エネルギー問題に行ったり、消費拡大に行ったり、エコライフに行ったりしています。まるでリクの散歩コースです。何も考えていない。その上、偉そうに、国民を誘導しようとします。

本当に太陽光発電はバランスとしてはいいものなのでしょうか? ハイブリッドで発電するエネルギーと太陽光エネルギーのどちらが効率がいいのでしょうか? 多分、ガソリンの方が上でしょう。電気自動車の電気が太陽光システムで済むとは思えません。

私はハイブリッド・エネルギーをネットワークで接続するというやり方の魅力を感じています。

そういったことをキッチリと調べてほしいものです。それらのバックボーンとして、グランド・セオリーの構築が必要です。「100年の一度」を合言葉にして、「財政出動」という名の「選挙対策」をしている政府にセオリーを期待できません。自分達で作り出していくしかない。そんなことをテレビを聞きながら、待合室で考えていました。

薬をもらう時に、受付に来た男性が「39.2度の熱が続いている」と言っていた。病院は怖いところですね。
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この会社はケータイ電話を取り上げるつもりらしい

未唯へ。今週こそ豊田市中央図書館の新刊書の冊数が劇的に減っていると思って、出向きましたが、まだまだ十分ありました。何となく、肩透かしです。減った現実を見て、その反応で、図書館協議会の委員募集の小論文を一気に書こうと思っていました。残念です。結局、25冊借りてきました。

この会社の組織側の「節約」レベルはアップしています。会社のケータイを保有できるのを室長以上に限定するようです。

私は電話がないところで、デバックして、電算メーカーとやりとりなどに、会社のケータイを使っているけど、今後はそういう現場作業はケータイを保有する室長に任せることにします。総務部がそんなことまで、決定するのはおかしい。本当に、Global meets Localの意識のない会社ですね。ローカルの多様なニーズを支援してこそ、グローバルの存在理由があります。グローバルの立場から、一律というやり方には反発します。

こういう総務の一律的な発想が現在の世界的な混乱を招きました。アクト・グローバルから直接、アクト・ローカルへ指示を出そうとすると、一律的にならざるを得ない。ファシリテーションされずに、押し付けになり、誰も責任を持たない状態になると同時に、アクト・ローカルからシンク・グローバルへの知恵の創出が阻害されてしまう。

この構図が嫌で、サファイアではずっとシンク・ローカルを育て上げてきた。ファシリテーションをしてきました。業務でのケータイを取り上げるというのは、それらの努力を台無しにする施策です。

業務でのケータイの付き合いは10年前以上からです。店舗活動にケータイを試行をするために、スタッフのパソコンと繋ぐことをやっていました。そのために、14台のケータイを総務から手に入れました。それらを秋田の販売店に持っていって、イベント会場とか出先から本社のオフコンと接続しました。

ケータイを取り巻く環境の変化が激しくて、なかなか安定しません。やっと、ライブラリとポータルという、コンテンツとメッセージのベースができてきたので、デバイスとしてのケータイの活用を考え始めていました。

ケータイの一律、取り上げの動きに対して、室長の動きが感じられません。私は「取り上げられた」時点で、「ケータイなし」の世界に入ります。現業での活動を停止します。どんどん、世界が狭くなっていきます。
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腹が減っていると、「クレーマ度」が上がるみたいです

未唯へ。本当に頭に来ることが続いています。今日は2件ありました。

一つ目は、ゼロ件数の扱いも設計できないシステム会社と、それしかパートナーとして選べない電算部の存在です。

ライブラリの移行で2度目のトラブルを起こしています。トラブルのレベルの低さと、それをユーザー責任にしようとする姿勢が頭に来ます。対象販売店のデータがないにもかかわらず、データ移行を進めて、中途半端なデータをライブラリ上に作って、完了通知を発信していました。結果を販売店が見ようとしたら、システムエラーで見えません。そこでシステム会社に連絡して、始めて、その事態に気付いたという状況です。

システム会社から、「どうしましょう?」という電話があったが、そんなものは早急に正しい状態するに決まっている。システム会社と電算部の間では、「ゼロ件だと言っていない」ユーザにも責任があるのではという、論理が見え隠れしていた。

