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自分の時間は自分のために使う

未唯へ。今日も朝の薬を飲むのを忘れた。3時から仕事をしていると、よく忘れます。

朝の挨拶からパートナーとは一日、口をきいていません。まあ、話すこともないけど。多分、金曜日まで口を聞かないでしょう。

言って来るかどうか知らないけど、言って来るまで待ちます。まあ、NZで亡くなったと思えばいいんですから。パートナーが居ないと一人芝居です。他に知っている人はいない。

研究開発部署のパートナーとは1年半ぐらい、口を聞かなかったことがあります。黙って隣に居たものです。

私の拘りに、パートナーを巻き込まないで済む。一年もすれば、替るでしょう。パートナーの性格からして、それが幸せかどうかです。忙しいだけではしょうがない。今の努力がつながるものでないとダメです。それも含めて、自分で決めればいい。私は自分の時間は自分で使います。

パートナーの協力が得られないから、次期ネットは止めましょう。これは、去年からの持ち越した結論です。プロジェクトでなくて、成り行きでやります。偶然でやります。進め方を説明する必要がない。

だけど、私は4つの機能を忘れないし、パートナーにはネットワークとライブラリを求めます。どんなことがあろうとも、パートナーが堂々と生きていくためには必要です。

まあ、それも含めて、自分で決めればいい。私は自分の時間は自分で使います。自分の時間は自分のために使うルール(NZ旅行中に作成)を再録します。)
 ルール①は「絶対に逃げない」
 ルール②は「納得できないものには従わない」
 ルール③は「女性を好きにならない」
 ルール④は「最後はトルストイの家出」
 ルール⑤は「先に去る」
 ルール⑥は「早く起きる」
 ルール⑦は「夢しか語らない」
 ルール⑧は「すべてを分析する」
 ルール⑨は「切りのいい時間は使わない」
 ルール⑩は「人に対する関心をゼロにする」

私が望んでいるのは、30万人のコラボレーションではなく、2千万人のコラボレーションです。2千万のコラボレーションができれば、社会を変えることができます。企業から変えていかない限り、この社会は変わらないでしょう。
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生活編第6章への感想

未唯へ。孤立と孤独を整理する時が来ています。

最後の挑戦は、20歳代に決めたことのまとめです。人生を数学・社会・歴史、そして全てを自分の中でまとめる。その指針に基づいて、未唯空間で作り上げてきた。その意味では一貫しています。各項目の第5章・第6章でそれぞれがつながってきています。それらを統括しているのは自分編です。

こんな挑戦を皆ができるとは思えません。特に、数学の思考へのハードルは高いです。歴史も広大で、歴史観をどう持つかで全然違います。社会の方は身近ですが、自分の範囲でしか分からない。

私の役割の一つは数学を身近にすることです。数学といっても計算ではありません。空間配置とアナロジーです。空間配置は生まれながらの能力と言われています。マンダラレベルではツールになりません。空間配置は強力です。一瞬で見えてきます。

数学は対象物を性質を付属させないので、一つのことで見つかったものを他方に適用するのは自由です。

それらを新しい数学として、アピールするしていく。よく出ている数学の本は、その二つに対して、威力を持っていません。具体例を示すものとして、未唯空間と同時に、仕事でのやり方で示します。そこで証明します。

社会への挑戦は、割と単純です。まずは会社でしょう。それから政治みたいなものです。会社で実証できないと意味を持たない、と言ったところです。

まずは、提案レベルで。会社で実験を行っています。関係者がやり方を変えようとしないのは確かです。それを動かすものは危機感だけです。それを見ない人には説得材料にならない。私は組織を超えて、会社を超えたから、社会の危機感とつながっているから、見えています。

危機感から、新しい会社の姿を述べていきます。それが社会に先行することになります。今は会社が変わるときです。過去の成功体験に中に埋まっている人達には、課題として見せるしかないのでしょうか。

新しい時代に会社が存続するためには必要なのは、皆の声を聞くことの連鎖です。だから、コラボレーションから始めます。

歴史をやっていくと決めた。なぜ、歴史の視点が必要なのか。そのときに時空間を対象にできることです。特に時間軸です。今まで変化してきた。そして、変化していく。そこが魅力なんです。

