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対外的無防備の姿勢

『漂える想念』より。

日本は歴史上一貫して尚武の風が存する国であった。また国内各勢力の興亡こそあったが、国の総体としては途切れることなく武備を保持し得ていた。だがそれにもかかわらず、歴史上一貫して対外的な無防備な姿勢が常に存在した。この対外的に無防備な姿勢にも、歴史の根を同じくする理由がある。それは鎖国以前の日本は本来的に「出入りが自由で、外界への進取の風が濃厚な地であった」ということ、そして「鎖国以後には対外関係の処し方を喪失した」ことである。共に対外的に無防備な姿勢の温床である。

常なる進取の風は、防壁を構えて外敵の来襲を防ぐことを重要視しない。甲斐の武田氏が四方に進出して国内を守るべき拠点を持たず、モンゴル帝国が草原のゲルを根城として八方を侵略した如き姿勢である。この風のあるところでは、体制が衰えて一旦外敵に攻め込まれれば、強盛の勢いも四方に散じて一朝の夢と消える様相となるのである。昭和の敗戦時にはB‐29に一発の高射砲弾が揚がらなかった。玉音放送後の関東軍は、武装解除して露軍の課踊になす術がなかった。米軍占領時には一片のレジスタンスもなく、占領政策に自己主張もしなかった。すべてこの姿勢を髪髭させる。

また対外関係の処し方を喪失したことは、外敵からの防御の意識を亡失させる。すなわちその脳裏において外敵は有って無きが如きものと化すのである。このために武威を備えてはいながらも、日本には対外的に無防備な姿勢が生じることとなる。

大東亜戦争敗戦後の64年間に日本は平和と経済成長を謳歌して、平和ボケの状態が一国を覆ってしまった、そしてそのために世界各国とは国際感覚上のズレを生じていると言われる。しかし現在の日本に顕現している対外的に無防備な国情は、現代日本に特徴的なことでもなく、また故なきことでもない。その歴史が常なる外敵と異民族との興亡から成り立っている他の諸国の平時における爆死の感覚とは違っている。

だがそれはあくまで平時における姿勢である。非常時における日本人の対外的な姿勢と求心力はこれに異なる。明治維新以後の77年間は、日本は例外的に非常時にあった。そして敗戦後の日本の対外的な姿勢は、鎖国後の平安朝における平時感筧の如き様相である。

現代の日本には無防備の姿勢と怯儒の風があり、また独立玉稿の精神も欠落している。しかも曲がりなりにも強力な武備を保持している。そして近隣諸国には、軽侮の念と共にその潜在力に対する畏怖の心がある。さらには米国の庇護という仮初めの安全保障の傘が存在する。日本はこのような相矛盾する要素を抱懐した危うい均衡の上に立っている。

大東亜戦争敗戦後の日本は、自己亡失と非常時の感覚なき怯儒の風に支配されている。そして敗戦後の日本はわずかに経済大国という称号に隠れて、独尊の大国としてのステータスを水遠に放棄するという立場に身を置いて来た。

無防備の姿勢は日本古来のものではある。だがこのような現代における国民精神の強固さが欠落した態勢は、日本の歴史上にはない状態である。この平穏さに安住している現在の日本は、長い歴史上で最も危うい状態にあると言える。しかもその状態が危うさであるにもかかわらず、国民は国内の混迷に目を奪われてそれを想像することが出来ない。

したがって現在の日本の課題は、「今の時が非常時の前夜にあると認識できるかどうか」にある。そして歴史的に無防備な姿勢という対外的な戦略の不在の克服を、国家としての喫緊の死活的重要事と認識できるかどうかにある。そのための現実の具体的な対応策はその次のことである。だが現在の日本で危機感を保有する人々が唱えているのは、この認識の普及ではなくて現実の具体的な対応策に過ぎない。


・・・何となく、クライシス全般に通じる気がします。
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国立図書館の本が焼かれた

『ドイツを焼いた戦略爆撃』より

強い南西の風で中央の建物の炎が北東の翼部に移った。六人の係員は力を振り絞り、二つの翼部を結ぶ通路から物を撤去し、北東翼部から来る炎をくい止めようとした。しかしそのためには建物の連結部に置かれていた神学の間と貴重な聖書コレクションが犠牲となるのは避けられなかった。深夜一時に国立劇場から最初の消防車が到着した。職員は迷宮のような階段や通路の中で消防隊に道を教え、今度は蔵書の救出に取りかかった。

