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〝「自分」という根源的な矛盾〟という説明で納得しますか

未唯へ。私は中学生の時のトラウマから脱せずに、ここまで来ています。そのトラウマは「自分」というものと「生まれてきた理由」です。数学では真理を目指して、会社生活でもグランド・セオリーを求めています。

そういう「自分」を割り切った本を見つけました。共感できる部分と反発する部分があるけど、何しろ、著者が冷やかなのが気に入りません。

『自己を生きるという意識』141.9シという本の〝「自分」という根源的な矛盾〟という一節です。

「自分」という存在は大切である。この「自分」が存在しなければ、自分にとっての世界は存在しないからである。「自分」という存在は世界のなかでどのように存在しているのか。三つの側面があると思われる。

 ①唯一性

  「自分」は「この自分」以外に世界には一人も存在しない。

  「この自分」にとって世界が存在しているのは、「この自分」が生きているからである。「この自分」が死ねば、自分にとっての世界も消滅する。

 ②無

  唯一絶対の「自分」は他人から見たらどうか。世界全体から見てみるなら、「この自分」とは何か。無である。

  この日本でも、この市でも、この町でも、この組織でも、「この自分」を知らない人間にとって、「この自分」は無である。

 ③近親性

  この唯一性と無の中間に、近親性がある。親密な関係のなかにおける「自分」である。そのあいだだけで「この自分」は価値も意味もある存在と見なされる。
  年老いた親がボケてしまい看病に限界を感じると、親子といえども、内心、早く死んでくれねえかな、と思ったりするものである。親の唯一性より自分の唯一性を優先してしまうのだ。

 この三重性が「自分」という存在の根本的なあり方である。「自分」にとっては世界で唯一絶対の価値なのに、世界にとっては徹底的な無価値という矛盾した存在、かろうじて近親の者のあいだで有と無を往還する存在、それが「自分」である。

このようなロジックです。私の場合は①唯一性が主になっている。それと②が同じ次元にいます。ハッキリ言って、中核の「自己」と周辺の「無」がくっついているドーナツ状になっています。

だから、③をさほど感じていません。それよりも、ローカルであり、グローバルな「自分の存在」の不思議さを追いかけてきました。
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