歴史の空間というのは、要するに地理です。日本と世界の関係などです。歴史観の歴史です。それが世界中に異なる形で共存している。専制政治からダイナミックのどこへ向かうのか。そこにおける個人とかグループの関わりも様々です。色々なシミュレーションが可能です。

日本はなぜ、太平洋戦争を始めたのか、という番組をNHKがシリーズで行っている。私が生まれた時には、日本は敗れていたから、今さら言われてもしょうがない。それをNHKが行う理由は、“次”に生かすためでしょう。開戦時の状況と今の状況は非常によく似ています。NHKはなぜ、それを主張しないのか。アメリカとの関係にしても、国民との関係にしても、一切、無責任です。

最後のテーマは、エジプトの赤ピラミッドで考えたことです。「歴史は変えられるのか」ということです。答はインタープリター次第で変えられるというものです。楽観的といえば、楽観的です。それ以外は全て、悲観的なのだから。

それらをまとめて、自分に還るというのは、最初からのシナリオです。結局は他人事です。自分の中で、どう納得させるかです。それを最初に決めていました。孤立と孤独の生活から、よく、ここまでオープンしたものです。だけど、やはり、孤立と孤独です。
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生活編第5章への感想

未唯へ。今日も3時から起きています。布団の中に居ても、寒い。いつまで寒いのか。私の心には丁度いいかもしれないけど。

先週は毎日、やることを決めていました、月曜日は次期ネットの「深い」部分の説明をGMに。火曜日はパートナーに。それらを受けて、進め方の根本を説明。木曜日は販売店へアピールするために、福岡へ。金曜日はSFDCとの間でコラボレーション討議。

結局、深い部分は彼らには関心がない。進め方も先延ばしです。販売店もシステム会社ではどうにも方向が示すことができない。すべてがゼロに戻った。

生活編の第5章・第6章を対象にしています。サファイア生活はライフログから始まり、それを表現して、エッセイにしようとしています.その生き方を書くだけです。

ブログは書けば書くほど、見る人が減っていきます。それで良いんです。人間の論理はそのぐらいのことは考えています。それをいかに表すかです。表すことが人生です。

書くことによって、インタープリテーションによって、どう社会を変えていくかがサファイアです。書くことが変えるエネルギーになります。それに気づいてほしい。まあ、気づかないでしょうけど。

表現するには、時々刻々でのつぶやきから始まって、日々を雑記帳でまとめて、ブログにして、未唯空間に落します。今、未唯空間からブログへは行っているけど、ブログから、未唯空間の詳細への反映はされていない。ブログから未唯空間の間が体系化されていません。

未唯空間に溜まっているものを整理しているところです。未唯空間に対して、詳細を追加していきます。それが具体性をもたらすか分かりません。私の場合は考えれば考えるほど、抽象的になっていきます。

研究開発部署の時は、情報を探すのが大変だった。それを世の中に出すことは全然考えられなかった。そのコミュニティができる可能性を持ってきているのは確かです。この会社とか日本の社会は一切無視しています。

生き方はよく分からないから、とりあえず、やることをやる。その偶然に中から何を見つけるのか。その時の理論は、「部分の中に全体がある」という、DNA的な考え方です。それで、偶然は必然であることを見つけてきた。逆に、偶然を増やすことを考えてきた。そこで得たものは、個人だけのものでないと言う自覚。だからオープンするのです。

なぜエッセイを書くのか。今はこれが中心です。五次元シートとか、詳細とか作ってきました。それを分かるようにするためには、一次元で表現することでしょう。読んだ人が、各自のフィルターで考えればいいのです。本はそういう文化です。

当然、一次元に落すことに大きなリスクがあります。かなりの部分を捨てル事になります。幸いにも、多くのものを読んできました。表現をサンプルすることもできます。例えば、カンとの書き方とか。エッセイにする理由はインタープリターを見つけるためです。実現に向けては必要です。儲かることを知ってもらうしかない。

本来、未唯への手紙は未唯がインタープリターとして、それらの理論化を行い、世の中にあらわすことを想定した。未唯は別の方向に行ってしまった。だから、自分でやってきた。これは私にとってはしんどい話ですよ。
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