深夜二時から国立図書館付近には民間人と軍人がぞくぞくと集まり、朝方には約一〇〇〇人になった。この人々のおかげで手稿、揺藍期本、音楽関連コレクション、目録を運び出すことができた。所蔵品の避難先は隣接するルートヴィヒ教会であった。明け方、火災は収まったように見えた。朝の光はまだ見えない。中庭は管、ポンプ、ホースで溢れ、それらは建物内へと入り、階上に伸ばされていた。その後また炎が上がり、勢いを増して北西翼部に向かい、二階全部を焼き尽くしてしまった。中央の建物ではまだ火がくすぶっており、黒煙が中庭に広がっていた。北西翼部の炎はめらめらと燃えた。ルートヴィヒ通りからは炎上する図書館の炎が暗い空に上がった。南風が強まって火災を煽り、燃え上がる本の残骸を襲い、焼けた紙切れが雪のように空中を舞った。

通りの奥の図書館と聖ルートヴィヒ教会のあいだでは両腕にいっぱい本を抱えた人々が、服に火がつかないよう気をつけながら走り回っていた。朝日を浴びる教会の側翼の壁寵と祭壇には救出された本が山と積まれた。八時頃、再度火は収まったが、またも消防隊は欺かれた。二重床のあいだに見えない火種があったのだ。それが午後に再燃し、北西翼部三階にある二つの広間を襲い、安全だと思われていた非ヨーロッパ地域の地理関係と北アメリカ関係コレクションを飲み込んでしまった。

最後の火災が消えたのは四週間後だった。中庭には三万五〇〇〇立方メートルの瓦裸が二階の高さまで積もっていた。バイエルン国立図書館は三月九日から一〇日にかけての夜、全所蔵品の二三%に当たる五〇万冊の蔵書を失った。古典文献学、考古学、美学、神学、非ヨーロッパ地誌学関連蔵書が被災した。取り返しがっかない損失は、学術施設や各種研究施設の出版物であるアカデミカのコレクション全巻であった。失われた蔵書数は三世紀のアレクサンドリア図書館の火災による損失に匹敵する。そのわずか四ヵ月後にはハンブルク大学図書館で六二万五〇〇〇冊が失われた。人類史上、これはどの書籍が焼かれたことはかつてなかった。

すでに一九三九年八月二八日、ハイデルベルク大学図書館はマネッ写本を、フランケン地方奥地のエアラングンに近い東部に送っていた。そこなら大丈夫とされていたのだが、さらに場所を変える必要に迫られ、ハイデルペルクから送られた写本はエアラングンの地下室を出て、ニュルンペルク城塞下のさらに地下深い天然岩の中に移動した。ペルリンのプロイセン国立図書館は隣接する帝国経済省の金庫室に秘蔵の品を収容していたが、一九四三年までは平常通り業務を行い、その後になって全所蔵品を避難させることにした。一七五万冊の本がヴェラ河畔のカリ坑に隠され、残りはチェコのテプラー修道院とエルベ河畔シェーネペックの塩坑に入れられた。三〇〇トンの書籍が、手当たり次第に梱包されてシュプレー川を航行する小船に乗せられ、南部や西部ドイツに送られた。途中で六回も積み替え作業が行われた。ペルリンの図書館の揺藍期本部門は手痛い損失を蒙った。その蔵書の大部分である二一五〇冊が失われ、東洋関連部門は全部消えてしまった。
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市民の意識を変えること

未唯へ。考えることが多くて、羅列になっています。

トータルとしてどうしていくかを個別のところから考えていく。この差を埋めるのが、ネットワークであり、ライブラリ、コラボレーションです。非常に大変な世界です。今のように、孤立した個人とか家族が国と対立したカタチでは、次の方向が見えません。市民が自ら、動ける用にしていくことです。これを現実的にするためには個人の意識を変えないといけないが、そんなに簡単には変わらない。それをどう仕掛けたらいいのか。今までは、モノで仕掛けてきました。省エネもモノで仕掛けてきました。意識ではなかなかできません。