そこで、完全に頭に来た。データがゼロ件の時に、どういう処理にするかは、システム屋ならば、基本中の基本です。移行に関しても、単に移せばいいのではなく、件数・データ量・稼動まで含めて確認するのが基本です。それらの基本が出来ていない。自工程完結できていない。やはり、電算部を含めて、パートナーを変えないといけません。

もう一つは、ライブラリの「サポセン受入判定会議」という「会議」があるのですが、その名前の持つ傲慢さが頭に来ています。サポセン(実質はF社)にライブラリのトラブル対応の連絡先になってもらうための「判定会議」だそうです。サポセンが「受入」に当たっては、トラブルが少ないことを開発側が証明して、お伺いをするというものです。少なければ、`やってあげてもいいよ’という姿勢です。

こんな「やってあげる」という、思いのない連中に、本当のトラブル対応ができるはずがない。むしろ、必要なのは「受入能力有無判定会議」です。彼らがどこまで、システムを理解して、ユーザーを理解しているかを、彼らに実証してもらうための「会議」が必要です。グローバルは常に、ローカルを支援しないと、傲慢になる。選択権はローカルにある。

月曜日から、満足なものが食べられず、炭水化物不足です。腹が減ると、私の中の「クレーマ度」は上がります。どんどん、世界を狭くしています。まあ、身一つあれば十分です。
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クルマが好きな人だけで車社会を考えてはいけない

未唯へ。私の1日はゲームから始まります。まずは、靴下のペアを選びます。ユニクロで安い時に黒の靴下を買っているのですが、それぞれが微妙に異なります。どれがペアかを探します。まあ、誰も気にしないから、適当に決めますけど。次に、箸のペアを選びます。皆、よく似ています。最後は玄関で靴のペアを探します。4人しかいないのに、靴とかスリッパとかが10組ぐらいがバラバラにあります。そこから選びます。

月曜日の胃腸風邪はどうにか収めたけど、あまり食欲がないので、このまま摂食に入ります。ご飯は自分で確保しないといけないかもしれません。奥さんはペースを変えることはありません。自分のことは自分で!

今日の太陽が見られるだけで御の字かもしれません。34階からの太陽の光を浴びましょう。

ローカルでの思いと作られるモノとの関係を考えています。この会社はモノ作りの原点に帰ろうとしているけど、安くて、いいものを作ればいいというものではありません。

東富士の時、周りはクルマが好きな連中ばかりでした。こういう連中が作るクルマは「車」を否定することができません。「車」は走り、曲り、止まるということが主です。彼らの頭の中には走っているクルマ、運転している自分が主でした。

「車」を社会から見ると、輸出の道具であったら、庭を潰し、場所を取るものでもあります。色々な風景があります。物理的な存在としての車は精神的には重荷です。一人旅に車は似合わない。

世の中には、私のように、車が好きになれない人間も多くいます。こちらの方が人数からすると多いかもしれません。そういう人にとってもクルマが有用であるような社会というのは、クルマが社会に溶け込むことだという気がしました。

そういう社会に変えていくには、研究・開発の東富士では何も発信できないので、お客様との接点の名古屋に来たはずです。

クルマと社会との関係を変えなければいけないというのが、15年間のテーマです。それが全然やれていない。ちなみに、名古屋の連中はクルマが好きなのでなく、自分が好きなんです。クルマは単なる手段です。人をコントロールできれば何でもいいみたいです。

女性がいない2ヶ月間は、会社の時間を「先のこと」に振り分けます。それが彼女がいないことの意味です。そのなかに、クルマ社会の在り方もテーマにします。
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「胃腸風邪」の原因はスーパーの「ステーキ」?

