みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

壮大であり、みごとなものだから

2011年06月24日 | 歴代誌第二
2歴代誌2章

 
 友人にお願いしておいた梅の実を、月曜日に購入(ありがとうございました!)。色づいたので傷のないものは梅干しにしようと、昨晩漬け込みました。塩分10%です。梅雨が明ける頃にはベランダで干していることでしょう。今年はどんな梅干しができるでしょうか。傷あり梅は梅ジャムにして、おいしい梅ケーキの原料になります。
 そう言えば、関わりのある行田のぞみ園では、昨日の午後たくさん取れた枇杷でピューレを作っていました。これまた楽しみです。

 ソロモンが取り組んでいたのは、梅干しや梅ジャム、枇杷ピューレなどという「小さな」ものではなくて、完成まで7年をかけた神殿であり、13年をかけた宮殿です。「ソロモンのスケールの大きさを見せられる」と「みことばの光」にあるとおりです。
 ソロモンは父の友人であった隣国ツロのフラム王に、神殿や宮殿建設のための協力を願っています。目につくのは、「私の建てる宮は壮大な宮です」ということば(5節、9節)。自分が取り組んでいる事業の大きさを誇っているようなことばに響きますが、ここでソロモンは神の偉大さをフラム王に証ししようとしているのだと考えました。
 
 「主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者なのでしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です」ということばこそ、このときのソロモンの真情ではないだろうかとも思うのです。
 忘れてはならない姿勢ですね。
 




願えと言われたら

2011年06月23日 | 歴代誌第二
2歴代誌1章


 今年初めての猛暑日(35度以上)となった昨日の我が町。教会の祈り会をエアコンなしで行ないました。体を壊すまでに無理をしてはいけませんが、すぐにエアコンのスイッチをと思う前に節電を意識するというのは、明らかに大震災後の変化だと思います。

 「みことばの光」では、きょうからⅡ歴代誌の通読です。ダビデからソロモンに、そして王国の分裂へと綴られていきます。
 「あなたに何を与えようか。願え」と神がおっしゃったならばどうするだろうかというのは、この箇所を読む度に考えることです。何がほしいかと夢見ているうちは、あれだこれだと思い浮かぶのですが、いざ現実となればすぐに「私に…をください」とは言えないものではないか、ということで落ち着いてしまいます。
 何かを購入するときに、お財布と相談して結局は「程々のもの」(うな重でいえば松竹梅のうちの竹を注文するようなもの)に決めることの多い私としては、「うーん、うーん」と悩んだ末に、「程々のもの」を願ってしまうのではないかしら、とも思うのです。

 そうしてみると、ソロモンの願いは、これ以上ないというほどに素晴らしいものなのですね。
 求めるべきことを、願い求めるものであるために、「神の国とその義とを、まず第一に求めることができますように」と祈ります。

 


熱くなって…

2011年06月22日 | 使徒の働き
使徒の働き12章18-25節


 朝は雨だったのに、仕事が始まる時刻には晴れ間が出て蒸し暑い一日でした。
 昨日は午後から「みことばの光」9月号の最終チェックのために印刷会社に出かけました。担当の方が「今まで我慢していたのですが、お客様(私のこと)がおいでになるということで、さっき事務室の冷房を入れたのです」とおっしゃっていました。あとで女性が「私たちは平気なのですが、男性が暑がりでね…」とニコッ。女性のほうが環境適応能力が高いのかしら…と改めて感心した一言でした。
 ここも節電の努力をしているのだと思うと、広い部屋で私一人のために冷房を聞かせているのが申し訳なく、レトロなエアコンの設定温度を少し上げ、気がついてみたら汗だくで原稿に向かっていました。これってヘン、でしょうか。

 暑くなるといえば、ヘロデ王も熱くなって死んでしまったということでしょう。彼に取り入ろうという魂胆を持つ人々の「神の声だ。人間の声ではない」というおべっかにのぼせ上がって熱くなり、神に打たれていのちを絶たれました。ヘロデが死んだ原因を聖書は「神に栄光を帰さなかったから」だと伝えます。
 「みことばの光」では、コルネリオの家でのペテロの態度を挙げて、「ペテロとヘロデ王は対照的な対応をした」と説明しています。神の使いは二人に対照的な手を伸ばしました。一方を超自然的な方法で助け、他方のいのちを奪ったのです。

 私たちの主なるイエス・キリストの恵みと平安が、暑い一日にも豊かにありますように。





開いた門、開かない門

2011年06月21日 | 使徒の働き
使徒の働き12章1-17節


 雨模様の朝です。適度に降ってくれるなら風情があってよいということになりますが、豪雨が続くと被害が心配になりますね。
 先週、特別養護老人ホームでの用件を終えていざ出ようとすると、ドアが開きません。「自動ドア」と表示があるのにどうして? と事務室を振り返ると「手で開けてください」とジェスチャー。どうも故障していたようです。
 すっかり「自動ドア」に慣れてしまっているので、時々入り口で開くのを待っている自分がいます。

 二本の鎖につながれて二人の兵士の間で寝ているというペテロの様子は、今風に言えば「高度なセキュリティーが施されて…」ということになるのでしょうか。
 けれども、そのような厳重な警備をあざ笑うかのように、鎖が解かれ、門が開かれて、ペテロは外に出て来ます。そこで我に返るのですから、ペテロ自身も信じられないことが起こったのです。

 おもしろいのは、ペテロを閉じ込めていた門はひとりでに開いたにもかかわらず、祈り会をしていた家の門は開かないでペテロがその前に立っていたということ。あんまりうれしくて驚いて、門を開くのをロダという女中が忘れてしまったからなのですが、開かない門をたたき続けるペテロの様子に、どこかユーモアを感じてしまいます。

 必死に神に祈りながらも、それが聞かれたときに信じることができないなどというのは、思い当たる体験ではないでしょうか。

 


神の恵みを見て喜び

2011年06月20日 | 使徒の働き
使徒の働き11章19-30節


 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。
 通っている教会では多くの方をお誘いしての「伝道礼拝」。講師はご本人の紹介によるならば、苗字もお名前もジャニーズ系とのこと。これでおわかりになったら相当なものですよ。
 礼拝後「父の日」のささやかなお祝いの時を持ちました。全粒粉クッキーとレギュラーコーヒーバッグ。どんなものでも、いただけるのはうれしいものです。

 きょうの箇所にはバルナバが登場します。バルナバはエルサレムに来たサウロを引き受けて教会に紹介したキプロス生まれのレビ人です。アンテオケで大勢の人が信じて主に立ち返っているとの報を受けて、エルサレム教会はバルナバを派遣しました。ペテロとコルネリオの出会いがなければこれも実現しなかったことでしょう。そして、エルサレム教会はもっともふさわしい人物をこの時アンテオケに派遣したのです。
 バルナバは心の広い人物です。アンテオケでの出来事を「神の恵みを見て喜」んだのです。なかなかできることではありません。
 バルナバは「慰めの子」です。アンテオケでイエスを信じた人々を励ましています。
 バルナバには先を見る目がありました。アンテオケの教会の働きの拡大を見越してサウロを迎えようと決断します。
 バルナバは行動的人物です。自分からタルソまで出かけて行ってサウロに会い、連れて来ています。
 バルナバは愛を行動に表す人物です。大ききんに苦しむユダヤの諸教会に救援物資を送りました。

 バルナバのような人物を擁していたので、彼らは周りから「キリスト者」と呼ばれるようになったのではないか、と思いました。

 被災地できょうも仕えている「バルナバ」たちのために祈ります。そして私たちも…。
 
 
 



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