エコットでも、市民の意識は変わりません。講演にしても、カリスマが商売しているだけです。もしかすると、変えるためのキーはケータイ会社とかスーパーとかコンビニとか企業です。マーケティングが変われば、企業が変わります。市民の意識が変わります。それでマーケティングが変わっていきます。グーグルとかフェイスブックとかのコラボレーションをカタチにする所も変える要素になります。多分、キーワードはモノに寄り添ったカタチではない、マーケティングです。そのための買うための手段から、シェアする形態にどこまで変えていけるかです。

今まで個別に考えたものがつながってきたのはいいけど、今の時点で、「歴史が変わる」のに、答が出せるのか。

クライシスに対して、「元に戻す」という動きをどう牽制するか。実質的な効果よりも考え方です。今までは統一化の法に来ている。メーカーの生産も似たようなものです。多様化を目指します。メーカーの生産にしても、阪神大震災の反省で行ってきたけど、今回は広すぎるし、多すぎる。要するに歴史は元に戻らないということです。それをベースにして、加速していくことです。

「変わるのか」というのは、別の次元です。「変わるか」はもっといい加減に書きます。「歴史が変わる」については、「何が変わる」「どこから変わるの」「どのように変わるか」「それでどうなるのか」

会社-販売店-お客様で考えた、三段ループがそのまま、市民-・・・-国-海外につかえるとは。汎用性があります。

どこから変わるかというと、日本です。このクライシスです。防備する考え方がどのように展開されるか。何から変わるかというと、コラボレーションです。その結果、どうなるかというと、サファイアです。これに抵抗するものは、日本文化も含めて、莫大です。

だけど、事後よりも事前の方がいいという論理が通るかどうかです。コスト・メリットです。起きる時期が不安定要素です。文化を世界観で変えていくだけの覚悟があるか。それこそ、俺の方がそれどころではない。
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待つことではない

未唯へ。次期ネットは販売店の要望を叶えるために考えた。なかなか、先に進んでない所へ、3.11クライシスが起こりました。会社は一部関係者が対策室で、いかに戻すかを協議しています。

私は、何らかの意図があって、クライシスが起こったと思っています。こういう時に、皆が考えないといけない。9.11のアメリカのように、あらぬ方向に走ってはいけないけど。

地震の前と後では、販売店の要望は変わっているはずです。やはり、ローカライズしかないでしょう。自分たちで生きている、つながっていく。ふつうの感性ならこれですね。待つことではない。今、販売店に行っても「それどころではない」。なにどころか、よくわからない。去年のヒアリングは幸せだった。

クルマを地域のエースにしましょう。その地域の救世主。販売店もそのイメージを出します。クルマで寝泊りしている人も多い。そういう人の意見を反映しないと。アナログでもいい。情報ボランティアもいます。重要なのは、本人からいかに発信させるかです。待つのではなく、自分が動くことです。今こそ、感情を表に出さないといけない。

目的は‘次’だけど、自分たちでも自分たちでやれることをやっていく。それを要求していくことです。待つのではありません。グローバルから支援ではなく、ローカルでやっていく。無言でも、情報がつながるようにしていく。リモートです。他の人の情報が見える。

社会編の第7章の3と4項。非常に悩ましい。最初ははクライシスの中身で、エネルギー問題とか交通問題を挙げています。その次は、エネルギーパスを含めて、元々考えてたこと、最終的にはサファイアにすることを述べた。これを具体化しないといけない。どっち道、エネルギーと交通は入れるけど、市民の立場として、何をしていくかです。

市民は考え方を変えていかないといけない。何を変えていくのか。自分たちで守るということです。

歴史から考えると、国ありきで始まってきた。次に共和制のような国を作りました。自分たちが一人一人が中心にするためには、何をするべきか。核となる為に何をするか。環境問題でもそうですけど、消費者としてではなく、行動者として、どういう社会を作るのかの活動を行います。今回、分かったのは、事後の方がきついということです。この分は国が本来やるべきところです。

どこに居ようと、私は私。考えることは考える。考えることに役割分担はありません。何しろ、仕事は与えられたことはない。

考えた挙句、都市国家イメージになりました。古代ギリシャと異なり、それらをネットワークでつなぐことです。ネットワークがなければ、市民はまとまることはできません。市民がまとまろうとする力が前提です。では、なぜ、まとまるのか。自分たちの生活を守るためです。グローバルのモノを売って、買ってというのだけではダメです。
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