未唯へ。昨日の38.4度の病名は「胃腸風邪」に決まりました。インターネットで検索したのと、ちょっと違っているけど、隣の女性と産業医の先生が言うのであれば、そういうことにしておきます。

次から次へと体の変調が起こるので、病名が覚えられなくなっています。その度に薬が増えるけど、ちょっと治ると、すぐに止めてしまうので、薬の数が増えることはありません。

その人のすべての病気を見て、「この薬をこのように飲みなさい」という総合的な判断をする先生が必要なのではないか。この間のテレビ番組で「新型うつ」の話をしていた時も、薬を減らすことで、治るという症例も挙げられていた。それと同様なことを自分の中でやっているということにしておきます。

「胃腸風邪」の原因は近所のスーパー「えぷろん」のステーキが犯人みたいです。産業医と話しているときに、「何かヘンなものを食べなかったか?」と聞かれた時に思い出しました。スーパーに並んでいた「ステーキ」を買って来て、食べたことを思い出しました。奥さんが同窓会で「夕食なし」ということで、千円をもらったので、豪華に一人ステーキにすることにしました。これなら、500円もかかりません。

「えぷろん」にはレジ袋有料化以降は行かないようにしていたが、「ステーキ」を安く売っているスーパーが思い当たらなくて、「えぷろん」で買い物することにしました。ステーキとか果物とかペプシをバラバラに買ったけど、レジ袋をくれません。

3年前に、「レジ袋削減活動」で、店長にインタビューしたことがあります。その時に、レジ袋の代わりに5円のシールを渡した方が儲かる、という本音を聞きました。「環境」ビジネスは儲かる?という印象でした。それで私の「環境」への見方はきつくなりました。そういうお店です。一律の規制とお客様に負担をかけることは間違っている。

おかげで、生のまま、スーパーの中を、手で持ち歩いていました。

家に帰って、ステーキ用の鉄板を取り出して、自分で焼いて食べたけど、厚くて熱が通りません。肉を押し付けて、焼き目を作っていました。生っぽくて、さほどおいしくはありません。塩コショウで味付けしました。多分、一種の食中毒なんでしょう。

やはり、松屋の牛焼肉定食にしておけばよかった。一食分に限定できるし、残すものもないし、エコバックも不要です。
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体のバランスが崩れて、38.4度に到達

未唯へ。今日、私が年休だったのを知っていましたか? 奥さんは知りませんでした。

夜中の1時半に腹痛が激しくなり、正露丸を探して飲んだけど、直りません。5時に体温を測ったところ、38.1度を表示。平熱が35.6度の私には38度台はきついです。6時に測ったら、38.2度になっていたので、会社を休むことにしました。これは腹痛でないということで、風邪だと判断して、「富山の漢方薬」ネオ眞治を飲みました。小さい頃から私の特効薬です。熱は下がりません。

9時前に会社に連絡した時点で、38.4度を記録しました。20分毎に起きながら、横たわっていました。本もビデオも見る気になれません。ましてや、パソコンはムリです。老人ホームにいる人たちがポケ~としている心境に近いモノがあります。ひたすら寝る体勢になりました。

3時過ぎても、38度台であったので、家の薬箱を漁っていたら、「バッファリン」がありました。熱を下げるために、これを飲むことにしました。夕方5時に37度台になりました。

7時半に、下へ降りていったら、奥さんがゲームをしていました。私の顔を見て、「なぜ、居るの?」と言われてしまいました。私が休んだこととか、38.4度の熱を出していることは感知しなかったみたいです。やはり、自力で直さないといけませんね。そうしないと、いつの間にか、「2階で亡くなっているのが発見された」ということも想定されます。

お腹の調子が悪いので、「おじや」にしてと頼んで、期待していたが、通常のメニューでした。「熱だけでお腹は問題ないでしょう」とのこと。そのまま、肉を焼いたのを食べて、2階へ戻り、寝ることにしました

10時に36度台になり、朝5時に平熱の35度台に入りました。その間、ずっと寝ていたので、背中が痛かった。

体のバランスが崩れているのを、熱で警告しているのを、「バッファリン」で押さえ込んだカタチになっています。原因は胃腸だと思います。体のバランスに注意しましょう。

今は精神的なストレスを食べることで解消しようとしています。自分が食べたいものが分からずに、むやみに食べています。オーガニック食べ放題にしても、手羽先ばかりを10個食べていました。家での一人焼肉にしても、スーパーでステーキとかよくわからない肉を買って来て食べていました。イヤな予感はしていました。
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インタープリテーションはなかなか大変そうです

未唯へ。バス停まで、20分ほど歩いています。あなたが小学生であった時に教えてもらった生活道路です。車も通らないので、安心して通ることができます。道すがら、感じるのは、本当に「庭がない」ということです。皆、駐車場になっています。旧い家に青いスポーツカーがあったり、駐車場ギリギリにレクサスがあったりするけど、庭がありません。

