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「今回」の地震で考えたこと ②

確実に、東海地域に地震は起こります。東京はこの程度ではすまない。それが「次」です。そのために、どこまでシミュレートするのか、知識を持っていくのか、皆がどうしたらいいのかのコラボレーションするのか。では、それをどこに待っていくのか。横に連携するためにはどうしたらいいのか。事務局です。事務局を先に設定しないといけない。実行部隊はいくらでもあります。日本に知恵があるのなら、それを編成しましょう。

「使う」連中を主体にしましょう。「作る」ことをしてもしょうがない。なくなるのだから、壊れたことをベースにします。専門家はライブラリにおきます。アピール・アンケートは当然、コラボレーションです。

シェアする考え方が社会の主流です。ホテル・アパート・地下鉄・タクシー・飛行機・教会・図書館、すべてシェアです。都会はなぜ、魅力があるかというと、シェアするものが多いからです。「売る」のではなく、シェアする。どこまでできるか。それを可能にするものでして、ネットがあります。お祭りも全てシェアです。

シェアは全て、情報サービスから成り立ちます。ネットワークとライブラリで作られます。シェアには母数が必要です。それはコラボレーション、ソーシャルネットがやります。この社会自体をシェアすることです。壊れいくものです。そうして、再生を常に行うことです。ローカルをベースにすれば、可能です。

電気自動車はシェアの世界です。バッテリーも電力も持ちません。電力というインフラがやられた時に、電気自動車は動きません。全てのインフラが止まります。これも教訓です。買うよりも、アカウントにした方が使用量が減ります。クルマも同じです。シェアによって、家の前を駐車場ではなく、ガーデニングにするのです。そして、体験をシェアする。家もクルマも器用に流れるモノです。

緊急交通路も必要です。江戸時代の火消しの発想では、周りをすべて剥がしてしまう、邪魔なものは全て剥がしてしまう。リースの世界では可能になります。

今回、死者・行方不明と負傷者が同じということは、やはり、津波ですね。阪神大震災のようにボランティアが動けないです。広すぎます。それと地震と津波が続いている。何しろ、東北全域です。

会社の機械的な安否確認は必要なのか。地震の時には、職場に居たのに。クライストチャーチも帰国が遅れるから連絡した。予定通りだったら、何も連絡しなかった。「心配している」というスタンスはなぜ、必要なのか。その人にとって必要なんでしょう。

多分、壊さなくても、壊れる。だから、どうしていくのかを、日本の中でやっていきます。人間は死ぬことを想定して生きているのに、なぜ、社会はそれをしないのか。壊れるのは当り前です。いくら、営々と作ろうと。死生観を持たないといけない。無常観でもいいけど。社会そのものが。

電気自動車にするのであれば、その中で暮らしていけるようにすることです。避難所よりもはるかにいいでしょう。防水にしても、流されても助かる可能性があります。それをベースとすれば、いろいろなアイデアが出てきます。「ファミリー」カーとして出せば。

言葉から、形容詞を抜きます。本を加工する時に、単純な言葉・簡易な言葉に変えていく。話し方も変えていきます。ツイッターも震災一色です。普通のことが言えない。これはおかしい。皆、テレビを見ているだけです。思考停止している。「先」のことを考えましょう。そして、「次」に備えることです。本当に「かわいそう」だけですましている。どうするんですか。東海大地震はどこへ行ったんですか。

販売店ネットにしても、金曜日レベルで、悲惨でした。見えません。東北のネットワークが潰れている。「作る」連中は必至で直すでしょう。それで「次」へのチャンスを潰すことはがまんできない。
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「今回」の地震で考えたこと ①

未唯へ。地震の一夜が明けた。まだ続いている。日本のインフラを超えるモノでしょう。全てが終わるまでは、何とも言えない、大きな地震です。

「次」=東海大地震を考えています。そのためにどうするか。これは戦争と一緒です。政治形態も変えないといけない。それだけの態勢が要求されます。

なぜ、マスコミは情報を持ってくるのか。次に使うためです。すべてをそういうカタチに変えていくことです。全てのものをそういうカタチに変えていくことです。どうなるのか。どうするのか。クライストチャーチでの報道と比べても、もっと変えていかないといけない。それをどう誘導していくのか。

今回の未唯空間のまとめも同じです。どうなっているのか、というだけでなく、どうなるのか、どうするのか。そちらから考えて、どういうカタチにすればいいのか。その思考があまりにも足りません。それをみんなで持ち寄るしかない。それで行動を決めればいい。行動を先に決めてはいけない。自分が何ができるのか、を含めて。

社会編についても、この部分を追加します。クライシスです。その時に必要となることも、一緒です。ネットワーク、コラボレーション、ライブラリ、そして事務局です。事務局は大きな役割を行います。

そのために、予測するためにすることは、いくらでもあります。それをシミュレートして、仮説を立てて、その検証をすることの努力をしない。起こる未来のために、起こる明日のために、今のような検証が必要です。そこから、行動を決めることです。矛盾があります。

実務者は、変えようとしない、人のいうことを聞かない、考えようとしない。起こってから考える。個人の言うことは聞きなさい。権威の言うことは聞くな。それにしても、政府が出てこない。だらしい。表に出てこない。行くにしても、原発に行って、何をするのか。避難指示の範囲を増やしただけです。そこに生きている人の姿は見えているのか。感じているのか。

災害の時にクルマがどういう役割をするのか、ケータイがどんな役割をするのか、それを支えるモノは何か。臨時事務局はどこが作るのか。どこかで考え方を変えるところをどうしていくか。

日本がこの体制を取ることが基本になれば、海外の事態に対して、即座に派遣できます。相手の承諾でも、覇権主義でもないです。地球防衛隊です。

起こるべきことが起こったのに、マスメディアが騒いでいます。それも一つの現象です。マスメディア本来の機能を発揮するならば、起こる前にすることです。起こったことに対して、次に対して、いかにシミュレートさせていくことです。

「作る」ことはこういう時は無意味です。トコトン「使う」ことです。全てが、仮の姿であると認識することです。日本人の価値観にしていくことです。元々、「無常」という価値観があります。

今回のことで、政局は大きく変わるでしょう。日本をまともにすることです。飢饉から、昭和維新が起こった。現実を変えようとした。環境問題も同じです。それが起こってから、対応するよりも、先に手を打った方がはるかに安くなるのです。だから、知らないといけない。
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