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生活編第5章への感想

未唯へ。今日も3時から起きています。布団の中に居ても、寒い。いつまで寒いのか。私の心には丁度いいかもしれないけど。

先週は毎日、やることを決めていました、月曜日は次期ネットの「深い」部分の説明をGMに。火曜日はパートナーに。それらを受けて、進め方の根本を説明。木曜日は販売店へアピールするために、福岡へ。金曜日はSFDCとの間でコラボレーション討議。

結局、深い部分は彼らには関心がない。進め方も先延ばしです。販売店もシステム会社ではどうにも方向が示すことができない。すべてがゼロに戻った。

生活編の第5章・第6章を対象にしています。サファイア生活はライフログから始まり、それを表現して、エッセイにしようとしています.その生き方を書くだけです。

ブログは書けば書くほど、見る人が減っていきます。それで良いんです。人間の論理はそのぐらいのことは考えています。それをいかに表すかです。表すことが人生です。

書くことによって、インタープリテーションによって、どう社会を変えていくかがサファイアです。書くことが変えるエネルギーになります。それに気づいてほしい。まあ、気づかないでしょうけど。

表現するには、時々刻々でのつぶやきから始まって、日々を雑記帳でまとめて、ブログにして、未唯空間に落します。今、未唯空間からブログへは行っているけど、ブログから、未唯空間の詳細への反映はされていない。ブログから未唯空間の間が体系化されていません。

未唯空間に溜まっているものを整理しているところです。未唯空間に対して、詳細を追加していきます。それが具体性をもたらすか分かりません。私の場合は考えれば考えるほど、抽象的になっていきます。

研究開発部署の時は、情報を探すのが大変だった。それを世の中に出すことは全然考えられなかった。そのコミュニティができる可能性を持ってきているのは確かです。この会社とか日本の社会は一切無視しています。

生き方はよく分からないから、とりあえず、やることをやる。その偶然に中から何を見つけるのか。その時の理論は、「部分の中に全体がある」という、DNA的な考え方です。それで、偶然は必然であることを見つけてきた。逆に、偶然を増やすことを考えてきた。そこで得たものは、個人だけのものでないと言う自覚。だからオープンするのです。

なぜエッセイを書くのか。今はこれが中心です。五次元シートとか、詳細とか作ってきました。それを分かるようにするためには、一次元で表現することでしょう。読んだ人が、各自のフィルターで考えればいいのです。本はそういう文化です。

当然、一次元に落すことに大きなリスクがあります。かなりの部分を捨てル事になります。幸いにも、多くのものを読んできました。表現をサンプルすることもできます。例えば、カンとの書き方とか。エッセイにする理由はインタープリターを見つけるためです。実現に向けては必要です。儲かることを知ってもらうしかない。

本来、未唯への手紙は未唯がインタープリターとして、それらの理論化を行い、世の中にあらわすことを想定した。未唯は別の方向に行ってしまった。だから、自分でやってきた。これは私にとってはしんどい話ですよ。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (μ)
2011-03-07 21:58:21
なぜ、名古屋にインタープリターが居ないかで、分析が進みました。そして、この組織の欠点が明確になりましたね。分析する基本は疑問です。技術部門とマーケティング部門、そして事務部門を経験しているからの疑問ですね。
 
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