前の家も、新築の頃は庭があったけど、子どもが大きくなるにつれて、駐車場に変わりました。我が家は、駐車場を借りて、庭を死守しています。

皆はクルマをどう考えているのでしょうか? 庭よりも大切なものなんでしょうか? そんなことを思って歩いています。

金曜日に、グループ単位で、今年度方針の説明がありました。おとなしく聞いていたが、販売店の声を吸い上げる部分で納得がいかずに質問を執拗にしていました。前日の室長との面談が中途半端であったので、クレーマーをしていました。

今、一番必要なのはインタープリテーションなのに、今年度の計画にその部分が欠け落ちている。今、仕掛けないと、必ず後悔するのは目に見えています。

インタープリテーションには二つの経路が必要です。店舗からメーカーに持ってくることと、店舗の方にお客様から持ってくるものがあります。それら二つをつなげることで、お客様とメーカーがつながるのです。

私が東富士で感じた、お客様とメーカーとのつながりが実現する<変革>の時期なんです。それを行いたくて、販売部門に異動希望を出したことを思い出します。

この危機感を用いて、一気にその二つを実現すればいいのです。幸い、新社長で「現地現物」発想を求めています。販売の現地はお客様の心の中にあります。

お客様とのインタープリテーションはなかなか大変だと思います。300人の意見を聴いて、一つにまとめて、それをスタッフ分集めて、また一つにまとめて、販売店単位で、地域・チャネルから、お客様の姿をまとめたものをメーカーにインタープリテーション(翻訳)しないといいけません。それで、スタッフができること、店舗ができること、販売店ができること、メーカーができることに分けて実行していくことになります。

そのためにも、「Drive Your Dreams」をテーマに、お客様へのヒアリングする計画が必要です。現地現物の出発点はここです。
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豊田市中央図書館も寂しくなります

未唯へ。豊田市中央図書館の新刊書が来週から大幅削減されるので、今日は心置きなく、借りてきました。それでもセーブして23冊に抑えました。来週からは15冊の予定です。だけど、新刊書のない図書館を見るのは寂しいです。行きたくありません。

駅前のスタバにも寄ったけど、YUKさんたちが居る可能性がないというだけで、寂しいものです。興味の範囲がどんどん狭くなっています。

ダイエットのために、止めていたオーガニック食べ放題に最後のつもりで、行ってしまいました。本を読みながら、1時間半かけて、ゆっくりと食べるつもりでしたが、甘辛の手羽先に嵌ってしまった。これがなかなかおいしいです。右手で食べながら、本を読んでいると快適です。気がついたら、10本も食べていた。完全に食べすぎです。

本を読みながら、「数学で感じた感動を、社会に持っていきたい」と考えていました。

歴史も。ポスト・グローバリズムも数学的になってきています。社会活動にしても、ボランティアもNPOをこの軸の中で考えられます。仕事と直結しています。新しい世界へのつながりができつつあります。

活動の場としては、図書館なのに、教育委員会という組織の下に封じ込められ、バラバラにされています。その中に居る、司書も昔ながらの「奉仕」に縛られています。適当に弾ければいいのに、できない理由だけを作り上げています。やはり、グループでの活動を通じて、「組織の論理」から独立させていかないといけません。

「グループでのコミュニティ」が変革のキーワードになります。数学で「近傍系」の概念が新しい空間を作ったのと一緒です。組織のあり肩を変える要素を含んでいるから、「グループでのコミュニティ」は<革命的>です。

「近傍系」という考え方は、ある点を中心にして、そこで成り立つ次元で範囲を規定していきます。その範囲の中で、次の「近傍系」を定義します。それらをチェーンでつなげることで、「空間」を作り上げていきます。最初に「空間ありき」ではなく、単なる点から始めて、似たものをつなげていって「空間を作り上げる」というものです。

このすごさは、複雑なまま、空間をイメージ化すると同時に、その中で自分に合ったものを持ってくるというものです。途中に特異点があっても、そこを避けて、空間を定義できます。この考えを社会に活かしましょう。
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